咲夜が指を弾くと、私達は屋上の中心から端に瞬間移動していた。
雲一つない青空の下、遥か遠くには春夏秋冬の景色を貫くように一本道が伸びている。ここは時の回廊全体を一望できる絶景ポイントみたいだけど、東側一帯が真っ暗な壁みたいなもので覆われているせいで、景観が台無し。
「まず前提として、時の回廊は貴女達の住む世界とは切り離された高次元世界。時の流れは異なるし、ここで観測した事象は“結果”であることを念頭に置いてね」
「? ああ、分かったぜ」
(……なんだか嫌な予感がするわね)
「私達が今立っている時計塔は、始まりの時計塔と言って、時の回廊の観測点なの。貴女達の主観時間を基準に、ここから見て西は過去、東は未来に繋がっているわ」
「あの道路が時間軸を表しているのよね?」
「そうよ。本来なら、時間軸は宇宙の始まりから終わりまで繋がっていなければならないの。だけど現在の時間軸には異常が起きてしまっているわ」
「もしかしてあの真っ暗な壁のこと?」
東を指さしながら訊ねると、咲夜は驚いた様子で「そういえば、貴女達の主観時間だと未来しか感知できないのね。これなら気付くかしら」と私達の肩に軽く触れ、今度は西側を指差す。
何があるのかなと思いながらそっちを見たら、途方もなく遠い場所に真っ黒な壁みたいなものが現れていて、四季の景色と道路を分断していた。
「おい、どうなってるんだよ?」
マリサは目を丸くしていて、かくいう私も言葉を失っていた。
時間軸という道路が二つの真っ暗な壁によって消えている。これが意味することはつまり。
「まさかとは思うけど、過去と未来が無くなっているの?」
「察しがいいわね。その通りよ」
咲夜は出来の良い生徒を褒めるように微笑み。
「今の宇宙は、西暦換算で、
「……ごめんなさい。もう1回言ってもらえるかしら?」
聞き返すと、私達の前にまた枠が透明なテレビが出現して、上側の吹き出しみたいな鍵括弧の中にさっきの台詞がずらっと表示される。未来はおよそ149年後で、過去は……何年前かしら。桁が多すぎて暗算は無理ね。
「紀元前38億……その時代って、幻想郷はおろか、地球にまだ生命が誕生していないじゃないか」
ちなみに、私とマリサの会話もテレビの吹き出しに文字として表示されている。どういう原理なのかしら。
「ねえ、協定世界時って何? 幻想郷の時間とは違うの?」
「協定世界時は外の世界が定めた“時間”の基準となる時刻でさ、幻想郷より9時間遅いんだぜ」
「へぇ~そうなのね」
ということは未来の場合だと、幻想郷時刻は西暦215X年10月1日午前9時になるのね。……あれ? この時刻って。
「ねえ、この未来の時間って、咲夜がタイムスリップしてきた時刻じゃない?」
「あっ、言われてみればそうだな!」
2021年2月21日の博麗神社で、咲夜は2008年4月10日に、215X年10月1日の午前9時からタイムスリップしてきた未来の咲夜と輝夜に会ったって話していた。
彼女はタイムトラベラーの魔理沙に会うために、時間を遡ってきたらしいけど……。
「咲夜の件について、時の回廊の異常と関係あるの?」
「……貴女達も知っての通り、時間は過去から未来の一方向にしか流れないわ。だけど今は時間の流れが異なるの」
咲夜が透明なテレビに優しく触れると、図解が表示される。
そこには時間軸と記された黒い一本線が引かれていて、両端には縦線が入り、左端には時刻A(UTC紀元前38億9999万9999年8月19日午前0時)、右端には時刻B(UTC西暦215X年10月1日午前0時)と記されている。
やがて左端から時間軸の線をなぞるように黄色い矢印が出てきて、右端に向かって一定の速度で動き続けていく。
「時刻Aから刻み続ける時は、時刻Bに向かって進んでいくわ」
黄色い矢印は線の半分を越えて、もうすぐ右端に辿り着こうとしている。
「だけど時刻Bに到達した瞬間、時刻Aに戻ってしまうのよ」
矢印は時間軸の線を外れ、時刻Bから時刻Aに向かって半楕円状に矢印が伸びていった。
時刻Aに戻った矢印は、何事も無かったかのように時間軸をなぞりながら右端に向かって進んでいって、また時刻Bに到着すると、先程と同じように時刻Aに戻る。なんだか、一定の時間内を何度も繰り返しているみたいね。
「これが【メビウスの輪】。無限に繰り返される閉ざされた時間の輪の中では、あらゆる可能性が消滅し、全ての事象が既定事項になるのよ」
「ここで言う“戻る”とは、何を指すんだ?」
「森羅万象全てよ。地球人類を例に挙げるなら時刻A時点の歴史、生命がまだ誕生していない状態に戻るの」
「……ふむ」
「原始生命が海で発生した後、進化の過程で陸に上がり、過酷な生存競争と進化の果てに高度な知能を得て食物連鎖の頂点に君臨し、試行錯誤を重ねながら高度な文明を築き上げた人類の歴史と叡智が全て無に帰すわ」
「……なんだか途方もない話だな」
「時刻Bになった時、人間や妖怪――いえ、世界中の命はどうなるの?」
「その瞬間に歴史と未来は断たれて、初めに戻るわ」
「初めに戻る?」
咲夜の言い方的に、亡くなる訳ではなさそうだけど……。
「身近な例を挙げましょう。マリサ、貴女の主観時間では今年で15歳になるのよね?」
「そうだけど。急になんだ?」
「貴女はもう種族としての魔法使いになっているから、余程の事が無い限り西暦215X年10月1日まで生きるわ」
「計算すると164歳だな。もう一人の〝私”、アリス、そしてパチュリーよりも凄い魔法使いになれていればいいんだがな」
「だけど時刻Bになった瞬間に、貴女の主観は途切れるわ。それまで積み重ねてきた記憶・経験・歴史は全てリセットされて、貴女が誕生した日――西暦1993年〇月×日△時□分の霧雨家に戻ってしまうのよ」
「……その後はどうなるんだ?」
「貴女達の知る通りよ。時が経つにつれてすくすくと成長していった幼いマリサは、人里で幼い霊夢に出会うわ。やがて実家を飛び出して魔法の森に居を構え、魔法使いとしての道を歩み始めていくのよ」
「なるほどねぇ。初めに戻るとはよくいったものだわ」
「また霊夢と出会えるのは嬉しいけど、メビウスの輪がある限り永遠に同じ歴史が繰り返されるから、未来が無いのか」
深刻な表情で頷いたマリサが更に「まさかとは思うが、過去にループ前の私達がここに来て、今と同じやり取りをしていた――なんてことはないよな?」と訊ねた事で私もハッとする。
確かにその可能性は否定できないわね。咲夜の返答次第では、行動を変えなくちゃいけなくなっちゃうし。
恐る恐る彼女の顔を見つめると、微笑みを浮かべながらこう言った。
「安心なさい。貴女達は正真正銘〝一回目”の霧雨マリサと博麗霊夢よ」
「……その言い方はなんか嫌だぜ」
「ええ。こんな異変は一度で終わらせなきゃね」
平静を装ってはいるけれど、心の中ではお墨付きをもらった事にホッとしていた。まだまだ未来を変えるチャンスはありそうね。
「以上の説明を踏まえた上で、さっきの霊夢の質問について答えると、時刻Bの彼女は、メビウスの輪を逆に利用したのよ」
「どういうこと?」
「輝夜の協力のもとに、『永遠と須臾を操る程度の能力』で自身の肉体と精神の時間を永遠の存在にすることで、時間の逆行に伴う歴史の初期化に対抗したのよ。そうすることで、彼女達は時刻Bの状態を保ったまま宇宙の時間だけが遡り、西暦2008年4月10日午後3時24分の刹那にその時代の〝私”と邂逅したわ」
「おいおい、輝夜の能力ってそんな芸当も出来るのかよ」
「彼女達の話す時間はそう多くなかったけれど、未来の情報を断片的に残して再び時間を遡っていったわ」
「咲夜は200X年に現れた未来の魔理沙に会えたのかしら?」
咲夜を見ながらなんとなく呟くと、彼女は困ったように「……その“私”がどうなったかについて、今の私からは教えられませんよ」と答えていた。
次話のサブタイトルは「第248話 (2) タイムホールの影響⑫ side 霊夢 タイムホールの真実」です。