前回の話と158話の誤字報告してくださった方にも感謝です。肝心な文章が抜けてて申し訳ございませんでした。
「特訓特訓~♪」
洞窟の外では未だ雨が振りしきる中、ウキウキとしながら待ちわびる紫がいた。
先ほどは勢いで特訓するぞと口走ってしまったが、一口に特訓と言っても何から始めるべきか。紫と私では種族も違うし能力もまるで違う。彼女の境界を操る程度の能力については未だ謎が多いし。
(紫は何も分からないみたいだし、ここは一つ初心に返ってみるかな)
私がまだ駆け出しの魔法使いだった頃は、ひたすら魔導書を読みまくって、書かれてる内容の通りに練習する日々を送っていた。早くどでかい魔法を使いたいという焦りはあったけど、地道な努力が大きな結果に繋がると信じて練習を続け、遂には時間移動の大魔法を会得し、ここに立っている。
今回の場合、〝魔導書″がなく暗中模索の厳しい状況下ではあるが、彼女のポテンシャルなら自分の〝魔導書″を見つけ出してくれる筈。そのために、基本中の基本である瞑想から始めることにしよう。
私は都合よく近くに転がっていた平たい丸石を拾い、軽く土埃を払った後その上に布を敷いてから紫の目の前に置いた。
「紫ちゃん。ここに胡坐をかいて」
「うん!」
「背筋を伸ばして手は足の上に置いて――そうそう。もっと肩の力を抜いていいぜ。それから目を閉じて、ゆっくりと鼻呼吸しながら気持ちを落ち着かせるんだ」
紫は指示した通りに体を動かし、穏やかな表情で呼吸を繰り返す。
「いいか? その状態を維持したまま心の中で自分と向き合い、自身の心の中に浮かぶイメージを形にするんだ」
紫は僅かに頷き、座禅を組んだ体勢のまま目を閉じている。しとしと降りつづく雨音と、僅かな風音だけが聞こえる静かな世界。私は壁際に座って紫の集中する姿を見つめていた。
ここで『何故こんな遠回しなことをしているんだ? 未来の事を教えてあげればいいじゃん』――と疑問に思う人もいるかもしれない。確かに、将来紫が会得する境界を操る程度の能力について説明すれば、多分すぐにできるようになるだろうとは思う。
しかしそれでは彼女の為にならない。あくまで自力で自らの可能性を掴み取らなければ意味がないのだ。
繰り返すことになるが、私も魔法使いになる前は、地道な反復練習を繰り返し、魔法の威力や精度や技術を磨いて来た。例え結果が出なくても、試行錯誤を重ねながらゴールに向かっていく過程が大切だと私は考えている。
未来の情報を不用意に与えることによる、『鶏が先か、卵が先か』のタイムパラドックスの回避という思惑もあるが、一番に願っているのは、自力で能力を見つけ出したという〝実績″を上げることだ。
(うう、にしてもじっとしてると寒いな。体を動かしたいけど紫の集中を乱したらいけないし……。早く服乾かないかな)
八卦炉から放出される暖気も、結局は自らの魔力を削っているため、あまり暖かみを感じない。
吊るされた私達の衣服から、ポツポツと滴り落ちる水滴をぼんやりと見上げる無為な時間を過ごしていると、その意識を引き戻すように紫が口を開いた。
「おねえちゃん、全然分からないよ~。それにじっとしてるのもつまんない!」
「余計な口を挟まずに、しっかりと集中するんだ。為せば成る!」
「……?」
唖然とした様子の紫。ああ、そうか。この故事成語は江戸時代に生まれたからまだこの時代にはないんだっけ。
「ちゃんと頑張れば必ず結果は付いてくる。だから諦めずに頑張れ!」
「本当にできるかな?」
「今の紫ちゃんにはこれが一番最適な方法なんだ。大丈夫、私を信じろ!」
「分かった! もっともっとやってみる!」
紫は私の言葉に素直に従い、再び目を閉じた。この時代の紫は自分にあまり自信がないように思えるので、こうして勇気づけるのも大事だ。
それからというもの、紫も腹をくくったのか一切文句を付けることなく、じっと集中し続けており、静かな時間だけが過ぎていく。
やがて日が落ちかけた頃にようやく雨が上がり、霧も晴れて来たので、私は音を立てないように生乾きの服を身に着け、リュックサックを背負って洞窟の外に飛び出す。目的は今夜の晩御飯探し。近所に八百屋や精肉店はないので、自力で食材を集める必要があった。
私はセイレンカを探す時に見かけた食用のキノコを充分な量だけ収穫し、日没前に戻ってきた。その間も紫は微動だにせずに瞑想を続けていたようで、私は心の中で感心していた。
(さて今のうちにやっておくか)
私は収穫したキノコの下処理を始めた。
洞窟の外は完全に夜になり、分厚い雲によって月明りが遮られ、辺りは真っ暗になってしまったが、八卦炉から噴き出す炎だけが私達の周囲を灯していた。
(静かだな……)
茸の下処理を終えた私は、洞窟の壁に寄りかかりながら外を見ていた。
こうしていると自然と一体になったような錯覚に陥る。たまには洞窟暮らしも悪くないかもしれない――そんな感傷に浸っていた時、紫のお腹がぐうと鳴った。
「……も~ダメー! お腹が減って集中できない~……」
紫は姿勢を崩しぐったりとしていた。中々いいタイミングだな。
「それじゃ今日の所は終わりにして、ご飯にするか」
「ご飯!?」
そう言った途端、紫の目に生気が戻る。私はリュックサックに入った色とりどりのキノコの山を見せながら言った。
「お前が瞑想している間に採って来たんだ。あいにくキノコしかないが、我慢してくれ」
「わぁ、これ全部食べられるの?」
「もちろん。これでも私はキノコに詳しいんだぜ?」
「へぇ~おねえちゃんは物知りだなあ。前に赤くて白い粒粒があるキノコを食べて気持ち悪くなったから、それ以来あまり食べたいと思わなくて」
「それベニテングダケじゃないか……。下手すりゃ死にかける程の毒があるんだが、良くその程度で済んだな」
「その前に食べた赤色のキノコは美味しかったんだけど」
「紫ちゃんが言ってるのは多分タマゴタケだな。見た目は似てるけど美味いんだよ。今日採って来たのにもあるぞ、ほら」
「あぁー! これこれ! そっかぁ、こっちが食べられるキノコなんだね」
そんなたわいのない話をしながら、八卦炉の火でキノコを焼いて食べていく。キッチンでもあれば焼く以外にも色々と調理法があるのだけれど、まあ仕方ない。
「これ甘くて美味しい!」
「まだまだ沢山あるからどんどん食べていいぞ」
紫はリスのように口一杯に頬張りながら、山積みになったキノコを消化していった。今回は調味料を使わずとも美味しく食べれるキノコを選んで採って来た。うん、やはり私の目利きに狂いはない。
「あぁ、美味しかった~。こんなに食べたのは初めて」
「はは、良かったな」
至福の表情でお腹をさする紫は、心の底から満足しているようで、私も何だかほっこりとした気持ちになった。
食事も終わり、片付けも済ませた後、私は言った。
「もう暗いし寝るか」
現代のように電気もない時代、夜更かししても何も意味がない。
「寝るって、どうするの?」
「まあ見てな」
私は八卦炉の火力を強くして地面を乾かし、そこに先程まで紫が使っていた布を広げ簡単な寝るスペースを作った。これで布団があれば完璧だったが、ない物をねだってもしょうがない。
「今夜はこれで我慢してくれ。明日からはもうちょっとマシな寝床をつくるからさ」
「ううん、これで充分だよおねえちゃん」
それから私と紫はその布の上に並んで寝ころび、掛け布団の変わりに上着をかけたが、面積が小さく隙間から風が吹きつけて寒い。私は僅かに離れた所に寝転がる紫にこう言った。
「紫、もっとこっち来ていいぞ?」
「いいの?」
「ああ。くっついて寝た方が暖かいからな」
「うん!」
その日の夜は、互いに抱き合うようにして眠りについた――。
――西暦250年6月16日――
洞窟に本格的に住み始めて一週間が経過した。最初は現代との勝手の違いに不便さを感じていたが、この頃にもなるといつも楽しそうにしている紫や慣れもあり、サバイバル生活に適応しつつあった。
私は体質的に飲まず食わず、不眠不休でも活動できるが、紫はそういう訳にはいかない。雨が降らない天気の時は紫と一緒に森へ繰り出し、近くの川魚を捕ったり、キノコを摘み取ったり――その際に食用のキノコと毒キノコの見分け方をレクチャーするのも忘れずに――時折襲ってきた狸などの野生動物を返り討ちにしながら弥生時代を暮らしていた。
余裕のある時は一人で南の村に赴き、そこの村人達と交渉して、森の中で取れた食材を布や土器といった生活用品と物々交換してもらい、洞窟生活の基盤を整えた。ちなみにこれは余談だが、彼らの日本語は現代語と文法が違い、一部の発音が訛っていた為、意思の疎通に身振り手振りを交える必要があり大変苦労した。紫は現代語に近い話し言葉だったのですっかり忘れていたが、時代と共に言葉も変遷するものなんだよな。今度来る機会があればにとりの翻訳機を借りてこよう。
もちろん、これらが一日の全てではない。時間が空いている時、紫には、人も妖怪も関係なく時代を越えても普遍的な社会的ルールや、幼い子供にやるような情操教育を行い、自分の体験も交えつつ彼女に命の大切さを説いた。紫はいまいち意味分かってなさそうな態度だったけど、きっと伝わったと信じたい。余計なお世話かもしれないが、今の純粋な紫はそれだけ危なっかしく、心配だったのだ。
他にも鬼ごっこやかくれんぼといった簡単なゲームや、私の背中に乗って一緒に空を飛び回ったりして、私自身も童心に返ったように遊びまわり、体感的にはあっという間だった気がする。
さて、現在の時刻は西暦250年6月16日午前10時00分、この時代に使われていた和暦に合わせるなら
空は珍しく気持ちの良い青天で、鳥や虫の鳴き声がそこかしこから聞こえている。
(そろそろ何か掴んで欲しいんだけどな……)
ここ一週間、先述した出来事以外の時はひたすら紫に特訓をさせていたが、未だに兆候が現れない。当の本人に手ごたえを聞いても、思い浮かぶのは食事のことや私と遊んだ時のことばかりらしく、最近では瞑想から妄想になりつつある始末。
一朝一夕で出来ることではないと思っていたけど、こうして現実を目の当たりにすると焦燥感が募り始める。未来の事を知っているからこそ余計に。
(ううむ、もう少し情報を与えるべきか? いやでも、長い目で見るのが大切な訳だし)
そんな葛藤の中、紫の様子がいつもと違うことに気が付いた。
(……? もしかして)
近くに寄ってみると、頭がリズムよく上下に僅かに動き、うつらうつらとしていた。
「こら、寝るな」
「……はっ! ご、ごめん。おねえちゃん」
「全く、まだ寝るには日が高いぜ?」
「だって退屈なんだもん。おねえちゃんと遊んだ方がよっぽど楽しいよ」
この時代の紫は非常にアグレッシブで、現代のインドア派な彼女とは天と地ほどの差がある。その辺もまた、精神が成熟しきっていないということなのだろう。
(仕方ない、ここは少し後押ししてやるか)
私は言葉を選びながらアドバイスをすることにした。
「紫ちゃん。瞑想とは心を空っぽにして無にすることなんだ。そうすることで余計な雑念が排除され、心の奥底に眠る自分と向き合うことができる。なんなら今までの人生を振り返ってもいい。自分のことを心から理解しない限り、前には進めないぜ」
「ん~良く分からないけど、とりあえずやってみるね」
そうして紫は再び瞑想の姿勢に戻っていった。私の話したことを実践しているらしく、彼女は微動だにせずに集中していた。
(これは期待できそうだな)
少しの期待感を持って見守っていると、紫は急に立ち上がった。
「おねえちゃん! 分かった、わかったよ!」
「おお、遂にか!」
「見ててね、おねえちゃん。それー!」
掛け声と共に紫が両手を前に突き出すと、前方に生えていた杉の木の表面に小さな裂け目が浮かび上がり、それがざっくりと開いて黒い穴が出現する。
(!)
黒い穴が消えた跡には、木の真ん中に錐でくりぬいた時のような丸い穴が生まれ、向こう側が見えていた。
「い、今のは――!」
「わたしの能力で空間を操って木に穴をあけたの」
「おお~凄いじゃないか!」
「まだまだ!」
そうして紫が片手を突き出すと、今度は木の直径を優に超す黒い穴が胴体を飲み込み、根っことの繋がりを失った杉の木は大きな音を立てながら倒木した。
「ほら、今度は大きな穴が開いたよ? 見た見た?」
「この目でバッチリとな。とうとう能力が開花したんだな! おめでとう、紫ちゃん!」
「えへへ。おねえちゃんのアドバイス通り、〝わたし″の原点に向き直ってみたら、今まで悩んでいたのが嘘みたいにパッと思い浮かんだの!」
紫ははにかむ表情で私を見上げていた。
今の紫が〝穴″と表現しているものは、間違いなく後世でスキマと呼ばれるモノだろう。この時代の紫が創り出したスキマは、切れ目の両端に結ばれたリボンがなく、穴の中から此方を覗く不気味な多数の目も存在しない真っ暗なモノだった。
「見てて、次はもっと凄い穴を創るから!」
上機嫌な紫は、両腕を目いっぱい広げたが、いつまで経っても目の前の森に変化はなかった。
「あれ? 今度は全然できなくなっちゃった」
「きっとまだ力が不安定なんだな。安定して能力が使えるようになるまで、繰り返し練習だ」
「よ~し頑張るよー! 必ずおねえちゃんより強くなってみせるからね!」
「ああ、その意気だぜ!」
紫は意気揚々と拳を突き上げていた。