ダイの大冒険――幸せを求める世界   作:山ノ内辰巳

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そこにいる人

 厳しい冬が、森に囲まれたネイル村にも訪れた。温暖な気候のロモスでも、この季節はさすがに寒い。北から流れ込む冷たい風が、国中をかき回していく。

 マァムは陽が沈んだ空を見上げた。今はまだ青と紅が同居しているが、このあとは急激に暗くなるだろう。まるで沈んだ太陽に早く追いつきたいかのように、空からあらゆる色が森に吸い込まれていく。

 

 ふぅと息をついて桶を持ち上げる。向かうのは彼女の実家の方向ではなく、その反対側。可愛い妹分の家だ。

 

「ミーナ、ここに置いておくわね。」

 家に入ってすぐの土間に桶を二つ置いて、マァムは奥に声をかけた。

「マァムお姉ちゃん!」

「おお、マァム」

 10歳くらいの少女がマァムに走りよってくる。その後ろからは少女の父親。

「ごめんなさい、マァムお姉ちゃん。…結局全部運んでもらっちゃって」

「すまないね、マァム」

 何回もの水汲みを代わりにしてもらい、ミーナたち父娘は恐縮する。

「…そんな、気にしないで。おばさんが風邪ひいてるんだもの。ミーナだって家の事をしないといけないんだから」

 にっこりとマァムは笑う。

「マァムお姉ちゃんは本当に優しいなぁ…ねぇ、お父さん」

「ああ。まったくだ。さすが、聖拳女様だ」

 父娘の会話を聞き、彼女は再び微笑んだ。

「…じゃあ、これで。もう陽も暮れちゃったから帰るわ。おばさんにお大事にって伝えてね」

 家の奥とミーナを交互に見遣り、優しい笑みを一つ残して、彼女は家に向かった。

 ミーナ達と話していた僅かな間に、外はもう随分と暗くなっている。木々が黒く林立する槍のように目の前にそびえて見えた。

 

 

 

 仕事の報告を終えて彼女がロモスの王城を出て家に寄ったのは昼すぎのこと。しかし、村の皆に頼まれた用事をこなしている間に時間はさっさと過ぎてしまった。本当は家の事もしたかったし、母とゆっくり時間を過ごしたかったのだが仕方ない。

 困っているのだと言われれば断ることは出来なかった。

(そろそろ戻らないと、ポップが心配するかしら……)

 そんなことを、とっぷり暮れた空を見ながら、ふと思う。

 

 今現在、マァムはポップとともにリンガイアの宿の一室を借り切って住んでいる。『せっかく実家に顔を出すんだからゆっくりしてこいよ』とポップは言ってくれたのだが、マァムにそのつもりはなかった。

 3年前の大戦で魔王軍によってほぼ壊滅した、かの国の復興の支援は容易ではない。離散した民が段々と戻り、人口は大戦直後よりは増えてきているが、それに比例して事故や犯罪も増加傾向にある。

 今ではバウスン将軍が代表となって暫定政府を開いており、騎士団もよく働いている。刀匠の修行のため普段はベンガーナ領に住んでいるノヴァも、父親を佐けようと頻繁に帰っているので、治安は徐々に安定はしていくだろう。だが、食糧・医療その他もろもろの件で、人手はいくらあっても足りない状況なのだ。

 そんな事情があるので、マァムは夜にはリンガイアに戻るつもりだった。ポップにもそう言ってロモスに飛んだのだ。母は残念がるだろうけれど…仕方がないだろう。

 

 せめて母にミルクをいれてもらおう。昔から疲れた時にはよくいれてもらった、砂糖入りの温かくほのかに甘いミルク。……それを飲む間だけは二人で静かに過ごせるはずだから。

 

「ただいま」

 マァムはドアを開ける。家は、しんとしていた。

「母さん、帰ったわよ」

 中にいるだろう母に声をかける。…だが、返事はなかった。

「…母さん?」

 声に訝かしむ響きが混じった。いつもならこの時間は、母は入ってすぐの台所にいるはずなのに。

 マァムは台所を覗き込んだが、無人だった。

 隙間風が入り込み、彼女は身震いを一つして隣の居間に早足で向かう。

 だが、居間にも母はいなかった。いつものテーブルに裁縫箱と服が何着か置いてあるだけだ。

 

 しん…とした空気は、外よりもよほど寒く、マァムは腕をかき抱く。

 

 残るは母の私室。ドアをノックすると、小さな返事があった。

「母さん…?」

「ああ、マァム、ごめんなさいね」

 明るくレイラは笑うが、その笑顔は少しやつれていた。

「縫い物をしようと思ったんだけど、段々と眠たくなってきて。少し休もうと思って横になっていたのよ」

「なんだ…そうだったの」

 昼寝には少し遅いが、こんな暗い日は睡魔に襲われやすい。細かい仕事をするなら、なおのことだろう。

「ごめんなさいね。あなた、夜には向こうに戻るんでしょう? 遅くならないうちに…」

 レイラの言葉が終わる前に、マァムは頭を振った。

「まだ大丈夫だから、居間にいるわ。母さんは、もう少し休んでて」

 戻る時にはまた声をかけるから、そう言って彼女は微笑んだ。

 ――母の瞳がわずかに揺れた気がした。

 

 

 

 ちくたくと時を刻む秒針の音に合わせながら、マァムは針を進める。

 昔から見慣れた母の服。その綻びを縫う自らの行為に集中しようとすればするほど、色々な想いが脳裏をよぎった。

 

(疲れた……)

 

 声には出さず、心の中で一人ごちる。

 村を囲う柵が先日破損したとかで修理をし、森の中の小川の流れが上流からの岩で細くなったと言われたために、どかしに行った。他にも色々な事を頼まれて、そして最後にはミーナにお願いされた水汲み――どれも力と時間が必要な仕事。一つ一つの事は大したことがないのだが、やはり一度に頼まれると手間だった。

(いつもの事だけど…)

 そう、いつもの事だ。村に帰れば皆が口々に「助かった」と漏らす。頼まれごとは様々で、面倒だと思う事も時にはあるけれど……

(仕方ないわよね。皆、困ってるんだもの…)

 自分は村の誰よりも力があるのだ。父の腕力を受け継いだのなら、その事を人助けに使えれば万々歳だろう。

 強いのならば、困っている人たちを助けるのは、当たり前だ。それで皆が喜んでくれるのだから、少し疲れるくらいが何だろう。

 

 ――マァムお姉ちゃんは本当に優しいなぁ…ねぇ、お父さん

 ――ああ。まったくだ。さすが、聖拳女様だ

 

(私は……アバンの使徒で、慈愛の使徒で…聖拳女なんて呼ばれてるんだもの……)

 そこまで思った時、チクリとした痛みが二箇所で起こった。一つは指に。もう一つは……胸に。

 運針を誤った所為で丸く盛り上がった紅を、指ごとしゃぶって、鉄くさい味に眉を顰める。気を取り直して、再び針を進めると、秒針の音がそうさせるのだろうか――意識は徐々に記憶の川を溯行していった。

 

   マァムはお父さんに似て、力持ちだな。

   お前のお父さんとお母さんは、勇者様の仲間だったんだよ。

   本当に優しい、いい子だよ。きっとお母さんに似たんだろうねぇ。

   マァム、アバン様の弟子になるって本当かい?!

   村の誇りだよ、お前は。

   大きくなったら、どんな立派な人になるんだろうな。

   アバン様の弟子として、恥じない人間にならないとね。

   私たちを守っておくれよ。

   やっぱりマァムは凄いな!

   俺たちとは違うよ。特別な子だ。

   マァムなら出来るさ。なんたってアバンの使徒だ!

   慈愛の使徒か。だからこんなに優しいんだな。

 

「……………。」

 幼い頃から掛けられてきた言葉が、マァムの中で渦を巻く。

(……慈愛の…使徒…かぁ……)

 ポップが勇気の使徒と呼ばれ、ダイが純真の使徒と呼ばれるように、それは自分の魂の輝きなのだという。

 しるしが赤く光るのならば、そうなのだろう。別に疑うつもりはない。

 ただ色々と考えてしまう。…こんな日は特に。言葉の持つ意味も、それによって負うものも、自分がとる行動に付与される意味も……様々な事が難しい。

 

 単調な運針のひと針ごとに、目眩めく色鮮やかな過去が蘇る。

 

 物心ついた時には、既に両親は村の皆の尊敬の的で。自分は、それを見て育ってきた。

 大人顔負けの腕力があるのだと、自覚したのは何歳くらいの事だったのだろう。それを活かして物を運んだりして周りの仕事を手伝って……

 最初は、「えらいね」と、皆に褒めてもらえるのが嬉しくて…頑張って……。いつしか、両親が立派だったのなら、自分もそうなりたいと望んで…二人が護るこの村を自分も守れるようになりたいと、アバン先生に弟子入りした……

 

 自分の事を優しいと皆は言うけれど、それだって同じようなものだ。

 

 人に優しく接すれば、その相手は喜ぶから。そして自分にも優しくしてくれるから。喜んでくれる笑顔が嬉しくて。皆が優しく笑っている、そんな輪が広がるのが自分は大好きだから。

 困っていた人が、自分の手助けで問題が解決出来た時に見せてくれる笑顔が、嬉しく、眩しい。そうであるからこそ頑張る――頑張ることが、出来る。

 だから、今日も……

 

 ――さすが、聖拳女様だ

 

 何故…こんなにも胸の内がもやもやするのだろう。

(いやだわ…私…癇癪を起こしてる……)

 荒っぽくなった縫い目が、それを物語っていた。…情けない。駄々をこねる子供のように、物に当たるなんて。何に苛立っているのだろう、自分は? 望んだ生き方に、不満などないはずなのに。

 マァムはぶんぶんと頭を振った。繕い物はこれで全部だった。時計はもう充分に『夜』と言っていい数字を指している。

 おそらくそのまま寝入ってしまったのだろう母に、声をかけてから帰ろうと彼女は立ち上がった。

 

 母の部屋のドアをノックしたが、返事はなかった。よく眠っているらしい。そろりと開ければ、やはり暗く静かなその部屋で、わずかに音がするだけだ―――荒く苦しそうな、呼吸音だけが。

 

「母さん?! どうしたの…?!!」

 

 マァムは母親―――レイラに駆け寄った。

 ベッド横に置かれたランプに灯りをともすと、オレンジの光がレイラの表情を照らし出した。いつも柔和な笑みを浮かべている顔に脂汗をにじませる母親を見て、マァムは息を飲んだ。

「母さん! しっかり!」

 母の額に手を当て、マァムは眉を顰めた。ひどい熱だ。

「風邪…かしら……」

 母はミーナの母親と仲が良い。ひょっとすると彼女からもらったのかもしれない。そうでなくとも、この寒さだ。

 額に当てられたマァムの手の冷たさが気持ちよかったのか、レイラが目を開けた。

 

「マァ…ム…?」

「母さん、気がついたの…?!」

 

 その声は震えていたかもしれない。

「ええ…。ごめんなさいね。朝から少し体調がおかしかったの…眠れば治ると思ったんだけど……」

 では、さっき話した時には既に熱があったのかもしれない。「だったら」とマァムは声を震わせた。

「私に言ってくれれば良かったのに…」

 違う。そうじゃない。

 いつもの自分ならば、言われなくても気付いたはずだ。他ならぬ、母の体調なのだから。

 

 マァムの様子に、レイラは何か言おうとした。だが、咳が気管を震わせ言葉を押しのける。熱い呼気が肺から叩き出された。

 

 激しく咳き込むレイラに、マァムは自分でも情けないほどうろたえた。母の背中をさするが、他に出来る事を考えようとしても、しわぶきの一つ一つに身が縮こまり、思考が止まる。

 回復呪文では、病は癒せない。薬のストックもない。薬草なら常備してあるが、彼女にはそれを使って風邪薬を作る技術はない。

 

 こんな時、彼ならどうするだろう―――混乱する頭が、一人の面影を浮かび上がらせた。この3年、最も身近にいた青年の姿を。きっといまはリンガイアの宿で自分の帰りを待っているだろう彼の顔を。―――この場にいない人の事を考えても仕方がないというのに、どうして…!

(どうしよう…どうしたらいいの………ねぇ……………ポップ?!)

 

「なんだ? おばさん、体調が悪いのか?」

 

 不意に聞こえたその声に、マァムは振り向き呆然とした。

 部屋の入口に立っていたのは、まさしく彼女がいま一番会いたかった人物―――ポップだったのだ。

 

 

 

 

 

 やはりレイラは風邪らしかった。盥に張ったお湯で手を洗いつつポップが告げるのを、ぼんやりと聞く。

「大丈夫。2・3日もすればすっかり元通りだ。おばさんは元々身体を鍛えてるんだしさ、すぐに良くなるって」

 にこやかに笑いながらポップはマァムに告げる。その内容にマァムはほっと息をついた。

 

 傷病の診立ては、マァムよりもポップの方が長けている。薬師の資格は伊達ではないのだ。彼が大丈夫という限り、少しは安心できる。

 

「しっかし、迎えにきたらこんな事になってるなんてな。玄関で呼んでも誰も出ないし、どうなってんのかと思ったぜ」

 マァムは苦笑を返す。

「ごめんなさい。薬の事とかを考えると、私じゃどうしようもなくて……」

 窓の外で森が黒く揺れていた。びょうびょうという風の音が、会話が途切れるとやけに大きく聞こえる。

 

「俺を呼べばいいのに」

 

 ポップが笑う。

「え…」

「風邪薬くらいなら融通きくんだからさ。ま、今日は呼びにきたら入れ違いだったかもしんねーけど」

 

 からかうように言ったポップの台詞に、マァムは虚を突かれたような顔をしている。

 ポップは、自分に対して普段はとことん姉御肌の彼女が見せる、その表情が面白くて、言葉を重ねた。

 

「しっかりしろよ、聖拳女さま」

 

 ゴウと風が吹いた――今までで一番強い、凍て付く風が。

 

「そう…ね……。私……棚から薬草を持って来るわ。薬に、使う…でしょ?」

「え? ああ…」

 返事を聞くなり、マァムはポップに背を向けた。そのまま部屋を出て行く。

「……どうしたんだ、あいつ?」

 いつもの武闘家然とした姿勢ではない、どこか悄然とした後ろ姿を見ながら、ポップは呟いた。もちろん、薬草は必要なのだが…。

 

「ポップさん…」

 小さく名を呼ばれ、ポップは振り向く。

 レイラだった。ゆっくりと彼女が上半身を起こそうとするのを見て、ポップは慌てた。

「おばさん、寝てて下さいよ。あ、俺、台所借りますね。薬を作ってきますから」

「ありがとう…。でも少しお話があるの…マァムのことで……」

 

 

 

 

 

「ポップ、これで足りるかしら?」

 部屋で母と何事かを話していたポップに声をかけると、彼は「おう」と手を上げた。

 パタンと静かにドアを閉めて、マァムから薬草を受け取った彼は「台所、借りるぜ」と笑う。マァムが何も言わずとも、手馴れた様子で鍋を引っ張り出し、甕から水を加え、火を起こした。

 

「…よくわかるわね」

「んー。勝手知ったる彼女の家だからな。何度か、おばさんにご馳走になった事もあるしさ」

 

 彼の視線は、コトコトと煮え始めた鍋の中身に向けられている。薬草の匂いが漂いだした。

 昔、ダイがまだ行方不明だった頃、ポップが村々で薬を作るようになった最初期は、よくこうやって鍋を使っていた事をマァムは思い出す。今では先生に錬金釜を借りているので、滅多にそんな調合はしないのだけれど。

「うん。錬金釜よりは時間がかかるんだけどな。原理は一緒だから」

 ポップは簡単に言うが、さすがに器用だ。材料の大半は普段から腰の袋に入れてあるのだとしても、それ自体が魔力を持つ錬金釜とは違い、普通の鍋では微調整が難しいだろうに。

 そういう彼の要領の良さを目の当たりにすると、先程何も出来なかった自身の不甲斐無さに対する想いが、また蘇ってきた。顔が強張るのがわかる。

 

 ポップのように柔軟な頭があれば、母の容態に慌てる事などなかったかもしれない…羨望とも嫉妬ともつかない感情が同時に湧き上がった。

 こんな心の動きを知られたくなくて、マァムは顔を伏せた。その時だった。

 

「マァム、疲れたろ」

 

 ポップがこちらを見ていた。その目はごく穏やかで、優しい。

「急におばさんが倒れたら、びっくりするよな」

「ポップ……」

「居間に行ってろよ。あっちの方がぬくいしさ」

「でも…悪いわ」

 

「悪くねぇ。俺は今日、そんなに患者も来なかったから元気だ。お前は昨日から書類作って、朝から城で仕事して、午後からだってこの村の人達のワガマ……」

 

 徐々に口調が強くなってきていた彼は、そこで口ごもった。鍋の中身を掻き混ぜながら、一度、言葉を探すかのように上を向き、緩やかに頭を振った。

 

「午後からは…この村の人達の頼み事をこなしてたんだろ? ちょっとは休んでこいって」

 苦笑して「頼むから」と言われれば、マァムには断る理由がなかった。

 

 小さく「ありがとう」と呟き、やおら隣の居間に向かう彼女の背中を、ポップは見つめ、心の中で嘆息した。

 

 

 

(あぶなかった……)

 ポップは胸を撫で下ろす。

 レイラに今日のマァムの村でのスケジュールを聞かされたため、もう少しで怒りに任せた言葉が出そうだった。言い直しはしたものの、実際、ポップはマァムをああも追い詰めた村人達に苛立ちを覚えていた。

(あいつも…難儀な性格だよな……)

 

 ――あの子…マァムにとって、対等な人間は村にはいませんでした。

 

 レイラに言われた言葉から、ポップは漠然と恋人の幼少時代を想像してみた。

 この村には、マァムと同年代の女性も男性もいない。彼女の生まれたのが大戦の最中であった事と、いたとしても街に流れたというのが原因だ。

 幼い頃から、彼女の周りにいたのは大人と、自分よりもずっと幼い子ばかりで。それに両親が両親だ。否が応でも注目される存在だったろう。

 

 マァムは確かに強い。それこそ16歳で村を出るまで、森に囲まれたこの村をモンスターから守り続けてきたほどに。しかも両親はかの大勇者アバンの仲間である戦士ロカと僧侶レイラ――まさに貴種と言うに相応しいサラブレッドだ。

 だが、と思う。

 そんな両親を持って生まれてきたマァムに村の者がどう接したのか……ポップには想像することしか出来ないが、両親が武器屋の夫婦という何の変哲もない出自の自分とは、決して同じような接し方ではないという事は確信できる。

 

 期待をかけられるという事は、決して悪い事ではないのだろうが…それが常態だとすればどうだろう。そして、なまじそんな期待に背かず、そつなくこなす実力が備わっていたとしたら……

 

 ふと、ポップは自分の子供時代を思い出す。

 

 友達と一緒に町中を駆け回り、色んな悪戯をし、周りの大人に怒鳴られ叱られる毎日。腕っ節が弱いからケンカではうまく立ち回って。時には情けないと小馬鹿にされて。鍛治仕事の手伝いを嫌がって、勇者ごっこにうつつを抜かし、最終的には父の拳骨に日々泣いていた自分。

 およそ良い子ではなかったが、それは他の子供も似たようなもので。断言できるが、自分は、どこにでもいる『普通の子供』だった。

 

 マァムは――そうではなかったはずだ。

 

(大変だったろうな……)

 幼い頃から特別視された彼女は、きっと期待に応えようと努力したのだろう。尊敬する両親のようになろうと立派な人になることを目指し、弱い者を守れるように強くなろうとして。しかもどんな相手にも優しく接する――完璧な女の子。

 

 彼女にとって村の人々は被保護者で。『護るべき人達』からの頼み事を断ることなど、まず出来なくて……

 誰かに甘えたくても、家族以外にそんな相手はいなかったろう。父親が他界してからは、唯一と言っていい母親も、今日は床に臥せってしまった。

 

 ――ポップさん、あの子をお願いします。

 

 その言葉に込められた意味が、如何ほどのものかはポップには量る術がない。

 だが、それでも。

 頼まれなくとも、己に課すものがあった。

 ポップ自身はこれまで幾度もマァムの存在に助けられてきたのだ。ならば、せめて――…。

 

 

 

 

 

 優しい眠りの腕に抱かれて、マァムは夢を見ていた。

 

 幼い頃の夢だ。おぼろげにしか覚えていない父が、自分を抱きしめてくれる。自分と同じ薄桃色の髪が、摺り寄せた頬にふわりと当たる。

 ほんの少し悪戯心を起こして、それを引っ張ると、父は大袈裟に痛がって。側にいた母が、笑いながら優しく自分を叱ってくれた。

『ダメじゃない、マァム。こんな事をしちゃ』

『いいさ、レイラ。子供の頃はこれくらい悪さをするのが当たり前だ』

 叱られているのに、幼い自分はきゃっきゃとはしゃいでいた。

 そう。嬉しくて。楽しくて。イタズラをしたって、お父さんは笑って引っ掛かってくれる。お母さんは抱きしめてくれる。

 

 …こんな風に甘えてよい人は、もう母だけだ。そして、こんな風に素直に甘えることが出来る自分は…もうどこにもいない。

 

 やがておぼろげな父の顔も若い母の表情も、霞に包まれるようにして、消えていった。代わりに柔らかないい匂いがする。…母がよくいれてくれた、大好きな…ミルクの匂い。それを辿った先に待っていたのは――

 

 

 

「――ポップ」

「ああ、起きたか。毛布もかけずに寝たら、お前まで風邪ひくぜ?」

 その言葉に、自分が居間で寝入ってしまった事に気付く。

「薬は…?」

「今はおばさんもよく眠ってるし。明日の朝飲めば充分だよ。多めに作っておいたから、明日の晩の分まであるさ………で、だ」

 

 ことんとカップが目の前に置かれた。

 

「お前には、これ」

「これ……ミルク?」

「ああ。…お前がよくいれてくれる味を目指したんだけどな」

 では、夢の中で自分が感じたのは、この匂いだったのか…。自身も同じミルクを手にするポップに、マァムは「ありがとう」と笑った。

 そうだ。早く元に戻らなくては。せっかくポップが気を遣ってくれてるのだから。いつもの自分に戻って、母の看病をして、村の皆の頼みも軽く引き受けられるようにならなければ。

 

 ……でないと自分は、慈愛の使徒では…聖拳女ではなくなる。

 

「…マァム」

 ポップが呼んだ。自分の考えに没頭していた彼女は、不意に聞こえたその声に顔を上げた。ポップの瞳は、まるで痛々しいものを見るかのように、哀しげだった。何故、自分を見るのにそんな顔をするのだろう。

「なぁに?」

 聞き返すと、ポップは少し視線を彷徨わせた。

「…さっきは、ごめんな」

「え?」

 唐突な謝罪に、マァムは瞬きをした。謝られなければならないような事など、ポップは何もしていないはずだ。

「やだ。何なの一体?」

 ミルクカップに手を伸ばす。掌から伝わる温もりに、マァムは自然と笑顔になる。こくりと飲んで身体中が喜び、もう一口と思った時だった。

 

「聖拳女なんて、軽々しく呼んで…悪かった」

 

 マァムの手がぴたりと止まった。

  ざわざわ ざわざわ

 森が唸る。どこからか入り込んでくる隙間風が、無言の部屋で渦を巻いた。暖炉の火が大きく揺らぎ、薪が爆ぜる。

「……どうして、謝るの?」

 ややあって、マァムが口を開いた。その声は平静そのものだった。逆に、静かすぎるくらいだった。

 

 ポップはその抑えられた声に、静かな怒りを感じた。ああ、と思う。触れてはいけない部分だったのかもしれない。かつても己の肩書きに悩んでいたことのある彼女の事だ。今回は…今回も自分で昇華させるつもりだったのか。

 

「…お前さ、もう少し人に頼れよ」

 

 問いには全く答えずに、ポップはマァムを見た。むしろ睨むような視線の強さで。そうでもしなければ、自分はこの女の持つ柔らかな空気に差し込む事が出来ない気がした。

「…何よ、それ」

「無理するなって事だよ。疲れてるなら、素直にそう言え」

 言い切ってから、なにやってんだ…と彼は自分を罵った。謝った直後にこんな事を言うつもりではなかった。もっと婉曲的な言い方を考えていたはずだったのに。

 …だが、もう止まらない。

「言えずに、自分の中で癇癪起こして、挙げ句の果てにいっぱいいっぱいになって、延々と辛気臭ぇ顔するなんざ周りも迷惑だ」

 人の心に土足で上がりこむという行為があるというなら、今の自分がそれをしている自覚がポップにはあった。マァム自身が必死で抑え込んでいるものを自分は賢しげに暴いてみせたのだ。けれど、

 

(…怒ればいいんだ。爆発すりゃあいい)

 

 どんな言い方をしようと、結局はそれが狙いなのだから仕方ない。村人にぶつけられないものがあるなら、自分にぶつければいいとポップは思っていた。大魔王相手にも成功した、挑発は彼の十八番だ。

 マァムの目が険しくなる。そんな顔を見るのは久しぶりだなと、関係のない事を彼は思い、彼女が拳を握るのを見て、内心で成功を確信した。

 だが――

 

「そうね…。ごめんなさい」

 

 ――拳がゆっくりと解かれ、荒れた指が再び現れるのを、ポップはぼんやりと見つめた。

 

 マァムは深く息を吐く。

「あなたの言うとおりね…。迷惑かけちゃって、ごめん」

「いや…あの…」

「もうこんな風にならないようにするわ。ちゃんと休んで、明日からまた頑張るから」

 

 にっこりと笑えば、ポップが心底困った顔をしている。

 それで何となくわかってしまった……彼は自分を怒らせたかったのだろう。他人の心理を読むのに長けている彼には、自分の心など見透かされているのかもしれない。薄汚く醜い、怒りや嫉妬も……。

 

 けれど、それを指摘されたからと言って、ポップにぶつける事などあってはならないだろうとマァムは思う。

 

「…なんでそうなるんだよ」

 

 ポップが小さく唸った。

「言えばいいじゃねぇか! もう疲れたって! 休みたいって! お前一人が村の仕事を引き受けなきゃいけない義理なんて、どこにもないんだぞ!?」

 

 その台詞に、自分の想像が間違っていなかった事をマァムは確信する。辛そうな彼の表情に、暖かいものを覚えながら、彼女は首を横に振った。

 

「でも、それを引き受けたのは私だもの」

 

 確かに、そこまでの義理はないのかもしれない。それでも、皆に頼られる存在になろうとしたのは他ならぬ自分自身だ。そして実際に頼られている。ならば文句を言うべきではないだろう。

 

「私は、力もあるし…村の誰よりも強いもの。いつもこの村にいるわけじゃないから、帰ってきた時に頼まれ事が重なるのは当たり前なのよ」

 

 ……常に辿り着く答えをポップに告げる。結局は堂々巡りだ。少し眠った事で頭がすっきりした。自嘲の笑みが口元に浮かぶ。

 疲れるから…だから要らぬ愚痴が出るのだろう。人の役に立つ為に強くなったのなら、間違いなく自分は目的を叶えたはずだった。今更それを否定する気は毛頭ない。だから……

「だから、気にしないで。私は大丈夫だから」

 上手く笑えたと、思った。

 

 

 

 マァムの笑みから、ポップは視線を逸らした。そうじゃない、と胸中で叫びが渦を巻く。

 違うだろと叫びたかった。だが、言葉が出ないのは、マァムの言う事はもっともだとポップの頭も理解しているからだ。…それでも――

 彼女が言ったことは、実に立派で、筋の通った覚悟だと思う。普通なら、自分もちゃんと引き下がるだろう。…それでも――

 

 ほんの1時間前、この家を訪れた時の様子がフラッシュバックする。咳き込む母親の背を撫でながら、振り向いた彼女の顔。

 

 道に迷った子供のように、途方に暮れた、恋人の表情。

 

 ――それでも納得しないのは、心だ。

 

 自分を呼べばいいのにと言った時、マァムはきょとんとしていた。今思えば、あれは…『考えた事もなかった』からではないだろうか。

 考えてみれば、戦闘以外で彼女が人と一緒に何かをしている姿など、ほとんど見たことがない。自分で出来る事は、いつもさっさと済ましてしまうのだ。

 

「…お前は、凄ぇな」

 

 ぽつりと呟く。マァムが首を傾げるのが目の端に映った。

「ずっと、そうやって、一人で頑張ってきたんだよな……小さい頃から、ずっと……」

 頼る必要がない…それは、何でも出来るという事だ。けれど…逆に言えば、それだけ他者との関わりが薄いという事になるのではないだろうか。

 

「ポップ?」

「…お前、さっき俺が言った事に半分しか答えてねーよな」

「え…」

「もう少し、人に頼れ。……ずっと一人で頑張ってきたんだから、頼りにくいのはわかる。でも、村の人達だって子供じゃねぇんだ。お前に護ってもらうだけの存在じゃねぇはずだろ。頼るってのは…信頼の現われだ。頼られる事で立てる奴だっているんだぜ?」

 

 最後の部分は、彼女自身がそうだから、きっとわかってくれるはずだ。そんな想いをポップは込める。そしてそれは伝わったのだろう。マァムの栗色の瞳が揺れた。

「でも…だって…私は……」

「……なんだよ?」

 マァムは一度開いた拳を再び作った。

 

「私は…『聖拳女』で『慈愛の使徒』なんだもの……!」

 

 搾り出すようなマァムの声に、暖炉のボッという音が重なった。どこから入るとも知れない風が、暖かなはずの部屋を冷やそうとする。

「頼れって言われても…どうすればいいの? 私は…私には……」

 

   マァムなら出来るさ。なんたってアバンの使徒だ!

   慈愛の使徒か。だからこんなに優しいんだな。

   さすが、聖拳女様だ。

 

 脳裏で木霊するのは、ずっと言われてきた言葉。聞かされ続けた賛辞。

 いつしか、皆を護りたいという目標は、義務に変わろうとしていた。アバンの使徒だという誇りは、枷になろうとしている。

 

「マァム…」

「私には…それしかないもの。それだけしか求められてないもの…!」

 マァムの声が上ずった。拳は白くなるほど固く握られて、震えている。

「マァム……っ!」

 

「私は…しっかり者で、強くて、誰にでも優しくなきゃいけないの。そうじゃなきゃ私じゃなくなる…! 誰かに甘えたり、怒ったりする私は必要ないの! そんな私は、誰も要らないもの!!」

 

 涙で潤んだ瞳が、ついぞ見たことのない苛烈さで光った気がして、ポップは息を飲んだ。そして気付く。同時に光った物がもう一つあった。それは彼女の胸のあたりに。

 ――アバンのしるしが輝いていた。

 

 ああ…こんなにも泣きそうになりながら、我慢しながら、それでもこの女は優しい。村人にも俺にも怒りを向ける事なく、ただひたすらに己だけを責めている。

 

 

 

 ポップはマァムを抱きしめた。ビクッと震えた身体が、一瞬の間の後、素直に自分の胸に縋ってくれたことが、例えようもなく嬉しかった。

「…頑張ってたんだな」

「……うん」

「…嫌な事も沢山あったな」

「…うん」

 まるで子供のように舌足らずな声が、かすかに耳に届く。安心させるように、ポップは腕に力を込めた。武闘家の彼女には、頼りないかもしれないななどと心のどこかで自嘲しながら。

 

「大丈夫だ…。無理に優しく強くならなくたっていい……」

 

 無理などしなくても、充分彼女は優しい。その笑みが、心根が、見るものに心強さを与えてくれる。

 

「お前は、慈愛の使徒として生きなきゃならねーんじゃなくてさ、お前だからこそ慈愛の使徒を名乗る資格があるんだよ……」

 

 柔らかな薄桃色の髪を撫でる。自分の想いが、わずかでも彼女に染みこめばいい。そんな思いを込めて。

「ポップ…」

 ややあって、マァムが顔を上げた。

 引き結ばれた唇。潤んだ瞳。それは、泣きたいのを必死でこらえる、女の子の顔だ。

 いつもしっかりした彼女を見慣れているせいか、こういう表情で見つめられるとドキリとする。

 紅くなった顔を誤魔化すように、彼は苦笑した。

 きっとこういう時は、何も言わずに抱きしめ続けた方が絵になるのだろうが…確かにマァムの言うとおり、創り上げてきた『自分』は、変えようと思って変えられるものでもないようだ。

 あえて軽い声を出す。それが自分の役目であるかのように。

「…ま、もしも鬱憤が溜まっちまって、吐き出す相手がいないんだったら、俺に頼れよ。いくらでも、殴られてやるから」

 カラカラと笑えば、マァムは「そんな!」と声を上げた。

 

 

 

「そんな…! そんなことしな…い……」

 

 マァムの声が途切れたのは、ポップの側に理由がある。マァムを抱きしめていた彼の手が、いつの間にか移動して別の場所に添えられていたからだ。

 その場所とは――胸。

「あんまりしけた顔してっと、早く老けちまうぜ? せっかくいい胸してんのに、勿体ねぇぞ」

 にやにやと笑いながら、遠慮なく胸を揉みまくるポップ。

 

 ぶちん

 

 鼻の下をだらしなくのばす勇気の使徒に、どこかで何かが切れた。

「……こ……の…………!」

 いかに慈愛の使徒と言われる彼女でも、『それはそれ これはこれ』である。

 漂っていたはずの甘い空気は、どこへやら。プルプルと肩を震わせるマァムの背中から、怒りのオーラが立ち昇った。

 

「馬鹿ぁ!!」

「うぉお?!」

 

 渾身の右ストレートを寸でのところで避け、キックを回避した――まではよかったが、武闘家と近接戦闘をして魔法使いが勝てるわけがない。あとはタコ殴りである。

「いててててて! 痛いって、マァム!」

「あんたが悪いんでしょ!!」

 傍で見る者がいればかなり恐い情景だというのに、余り緊迫感がないのは、頭を必死でガードするポップの表情が、それでもどこか嬉しそうだからかもしれない。

 

 ――いくらでも、殴られてやるから

 

 まんまと乗せられた自分が悔しくて、ポップの笑顔が余りにも楽しそうで、マァムは本気でない拳を繰り出し続ける。

 

「なによ。馬鹿。最低っ!」

 その言葉に、ポップは苦笑する。

「なーにを今更。俺はいつだって最低だっただろうが。初めて会った時も。告った時も。…いつでも」

 パシン…!

 最後に放たれた拳を、ようやくポップは掌で受け止めた。

 

「俺はお前に対しては、いつだって最低だ」

 

 それは、思いがけないほどの真剣な声音で。

 

「いつだって俺はお前の一番底にいて、お前を受け止めるから。だから――」

 

 

 

 

 

「――疲れたら、安心して堕ちて来いよ」

 

 

 

 

 

 マァムの身体から力が抜けた。かすかに笑ったあと、その表情は崩れた。

 こらえきったと思っていた涙が、堰を切って零れ落ちる。再び抱き寄せてくれたポップの身体を、今度は彼女も抱きしめた。

 

 

 

(終)




気付けば、そこにいてくれる人。
いつでも、底にいてくれる人。

マァムにしたら、ポップってそういう存在ではないかと思うのですよ。
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