――西暦215X年10月4日午前6時――
修行1日目
現在時刻は朝日が地表を照らす午前6時。博麗神社では千絵、霊夢、杏子の修行が始まろうとしていた。
境内の中心には巫女姿の3人が輪を囲むように話し合っていて、私は縁側に座り、自分で淹れたお茶を飲みながら見守っている。姉さんはまだ自宅で熟睡しているので、私一人だけ先に来ている。
霊夢達の修行については、私も時々様子を見に来るつもりであり、彼女達には昨晩伝えておいた。結果が判明する時間――つまり1ヶ月後まで飛ばしても良かったのだが、連れて来た千絵にも失礼だし、10日にやってくるユリの事を考えると得策ではないと判断した。
「なあ霊夢、どんな修行をするつもりなんだー?」
少し声を張り上げて訊ねると、霊夢は私を見ながら答えた。
「今回は1ヶ月という時間制限がある以上、明確な目標を定めて効率的に能力を向上させる必要があるわ。だからまずは霊力の増強と基礎的な身体能力を向上させる方針ね」
「堅実だな」
霊夢の理論は魔法使いにも通じる。何の練習も無しにド派手な魔法をいきなり使おうとしても失敗に終わる。何事も基礎が大事なのだ。
「私としては山籠もりするつもりだったんだけど、霊夢に止められたのよね。悔しいけど彼女の方が実力は上みたいだし、彼女に監修してもらうことにしたわ」
「千絵様、一緒に頑張りましょうね!」
「さあ、お喋りはここまでよ。まずは千絵、あんたの霊力を測りたいから全力で霊力を出してみなさい」
「分かったわ」
千絵は一度深呼吸をしてから大きく息を吐くと、全身を包むように白く透明なオーラが湧きだす。恐らくこれが霊力なのだろう。私の見立てでは、現在の霊夢を100とするなら、彼女は60くらいか。
その辺の雑魚妖怪には負けないし、大妖怪相手にも充分に渡り合えるだろう。まだ14歳の少女である事を考えるとかなりの逸材だ。
同じことを杏子も考えたのか、感心したように拍手をしていた。
「おお~! 私よりも凄いですねぇ」
ちなみに杏子の霊力は霊夢と比較して大体30くらいだ。比較対象が悪いだけで、彼女も充分巫女としての実力は備えている。
「うん、大体分かったわ。これなら最初から応用編から行ってもよさそうね。じゃあまずは飛行術に挑戦しましょうか」
「どうして飛行術なのよ?」
霊力を消した千絵が不思議そうに訊ねた。
「空を飛ぶのはね、妖怪退治をする上でかなり大事よ? 強い妖怪は容易く空を飛びまわるし、弱い妖怪なら空から一方的に攻撃できるんだから」
「確かにそうね。でも難しそうだわ」
「大丈夫、あんたの霊力ならすぐに習得出来るわ。私に任せなさい」
「私も、先代も先々代の巫女様も、みんな霊夢様に飛行術を教わってきました。霊夢様のご指導は簡潔明快ですよ!」
難色を示す千絵に対し、霊夢は自信満々に答え、杏子はお墨付きを出していた。
霊夢は霊力を操作して空に浮かび上がる方法を口頭で指導しつつ実践してみせる。博麗神社の上空を鳥のように自由に飛び回り、千絵は霊夢をお手本にして挑戦を始めた。
その様子をぼんやりと眺めていると、魔法の森の方角から箒に乗った姉さんが飛んできた。私の隣に降りて来た姉さんは、「もう来てたのか。随分と早いじゃないか」と言いながら博麗神社に上がり込み、台所から勝手に湯呑を持ってきて私の隣に座り、お盆に置かれた急須を用いてお茶を淹れる。
「姉さんを起こそうかと思ったけど、気持ちよさそうに寝てたからな」
「なんだそうだったのか。てか、あいつら何やってんだ?」
お茶をすする姉さんの視線の先には、両手をバタバタと動かす千絵に霊夢が首を振りながら胸の辺りを指差しており、杏子が声援を送っている光景があった。
「千絵の飛行訓練だ。霊力を操作して飛べるようにするらしいぞ」
「ほう、霊夢は目の付け所がいいな。空を飛べるようになるだけで、ありとあらゆる事が便利になるからなあ」
「あぁ。幼い頃を思い出すよ」
生まれつき空を飛べる霊夢に追いつくために、必死になって魔法を学んで練習したなぁ。今となっては遠い過去の思い出だ。
「マリサさんもいらっしゃっていたんですね!」
姉さんに気付いた杏子が此方に近付いてきた。
「おう、勝手にお邪魔してるぜ。なあ、お前から見て千絵はどんな感じだ?」
「そうですねぇ。霊夢様の教えをぐんぐんと吸収していますし、きっと今日中に飛べるようになると思いますよ?」
杏子の予想通り、千絵は最初は霊力の放出に四苦八苦しているようだったが、やがてすぐにコツを掴んだようで、1時間もする頃には自由自在に空を飛んでいた。
「おぉ、やるじゃないか」
煎餅を齧りながら感心する姉さん。千絵は博麗神社の上空を何度も旋回していて、子供のようにはしゃいでいた。
「あははっ、空を飛ぶのってこんなに気持ちいいのねぇ」
やがて境内に降りて来た千絵は嬉しそうに笑っていた。
「素晴らしいわ。もう習得するなんて、あんた中々筋がいいじゃない」
霊夢が手放しに褒めるなんて珍しいな。
「当然よ。これでも実家では一番の才女と言われたんだから」
「この調子で次に行くわよ」
それから霊夢は、博麗神社に代々伝わる巫女の修練法を千絵や杏子と共に実践していく。
瞑想を行う事による神との繋がりの意識、心身を鍛え上げる事による霊力の向上、霊力を操作して霊力弾を放出する練習や、神社の霊脈から霊力を引き出して利用する術等、多岐に渡る修行内容だった。思えば霊夢がこうしてじっくり修行する場面は見た事が無かったな。
ちなみにこれらの内容については、千絵も既に知っていたようで、土御門家での修練内容に共通点が多いとのことだった。もしかしたら博麗の巫女の源流は彼女がもたらしたのかもしれないな。
かくして特筆すべき出来事もなく、穏やかな時間が過ぎていく。乱暴な言い方をしてしまえば反復練習なので、描写するべきところは無い。
私や姉さんはただ見ているだけではなく、彼女達の昼食を作ったり、千絵との模擬戦の相手になったりして、修行のサポートを行った。ちなみに千絵はこの時代の人間では無いという理由で、弾幕ごっこを覚えるつもりは無いらしく、熱心に誘っていた姉さんは少ししょんぼりしていた。
やがて夕方になり、世界が茜色に染まった頃、風呂敷包みをぶら下げた慧音と、ショルダーバッグを下げた阿音が博麗神社にやって来た。
「やあ千絵さん。修行の進捗はどうだ?」
「まだ一日目だし何とも言えないわ。でも悪くない感覚ね」
「はは、そうか。霊夢、杏子、千絵さんに協力してくれてありがとうな」
礼を述べる慧音に、霊夢は「お礼は要らないわ。私がいつもやってる事だしね」と答え、杏子は「そうですね。私もまだまだ実力不足ですし、強くなりたいと思ってますから」と同調する。
「ところで二人揃って何しに来たんだ?」
「千絵さん達が気になってな、仕事を早く終わらせて様子を見に来たんだ」
「私も慧音と同じよ。たまたま時間が合ったから、一緒に来たのよ。千絵、私に何か手伝えることはあるかしら?」
「今の所不自由はしてないから大丈夫よ。お気遣いありがとう」
千絵がそう答えた時、杏子の腹の虫がぐうと鳴り、恥ずかしそうに俯いた。
「はは、どうやらいいタイミングに来たみたいだな。ほら差し入れだ」
「あら、気が利くわね」
「あ、ありがとうございます」
全員で神社の中に入り、ちゃぶ台の上で慧音が持ってきた風呂敷包みを開けると、三段重ねの重箱が姿を現す。ふたを開けると、おにぎりと唐揚げが詰まっていた。
「美味しそうだわ!」
「私の手作りだ。存分に食べてくれ。ちゃんと手を洗うんだぞ?」
「分かってますよ!」
真っ先に手洗い場に向かう杏子の後に霊夢や千絵も続いていく。
その後全員が手を洗った後、ちゃぶ台を囲み慧音の持ってきた食事を味わいながら歓談して1日目の修行が終わった。
――西暦215X年10月5日午前6時――
修行2日目の朝。相変わらず寝ている姉さんをよそに、私は今日も博麗神社に足を運ぶ。
昨日に引き続き修行を始めるべく境内に集まっていた霊夢、杏子、千絵の元に、カメラを携えた文がやってきた。
「文さん?」
「どうもどうも!」杏子に軽く挨拶した文は、面倒くさそうな表情をしている霊夢に「聞きましたよ霊夢さん! 初代博麗の巫女となんだか面白そうなことをやっているじゃないですか!」と馴れ馴れしく話しかけるが、霊夢は「ただの修行よ。面白いものなんて無いわ。あんたがいると気が散るから帰りなさい」とシッシッと手を振る。千絵は口を閉ざしたまま鋭い視線を向けていた。
「まあまあ、そんな冷たい事を言わずに。初代博麗の巫女にインタビュー出来る機会なんて無いですから」と、文は警戒している千絵の正面に回り込み、営業スマイルを浮かべながら「どうも、新聞記者の射命丸文です! 文々。新聞を書いてるので、ぜひお見知りおきを!」と肩掛け鞄から今日の朝刊を差し出す。
しかし千絵は一面記事を少し見ただけで突き返す。
「興味ないわ。修行の邪魔だからどっか行きなさい」
「う~ん、冷たいですねぇ。魔理沙さん、なんとかしてくださいよ~」
神社の縁側に座る私に助けを求めて来たので、私は腰を上げて皆の元に歩いていく。
「じゃあ彼女達の修行に付き合ってやったらどうだ? そうしたらインタビューを受けてくれるかもしれないぜ?」
「修行の手伝いですか。内容によっては協力するのもやぶさかではありませんが」
「そうね。受けてあげてもいいわよ」
「よし決まりだ。修行の内容は至って単純、鬼ごっこだ。千絵と霊夢と杏子が鬼で、お前は昼まで彼女達から逃げ続ければいい」
「そんなことでいいのですか?」
「なんだか簡単そうね」
「ただし条件として、文は攻撃してもいいが、霊夢達は攻撃禁止だ」
「おや、その条件だと私が有利過ぎませんか?」
「そうじゃないと修行の意味が無いだろう。素早く逃げ回る相手をいかにして捕まえるか、身体能力と霊力の用い方が鍵になってくる筈だ。お前達もそれでいいよな?」
霊夢達に確認を取る。
「構わないわ」
「異論はありません」
「ええ」
「よし、決まりだ。それじゃ霊夢達はこの石畳の前に並んで立ってくれ。文は100mくらい離れた場所に移動だ」
彼女達は私の指示に従い、移動が完了した所で私は宣言する。
「鬼ごっこスタートだ!」
開始の合図が鳴った瞬間、風のように遠くの空へ飛んでいく文。霊夢達もすぐさまその後を追いかけるが、文は非殺傷の弾幕をばらまきながら妨害する。霊夢達は弾幕の間を曲芸飛行しながら躱していき、じりじりと距離を詰めていくが、文は芭蕉扇で吹き飛ばして距離を取り、追跡を躱し続ける。
そのままあっという間に見えなくなってしまったので、一人残された私は神社の縁側に戻り、皆が帰って来るまでぼんやりと過ごすことにした。わざわざ見に行かなくても、時の回廊から情報を引き出せば分かる事だしな。
さて、彼女達の鬼ごっこについて結論から言うと文は逃げ切った。
昼までだった筈が夕方になるまで延長され、昼食や少しの休憩を挟みながら、地底から天界に至るまで幻想郷のあらゆる場所の空を飛び回っていたようで、結構な数の知り合いの妖怪達に話しかけられたり、大人数の弾幕ごっこに巻き込まれたりしたようだ。
現在時刻は午後5時。肩で息をしながら境内に座り込む3人と、息一つ乱さず勝ち誇った表情で見下ろす文が立っていた。
「ふふ~ん。どんなもんです? 空の領域なら誰にも負けませんよ?」
「ええ、悔しいけど完敗だわ」
霊夢は素直に負けを認め。
「文さん、速すぎますよ~」
杏子は項垂れており。
「天狗という種族は侮れないわね」
千絵は文の顔を見上げながら呟いた。
「まあ私が速すぎるだけですけどね。さあさあ、約束通りインタビューを受けてもらいましょうか!」
「仕方が無いわね……。疲れたから縁側に座ってもいいかしら?」
「勿論です!」
彼女達は神社に移動し、千絵と文は縁側に隣同士で座ると、手帳とペンを持ち、個人的な部分から博麗の巫女としての考えまで色々な話を聞き込んでいく。私はインタビューの邪魔にならないようにそっと熱いお茶を提供し、畳の上でぐったりと寝転がっている霊夢と杏子には冷たいお茶を淹れる。霊夢と杏子は私にお礼を述べ、あっという間に飲み干していた。
文と千絵のインタビューはおよそ30分に渡って続いた。
「いやはや、素晴らしい記事が書けそうです。初代博麗の巫女も普通の人間となんら変わらなかったんですねぇ」
「文さんは当時の千絵様とお話ししたことは無かったのですか?」
満足げに微笑む文にすっかり息が整った杏子が訊ねると、文は手帳を閉じて肩掛けカバンに仕舞ってから答えた。
「当時は殺伐としてまして、今ほど人と妖怪の親交はありませんでしたからねぇ。私個人としては興味があって何度か接触を試みたのですが、その度に退治されそうになってしまいまして、結局お話しする事はできませんでしたよ」
「そうだったんですねぇ」
「文。ついでに彼女達の修行相手の宣伝も頼むぜ」
「お安い御用ですよ。お茶ご馳走様でした! では私は記事を書くのでこれで!」
文は立ち上がって私達に敬礼するような姿勢を取った後、妖怪の山の方角へ飛び立って行った。
「さあ、休憩は終わり。修行の続きをやるわよ!」
霊夢の声で、彼女達は疲れた体に鞭をうちつつ、夜遅くまで修行を行っていた。
――西暦215X年10月6日午前8時――
修行三日目の朝、今日は妖夢がやってきた。
文の新聞を見て興味を抱き、幽々子に頼み込んで休みを貰ったので共に修行したいと申し出て来た。
しかし霊夢達と違って妖夢は剣士であり、武器も戦闘スタイルも違うのにどうやって修練するのだろうかと疑問を抱いたが、それはすぐに解消される。
「千絵さん。もっと腰を使って踏み込むといいですよ」
妖夢は剣士としての視点から身体の動かし方や、近接戦闘のコツを教えており、それが杏子と千絵にはいい刺激になったようだ。
彼女達は暗くなるまで模擬戦を何度も繰り返し行い、互いの良い部分と悪い部分を教えあいながら研鑽をしていた。ちなみに妖夢の最終的な勝率としては、杏子には7割、千絵には5割、霊夢には勝率1割だった。
それでも妖夢は大変満足したようで、また時間が取れたら来るわと言って、白玉楼に帰って行った。
――西暦215X年10月7日――
修行四日目の日。霊夢達が博麗神社でいつもと同じメニューをこなしていると、お昼過ぎの時間になんと幽香がやってきた。
彼女もまた文の新聞で千絵が修行している事を知ったようで、戦意が満ち溢れていた。
「さあ、構えなさい千絵。叩き潰してあげるわ」
「あんたには負けないわ!」
日傘を向けながら妖気を迸らせ、殺意をまき散らす幽香に、千絵は毅然とした態度で相対する。私は幽香の隣に移動して声を掛ける。
「幽香。彼女は霊夢のご先祖様だ。くれぐれも殺さないでくれよ?」
「分かっているわよ。でも弱かったら半殺しにしちゃうかもしれないわよ?」
「死なないなら別に構わんぜ」
千絵の目つきが鋭くなり、緊張状態になっている。まあ本当にヤバイ攻撃が来たら私が弾く予定ではあるので、安心して観戦していられる。
言いたい事を言った私は離れて、霊夢と杏子と共に見守ることにした。
「霊夢様。千絵様は大丈夫でしょうか?」
心配そうに訊ねる杏子に、霊夢は幽香と千絵から視線をそらさずに答えた。
「私の見立てだとかなり分が悪いわね。弾幕ごっこならともかく、命を懸けた実戦ともなると、経験も実力も足りてないわ」
「じゃあ……!」
「大丈夫よ。いざとなったら私が守るわ」
「私も手伝うぜ」
それから二人の試合が始まった。
幽香の元祖マスタースパークや、植物を巧みに操っての攻撃に加えて、一つ一つが地面を抉る威力の弾幕が千絵を襲う。幽香の猛攻に千絵は防戦一方であり、反撃する暇もないようだ。
う~ん、ここまで実力差があるとはな。全盛期の彼女でも決着がつかなかったらしいし、こうなるのも自明の理か。
戦闘が始まって10分もしないうちに、千絵は立っているのがやっとなくらいにボロボロになっていた。大きな怪我がないのが奇跡的なくらいだ。
そんな彼女に追い打ちをかけるように幽香は妖力弾を放とうと日傘の先端に妖力を集めていたが、千絵がくずおれたのを見て妖力を霧散させる。日傘を閉じた幽香は彼女の元に近付いていき、顔色一つ変えずに言い放った。
「弱いわね。私が知る貴女は鋭利なナイフのような人間だったわ」
幽香は千絵に背中を向けて、「せめて私に傷を付けられるようにならないとすぐに死ぬわよ。もっと精進しなさいな」と言い残して優雅に博麗神社の階段を降りて行く。
千絵は彼女の背中を見ながら、「次は絶対に負けないわよ!」と気丈に叫ぶ。その目には薄っすらと涙が浮かんでいた。
千絵が幽香に完膚なきまでに叩きのめされて負けて以来、彼女は幽香に勝つためにより一層修行に励むようになった。その覚悟を汲み取ってか霊夢も千絵に真剣に指導しているし、杏子も支援している。
5日目はアリス、6日目はレミリアと咲夜が霊夢目当てで神社を訪れたが、修行中とのことであまり長居する事も無く帰って行った。
――西暦215X年10月10日――
修行7日目。時刻は午前7時59分。今日も霊夢達の修行が博麗神社で行われている。私は神社の裏側の開けた空間に回り込み、人を待っていた。
(さて、そろそろか……)
未来の私からの情報によると、1分後のこの場所に人間の少女が送り込まれてくるので、こうして待機しているのだ。
やがて脳内時計が午前8時になった瞬間、目の前の地面に十二層の時計魔法陣が現れて光が生じる。間もなくそれらが消えた後には、一人の少女が立っていた。
彼女の容姿は肩口まで切りそろえられた黒い髪に、赤いメッシュを入れており、目の色は黒。全身には透明な服装変更スーツを身に纏い、現在は無地の白い長袖Tシャツに無地のデニムスカートと、非常にシンプルな設定だ。首からは革製のポーチを下げ、左耳にはワイヤレスイヤホンを身に着けており、スカートのポケットに入った翻訳デバイスに接続されている。これらの装備品は、未来の私が貸し出した物だ。
年齢は13歳。幻想郷の大多数を占める純血のモンゴロイドであり、遺伝子的には日本人に該当する。
「太古の幻想郷へようこそ。歓迎するぜ、#>/&{)」
この時代には存在しない幻想郷語で彼女の名前を呼ぶと、少し驚いたように口を開く。
『わぁ、魔理ちゃんだぁ! あれぇ? でもこの時代の魔理ちゃんとは初対面の筈じゃなかったっけ?』
人懐っこい笑みを浮かべた彼女の心地の良い声が、翻訳デバイスを介してこの時代の日本語に変換されて発せられる。
「ああ。だが未来の私から情報は貰っている」
彼女の名前は博麗#>/&{)。現在の日本語ではユリという言葉が近い。私が観測可能な第一宇宙における最後の代の本家博麗の巫女で、日本列島各地方の博麗の巫女達を纏め上げるリーダーだ。
彼女は時空凍結が行われる前日に、その時代の“私”に頼み込んで今日この日に時間遡行してきた。その目的は、かつて存在した本物の地球の幻想郷の観光と、幻想郷の伝説と化した霊夢に会ってみたいからだと言う。
時間移動に興味を示す博麗の巫女はごまんといたが、私は個人的な事情によるものは全て拒否してきた。しかしユリに関しては彼女の願いを叶える事に決めたのだ。この行為こそが、私があの時代で迷っている証とも言えよう。
ちなみに彼女が私に馴れ馴れしいのは、最後の博麗の巫女という事で幼少期から色々とお世話をしてきたからだ。
「地球時代の幻想郷の観光に来たんだろ?」
『うん、そうそう! 魔理ちゃんって本当に時間の超越者なんだねぇ。ふっしぎ~!』
「どうだ? 本物の地球に足を踏み入れた感想は?」
『ん~、分かんないや。なんか、あんまり未来と変わってない気がするような……?』
「そうだろう。地球時代の幻想郷の再現にはかなり拘ったからな」
代々暮らし続けている人々はもちろんの事、草木や土、水や空気に至るまで、幾たびの環境の変化に伴い種が絶滅しないように、細心の注意を払いながら保全に努めてきた。それでも失われてしまった部分は、地球の情報を記録した媒体から、遺伝子情報を再生して補完したのだ。
その甲斐もあって大多数の人妖は、巨大な宇宙船の中に居る事には気付いていない。真実を知るのは博麗の巫女であるユリや、地球時代から生き続けている古参の妖怪くらいだ。
『あっ、でもでも! なんか空気感が違うような気がする! 足取りがふわ~ってなるような、ぽかぽかした感じ! 上手く言葉に出来ないけど』
「へぇ……それに気づくのか。お前が感じたのは星の命だ。どれだけ科学技術が発達しても、自然に生まれた星の魂は再現できないからな」
『そうなんだ? 元の時代に無いのはなんだか寂しいね』
ユリは少し残念そうに呟いた。
「この時代の観光をする時の注意点は聞いてるな?」
彼女が時間遡行する前の未来で私が伝えたのは、私の関係者以外に自身が未来人である事を知られてはいけないのと、この時代のモラルを守って行動する事だった。
『うん。この日の為に、ちゃんとこの時代の風習について勉強してきたよ!』
ユリは服装変更スーツを切り替えると、水色を基調にした着物姿になった。
『これでいいでしょ?』
「違和感はないな。それじゃ霊夢と千絵に会っていくか?」
『それは後のお楽しみに取っておく!』
そう言ってユリはポーチから紙の地図とこの時代の幻想郷縁起を取り出す。彼女の時代で私が渡した奴だな。
『どこに行っこうかな~♪ あっ! 永遠亭があるじゃん! まずはえーりんと姫様ともこちゃんに会ってこよーっと!』
「案内しようか?」
『大丈夫!』
地図を見て思い立ったユリは、迷いの竹林の方角に向かって飛んでいく。やれやれ、迷惑を掛けなければいいんだが。