コレノアドス国立公園の東側は目立つ建物は一切なく、澄み切った広大な青空の下、花香る緑豊かな庭園がどこまでも続いていた。
「良い眺めだなぁ」
「目の保養になるね」
「これだけ広いと管理するのも大変そうだわ」
「そういえば紅魔館にも立派な庭があるんだよな。あの管理も咲夜がしてたのか?」
「いいえ、全部美鈴一人で管理してたから私の手が入る余地は無かったわ」
「それは知らなかったな。彼女いつも門の前でぼんやりしてるイメージあるけど実は庭師の才能があるんじゃないか?」
「美鈴の才能は私も認めるけど、役職についてはお嬢様が決めた事だからノーコメントよ」
「というか、ぼんやりしてることは否定しないんだね」
並行して飛んでいるにとり、妹紅、咲夜の雑談が私の耳に入る。
「アンナ、飛び心地はどうだ?」
「風が気持ちいいですね♪ いつもこんな感覚で空を飛んでいるなんて羨ましい限りです」
背中のアンナは今にも鼻歌を口ずさみそうなくらいご機嫌で、かくいう私も普段より晴れやかな気持ちで空を飛んでいる。景観の美しさもそうだが超高層ビルが建ち並ぶ町は息が詰まってしょうがない。
「そうだ。アンナ、ちょっと質問してもいい?」
「はい、なんでしょうか?」
「今私達は道から外れてる所を飛んでる訳じゃない? けど現実だとこの辺りには高層ビルが連なっていたはずだよね。すると私達はどんな原理でここを飛んでいるんだ?」
妹紅の疑問は最もな事のように思えた。シャロンの萬屋は元々あった高層ビルの一室に仮想世界を反映したと考えれば筋は通るけど、今の状況はどうしても説明がつかないし。
「それはですね、皆さんの眼鏡を通して体表面に
「それって私達が仮想世界の人間になったってこと?」
「いいえ、皆さんの肉体はそのままで自分の周りの世界が変化しただけです」
「分かったような、分からないような……。まあ要は眼鏡をはずさなければいいんだな?」
「はい、そんな解釈でいいですよ」
「ちなみに外したらどうなるの?」
「今の座標ではネンコレビルの3階フロアに飛び出すか、位置が悪ければ壁の中に埋まっちゃいますね」
「怖っ!」
「まあそうなるわよね」
「咲夜は良く落ち着いてられるな。私はなんだか急に不安になってきたよ」
「現実世界と仮想世界の座標が一致しない場合この眼鏡は外せないようになってますし、最悪の事態が起こる前に安全装置が働いて所定の位置へ転移するようプログラムされているので安心してください」
「所定の位置って?」
「コレノアドス国立公園の場合、ファブロ通り入り口の景色の境界前です」
その言葉を聞いた妹紅が眼鏡のつるを動かそうとしたが、少し触った後に「……あ、本当だ。顔にピッタリ張り付いてて取れないや」と独りごちた。
それから五分ほど飛び続けていると、ファブロ通りから繋がっている遊歩道の終点へと辿り着いた。
「うわ~綺麗! なにここ!」
「皆さん、ここがコレノアドス国立公園の人気スポット、コレノアドス庭園広場ですよ♪」
そこは百花繚乱という言葉がぴったり当てはまる花の香りに包まれた美しい広場で、四方に広がる花壇に咲く七色の花々はそれぞれ色分けされて一つの模様のようになっており、風に吹かれて散った花弁が花吹雪として舞い上がり幻想的な光景を創り出していた。
東奥には赤、黄色、橙、紫等カラフルな木々が規則正しく生えるエリアがあり、ここからでは全容が掴み切れないがあそこも庭園の一部なのだろう。
北側には迷路のように入り組んだ生け垣があり、中心の天使が象られた噴水からは澄んだ水が勢いよく噴出されて霧となり、青空に虹が出来ていた。まるで童話の世界みたい。
そうして観察している間に先行した二人の姿を発見した。ここがマリサの言っていた場所なんだな。
「これは凄い、心が洗われるような美しさだ」
「世界にはこんな場所があるんだな……!」
「本当に素晴らしい庭だわ」
「この庭園広場には世界中の花々が集められてまして、観光地としても大人気なんですよ~」
「あれ、でもその割には人が見当たらなくない?」
「宇宙ネットワークには設定したユーザー以外の他のユーザーの表示を消す機能がありまして、ファブロ通りに入る際にこの機能を有効にしました。ちなみにこれをOFFにすると……」
直後、コレノアドス庭園広場と遊歩道に溢れんばかりの人々が重なり合うように出現し、喧騒が響く。仮想世界だからなんとかなってるが、この混雑具合は現実ならすし詰め状態で身動きが取れないだろう。
「凄い人だかりだ……!」
「マセイトのような繁華街では大勢の人で賑わっていた方が活気があって良いのですけど、こういった癒しスポットは人が少ない方が落ち着いて楽しめますから」
「確かにそうだな」
活気に満ちた場所は好きだがそれは時と状況を考える必要がある。こんなに人がいたら風情もへったくれもないだろう。
「それじゃ表示を消しますね」
そうして仮想世界の人々が再び見えなくなって静かになった後、黄色の花が咲く花壇の前で観賞している霊夢とマリサの元に降りた。
その時アンナも地上に降ろしたけど、彼女は「ありがとうマリー」と何故か少し名残惜しそうに離れた。
「お~やっと来たか」
「さっき沢山の人が現れたかと思ったらすぐ消えちゃったんだけど、なんだったの?」
「私達以外のここを訪れている観光客らしいぜ。今は花を楽しむのに邪魔だから消えてるんだ」
「へぇ~そんなこともできるのね」
それから私達は庭園内を散策していった。
花壇にはひらひらと蝶が舞い、ご丁寧にも花一輪ごとに学名、科名、属名、群生地、発見者、開花時期等の事細かな情報が空間に浮かぶ〝枠″に表示されており、この点に関しては仮想世界の大きな利点だと私は思う。
中には名前こそまるで違うが、向日葵やチューリップといった幻想郷でも見かける品種にそっくりな花もあり、こんな所に現代との繋がりを感じた。
「いい香りだわ」
「綺麗ねぇ。こんな花畑に囲まれて暮らしてみたいわ」
「この花可愛い。名前はアノマ?」
「へぇ~触ると花弁の色が赤色に変わるのね。ユニークだわ」
「もしここに幽香がいたら喜びそうだな」
「彼女は花に目がないからねぇ」
花壇の前で花を指差しながら雑談する咲夜達の話声が聞こえているが、私は会話に加わらず一歩離れた位置から花壇を見据えていた。
「……」
花は綺麗だし奥に見える野山も絶景だが、これらも全てそこにないものだと思うと少し悲しい気もする。
フィルターを通さなければ感じることもできないこの光景に果たして価値はあるのだろうか? ――いや、陸海空のみならず五感すらも遜色なく再現出来てしまうこの世界と現実世界の違いは何だ? 命とはなんだ? 私達妖怪とは――
「どうしたの魔理沙? 思い詰めた顔しちゃって」
気づけば私の隣にいつの間にか移動した霊夢が顔を覗き込んでいた。
「ちょっと考え事をな。大したことじゃないから気にしないでくれ」
「そう?」
霊夢は不思議そうにしながらも、花の観賞に戻って行った。
(ふっ――感傷的になりすぎだな)
きっと慣れない事続きで知らず知らずのうちにストレスを感じていたのだろう。たとえ偽物の世界であってもこうして皆と過ごす時間は本物なんだ。今はそれでいいじゃないか。
「……あら? 良く見たらここに咲く花々には値段がついてるのね。もしかして商品なの?」
「商品という訳ではないのですが、仮想世界ではデータの複製が簡単なので気に入った花があれば購入できる仕組みになってるんですよ。霊夢さん」
「そうなんだ。私も一輪買っていこうかしら」
「へぇ、花より団子の霊夢が珍しいな」
「失礼ね。私にだって人並みには花を慈しむ心はあるわよ。――じゃあ一輪貰おうかしらね」
そう言って赤色の花に手を伸ばす霊夢を私は慌てて止めた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ霊夢。持ち帰るのは困る」
「え、どうして?」
「ここの花々は外来種だ。うっかり繁殖でもしたら未来の生態系や環境にどんな影響があるか分からん。幻想郷の為にもここは我慢してくれないか」
私が絶滅したセイレンカを過去から持ち帰る事に賛成したのは、元々地球に群生していた品種で、尚且つ月の都という鎖国された土地故だったからだ。霊夢の管理能力を疑っている訳じゃないのだが、万一の場合を考えると余計なリスクを負いたくない。
そのことを説明すると「むぅ、魔理沙がそこまで言うのならしょうがないわね。観賞するだけに留めておくわ」と、伸ばした腕を引っ込めた。
「ああ、助かるよ」
「こういうのをなんていうんだっけ、高嶺の花?」
「いや、全然意味違うから」
「ねえあっちに大きな花が咲いてるよ!」
少し先行していたにとりに従って奥の階段を登っていくと、木の柵と透明なバリアフィールドに囲まれたコンパクトな花壇があり、そこには一輪の花が咲いていた。
茎の長さは咲夜よりも頭一つ分高く、ハートの形をした葉っぱを生やし、頂点には直径1mの大きな花が一輪だけ咲いており、中心は白く周囲に橙色の花弁がくっついて重なり合うように花冠を作っている。陽の光をめいっぱい浴びようとするその様に、私は生命の力強さを感じた。
「デカいな!」
「それに自然の力を感じる」
「マリーゴールドや菊と色の系統は似てるけど花弁の形が違うわね」
「名前は『ホアイトロエ』?」
「アプト語で太陽の花という意味です。この花は太陽エネルギーを蓄積する習性がありまして、満開のホアイトロエを一輪植えるだけで陽の光が届かない土地でも充分に植物が育つことからそう呼ばれているんです」
「へぇ~凄いわね」
「農業に携わってる人なら喉から手が出る程欲しがりそうね」
「ねえ、せっかくだしこの花をバックに記念撮影しない?」
「いいわねそれ!」
「決まり! じゃあ私がカメラのセッティングするね」
にとりはリュックサックからデジタルカメラと三脚を取り出し、手際よくセッティングしていく。
「どこに立とうかな」
「花の全体が見えるように真ん中を少し開けて並んだ方が良いわね」
「私はどうせなら目立つ場所がいいぜ!」
「私は列の端でいいわ」
「にとりは希望あるか?」
「位置の調整があるし、一番端っこでいいよ」
「あたしはどうすれば……」
「私の隣に来なよ」
「ありがとうございますマリー」
「私は空いたところに適当に入ればいいか」
ガヤガヤと話し合いながら立ち位置を決めた所で、セッティングが終わったにとりがファインダーを覗きながら指図を飛ばしていく。
「ポニーテールの魔理沙と霊夢はもうちょっと左に寄って――帽子被ってる方のマリサもちょい真ん中に行って~そうそう、そんな感じ。妹紅ポーズが硬いよ~。……いいね! それじゃ20秒後にタイマーセットするよ~」
「了解!」
ポチポチと操作した後にとりはカメラから素早く離れて列に加わり、私も予め考えていたポーズを取る。宣言通り十秒後にフラッシュが焚かれた。
「ちょっと確認してくるね」
にとりはカメラの方へ歩いていった。
「ヤバイ、目を瞑っちゃったかも」
「もっとネタに走った方が良かったかなー」
「どう? 撮れてる?」
霊夢がカメラを覗き込むにとりに聞くと、にとりはファインダーを見せながら「うん、バッチリ! ほらこのとおり、一発で綺麗に撮れたよ。今印刷しちゃうね」と答え、置いたリュックから小型プリンターと電気コードを取り出して接続した。あのリュックどんだけ荷物入ってるんだ?
「印刷終わり! はい、どうぞ」
「おう、サンキュー」
「私にも早く見せてくれ」
「そんな急かさなくてもちゃんと人数分あるってば」
にとりが一人一人に配っていった写真は少し高い位置から見下ろした構図で、陽の光が降り注ぐ青い空と花壇に堂々と咲くホアイトロエを背景にした私達が写っていた。
左から順ににとりは爽やかな笑顔で控えめにピース、妹紅は優しい顔で自然体なポーズ、マリサは勝気な笑みで両手でピースサインを作り、霊夢は美味しい物を食べてる時のような笑顔、私は白い歯を見せながらカメラ目線でサムズアップ、アンナは自分の手を絡めながら少し恥ずかしそうに微笑み、そして一番右端の咲夜は姿勢よく佇みながら僅かに頬を緩めている。
十人十色の笑顔をたたえた素敵な一枚に仕上がっていた。
「うむ、我ながら良いポーズだな」
「天狗顔負けの素晴らしい写真ね」
「あはは、被写体が良かっただけだよ」
「写真に撮られたのなんて何年ぶりかしら」
「貴重な思い出になったわ」
「にとりさんありがとうございます! 大事にしますね!」
出来立てホヤホヤの写真に、皆満足そうにしていた。