ご注意ください。
あまり美味しくない食事を終えて、後片付けも済ませた後、『到着まで暇だから寝るわ』と言って妹紅は睡眠スペースに向かい、ベッドに寝転がってしまった。
これは余談だが、無重力空間で寝る場合、ただ横になるだけでは体が浮かんでしまう為、ベッドに備え付けられたシートベルトに体を縛り固定させる必要がある。
一人手持ち無沙汰になってしまった私は、少し考えた末にシャワーを浴びる事にした。
よくよく考えてみたら、今朝は輝夜と慧音の訪問で目が覚め、それ以降も色々と飛び回っていたので身だしなみをしっかりと整える間も無かった。
私はフワフワと浮かぶ体を器用に動かしながら、更衣室の前へと移動し、扉を開けて中に入る。
更衣室の中は5畳ほどの小さな部屋で、扉の横にある巨大な全身鏡が目立つくらいで、ごく普通の部屋だ。
扉を閉めて鍵をかけた後、鏡の足元に取り付けられた蓋つきの籠の中に、ずっと付けていたヘッドセットを収納した。
地上にいた時はヘッドセットが手放せなかったけれど、今はその音もほとんど聞こえず、震えるような滑らかな音しか聞こえてこない。
「ふう」
続いて着ている洋服を脱ごうと思い、襟に手をかけるが、いつものように床に足を付けて踏ん張ることが出来ないので、上手にスルッと脱ぐことができない。
「ん、脱ぎにくいな」
少し悪戦苦闘しつつも何とか脱ぎ終わり下着姿になった私は、エプロンドレスを籠にしまおうと鏡の方を向いたところで、絶句した。
「な、なんだこりゃ!?」
鏡に映る私の体には、エプロンドレスによって隠れていた部分――胸の谷間あたりから首元や肩、お腹に掛けて黒色の滑らかな曲線が円を描くように、まるで歯車のように凹凸を付けた模様となって素肌に刻まれていた。
しかもその黒い模様は一筆書きのように全て繋がり、体の正面に留まらず背中にまで伸びているようなので、すぐに体を捻って鏡に背中を向ける。
すると今度は、黒色の線が背中いっぱいに広がってローマ数字表記の時計の形を刻み込んでいて、あまりにも堂々とした、不気味さすら感じさせる模様にショックを受けてしまう。
「どどど、どうなってるんだ!?」
これが壁画とか絵画に描かれた光景なら『少女の背中に描かれた時計が鑑賞者に強いメッセージ性を~』みたいな感想で終わってるところだけど、いざ現実として自分の身に起こってしまうともう、笑うことができない。
私は急ぎ体を鏡の正面に向けた後、ブラとドロワーズも脱ぎ捨て素っ裸になってみたところ、この謎の黒い線はお腹で止まるどころか膝頭まで伸びていた。
しかも、この黒い線は今もほんの少しずつ勢力を伸ばし続けているようで、私の体は徐々に徐々に侵食されているようだった。
「な、なんなのよこれぇ……なんで、こんな……うぅっ」
私にはこんな自分の体をマーキングするような趣味はないし、もちろんその手の魔法も使った事すらない。
今の状況に涙目になっていたが、そこで思考停止する訳にはいかない。
「……これはなにかの呪いなのか?」
すぐさま自分の体にスキャンを掛けて調べてみたけれど、この模様の正体や効果について一切分からず、その間にも黒い線はどんどんと私の体を侵食していき、じわじわと恐怖心が私の心に芽生えていく。
「お、落ち着くんだ。私。まずこうなってしまった原因を考えてみよう」
今まで散々タイムジャンプを繰り返してきた私だけれども、これまでこんな模様が浮かび上がるようなことはなかった筈。
確か前回――西暦215X年9月18日の夜に自宅でシャワーを浴びた時は、自分の肌には特に異常はなかったと記憶している。
そこから私の主観的には1日、たった1日しか経っていないのにこの有様だ。
(これはもう、原因として考えられるのは〝あの時計″しかないな……)
宇宙飛行機で高速移動中にタイムジャンプしたことで迷い込んだ、時計ばかりが宙に浮かぶ真っ暗な空間。そこで見つけた、他の時計よりも不思議なオーラを放つ謎の懐中時計、そこから発せられた光が原因なのだろう。体に刻まれた時計模様からしても間違いない。
「うぅ、どうしたら良いんだろう?」
現時点ではこの模様を刻まれたことによる害を感じていないが、これが全身に回った時にどうなるのかさっぱり分からない。
それにいつまでもこんな姿でいるのは嫌だし、もし誰かにこの姿を見られたらまるで私が危ない人みたいに思われてしまう。かと言って下手に魔法を使ってしまうと、さらにこの状態が悪化するかもしれないので、迂闊に魔法を使う事も出来ない。
さっきは動転していてその可能性に気づかずにサーチ魔法を使ってしまったけれど、なんともなくて良かった。と今更ながら思う。
私は何度か正面や背中を鏡に向けながらこの模様を観察していく内に、ふとあることに気づく。
「よくよく見てみればこの模様、なんで一か所だけ空白になっているんだろう?」
私の胸の上すらもおかまいなしに侵食してしまっているのだが、唯一胸の谷間にあるみぞおちの近く、つまり心臓の真上部分だけが侵食されずに綺麗に残されていた。
「てかこれ、よく見てみたら背中の時計から心臓に向かって線が伸びているような気がするな」
またはその逆、心臓付近から伸びて行った黒い線が、私の背中に立派な時計を描いたようにも見える。
どっちが正しいのかは分からないが、とにかくここがキーポイントになりそうだ。
「うーん、ここに何かあるのかな?」
少し悩んだ末に、私は自分の左手を、謎の模様がポッカリと開いた心臓付近に当てる。
すると直後、体中に広がっていた線が一気に左手の中へと収束していき、そこから体内へと入りこんでいった。
「ぐうっ……!」
異物が体の中に入っていく気持ち悪さもそうだが、一気に鼓動が跳ね上がって心臓付近に強い負荷がかかり、胸をえぐり取られるかのような激痛が生じて、思わず胸を強く抑え込んでしまう。
それはもう、今まで体験した事のないような痛みで、自分の心臓が壊れてしまうのではないかと思えるような感覚が続き、自然と脂汗が流れ出てしまう。
「っ……く……あ……!」
歯を食いしばりながら痛みで飛びそうになる意識を必死に堪え、その場にうずくまってひたすら治まるよう私は願い続けた。