大戦からしばらく。勇者ダイの行方は杳として知れないままだった。
そんな中、勇者一行の一人であるパプニカ王女レオナは正式にパプニカ国王の座についた。今迄の彼女は、王家直系の唯一の生き残りの王女として、あくまでも国主代行の立場だったのであるが、いつまでも国主不在では良くないという事と、大戦での父王の仇である大魔王バーン――攻め込んだのは魔王軍の不死騎団であったとしても、その命を発したのは大魔王である。そもそも、公的な理屈では元魔王軍不死騎団長ヒュンケルがパプニカにもたらした破壊は(本人の見解如何に関わらず)将としてのものであって、犯罪ではないとされる――を討ったという事で、簡素ながら即位式が行われ、正式にパプニカ国王(女王)を襲名したのだ。
その彼女が最初にした事は、勇者ダイの捜索の縮小だった。
戦後の復興に人手は勿論必要だ。正直言って、勇者ダイ一人のために数百人態勢で捜索などどの国家も出来る事ではなかった。なので、このまま発見できない日が続けば必ずいつかはその話が出るのも皆が分かっていた事だ。それでも、縮小を言い出したのが他でもないレオナであった事に、皆が息を飲んだ。
若き女王は言う。
「ダイ君は生きてる。必ず見つけ出すわ。でも、その時に復興が遅れていて、それがダイ君のせいに少しでもされてしまう事は、私が嫌なの。」
勇者ダイを探しだし、厚く保護し、感謝を捧げる事は、人間である限り…いや地上にある者が決して怠ってはならない義務だ。
かけた情けは水に流しても構わぬが、受けた恩は岩に刻んで忘れてはならない。それが人の道というものだ。
だがそれでも、ダイが見つかったとして、彼を排除しようとする輩は必ず出てくるだろう。レオナから離そうとする者も。そんな攻撃の原因は一つでも取り除きたい。
それに――とレオナは哀しそうに笑う。
「私が言い出さなければ、どこかが悪者になっちゃうじゃない。」
レオナの胸元で、アバンのしるしが小さく輝いているのを、マァムは見た。白いその色は美しく峻厳な、正義の輝きだった。
即位の式に来賓として訪れている者の中にはカール女王夫妻がいる。フローラ女王は長年の意中の人であった大勇者アバンと、先日遂に結ばれた。世情が世情のために王家の華燭の典というには質素すぎるものだったが、それでも誰からも祝福される式を再建途中のカール大聖堂で行い、晴れて二人は夫婦となったのだ。情勢が落ち着けばいずれ、復興記念と共に披露宴も行うと言う。
「その時はおれ達も呼んでもらえますか?」
ポップがアバン先生に尋ね、先生が「勿論ですよ!」と答えるのを、マァムは微笑みながら見ていた。
先生たちは、明日になればカールへの帰途につく。マァムはポップと、そして占い師メルルと共にダイを捜索するチームを組んで旅に出る事が決まっていた。これはヒュンケルもそうで、彼はダイに忠誠を誓う陸戦騎ラーハルトと共に旅立つのだ。
先程二人で会いに行った時、ヒュンケルは「必ず見つけよう」と自分たちその場の者全員に言い聞かせるように宣言した。
その胸元で、しるしが紫の闘志の光を放っていた。
先生も捜索メンバーの一員となりたいと言っていたが、その申し出は丁重に無視された。役割分担的に、アバン先生には動き回らずに知恵を出してもらった方が良いと言うのは皆が思っていたし、そうでなくとも、前大戦と今回で、先生にはもう充分働いてもらったのだ。女王陛下と結ばれたからにはカールにいてもらい、復興に携わってもらわねば国民に示しがつかないだろうという尤もな理由もある。何より、これ以上、女性を悲しませるのは許される事ではないだろう。
そんなわけで、マァムはポップと共に、明日出発する挨拶をしに先生のもとを訪れたのだった。先生自らお茶を淹れてくれて、フローラ様も一緒にお茶を楽しんだのだ。
※※※※※
今後の事も話したが、アバン先生がデルムリン島を出てからのダイの事を尋ねたので、そこからは、もっぱら話すのはポップの役割になった。
「――マァムに殴られて、泣かれて、ニセ勇者の爺さんに背中押してもらって…。おれ、あの戦いでようやく人の為に力を使うってわかった気がしました。」
ポップがクロコダインと戦った時の話をした時、マァムは懐かしく目を細めた。
(あの時からずっと、ポップには『勇気』があったのに……)
ロモス王城に駆け込んできた彼を見て、見直して、そこからは何の不安もなく頼れる仲間だった。少なくともマァムの中ではそうだ。
それなのにミナカトールの際に光らなかったのは、それだけ彼が「皆に仲間の資格が無いと思われるのが怖かった」からだ。
(誰よりもダイのそばにいて、誰よりも共に苦境を乗り越えてきていても……)
弱さを克服してきたポップだからこそ、弱さを隠したくて、かつての臆病さを恥じていて、それを誰にも見せたくなくて――特に、私に。
男性のプライドとかは女性の自分にはわからない。ただ、人として、好意のある相手にみっともない姿を晒したくないというのは誰しも持つ思いだというのはわかる。
(…私もそうだもの)
ポップがダイの父親バランとの戦いの事を話している。その辺りの事は、マァムもあまり詳しく聞いた事はなかった。父子で戦ったという、ダイにとってとてもつらい戦いだったのだから、誰も話したくないのだろうと…そう思っていたのだ。
だが、それだけではなかった。ポップはさらりと流そうとしていたが、先生に問い詰められ、自己犠牲呪文を唱えたのだという事を白状し、ばつが悪そうに視線を彷徨わせて――
――見つめていた自分と目があった。
「……初めて、聞いたわ。」
マァムの口から、自分でも予想外なほどの硬い声が出た。
脳裏でロモス武闘大会での、ダイの言葉が繰り返されていた。
――ポップなんか一度死んじゃったんだよ。
あれは、そういう意味だったのだ。余りにもダイがあっさりと言うものだから、ポップは大怪我で生死を彷徨った等の意味だとばかり思い込んでいた。
自己犠牲呪文を。この目の前の彼が?
ポップが、死んだの……?
血の気が引くのが自分でもわかった。唇が震える。
「あ…あー…えっと…ごめん。言ったら、優しいお前の事だから…ほら、凄く取り乱すんじゃないかとか…ダイの剣を手に入れなきゃって時に、そんな死闘の話聞いたらますます父子で争うってのも反対されるかもとか…色々あって……」
「そう…」
「う、うん。」
「………そっか……そうね…聞いても、何か出来るわけじゃないものね…」
違う。と思う。
そんな事を言いたいんじゃなかった。
ほっと安心したと言いたげな顔をするポップに、何故だか無性に腹が立った。
自分以外は見ていたのだ。ダイもレオナもヒュンケルも、クロコダインも。…………メルルも。
ポップが命を散らす瞬間を。
自分は、修行の為にブロキーナ老師の元にいて、テランの戦いにはいなかった。
いたとしても、きっと何も出来なかっただろう。あの頃の僧侶戦士として魔弾銃を失った自分に、そのままで戦力になったとはとても思えない。
妻を人間に殺された憎しみで狂っていた竜の騎士に、自分が声をかけて何が変わるわけでもないだろう。
(アルビナス……)
――あなたが虫唾の走るイイコちゃんで良かった。ためらいもなく殺せます!!
大魔宮で戦った美しい女王の駒。主であるハドラーの為に、彼の望みである『勇者ダイとの一騎打ち』を叶えるために彼女は戦場に出た。
けれど、彼女の本当の望みはハドラーの延命だった。
自分はそんな忠節と愛情の想いでいる相手と命のやり取りをせねばならないのを避けたくて、説得にのために戦いなど無意味だと言い…彼女の怒りを買った。
今はわかっている。ハドラーを延命する手立てすらない状態で言っても、それは命を燃やし尽くそうとしている彼と、彼を大事に思う親衛騎団全員を侮辱したのと同じ事になるのだと。
きっとバランの時に自分がいては、同様の事で相手を激高させたのではないか…そんな気がする。
避けられ得ぬ戦いというものは必ず存在するのだ。命のやり取りにまで至って、犠牲を出さなければ納得できないものが世界には存在する。
正義がどれほど優しさの重要性を説いても、結局は武力という力が無ければ、その正義自体が通らないのだ。
ダイの父バランとの戦いとは、そういうものだったのだろう。
皆は――自分以外は、それを乗り越えてきたのだ。
過去の事を聞いて、何が出来るわけでもない。…それこそ口を出せる事ではなかった。だから、試合前に心を乱さないようにという「配慮」をしてくれたポップやダイに感謝しなければならないのだろう。
ただ……
(私は…ただ……ただ、何だろう……?)
話し上手なポップのこと、アバン先生への三ヶ月の思い出語りはあっという間だった。特に、バーンとの初戦で大魔宮から脱出してからの事はフローラ様も知っている事が多いので猶更だ。
「ミナカトールの時は…おれ…しるしが光らなくて。マァムやダイはすぐに光るのに、どうしてって…」
本番でもポップのしるしは光らず、辛さにその場から離脱しようとした彼に、ザボエラの攻撃があり、それを防ごうとメルルがポップの前に飛び出し重傷を負った。
マァムは、きゅと拳を作った。あの時の事は忘れたくとも忘れられない。
勇気を出して告白をしたメルルも、彼女のポップへの献身も。ポップの叫びも、しるしの光も、彼の覚醒も。何もかもが怒涛のように目の前で過ぎていったのだから。
「おれ、やっと本当に皆の仲間になれたんだって、嬉しかったです。おれも、先生の弟子を名乗って良いんだって…。このしるし、皆と一緒におそろいで持てるんだって。」
その言葉に息を飲む。
「ポップ…そんな風に思ってたの。」
「そりゃ、そうさ。お前なんて握っただけで光るし、ダイは特訓してる間にも光ってた。ヒュンケルだって助け出されてすぐ光るんだぜ。先生に習った事ない姫さんまで光るのに…おれだけ…ずっと…仮免なのかなって。命かけて戦って、一度は本当に死んだのに。もう戦いから逃げたりしないって覚悟もあったのに、何が足りないのかって…ずっと悩んでたんだ。
――そんなおれなんかが、『勇気』なんてびっくりだよな!」
殊更に明るい声を出して、ポップは笑う。
彼の事を勇者一行のムードメーカーと誰かが言っていたが、本当にその通りだと思う。つらく苦しい終盤の戦いで、全体の明るさを保てたのは間違いなくポップの持つ、この明るさだ。自分も含め、誰もが、ポップが諦めていないなら大丈夫という無言の信頼を寄せていた。
――何も心配いらねえよ。いつも一番に逃げちまうおれがここにいるんだぜ?
(誰からも信じられて、頼られて、重荷だと感じる事だってある筈なのに……)
ポップは、本当に成長したのだ。
立派で、尊敬すべき仲間。
(……じゃあ、私は?)
彼にとって、彼らにとって…自分は一体何なのだろう?
頭の中がグルグルする。
知らなかった出来事や思いに触れて、心の整理が追い付かない。
自分がこれからしようとしている事が、正しいのかどうか、あれほど考えたのに。
(ううん。そうじゃない…正しいとか間違ってるとかじゃ、なくて……)
顔を上げ、胸元のしるしを握りしめる。
無機物であるはずのそれが、何故か少し熱を持った気がした。
(私が、そうしたいんだから……)
※※※※※
「ポップ、本当に成長しましたね。私はあなたを誇りに思いますよ。」
「先生…」
ありがとうございます…! とポップは頭を下げた。気を抜くと鼻水と涙が溢れそうだ。
師からのこの一言で、正真正銘、仮免から卒業できたのだと感じる。
「明日からの捜索、大変でしょうけど力を合わせて頑張って下さい。あの占い師のメルルさんですか、彼女も一緒なんでしょう?」
マァムの方にも微笑むようにアバン先生が言うのを、少しドキリとして窺ってしまった。
メルルの占い師としての力はダイの探索に物凄く役立つだろう。本人がそう言って売り込みにきてくれたのだから、間違いない。ダイの捜索に人手が割けない以上は自分たちであいつを探そうとなったが、地上以外の場所の可能性もあるならば、彼女の能力は未知の領域を照らす灯明のようなものだ。
ただ…
自分に告白した男と、その男に恋をしていると宣言した女性と、共に旅をするというのはマァムにとってどうなのだろう?
「はい。彼女と協力してダイを探す為に、頑張ります。」
にこりと笑うマァムの顔にほっとする。
(そうだよな…いらん心配だよな。こいつは、そういう恋愛とか男女とか関係なく、立派で強いんだ……)
行方不明のダイ。大切な弟弟子を探すという目的の前に、同行者が誰とかは問題にもならないのだろう。
「その…先生、」
マァムが師を呼ぶ。
「どうしました?」
「少しお話があるんです…。出来たら、フローラ様と三人で。」
「え?」
「まあ、私も?」
「はい。」
師がちらりと女王様の目を見て頷いた。
「私とフローラ様は構いませんが…」
次に視線が向くのは当然こちらだった。マァムがふわりと笑う。
「ポップ、少しだけ外で待っていて。すぐ終わるから。」
「あ、ああ。わかった。」
ポップは頷き、挨拶して部屋から退いた。
(マァムと先生夫婦での話なら…マァムの父ちゃん母ちゃんの事かな……?)
それなら確かに自分がいても邪魔だろう。
そう思い、壁に背を預けてマァムが出てくるのを待とうと目を閉じる。
目蓋の裏に浮かんだのは、先程のマァムの笑顔。
いつもと違う笑みだったな…そんな風に感じて思い至る。あれは、彼女が慈愛の…何かの痛みを包み込む時の笑顔だった、と。
※※※※※
「先生、これ…お返ししたいんです。」
愛弟子から告げられた言葉に、アバンは息を飲んだ。よもや彼女から…マァムからそんな言葉を聞く事があるとは思ってもみなかった。
「マァム、何故…⁉」
彼女が取り出したのは、アバンのしるし。他ならぬ、自分が弟子となった子たちに渡した師弟の絆とも言える大切なもの。
隣ではフローラが驚きのあまり口を押えていた。
「私…これを持つ資格、ありませんから。」
それはつまり、もう『慈愛の使徒』ではない、という宣言に等しい。
「ど、どうしたんです? 一体何があったんですか?」
「アバン、落ち着いて。マァム、理由を話してくれますか?」
おろおろする自分よりも、フローラの方が衝撃から立ち直るのが早かった。
「はい…。私、あまり上手く説明出来ないかもしれませんけど……」
「構いませんよ。……私ね、あなたがさっき、ずっと静かだったのが気になっていたの。もしアバンにも言いにくい事でしたら、私だけで聞くわ。どう?」
マァムが…アバンにとっては親友ロカの愛娘が、少し悩んだようにうつむき、そして「はい」と頷くのは衝撃でしかなかった。いつでも慕ってくれるこの娘は、アバンにとって弟子である以上に親友の忘れ形見であって親族のような気持ちでいたのもある――拒絶など、考えた事もなかった。
「で、では、私も外に出ていますね。」
「すみません、先生。」
「いえ……では、お願いします、フローラ。」
「ええ。ああアバン、飲み物がまだ残っているから持って行って。…ポップの分も。」
妻の心遣いが有り難かった。
部屋から出ると、ポップの驚いた顔が正面にあった。
「え、先生…?」
「はは。私も追い出されちゃいました。」
「あ、はい…あの…先生、」
ポップが小さく「顔色悪いですよ」と指摘するのに、アバンはぐ、と詰まる。
「マァムに何か言われたんですか…?」
「…ええ、まあ。取り敢えずお茶を飲み干してしまいましょうか。」
※※※※※
「お茶を淹れ直すわね。」
フローラが言うと、マァムは「いえ、そんな」と断った。ではとスイーツスタンドの菓子を勧める。
「好きな物をとって頂戴。二人きりなんて初めてだもの。まずはお菓子を頂きましょう?」
緊張しているかもしれない少女に微笑む。
たとえどんなに『アバン先生の奥さん』の立場を手に入れたとしても、フローラはどうあってもカール女王である事に変わりはない。同様に、フローラがいかにマァムの事を『ロカの娘』として見ていても、彼女は騎士団長の息女としては育っていないのだから。
「どれが好き? とってあげる。」
「あ…私、こういうのわからなくて。どれも皆素敵で…」
「じゃあ全部食べてみる?」
「そ、そんな!」
慌てつつ美味しそうだなという風に薄茶の瞳が輝いたのがわかった。何故だかその事実にフローラはほっとする。十六歳の女子ならば、もちろん例外はあるとは言え、菓子が好きというのは当たり前なのだ。
「いいのよ。レオナの心遣いはありがたいのだけれど、私とアバンじゃ食べきれるわけもないし、それにアバンが余り料理に凝るのも困るもの。さっきもあなた達が来るまで、このバラの形の菓子が珍しかったみたいでノートに描いていたのよ。」
「そうなんですか。じゃあ…クリームが多い、それを頂きます。」
マァムが選んだのはカロンと呼ばれている菓子だった。軽く薄く膨らんだ生地には種々の色があって、フローラはいくつも皿に入れてやる。
「沢山あるから、好きな色をお食べなさいな。」
慌てるマァムに最初は目を細めた彼女だったが、本当に迷っている様子に「おや」と微かに眉を顰めた。
「…マァム、選ぶのは苦手?」
「…沢山あるので。村では菓子は滅多に食べませんから、選ぶことも初めてで。」
「そう………好き嫌いを言ってはいけないものね。」
「はい。お母さ…母にいつも言われてました。ネイル村は貧しいわけではないんですけども、やっぱり自給自足なので。それに母の実家は教会ですから、『あるものに感謝しましょう』『どれも皆等しく尊い』『優劣は自分の都合』って耳にタコが出来るくらいに……。あ、すみません。こんな話……」
困ったようにマァムは笑う。
フローラはグラスに視線を僅か落とした。この娘は緊張してはいないのだろう。だが、もっと厄介なものに縛られているのではないか…そんな思いが脳裏をよぎった。
「ポップがメルルに告白されて、私の事を好きだと言ってくれました。その後…大魔宮で親衛騎団との戦いの後に改めて告白してくれたんです。」
ちゃんと顔を見て正面から言ってくれて、嬉しかったんです。
マァムが大魔宮での出来事を語る。先程ポップが語った通りの事だった。
だが、視点はマァムのものだ。
「返事はしたの…?」
この問いをする時、フローラは年甲斐もなくドキドキとした。娘のような歳の少女が、いつもそばにいた仲間に告白されて初めて自分が想われていた事を知る、なんて結構胸の躍る展開ではあるまいか。
だが、マァムは首を横に振った。
「戦いが終わってちゃんと生き残ってから返事をさせてと言いました。必ず返事はします。けど、あまりにも急で。…私、ポップの事はずっと性別関係なく『素晴らしい仲間』だって思っていたので。
レオナには鈍いって言われたけど…ポップは私の身体つきの事は言いますけど、戦いの時はしっかり戦力に入れてくれるから、特に女扱いなんてされた事なかったし…。だから…前の夜もヒュンケルとエイミさんの事で相談なんてしてしまって……」
「そう…だったの……」
「それに…」
マァムの次の言葉にフローラは絶句した。
マァムは言ったのだ――「私は、仲間ですらないのかもしれません。」と。
「何を言い出すの…そんな事あるはず」
ないでしょう、と続けようとしたのをマァムの声が遮った。
「私、さっき初めて知ったんです。ポップの、自己犠牲呪文の事。」
「え…?」
「知りませんでした。教えてもらえませんでした。何も。竜騎士バランとの戦いで、彼がそんな事になったなんて一言も…!」
フローラはマァムの手が震えているのに気付いた。声は穏やかだが、瞳には熱があった。
それはまるで嵐の中心のようだ。荒れ狂う渦の中心だけが静かに澄んだ青空を見せるように。
「その場にいなかった私に、何も言う資格なんてありません。
後から聞かされたって何が出来るわけでもないし、武闘大会で勝たなければいけなかったから『配慮してくれたことに感謝しなきゃいけないんだ』ってわかってます。
私だってダイがつらいだろうって思って聞かなかったんだし、聞かれなければ答える必要もないんです。
ポップは…生きてくれてる。
わがままなんです。私は…わがままです。
こんな事で疎外感を感じるなら、じゃあ、それなら私はその場にいたかったのかって考えれば、そんな酷い出来事に遭わなくて幸運だったんですから……だから、筋違いの怒りなんだとわかっています。
でも…やっぱり、教えてもらいたかった……っ!!」
ぽろぽろと少女の瞳から涙が零れていくのを、フローラは呆然と見遣った。
心配しないでいいようにと慮られて、感謝しなければと理性が思う反面。皆が共通して持っている連帯感には、決して入れない…入れてもらえない。
戦闘要員として望まれていても、他のどの戦いを一緒に経験していても。
戦えなくて申し訳ないと嘆き「出来る事をやろう」と励むメルルと、共に戦い同じアバンの使徒という括りの中にありながら『配慮』をされ続けるマァム。
フローラは溜息をついた。
一概に比べられるものではないのはわかっているが、つらいのはマァムではなかろうか。
大事にされる事に感謝があろうと、それは彼女を対等に扱っていないのと同じではないのだろうか。
「フローラ様、慈愛って皆を分け隔てなく愛する事…ですよね。」
「ええ…そうね……」
「私、告白されました――ポップに。嬉しかった。凄く私の事を想ってくれてたんだって……でも、それなら、返事をすればもう…それまでの『みんなが大切』って関係は……壊れるんですよね。」
マァムがポップに諾と答えれば、それはつまりメルルの完全な失恋だ。
また、マァムはいま取り上げていないが、パプニカ三賢者の一人エイミが言うように、マァムのヒュンケルへの気持ちが恋なのだとして、マァムが彼を求めればおそらくヒュンケルは拒否しないのだろうという事がフローラにもわかる。少し会って話した程度ではあるが、あの青年のマァムへの態度は崇敬のようなものだと思えた。アバンへ向けるのと同じ深い尊敬がいつも眼差しに籠っているのだから。
そうなれば、エイミもポップも失恋の痛みを味わうだろう。
選ばなかったとしても、マァムがマァムである限り、ポップは恋い続けるのかもしれない。
想いを伝えられた者は良いだろう。だが、真実の意味で大きく広い愛を皆に抱いていた少女だけが、答えを出すことを求められ、必ず何かを失うのだ。
「私、皆が好きです。大切です。ポップもダイもレオナもヒュンケルも。クロコダインやヒムやラーハルトもチウも。メルルやエイミさんも。関係の濃淡はあるかもしれないけど、皆大切でした。ずっと――それが続くって思ってました。」
ただ頷く。先程ずっと静かに、少年の話の影でここまでの想いを滾らせていたのか。
『母の実家は教会ですから、『あるものに感謝しましょう』『どれも皆等しく尊い』『好き嫌いは自分の都合』って耳にタコが出来るくらいに……。あ、すみません。こんな話……』
つい先程の会話が耳の奥で蘇る。
(ああ…何てこと……)
フローラはマァムの母レイラとはあまり面識がないが、あのロカが惚れた女性なのだから素晴らしい人なのだろう。僧侶だと聞いていたから、主婦となっても一人娘に優しさの尊さと分け隔てのない態度をしっかりと伝えてきたのだろう事も容易に想像できる。
それによって育まれた慈愛が、よりにもよってマァムを縛るとは、何ということだろう。
「答えは必ず出します。ポップの誠実さにちゃんと答えたいから。先生の弟子なのも誇りです。でも…『慈愛の使徒』はもう…無理、です。こんな、理不尽な怒りとか、贅沢な、疎外感とかを抱いてっポップや、メルル、に『慈愛』なんて…言えません…! 私…私も……っ」
私も皆とおそろいが良かった――!!
その魂からの叫びに、フローラはただ少女を抱きしめるだけだった。
友人だと言っても、今の、ダイを失ったレオナにこんな相談は出来ないだろう。師であろうと異性であるアバンにも。言えるとすれば母親であるレイラくらいだろうが、思い返せば彼女はいまのマァムの年齢で母となった女性だ。激しく深い恋は知っていても、慈愛の悩みには僧侶としての観点からしか答えは出ないかもしれない。
等しい愛を抱くがゆえに、マァムはあまりにも孤独だ。なまじ強い心であるがゆえに、皆がこの子に安定を感じて、寄り添ってこなかったのだ――救われる事はあっても。
※※※※※
涙を拭い、腫れた目蓋をホイミで癒し、フローラに挨拶をして部屋を出たマァムは、待っていた二人に礼を言った。
廊下の端に空のグラスが二つ。すぐに終わると言ったのに長く待たせて申し訳なかった。
「フローラ様とお話は出来ましたか?」
アバンの問いに、マァムは頷いた。
あれほど誰かに親身になって話をきいてもらったのはいつぶりだろう。
『またいつでもいらっしゃい。先生では無理な話なら、先生の奥さんがいくらでも聞いてあげますからね。』
あれほど、誰かに頼るという事が出来たのは、いつぶりだろうか。
フローラ様に心の内を全部曝け出したお陰で、心はここしばらくなかった位に軽くなっていた。
「はい。あの、先生…」
「はい?」
「私は先生の弟子で良かったです。」
告げると、数瞬の間の後、先生は天井を見上げて目を揉んだ。何故だかその耳元には赤い筋が走っている。
肩に手を置かれ、先生が微笑んだのを正面から受け止められるのが嬉しい。
「私も、あなたを弟子に持てて良かったですよ、マァム。貴女は優しくて勇敢な、私の自慢の弟子です。」
部屋に戻る道すがら、ポップがおずおずといった態で話しかけてきた。
「お前さ…その…アバンのしるし…返すって……」
ああそうか。先生に聞いたのね。
「うん…そのつもりだったんだけどね。フローラ様に『持っておきなさい』って言われたの。」
自分の代わりに先生に返してもらおうとお願いしようとしたのだが、かの女王陛下は『ダメよ』と言った。
『マァム、私が受け取るのは、あなたのそのつらい気持ちとやり場のない怒りだけ。あなたは紛れもなくアバンの使徒なのだから、その絆の証として持ち続けなさい。』
『で、でも…』
『慈愛だけが、使徒の条件じゃないでしょう?』
『え…?』
『あなたにだって正義の心はあるでしょう? 困難に立ち向かう闘志も。皆を公平に愛する純真さも――いつか誰かを選び取る勇気も。』
『…はい。』
『自信を持ちなさい。あなたはちゃんと、皆とおそろいよ。』
「そっか…。おれは、お前がしるし持ってても持ってなくても好きだけどさ…やっぱ、絆が形になってるって感じで、持っててくれたら嬉しいよ。」
見上げた彼の顔。そう、「見上げた」のだ。いつの間にか、並んでいたはずの背は彼の方がうんと高くなっていた。
その耳元には、何故か先生と同じ赤い筋があった。何かを押し付けたような丸い跡だった。
目が合う。
視線が絡む。
「明日からの旅、な。おれ、絶対お前にいっぱい心配かけると思う。心配かけないように頑張るけどよ、それでもやっぱり嫌な思いとかつらい思い絶対させると思う。だって、おれだからな。」
「ポップ…」
「ごめんな。けど、こんな奴だけどよ…心配してもらっても…いいか?」
困ったように申し訳なさそうに、とんでもない宣言をされた。だけど、それは今の自分が何よりも欲しい言葉で。
「私に…心配させてくれるの? ちゃんと、怒らせてくれる? 泣かせてくれるの?」
「ああ! って、自信もって言う事じゃねえけどさ! ガキみたいに隠したりしねえから。ちゃんと見てもらうから!」
なによ。なんでそんなに勢いこんで言うのよ。なんでこんなに……嬉しいのよ。
ポップの指が頬を、目元を、すくうようにした。
「…ごめんな。いっぱい泣かして。」
「…謝らないでよ。」
「ああ。そうだな。…有り難うな、マァム。」
『あなたが誰かを選ぶことは、他を捨てる事ではないわ。ちゃんとあなたが皆を好きな事は伝わっているわ。』
『そう…でしょうか。』
『ええ。そして皆も、自らが傷つく覚悟と、誰かを傷つける事を覚悟に選んだの。だから、大丈夫。
全てを幸せにする事は決して出来ないの。だからね、選ぶ幸せを見つけなさい――あなたなら、選んだ相手一人は、確実に幸せにできるでしょう。』
「ねえポップ、私、必ず返事をするわ。だから…もう少し待ってて。」
尋ねながら思い出すのは、あの日のポップの言葉。
――マァム、絶対勝とうな。未来見てえから。おれがフラれる未来でもいいからさ。
きっと、どんな答えを出しても、ポップとの絆は変わらないのだろう。
けれど、頷く彼の黒い瞳に映る未来と自分が見る未来は、おそろいがいいな――そう思えた。
(終)
するまでもない補足
グラスをドアと耳にあてて部屋の会話を探るという、古典的な方法があります。部屋の女主人公認だから、この場合目を瞑ってください。(絵面考えたらバカっぽいですが)
女性特有の悩み相談とかの、本当に聞かせられない話なら、気づいた時点で先生がやめるし、横で聞いてる三番弟子にもやめさせるだろうという、フローラ様なりの夫への信頼と問題共有です。