200X年8月7日
パチュリーから借りた魔導書を読み始めて早三日、私は未だに悩んでいた。
「駄目だー! さっぱり分からねー!」
魔導書に書かれている時間移動の理論について、未だにとっかかりというものが掴めず、机に座ったまま髪をワシャワシャと掻き毟る。
例えるなら、冷たい・甘い・お菓子と言えばアイスクリーム、柔らかい・甘い・丸いと言えばドーナツ。のように、今まで読んできた数々の魔導書からは連想ゲームのように結論へと結びつけることができていた。
ところが、この魔導書に記されている内容からはそのように連想させるキーワードが何一つ思い浮かばず、疑問と謎だけが増えていく。
「……こうなったら仕方ない。パチュリーに聞きにいくか」
(あまり見栄をはっていても仕方ないしな)
私は立ち上がり、箒を取って紅魔館へ飛び去って行った。
魔法の森の上空を遊覧飛行のようにフラフラと飛びながら目的地へと向かっていた時、ふと、遠くに私と同じような感じで飛んでいる人影を見つけその場に静止する。
(ん、あれは早苗じゃないか?)
声を掛けるかどうか迷っていると、早苗は私に気づいたようで、手を振りながら此方に飛んできた。
「魔理沙さんじゃないですか! 久しぶりですね~!」
ニコニコとしながら話す早苗に、私は「そうだな。大体二週間ぶりくらいか?」と気のない返事をする。
「アリスさんからあらかたの事情は聞きました。魔理沙さんは霊夢さんの事をまだ……」
「…………」
「その、元気出してくださいね? 確かに霊夢さんの事は残念ですが、いつまでも落ち込んでいたら天国の霊夢さんに怒られてしまいますよ?」
「……分かってるさ、その為に私は……」
手の平をギュッと握りしめて拳を作る私に、早苗は何かを察したように黙り込むが、この瞬間私の中で天啓が閃いた。
「そうだ! 早苗の持つ奇跡の力で霊夢を復活させることは出来ないか?」
もし、早苗の力で復活が出来るのなら、もう一度会って霊夢と話したい。そんな願いを込めて訊ねた私だったが、帰って来た答えは無常だった。
「そんなの無理ですよ! 幾ら奇跡を起こす程度の能力と言っても、流石に死者を復活させるレベルともなると、力を発揮出来るのに何千年掛かるか分かりませんよ」
「そうだよな……、やっぱりそう都合良くは行かないよな」
早苗は霊夢とも親しい仲だったんだから、それが出来るのならとっくにやっていたはずだ。僅かでも期待するのが間違いだったんだ。
「神様でもない限り、死んだ人は生き返りません。ですから私達が霊夢さんの分まで生きていかないと、申し訳が立たないですよ」
「……そうだな」
霊夢の事が話題になる度に、私の胸はヒビが入るように痛み出す。
「そ、そういえば! 私これからアリスさんのお家に遊びに行くんですけど、良かったら魔理沙さんも一緒にどうですか?」
「……悪いな早苗。私は紅魔館に行く用事があるんだ」
「そうですか。ではまた今度お話しましょうね! 絶対ですよっ!」
「ああ、また今度な」
終始一貫して暗い気持ちの私に、早苗は気遣うような態度で律儀に話し、ペコリと頭を下げた後、魔法の森の上空を飛んで行った。
私もまたその後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、紅魔館へと向かった。
紅魔館へと辿り着いた私は、居眠りしている門番の横をすり抜けて建物の中へと入り、脇目も降らずに大図書館へと向かうが、その最中、廊下でばったりとレミリアに遭遇してしまった。
彼女は私の姿を視界に捉えると、ご機嫌な様子で挨拶をしてきた。
「あら、魔理沙じゃないの。おはよう」
声を掛けられた私は、無視するのも悪いので、立ち止まって挨拶する。
「……おはようレミリア。随分と早起きなんだな?」
現在時刻は午前9時過ぎ。夜の世界に生きる吸血鬼にとって最大の弱点である太陽がとっくに昇りきっている時間で、普通ならぐっすりと眠っている時間の筈だ。
「いつもこのくらいの時間に起きてるわよ? 人間達と同じ生活習慣にはもう慣れたわ」
「はは、そうか」
吸血鬼が朝方の生活習慣というのも変な話だが、それも些細な事だろう。
「ところで魔理沙はどうやってここに入って来たのかしら? 美鈴はどうしたのよ?」
「アイツなら壁に寄りかかるようにしながら寝てたぜ。とてもとても気持ちよさそうにな」
「……はあ。全く、幻想郷に来てからというもの、どうも昼寝癖が付いてしまってるわね。平和ボケしてるのかしら?」
「そうかもしれないですね。後で厳しく言っておきますわ」
「うわっ! びっくりしたぁ。急に出て来るなよ!」
突然レミリアの隣に現れた咲夜に私は驚いてしまったが、レミリアは平然としながら彼女に話しかける。
「あら、咲夜。もう準備が出来たの?」
「はい。玄関に一通り荷物の準備ができております」
「ご苦労さま。ふふ、貴女は最高のメイドね。とても誇らしいわ」
「お褒めに与り光栄でございます」
咲夜は仰々しいまでに、レミリアに一礼していた。
「これからどこか出かけるのか?」
「たまには人里にでも赴いてみようかと思ってね、咲夜に準備させていたのよ」
「ふーん」
「貴女はパチェの所へ向かうつもりなのかしら?」
「まあな」
「そういえば貴女に盗られた本が全部返って来たって驚いていたわね。今までは『死ぬまで借りていくぜ~』なんて言ってたのに、どういう風の吹き回しなのかしら?」
「……どうしても成し遂げたい事があってな。その為にはパチュリーの協力が必要ってだけだ」
「へぇ……!」
私の言葉の何がおかしいのか、愉悦の笑みを浮かべるレミリアは、私の正面に移動し、顔をじっと見上げた。
吸い込まれそうな真紅の瞳に、一体何なんだ? と思いつつ、負けじと私もじっと睨みつける。
「……ふーん。貴女、中々数奇な運命を辿るようね?」
「は?」
「まるで複雑に絡み合った糸みたいに、沢山の運命があるわね。つい最近まではここまでごちゃごちゃになっていなかったのに不思議。ウフフ、この目で結末を見れそうにないのが残念だわ」
「一体何を言ってるんだよ?」
レミリアは時々思わせぶりな事を言う。果たしてこれは彼女の〝運命を操る程度の能力″に関係する事なのか。はたまた、私を驚かせるためのただの気まぐれなのか。
「〝貴女は将来大きな決断を迫られる事となるでしょう。その時が来たら自分の心に従い、後悔のない選択肢を取りなさい″」
「……なんだよそれ?」
「今は分からなくても結構。ただこの言葉を覚えておきなさい。然るべき時が来たらその意味を理解出来るでしょうから。――さあ、咲夜。出掛けるわよ」
「畏まりました。お嬢様」
レミリアは意味深長な言葉を私に投げかけたまま、咲夜を連れ立って玄関の方へ歩いて行ってしまった。
その後ろ姿を見送った私は途方に暮れる。
「なんだったんだ一体。……まあ、いいか。図書館へ行かないとな」
とりあえず頭の片隅にしまい込み、私は図書館に向けて再び足を動かし始めた。