「なんでさ?」
「外の世界のあらゆる情報はクラウド化されて電子の海に残されているわ。もちろん柳研究所だって例外ではないでしょう」
「あーそっか。それを失念していたな」
「……雲?」
(雲ってあれだろ? 空にプカプカ浮いてるやつ)
妹紅は今の説明で納得していたようだったが、私には何故この話の流れで天気の話が出てくるのかさっぱり分からなかった。
そんな私の心を読んだかのように、紫が解説する。
「外の世界にはね、特殊な通信規格群を用いて全世界のパーソナルコンピュータや通信機器が接続されたネットワーク――【インターネット】が存在するの。そしてこのネットワークに接続し、地球のどこにいてもネットワーク上のデータにアクセスすることが出来る……これをクラウドサービスと言うのよ」
「ほぅ~パソコンとやらにそんな機能があったとはなぁ」
私自身は実物を見たことがないが、そういう外の世界の道具がある。と早苗が生きていた頃に聞いたことがある。
「もちろんこの幻想郷はインターネットにも繋がらないし、VHFやUHF等の電波も入ってこないようにしてあるわ。あまり技術革新を進めすぎると、外の世界の二の舞になってしまいますもの」
紫の言葉はいやに実感が籠っており、きっと彼女の中では過去にとても重い出来事があったのだろう。
「……話が逸れたわね。とにかくこの部分に関しては、藍が対処してくれるから問題ないわ。彼女はとても優秀なハッカーでね、この時代のスパコンにも負けない頭脳の持ち主なのよ」
「ネットワーク関連については、私にお任せください」
藍は胸を張っていた。
「つまり話を纏めると、研究所を爆破する前に一度研究所内に侵入して、パソコンの中にある研究データを消去する必要があるのか」
「ええその通り。でもそれだけではまだ足りないわ。もっと根っこの部分を絶たないとダメよ」
「む」
紫は空間に立体表示された透過ディスプレイをいじる。
スーツに白衣を纏い、顔中に皺が刻まれ口髭を生やした一人の老人の顔写真を表示した。
「【柳哲郎】。この記録では『元々は精霊信仰について研究していた科学者だったが、人が夢を見る際、脳の電気信号に一定のパターンがある事を発見。加えて、外部から人の夢に干渉する法則を確立し実験を成功させた。これは後に【柳理論】と呼ばれ、さらなる発展を目指して250X年5月27日に柳研究所を創設』とあるわ。この男こそが幻想郷が滅亡する原因を作った全ての元凶でしょう。つきましてはこの男を――」
手に持った扇子を閉じ、ディスプレイに映し出された男の首元で横にピシャリと切った。
それはつまり――
「……殺すのか?」
「ええ。万全を期すためにもそれが最善かと」
紫はあくまで冷徹に言い切り、妹紅や藍も異を唱えなかった。
「しかし殺すのは流石に……。何か別の手立てがある筈だろ。きっと説得すれば何とかなるんじゃ……」
やりすぎではないのか? そんな心を見透かすかのように紫は口を開いた。
「魔理沙、腹を括りなさい。科学者という連中はね、自分の好奇心を満たす為なら例え破滅に至る道と分かっていても嬉々として歩くような人種なのよ。言って聞かせてどうにかなるものじゃないわ」
「…………!」
「大丈夫。私が直接手を下すから貴女が手を汚す必要はないのよ」
私は反論が出来ず、黙り込んでしまった。
何故なら科学者の在り方は、方向性は違えど魔法使いと似たようなものなので気持ちは分かる。
「納得がいかない、そんな顔をしてるわね。彼の研究のせいでこの素晴らしい幻想郷が滅亡し、多くの妖怪が消滅してしまうのよ? 何故迷う必要があるのかしら?」
しかし、それとこれとは話が別だ。
私は今まで好き勝手に生きてきたけれど、誰かに危害を加えるような行為はしたことがなかった。
ましてや殺しなんてもってのほかだ。
それに生まれついた頃から妖怪の紫や藍と違って、私は人間から魔法使いになったので、そう易々と受け入れることはできない。
どうすれば良いのか迷っていると、藍の尻尾で遊んでいた麗華が立ち上がり、紫の方を向いた。
「紫さん、あたしからもお願いします。外の世界の出来事なのであたしが止める義務も権利もありません。でもだからと言って黙って見過ごすわけにはいきません。できれば別の方法を取ってもらえませんか?」
「麗華まで……」
麗華の懇願に力強い意志を感じたのか、紫は目を見開いて驚いていた。
そしてしばらく逡巡する様子を見せた後。
「……分かったわ。この男の命は取らない。ここに約束するわ」
「良かったぁ」
麗華は胸をなでおろしており、私も心の中でホッとしていた。
「紫様がそう仰るのであれば私は構いませんが、どうするおつもりです? 彼こそが諸悪の根源だと思うのですが」
「フフ、その辺りはきちんと考えているから安心しなさい。私にいい方法があるの」
紫はあくどい笑みを浮かべていた。
「よし、それじゃ行こうぜ! 思い立ったが吉日、善は急げって言うだろう?」
「ちょっと待って。魔理沙は外の世界で魔法が使えないだろ? また昨日みたいなことになるんじゃないの?」
「あ」
妹紅に指摘され思わず間抜けな声を出してしまった。
(そうだった……、うっかり忘れていたぜ)
彼女達と違い、私は魔法がないと一般人と変わらないので、その辺を解決する必要があるな。
「それに今は真昼間。人が居ない深夜に狙った方が良いでしょう。その間に此方も情報収集をしておくわ」
「よろしく頼む。時間は何時にするんだ?」
「……そうね。午前0時に決行で宜しいかしら?」
時計を横目に見てみると現在時刻は午前9時30分。
作戦まで大分時間が空きそうだ。
「ああ、それでいいぜ」
「ではまた後程」
紫はスキマを扉のように縦にざっくりと開き、向こう側へ歩いて行った。
藍も立ち上がり、彼女に続こうとしたところで麗華に呼び止められた。
「藍さん、もう行ってしまうのですか?」
「作戦が終わったらまた来るから、ね」
藍は柔和な笑みを浮かべながら麗華を優しく撫でた後、スキマの中に消えていった。