――西暦300X年6月10日午後1時10分――
永遠亭の前でタイムジャンプを行い、西暦300X年6月10日午後1時10分――依姫とにとりと別れた五分後――に到着すると、敷地の門の前に鈴仙が立っていた。
「おぉ、本当にこの時間に来た!」腕時計に一瞬目をやった彼女はこちらに近づき、「待ってましたよ魔理沙さん」と和やかに話しかけて来た。彼女は215X年に比べ背が僅かに伸びていて、私よりも目線が高くなっていた。
「待っていた、だと?」
「はい。貴女宛にお手紙を預かっていますので」
鈴仙は右手に持っていた真っ白な角封筒を私に見せた。見た感じでは宛名も何も書かれていないようだが……。
「手紙って、私は215X年9月30日から来た魔理沙だぜ? この時代の私に渡してくれよ」
「いいえ、その日から来た貴女で間違いありません。差出人は魔理沙さん――貴女から見て850年後の貴女なんですから」
「!」
驚いてる間にも鈴仙は私の手を取り、半ば強引にその角封筒を持たせた。
「それでは確かに渡しましたよ。では私はこれで! 久しぶりにお師匠様に会える~♪」
鈴仙は鼻歌交じりに永遠亭の中に戻って行ったが、私はそれどころではなかった。
(未来からの手紙だと?)
私はこれまで、霊夢や別の歴史のマリサも含めて様々な歴史改変をしてきたけれど、一貫して自分自身の過去には干渉してこなかった。それが一体どういう風の吹き回しなのか。
私は封を開けて中を確認する。そこには折り畳まれた一枚の便箋が入っていた。
『過去の私へ。この手紙を読んでいるということは、私は既にもうこの世にはいないだろう――』
(んなっ!?)
冒頭から明かされる衝撃の事実に一気に冷や汗が噴き出した。未来の私が死んでいるだと? タイムトラベルの力があるのにか?
もうすぐ夏だというのに身体が異常に寒い。全身が震え、心臓が破裂しそうなくらいにバクバクしている。続きを読みたいと思う私と目を背けたいと思う私、二律背反の葛藤に苛まれながらも、私は覚悟を決めて読み進めることにした。
『――というのは嘘だ。一度こういう書き出しをやってみたかっただけで、特に深い意味はない。今も私はピンピンしてるぜ☆』
「はあっ!?」私の間抜けな声が竹林の中に響き渡る。
なんなんだこのふざけた文章は! 人を馬鹿にしているにも程がある! さっきまで戦々恐々としていたのが陳腐に思えて来た。
すぐにでも破り捨てたくなったが、腐っても未来の私からの手紙だ。ぐっと堪え、私は再び手紙を読み始めた。
『さて、これ以上ふざけたことを書くと本当に破り捨てられそうなので、ここからは真面目な話をしよう。現在永遠亭の前でこの手紙を読むお前のタイムラインとしては、西暦250年6月9日に遡ってセイレンカを採取し、それから西暦215X年9月30日を経由して西暦300X年6月10日に跳び、永遠亭の転送装置で月の都に向かい、依頼された花を依姫に渡そうとする――そんな流れだった筈だ』
(ううむ、当たっているな……)
『その後月の都で宇宙飛行機の整備を終え、アプト星への移動手段を得たお前は、妹紅を誘って紀元前38億9999万9999年の8月17日に遡り、アンナのメモリースティックを宇宙飛行機に接続してナビゲーションシステムを作動させる。しかしその直前に、今この手紙を読んでいるお前よりも更に未来の霧雨魔理沙が目の前に現れ、彼女からお前の今後の人生を揺るがすような決断を迫られる事になる。そこで私から忠告を送ろう。『未来の私を信じるな』と』手紙はここで終わっていた。
「『未来の私を信じるな』?」
これはどういうことだ? 文脈から考えると、39億年の翌年に現れるもう1人の私のことを指していると思うんだけど……忠告があまりに抽象的すぎて想像がつかない。
というか、もっと未来の私からコンタクトが来るのは確定なのかよ。ややこしすぎるぜ。
(う~ん……)
分からない。この時代のこの歴史で私に手紙をよこした魔理沙は今の私の延長線上の未来な筈なのに、何を考えているのか皆目見当が付かない。私が私を信じなくてどうしろと言うんだ。
私の名を騙る何者かの可能性もあるけど、それにしてはピタリと過去を言い当ててるし、覆すには弱い。
(――ま、ここで考えても仕方ないか。今はまだ様子見だな)
この手紙に書かれていることが嘘か真か、それはこれから分かる事だ。にとり達に下手な事を言って混乱させるのは良くないし、今は自分の心の中に仕舞っておこう。幸いこの文面からしてほんの少し先の未来のことみたいだし、その時になってから判断すればいいじゃないか。
私は手紙を仕舞い、永遠亭の門をくぐって庭を抜けた先にある玄関の扉を叩いた。
「はいはーい」
玄関先で待機していたのかと疑ってしまうような早さで引き戸が開かれ、営業スマイルを浮かべる鈴仙が現れた。
「おや、さっきぶりですねー。診察ですかー?」
「馬鹿言うな。月への転送装置使わせてもらいたいんだが、構わないか?」
「ああ、その件でしたか。構いませんよ、ついでに私が手伝ってあげます」
「そりゃ助かるぜ」
私は靴を脱いで片手に持って上がり込み、鈴仙と並んで廊下を歩く。永遠亭は無駄に広い屋敷で、あの部屋まではもう少し時間がかかる。手持ち無沙汰だった私は話を振った。
「なあ、お前って永琳と仲が悪いのか?」
「へ? どうしたんですか急に」
「さっき師匠と会うのは久しぶりだとか言ってたじゃん」
「あぁそのことですか。貴女は過去から来たので知らないんでしたね。今の私は人里の大病院の院長を務めてまして、もう永遠亭には住んでないんですよ。今日は久々に休みが取れたので帰って来たんです」
「へぇ! 私の知る鈴仙はまだまだ見習いだったんだがな」
「幾百年にも渡る修行の末、師匠についに認められまして、約700年前に独立開業したんですよ。師匠には開業資金の援助から物件探しまで色々と助けてもらいまして、感謝してもしきれません」
「ふ~ん。でもお前が診療している所とかあんまりイメージできんな。大丈夫なのか?」
「失礼ですねぇ。薬師としての腕は師匠にはまだまだ敵いませんけど、幻想郷で二番目に医術に長けていると自負してるんですから!」
「ほぉ」
半人前だった鈴仙がここまで成長してるとはなあ。ひょっとすると妖夢も一人前の剣士になっているかもしれない。
そんなとりとめのない話をしているうちに、私達は転送装置のある部屋の前までやってきた。
「さ、着きましたよー」
鈴仙は襖を開き、その後に私も続いていく。うん、何度見ても畳の部屋には似合わない機械だ。
「私がスイッチ入れるんで、魔理沙さんはあの中に入ってくださいねー」
「おう」
私は転送装置の中に移動し、靴を履いてから合図を送った。
「それじゃ頼む」
「いきますよ~」
その直後私は眩い光に包まれ、一分もしないうちに視界が開けた時私は既に薄暗い地下室へと移動していた。
「帰ってきましたね」
「おかえり魔理沙ー! 首尾はどう?」
「ああ、ばっちりだぜ」
転送装置から降りた私は、肩掛けカバンを外して中身を見せる。
「すごい――!」
「こんなに美しい花があったとは……! 素晴らしいですね」
ダイヤモンドのようにキラキラと輝くセイレンカの美しさに、依姫とにとりは息を呑んでいた。
「現代の幻の花は当時でも稀少らしくてな、探すのに苦労したぜ。とりあえずなるべく自然に近いように、根っこと土の部分も含めて採取して来たから、後は好きにやってくれ」
「ご苦労様です。――それにしても本当に綺麗な花ですね。誕生日が来たらすぐに八意様に渡そうと思ってましたけど、一度ゲノム解析にかけてDNA情報を解析することにしましょう。上手くいけば幻の花を生育できるかもしれません」
「そいつはいいな。もし上手く行ったら私にも分けてくれ」
「ええ、いいですよ」
依姫は慎重な手つきで胴乱を受け取り、肩に下げた。
「……さて、約束通りこれから宇宙飛行機の整備に入ります。ある程度の時間を要しますが、よろしいですか?」
「構わないぜ。前みたいに終わる頃にタイムジャンプするつもりだし。どれくらいかかりそうなんだ?」
「そうですね。整備そのものは一週間もあれば終わりますが、彼女の要望が多いので、また1ヶ月程かかる見込みです」
「1ヶ月ってことは、今日が6月10日だから7月10日でいいのかな。じゃあその日の午前11時にタイムジャンプするから、またここに来てくれ」
「分かりました」
「にとり、アンナのメモリースティックを渡しておくからさ、何かの役に立ててくれ」
「オーケー。実はまだ分からない部分があったから、ここの設備を借りて調べてみるよ」
私は二人から一歩離れ、西暦300X年7月10日午前11時にタイムジャンプしていった。
――side out――
「……では私達も行きましょうか」
「そうだね」
部屋を退出しようとしたその時、彼女達の前、転送装置のちょうど手前辺りの空間に異変が生じ、二人は足を止める。
何もない床に突発的に線が浮かび上がり、それは現在進行形で形を変えていき、やがて歯車模様の魔法陣に。しかしこの現象は留まるところを知らず、その魔法陣より少し浮かんだ位置に新たな歯車模様の魔法陣が記されていく。これを繰り返して七層に到達した時、模様がバラバラだった七つの魔法陣は重なり合って一つになり、機械式時計の内部機構のように芸術的な魔法陣として完成した。同時に魔法陣の天井部にはローマ数字で表記された時計の文字盤が浮かび上がり、その針は現在の時刻を指していた。
「この魔法陣は……!」
「なんか光り始めたよ!」
にとりの言葉の通り、ローマ数字の文字盤からは銀色の鈍い光、精密な歯車模様の魔法陣からは黄金色の光が生じ、性質の異なる光が織り交ざって薄暗い部屋は明るくなっていく。二人が推移を見守っていると、やがて光が収束していき、魔法陣と文字盤は一瞬のうちに崩壊する。
彼女達の視界が開けたそこには時間旅行者霧雨魔理沙が立っていた。
「やっぱり魔理沙だ。でも――」
河城にとりは目の前の彼女に違和感を覚え言葉を止める。綿月依姫もまた、いつになく慎重に口を開いた。
「……どうしたのですか? まだ整備は始まってもいませんよ」
「あぁ、ああ分かってる。お前らがこれから何をするつもりなのか、そしてどんな結果になるのかも良く知ってるぜ。私が何者なのか、これで分かるか?」
そう言って時間旅行者霧雨魔理沙がポケットから取り出して見せたのは、三日月模様が刻まれた純金製のメダルだった。上部の縁には金具とリボンが取りつけられ、ネックレスのように首からぶら下げられるようになっていた。
「貴女は――! やはりそういうことでしたか」
「ご明察。流石に勘が鋭いねえ」もう用は済んだとばかりに、時間旅行者霧雨魔理沙はメダルをしまった。
「貴女とは長い付き合いですから」
「え、どういうこと?」
時間旅行者霧雨魔理沙と綿月依姫は笑みを浮かべていたが、河城にとりは困惑した表情で二人を見比べていた。
「私に何の用ですか? わざわざここにタイムジャンプしてくるなんて、まだあの件が尾を引いているとでも?」
「今回来たのはその事じゃない。実はさっき一か月後に跳んで行った魔理沙について、お前らに話があってな――」
そう前置きして、時間旅行者霧雨魔理沙は綿月依姫に語っていく。
すっかり置いてけぼりになってしまった河城にとりだったが、彼女への興味から黙って耳を傾け、自身の感じた違和感について推論していく。現在進行形で耳から入って来る情報と、彼女の一挙一動を振り返ったことで、その正体を突き止めるのにさほど時間は必要なかった。
「……そういうことね」
河城にとりは小声で呟き、身振り手振り交えながら喋っている時間旅行者霧雨魔理沙を見つめていた。
河城にとりが導き出した結論、それはつい先程西暦300X年7月10日にタイムジャンプした時間旅行者霧雨魔理沙と、目の前に現れた時間旅行者霧雨魔理沙とではタイムジャンプ魔法陣の模様が異なる事だった。比較すれば、目の前の彼女の方が明らかに緻密で高度だったことは素人目にも分かる。
彼女は私の知る霧雨魔理沙よりも更に未来の霧雨魔理沙なのだと、河城にとりは確信していた。
「――と、いうわけだ。頼めるか?」
「はぁ、別に構いませんが、随分と回りくどいことをするのですね。何の意味があるんです?」
「これはあくまで保険だ。無駄足に終わる可能性が高いが一応な。にとりも協力してくれるか?」
「その前に一つ聞かせて。あんたは私達の味方なの?」
「私が今ここに居る――それが答えだぜ」
河城にとりの疑問に、時間旅行者霧雨魔理沙は堂々と答えた。河城にとりは思考を巡らせ、頭の中で結論を導き出した上でこのように返答する。
「……そっか。なら私も手伝うよ」
「サンキュ~。くれぐれも、さっき時間移動した〝私″には内緒で頼むぜ」
「分かってるよ」
「それじゃ、私はこれで」
用件だけ伝えた時間旅行者霧雨魔理沙はタイムジャンプを使用し、この時間から居なくなった。再び静かになった部屋で、河城にとりは訊ねた。
「ねえ依姫。今の魔理沙とは随分と親密みたいだけど、いったい何があったのさ?」
「秘密です」
「ちぇっ、ケチだな」
「それよりも早く作業を始めた方が良いのでは? 彼女の注文も含めると1ヶ月では間に合わない可能性が出てきますよ」
「やれやれ、しばらくは徹夜の日々が続きそうだね」
こうして二人は地下室を後にしていった。