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「悲鳴!?」
声を聴いた瞬間、フィーネは最奥の扉の中へと駆けて行った。
「何かあったのかしら? 私達も行くわよ!」
「おう!」
「私はマリサを見ておくよ!」
「頼んだぜ」
目の色が変わった霊夢と共にアンナの後を追って突き当りの部屋に入ると――。
「な、なんだこりゃ!?」
そこには目を覆いたくなるような惨状が広がっていた。
恐らく二十畳はありそうな広いリビングの中は、シックなテーブルやソファーがひっくり返ってしまっており、近くにはビリビリに引き裂かれ、中の綿が剥き出しになったファンシーなクッションが幾つも落ちている。
奥のベランダに繋がるガラス扉もハンマーで殴られたような割れ方をしていて、そこに掛けられていたと思しき白いカーテンもズタズタに切り裂かれた状態で捨てられていた。
床もまた足の踏み場が無い程に散らかっており、羊毛が毟られボロボロになったカーペット、額縁が割れた写実的な絵画や、割れた花瓶とそこに活けてあったと思われる赤い花、全ての引き出しが外れ中身――主に小物類や生活雑貨――が散乱した状態で倒された収納棚やラックが転がっている。
仕切りの向こう側に見えるキッチンもかなり荒らされており、横倒しになった食器棚――ガラス越しに見える中の食器類は粉々に砕けてしまっている――や、ドアが開け放たれたまま放置された冷蔵庫、床に落とされた四角形の家電製品があり、あれではもう使い物にならないだろう。
更に恐ろしいことに、壁や天井には鋭利な刃物で斬られたような跡が複数残されており、その深さはこの高層マンションの建材が露呈するほどのものだった。一体どんな刃物を使えばこんなに斬れるんだろうか?
「うっわ何これ!?」
私達より一歩遅れてやってきたにとりもこの部屋を見て驚愕しており、霊夢は「これは酷い有様ね……。襲撃にでもあったのかしら」と深刻な面持ちで呟く。
そして肝心のアンナはリビングの入り口でへたり込んでしまっており、心配になった私は彼女に声をかけた。
「大丈夫かアンナ?」
「うぅ。どうして……どうしてこんなことに…………」
彼女はリビングを見つめたまま茫然自失としていて、私の声も届いていないようだ。
一方でフィーネはこの凄惨な部屋を見ても動じることなく、険しい表情で「皆さんその場から動かないでください。もしかしたら被疑者がまだ隠れているかもしれないので調べてきます」と言い、ホルスターから拳銃を取り出してリビング東の扉へと向かっていく。
そんな彼女の背中に霊夢は「待って、私も手伝うわよ。こういうのは人数が多い方がいいでしょ?」と呼びかけたが、フィーネは「気持ちは有難いのですが、一般人を危険な目にあわせるわけにはいきません。被疑者の逮捕は我々サイバーポリスの仕事ですのでお構いなく」と霊夢の提案をやんわりと断り、リビングを後にしていった。
「……一般人、ね。ふふ、そんな風に言われたのは生まれて初めてだわ」
「苦笑したくなる霊夢の気持ちもわかるが、郷に入っては郷に従えだ。ここは彼女に任せようぜ」
「ええ、そうね」
それからおよそ5分後、フィーネは玄関に繋がる後ろの廊下から戻って来た。
「お帰りなさい、どうだったの?」
フィーネは拳銃をホルスターにしまい「どうやら被疑者は既に逃走したようですね。マリサさんの事もありますし、直ちに現場検証を行います」と答え、今度はリビングの中心へと向かっていく。
目の前では白い手袋を嵌めたフィーネがカメラを回しながら部屋中を歩き回り、壁と天井の傷や倒れた家具に触れたり、床に散らかった物を手に取ったり、カーペットをめくったりと隅々までチェックしていき、あらゆる角度から写真を撮っている。
しばらくの間私達は固唾をのんでその作業を見守り、フィーネが割れたガラス戸の写真を撮った後、カメラを降ろして此方に近づいて来た。
「ふむ……これは窃盗事件の可能性が高いわね。アンナ、他の部屋の被害状況も確認しておきたいのだけれど、協力してもらえるかしら?」
「わ、分かったわ……」アンナはよろよろと立ち上がり「すみません皆さん。ちょっと行ってきますね……。マリサさんのことよろしくお願いします……」と頭を下げた。
「ああ、任せてくれ」
「この部屋は既にくまなく調べましたので、皆さんもう自由に動いてもらって構いませんよ」
そうしてアンナはフィーネと共にリビングの東の扉から出て行った。
「彼女、かなりショックを受けてるみたいね」
「まあこの有様じゃ無理もないな。さて、とりあえずあのひっくり返ったソファーを片付けるか」
「そうしましょ」
「なら私は床の片づけをやっておくよ」
そうして各自役割分担しながら片づけていき、ひっくり返ったテーブルとソファー、倒れた収納棚やラックを起こし、キッチンの冷蔵庫を閉め、床に散乱している物を部屋の隅に除け、大地震直後のような部屋から面倒くさがり屋の部屋くらいまで戻した所で妹紅とマリサを呼びに行く。
二人は特に会話もなく、壁に背を預け互いに密着するように座っていた。
「お待たせ。準備できたぜ」
「準備できたってさ。ほら、立てるか?」
マリサは無言で頷き、彼女に支えられながら立ち上がった。
「会話がこっちまで聞こえてきたよ。どうやら空き巣に入られたみたいだな?」
「私の部屋が可愛く見えるくらいに悲惨な光景だったな。それよりマリサの具合はどうだ?」
彼女は自分の力で辛うじて立ってはいるものの、目を閉じたままぐったりとしてて息も荒く、傍から見ても辛そうだ。
「あまり芳しくないな。さっきよりも体温が下がってるし、早く寝かせた方が良いだろう」
「そうか……。なら私も肩を貸すよ。マリサ、もう少しで休めるぞ」
「うぅ……」
唸り声を上げるマリサの肩に手を回すと、妹紅の話通り彼女の身体はかなり冷たくなっていた。
(これは相当重症だな……待てよ? もしかして――いや、ないか)
先程マリサが訴えた症状と併せて、魔法使いにとって天敵とも言えるあの病気が一瞬頭をよぎったが、私がこうして動けていることからすぐに否定した。
「んじゃ歩くぞ」
「あぁ」
私と妹紅でマリサを支えながら慎重に歩いていき、靴を脱がせてソファーに横たわらせたが、この温暖な部屋の中でも寒さに震えていた。
見かねた霊夢は、宇宙飛行機に送っていた毛布を
マリサは未だに息が荒く、辛そうな表情をしているものの、柔らかい座面に横になったことで多少は楽になったように思える。
「マリサ大丈夫かな……」
「こんなに急に具合が悪くなっちゃうなんて……、何が原因なのかしら」
「ここは地球じゃないからねぇ。ここでの食事が身体に合わなかったとか、はたまた未知のウイルスによる病気とか、候補はいくらでもあるよ」
「マリサはああは言ってたけどさ、これ以上症状が重くなる前に救急病院船を呼んでもらった方がいいんじゃないか?」
「そうだな……」
横たわるマリサを囲みながら話をしていると、別室へ行っていたアンナとフィーネがリビングに帰ってきた。
アンナは一度キョロキョロと部屋の中を見回した後、こちらに近づき申し訳なさそうに口を開く。
「すみません皆さん、あたしの代わりに部屋の片づけまでさせてしまって……」
「いいのよ気にしなくて。それよりも他の部屋はどうだったの?」
「それがですね……全部の部屋が荒らされてしまってて……」
「……それは災難だったわね」
「ううぅっ……」
アンナはすっかり落ち込んでしまっていて、先程までの快活さはすっかり影をひそめていた。
「ところでマリサさんのご容態は……?」
「好転するどころかどんどんと悪化しててな。今ちょうど救急病院船を呼ぼうか話し合っていた所なんだ」
「そこまで重症になってましたか……。分かりました。あたしが今から救急要請を送りますね……」
「アンナも辛い状況なのに悪いな」
「いえいえ……」
アンナは窓際の方に離れていった。
「なあ、この事件あんたはどう見立てているんだ?」
何かを考え込む様子のフィーネに妹紅が訊ねると、彼女はこのように答えた。
「……そうですね。まだ捜査中ですのではっきりとは言えないのですが、今回の件は単なる窃盗事件ではないかもしれません」
「どういうことだ?」
「荒らされた部屋を全て調べましたが、被疑者はアンナの金品に一切手を付けていませんでした。それどころか、彼女の宇宙ネットワークIDやマイワールドにもクラッキングの形跡が残っていたにも関わらず、それ以外のデータの改竄・利用・複製・ダウンロードされた痕跡が無かったのですよ」
「マイワールドってなんだ?」
「端的に言えば宇宙ネットワーク内に設けられたプライベートな空間です。仮想世界上の自宅……と言えば伝わるでしょうか」
「なるほど」
「現実と仮想世界、そのどちらにも金銭的な被害が無いんだね」
「それってつまり、犯人はアンナの自宅で何かを探していたのか?」
「今のところはその可能性が高いですね。あいにくまだ被疑者を特定できる手掛かりが見つかっていないので、物質なのかデータなのかさえまだ判明していませんが」
「犯人は余程アンナに執着した人物なのかしらね。あんたは心当たりはないの?」
「いえ……、今まで彼女からそんな話は一度も聞いた事無いですし、先程同じことを訊ねましたが、当の本人も全く身に覚えが無いと答えていました」
「確かに、彼女の人懐っこい性格なら他人の恨みを買うこともなさそうね」
「だとするとなんだろ?」
「アンナって一人暮らしなのか?」
「ええ、そう聞いてます」
「なら若い女性の家だし、ストーカーの可能性もあり得るな」
「ああいう手合いは話が通じないから厄介なのよねぇ」
「え、霊夢ってストーカーにあったことあるの?」
「私はないんだけど、恋愛絡みの仕事を何度か請け負った事があるのよ。けど男女間のトラブルの解消って妖怪退治よりも骨が折れるし、余程のことが無い限り引き受けないわ」
「あぁ……なんとなく想像がつくよ」
「あの~、お話し中すみませんが少しいいですか?」
おずおずとしながら会話に入ってきたアンナに、全員の注目が一斉に集まる。
「どうしたんだ?」
「実はさっきからどうやっても宇宙ネットワークに接続できなくなっていまして、救急病院船の要請が行えないんです。どうしたらいいんでしょう……」
「なんですって? そんなことがある筈が――」
フィーネはすぐにこめかみに手を当ててじっと虚空を見つめていたが、腕を降ろし「……確かに繋がりませんね」とため息を吐く。
「見て! この眼鏡も真っ暗になってるよ」
にとりが私達に見せびらかすように掲げた眼鏡のレンズに注目すると、ペンで黒く塗りつぶされたような状態になっていた。
「こういう事はよくあるのか?」
「太陽嵐等の自然現象で繋がりにくくなることはありますが、平常時に接続障害が起きることなど有り得ません」
「となると、一体何が原因なんでしょうか?」
その時、扉が乱暴に開く音と同時に幾人かの足音が部屋の中に響き。
「――全員動くな! 両手を挙げろ!!」
「なっ!?」
「キャアッ!」
リビングの入り口には、宇宙服みたいな白い頑強なスーツを着用した性別不明の7人――顔はヘルメットで隠れているが、彼らの体格や低い声からして恐らく全員男性だろう――が、黒く細長い形状の物体を両手で構えており、その先端は私達に向けられていた。
あれは銃……なのか? フィーネが持っていた銃よりもかなり大きく、ゴテゴテとした形をしているが……。
「くっ、先手を取られたわね」
「戦闘用パワードスーツに自動照準搭載レーザー銃で武装した集団……。どうやら素人ではなさそうですね」
右手に針を握り、投擲寸前の体勢で固まったまま悔し気に呟く霊夢、ホルスターに手を伸ばしかけた状態で静止するフィーネ、眠るマリサを除いて全く反応すらできなかった私とにとりとアンナ。
彼らのあまりにも無駄のない素早い動作に、私達は不意を突かれ、動けずにいたその時。
「このおっ!」
右拳に炎を纏った妹紅が果敢に飛び掛かっていったが、その攻撃が届く前に二人の男が素早く照準を彼女に合わせて引き金を引き、銃口から放出されたレーザー光線が妹紅の頭と左胸を貫いた。
「っ!」
「キャアアアァァァァァァ!!」
その瞬間、顔を歪めた妹紅の右拳から炎は消失し、勢いそのままに床に倒れ伏す。
「妹紅さん! しっかりしてください! 妹紅さん!!」
悲鳴を発したアンナがすぐさま倒れた妹紅に駆け寄り、彼女の身体を揺さぶりながら必死に呼びかけるものの返事はなく、頭と胸に血だまりが生まれていた。
「そん……な…………! うわあああああぁぁぁぁぁん!!」
「くっ、なんてことを……! 藤原さん……」
アンナは自身が血で汚れることも厭わず、妹紅の身体に縋りつきながら号泣しており、フィーネも悲痛な表情で唇を噛みしめている。
妹紅をこんなにあっさりと殺すなんて、敵はどうやら相当な手練れのようだ。
「ふん、馬鹿な女め。我々の警告を無視しなければもう少し長生きできたものを」
「――っ!!」
妹紅を撃ち殺した男の一人が嘲笑するように発したその言葉にアンナは立ち上がり、銃口が向けられているにも関わらず、拳を震わせ目に涙を溜めながら叫ぶ。
「よくも妹紅さんを! 貴方達は一体何者ですか!?」
銃口を向けている男が返した答えは、私を絶望のどん底に突き落とすような言葉だった。
「我々はリュンガルトだ!」