嬉しいです。
タイムジャンプを宣言した直後、先程までの明るい青空から一転し、とても真っ暗な空間に出ていた。
「なんだ? もう宇宙に出たのか?」
「いや、それにしては星も見えないしなんか変だよ。こんなに時計が沢山浮かんでいるなんて」
不安そうに喋るにとりの言葉通り、この空間の中には様々な形をした無数の時計が漂っており、そのどれもが統一性もなく滅茶苦茶な時間を指していた。
「しかもこの地面に敷かれた白い線はなんだ? 規則性があるようでかなりめちゃめちゃじゃないか」
妹紅の言葉を聞いて地上を見てみると、黒く塗りつぶされた大地には真っ直ぐに引かれた白線が縦横無尽に書きなぐられており、その果ては見えない。
二人はこの状況に困惑しているみたいだったけど、私にはこの場所に見覚えがあった。
(ここはいつかの……)
一番最初に215X年から200X年に戻り、霊夢の過去を変えて再び215X年に跳んだ際に垣間見た謎の空間。こうして私の前に再び現れた事で、あれが夢ではなかったのだと改めて認識した。
(あの時はどうやって出たんだっけかな……)
途中で意識を失ってしまった為、その後がどうしても思い出すことが出来ない。
「あー! よく見たらエンジンや計器も全部止まってる! どうなってるの!?」
にとりは悲鳴にも近い叫びを上げながら、ボタンを色々と押し、宇宙飛行機を動かそうと努力していた。
「魔理沙は何か分からないのか? タイムジャンプしてからこんなことになってるんだぞ?」
「…………」
若干の非難を含む声色で私に訊ねてくる妹紅に何も答えることができず、顔を窓側の方へと背けてしまう。私だって、今何が起きているのかさっぱり分からないので答えようがないし。
と、その時、視界の隅にキラリと輝く一抹の光が見えた。
「にとり、ちょっとハッチを開けてくれるか?」
「え? どうして――」
「いいから頼むよ!」
「わ、分かったよ」
「どこへ行くんだよ魔理沙!?」
妹紅の言葉を背に私はヘッドセットを脱ぎ捨ててコックピットを飛び出し、ゆっくりと開いていくハッチが完全に開ききるのも待たずに外へと飛び出した。
暖かくも寒くもなく、そして疲労感すらも全く感じず自らの足音だけが響き渡る奇妙な空間の中を、コックピット内から見えたほんの僅かな光目がけて走って行く。
やがて宇宙飛行機の機体が豆粒のように小さくなるくらいまで駆けた頃、その光の元へとようやくたどり着いた。
「これは……!」
光の正体、それは私の腰くらいの位置に浮かんでいる懐中時計だった。
外縁は金色に施され、文字盤には巧みな意匠が施されており、手に取ってみれば超自然的な力強い脈動を感じ、これは只の時計ではないとすぐに理解した。
そしてこの時計は長針、短針、秒針共にⅫの部分を指しており、カチ、カチ、カチと針を刻む音がするものの秒針は全く動いていなかった。
(針の止まった時計か……、いや、これは針が〝動けない″時計なのか?)
針が刻む音は確かに聞こえてくるのに、まるで何かに阻まれているかのように秒針が進もうとしない。これは一体何を暗示しているのか。
(今までこんなことは起こらなかった。最初に時間移動をした時もこんな場所に連れてこられはしたけど、結果的にみれば時間移動そのものは成功していた……)
あの時との違いは何だろうか? それはもはや考えるまでもない。
(……もしかして、超高速で移動中にタイムジャンプしたからこんなことになってしまったのか? それとも宇宙に出ようとする瞬間に跳んだからこうなったのか?)
まだ原因を断定出来るわけではないが、一番の違いはこれらにある。ならば私はどうすれば良いのだろう。
(たぶんだけど、この時計はこの空間の象徴的な存在なんだ。その針が動かないのなら時間移動はいつまで経っても終わらない――かもしれないな)
この懐中時計に何かヒントがある、と判断した私はより詳しく調べてみる。
ところがその最中どこか変な場所を押してしまったのか、懐中時計の裏蓋が僅かにズレてしまい、その隙間から中の歯車が剥き出しになってしまった。
「や、やばっ」
慌てて戻そうとするものの、無理矢理にでも力を強く込めれば簡単に曲がってしまいそうなので、うまく元通りに嵌める事が出来ない。
そんな風に時計と格闘する事おおよそ5分、私はもう開き直る事にした。
(……もういいや。思い切って開けちゃえ!)
捻じ曲げたりしないように力を加減しながら、そっと裏蓋を開けていく。
「わぁ……!」
片手に収まる程のサイズに所狭しと積みこまれた大小様々な歯車は、錆一つなく銀色に輝いていて、その一品一品が見事に噛み合った惚れ惚れするような美しい細工となっている。まさに小さな芸術が広がっていた。
「綺麗だなぁ~」
時計にあまり詳しくない私でも、このきめ細かに施された歯車細工には、思わず感嘆の息を漏らさずを得なかった。
そうしてうっとりとしながら眺めていると、裏蓋の後ろ側、外からは見えない裏側部分に何かが刺さっているのに気づいた。
「なんだこれ?」
引き抜いて手の平に転がしてみると、それは人差し指の先端から第一関節までの長さの小さな金属棒だった。
「んー?」
時計のパーツってことは分かるが、何に使うのかがさっぱり謎だ。
私は歯車が完全に剝き出し状態となっている懐中時計の内部をじっくりと観察していくと、ちょうどこの小さな金属棒が刺さりそうな小さな丸穴を発見した。
試しにその丸い穴の入り口付近にそっと金属棒を合わせて見ると、ピッタリと重なり、そのまま丸穴の奥深くへと押し込むことが出来そうな感じだ。
(よし、それならこのまま押し込んでみるか)
時計の内部を傷つけないように慎重に押し込んでいくと、カチっという音と共にガッチリと嵌り、引っ張っても取れそうにないくらいによく噛み合った。
「これで正解なのか?」
そう問いかけても答えは返ってこなかった。
でも多分、この懐中時計の構造的にこうするのが正しいと思う。
やがて懐中時計から発せられる超自然的な力がより強くなり、針の刻む音が少し大きくなったように感じる。
(もしかして時計が動き始めたのかな?)
すぐにひっくり返して文字盤を見てみるも、その予想に反して秒針は全く動いていなかった。
「なーんかあとちょっと何かやれば動きそうな気配があるんだけどなぁ。…………待てよ?」
(確かこういう古い時計はねじを回すことで動くって聞いたことがあるぞ)
実際に在りし日の咲夜も、能力を使う際に懐中時計の上部分に付いている竜頭を押し込むことで時計を動かしたり止めたりしていた。
でもこの懐中時計に付いている竜頭はとても硬くて、押したり回したり出来ない。ならば、もしかしたらついさっき刺した金属棒がねじになっているのかもしれない。
私は他の歯車に触らないように神経を尖らせながら、丸穴から数cm程度飛び出している金属棒をつまんだ。
「ほっ」
無事成功した事に対して、時計に吹きかけないように安堵の息を吐きながら、私は次の動作に入る。
(さて、問題はここからなんだよな)
一般的には時計回りにねじを動かすことで正常に時計が動作する。
しかしこの空間内ではそんな常識は通用しない。何故なら私は今過去に戻ろうとしているのだ。
今まで針が前に進もうとしているのに進めなかったことを考えると、この場合は逆に回すのが正解だろう。
私はねじを掴む右手の親指と人差し指を反時計回りに一回転ゆっくりと捻ると、懐中時計がブルブルと震え出した。
「うわっ!」
思わず手放してしまったが、その懐中時計は地面に落ちる事無く宙に浮かび続け、重々しい音を立てながら裏蓋が締まり此方に半回転した。
文字盤のⅫを指す長針・短針・秒針は小刻みに震え、一際大きな鐘の音と同時に、オーラのような不可思議な〝何か″が私目がけて発せられる。
「っ!」
身の危険を感じ咄嗟に自分の腕を交差させるように顔を防いだが、そんなのお構いなしにオーラが全身を包み込む。
一瞬目が眩んだが、すぐにそのオーラは収まって私の体の中へと入って行った。
「い、いったいなんなの……?」
その困惑をよそに、目の前の懐中時計は〝反時計回りに″動き始めていく。それに呼応するかのように、この空間に浮かび上がっている無数の時計達も針を刻み始めていった。
もちろん、それらの時計全ても〝反時計回り″に。
「成功……したのか?」
唖然としたまま呟く間にも、目の前の懐中時計は反時計回りに針を刻んでいき、その速度は次第に早くなっていった。
「! 戻らなきゃ!」
第六感的な直感を感じ取った私は、急いで宇宙飛行機へと駆けていく。
その間にも時計の針の音はどんどんと大きくなっていき、耳鳴りのように脳内に直接響き渡っていく。
後ろを振り返ってみれば、先程まで私が居た場所は真の暗闇になっており、もはや後戻りはできない。
「げげっ」
逃げるように宇宙飛行機内に飛び込んだ私は、急いでコックピットに駆けていく。
「魔理沙! どこ行ってたんだよ?」
「というか何かしたの? なんか雰囲気がさっきとぜんぜん違うんだけど」
「説明は後だ! にとり、今すぐ発進してくれ!」
困惑している様子の彼女達の言葉を遮りにとりに催促する。
「でもこの機体何故か全然反応しないんだよ。もうどうしたらいいのか」
「大丈夫、今ならちゃんと動く筈だ。早くしないとこの空間の崩壊に巻き込まれる!」
「崩壊!?」
「わ、分かったよ!」
にとりがコックピット内のボタンやスイッチを素早く押して行くと、直後、爆音が響き渡ると共に機体が振動を始めていった。
「――あれ!? エンジンが動くようになってる!」
「驚いている暇はないぞ! とにかく真っ直ぐ突っ切ってくれ。きっとこの先が出口になってる!」
私はヘッドセットを被りながらにとりに指示を飛ばす。確証は無かったが、確信に近い予感があった。
「オーケー! 全速発進!」
サムズアップしたにとりは、レバーを思いっきり引く。直後、体奥に響くような地響きの音と共に肉体に強烈な負荷がかかる。
「ぐうっ……!」
後ろからメーターを覗いてみれば6000km/hと表示されており、窓の外の景色は全て線上になっていた。
「きっつ……」
思わずそう漏らすと、にとりは苦笑しながら「反重力装置を起動していてもやっぱり来るねぇ」と言っていた。
「それで一体何があったんだよ?」
「実はな――」
私は先程の出来事を説明した。
「そんなことがあったんだ」
「ああ。私もこんなことになるとは思わなかったんだ。心配かけてすまなかった」
「別に怒っていないよ。魔理沙が分からなかったんじゃ、しょうがないし」
「それにしても針が止まった懐中時計ねぇ……。この空間といい、時間移動って不思議なことばっかり起こるんだね」
「全くだな」
にとりの言葉に同意する。本当に奥が深いと言うか、謎が多すぎて自分はまだまだ未熟なんだなと強く感じさせる。
「んー? なんかだんだんと周囲の〝闇″が明るくなってきてない?」
不思議そうに呟くにとり。一瞬矛盾しているように感じる言葉だが、確かに少しずつ暗闇の明度が高くなっていっているような気がする。
そしてしばらく進んでいくと、周囲の闇よりほんの少し明るい闇の渦が目の前に現れた。
「きっとあれが出口かな。よ~し、飛び込むよ!」
私達はその闇の渦の中へと飛び込んで行った。
――――――side out――――――――
霧雨魔理沙達を乗せた宇宙飛行機が時空の渦へ飛び込んだ後、宙に浮かぶ時計達の針は次第に遅くなっていき、やがて完全に静止した。
もちろん霧雨魔理沙が弄りまわしていた〝懐中時計″も例外ではなく、その役目を終えたかのようにゆっくりと減速していき、この世界に再び静寂が訪れた。
それが永遠に続くかと思われた中、一寸先も見通せない闇の奥深くからハイヒールの足音が聞こえ、その足音の主は懐中時計のすぐ近くで立ち止まった。
「フフ」
その人物は愛おしさを感じさせる手つきで既に止まっている懐中時計を手に取ると、それを優しく撫でていた。
「数多に存在する〝偽物″の中からたった一つの〝本物″を見抜き、なおもこの時計の仕掛けを理解し正しく駆動させるなんて、素晴らしいお手並みだったわ」
〝彼女″は銀髪蒼眼が印象に残る美麗な容姿で、この闇の中でも一際目立つ純白のドレスを纏い、気品さを感じさせる声色していた。
「有史以後から時の最果てに至るまで、時間の法則を解き明かした人間は数あれど、その誰もが時の試練に失敗し永遠に時の回廊から抜け出すことはなかった――」
「その理を覆しただけでも素晴らしいことなのに、
霧雨魔理沙を褒め称えている彼女は、心の底から喜んでいた。
「魔理沙。時の試練を乗り越えた貴女ならこの私に拝謁する資格があるわ。いずれまたこの場所で会いましょう。その時は盛大にお出迎えしなきゃね。フフフフフ」
誰にともなくそう語った彼女は再び闇の中へと消えていき、時の回廊は再度静寂に包まれた。
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