妖怪の山を出てゆらりゆらりと跳び続ける事15分、ようやく永遠亭がある迷いの竹林が見えて来た。
「見えて来たわね」
「ああ」
迷いの竹林とは人里近くに存在する広大な竹林だ。
ここに生い茂る竹はとても成長が早く、しかも日々変化するために目印を付けづらい。加えて緩やかな傾斜により方向感覚も狂うため、一度入ったら二度と出られないと言われている事からこの名が付けられている。
空を飛べばいいじゃないか、と思った人もいるだろうが、竹林には常に霧が立ちこめているため真っ直ぐ突き進むのが難しく、それは竹林上空も例外ではない。
まさに魔境と呼ぶべき恐ろしい土地だろう。
「しっかり付いてきなさいよ?」
無言で頷き、私は迷いの竹林の中に突入した。
そこは外から見ても分かる通り、数えるのも馬鹿らしくなる程に竹が鬱蒼と生い茂っていて、道らしき道は何もなく、早くもどこが北でどこが南か分からなくなって来た。
そんな天然の迷宮を一筋の迷いなく先行する輝夜を目印に、竹と竹の間を縫うようにゆっくりと飛んでいく。
「しっかしこうしてみるとほんっとに竹ばっかだな。よくこんな立地に住んでいられるなぁ」
「住めば都って言葉があるでしょ。まさにそれよ」
「へぇ、そんなもんなのか。迷ったりしないのか?」
「一見目印とかないように思えるけど、長く住んでいるとその辺も感覚で分かるのよ」
「ふーん……」
会話もボチボチにずっと飛んでいくと、やがてぽっかりと竹が綺麗に刈り取られた一帯に出る。霧が晴れて空がはっきりと見えており、陽光が巨大な屋敷を照らしだしていた。
なまこ壁に覆われたその屋敷は、古来から続く由緒正しい大名屋敷のように格調高く趣を感じさせるもので、ここに元から建っていたと錯覚させるほど自然に溶け込んでいる。
間違いない、あれが目的地の永遠亭だ。
「やっと着いたわね。今回は何事もなく辿り着いて良かったわ」
「おい、なんだよその含みのある言い方は」
「さて、なんでしょうね」
永遠亭の敷門の前に降り立った私と輝夜は、そこをくぐって敷地内に入った。
奥にある建物へと続く石畳を歩く途中、ふと庭の方を見てみれば、地面にびっしりと敷き詰められた砂利の上に流れるような波模様が描かれた美しい枯山水が目に入った。
「これまた素晴らしいな。白玉楼の庭も凄かったがここもかなり凄いぞ」
「ふふ、ありがと。兎たちに伝えておくわ」
そしてやっと玄関に辿り着いた私は、引き戸を開けて中に入って行った。
「お邪魔するぜ~」
玄関で靴を脱いで永遠亭の中に上がった私は、先を歩く輝夜の後についていく。
すれ違える程度の幅の廊下の横、幾つもの襖や障子が閉められている中、私から見て右側の襖が開いているのに気づく。輝夜もそれに気づいていたようで、その部屋の前で立ち止まり視線を向けていた。
私も同じようにそっちを見てみると、7畳程の畳部屋にウサ耳を生やした長い薄紫髪の少女が一人、こちらに背を向けてせっせと竹編みの薬籠に薬を詰めていた。
(アイツ確か鈴仙だよな?)
何故か立ち止まった輝夜に視線を送ると、口元で指を止めるジェスチャーをしていたので、開きかけた口を閉じる。
そして輝夜は気配を殺しながら抜き足差し足ゆっくりとその背中に近づいて行き、手の届く距離まで近づいたところで飛びついた。
「ただいまイナバー!」
「うひゃああああああ!!」
不意打ちを喰らうようにのしかかられた鈴仙は素っ頓狂な声を挙げながら畳に倒れ込み、ひっくり返された亀のようにもがいていた。
さらにその衝撃で籠が横転し、中に詰められた薬類が畳の上に散らばってしまった。
「い、いきなり何をするんですか輝夜様!」
「クスクスクス、なにもそこまで驚かなくてもいいのに」
「いいから早く退いてください! お、重い……」
「はいはい、分かったわよ。ふふっ」
輝夜は堪え切れない笑いを浮かべながら鈴仙の背中からそっと退いた。
「イタタタタ」
鈴仙は背中を抑えながら起き上がって周囲を見渡した時、再び大声をあげた。
「ああーっ! せっかく詰めたのにまた散らかってる……。トホホ、またやり直しかぁ」
その心情を表すかのように、鈴仙の耳はしょんぼりと折れ曲がりクタクタになっていた。
(あの耳面白いな)
やがて鈴仙は大きくため息を吐きながら立ち直り、畳の上を這いずり回りながら薬を拾い始めていく。
「はぁ……。ところで、輝夜様はいつ此方に戻られたんですか?」
「ついさっきよ。私の目論見は間違っていなかったわ。証拠にホラ、廊下の方見てみなさいよ」
その言葉に鈴仙は手を止め、四つん這いの恰好のまま首を此方に向ける。
私と鈴仙の視線が交錯し、何とも言えない間が流れた後、彼女はポツリとつぶやいた。
「うわっ、ほんとに魔理沙さんだ。あの新聞の情報は噓じゃなかったんだなぁ」
あの新聞とは間違いなく文々。新聞のことだろう。
輝夜と慧音も人里で新聞を受け取り、コイツ自身もよく人里に赴いて薬売りをしているのできっとその時に知った筈。
だが私はそんなことよりも聞き捨てならない発言があった。
「おい鈴仙。今の『うわっ』てなんだよ。失礼なやつだな」
「自分の胸に手を当てて考えてみてください。そうすれば自ずと分かる筈です」
「なんだよそれ……」
この時間軸に生きた〝霧雨魔理沙″は、よほどやんちゃなことをしでかしていたのだろうか。
ここに居る私とこの世界線で生きていた〝霧雨魔理沙″とは考え方も信条もかけ離れてしまっているために、心当たりがない。
とはいえ、表情や声色を読む限りでは明確な拒絶や嫌悪感を抱いているわけではなさそうなので、深刻に捉える必要はないのかもしれないが……。
「まあそんなわけでね、今から永琳の元に行くところなのよ」
「はあ、そうなんですか」
そして輝夜は廊下に戻り、「それじゃあね。お仕事頑張って」と声を掛けてから奥へ歩いていき、場に再び奇妙な空気が流れた。
「……まあその、なんだ。頑張れよ」
「うう、まさか魔理沙さんにまで優しい言葉を掛けられるなんて……」
(本当にこの時間軸の〝私″は何をしでかしたんだよ……)
昔の自分の行動に首を傾げつつ、私もその部屋を後にした。