適当に遊んでいくうちに、無重力空間での動き方のコツを何となく掴みはじめた頃、妹紅は唐突に呟く。
「はあ~なんだか飽きてきたな」
「早っ!」
「よく考えてみたらさ、普通に空飛ぶことができるし無重力って言ってもあまり新鮮味がないんだよねぇ」
天井に足を向けるようにプカプカと浮かんでいた妹紅は、そのまま綺麗に一回転して空中に浮かんだままその場で静止。先程までの無重力に引っ張られているような状態ではなく、完全に自分の意思でコントロールしているようだ。
「おいおい、宇宙なんて滅多に来れないんだからもっと楽しもうぜ?」
「でもさぁ――」
そう言いかけた時、妹紅からぐうと腹の虫が鳴る音が聞こえた。
「!」
「はは、んじゃご飯でも食べに行くか」
「……うん」
お腹を抑えながら少し恥ずかしそうにしている妹紅と一緒に、キッチンルームの手前まで平泳ぎのように移動していく。
そして壁に備え付けられたボタンを押して扉を開き、そのまま中へ入ろうと指先が扉の境目を越えた所で、床に急激に引っ張られて叩きつけられる。
「!?」
さらにその反動で、手の平が付いたまま体が宙に浮かびあがる。そして逆立ちのようにキッチンルームへ乗り越えた時、一気に加速して床に叩きつけられた。
「ぐふっ、ゴホッゴホッ」
受け身を取ることも出来ず、もろに背中を強打してしまい、全身に鈍い痛みが駆け巡って息が苦しくなる。
その惨状をキッチンルームの手前で目の当たりにしていた妹紅は、心配そうに口を開く。
「だ、大丈夫か? なんか倒立に失敗したみたいな感じになってるぞ?」
「な、なんとか。けれど――」
「?」
「身体が重くて起き上がれない……」
今の私は、両腕が両耳に付き、スカートがめくれ上がったまま両足の内股がくっついた状態で床に倒れているのだが、体がまるで磁石のように張り付いてしまい、力を込めても腕や足を動かせないのだ。
同時に強い倦怠感のようなものが私を襲い、気力がなくなっていくのをひしひしと感じていて、自分の体の異常に困惑していた。
(ちょっとにとりに聞いてみるか)
私はヘッドセットのインカム越しに、コックピットにいるにとりに呼びかけた。
「にとり、キッチンルームってもしかして重力強くなってるのか?」
「この宇宙飛行機内で重力がある場所はどこも地上と同じになってるよ~、それがどうかしたの?」
「なんかキッチンルームに入ろうとしたら急に動けなくなったんだけど……」
「あ~それはたぶん、無重力に慣れちゃったせいで体がパニックになってるんじゃない? 宇宙にしばらくいると骨や筋肉の力が衰えるっていうし」
「そうなのか? しかしそれにしたってこれは本当にきついぞ」
「それは魔理沙が普段あまり運動してないからじゃないの?」
「うぐっ」
確かに魔法使いになってからというものの、机に向かう日々がずっと続いていたので、人間だった頃のように精力的な活動はしてこなかった。図星を突かれた私は、反論の言葉もでない。
「しょ、しょうがない。こうなったら魔法を使うか」
パチュリーのことを笑えないな、と思いながら私は飛行魔法を使って宙に浮き、地上と同じように床の上に足を伸ばす、いわゆる直立姿勢をとってから魔法を解除する。
すると途端に足に大きな負荷がかかり、思わず倒れ込みそうになるところを踏ん張った。
「はあっはあっ」
心臓が速いテンポで鼓動を刻み、手汗が滲み出る。
「普段から自分の体にはこんな強い力がかかっていたのか……」
重力と無重力の差、そんな当たり前のことを改めて知った私だった。
そんな一連の流れを、ぷかぷかと浮かんだまま眺めていた妹紅は「ここに入る時は着地に注意しないといけないっぽいね。よ~し、ここはかっこよく入ってみようかな」と呟き。
「それっ」
私と同じように引き戸の向こう側に手を差し出すと、やはり重力に従って床に吸い寄せられていく。
ところが妹紅は、私とは違いしっかりと腕を伸ばしながら床を蹴り飛ばし、その勢いのままキッチンルームに入っていく。逆立ち体勢から足先がキッチンの床に付いた瞬間、妹紅は強く蹴り上げ、くるっと一回転して綺麗に着地した。
「すごいな!」
「えへへ、ありがと」
ものの見事なハンドスプリングを決めた妹紅に、私は自然と拍手をしていた。
「だけどこれ、地上と比べると結構体中がジンジンくるねぇ。なんだか自分の体じゃないみたいだ」
「だろ? かなりきついよな」
「重力のある部屋とない部屋を移動するときは飛行術を使った方が良さそうね。今みたいな移動は大変だし」
そんなことを話しながら奥へと歩いていった。
キッチンルーム内は目算でおおよそ10畳ほどの小さな間取りとなっていて、奥のキッチン以外は壁に固定された長椅子のみ置かれており、白く塗りつぶされた内装が清潔感を印象づける。
キッチンの向かい側には、幾つかの扉が付いた金属製の棚が取り付けられていて、それぞれの棚に『食器』『調味料』といったメモ書きが貼られている。
調理場へと向かってみると、一番目立つ場所にこんな張り紙が張ってあった。
『宇宙航行中に火を使った料理を作る時は、換気扇の下にあるボタンを必ず押して空気循環システムを稼働させてね! byにとり』
「換気扇の下のボタンってこれか?」
妹紅の言葉で横を見れば、キッチンの隅の天井に設置された換気扇の壁横に青いボタンがあった。
試しにそれを押してみると、ブオーンという音と共に換気扇が回り始め、肌ではっきりと感じ取れるくらいの気流が発生しはじめた。
「へぇ~こうなるのか」
もう一度そのボタンを押すと、装置が止まってキッチンルーム内の風がピタリと止んだ。
周りを見渡してみてもなんだか妙に機械的で、ガスコンロではなく、IHクッキングヒーターと記された機械的な調理用具が設置され、私の思い描くキッチンのイメージとはかけ離れた形をしていた。
「なんか普通のキッチンじゃないよなこれ。やっぱり宇宙だからか?」
「かもな。それよりまだ続きが書いてあるみたいだぞ」
『端っこのほうにある冷凍庫の中に食材と保存食がたーくさん入ってるから、お腹減ったらそれをどーぞ! ちなみに調味料はキッチンの向かいの棚の中に入ってるよ!』
そのメモの通りに部屋の隅へと向かうと、壁にガッチリと固定された私の背丈以上の大きさの箱を発見する。
「これかな」
正面に取り付けられたスイッチを押すと扉が自動的に開き、中からひんやりとした冷たい空気が流れ込む。
冷凍庫の中には色とりどりの野菜や肉、パックに入ったゲル状の何か、キラリと艶が出た新鮮そうなきゅうりがその種類ごとに棚に分けられていた。
……きゅうりの数が妙に多いのは気のせいだろうか。
「お~結構たっぷり入ってんじゃん! これだけあれば1週間は暮らしていけそうだな」
「向かいの棚に調味料が入ってるって書いてあったな」
続いて私が調味料の入った棚を覗いてみると、そこには砂糖・塩・酢・醤油・味噌といった一般的な家庭に置いてある調味料や、カレールーやスープの素なんかも一通り揃っていた。
「これらも全部にとりが揃えたのかな」
宇宙飛行機の開発に加えてこういった食料などの調達もこなしている苦労を考えると、なんだかタダ乗りしてしまっているのが申し訳なく思えてくる。
(なんだかんだと深く聞かなかったけど、この辺の事情も後で聞いてみようかな)
「何食べようか?」
「せっかく宇宙に来てるんだし、ここでしか食べれないようなものを食べたいな」
「だとすると……これか?」
妹紅が冷凍庫の奥から取り出したのは、パックに入ったゲル状の何か、で表面には『にとり特製宇宙食』と記されていた。
「宇宙食か~これどうやって食べるんだ?」
「『袋に入れたまま電子レンジで3分暖めれば出来上がり』と書いてあるな。電子レンジはどこだ?」
キッチンの中をくまなく探し回ることおよそ5分、冷凍庫の隣の壁に埋め込まれていた電子レンジを発見し、表記されている通りに暖める。
チープな電子音が鳴った後、食器棚から紙パックの皿と割り箸を取り出して盛り付け、長椅子に座ってから一口食べてみる。
「うん!?」
グチャリという生々しい食感と共に、胡椒で味付けられた肉の味がして、あまり美味しいとは言えなかった。
ざっくりと言えばコンビーフのような味付けで、おかずに白米が欲しくなるところだけど、さっき探した時にはお米は見つからなかったので、この宇宙飛行機内にはないのだと思う。
「あ~これはアレだね。私が外の世界で良く食べてたやつだ。なんだかげんなりとしてくるなこれ」
「食事がまずいとテンション下がるなぁ……」
二人で意気消沈としながらも、残すのはもったいないのでなんとか全部食べ切り、空腹を満たした。