第24話 西暦215X年の博麗神社
――西暦215X年9月18日――
「今日は何処へ行こうかな~」
翌日、秋風が吹き始め秋を感じ始めた晴天の日、私は幻想郷の空をあてどもなく飛び回っていた。
二日連続で紅魔館へと向かうのは少しつまらないし、タイムジャンプを完成させるまで碌に出掛けることもなかった。もうやるべき事はやり尽くした感があるので、こうしてブラブラするのも良いだろう。
「♪~♪~」
鼻歌を口ずさみながら飛んでいたその時、すぐ前を猛スピードで何かが横切って行き、突風に見舞われたので急停止する。
「ん?」
何事かと思いその場に静止して見れば、先程横切った〝何か″は再び折り返して止まり、その姿を現した。
「あやややや! 誰かと思えば魔理沙さんではないですか! 貴女は亡くなった筈ではなかったのですか!? しかもそんな10代の頃の肉体に若返っちゃって、一体どんなトリックを使ったんですか!?」
(げげっ)
矢継ぎ早に質問をしながら、デジタルカメラで遠慮なくフラッシュを焚く文に、私は面倒くさい奴に見つかったなと心の中でため息を吐いた。
「……お前には関係ないだろう。あっち行ってくれ。私は忙しいんだ」
前の時間軸の時でも亡くなった親父との喧嘩の場面を見られ、それを面白おかしく記事にされた事もあり、あまり関わりたくない気分だ。
「あやや、冷たいですねぇ。ですが、こんな面白そうなネタを見つけたんですから離れませんよー! さあさあ、答えてください!」
手帳を取り出し、メモを取る姿勢を見せながらグイグイと迫って来る文に、私は「秘密なものは秘密だ。教えることは出来ないぜ」と短く答えるまでに留める。
文に私が事情を話せば、まず間違いなくそれをネタに面白おかしく記事を書き上げるだろう。
前の時間軸でパチュリーが話していたように、時間移動能力を持つことを多くの人妖に知られるのはあまり好ましくない。
記事にしないという条件ならば教えても構わないのだが、コイツが新聞のネタにしないという保証もない。結局の所、私は彼女のことが信頼出来ないのだ。
「ふふ、そうですか。ですが幻想郷最速の名を誇るこの私から逃げられるとお思いですか? 魔理沙さんが首を振るまで私は諦めませんよー!」
不敵な笑みを浮かべる文。
確かに彼女は物凄く速い。
鴉天狗という種族的に移動速度が速いのはもちろんの事、文は【風を操る程度の能力】を持っているので、自分だけ常に追い風にして飛び続けるなんて芸当もできるのだ。
私がかつて人間だった頃、文に何度か速度勝負を仕掛けたことがあったが、てんで歯が立たなかった。だけど今は、あの時とは違って幾らでもやりようがある。
「残念だが文。お前は私には付いてこれないだろうさ。じゃあな!」
そう言って全速力で発進すると、直後「ほう、言ってくれますねぇ。いいでしょう、その喧嘩乗りました!」と文も追いかけて来た。
魔力をフルに使い、足から飛行機のジェットエンジンの要領で放出する事で、圧倒的なスピード、時速に換算すると100㎞以上の速度を出したのだが、文はそれをいともたやすく上回り、私のすぐ隣に並行飛行した。
「あれあれ? まさかこの程度ですかぁ? 私はまだまだ全然余裕ですよぉ?」
嘲笑うようにニヤニヤしている文だったが、私にとってはこれは想定内。むしろここからが本番だ。
「いつまでそんな余裕を保てるかな?」
私は格好つけるように指をパチンと弾く。
すると隣同士並び合うように飛んでいた文が、徐々に徐々に後退していき、私との距離が離れていく。
「え、何がどうなって。体が重い……!」
さっきまで余裕綽綽だった文は急に焦り始め、翼をふんだんに動かしていたが、それでもじわりじわりと離されていく。
私はそれに優越感を感じつつ種明かしをすることにした。
「答えは簡単、文の周りだけ時間の進む速度を遅くした。幾らお前が風より疾く飛ぼうが、時間の流れには逆らえないだろう?」
「ええっ、それって100年以上昔に亡くなった紅魔館のメイド長の能力じゃないですか! 何故魔理沙さんがそんな力を?」
「それは秘密だ。それじゃあな文!」
「あ、ちょっと!」
「心配しなくてもその術はいずれ解けるから大丈夫だぜ!」
「そうじゃなくてですね――!」
何かを呼びかけている文を後目に、私はそのまま彼方へと飛んで行った。
やがて文の姿が完全に見えなくなる所まで飛んだ頃、私は一息ついた。
「ふう、逃げ切ったか」
今はこうして逃げることが出来たが、文は割と執念深いのでいずれまた追いかけてくるだろう。
というよりか、この時間の〝霧雨魔理沙″が当の昔に死んでいる為に、私がこれから幻想郷の住人として生きていくためにも、私を知る妖怪達にはいずれ自らの事情を打ち明かさないとならないだろう。
(色々と先が思いやられるな)
そうしてふと下を見ると博麗神社があるのに気づく。
(いつの間にこんな場所まで……。まあでもせっかく来たんだし、今代の巫女でも見ていくか)
霊夢が死んだあの日から、私は博麗神社には全く寄らなくなり、博麗の巫女の情報も意図的に遮断してきた。
だけどそろそろ、ちゃんと前を向いて過去を割り切らないといけないのかもしれない。
(アリスは今代の巫女は危ないって言ってたけど、まあちょっと顔見るだけなら大丈夫だろ)
私はゆっくりと神社の敷地へと降りていく。ところが――。
「あ痛っ!」
降りていく最中、空中で透明な何かにぶつかってしまい、私は空に弾き飛ばされてしまった。
「ったくもう、一体なんだ?」
私はぶつかってしまったあたりを、目を凝らしてじっと注視する。すると、うっすらとした透明な壁が張られているのを発見した。
「これは……結界か?」
それから神社の上空をグルっと一周してみたが、結界は神社を囲むように隙間なく張り巡らされていて、侵入する余地がなさそう。
さらに言えば、この空はある程度の風が吹いているにも関わらず、神社の敷地内に生えている木々は揺れていなかった。
恐らく、この結界の外からは中が見えないような特殊な術式が埋め込まれているのだろう。
(うーん、どうしたもんかなぁ)
そんなことを考えていた時、目の前に二つのリボンが出現し、同時に空間の裂け目が生じてそこから割って現れるように八雲紫がお目見えした。
「うふふ、こんにちは魔理沙。博麗神社に何かご用?」
スキマの縁に肘を付き、上半身だけ体を出している彼女に、私は疑問をぶつける。
「なんで結界が張られているんだ?」
「今代の巫女は妖怪が大嫌いみたいでね、神社に妖怪が入ってこれないように結界を張り巡らしているのよ。職務熱心なのは良い事だけれど、私にとっては悲しいことだわ」
花柄の扇子で顔を覆い、よよよ、と大袈裟に哀しむ仕草を見せる八雲紫だったが、私は敢えてそれをスルーする。
「ふ~んそんなことになってたのか。博麗の巫女を一目見てみたかったが残念だな」
「あ、でもね。もし彼女に会いたいのなら鳥居を潜るように入れば大丈夫よ」
「そうなのか? サンキュー」
「今代の巫女に会うのなら注意することね。彼女は妖怪への憎しみが強いから、下手すると滅ぼされちゃうかもしれないわよ?」
「……物騒だな。せいぜい気を付けるよ」
八雲紫はそう言い残してスキマの中に消えていったところで、私はある点に気づく。
(……ん、待てよ?)
この時代で私と出会った知り合いの妖怪達は皆、私の姿を見て多かれ少なかれ驚いていたのだが、彼女だけは特段驚いた様子を見せず普通に応対していた。まるで最初から私を知っていたかのように。
自意識過剰と言ってしまえばそれまでだが、それでも何かが引っかかる。
「まあいいか。それじゃ行きますかね」
深く考えてもしょうがないと判断し、私は高度を下げて、そのまま神社の鳥居をくぐり抜けていった。
「ぐえっ」
鳥居を潜りぬけ中に入った途端、私の体は急激に重くなり、参道の石畳に墜落してしまう。
「いててて、なんだ?」
重い体を起こして周囲を見渡しても特に怪しいものは見当たらず、私は自分の体に注意を向けてみる。
すると、その原因がすぐに判明した。
(魔力がないじゃん!)
私が保有していた魔力が全て霧散してしまっており、墜落した原因も魔力が消失したことで、体を支えられなくなったことだと気づく。
この不可解な現象に私はすぐに当たりを付けた。
(なるほど、この結界の中は妖怪の力を無力化するのか。……まあ、分かっていた事とはいえ自分が妖怪化したのは事実なんだな)
今更ながらこんな形で自分の現実を突きつけられたが、自分の選択したことなので微塵も後悔はない。
私は洋服の土埃を軽くはたいた後、境内の奥へ歩いていく。
博麗神社は150年経っても閑古鳥が鳴いているらしく、参拝客の姿は見えなかったが、境内はきちんと綺麗に清掃されており、霊夢と違ってその辺をさぼるような巫女ではないようだ。
そして神社の裏手にある縁側に、霊夢が着ていた脇をざっくりと開けた独特な巫女服を着た1人の少女が、座布団の上で正座をしているのを見つけ、私は彼女に近づいていく。
年は10代後半くらいで黒髪黒目のショートヘア、目つきが鋭くクールな印象を受ける容姿だ。
「よう」
私は友達に接する時のような感じで声を掛けたが、彼女は鋭い目つきで睨みつける。
「あんた誰?」
その声には警戒心がこもっており、明らかに私は歓迎されていない様子だったが、構わず会話を続けていく。
「私は霧雨魔理沙。魔法使いだ。お前は?」
「博麗杏子よ。どうやってここに入ったの?」
「さっきスキマ妖怪に会ってな。アイツにこの神社の入り口を教えてもらったんだ」
「……ちっ、あの
(スキマ妖怪で通じるのか……)
彼女は敢えて聞こえるように舌打ちをした後、さらにこんなことを言いだした。
「なら私が妖怪嫌いだっていうのも知ってるよな? 今すぐ私の前から消え失せてくれ」
「……なんでそんな妖怪嫌いなんだ?」
ここまで妖怪に
「会ったばかりの奴に話す義理などない。今すぐ帰らないのであれば、ここでお前を滅してもいいんだぞ?」
彼女は懐から博麗と書かれたお札と、赤白模様の陰陽玉を取り出し、臨戦態勢に入った所で、私は慌てて手を振りながら答える。
「おいおい待てよ。幻想郷には弾幕ごっこというゲームがあるだろうが。そんなガチで向かってくるなよ」
妖怪と人間、捕食し捕食される関係でしかなかった世界において、人間でも強大な力を持つ妖怪と対等に渡り合えるように、と八雲紫発案の元、霊夢によって制定された弾幕ごっこ。
以後妖怪が人間を食べることはほぼなくなり、殺伐としていた幻想郷は一定の平和が保たれるようになったと、昔紫から聞いたことがあった。
「フン、お前知らないのか? この結界の中に入ってきた妖怪はな、問答無用で滅してもいいというルールがあるのを」
「何!? そうなのか?」
(あのスキマ妖怪そんなこと一言も言ってなかったぞ!)
「……その様子だと本当に知らなかったようだな。そのまま返してやろうと思ったが気が変わった。お前はここで滅ぼしてやるよ。ああ安心しな、苦しまずに逝かしてやるから」
目を丸くして驚いた私を彼女は鼻で笑った後、啖呵を切って私に襲い掛かってきた。
「冗談じゃない! 私は帰らせてもらうぜ!」
私は急いで鳥居へダッシュし、そこから外へ出ようとした。
だが――
「無駄だ」
「なっ!」
鳥居にはいつの間にか結界が張られており、それにぶつかった私は地面に叩きつけられてしまう。
「お前はこの結界の中に入ったが最後、もはや出ることも敵わないのだ。さあ、観念しろ!」
彼女は死刑を執行する刑務官のように、ゆっくりと此方へ歩いてきた。
「ま、待て! 落ち着いて話し合おうぜ! な?」
必死に彼女を宥めようとしたが、まるで聞く耳を持っておらずその歩みが止まる気配もない
(まずいまずいまずい! これはどうしよう――!? ――――っておぉ?)
この状況を打開する解決策を必死に考えていたその時、ある事に気付く。
(タイムジャンプ魔法が使えるじゃないか! よし、これでとりあえず逃げよう!)
そうと決めた私は頭の中で魔法式を急いで練り、宣言する。
「と、跳べ!」
宣言したと同時に、私のいる座標に魔法陣が出現し、体中が眩い光に包まれていく。
「!」
私の異変に気付いた彼女がお札を投げてきたが、それが届く前に魔法の発動を終えていた為周囲が歪み始め、この時間から消えつつあった。
(ふう、間に合ったか……って、ああっ!)
そう安堵したのも束の間、私は致命的なミスを犯した事に気づいた。
(し、しまったぁぁぁ! 時間指定を忘れたぁぁぁぁ!)
巫女に焦って跳躍先の時刻を決めずにタイムジャンプを発動してしまった為、どの時間に跳ぶのか分からない。
恐竜が闊歩する時代に行ってしまうかもしれないし、地球が太陽に呑みこまれる瞬間に行ってしまうかもしれない、最悪、時間の狭間に閉じ込められ永遠に彷徨ってしまうケースも考えられる。
今更その時間を指定しようにも、魔法は完全に動き始めてしまっているために、時すでに遅し。この時間から薄らと消えゆく私の中で恐怖心が芽生えていた。
(あぁ私はどの時間に跳んでしまうんだろうか? 頼むから安全な時間に跳んでくれよ……!)
私は目を閉じ、心の中で祈りながら時間移動が終わるのを待ちつづけた。