西暦215X年9月19日――――
翌朝、玄関の扉を叩く音で私は目を覚ます。
「ん……」
窓からは暖かな日差しが差し込み、寝ぼけ眼で壁掛け時計を見てみると、現在の時刻は朝の9時。
こんなにも長く眠ってしまうなんて、私も気づかなかっただけで相当疲れが溜まっていたらしい。
そんな風に状況を整理している今もなお、ノックの音が聞こえてくる。
「はいはーい! 今出るよ!」
私はソファーから飛び起きて玄関の扉を開く。
「こんにちは、貴女が霧雨魔理沙さんね?」
そこには、高貴な身分を連想させる着物を着た、長い黒髪が目を引くとても綺麗な女性が立っていた。
「へぇ、あの新聞は本当だったのか。たまには真実も載っているんだな」
彼女の隣にはもう一人、青いワンピースを着た女性もいて……確か人里で教師をやってる上白沢慧音だっけかな。その二人が玄関先に立っていた。
私を見ながら何やら関心した様子の慧音は放っておき、最初に話しかけて来た黒髪の女性に返事をした。
「あんたは確か永遠亭の……えっと……」
確かに見覚えはあるのだが、名前が思い出せずここで言葉が詰まってしまう。
すると彼女は、いたずらっぽく微笑みながら答える。
「あら、忘れちゃったの? 私の名前は【蓬莱山輝夜】よ?」
「おお、そうそう! 思い出した思い出した」
何せコイツは永遠亭に行っても全然顔も見せないし、普段から何をしているのか全く持って分からないので印象が薄い。
「それで輝夜、こんな遠い所まで来るなんてよっぽどのことがあったんだろ? 私に何の用だ?」
「私の持つ永遠と須臾を操る程度の能力。特に後者の能力が珍しく効果を発揮してね、この時間軸の歴史が変わったことを察知したのよ」
「!!」
予想だにしていなかった言葉に私は驚愕するが、輝夜はさらに話を続けていく。
「それでね、一体誰が歴史を変えたんだろう? って思って探していたら人里でこんな新聞が配られてたのよ」
そう言って手渡されたのは、【文々。新聞】と題字が書かれた表裏一枚だけ印刷された新聞だった。
一面には号外の文字が踊り、私が魔法の森上空を飛んでいる写真と共に、『怪奇! かつて幻想郷に数々の旋風を巻き起こしたお騒がせ魔女が出没!?』と見出しが記されていた。
「アイツいつの間にこんな記事を……」
これは客観的な時間で昨日の朝の話だろう。
カメラを向けられた覚えはなかった筈なのに、抜け目のない奴だな。
「聞けば貴女って今からちょうど100年前に死んだらしいじゃない。それなのに今ここにいるってことは歴史が変わったって事でしょ? だからちょっとお話を聞かせてもらいたいなあって。ダメ?」
手を合わせてウインクしながら可愛らしくお願いする輝夜。
男性相手ならばメロメロになる仕草なのかもしれないが、私は女なので特に何の感情も浮かんでこない。
「まあ別にいいけどさ。慧音は何の用だ?」
「私も彼女と似たような用事だ。もし幻想郷の歴史を変えたのなら、歴史の編纂をする者として話を聞かせてもらいたい」
(そういえばそんなことやってたな)
人里の守護者として働いている彼女には、昔色々とお世話になったこともある。特別に断る理由もないだろう。
「なるほどね。んじゃま立ち話もなんだし入ってくれ」
「お邪魔しま~す」
「へえ~ここが魔理沙の家か。意外と綺麗にしてあるんだな」
「『意外と』は余計だ。取り敢えず適当なところに掛けててくれ。今コーヒー淹れてくるから」
慧音と輝夜を促した一方で、私は台所に向かう。
そしてインスタントコーヒーを人数分淹れてから、私が寝ていたソファーの正面に並ぶように座っていた輝夜と慧音に渡す。
「ありがとう」
慧音は普通に受け取り、輝夜は「最近のコーヒーは安物でもいい香りがするのね。なかなか悪くないわ」と言いながら口にしていた。
「それは嫌味か」
「え、思ったことを言っただけだけど?」
キョトンとしている輝夜からは悪意は感じられず、本当にただの感想として話しているようだ。
「はあ、まあいいけどさ」
私も安物を出したので強くは言えないが、どうもこのお姫様は天然というかなんというか。
「魔理沙。早速だが話を聞かせてくれないか?」
「そうだな、何から話せばいいか。まず私自身の話だけど――」
そう前置きし、私は時間移動を覚えるきっかけとなった出来事を語っていった。
「――と、言うわけなんだ」
「……なるほど。あの霊夢が自殺とは考えられんな」
「あの鬼巫女、私のことを遠慮なくボコボコにしたからねぇ。彼女の性格的に自殺なんてするようには思えないけど」
「私も信じられなかったけど、実際に起こってしまったんだ。それから私は150年掛けて時間移動を独学で習得して、過去に戻って霊夢の自殺を回避してきたってところかな」
「150年とは……その執念は賞賛に値すべきモノなのだろうな」
慧音が深く感心したような言葉を述べる一方で、輝夜はさもどうでもよさそうにこう言った。
「あの巫女が亡くなった原因って何だったのよ?」
「カバみたいな形の悪夢を見させる妖怪でな。連日自分が死ぬような悪夢を見せて、霊夢を精神的に追い詰めていったんだ」
「なんだかありきたりな理由ね。もっと劇的なドラマがあってもよさそうなのに」
「そういうのはもうお腹いっぱいだよ。輝夜は他人事だからそんなことが言えるんだ」
現在進行形で抱えている未来の幻想郷の問題を考えれば、たった一度の時間遡航で過去を変えることが出来たのは僥倖だろう。
「しかし弱ったな。まさか霊夢が200X年に死んでいたのが正史だったとは、どう編纂したら良いものか……」
「それは違うわよ上白沢さん。世界は可能性の数だけ無限に存在するの。ここにいる彼女がいた世界がたまたま博麗霊夢が自殺する選択肢を取ってしまった世界だったってだけ。歴史が変われば認識も変わる。それを察知するのは特別な能力でもない限り不可能よ」
「ふむ、だとすると、魔理沙のようにまた別の世界にいる同一人物が来ることもあるのか?」
「ないとは言い切れないけどその可能性は皆無よ。例えるなら世界とは一本の巨大な木みたいなもの」
「巨大な木?」
「根っこを私達がいる宇宙だとするなら、幹は幾つもの可能性を内包する世界、枝は可能性の具現化、葉はさながらこの世界に息づく命といったところかしらね。そこから伸びた枝が交差する事は決してないわ。けれど彼女だけは例外。枝から枝へ移動することも出来るし、枝から幹に戻ることも出来る。伸びきった枝を切り落とす事も出来るし、その枝を伸びる前に戻すことも出来る。幹から新たに枝を生やす事もできちゃうし、幹そのものを枯らすことも出来るわ。葉っぱでしかない私達が幹に干渉するのは不可能だけれど、それを可能にしてしまうのがタイムトラベルなのよ」
「ふむ……」
「…………」
長々と語った輝夜の言葉に慧音はうなったまま考え込み、私も雰囲気に呑まれ黙り込んでしまう。
それは私の考えていた世界の仮説に結構近く、思考を読んでいたのかとさえ錯覚してしまうものだった。
「輝夜はどこまで知ってるんだ?」
「流石にすべてを見通せるわけではないわ。ただ、私の能力の特性として人々の可能性を集めて異なった歴史を持つことが出来るだけ。だから私はどこにでもいるし、どこにもいないのよ」
「はあ……」
相変わらず輝夜の能力は意味が良く分からない。
現に慧音も言葉の趣旨がつかみきれず、困った顔で輝夜を見ているじゃないか。
「あーあ、それにしても本当につまらないわね。それだけの力を持っておきながら、やることがたった一人の女の子の死期を変えただけなんて」
「つまらないとはなんだよ! 私にとっては非常に大きな事だったんだぞ!」
思わず立ち上がり食って掛かるように主張するが、輝夜は座ったまま手を振るジェスチャーをする。
「ああ、違うの。決して貴女のした事を蔑むつもりはないのよ。ごめんなさい、言葉の綾だわ」
「……ならいいけどさ」
溜飲が下がった私は着席する。
「私が言いたかったのはね、もっと派手に大それた事をするつもりはないの? ってことよ。だってそれだけ大きな力を持ってるんですもの。自由に振舞ってもよいのではなくて?」
「そう言われてもなぁ。だってむやみに歴史を変えるのは良くないだろ」
バタフライエフェクトという言葉があるように、何がきっかけとなって歴史の改竄が起こるか分からないのだ。
仮に何かのはずみで科学の発展とは別の原因で幻想郷が滅亡でもしてしまったら、取り返しのつかないことになってしまう。
そうなってしまえば、元の歴史に戻すことや、原因の特定にも大変苦労することになる。
「魔理沙の言う通りだぞ。気分次第で適当に歴史を変えられたら、現在が滅茶苦茶になるかもしれないじゃないか」
「でも私はもう毎日が退屈していてね、生に飽きた、とでも表現した方が良いかしら。そんな気分なのよ」
普通の人ならば、『生きていれば良いことも嫌な事もある』みたいなありふれた言葉で激励されるかもしれないが、輝夜に限っていえばそれは例外だ。
途方もない時間を生きてきた蓬莱人の彼女にとって、趣味や目標といった人生の道標となり得るものは全てやり尽くしてきたのかもしれない。
「だから何かもっと面白いことが起こって欲しいわ」
「また何か異変を起こすつもりじゃないだろうな?」
「そんな怖い顔しなくても大丈夫よ上白沢さん。異変はもうあれっきりで懲りてるわよ」
そんなやり取りを聞いて、ふと思い当たる節が。
「お、そうだ。デカい事といえば私に少し心当たりがあるな」
「心当たりがあるの!? なになに?」
「正気か?」
「そんな怖い顔しないでくれ慧音。これはな、幻想郷にとっても悪い話ではないんだ。あのな――」
これまでの経緯を話し、月に行く方法について何かいい案がないかと訊ねようとしたその時、階段から降りて来る足音が聞こえてきた。
ここで訪ねて来た慧音と輝夜の詳細については
『第25話 幕間 人里にて』で描写しています