10月15日、修行12日目の日。霊夢達は今日も朝6時から修行を開始する。私は縁側に座りながらその様子をぼんやりと見守っていた。
『さあ修行を始めるよ!』
ユリは分厚い雲を吹き飛ばさんばかりに元気よく宣言した。
「……ふわぁ。ユリさんは朝から元気ですね」
杏子は欠伸を嚙み殺しながら呟き、千絵と霊夢は眠たげな表情でウォーミングアップを行っている。昨晩は日付が変わる時間までお喋りをしていたのにも関わらず、ユリは元気いっぱいだ。
やがて千絵と霊夢のウォーミングアップが終わり、体が温まると共に眠気が吹っ飛んだようで。
「今日こそ習得して見せるわ!」
「昨日はいいところまで行ってたわ。あともう少しよ、頑張りなさい」
「ええ」
意気込みを見せる千絵を霊夢が励まして、今日の修行が始まる。
千絵と杏子は博麗の札が貼りついた幣を持ち、正面の開けた空間を見据えている。一見すると何もしていないように思えるが、二人の体から霊力が放出されていて、少し離れた私の位置からでも圧迫感を覚えるのは、私が種族としての魔法使いになったからだろう。
二人は昨日に引き続き、霊力のコントロールの練習を行うようで、霊夢とユリはそれを見ながら封印結界の発動が成功するように指導するようだ。
彼女たちの修業は、魔法使いで例えるならば、魔法を成功させる為の特訓だ。初歩的な魔法──例えば小さな炎を手の平から放出する魔法──ならば、魔力を出しながら呪文を唱えれば成功する。
しかし上級の魔法ともなると、ただ呪文を唱えればいいだけではなく、魔法の発動に必要な魔力と、それを適切に魔法として形にするための魔力操作技術が必要になってくる。魔力が足りなければ、不発に終わるし、魔力が充分に足りてても、コントロールできなければ暴発する。
封印結界は魔法で例えるなら上級魔法に匹敵する難易度だろう。千絵と杏子の霊力は封印結界発動の条件を満たしているので、後は結界を生成できるように霊力を上手に扱うだけだ。
『千絵ちゃん、霊力出しすぎだよ! もうちょっと抑えて抑えて!』
「こう?」
『うん! いい感じ!』
「う~ん、この感覚を維持するのは難しいわね」
「そこを乗り越えられれば、封印結界を行使出来るわ。頑張りなさい」
「わかったわ」
「霊夢様、私はどうですか?」
「悪くないわよ。後はその霊力を外に放出できるようになりなさい」
「はい!」
波のように霊力が上下する二人に、霊夢とユリは適宜指導していく。
熱心に頑張っている霊夢達には悪いが、私の本音を言わせてもらうとこの時間は退屈だ。霊夢達の邪魔になるから話しかけることもできないし、かといって他の事をすると彼女達の集中力を乱しかねないからだ。こういう時に誰か来てくれれば話し相手になってくれていいのだが、今日は午後になるまで誰も来ないんだよな。修業が始まってから、霊夢を訪ねる人妖はめっきり減ったし。まあ霊夢と同じ時間を過ごすことができるので、苦痛というわけではないのだが。
だが今日は千絵にとっては歴史的な日になることだろう。私は霊力操作に悪戦苦闘する千絵と杏子を眺めながら、その時が訪れるまでじっと静かに――時には肘を付いて寝つつ――待ち続ける。そして午前10時39分になったところで私は起き上がり、霊夢達の元へと歩いて行く。
千絵と杏子は博麗の札が貼られた幣を握りしめながら目を閉じ、深く集中している。ユリと霊夢は傍で見守っていたが、私の接近に気づいた霊夢が声をかけてきた。
「あら、魔理沙。どうしたの?」
「そろそろかと思ってな」
『そろそろ?』
ユリが疑問を口にしたその時、体内で霊力を練っていた千絵が目を見開き幣を振り下ろしながら宣言する。
「封印結界!」
千絵が幣を振り下ろしながら宣言すると、彼女のすぐ目の前に博麗の札が貼られた一枚の壁が現れる。
「ほっ、ようやく出来たわ」
『やったね千絵ちゃん! 成功だよ!』
「ええ、よくできているわ」
「流石ですね千絵様! 私も頑張らないと……!」
胸をなでおろす千絵に、ユリは手放しで賞賛し、霊夢はお墨付きを与え、杏子は羨望の眼差しで見つめている。勿論私も拍手を送っておく。実際のところ、たった1日で成功してしまうのだから大したものだ。
「それじゃ早速実戦に移ってみるか?」
「実戦って、何をする気なの?」
「そりゃあもちろん妖怪退治だよ。今ならちょうどいい感じの場面に立ち会えるんだが、どうだ?」
「そうね。一度試してみたいわ」
私の提案に千絵は素直に承諾する。一方で霊夢は私の意図に気づいたのか、不安げに訊ねてきた。
「魔理沙、大丈夫なの?」
「当然だ。私を信じてくれ」
私の揺るがぬ自信を見て、霊夢は納得したのかそれ以上追及することはなかった。
「それじゃ行くぞ。お前達も見届けにきてくれ」
霊夢達にも声を掛けてから私達は博麗神社を発つ。徒歩と同じくらいの速度でゆっくり飛んでいき、やがて人里近くの山腹高度10mの位置に到着する。
眼下には少し開けた森が広がり、竹で編んだ背負いカゴを背負った親子が楽し気に山菜摘みを行っている。年若い夫婦と幼い少年と少女で構成される人間の家族。幻想郷存続の鍵となる重要な宿命を背負っている訳でも、霊夢の人生を左右するような多大な影響を与える事もなく、人里ではごく普通のあり触れた一般家庭だ。
「人がいるわね」
「あれ、岩城家の皆さんじゃないですか?」
「ここに何があるの?」
「今からちょうど1分後に、あの親子が山頂から駆け下りてくる熊の妖怪に襲われる。そこで――」
「!!」
「た、大変じゃないですか! すぐに知らせないと――」
慌てて急降下しようとする千絵と杏子の腕を掴み。
「待て。もう標的にされてるんだ。今更逃げられんよ。それよりもさっき覚えた封印結界で退治したほうが良い。襲撃まで残り30秒だ。千絵、やってみろ。仮に失敗したとしても私が助けるから、心配するな」
手を放して早口で捲し立てると、杏子は戸惑いながら千絵の顔を見る。千絵は覚悟を決めたように口を閉ざし、幣を構えながら霊力を練り上げて集中する。霊夢とユリは頭一つ分の高さから状況を見守っている。
残り10秒。熊妖怪の雄たけびが響き渡り、親子は初めて妖怪の接近に気づき立ち上がる。怯える母親と子供達を護るように鎌を持った父親が立ちふさがり、山頂に続く森の中を睨みつけた。間もなく森の中から体長3mを超える熊妖怪が飛び出し、親子目掛けて前足を振り下ろしたその時、千絵は宣言する。
「封印結界!」
親子と熊妖怪を隔てるように結界が出現し、凶悪な鉤爪を弾く。それを引き金に熊妖怪を閉じ込めるように結界が広がり、立方体の中に閉じ込められた。熊妖怪は抜け出そうと暴れるものの、結界には罅一つ入らず、千絵が幣を払うと光に包まれながら消滅していった。
「……ふぅ」
「やりました!」
千絵はほっと息を吐き、杏子は自分の事のようにはしゃいでいる。霊夢とユリは結果が分かっていたかのように頷いていた。
「博麗の巫女様~!」
「霊夢様~! ありがとうございます!」
地上では熊妖怪が突然消えたことで父親が辺りを警戒していたが、幼い少女が私たちの存在に気づいて空に向かって手を振り、幼い少年も声を張り上げて霊夢を呼んでいる。
「博麗杏子。貴女が応対してきなさい」
「ええ!? でも千絵様が倒したのでは?」
「この時代の博麗の巫女は貴女よ。私が出しゃばる訳にはいかないわ」
「そういうものですかね?」
「行くわよ杏子」
杏子は疑問を感じながらも、霊夢と共に親子の元へと降りていく。まるで天女が地上に降臨した時のように静かに着地すると、父親が深々と頭を下げる。
「博麗の巫女様! 危ないところを助けていただいて、本当にありがとうございます!」
「お怪我はありませんでしたか?」
「おかげ様で何ともありません」
そう切り出して始まった彼らの会話を聞く限りでは、命を助けられた事に非常に感謝していて、この山で摘んだ山菜やキノコが入った籠をお礼として霊夢に渡していた。
それから杏子は親子を人里まで送り届けることを私達に伝えた後、彼らと共に山を降りて行く。山の恵みが詰まった竹籠を背負った霊夢がほくほく顔で上空に戻ってきた。
「ふふ、こんなに食材を貰っちゃったわ。すぐに帰ってお昼にしましょ」
『賛成! もうおなかぺっこぺこだよ~!』
「せっかくだから鍋にしたいわね」
『いいね! 今日は私も手伝うよ!』
「あら、ありがとう」
そうして昼食が決まり私達は博麗神社へと帰還していく。その道中で、考え込んでいる様子の千絵に声を掛けた。
「千絵。さっきの技は見事だったな」
「突然言われたから驚いたけどね。事前に知っていたのなら、もっと余裕を持って来れなかったのかしら?」
「突発的な事態に対応できるかどうか試したんだ。実戦では相手は悠長に待ってくれないからな」
「まあそんなことだろうと思っていたわ」
ちなみに千絵が失敗していた場合、もしくは私達がここに来なかった場合、岩城家はどうなっていたかについても語ろう。
父親が瀕死の重傷を負いながらも熊妖怪を追い払い、人里から駆け付けた救助隊によって救助される。その後、夕方になって母親から博麗神社に妖怪退治の依頼が舞い込み、杏子、千絵、霊夢が状況確認の為に人里の病院の病室を訪れ、父親の肉体に残された妖力の痕跡を千絵が察知することで場所を特定。深夜にこの山を訪れて、洞穴の中で眠る熊妖怪を退治するという流れになる。
あの親子はどの道助かって、熊妖怪は博麗の巫女によって退治される運命にあったので、千絵の練習台になってもらった訳だ。流石に失敗したら死ぬ状況でこんなことをやったら皆から非難轟々なのは目に見えているからな。
……まあこんな事を説明しても仕方がないので言うつもりはないのだが。
『魔理ちゃんは頑張れば超えられる程度のハードルを設けるのが得意だからね~。私も駆け出しの頃、修行と称して似たような事を結構やらされたよ』
「……質が悪いわね」
千絵は呆れた視線を向けてくるが、私は「このやり方が効率いいからな」と開き直る。
「昼を食べたらあと2体倒しに行くぞ。――ああ、勿論今回と同じシチュエーションでは無いから安心してくれ。近い将来人間を襲って退治される運命にある妖怪を少し前倒しするだけだからな」
「何の補足説明なのよそれ。まあ構わないけど」
そんな話をしているうちに博麗神社が見えてきた。