紫と藍が帰り、麗華と妹紅と私の三人が残された一室で、麗華はすっくと立ち上がった。
「魔理沙さん妹紅さん。あたし人里に食材を買いに行きたいので、申し訳ないのですが留守番をお願いしてもいいですか?」
「構わないぜ」
「そんな気を使わなくてもいいよ。どこにも行くつもりないし」
「ありがとうございます! それでは行ってきます!」
麗華はふわふわと人里に飛んでいき、妹紅と二人きりになった。
「作戦まで十四時間もあるのか~、暇だなあ。昼寝でもしてようかなぁ」
壁に寄りかかりながら欠伸をしている妹紅を横目に、私は考え事をしていた。
(まず問題点が二つあるんだよな)
一つ目の問題は、先程妹紅に指摘された通り外の世界だと魔法が使えない事。
恐らく博麗大結界が出来る20世紀以前なら、場所を気にすることなくどこでも使えるのだろうが、それ以降の年代になると科学の発展により外の世界の幻想が失われてしまう。
つまり実質、幻想郷の中でないと時間移動が使用できないということになる。
この世界線の未来のように幻想郷が滅亡してしまっていた場合、未来への一方通行になってしまい過去に帰れなくなってしまう。
幸い妹紅のおかげで事なきを得たけど、今後も時間移動を繰り返す以上、この致命的な問題は改善しないといけない。
そしてもう一つの問題は妹紅との時間移動についてだ。
彼女の魂は他の人間や妖怪とは違って〝質量″が違うので、魔力を多量に消費してしまう。
少なくともあと一回は、彼女を元の時代に帰す為に時間移動しなければならないので、これも改善する必要がある。じゃないとまた跳んだ先の時間で気絶しかねない。
幸いこのどちらも改善すべき所は明白なので、苦労することはないだろうと思う。
私は早速行動を起こすことにした。
「なあ妹紅」
「ん、なに?」
「私一度215X年に戻るわ」
「はあっ!? なんで?」
こっくりこっくりと舟を漕いでいた妹紅は、釣り針に掛かった魚のように食いついてきた。
「さっき妹紅が話していた通り、私は幻想郷の外に出ると魔法が使えなくなる。だから一度元の時代に戻ってその辺りを改善しないといけないんだ。留守番なら一人で充分だろ?」
「まあいいけどさ。ちゃんと帰って来いよ?」
「分かってるさ。時間は……そうだな、今から5分後には戻って来るよ」
そうして跳ぼうとしたところで、重大な事実を思い出す。
「しまった、ここで移動したらまたあの結界に閉じ込められるな」
「結界? なんだそりゃ?」
「215X年の博麗神社はさ、妖怪の力を封じ込める結界が張り巡らされているんだよ。その代の博麗の巫女が妖怪嫌いらしくてさ」
「ふ~ん」
それから逃れようとしたのがきっかけで西暦300X年に跳ぶはめになり、結果として幻想郷の滅びの未来を変えるために奔走しているのだ。
本当に世の中何が起こるか分からないな。
「境内から少し出た所から跳ぶか」
そう呟き神社から出ようとした時、「……ねえ魔理沙」と神妙な声で呼び止められた。
「なんだ?」
「……いや、やっぱり何でもない。忘れてくれ」
「何だよ? そんな思わせぶりな言い方されたら気になるじゃないか」
「本当に何でもないんだ。これは私の心の弱さだから」
「はぁ?」
それっきり妹紅は黙り込み、口を開く気配がなかった。
妹紅の不可解な言動に首を傾げつつも、私は神社を出た。
そして参道から続く階段を少し降りていき、ちょうど中段辺りで立ち止まった所で呟く。
「確か跳んだのが9月18日の午前11時だったから……その二時間後に設定すればいいか」
そうして改めて時間移動を開始して、350年前に戻って行った。
――西暦215X年9月18日、午後一時――
タイムジャンプが成功して、指定した時間に戻って来た私は、背中から感じる結界の気配を察してすぐさま博麗神社から逃げ出した。
幸いあの博麗杏子が襲撃してくることはなく、息を切らしながらも無事に自宅へと戻って来る事が出来た。
「はあっ、はあっ」
そして呼吸を整えてから扉を開いて中に入り、玄関にある帽子掛けにウィッチハットを吊るす。
とその時、モワッとした汗の匂いが鼻に付く。
「……折角だしシャワーでも浴びてこようかな。この服少し匂うし」
客観的な時間では〝今朝″浴びたばかりなのだが、神社で死にそうな目にあったり250X年で泊まったりなどと色々あって、主観的な時間では丸二日以上経過している。
それを意識した途端、体のべたつきを感じて少し気持ち悪いと感じ始めてきた。
「うん、やっぱり入ろう」
私は入浴の準備を始め、それを終えた後、更衣室の扉をガチャリと閉めた。
「ふう~さっぱりしたなぁ」
軽くシャワーを浴びて浴室から出た私は、隣接されている更衣室でバスタオルを手に取り、身体に付いた水滴を拭う。
その後下着を履き、クローゼットに掛けてある予備のエプロンドレスに着替えた。
そして洗面台の前に立ち、ドライヤーで髪を乾かしながらウェーブ状に櫛で整えて、髪を右側だけおさげにして結びリボンを付けた。
「よおっし、完璧!」
一通り身なりを整えた私は、意気揚々と更衣室を出た。
それからキッチンに向かい、ヤカンでお湯を沸かした後、戸棚に入っているインスタントコーヒーの粉末をマグカップに入れる。
数分後に水が沸騰してから私はマグカップにお湯を注ぎ、リビングのソファーに腰かける。
身体を包み込むくらいフカフカなクッションに背中を預け、淹れたてのインスタントコーヒーを飲みながら寛いでいた。
「この時代の幻想郷はこんなにも平和なのになぁ。未来ってのは本当に分からないものだな」
ガラス越しに窓の外を覗いてみれば、色付き始めた紅葉がちらほらと窓に張り付き、赤とんぼが空を舞っていた。
春から秋に色濃く変わりゆく季節は美しいもので、これも時間移動の醍醐味の一つなのかな、と私は思う。
しばらく頭を空っぽにしてぼんやりと外の景色を眺めていたが、マグカップの中身が空になった頃、思い立ったように立ち上がる。
(……さて、そろそろ動き始めようかな。どこかに紙と書く物はないか)
マグカップをキッチンに置いてから部屋中を探し回り、やがて机の引き出しの中に真白なA4サイズの紙束と万年筆を見つける。
「ちょうど良い。これを使うか」
私は机に向かった後、紙束から一枚引き抜いて自分の前に並べる。
それからタイムジャンプ魔法の魔法式の一部分を書き出していき、数分後にはA4サイズの紙半分が魔法式で埋め尽くされていた。
そして該当する部分を改竄して別の魔法式へと書き直していく。
(この箇所を置換して……と。こんな感じかな)
私は先程紙に書いて訂正した箇所を脳内で構築していき、タイムジャンプ魔法の〝重さに関する制限値″を緩和させた。
「これでよし」
次に妹紅と一緒に跳ぶ時、前回のように気絶することはなくなるだろう。
随分呆気ないと思うかもしれないけど、一から魔法を創る時よりもとても簡単なので、少し改善するだけなら30分も掛からずに終わってしまうのだ。
「次は妖怪の山に向かうか」
私は立ち上がり、帽子掛けに掛かっているウィッチハットを被って家を発った。
妖怪の山の麓にある玄武の沢に降り立った私は、森の中を流れる川の流れに沿って河川敷を歩いていた。
玄武の沢は歩いて渡れる程度に川幅が狭く、腰に浸かるくらいの水深で川底がくっきりと見える程透き通っている。
川中にはアユやイワナといった淡水魚が泳いでいて、下流にある人里では飲用水や食料源として重宝されている。
更にこの時期は落葉樹から舞い落ちた木の葉が水面に浮かび、とても風情のある風景となっているが、妖怪の山という地理条件からここに来れる人間はおらず、この素晴らしい景色を満喫出来るのは妖怪ばかりだ。
さて、私がここに来た理由。それは外の世界で魔法を使えるようにするためだ。
ガソリンを入れないと車が動かないのと同じように、どんな魔法も発動するにはマナという燃料が必要だ。
あらゆる生命の源たる水場は他の場所と比べてマナが蓄積されやすく、集めるには持って来いの環境だ。
「さて、どの場所が良いかな?」
キョロキョロとしながら歩いていると、「お~い盟友ー!」と聞き覚えのある元気な少女の声が聞こえてくる。
「ん?」
「ここだよー!」
川上の方を見てみると、川の流れに身を任せながら手を振るにとりの姿があった。
「にとりじゃないか! 何してるんだー?」
そう呼びかけると、にとりは川を泳ぎはじめ、私の目の前で川から上がる。
「最近河童の川流れっていう故事がある事を知ってね、実際に試していた所なんだよ」
「……へぇ。それでどうだったんだ?」
「水が冷たくて気持ち良かったよ。今が真夏だったらもっと最高だったかな」
にとりはあっけからんとした様子で答えていた。
(河童の川流れってそういう意味だっけか?)
どうもにとりは意味を履き違えているようだけど……。
「まあそんな事はどうでもいいんだ。それよりもさ、あんたに頼まれていた物が遂に完成したんだよ!」
「は?」
「いやー長かったなぁ~。私の発明人生の中でも一二を争う傑作だよ。我ながらこんな物を創り出してしまう自分の才能が恐ろしいね!」
「ちょっと待ってくれ、何のことかさっぱり分からないぞ」
一人で盛り上がっているにとりに私は困惑していた。
時間移動の研究に着手してからというものの、私はアリスとパチュリーくらいしか頻繁に会う事はなかったし、それも〝霊夢を救出する前″の世界線の話だ。
この世界線での〝私″は100年前に亡くなっている筈なのに、にとりはまるでつい最近にも私と会って話しているような反応をしている。
これは一体どういう事なんだろう?
「うんうん、分かってる分かってる。そんなに心配しなくても、約束通り皆にはちゃんと内緒にしてあるからさ、安心して?」
気安く私の肩をポンと叩くにとり。
「【来るべき時が来たら私の元においで】。こっちはもう準備が出来てるからさ。それじゃあね~!」
「あっおい!」
にとりは再び川に飛び込み、そのまま下流へと流されて行った。
「……何だったんだ一体」
結局彼女とは最後まで話が噛み合わなかった。
(でもにとりが嘘を吐くとは思えないし、頭の片隅に留めておくか)
私は再び歩き出した。
しばらく河川敷を歩いていると、水面が叩きつけられるような音が微かに聞こえて来た。
「もしかして!」
急いで駆けつけてみるとそこには落差およそ5m程度の滝壺があり、水面から飛び跳ねた水しぶきが霧を作り、この一帯だけ気温がガクっと下がっていた。
「お、この辺りが良さそうだな。ふうー」
私は一度深呼吸をして、精神を落ち着かせていく。
魔法とはとても曖昧なもので、術者の精神状態によって効果が大きく左右されてしまうために、気持ちが不安定だと狙った通りの効果を導き出せない。
なので魔法使いには常に冷静である事が求められる。
これは万国共通、恐らく世界が変わっても不変の法則だろう。
ちなみに敢えて感情を剝き出しにする事で大きな効果を得る魔法もあるらしいけど、それは全体で見れば1%程度に過ぎないので、やはり冷静沈着である事が一番大切なのだ。
「よし」
気持ちを充分に落ち着かせた所で、私は滝壺の周囲に漂っているマナを手繰り寄せるように集めていき、同時に頭の中で呪文を唱えていく。
空気の流れが変わっていき、大気中に含まれているマナの密度がさらに濃厚になり、辺り一帯は濃霧に包まれていった。
「――――――」
小声でブツブツと呪文を唱えながらその濃厚になったマナをさらに凝縮していき、手の平に一粒のカプセルを創りだした。
敢えて名前を付けるとしたら、【マナカプセル】と呼ぶべきだろうか。
これを飲めば身体から流出した魔力が回復し、魔法が使えるようになる。
これ一粒で普通の魔法なら十発、マスタースパークは一発、タイムジャンプ魔法は二回使える計算だ。
私はしばらくこの一連の動作を繰り返し、マナカプセルを創りだして行く。
やがてそれを十個創り出したところで、周囲の霧が薄くなっていき、さらには流水量や周囲の木々が萎れていってるのを見て呪文の詠唱を中断する。
どうやら周囲のマナが枯渇しつつあるようだ。
これ以上は環境に良くないと判断した私はその場を後にした。