――西暦215X年10月1日午前8時36分――
――幻想郷、迷いの竹林――
人里から迷いの竹林へ移動した藤原妹紅と十六夜咲夜は、竹林の間を縫うように低空飛行しながら永遠亭に向かっていた。
「それにしても、あんたが怪我するなんて一体何があったんだい?」
「紅魔館の空にも突然大穴があいて、人里と同じ高い建物が降ってきたんですよ。それを受け止めようとしたらこの有様です」
紅美鈴は十六夜咲夜の肩の上で力なく笑っていた。
「それはご愁傷様。やれやれ、一体何が起きてるんだか」
「あれは時の流れから逸脱した存在。こんな芸当が可能な存在はタイムトラベラーの魔理沙だけよ」
「おいおい、憶測でものを語るなよ。彼女がこんな異変を起こす訳無いだろう」
「あら、随分と彼女の肩を持つのね?」
「実はな、私は今の歴史になる前の世界で魔理沙に会った記憶があるんだ」
「!」
藤原妹紅の告白に十六夜咲夜は目を見開いた。
「その時の彼女は未来の幻想郷を救う為に活動していてさ、一見すると冷静沈着に振舞っているように見えても、その瞳の奥には強い意志を感じられたんだ」
藤原妹紅の脳裏に浮かんでいたのは、改変前の歴史の西暦215X年9月19日での出来事だった。*1
「未来の幻想郷の経緯なら私も魔理沙から聞いているわ。目標としていた歴史に辿り着くまでの間、想像を絶する苦難を味わったみたいね」
「知っているのなら話は早い。幻想郷をこよなく愛する彼女が、幻想郷を危機に追いやるような真似をする訳が無いだろう?」
「私も魔理沙を信じたいけれど、魔理沙以外にこんな異変を起こせる犯人はいるのかしら?」
「そこまでは分からんが、時間に関する能力で絞り込むのなら輝夜も容疑者候補になるんじゃないか?」
「言われてみればそうね。……」
十六夜咲夜は難しい顔で黙り込んだ。
やがて迷いの竹林を抜けて永遠亭に到着した三人は、そこで起きていた事態に足を止める。
永遠亭上空には、協定世界時(UTC)紀元前38億9999万9999年8月19日・アプト星メイト通りに繋がるタイムホールが空き、その規模は永遠亭を覆い隠す程のものだった。
なまこ壁の内側の枯山水の庭には、超高層ビルの1階下半分が砂石に埋もれて傾いた状態で突き刺さり、大きな影を作っていた。
永遠亭の真上の空中には、蓬莱山輝夜の永遠の魔法によって、二棟の超高層ビルが積み木のように積み上げられた状態で固まっている。
これは超高層ビルの変化を拒絶することで、あらゆる物質・生命の破壊と死の概念を暫定的に取り払い、中に取り残された可能性がある人々の生命を守る為の措置だった。
永遠亭の軒下には、神妙な顔でタイムホールを見上げる蓬莱山輝夜。屋根の上にはタイムホールに狙いを定めて和弓を引き絞る八意永琳。
矢尻には手の平サイズの月製自律思考型探査機が括りつけられている。彼女達は右耳にマイク付きイヤホンを装着しており、八意永琳の懐の中と蓬莱山輝夜の手元にあるタブレット端末に繋がっていた。
十六夜咲夜達は八意永琳の獲物を狙う目付きに圧され、黙って推移を見守る。やがて彼女は静かに息を吐きながら矢を放ち、それを確認した蓬莱山輝夜は手元に視線を落とす。
放たれた矢は空気を切り裂きながら高速で飛翔し、超高層ビルの壁面を並行に走り抜けながらタイムホールの中に消えていく。
「……!」
「永琳さん、弓お上手ですねえ」
「彼女は何を撃ったんだ?」
遠巻きにして眺めていた十六夜咲夜達が八意永琳の弓術に見入っている一方で、蓬莱山輝夜はため息を吐いた。
「実験は失敗ね……」
その理由は一つ、矢尻から送られてきた映像が時の回廊に入った瞬間に途絶えて、真っ暗な画面になってしまったからだ。
「う~ん」
タイムホールを仰ぎ見ながら次の一手を考えていたその時、彼女と八意永琳の右耳に一報が入る。
八意永琳は和弓を背負ってタブレット端末を懐から取り出し、蓬莱山輝夜は再び手元に視線を落とす。画面には薄暗い一室の中に立つ鈴仙・優曇華院・イナバが映っていた。
『師匠、輝夜様』
彼女は右手にルナティックガン、左手に救急箱、額に暗視スコープ、紫髪に隠れた左の人間耳にハンズフリーマイクを装備している。八意永琳の命令を受けて、午前8時25分に永遠亭の枯山水の庭に落ちた超高層ビルの内部調査を実施していた。
『1階から71階まで全てのフロアを隈なく捜索しましたが、生存者及び死傷者は0人。それどころか中身が空っぽでした』
『どういうことかしら?』
蓬莱山輝夜の問いかけに、鈴仙・優曇華院・イナバは周囲に映像を切り替えながら話していく。
『このようにどのフロアも全く同じ構造で、建物を支える柱と特殊合成樹脂で造られた窓しかありませんでした。恐らくオフィスビルかと存じますが、中に居た人や物はどこに消えてしまったのでしょうか』
『まあ、まるで神隠しにあったみたいね』
不思議に思う蓬莱山輝夜に対し、素早く状況を分析した八意永琳は口を開く。
『……なるほどね。ご苦労様ウドンゲ。調査はもういいわ』
『よろしいのですか?』
『恐らく向こう側の人間達はこの時間軸に飛ばされる前に全員避難したのでしょう。だからリソースを割く必要はないわ。それよりも患者さんが来たみたいだから、私の手伝いをしてちょうだい』
『かしこまりました! すぐに戻ります!』
『永琳、他の超高層ビルに調査に出かけたイナバ達には私から伝えておくわね』
『お手を煩わせて申し訳ありません』
『このくらいいいわよ』
通信が終わり、八意永琳はタブレット端末とイヤホンマイクを懐にしまった後、超高層ビルから飛んできた鈴仙・優曇華院・イナバと合流。正門をくぐって敷地内に入ってきた十六夜咲夜の前に降り立つ。
案内役の藤原妹紅は、少し前に「咲夜、私は戻るよ。悪いけど帰りは鈴仙ちゃんにでも送ってもらってくれ。美鈴もお大事にな」と述べて、手を振り返しながら踵を返して人里に駆け戻っていた。
「貴女達は紅魔館の……」
「ゴタゴタしていてごめんなさいね。今日はどうしたの?」
「美鈴が自力で動けない程の大怪我を負っちゃってね。診てもらえないかしら?」
「もちろんよ。それじゃ彼女を預かるわね」
そう言いながら十六夜咲夜の背後に回り込む八意永琳に。
「師匠、私がやります!」
「貴女は大至急、手の空いてる兎と一緒に担架と固定器具を持ってきてちょうだい」
「かしこまりました!」
鈴仙・優曇華院・イナバが永遠亭に向かって駆けていくのと並行して、八意永琳は紅美鈴を十六夜咲夜から受け取り、その場に仰向けに寝かせた。
「今ウドンゲが担架を用意しているわ。その間に経緯を聞かせてもらえるかしら?」
紅美鈴は午前8時25分頃の紅魔館での行動を一言で伝える。
「まあ、貴女達の所も同じ事が起きていたのね。紅さん、貴女の身体を確認させてもらうわ」
「構いませんよ」
八意永琳は手早く胸元のボタンを外してスカートを捲りあげ、紅美鈴のチャイナドレスをはだけさせると、彼女の筋肉質な肢体を隅々までじっくりと観察していく。
彼女の体幹と四肢には、内出血、
「痛みはどう?」
「大きな建物を投げ返した時は体中がかなり痛かったんですけど、紅魔館を発った頃くらいから何も痛みを感じなくなったんですよ」
その言葉に八意永琳は眉をひそめる。
「呼吸はスムーズにできてる? 息苦しさはない?」
「はい」
更に彼女は紅美鈴の身体に手を伸ばす。
「今貴女の腕、お腹、お尻、太ももの順に触っているけど、身体の感覚はある?」
「全く無いですね。それに力を込めても身体が全く言う事を聞いてくれません」
「ふむふむ。全身の閉鎖骨折と、脊髄の第4~第8頸椎完全損傷による四肢の完全麻痺といったところかしらね。瀕死の重傷なのに呼吸機能障害が発生していないのは不幸中の幸いだわ」
簡単な診断を下した八意永琳は、はだけたチャイナドレスを元に戻す。
「はははっ、名誉の負傷ってところですかね」
「美鈴……」
悲痛な面持ちを浮かべている十六夜咲夜。
「師匠~! 持ってきましたよ!」
その声と共に、鈴仙・優曇華院・イナバと二人の女妖怪兎が担架と固定器具を抱えて八意永琳の元に走り、紅美鈴の隣に担架を置く。そして女妖怪兎達が彼女を二人掛かりで担架に乗せると、手慣れた動きでしっかりと固定し、担架を持ち上げた。
「紅さん。これから全身のQCT検査*2で骨折箇所の特定、神経・筋肉の損傷場所と程度を詳しく調べるわ。処置はその後に行います」
「あの……治りますよね?」
不安な顔で訊ねる紅美鈴に、八意永琳は「もちろんよ。貴女は妖怪ですし、壊れた頸椎を再建して骨折が治ればすぐに健康体に戻るわ」と断言。
更に鈴仙・優曇華院・イナバも「師匠の医術は世界――いや、宇宙一ですよ!」と自信満々に太鼓判を押した。*3
「良かった……。よろしくお願いします」
「それでは行きましょうか。ウドンゲ、貴女は先に行ってQCT検査の準備をしてちょうだい」
「はい!」
鈴仙・優曇華院・イナバは駆け足で永遠亭の中に入り、十六夜咲夜達も後からついていく。
「おかえりなさい」
永遠亭の玄関には、迎えに出て来た蓬莱山輝夜の姿があり、八意永琳は頭を下げる。
「姫様、先程はご協力ありがとうございました」
「そんなにかしこまらなくていいのに、永琳ったら固いんだから」にこやかに話していた蓬莱山輝夜は、八意永琳の後ろにいた二人に気づく。
「……あら、十六夜さんに貴女は確か紅魔館の門番さんよね? その怪我はどうしたの?」
「ここの庭と同じ建物を受け止めようとしたらこの有様でして、情けない話ですが咲夜さんに運んでもらったんです」
「まあ! 大丈夫なの?」
「アハハ、大丈夫と言いたい所ですが、首から下の感覚が無いのであまり大丈夫じゃないかもしれないです」
「姫様。これから彼女の検査をする予定なので失礼しますね。後のことはお願いします」
「任せてちょうだい。永琳の方こそ頑張ってね」
八意永琳は担架を担ぐ二人の妖怪兎達を伴って屋敷の奥へと向かい、十六夜咲夜も軽く会釈をして後に続こうとしたその時、蓬莱山輝夜が声を掛ける。
「待って十六夜さん。少し私とお話できないかしら?」
「え?」
十六夜咲夜は困惑しながら紅美鈴を見つめる。
「咲夜さん。私は一人でも大丈夫ですから、彼女と話してください。察するに、単なる世間話ではなさそうですよ?」
「彼女の事は私が責任を持って治療するから安心しなさい」
「美鈴が構わないのなら良いけど……」
十六夜咲夜は、紅美鈴を八意永琳に任せて蓬莱山輝夜の元に残ることにした。
「八意永琳様! 診察室の片づけが終わりました!」
「ご苦労様」
廊下の奥から駆け寄ってきた別の女妖怪兎の報告を聞く八意永琳。
「何かあったんですか?」
「庭に超高層ビルが落ちた衝撃で薬品棚が倒れちゃってね。その中に劇薬も含まれていたから、片づけをお願いしていたのよ」
「それはまた大変でしたねぇ」
そんな会話をしながら、八意永琳達は玄関から遠ざかって行った。
「それで、私に何の用かしら?」
十六夜咲夜が改まって訊ねると、蓬莱山輝夜はひたむきな眼差しで口を開く。
「単刀直入に言わせてもらうと、今起きている異変の調査に貴女の力を借りたいのよ」
「……」
「幻想郷各地の空に開いた異次元への扉――八雲紫は時間の境界と命名してるみたいだけど――貴女も見たでしょう? 私の見立てでは、無秩序な時の奔流の先は月と同水準の文明がある星に繋がっていると思うのだけれど、そこから先が分からないのよね。探査機も壊れちゃったみたいだし」
蓬莱山輝夜は暗転したタブレット端末の画面を見せる。
先程八意永琳が放った矢に映像を送る機械が付いていたのだろうと推測した十六夜咲夜は、更に理由を訊ねる。
「どうして私なの?」
「貴女と私は似た能力を持っているわ。きっと貴女にしか見えない景色がある筈。私達が組めば、異変解決のとっかかりが見えてくると思うの」
「この異変は貴女の仕業ではないの?」
「私の能力は永遠と
「……なるほどね。私も協力するわ」
紅魔館に残っているスカーレット姉妹の事が気がかりではあったが、彼女達にはパチュリー・ノーレッジがついている。
それにレミリア・スカーレットならば、十六夜咲夜に異変の調査を命じただろう。
蓬莱山輝夜の提案を断る理由は無かった。
「ありがとう。ふふ、一回霊夢やマリサみたいに異変を解決する側に回ってみたかったのよねぇ」
蓬莱山輝夜は無邪気に微笑んでいた。
「調査の方法や手順についてちゃんと考えているの? まさか得体の知れない異次元への扉に飛び込むつもり?」
「それも面白そうだけどあくまで最終手段ね。まずは現地調査よ。少し前に来た八雲の家の猫ちゃんの話なんだけど、魔法の森上空が一番規模が大きいみたいなの」
「ここに来る途中に通ったけど、確かにあの場所は桁違いの大きさだったわね。それに博麗の巫女と八雲紫もいたわ」
「あら、それなら調査しない手は無いわね」
話が纏まり、蓬莱山輝夜と十六夜咲夜は外に出る。
そして少し歩いた所でくるりと振り返った蓬莱山輝夜は、右手を伸ばし、永遠亭の建物部分に永遠の能力を掛けた。
「何をしたの?」
「153年前の永夜異変の時と同じ術を掛けたわ。見てなさい」
輝夜が永遠亭の真上を指差すと、タイムホールから超高層ビルが99%出現し、今にも落下しそうな状態だった。
間もなく時空の相転移現象が完了し、現在時空に転移した超高層ビルが落下。加速しながら永遠亭の屋根に直撃する。
砲撃のような衝突音が辺りに轟くが、永遠亭はびくともせず、屋根の上に直立している超高層ビルに大きな亀裂が入っていた。
「へぇ、不思議なものね」
「理解してもらえたかしら。では行きましょうか」
そうして二人は、魔法の森に向かって飛んでいった。
年表
同日午前8時36分⇒永遠亭に怪我した美鈴を送り届けた咲夜は、輝夜と協力して異変の解決をすることを決めて、魔法の森上空へと向かっていった。