西暦250X年5月27日午後4時5分
side――藤原妹紅――
「マジックバースト!」
突然私にしがみついてきた魔理沙が叫んでから、頭の中で何だかグルグルとした感覚が続いている。
もしかしたらこれが時間移動の感覚なのかな。
(気持ち悪い。早く終わってほしいな)
心の中で願いながら目をつぶって待ち続けていると、しばらくして何だか空気が変わった気がした。
それは都会の色んな化学物質が混ざりあった鼻に付く匂いじゃなくて、故郷のような温かさで……。
「魔理沙? もしかして終わったの?」
未だ私に抱き着いたままの魔理沙に小声で聞いてみたけれど、返事が返ってこない。
(うーん、なんかあの不快感もないし、終わったのかな?)
私は思い切って目を開き、言葉を失った。
「――!」
高台に立つ私の視界いっぱいに雄大な山々と一面を覆う深緑の木々が広がり、澱みない風が山を撫でるように吹き抜けると、森がささやくように揺れて葉吹雪が舞っていた。
耳を澄ませてみれば、小鳥のさえずりや虫の鳴き声。鼻孔一杯に広がる草木の香りに、大気一杯に広がる幻想。
そこには、今はもう失われてしまっていた大自然が広がっていた。
「ああ、ここは……!」
200年以上昔には確かにあった大自然、狂おしいまでに熱望し、炎のように恋い焦がれた幻想郷。
万感の思いが胸に去来し、気づけば私の頬を涙が伝っていた。
「本当に、戻って、来たんだなっ……!」
どんな名画ですら霞んでしまう心震わす光景に、幻想郷で育んだ数々の思い出が走馬灯のように甦る。
私は我を忘れて、ただただその場に立ち尽くしていた。
それはどれだけ続いたのだろうか。
五分しか経っていないようにも感じるし、一時間も経っているようにも感じる。
我に返った私は涙を袖でぬぐいさり、何故だかずっとしがみついたままの魔理沙に呼びかける。
「……っと、いつまでも呆けているわけにもいかないな。ほら魔理沙ー、そろそろ離れて欲しいんだけど~?」
だけどまたまた返事がないし、それどころか寝息のようなものが聞こえてくる。
「んん?」
まさかと思いながら私の体から魔理沙を引きはがしてみると、そこには安らかな顔で目を閉じる彼女の姿が。
「なんで人の肩で寝てんのよ……。ほら、起きなさいよー。着いたわよ?」
呆れながら魔理沙の肩を揺すったけれど、「スースー」と穏やかな呼吸が聞こえてくるだけで、全然起きる気配がない。
「あらら、どうしよっかな」
過去の世界に連れて来てくれた恩もあるので、気持ちよさそうに眠っている魔理沙を無理矢理たたき起こすのは流石に忍びない。
私の自宅は迷いの竹林にあるんだけど、そこにはきっとこの時間の私が居ると思うから行けないし。かと言って寝てしまった魔理沙を置いて行くわけにもいかない。
辺りはすっかり橙色に染まり、もうすぐ夜が訪れそうな時間だ。
てかここはどこなんだろう。
周りをキョロキョロと見回してみると、後ろに立派な博麗神社を発見。
「あ、そっか。跳ぶ前と後で全く場所が変わらないんだっけ」
納得していたその時、神社の物陰から私達を見つめている女の子を見つけて目が合ってしまった。
「「あ」」
一瞬沈黙が流れると、その女の子はちょこちょこと此方に近づいて来た。
「あのあのっ、妹紅さんは先ほどから何をしていらっしゃるんですか?」
おっかなびっくりといった感じで質問するこの女の子。
赤と白の脇がざっくりと開いた巫女服を着ているし、たぶん博麗の巫女なんだろうなぁと思う。
「ええと、ちょっと途方に暮れててね。うーん、何と説明したらいいかな?」
「?」
実は未来から来ましたー。と言っても変な人に思われそうだし。
それにこの女の子とこの時代の私は知り合いみたいだけど、この子誰だったっけなあ……。
500年も前の話だと、かなり記憶が曖昧になってしまう。
どう接すればいいかなと思って言葉を選んでいると、その女の子は私が抱きかかえている魔理沙に気づいて大声をあげた。
「あー! 魔理沙さんじゃないですか!」
「知りあいなの?」
「はい。少し前までお話していました。でもどうして? さっき500年後に行くとか言ってたのに」
(魔理沙の知り合い……そうか、思い出した!)
その言葉に私はピンと来た。
「もしかして麗華ちゃん?」
「? ええ、そうですけど。そんな改まってどうしたんですか?」
「実は私ね、魔理沙と一緒に500年後から来たんだ。だから人里にいる私じゃない私なんだよ」
「ええっ、そうなんですか!? ほぇ~何だか凄いですね」
少し日本語がおかしくなってしまったけど、麗華はふんわりと納得してくれたみたいだ。
確かこの時代の私は240X年に逝ってしまった慧音の跡を継ぎ、人里の守護者として働いていた筈だ。
麗華も人里によく遊びに来ていて、博麗の巫女と人里の守護者という同じ人側の立場同士という事もあって、色々と話をしたり世話を焼いた記憶がある。
「だけどね、この時間に戻ってきたら急に気絶しちゃったみたいなんだ。悪いけど休む場所を貸してくれないかな?」
「それは大変! すぐ準備してきます!」
神社の中庭に向かって駆けていった麗華。
「よいしょっと。……少し重いな」
魔理沙を背負い込み、本人が聞いたら怒りそうな事を呟きながら麗華の後に付いて行き、神社の縁側から上がり込んだ。
その後魔理沙の靴も脱がせて踏石に並べた後、襖が開いた奥の部屋に向かい、麗華が敷いておいた敷布団に魔理沙を寝かせた。
「これで良し」
掛け布団を掛けると、心なしか魔理沙は気持ちよさそうに表情を崩していた。
「悪いね、ここまでしてもらっちゃって」
「いえいえ、このくらい大したことないですよ! ……そうだ! せっかくですし泊っていきますか? もう遅い時間ですし」
壁掛け時計を見てみれば、夕方の五時を回ったくらいの時間だった。
「いいの?」
「遠慮しなくていいですよ! 魔理沙さんのお友達ならいつでも大歓迎です!」
「それじゃあお言葉に甘えさせてもらおうかな」
晴れやかな笑顔をした麗華の誘いに乗ることにした。
ちょうど寝泊まりする場所に困っていたところだし有難い。
「はい! それではあたし、今から御夕飯を作ってきますので待っててくださいねー」
「私も手伝おうか?」
「いえいえ、妹紅さんは座っててください! 一人で大丈夫ですから!」
そう言って麗華は、奥の台所に消えてしまった。
手持ち無沙汰となってしまった私は、縁側と直結した畳部屋に戻りちゃぶ台の前に座った。
「どうしようかな」
これからの段取りを考えるためにも、まず魔理沙が目を覚まさないことにはどうにもならない。
「あら、珍しい顔がいるわね」
誰もいない筈の部屋に突如女性の声が響いたかと思うと、目の前にざっくりと〝裂け目″が出来て、そこから紫が現れた。
「おおっ、紫じゃないか! いや~久しぶりだなぁ!」
その懐かしい顔に感激していると、彼女は途端に不機嫌な顔になる。
「……あなたと名前を呼び捨てにされるような仲になった覚えはないのだけれど?」
「! ……すまん、悪かったよ」
(そうだった。この頃の私と紫はまだ仲が良い訳じゃなかったっけ)
彼女と親交を深めるきっかけになったのは200年前、柳研究所が多数の軍勢を引き連れて幻想郷に侵略してきた時だった。
幻想をも打ち砕く現代兵器によって妖怪達が次々と倒れていく中、私は持ち前の不死性を活かして多くの敵を屠り、紫もまた境界を操って外の人間達の侵略を食い止めていた。
私達は最後の最後まで戦い抜き、紫と下の名前で呼び合うような親しき仲になったのもこの時だった。
「それで、何故あなたがここに居るのかしら? おまけに魔理沙までいるじゃない。500年後に跳んだんじゃなかったの?」
奥の部屋で眠っている魔理沙を一瞥した紫が不思議そうに訊ねてきたので、私は答える。
「私はね、西暦300X年から魔理沙と一緒に来たんだ。間違ってしまった過去を変えるためにね」
「は?」
「それ以上は当事者じゃない私の口から話すことは出来ない。続きはあそこで寝てる魔理沙が起きてから聞いて」
今もスヤスヤと眠っている魔理沙を指さしながらそう説明した。
私の歩んできた歴史と魔理沙が語る歴史では大きな食い違いが生じるだろう。
私はあくまで魔理沙の〝おまけ″でしかないので、それを語る資格はない。
「ふむ……」
紫は私をじっと見た後、指先で小さなスキマを開いてその中を覗き込み、一瞬驚きながら私とそのスキマの中を見比べていた。
そして彼女はスキマを閉じながらこう言った。
「……なるほど、嘘はついてないみたいね。良いでしょう。また明日事情を聞かせてもらうわ」
「うん、また明日ね」
紫はスキマを閉じて、そのまま中に消えていった。
その直後、桃色の生地に花柄模様の可愛らしいエプロンを身に着けた麗華が現れた。
「あれれ? 妹紅さん一人ですか? 確かに話し声が聞こえたと思ったのに」
「さっき紫が来てたんだ。話し声は多分それじゃないかな」
「そうですかー。帰ってしまって残念です」
ちょっとガッカリした感じに俯いた後、麗華は再び台所へ戻って調理を始めた。
(暇ね……煙草でも吸ってこようかな)
再び一人になった私は腰を上げて外に出た後、懐に入れたシガレットケースから煙草を一本取り出し、口に加えてから火を点けた。
甘いバニラのようなフレーバーが肺の中にすっと入り、心が落ち着いていく。
(うん、やっぱりこの味が一番だな)
退屈しのぎの嗜好品として何気なく始めた煙草も気づけば2000年以上。
よく煙草は身体に害を及ぼすと言うけれど、不老不死の私にとってそんなのあってないようなものだ。
とはいえ人前で吸う事は滅多にないのだけれど。
(ふう……)
外はもう真暗になり、近くの森からコオロギやバッタの鳴き声が微かに聞こえてくる。
煙草を口に加えポケットに手を突っ込んだまま見上げてみれば、宝石をばらまいたような美しい星空が360度に広がっていた。
「すごく綺麗だなぁ……、こんなのいつ振りだろう」
紫煙と共に感嘆の句が自然とこぼれた。
外の世界で生きて早200年、ギラギラと輝くネオンにまみれた都会ではすっかり見れなくなってしまった光景。
(やっぱり幻想郷は素晴らしいな。見るもの聞くもの全てが美しい。絶対にこの箱庭を守らないとだね)
そう改めて心に誓った私だった。
やがて、星空に見入っていた私を現実に引き戻す声が耳に入る。
「妹紅さーん! ご飯出来ましたよー!」
「うん、今行くよ」
私は火が付いた吸殻を掴み、一瞬炎を出す事で灰に燃やし尽くしてから神社の中に上がり込む。
「うわぁ、すっごく美味しそう!」
「ふふ、召し上がれ」
ちゃぶ台に並べられた麗華の料理はごく普通の家庭料理だったけれど、とても絶品で、ここ200年合成食料ばかりを食べて来た私にとっては思わず涙が出てしまうほど美味しく、麗華を心配させてしまった。
食後、麗華と共に後片付けをしてから「未来から来た妹紅さんの話をもっと聞きたいです!」とせっついてくる彼女に押され、外の世界の話や自分の半生などを適当に話していった。
その間にも魔理沙は起きる気配が全くなくて熟睡していたし、多分もう朝まで起きないんじゃないかな。
やがて完全に夜も更けてきたので寝る支度を始め、熟睡状態の魔理沙を挟むように布団を敷いて私と麗華は布団に入った。
「ふふ、おやすみなさい」
「おやすみ」
そして電灯が消され、部屋は真っ暗になった。
(明日から色々と忙しくなりそう。頑張ろう、私!)
そう決意を込めて私は目を閉じた。