「い、今、霊夢さんとマリサさんがいらっしゃいましたよね!?」
「霊夢って、まさか136年前に行方不明になった博麗の巫女か?」
「間違いありませんよ! しかし変ですね? 私が見た時とはかなり状況が変化しているような?」
「なあ紫、ひょっとして今のが“改変前の歴史”の霊夢とマリサなのか?」
「いいえ、あれは2021年2月21日に時間の境界の調査に向かった改変後の歴史の霊夢とマリサよ。時間の境界に映っていた霊夢と魔理沙とは一致しないわ」
「……ふむ、興味深いな」
「あの、お二方は一体何の話を――うっ!」
文が真意を訊ねかけたその時だった。
「くっ、うううっ」
「ああああぁぁぁぁ!」
文と杏子が突然唸り声を上げ、顔を歪める。
「ど、どうしたの!?」
「急に頭痛が……! あ、あぁっ、頭に何かが流れ込んできて……。割れて、しまいそうです……!」
「えぇ!?」
「これは……。私と……霊夢様……? 私は、私は……? うう、痛いよぉ……」
もだえ苦しむ二人に追い打ちをかけるかのように、外見にも変化が起きる。
文の身体は徐々に縮み始め、端麗な顔は幼顔になり、しなやかな手足は更に細く短く、背中から生えた立派な黒翼は雛鳥のように小さくなる。頭襟の紐は緩み、白い半袖シャツと黒のミニスカートに手足と胴体が隠れ、年端もいかない子供になっていた。
対照的に杏子は背丈や髪が紫並に伸びて立派な女性に変貌しており、窮屈になった巫女服は彼女のボディーラインを強調していた。
「この姿……、私が鴉天狗になったばかりの頃ですね」
「な、なに、これ……!? 巫女服が、きついわ」
――変身や幻覚の類ではないわね。これはそう、まるで身体の境界が操作されたかのような……。
身体の変調を察して困惑する文と杏子に、紫は「他に異常はない?」と訊ねる。
「ええと、原因不明の頭痛は収まったのですが、まだちょっと混乱しています。紫さんは何ともないんですか?」
「今のところはね。ねえ隠岐奈、貴女はどう?」
紫は声を掛けたが、彼女から返事が戻ってくることはなかった。
「隠岐奈?」
再度問いかけた時、霊夢達の会話が耳に届く。
『お、おい。文が小さくなっちまったぜ!?』
『ねえ咲夜。あの二人に何が起きているの?』
紫は咄嗟に辺りを見渡したが、彼女達の姿は何処にもない。
『結論から答えると、彼女達は肉体の時間がずれてしまっているのよ』
『肉体の時間?』
『貴女達の世界では時間は常に未来方向に進んでいるけれど、ここは非常に不確かで曖昧なの。時の流れが固定された世界に存在する生命や物質は、この世界の時間の影響を顕著に受けるわ』
『それってつまり、ここに留まると若返ったり成長したりするのか?』
『そんな認識で構わないわ』
『なるほど。ってことは今の文は子供になっているのか。クク、あのふてぶてしい文屋にもあんな時代があったんだな』
『もしカメラがあればからかうネタが出来たのに、残念だわ』
『はは、違いない』
『あっちの子は中々スタイルがいいわね。私も大人になったらあれくらい成長するかしら? ……って、なによその目は』
『何でもないぜ~♪』
姿は無くとも声は届き、しかも此方の状況を把握しているようだ。
――そういえば咲夜の傍に透過スクリーンがあったわね。あれで私達を見ているのかしら?
『ところで隠岐奈はさっきから全く動かないわね。瞬きすらしていないなんて』
『まさか時間が止まっているのか?』
『ええ、そうよ。そして時の浸食はまだ終わらないわ。見ていなさい』
咲夜の予告通り、彼女達の身に起こる異変は止まらない。
文の若返りは進行し、未熟な身体は更に縮んでいき、遂には人の形を保てなくなってしまった。
彼女が首から下げていたカメラやショルダーバッグの他、頭襟から赤下駄まで全ての衣類が脱げてしまい、白い半袖シャツの衿から一羽の鴉が顔を出していた。
「カァカァ、カーカーカカッカー! カーカーカカカーカーカーカー……。カーカーカー……」
彼女は涙目になりながら必死に鳴いており、紫は言語の境界を操り脳内で鳥の言葉を変換する。
――『あぁ、なんということでしょうか! とうとう妖怪になる前の姿になってしまいました……。私はどうなってしまうのでしょうか……』ね。
紫は続けて隣の杏子に目を向ける。
杏子は加齢が更に進行し、最盛期の若くて美しい肉体に陰りが見え始めた。
張りのある肌にしみや皺が目立つようになり、艶やかな黒髪は潤いと色素を失い、徐々に白髪が目立つように。端麗な顔には皺が刻まれ、豊満な胸も萎びていき、細身の身体はたるんでいく。
「こ、これは……! そんな……」
杏子は自らの身体の変化に涙を浮かべ、絶望に顔を歪ませており、紫は堪らず目を背ける。
β世界において紫と杏子は何かと対立することが多かったが、この時ばかりは彼女の心情が痛い程理解できるのだった。
『おいおい、とうとう文がカラスにまで戻っちまったぜ!?』
『それにあの子もお婆ちゃんに……なんてことなの……』
衝撃を受けた様子の霊夢とマリサに、咲夜は淡々と告げる。
『全ての生命と物質には始まりと終わりがあるわ。回春と老化の行きつく先は存在の消失よ』
『そんな……!』
『なんとかならないのかよ!?』
『残念ながら蓬莱人という例外を除いて、時間から逃れる術はないわ。貴女達も覚えておきなさい。あれが軽率な時間移動の代償よ』
『……随分と冷たいんだな。見損なったぜ咲夜』
『先程も話したけれど、全ての元凶は魔理沙なのよ? 私はあくまで観測者。責めるのはお門違いですわ』
『もしかして、私達もいずれ文やあの子みたいになってしまうのかしら?』
『ご明察。“私”の懐中時計が完全に壊れた時が貴女達の最期よ』
『……』
『悪い事は言わないわ。貴女達は元の時間に帰りなさい。時の理に至っていない人間は時に呑み込まれてしまうわよ』
『どうする霊夢?』
『私は――』
ここで霊夢の声が途切れ、それ以降彼女達の会話は全く聴こえなくなった。
――今の話は私達のことよね……?
原理や仕組みについて皆目見当がつかないが、時の回廊という特殊な場所なら、言葉が時空間を跳躍しても不思議ではないだろうと判断する。
――覚悟はしていたけれど、やはり時間移動は一筋縄ではいかないのね。咲夜の言う通り、軽率な行動だったかもしれないわ。
紫は再び前方に視線を送る。
先程までひっきりなしに鳴き続けていた文は、幼鳥を通り越して卵にまで時間が戻り沈黙している。そして杏子は枯れ木のように老いさらばえた姿になり、苦悩に満ちた表情で静かに目を閉じていた。
――でも今更後戻りはできないわ。さっきの話が真実なら……。
紫は左手に持つ懐中時計を強く握ると、錆び付いたネジのように硬くなった身体に力を込める。
――霊夢が、動けるのなら、私だって、動ける、筈、よ!
そんな思いが通じたのか、僅かに身体を動かせるようになり、じわじわと這うようにして前へ進んでいく。
やがて文と杏子に手が届く距離まで進んだ後、懐中時計を自らの首に掛け、二人に手を伸ばす。
左手は抱卵する母鳥のように文だった卵を優しく包み込み、右手は今にも命が消えてしまいそうな老体を労わるように腰に当てる。
――早く抜けてちょうだい……!
心から願いつつ終わりの見えない回廊を飛び続けていると、何かが割れる音が聞こえ、慌てて左手を開く。そこには傷一つない卵があり、小さく安堵の息を吐いた。
――良かったわ。なら今の音は何だったのかしら?
音の発生源を探して周囲を注意深く観察し、すぐに正体を突き止める。
首からぶら下がる咲夜の懐中時計に罅が入っており、長針と短針が文字盤から外れて下に転がり落ちていたのだ。
――そんな……!
それを認識した瞬間、紫の身体にも異変が起こる。
僅かながらも動かすことが出来た身体が徐々に固まっていき、研ぎ澄まされた思考は鈍っていく。紫は自身の心と身体の時間が停止に向かっている事を瞬時に理解した。
――私は魔理沙に会わないといけないのに! こんな、ところで……!
「紫ーー!」
薄れゆく意識の最中、誰かの呼ぶ声が聞こえた気がした。