――西暦300X年7月10日午前11時――
――side 魔理沙――
タイムジャンプを終えて目を開くと、依姫とにとりが私を出迎えた。
「寸分の狂いなく、時間通りに来ましたね」
「待ってたよー」
「あぁ」
(ん?)
何気ないやり取りの間に一瞬感じた引っ掛かり。彼女達を観察すると表情に僅かな陰りが見えて、先程――彼女達の主観時間では1ヶ月経っているが――よりも、雰囲気が良くないような気がした。
(気のせいかな?)
「整備は終わったのか?」
「ばっちりだよ!」
「都の外に停めてあります。ついてきてください」
先頭を行く依姫とにとりの後に続き、私は部屋を退室する。その移動中、私はタイムジャンプ前に気になっていたことを訊ねた。
「依姫、セイレンカはどうなったんだ?」
「先日の誕生日に八意様にプレゼントしたら、『まさかセイレンカを再びお目にかかれる日が来るなんて……!』と、非常に感動していました」
「へぇ、そいつは良かったな」
「八意様のあんな笑顔は久しぶりに見ました。貴女には感謝しています――そうだ。此方が約束の種です」
依姫はセロハンテープで閉じられた小さな紙包みを渡してきた。慎重に剥がして中身を見ると、人差し指に乗る大きさの真っ白な種が十粒入っていた。
「種をまく時期は10月~11月頃、気温が低く湿気の多い土地だと良いでしょう。およそ2~3ヶ月で花を咲かせるので――」
「ふむふむ」
話を聞く限りでは、どうやら魔法の森にピッタリな環境のようだ。帰ったら自宅の植木鉢に種をまいてみることにしよう。
「にとり、メモリースティックについて何か分かったか?」
「あいにくだけど進展は何もないね。事前情報以上の隠された機能は無かったよ」
「ふ~ん」
「これは魔理沙に返しておくよ」
にとりからメモリースティックを返され、私はポケットにしまう。
さて、そんな話をしているうちに、綿月姉妹の宮殿を出て月の都を突っ切り、都の入り口へと到着した。
「じゃじゃーん! これが生まれ変わった宇宙飛行機だよ!」
にとりが指差す先には、壮大な地球と海を背景に宇宙飛行機が駐機していた。全体が綺麗に磨き上げられ、太陽の光に反射して黒と白のモノトーンボディが輝いている。
月の都内のオリエンタルな街並みと打って変わって、澄んだ海と砂浜が延々と広がる世界。この立派な乗り物は非常によく目立つ。
「……何も変わってなくないか?」
「まあ見た目はそうなんだけどね、中身が色々とパワーアップしてるんだよ」
「こちらが整備内容になります」
そういって依姫が渡してきたのは、紙のように薄く羽のように軽い長方形の機械だった。画面からは目の前の宇宙飛行機そっくりの立体映像が浮き上がり、画面の中にはATG型ナノマシンとか、専守防衛機構などの専門用語が記された難解な文章が表示されていた。
「例えばエネルギーシールド。見た目は透明なんだけどね、機体全体に展開することでレーザー光線や粒子砲にも耐えられるようになるんだ。他にもナノマシンによる自動修復装置や、フォトンを用いた――」
「いや、だからそういう技術的な話は良いってば。あんま興味ないし。というか操作方法が分からないし、読んでも全然理解できないからこれは返すぜ」私は長方形の機械を依姫に突き返し、にとりに肝心な事を訊ねた。「ちゃんと飛べるようになってるのか?」
「その点は抜かりないよ。月の技術に不備はないし、私の手できちんとチェックしたからね。ワープ燃料も満タンまで補充したし、航行中の食料もばっちりさ。……というか魔理沙、その調子でアプト星に行って本当に大丈夫なの?」
「どういう意味だよ?」
「だってアプト星は外の世界並に文明が発達してる星なんだよ? 魔法とか妖力なんて超常的な力もないだろうし、少しは科学に精通しておかないとちんぷんかんぷんだと思うけど」
「む、それは……」
呆れた様子のにとりに痛い所を突かれ、私は口ごもってしまった。実のところアンナのメモリースティックをすぐに確認しなかったのは、私の周りの環境が落ち着くまでに時間が掛かったという理由の他に、自身の科学知識の少なさというのがあった。
科学が当たり前の世界に生まれた早苗と違い、幻想郷に生まれた私はそれを知る機会は少なかったし、魔法使いとして無縁の生活を送って来た。にとりが機械に強いのは言わずもがな、妹紅も改変前の歴史で外の世界に長年暮らしていた訳だし、まずいかもしれない。
「手っ取り早く知識を得たいなら、
「なんだそりゃ?」
「実物を持ってくるよ」
にとりは都の中へと引き返していった。
「勝手ににとりを歩かせてもいいのか?」
「最初は歓迎しない玉兎もいましたが、今ではすっかり信頼を得てますから何の問題もありませんよ」
「ふーん」
五分後、にとりは黒いヘルメットを抱えて戻って来た。
「おまたせおまたせ。これが学習装置だよ」
そのヘルメットは頭だけを保護するタイプとは違って、顔以外の頭全体を覆うような形をしていた。頭頂部には赤色のボタン、正面の穴の上部には透明なバイザーが付いていた。
「これを頭に被って後ろのスイッチを入れるとね、中のメモリに保存されている情報を直接脳にインストールするんだ。科学的な原理としては、電子データの電気信号を脳のニューロンと接続してシナプスを活性化させることで、海馬に刺激を与えて情報を大脳皮質に送らせるの。そうすることで長期記憶として定着させるんだ」
「つまりアレか、睡眠学習みたいなもんか」
「まあイメージ的にはそんな感じだね。睡眠学習は科学的な根拠はないけど、学習装置の効果は保証できるよ!」
「うーん、でも私は気が進まないな。なんかそういう方法で知識を得るのって卑怯な気がするし。そもそも魔法使いが使っても大丈夫なのか?」
魔法使いという種族は、魔法という分野を研究する性質上常人とは特殊な脳の使い方をしている。超常的な現象である魔法を自在に操るためには必須の技術だからだ。
特に私はタイムジャンプ魔法の為に、脳の領域をおよそ10%占有している。数値だけ訊くと大した事ないように思えるが、魔法使いの括りの中ではかなりのハンデとなる。日常生活や簡単な魔法を扱うくらいなら支障がないが、天変地異を起こすような大魔法を使うには、その魔法使いの技量によるものの、大抵100%近く出し切らないといけないからだ。
身近な人物で例を挙げると、パチュリーは天地をひっくり返すような大魔法でも顔色一つ変えずにやってのけてしまうし、アリスは100体の人形をマルチタスクする能力がある。『動かない大図書館』だとか、『七色の人形使い』みたいな二つ名は伊達じゃないのだ。
その旨を伝えると、にとりに代わって依姫が答えた。
「我々の技術は完璧――と断言したい所ですが、100%成功する保証はありません。地球人やIQ100以上の人型異星人、玉兎達には効果がありますが魔法使いのデータはないからです。仮に失敗すれば記憶の一部を失うことになるかもしれません」
「じゃあやめとくわ。そんな危険を冒す必要ないし」
知識の欲求を放棄するつもりはないが、現状そこまで切羽詰まっている訳でもないし、もっと悠々としててもいいだろう。もうタイムジャンプ魔法の魔導書は時の回廊の咲夜に渡しちゃったし、万一タイムジャンプ魔法が欠損してしまったら一巻の終わりだ。
「ではせめてこのタブレット端末をお持ちください。ここには宇宙飛行機のことはもちろん、図解付きで電子機器や装置、社会システムについてのデータが入っています。何かの参考になるかもしれません」
「これはタブレット端末と言うのか。分かったぜ」
さっき突き返したタブレット端末を依姫から再び受け取り、ついでに簡単な操作方法のレクチャーも受けた。まさか画面を触るだけで動かせるなんて、直感的で分かりやすいな。
「よし、じゃあ出発するか」
「待ってください。最後に一つ、出発前に話しておきたいことがあります」
「なんだよ、まだあるのか?」
「今はもう殆ど情報が残っていないので詳細は不明ですが、アプト星は138億年の宇宙の歴史全体で見てもかなり宇宙文明の進んでいた星なのは事実です。ひょっとしたら西暦300X年の今よりも科学力が高く、未知なる技術に襲われるかもしれません。くれぐれも気を付けてください」
「ああ、心に留めておくよ」
私とにとりは宇宙飛行機に乗り込み、そのままコックピットへと向かった。新品同様に磨き上げられた内装に、鼻に付くメタリックな匂い。何に使うのか良く分からないボタンや計器類も目算で半分くらい減っていて、かなりスッキリした印象を受ける。
そしてにとりは操縦席に着き、計器類を操作して出発の準備に取り掛かっていた。
「にとり。妹紅を迎えに行きたいから、ここを出発したら一度地球の近くで止めてくれ。その後215X年に遡って幻想郷に入ってから、迷いの竹林上空でこの時間にタイムジャンプするからさ」
「オッケー」
この時代は外の世界の管理が厳しく、許可がないと地球に入れない。非常に面倒だけど、こういった手筈を踏む必要があるのだ。
やがて準備が整ったにとりは操縦桿を倒し、依姫が見守る中、私とにとりは宇宙空間へと飛び出して行った。
二度の時間移動を経て、私達を乗せた宇宙飛行機は西暦300X年7月10日午前11時30分に再び帰って来た。
現在、迷いの竹林上空の妹紅の家がある辺りで静止していて、左手には人里の街並み、反対側には太陽に反射してキラキラと輝くスカイブルーの海が見えていた。
「それじゃ妹紅を呼んでくるから、しばらくここで待っててくれ」
「りょーかい」
にとりに断りをいれてから私はコックピットを出てハッチを開く。ギラギラとした太陽が照り付け、冷房が効いた涼しい機内に熱風が侵入する。
「あっついな~」
まだ七月上旬なのにこんな暑いのか。ボヤキながらも私は機体から飛び降り、速度を下げながら迷いの竹林にふわりと着地する。鬱蒼と茂る竹林にうっすらとかかる霧が夏の日差しを遮り、良い感じに気温を下げていた。
私は妹紅の家を探したが、どこを見回しても竹と雑草ばかりで家屋らしきものは見当たらない。
(あれ、おかしいな。確かにこの辺りの筈なんだけどな)
『迷いの竹林の進み方にはコツがある。目印がないように見えて、気づかない所にちゃんとあるんだ。それさえ把握しておけば迷うことはない』とかつて妹紅は言っていた。その教えてもらった目印が足元にあるので、場所を間違えている筈はないんだけど……。
(ひょっとしたら別の場所に引っ越したのかな。彼女に聞きに行ってみるか)
私は竹林の奥に向かっていった。
やがて永遠亭に着いた私が扉を叩くと、応対に現れたのはなんと輝夜だった。
「どちら様? 今日は休診日よ――ってあら、魔理沙じゃない。どうしたの?」
「おお、ナイスタイミング! 実は輝夜に聞きたいことがあって来たんだ」
「?」
「私は215X年から来た魔理沙なんだけど、この時間の妹紅に用があってさっき家を訪ねたんだが何所にも見当たらなくてさ、困ってるんだよ」
「あら、そうだったの。妹紅なら600年くらい前に人里へ引っ越したわ。迷いの竹林側入り口門の通り沿いに建つ、赤色の屋根の一軒家が妹紅の家よ」
「人里にいるのか。サンキュー輝夜」
「あーでも今の時間だと家に居るか分からないわね。妹紅の携帯に電話してここに呼んであげましょうか?」
「それは助かる。ぜひ頼むぜ」
「さあ、上がってちょうだい」
輝夜の招きに応じて私も靴を脱いで上がり込み、玄関から入って右側の廊下を歩いていく。この屋敷内は隅々まで空調が効いているようで、外と比べると天国のような涼しさだった。
「輝夜。この時代の妹紅とはどんな感じなんだ?
「どんな感じって聞かれても、妹紅とは腐れ縁みたいなものだし、私達の関係に厚い友情も特別な恋愛感情もないわ。そんな言葉では形容できない関係なんだから」
「ふ~ん」
「ただ、600年前に妹紅が懇意にしていた半獣の先生が亡くなってからは、昔のように
そういえばいつだったか、改変前の歴史でそんなことを言ってた覚えがある。どうりで探しても見つからない訳だ。
「生き甲斐を見つけたのは結構な事だけど、なんだか寂しいわ。私がどれだけ気を惹いても、妹紅の心の中にはいつもあの先生がいるんだから。ひょっとしたら妹紅が羨ましいのかもしれないわね」
「なに言ってんだよ。お前には永琳がいるだろ?」
「永琳は月に居た頃からの従者だし、同じ蓬莱人ですもの。永遠の生を持たない者と絆を築いた妹紅とは全然違うわ」
「おいおい、彼女がそんな単純な理由で一緒に居る訳じゃないことくらい、お前自身が良く分かってるんじゃないのか?」
輝夜は足を止め真剣な表情で考え込んでしまった。私としてはさっさと妹紅と連絡を取って欲しいのだけど、まあ仕方ないか。私は周囲を観察することにした。
数十mはあるだろう長く幅広い廊下の中ほどに立つ私。竿縁天井に嵌め込まれた電球色の灯りが、左右に並ぶ鶴や花等が描かれた襖をぼんやりと照らしていた。床には私の姿がぼやけて映り込むくらいにワックスがかけられていて、埃一つ落ちていない。ところで、ここから見えるだけでも十部屋以上はあるのに、中から物音一つ聞こえないのは何故なんだろう。居心地の悪さを感じてしまう程に静かすぎる。ひょっとして輝夜以外誰も居ないのか?
「……ふふ、そうね。月を追放された時の事、地上で優しいお爺さんとお婆さんに拾われ、大人になった私を月の使者に紛れて迎えに来てくれた永琳の事、長い逃亡生活の果てに幻想郷に流れ着いたあの日の事、貴女に言われて思い出したわ。こんな大事な事を忘れてたなんて、年は取りたくないものね」
輝夜は結論を導き出したのか、自嘲気味に語っていた。
「それだけいつも一緒に居るのが当たり前ってことだろ? 切っても切れない良い関係じゃないか」
「ええ。永琳は私の大切な従者よ」
輝夜は女の私ですらドキリとさせるような上品な微笑みを浮かべていた。
「魔理沙、絶対に私の過去を変えないでちょうだいね。言葉では語り尽くせない程多くの出来事があったけど、私はこの選択を受け入れてるんだから」
「もちろんだぜ」
大きく頷き、私達は再び歩き出す。先程までに比べて、輝夜の足取りは軽やかだった。
「見えて来たわ」
長い廊下の突き当りを左に曲がって少し進んだ先に腰の高さ程の電話台が設置され、そこにポツンと黒電話が置かれていた。此方もまた綺麗に磨き上げられているけど、近くでまじまじと見ると電話機の至る所に細かな傷が残っていて年季を感じる。
輝夜は受話器を取り、ダイヤルを回してかけ始めた。
「もしもし妹紅? 私よ私。――あ、ちょっと切ろうとしないでよ。まだ何も言ってないじゃない。――はいはい、手短に用件だけ伝えるとね、215X年の魔理沙が貴女に用事があるらしいのよ。今隣にいるから電話代わるわね? ……はい、どうぞ」
「サンキュ」
輝夜から受話器を受け取り、耳に当てる。スピーカーの奥からは、ここではないどこかの喧騒が聞こえてきた。
「妹紅、私だ。39億年前の地球で会ったアンナとの約束覚えてるか?」
『覚えてる覚えてる。『いつかあたしの家に遊びに来てください』って言ってたよな』
「そうそう。その約束を果たそうと思い立って迎えに来たんだが、今から行けるか?」
『随分と急な話だな。うーん……まあタイムトラベルだし、時間は大丈夫か。分かった。なるべく早くそっちに行くから待っててくれ。それじゃ』
そうして電話は切れ、受話器を元の場所に戻した。
「なにか面白そうなことをするみたいね?」
「39億年前のここから1億光年離れたプロッチェン銀河のアプト星に遊びに行くんだ。お前も来るか?」
「遠慮しておくわ。私は月の姫だから、この星から離れるわけにはいかないのよ」
「? そうか」
良く分からない理由で袖にされてしまった。
それから玄関へ移動した私と輝夜は、
その後も、輝夜が誕生会で行ったサプライズや鈴仙の一発芸、因幡てゐの出し物などの話に花を咲かせていた所で、ガラガラと音を立てて玄関の戸が開き、身の丈より大きなリュックサックを背負った妹紅が現れた。
「よっ、久しぶりだな」
「おう」
妹紅は最後に会った時からまるで変わっておらず、安心感を覚える。
「早速だけど、この竹林の上空に宇宙飛行機が待機してるんだ。行こうぜ」
「ここに来る途中に見えたアレか。分かった」
「輝夜、妹紅が来たから私は行くぜ。電話貸してくれてありがとな」
「私からも一応礼は言っておくけど、それだけだからな。変な勘違いするなよ?」
「クスクス、二人ともいってらっしゃい」
愉快そうな輝夜に見送られつつ永遠亭を飛び立ち、待機中の宇宙飛行機に戻った私と妹紅は、コックピットに移動してここに至るまでの経緯を話していく。妹紅にアンナのメモリースティックの中身を見せると、彼女は感心した様子で投影された情報を読み、にとりに色々と質問していた。私は全然分からなかったのに、やはり詳しいな。
ちなみに未来の私から送られてきた手紙と、弥生時代で幼い紫に会ったエピソードは話していない。不確定な話はしたくなかったし、なんとなくだけどあの時間は二人だけの秘密にしておきたかった。
「ふ~んなるほどねぇ」
「紆余曲折あったけど、ようやくアプト星に行けそうだぜ」
「妹紅、そのリュックは何が入ってるの?」
妹紅はぎゅうぎゅうに詰まったリュックサックの中身を見せながら答えた。
「財布にカメラ、携帯端末と充電器だろ? 着替えやコスメポーチに日用品、折り畳み鞄……、あとはお菓子とか、移動中の退屈しのぎに使えそうなちょっとした遊び道具も持って来たな」
妹紅はトランプを見せた。
「旅行の準備はばっちりみたいだね」
「あーよくよく考えたら準備とか全然してなかったな。殆ど着の身着のままで来ちゃったよ。にとり、悪いけど出発前に一度215X年の私の家に寄ってってもいいか?」
「はいはい、別にいいよ。待っててあげるから」
「妹紅もいいか?」
「魔理沙らしいな。さっさと済ませて来なよ」
「すまんな。にとりは準備しなくても大丈夫なのか?」
「私はもう月の都で済ませておいたから。後ろの睡眠スペースに荷物があるよ」
「そ、そうか」
私はタイムジャンプ魔法を使って元の時間の五分後――西暦215X年9月30日午後5時45分――に遡り、迷いの竹林から自宅上空まで飛ばしてもらった。この時間帯はすっかり日が暮れてしまっていて、外の世界のような人工光が殆どない幻想郷において、機体全体が爛々と光る宇宙飛行機は良く目立っていることだろう。
やがて1分もしない内に到着すると、私は宇宙飛行機から飛び降りて、二階の窓から自宅へ侵入した。大きめのリュックサックを押入れから引っ張り出し、妹紅の持ち物を参考に家中を駆けまわりながら急いで荷物を詰め、息を切らしながらコックピットまで戻って来た。
「はあっ、はあっ、待たせて悪かった。それじゃ頼む」
「オーケーオーケー」
にとりが操縦桿を握ると、空中停止中の機体が徐々に垂直へと傾いていく。今度こそ旅立てる――そう思いながら何気なく西の空を見れば、幻想郷の夜空を猛スピードで飛ぶ一つの影に気づいた。その影は次第に大きくなっていって、間違いなくこちらに向かってきている。
「ちょっと待ってくれにとり。西の空から何かが近づいてきてる」
「え? どこどこ?」
「真っ暗で何も見えんな」
にとりや妹紅も注目する中、謎の影は距離を縮めていき、はっきりと姿が認識できる距離まで接近した時、初めて正体を掴んだ。
「……なんだ、マリサか」
「え?」
二人が驚く間もなく、すぐそこまで近づいてきていたマリサは徐々に速度を落とし、影から回り込むようにしてコックピットを覗き込んだ。最初は好奇心に溢れた様子だったが、私達と目が合った途端ぎょっとした顔に変化した。
「お~本当だ、別の歴史のマリサじゃないか」
「朝からずっと出かけていたのにこんなタイミングで帰って来るなんて、タイミングが良いんだか悪いんだか」
「どうするの魔理沙? こんなに近づかれたら危なくて出発できないよ」
「いっそのこと彼女も誘ったらどうだ?」
「……いや、色々と面倒なことになりそうだからやめておこう。にとり、離れるようにアナウンスしてくれ」
「りょーかい」
にとりはコックピット内のスタンドマイクを手に取り、『間も無く本機は宇宙に飛び立ちます。危ないから離れてね~』とアナウンスした。
マリサは突然響き渡るにとりのアナウンスに戸惑いを見せていたが、ゆっくりと離れていき、充分な距離を取ったところで箒に腰かけ、じっとこっちを見つめていた。
「にとり、出発してもいいぞ」
「オーケー! それじゃ発射!」
にとりはスタンドマイクを元に戻し、操縦桿近くのレバーを倒す。静かな振動と共に機体が物凄い速度で上昇し、雲を突き抜け博麗大結界を飛び越し、あっという間に宇宙へと飛び出した。にとりが機首の向きを動かすと、窓の左側半分に半円状の地球が映り込む。真っ暗な宇宙に燦然と輝くこの青さ、何度宇宙に飛び出してもこの美しさだけは色褪せない。
「215X年と300X年じゃあ全然違うな。地球の周りが大分スッキリしてるぜ」
「300X年の宇宙は宇宙船が多くてビックリだよ」
この時間の宇宙は銀色の煉瓦模様の人口惑星も大多数の宇宙船団も無く、300X年を100とするならば2くらいの数だった。ここから更に200年も遡ればまっさらな地球域が見れるけど、今はそんなの関係ない。
現在時刻は協定世界時で西暦215X年9月30日午前9時20分。幻想郷時間だと午後6時20分だ。
「それじゃ、そろそろ過去に行くぜ」
「噛まないように気をつけなよ~?」
「うるさい」私は大きく息を吸い込み、宣言する。「タイムジャンプ! 行先は紀元前38億9999万9999年8月17日正午!」
「長っ!」
妹紅のツッコミと共に、地球やそこら中で瞬く星々達が渦を巻くように歪み始める。この機体そのものが過去へと遡り始めた証だ。
やがて景色が完全に真っ暗になった後、程なくして色の洪水が私達を襲い、新たな場所へと抜け出した。
雲一つない青空の下、眼下に見える果てしなく続く一本の列柱廊を中心に、四季の象徴となる桜、砂漠、紅葉、雪景色が四方に果てなく続く世界。砂漠帯に天高く聳え立つゴシック建築様式の時計塔には、以前には無かった長針と短針が取り付けられていたが、針はⅫのまま動かない。
「時の回廊――久々に来たけど壮観だな」
「こんな景色地球上じゃ絶対に見れないよね」
「だな、非現実的な美しさだよ。あのおっかない美人メイドがこの場の支配者なんだろ? 世の中ってのは分からないもんだよなあ」
「私は彼女のことを伝聞でしか知らないけど、300X年でも相変わらずなんだね」
「あの美貌は人目を惹くからな。人里に買い物に現れるだけでちょっとした騒ぎになるくらいだぜ」
妹紅とにとりは身体を捻るようにして外の景色を眺めていたが、私は背もたれに深く体を預け、脳内であの言葉を思い起こしていた。
(『今この手紙を読んでいるお前よりも更に未来の霧雨魔理沙が目の前に現れ、彼女からお前の今後の人生を揺るがすような決断を迫られる。そこで私から忠告を送ろう。『未来の私を信じるな』と』か)
未来の私が予言する時刻にもう間もなく到着する。果たしてその先に何が待ち受けるのか。期待と不安を胸に私はタイムトラベルの終わりを待ち続けた。
「あれ、なんか前に真っ暗な穴が現れたぞ」
「きっとあれが出口だよ!」
回廊の途中に現れた暗い穴へと吸い込まれるように、宇宙飛行機は飛び込んでいった。