「魔理……沙……?」
縁側に座りながら急に立ち上がった霊夢を見上げるマリサと違い、目の前の魔理沙は金髪を後ろで束ねている。どこか懐かしく、他人のような気がしない不思議な感覚。間違いなく私達が捜していた魔理沙だわ!
「ふふ、まさか向こうから来るなんて。探す手間が省けて良かったわ。貴女が時間を止めたの?」
「正確には1秒を限りなく停止に近い状態まで引き伸ばしているんだぜ。私が解除しない限り、1秒後は永遠に来ないのさ」
なんだかとんでもない事をやってのけているけれど、今はそんなことよりも。
「聞いて魔理沙。私達は――」
話を切り出そうとした時、魔理沙は左手を振り「ああ、説明は要らないぜ。お前達の状況については全て把握している」と答えて私の右腕を放す。
――なるほど、タイムトラベラーはなんでもお見通しって訳ね。
「まずは今この世界に何が起きているかについて話す。長くなるが聞いてくれ」
そう前置きして語り出した内容は俄かには信じ難いものだった。
ざっくり言うと、現在の世界はメビウスの輪と呼ばれる時間のループが発生している状況で、時刻A*1から時刻B*2しか時間が存在しないのだという。
その原因となったのは、魔理沙が時空A*3で時間移動の力を欲するリュンガルトという勢力に狙われたこと。
窮地に立たされた魔理沙が力を暴走した事で、タイムホール――私達が時間の境界と呼んでいた現象――が時空A*4と時空B*5に開いた。最初は小さな規模だったけれど、この時間の魔理沙が対処に失敗した事でメビウスの輪が成立し、タイムホール発生前の歴史αから、メビウスの輪成立後の歴史βに改変されたとのこと。
勿論、魔理沙がその時空に行く事になった経緯も聞いたわ。非常に長くてややこしい話だったけれど、なんとか頭の中で整理する。
「理解したわ。そんな大事になってたのね」
「これらの事情を踏まえて、お前達に頼みがある。……結論から言おう。時の回廊を漂流する西暦200X年4月5日の霊夢とマリサ、西暦215X年10月1日の紫、隠岐奈、博麗杏子、文を救出し、彼女達と共に時空A*6の二分後に時間遡航して、メビウスの輪の解決に力を貸してほしい」
「詳細を聞かせて!」
長らく行方不明になっている霊夢とマリサの名前が上がった事に、自然と動悸が跳ね上がる。
「メビウスの輪は時間軸の硬直と歴史の固定化を招き、深刻なタイムパラドックスを起こしている。お前達が見てきた“在るべき時間に存在しない時間旅行者霧雨魔理沙”がその最たる例だ」
この在るべき時間とは、今日と明日の博麗神社、西暦200X年9月1日と2日の紅魔館の事を言っているのでしょう。
「私達の知らない時間で、貴女が何かしらの歴史改変を行ったから居なかったのではなくて?」
「厳密には違う。過去の霊夢と咲夜に会う日付と歴史改変に関しては、一切の変更は行っていない。お前達が“時間旅行者霧雨魔理沙”に会えなかったのは、“メビウスの輪成立後の【
「……?? だって、貴女は今ここにいるじゃない?」
私達の事情も理解していたし、時間移動への造詣の深さから考えても、彼女は時刻Aよりも更に未来の魔理沙の筈だけれど。
「今お前達の目の前にいる“私”と、“時刻Aの霧雨魔理沙”は切り離して考えてくれ。現在の歴史の観測者の主観が“時刻Aの霧雨魔理沙”にある事が、この問題を解決するカギになるんだ。私はその為に、この時刻と場所を選んでお前達に接触している」
「……もう少し分かるように説明してもらえないかしら」
「メビウスの輪のきっかけとなるタイムホールを開き、最終的に成立させたのは“時刻Aの霧雨魔理沙”だ。時刻Aの彼女が未来を知らないから、現在の歴史に彼女はいない。そして未来が分からないからこそ、新たな可能性が生まれる。簡単なことだろう?」
いえ、同意を求められてもさっぱり理解できないのだけれど。
「貴女の言い方だと、まるで魔理沙の主観がこの歴史を形作っているかのように聞こえるわね」
「輝夜の認識はあながち間違いじゃないぜ。メビウスの輪の創造者は“時刻Aの霧雨魔理沙”だからな。言い換えれば、閉鎖された時間を産み出した不完全な神だ」
「まあ! そうなの?」
「現在の歴史βは、歴史αをベースにして創られている。霊夢の自殺の改変、咲夜の吸血鬼化、お前達のような“時間旅行者霧雨魔理沙”が関与した人物の記憶保持……。“時間旅行者霧雨魔理沙”が存在しないにもかかわらず、彼女が歴史に介入した痕跡が残っている事こそが、“時刻Aの霧雨魔理沙”が未来を知らない証拠であり、固定化された歴史の不確定要素になり得るんだ」
「その理屈だと、時刻Aの魔理沙が未来を知った瞬間に彼女の歴史が確定して、不自然に空白となっていた時刻に魔理沙が出現するようになるのかしら?」
「そうだ」
「なるほどねぇ……。人間原理みたいなものかしら」
輝夜は納得した風に頷いているけれど、私にはまだ分からない点がある。
「時刻Aの魔理沙が未来を知ろうが知るまいが歴史は続いていくものですし、その延長線上に未来があるのではないの? それに固定化された歴史ってどういう意味よ?」
「このメビウスの輪の中では、時間の流れも、法則も異なる。例えるならパラパラ漫画みたいなものだ。本を捲っていけば動いているように見えるが、実体は1ページごとに動きがコマ分けされているだけ。それと同じようにこの世界に時間の流動性は無いんだ」
「……?」
「全宇宙の全ての“運動”が、予め定められた“結果”に沿うように固定化されていて、介入の余地がないんだ。一例を挙げるなら、お前達の時間遡航の結果だ」
「……貴女が来なかったら、私は時間遡航の果てに自ら命を絶っていたのよね?」
魔理沙は目を見開き「……やはり覚えているのか」
「ええ」
私は先程見た経験のない記憶を話す。輝夜は知らなかったようで、「そんな事があったのね……」と悲し気に呟いていた。
「それは“私”が介入する前の歴史の残滓だ。……嫌な思いさせて済まなかったな」
「構わないわ」
衝撃的だったのは事実だけれど、今の私はちゃんとここにいる。それでいいわ。
「ねえ、魔理沙。咲夜が亡くなった後の私はどうなったの? 私も死ねたの?」
何気なく訊ねた輝夜に、魔理沙は少し迷いを見せながらも口を開く。
「時刻Aに辿り着いたが、億単位の時間経過に精神が耐えきれずに、自我が崩壊したぜ」
(!)
「そう……。そうなるのね」
想像を絶する恐ろしい結末に私は寒気がしたけれど、輝夜は薄々予想できていたのか、あまり衝撃を受けていないみたいね。
「話を戻すぜ。現在の歴史において、お前達の目的は必ず失敗に終わる事が決まっていた。咲夜、お前はさっき私が手を取る前に紅魔館に帰ろうとしてたよな?」
「ええ。貴女が介入する前の歴史を垣間見たから、この時代の私に直接会って事情を伝えて、時間遡航の事実そのものをやり直そうと思ったのよ」
「だがそれは絶対に失敗に終わるんだ」
「……この時代の私が、私の言葉を信じないの?」
「そうじゃない。お前がこの時代の十六夜咲夜に会って事情を伝えても未来は変わらないんだ。何故なら次の日にはお前と会った記憶を失い、“お嬢様にお仕えしたとりとめのない一日だった”という記憶にすり替わって、周囲の人妖や環境も合わせて改変される。それが“西暦200X年7月20日の十六夜咲夜が取る行動”と予め定められているからだ」
「!?」
「もしかして、私が200X年9月2日に会った咲夜も、嘘を吐いていた訳では無かったの?」
「そうだ。彼女は現在の歴史では“時間旅行者霧雨魔理沙”に遭遇していないにも関わらず、“西暦200X年9月1日に、時間旅行者霧雨魔理沙からレミリア・スカーレットの手紙を受け取った”と認識していただけなんだ」
「魔理沙の言いたいことが分かって来たわ。なんとも末恐ろしい話ね……」
つまり魔理沙はこう言いたいのでしょう。メビウスの輪内の歴史は全て運命に支配されている――と。
「待って! 私は2008年4月12日に未来から来た“私”から話を聞いて、時間遡航を決心したわ。これは明確な歴史改変でしょ?」
「残念だが、“十六夜咲夜が未来の自分からメッセージを受け取る”出来事も含めて、この歴史では予め定められた決定事項なんだ」
「なんて、ことなの……」
「やはり因果の輪は閉じていたのね」
『現在の歴史がαに戻っていない以上、私達がこれから時間遡航しても、歴史改変は必ず失敗する運命にある事を過去が証明している』
輝夜の懸念が的中していた事に、私は眩暈がした。自分から考えて行動したつもりだったけれど、結局私達は、筋書きの上を歩いていただけだったのね……。
「先述した理由で現在の歴史に“時間旅行者霧雨魔理沙”が存在しないことに加え、時刻A以前に遡れない事から“そもそもメビウスの輪が発生しなかった”歴史への改変は非常に難しい。固定化された歴史の唯一の特異点となるのが、一番最初にタイムホールが発生した時刻Aだ。時刻Aから西暦時間で換算して30分以内にタイムホールを修復しなければ、メビウスの輪が完成する」
「30分……」
「しかもチャンスは1度だ。これまでのように試行錯誤を重ねながら最適解を探る事は許されない」
「何故なの?」
「女神咲夜が許さないからだ。メビウスの輪の成立は、時の秩序を破壊する重大な行為。本来なら有無を言わさず歴史から抹消される所なんだが、今回タイムホールを修正する機会を与えられたのも、彼女の慈悲によるものなんだ」
「歴史から抹消されるというのは、魔理沙が行った歴史改変も全て無かった事になるのかしら?」
「そうだ。霊夢は今晩夢を操る妖怪に殺されるし、霊夢が亡くなる事で、お前の人生観が変化するきっかけも消滅し、人間のまま201X年6月6日に亡くなるだろう」
「……随分と穏やかではないわね」
150年前と違って永遠にお嬢様に仕えると決意した今、死ぬ訳にはいかないわ。
「……ねえ、ずっと気になっていたのだけれど、貴女や霊夢の生死がかかっているのに、まるで他人事のように話すのね?」
「客観的に物事を話しているだけだ。“私”が動揺した所で事態は好転しないだろう?」
「ふうん?」
疑念の目を向ける輝夜に、魔理沙は淡々と答える。
「……話を続けるぞ? 私は“時刻Aの霧雨魔理沙”の失敗を鑑みて、異なるアプローチで問題の解決を試みる。時刻Aには存在し得ない十六夜咲夜と蓬莱山輝夜を送り込む事で、彼女の行動の選択肢を増やし、閉塞された未来を打破する可能性を与える」
私と輝夜の共通点は、時間に深く関わる能力を持っているところ。なるほどね。
「勿論お前達だけじゃない。時の回廊を漂流中の霊夢達も、きっと“時刻Aの霧雨魔理沙”の手助けになる筈だ」
「霊夢達に何があったの?」
「残念ながらお前が懐中時計に籠めた時間の力だけでは力不足でな、時間の浸食に耐えられないんだ。時間の浸食が進むとあらゆる生命と物質の時間は狂い、無に帰る。マリサが即興でタイムジャンプを真似て、時間の保護を試みているが、それも長くは持たない。奇跡的に時間の浸食を耐え切れたとしても、不完全なタイムジャンプでは時空Aに到着するのに西暦換算で約120年掛かる。人間の霊夢と杏子は耐え切れないだろう」
「そんな……!」
時の回廊ってそんなに恐ろしい所だったのね……。つくづく魔理沙のタイムジャンプ魔法は規格外だわ。
「だが私の力なら時の回廊を安全に移動できる。時の回廊を漂流する霊夢に触れば私の力の範囲内になるから、彼女達も時空A*8の二分後に連れて行って欲しい」
「どうして二分後なの?」
「時空Aピッタリに行くとリュンガルトの宇宙船団とかち合う事になる。タイムホールに対処するにも彼らが居なくなってからじゃないと無理だ」
「分かったわ」
「――私からの話は以上だ。率直に言って、今回の作戦は非常に分の悪い賭けだ。“時刻Aの霧雨魔理沙”が新たな可能性を掴み取れなければ、彼女のみならず、お前達が築き上げて来た歴史も無に帰すだろう。……お前達の答えを聞かせてくれ」
「勿論行くわ」
魔理沙の問いに私は即答する。元々異変を解決するつもりで時間遡航したのですし、霊夢達が窮地に陥っているのなら尚更よ。
「魔理沙。まだ重要な点を聞いていないわ」
「なんだ?」
「【メビウスの輪を解決する方法】と、【貴女の失敗の内容】よ。前者がまだ判明していないのは察するけれど、後者は貴女が体験したことなのだから話せるでしょう?」
輝夜の指摘に私もハッとする。確かに魔理沙は今回の事態について懇切丁寧に説明してきたけど、核心とも言える部分には言及していなかった。
「それは……だな」
ここで魔理沙が初めて言いよどみ、顔をこわばらせる。どうしたのかしら?
「悪いがどちらも話せない」
「理由を聞いてもいいかしら?」
「それも駄目だ」
「……“貴女”は過去の“霧雨魔理沙”を助ける為に私達に接触したのでしょう? それとも、この会話さえも“貴女”の手の平の内なのかしら?」
敢えて一部分を強調する話し方をする輝夜に、私は違和感を覚える。私は何かを見落としているの……?
「“私”から言えるのは、ここで全てを明かすことは“時刻Aの霧雨魔理沙”の不利益になるという事だけだ。互いの思惑は違えど、私達の目的は一致している筈だ。違うか?」
輝夜は黙り込み、深く考えている様子。何処か張り詰めた空気の中、輝夜は怪訝な顔で顔を上げた。
「……ねえ、霧雨魔理沙。これまでの“貴女”の言葉、全部信じてもいいのかしら?」
「時の女神十六夜咲夜の名に誓って、嘘は無いぜ」
輝夜は魔理沙を見定めるかのように真剣な眼差しを送り、彼女も視線を逸らさない。二人の間にしか伝わらないアイコンタクトを送り合った後、輝夜は微笑を浮かべる。
「いいわ。“貴女”を信じましょう。霊夢達や時刻Aの魔理沙には、“未来の魔理沙”から聞いた話を伝えるわ」
「頼んだぜ」
……察したわ。“彼女”がわざわざ魔理沙の姿を借りて出て来たとなると、恐らく本物の魔理沙は時刻Aの魔理沙を助けられる状況にないのね。そして“彼女”がこんな回りくどい方法を選んだことにも間違いなく意味がある。なら私も“彼女”の意図を汲み取るべきだわ。
目の前の“彼女”が空に向かって右腕を掲げて指を弾くと、タイムホールが開く。私達の足元には十層に折重なった歯車模様の魔法陣が展開され、重厚な時の力に押しつぶされそうな圧迫感を覚える。これが“彼女”の力の片鱗なのね。
「咲夜。一時的に時間移動の権限をお前に移す」
「私に?」
「霊夢達と相談する時間も必要だろ? お前の一存で時空Aの二分後に到着する移動時間を調整できるようになるぜ」
「移動時間と言われても、肝心の時間の基準が分からないとどうしようもないわ」
「現在は30分で到着する設定にしてある。時の回廊内の現在時間については、霊夢とマリサが基準を知っているから問題ないぜ」
「“貴女”はどうするの?」
「時の回廊から“時刻Aの霧雨魔理沙”の行動を観測させてもらうぜ。今回の異変は彼女が主体になる必要があるからな」
“彼女”は続けて、「あぁ、そうだ。「西暦2052年8月3日の京都から時の回廊に侵入した宇佐見蓮子、マエリベリー・ハーンは女神咲夜が保護したから心配するな」と紫に伝言を伝えてくれ」
「ええ、伝えておくわ」
「それじゃ、頼んだぜ!」
“彼女”の魔法陣に包まれながら、私達はタイムホールに飛び上がっていった。
◇ ◇ ◇
十六夜咲夜と蓬莱山輝夜がタイムホールをくぐった事を見届けた彼女は、ポツリと呟いた。
「上手くいったわね」
彼女が指を弾くと、パチュリー・ノーレッジが掛けた変身魔法が解けて、真の姿――女神咲夜が現れる。十六夜咲夜と蓬莱山輝夜には、本物では無い事に勘づかれていたが、それさえも女神咲夜の想定内だった。
「さあ、これでお膳立てが整ったわ。後は魔理沙――貴女だけよ」
女神咲夜は観測に戻るべく、時の回廊に帰っていき、タイムホールの閉鎖と同時に時の流れが元に戻る。それに伴い、静止状態だった博麗霊夢と霧雨マリサも動き出した。
「――夜!? あら?」
博麗霊夢は立ち上がって辺りを見渡したが、彼女の姿はどこにも無い。
「どうした霊夢?」
「今咲夜が目の前に居たような気がするのよ。おっかしいわねぇ……」
「ははっ、霊夢を驚かそうだなんて、アイツも結構お茶目なところがあるんだな」
「笑い事じゃないわよ、もう。今度咲夜に文句言ってやらなきゃ」
◇ ◇ ◇
ここまでお読みくださりありがとうございました。
今回の話で咲夜sideの話は以上となります。
次の話のタイトルは『第256話(2)タイムホールの影響⑭ 試練のタイムトラベル(後編)』で、
『第241話 (2) タイムホールの影響⑭ 試練のタイムトラベル(中編)』の続きとなります。