西暦250X年5月28日午前8時――――――
side ――霧雨魔理沙――
「ん……」
遠くから聞こえてくる鳥の鳴き声で目を覚ますと、そこは知らない天井だった。
――なんてことはなく、ここは私がよく知る間取りの部屋。かつて霊夢が寝室として使っていた博麗神社の一室で、そこに私は布団に寝かされていたのがすぐに分かった。
壁掛け時計の短針は8、長針は12を指している。
「朝の8時か……。ここ博麗神社だよな? なんでこんなところで寝てるんだっけ」
確か250X年に跳ぼうとしたら妹紅が重くて、無理矢理自分の力を引き出したら意識が遠くなって、妹紅から離れないようしがみついて、それから――
「駄目だ。思い出せない……」
それに何だか夢を見たような気がするけれど、記憶が曖昧でよく分からない。
「妹紅はどこへ行ったんだろう」
どうやらこの部屋にはいないみたいだが……。
「まあいいや。とりあえず顔でも洗ってくるか」
私は布団から起き上がってそのまま洗面所に向かい、顔を洗ってからボサボサの髪を手ぐしで整え、皺になった服をある程度様になるように伸ばして身嗜みを整えた。
それからさっきの部屋に戻って布団を畳んで押入れに仕舞った後、洗面所とは反対方向、縁側に通じる畳部屋へと続く襖を開いた。
「――てなことがあってね。悪いんだけどさ、もうしばらく使わせてくれないかな?」
「お気になさらないでください。今日は特に来客のご予定もないですし、ゆっくりしていってくださいね」
するとそこにはちゃぶ台の前に座りながら雑談を話し込んでいる妹紅と麗華の姿があって、私の気配に気づいた二人は顔を此方に向けた。
「おっ、起きたか! おはよう魔理沙、良い朝だな!」
「おはようございます魔理沙さん!」
「おはよう。妹紅、麗華」
私は挨拶を返しながら妹紅の隣に座る。
「お前が急に倒れちまうもんだから、ここまで運び込むの大変だったんだぞ? どうしたんだよ?」
「え? あーそれはな、誰かと一緒に跳ぶのが初めてだったから加減を間違えたんだ」
『妹紅が重かった』って正直に答えたら怒りそうなので、適当な理由を言い繕うことにする。
そして私は麗華に向かって「知らない間に迷惑かけたな」と、謝意を込めた。
「そんな、気にしないでください! 魔理沙さんならいつでも歓迎ですから!」
「そうか? ならいいけど……」
正直何故麗華がここまで私に良くしてくれるのか不思議でしょうがない。
(うーん、私何かしたかな?)
そんなことを思っている間にも麗華は立ち上がり「これで全員揃った事ですし、今から朝御飯作ってきますね! お二人は待っていてください!」
「私も手伝うよ」
「いえいえ、魔理沙さんはお客様なんですから、どうぞゆっくりと寛いでいてください!」
そう言って彼女は台所へと向かっていった。
「麗華の料理は凄く美味しいからな。かなり期待できるぞ」
「そうなのか?」
「私が外の世界にいた時なんかずっと粘土みたいな食事ばっかりだったからな。味付けも諸に化学調味料がドバドバ掛けられてるって感じで。美味しいと言えば美味しいんだけど、なんだかご飯を食べてる気がしなかったよ」
その時の事を思い出したのか、少し暗い表情で話す妹紅。
多分妹紅が言ってるのは映像の中で紫が話していた合成品とかいうもののことだろう。
「その点麗華の料理は素朴で繊細な味付けでさ、素材の味を上手に引き出しているんだよね。まさに大味必淡って感じ」
「へぇ~、妹紅がそこまでオススメするなんてよっぽど美味しいんだな。楽しみだ」
私はキノコ料理なら誰にも負けない自信はあるが、それ以外だと良くも悪くも大味な味付けの料理になってしまうので、きっと麗華の方が料理の腕前は上なのだろう。
「そういえば妹紅は幻想郷がなくなってから、どうやって過ごして来たんだ?」
「適当に日雇いの仕事をして日銭を稼ぎながら日本各地を転々としてたよ。私はこんな体だからさ、あまり一か所に留まれないんだ」
不老不死の妹紅は何年経っても姿形が変わらない。
1年や2年程度なら誤魔化せるかもしれないが、10年20年も経つと怪しまれてしまうのだろう。
「特に面倒だったのが戸籍がない事でさ。殆ど全ての公共交通機関や国のサービスが全く受けられないし、買い物するのも一苦労。職に就くのも中々大変で、何度か危ない橋を渡ったもんさ」
「戸籍ってなんだ?」
「〝自分″が〝自分″だと証明する紙さ。外の世界では人間一人一人に国から発行されてさ、戸籍がないと外の世界では〝存在しない人間″として扱われるんだよね」
「それはまた……大変だったんだな。ちなみにどんな仕事をやっていたんだ?」
「土木工事とかビルの清掃といった肉体労働もやったし、飲食店で接客業もそつなく行なったし、基本好き嫌いなく何でもやったぞ。特に旧フクシマ地区の原発処理に関連した仕事が作業内容の割に賃金が高くて楽だったなぁ」
「……駄目だ。自分で聞いておいてなんだがさっぱり分からん。妹紅の言葉が異世界語にしか聞こえないぞ」
「外は幻想郷とは全く違う世界だからな。私も慣れるまでかなり時間が掛かったよ」
それからも妹紅のとりとめのない話を聞いていると、ふと思い出したかのように言った。
「ああそういえばさ、昨日紫に会ってな? 今日の朝頃に再び話を聞きに来るってさ」
「いつの間にそんな約束を取り付けたんだ?」
「昨晩魔理沙が寝てる時に突然ヌルっと出て来たんだよ。でもこれはチャンスかもしれないぞ」
「チャンス?」
「忘れたのか? 私達は柳研究所を潰しに来たんだ。協力者は一人でも多い方が良いだろう。特に紫は幻想郷でも屈指の実力者だ。味方になってくれたら心強い」
「それもそうだな。んじゃ彼女が来たらそれを提案してみるか」
「ご飯出来ましたよ~」
「おっ、出来たみたいだな」
「手伝いにいくか」
私と妹紅は立ち上がり、料理の配膳を手伝った。
そしてそれぞれの座席の前に並べられた後、麗華の「いただきます」の音頭の後に私達も声を揃え、いただくことにした。
今日の朝御飯は鮭の塩焼きにきんぴらごぼう、ご飯にワカメと豆腐の味噌汁、キュウリとかんぴょうの漬物と、和風なメニューだ。
まず最初に鮭の切り身に箸を入れて口に運ぶ。
(これは……!)
焼き加減は言わずもがな、脂が乗った鮭の身が口の中でとろけていき、塩加減も絶妙に効いている。
次に鮭の塩焼きの付け合わせとして皿に盛り付けられたきんぴらごぼうに箸を伸ばす。
醤油とカツオのだしが素材に浸透していて、味のムラがなくとても美味しい。
桜の花があしらわれた白いご飯茶碗に軽く一杯分盛り付けられたお米は、湯気が立ちこめ宝石のようにキラキラと光り輝き、噛めば噛むほど甘みが増していく。
こげ茶色の汁椀によそられたワカメと豆腐の味噌汁は、薄すぎずしょっぱすぎずちょうど良い塩梅に仕上がっている。
梅の花があしらわれた、四寸ほどの小皿に添えられた漬物も、新鮮な野菜のように噛みごたえが良く、麴の味と野菜の旨みが濃縮されていてご飯がよく進む。
麗華の料理はどれを取っても非の打ち所がなく完璧だった。
「これは……! 凄く美味しいな」
「ふふ、お口にあったようで良かったです」
特別な訳でもないただの朝御飯がどうしてこんなにも美味しいのだろう。
妹紅も「幸せだ……!」と呟きながら、料理をじっくりと味わっていた。
「ご飯おかわり!」
「私にもちょうだい!」
「ふふ、そんな慌てなくてもまだありますから、沢山食べてくださいね~」