Fate/stay night 槍の騎士王と幼い正義の味方 作:ウェズン
みんなにはどんな負の感情があるかな? ああ、恥ずかしがらなくしていい。負の感情は誰しもが持つものであり、それがあるから生きているんだ。逆に、負の感情がなければ生きていられなんかいないさ。
…と言っても、負の感情っていうのはその人間の獣性、すなわちビースト。本来では有ってはいけないものだ。けど、なければ生きていられない。全く、皮肉なことだよね。
さて、シロウ君。君に言った私の言葉は覚えているかな? 君はその獣を抱えている以上正義の味方になんてなれない。ただ、そちらに転べば君は死ぬ。けれど、君ならそれを厭とは言わないだろう。あっちの君と同じならね。
君の苦悩、その本質は自身にある獣との戦いだ。それに勝利すれば君は正義の味方だし、負ければ、君は獣となる。
…どういう意味か判るかい? 君は今瀬戸際に立たされているんだよ。この世の悪となるか、それとも世界を救うべく立ち上がる者になるか。
それが決まる時が、非常に楽しみだ。それで初めて君の未来が見れそうだからね。
それから時間が経ち、夜も完全に明け、朝食を済ました士郎は今日も凛から魔術を教わろうとしたが、
「あー、ごめん。今日はちょっと気分悪いから無しで」
とかなりやつれた顔で言われたので、仕方なく今日の魔術鍛錬は無しになってしまった。ならば、後は戦闘訓練だが、知っての通りアーチャー、エミヤはもう来なくていい、と言われているので行こうと思っても行けなかった。
「はぁ。今日はどうしよう。すること何もないなあ」
ふらふらと屋敷の廊下を歩いていると、
「あっ、アルトリア!」
居間でアルトリアが座ってテレビを見ていた。
「シロウ。どうされました? 今の時間なら凜から魔術を教わっているのでは?」
「今日はりんが体調悪いからって休みになったんだ」
士郎はアルトリアの方に駆け寄る。すると、ひょいと持ち上げられアルトリアの膝に乗せられる。もう慣れたのかこれがほぼ当たり前になっている。
「凜が…仕方ありませんね。昨日の今日ですから。
では今日はどうしましょうか」
エミヤの訓練に関してはアルトリアも知っているので、その事に関しては触れない。
「そうだなあ…今日はアルトリアと何か話そうかな」
「私と、ですか。それは構いませんが、大した話はできませんよ」
とアルトリアが言うも、「そんなこと気にしないよ」と士郎はそれでもいいと言う。
それなら、とアルトリアも了承したところで、士郎は早速何から話そうかなと思っていると、
「…ん? 誰だろう」
突然屋敷に備えてある電話からコール音が鳴り始める。
士郎はこんな時間に誰だ、と思いながらアルトリアから解放してもらい、居間を出てすぐそこにある電話の受話器を取って「もしもし」と話しかけると、
「やあ、久しぶりかな? 僕のことは覚えているかい」
「…! お前…!」
聞こえてきた声は忘れる筈の無い桜の兄、間桐 慎二の声だ。
「ああっと切るなよ? 今回僕が君の家に電話をかけたのは、君と少し話がしたいからなんだ」
「話…? お前が…?」
一体あの慎二が士郎に何の話をしたいと言うのか、嫌な予感しかない。故に断ろうとしたが、
「聖杯戦争…」
その一言により聞かないわけにはいかなくなった。
「―! なんでお前が…」
「さあ。なんでかは君が来れば判ることだ。それじゃ、高校で待ってるから。ああ、あとサーヴァントは連れてきた方がいいよ」
士郎の返事も待たず、言いたいことを言ってすぐに切られてしまう。
「お、おい! くそっ、切りやがった。…」
士郎は少し悩む。これは士郎でも判るくらいあからさまな罠だ。何かしら学校に仕掛けていると見るべきだろう。もしかしたら、前感じた高校の空気と何か関係があるのかもしれない。
ならば、これは行くしかない。たとえ罠だと判っていても、このままでは高校が、桜や大河が危険な目に遭うかもしれないからだ。
「……………」
「…大丈夫ですか? シロウ」
そう決めていた時だ、士郎の声が聞こえていたのかアルトリアがやって来る。
(そういえば、あいつサーヴァントを連れてこいって言っていたな)
慎二はサーヴァントを連れてきた方がいいと言っていた。あの口ぶりからして慎二はマスターである可能性がある。ならば、恐らく自分のサーヴァントとぶつけよう、ということなのだろう。よほど自信があるのか。
これは相手のサーヴァントは大英雄と見ていいだろう。少なくとも一筋縄ではいかない英霊と思われる。
(…本当なら、おれ一人で行きたい。けど、おれじゃ何もできない…! よし)
本来であれば士郎は自分の手で桜達を守りたい。だが、腹立たしいことに士郎一人では何もできない。
ただし、それもアルトリアがいれば話は別だ。アルトリアの強さはもう骨身に染みている。
故に、士郎はアルトリアを頼ることにする。
「なあ、アルトリア。頼みたいことがあるんだけど…」
士郎は先程の慎二と話した内容を教える。
「…判りました。行きましょう。確かにこのままでは二人が危険です」
お互い頷き、士郎はアルトリアに学校まで運んでもらおうと背中に乗る。
「凜はどうします?」
「…凜は疲れているようだし、今はそのまま休んでいてもらおう」
今朝の凜を思いだし、今はそのままそっとしておこうと思う。あの疲れようではさすがに危険かもしれないからだ。アルトリアは「判りました」と言って人気のない道を走り出す。
(待っててくれ…。さくらねえちゃん…! ふじねえちゃん…!)
◇
それから少し経った頃、士郎達は学校前に着いた。学校の様子は至って変わらない。まだ授業中なのか一切音もせず、校舎は静まり返っている。
「…行こう。なるべくみんなに気づかれないようにね」
生徒達が士郎達を見ればたちまち騒がしくなるだろう。それは前回の弓道部で経験した。それに、今回はランサーもいる。ランサーもランサーでかなり人の目を集める容姿だ。騒がられること間違い無しだろう。
そのため、士郎達は最低限物音を発てないように学校に入っていく。
「……………」
静かな校内をひたすら音を立てず忍び足で歩く。周囲にも警戒しているものの、今のところ何か起こる気配はない。
「……………」
しばらくして、一階は一通り確認し何もないと判ったので、次の二階に上がる。
「…本当に何をしようとしているんだ?」
「少なくとも、ここに何か仕掛けられているのは確かなようですが」
教室からは教師の声とチョークの音しか聞こえない。思えば、何故こんな授業中に呼んだのか、何が目的なのか。検討もつかないまま調べ終わり次の三階まで登る。
(…なんだろう。こんなに静かなのに、なんですごくまずいことが起こりそうだって思えるんだろう)
と胸騒ぎが治らなく不安に思っているが、何かが起きそうな気配は未だに無い。その事が余計に気味悪く感じる。
もしも、ここまで来て本当になにも起こらないのであれば、ここに呼び出したことが罠だったということもありえる。
なぜなら、それなら目的が一目瞭然だからだ。士郎と凜を分断させ、個別に叩く。至ってシンプルにして一番確実性がある戦略だ。
「…アルトリア、一旦戻ろっか」
もしそうだったとしたら早急に戻る必要がある。こうしているうちにも凜が危険な目にあっている可能性があるからだ。無論、凜とエミヤが負けることなどそうそうないだろう。そこまで不安に思うのはある意味失礼だ。
だが、何事にも万が一がある。もし、慎二が本当にそんなことを考えていた場合、誰かと繋がっているだろう。何故なら慎二は、凜の居場所をしらない筈だ。故に、誰か…あの魔術王のようなこちらの情報を知っている強力なサーヴァントと繋がっていれば、その可能性も高くなる。
故に、士郎が戻ろう、とアルトリアに言う。――だが、その瞬間、
「――! な、なんだっ!?」
「――! これは…!?」
一瞬で周囲が血のような赤紫色で染まった。
空気が一瞬にして変わった。これは完全に何かが起こったのだろう、二人は咄嗟に構える。
不気味な色合いに染まった風景はそこにいるだけで恐怖を感じてしまう。が、それよりも、妙なことが起こった、先ほどまで聞こえていた先生の声もチョークの音も何もかも急に聞こえなくなったのだ。これは、この学校にいる人達全員に何かあったに違いない。
とはいえ、焦っても仕方ない。二人は一体ここで何が起こったのか理解しようとするが、その前に、
「…! そうだ、さくらねえちゃん!!」
桜達の安否が気になった。
「! シロウ! 迂闊に動いては危険です!」
桜を探そうと、突然走り出した士郎を追いかけようとするが、
「…!」
突然、目をバイザーで隠した美女が横から現れ、
「…貴女はこちらです」
鎖がついた杭を、アルトリアに突き刺す。
「はぁ、はぁ。…っ! さくらねえちゃん!!」
士郎は桜を失いたくない一心で探し回る。もう嫌だった。誰かと死に別れなど、切嗣で十分だった。だから、士郎は必死になって一年教室と書かれた教室を開けて探す。桜の学年は知っているものの、クラスまでは知らないので適当に手当たり次第探すつもりだ。
「…っ! うっ、あっ、ああ…あ…」
教室の横開きのドアを開けてみると、そこはいつしかの見たことのない筈の地獄が再現されていた。
そんな惨状に思わず後退りする。まさにこれは周りの雰囲気も合わせて地獄だった。椅子に座って机に向かっていたはずの生徒達は殆どが椅子から落ちて倒れている。その様は大量の人が飢えで死んでしまったようだった。士郎はその状況がどうしても怖く、歯を鳴らして目を見開く。足もガクガクと震えてばかりで、探しに来たはずがなかなか教室の中に入れない。
「っ! あっ!? くあっ…! な、なんだこれぇ、ぇ…!?」
そうして立ち往生していると急にフラッシュバックのように、ある光景と今見えている光景が重なり合う。その光景は見たことがないはずなのに、夢で見たことがあるようなないような、不思議と縁を感じる。そんな曖昧な記憶であるが、少なくともかつて自分もここの生徒達と同じ状態に紛れていたことは覚えている。
(っっっ!! は、入んなきゃ…! さくらねえちゃんを、探さなきゃ…!)
体に鞭を打ち、意を決して教室に入る。
中は依然として静まり返っており、意識のある人は誰もいない。だというのに、死体のように生徒達が転がっているのだからここは死体安置所かなんかじゃないかと錯覚しそうである。
「…っ! …っ!! ひっ!?」
体の震えは以前にも増して止まることはなく足を震わせながら歩く。歩いている間桜を探してキョロキョロとしていると、時々光が消えた瞳と目が合い悲鳴が出る。何度か腰が抜けそうにもなった。
士郎は一通り探したが、桜はどこにもいない。恐らく別のクラスなのだろう。ならば、ここに用はない。
「…っ、はっ…! はっ…! はあ、あぁっ!」
呼吸がおかしくなりながら急いでこの恐怖から逃れたいがために次の一年教室を探す。ここも先ほどと同様だった。生徒達が死体のように転がっている。またフラッシュバックがくる。
士郎は頭を抑え、怯えながら少しの間探していると、見覚えのある紫色の長髪の女子を見つけたので近寄ってみると、案の定桜だった。
「…! さ、さくらねえちゃん…! さくらねえちゃん!! あっ、ああ、…よかった。まだ、生きてる」
士郎は泣き崩れながら幸いにまだ息をしている桜に近寄る。といっても、それも風前の灯火だ。一刻も早くこの状況を戻さなければ完全に息絶えてしまうだろう。
だとしてもどうしろというのか。こういったものの解き方など士郎が知るはずもない。ならばどうすればいい。どうすればこの状況から桜を助け出せる。それだけじゃない。ここにいる生徒達も別の教室にいるだろう大河もだ。このまま誰一人見殺しになんてできない。
(このままじゃ…! でもどうすれば…! おれに何ができるんだ…!)
だが、何度も言うように、士郎一人では何もできない。そのことに士郎は自分自身の無力感を改めて思い知らされた。
(…はは。本当に何もできないな、おれって。こんなんじゃ、アーチャー師匠に見限られてもおかしくないよな…だったら…)
自嘲気味にそう思う。
「…結局、おれって何ができるんだろう。おれは、正義の味方になるため頑張ってきたの、に。おれは、……。…そうだ、おれは正義の味方だ。そうだ、それなら…」
士郎は恐怖と無力感から思考が徐々にグチャグチャに混ざり合ってきた。うわ言のように正義の味方を口ずさみ、しばらくの間考え込んでいた士郎は一つの結論に至る。それは、
「……こんなことを…! こんな酷いことをあいつはしたんだ。なら、死んじゃってもいいよな。全部あいつが悪いんだ、殺しちゃえば、いいんだ」
本来の士郎であれば出るはずのない答えだった。士郎は拳を握りしめ、声を震わせながらも呪いでも吐くかのように恨めしくこれを作った張本人と思われる慎二に向けて言う。
今士郎は桜が死ぬ恐怖心と自身の信念を天秤にかけていた。どちらが大切か、カタコトと左右に揺れている天秤はやがて、一方向へ傾く。
「…殺すんだ。こんなことをしたんだ。誰も許すわけないし、死んじゃっても構わないだろ。殺せばいいんだ。
そうだ、殺すんだ。あいつを引き裂いてやればいい。体を千切ればいい。殺す…殺す…! 殺ス…!! 殺すんだ、絶対に!!!」
天秤は無力感から恐怖心へと傾いてしまい、結果恐怖心は強力な殺意となった。さらに、士郎は知らず知らず体から黒い瘴気のような靄を出してくる。
士郎はゆっくりと立ち上がり、慎二を、この惨状を招いた元凶を消すために走り、探し出す。それが、士郎に潜むものを肥やすだけだということに気づかず。
鎖に繋がれた二本の杭と光輝く馬上槍が激しく音を立てながらぶつかり合う。
「ハァッ!」
士郎と切り離されたアルトリアは薄紫色の長髪で妖艶な女性、ライダーを相手にしていた。
「…やはり、お強いですね。走っていったあの子のおかげでしょうか。でも、これは決してそれだけではありませんね」
ライダーは目が隠されているはずだというのにまるで見えているような、しなやかな動きを見せる。
「…ライダー、これは貴女の仕業か」
「この結界のことですか? ええ。そうですよ。これは私の宝具『
ライダーはもう発動したからなのか、まるで隠すつもりもない様子だ。
アルトリアはこれが完全に部外者に害を与えるものだと判っても決して怒り出すこともなく、ただ険しい目で睨むだけだ。
「…なるほど、では貴女を倒しさえすればこの結界は解かれるということか」
「…ええ。出来るものならの話ですが」
そう言うと同時に杭を構え、また襲いかかってくる。
「―!」
アルトリアは咄嗟に対処し、金属音と共に後ろへと流す。が、後ろへと回った瞬間、またライダーは尋常じゃない速さで襲いかかる。
ライダーは不意を突いたと思ったが、アルトリアはライダー以上の速さで槍を振り向きざまに横薙ぎに振るい、ライダーは咄嗟に上半身を反らして躱し、そのままの体勢で勢いよく後ろに飛んでアルトリアから距離を取る。
この狭い空間では考えられない速度で槍を扱うアルトリアに素早くしなやかな動きを見せるライダーの戦いは、さながら踊りでも踊っているようだった。アルトリアはライダーの見た目からは想像できない速くも重い一撃を巧く受け流し、ライダーはアルトリアの一直線に向かってくる槍を杭で反らし僅かにできた隙間から体を滑り込ませ巧く躱す。
「…どうやら貴女は、優しく殺せそうにないですね」
しばらくの間攻防が続いていたが、ライダーは一度吹き飛ばされ杭を床に突き刺すようにして勢いを殺し、一度止まってから目を覆っているバイザーに手を掛ける。
アルトリアは宝具が来るかと思い、いつ来ても大丈夫なよう身構える。だが、
「…!」
「なっ…!」
ライダーは唐突に光のベールに包まれたと思えば、一瞬にしてその場から消え去った。
「…今のは、令呪による強制転移…」
一瞬何が起こったのかと唖然としたものの、すぐに冷静な思考で結論を出す。つまり、ライダーのマスターがどこかへと令呪で命令し送ったということになる。
どこへいったのかは、まだ近くにいるようなので気配から判る。故に追いかけようとするが、
「…!」
その前に、急に何か妙な気配を感じた。それは以前も感じたことがあるものだ。なぜいきなりこれがと思っていると、また唐突にこの学校を覆っていたライダーの結界が消えた。そして、立て続けにライダーの気配も彼方へと去っていく。
「…これは一体…」
次から次へと状況が変わっていくために、まだ状況判断ができていないものの、どうやらこの学校から危険は去ったと見える。ので、ここでじっとしていても仕方なく、士郎のところへと向かう。
アルトリアがまだライダーと戦っていた頃、
「はぁ…! はぁ…! はぁ…!」
士郎は血眼で慎二を探している。どこにいるのか検討なんてない。だが、探さずにはいられない。足も見つけるまでは止まることもない。
「どこだ…! 出てこい!」
そう叫びながら士郎はずっと探し回っていた。それでも、なかなか見つからず苛立っていた。その時だ、
「あん? なんだ、全然元気じゃん。なんでお前には効いてないわけ?」
「…!」
後ろから聞き覚えのある声が聞こえて来た。後ろを振り向けば、十メートル先あたりに慎二の姿が見える。
「テメェ…!」
「おいおい、やだなぁ。なんだいその目。そんなムカつく目なんてされたらさぁ、思わず潰したくなるじゃん。はぁ、いやだねえ、本当にこういうガキが僕は大嫌いだよ」
士郎が威嚇するかのような視線を後ろから現れた魔導書のような本を一冊持った慎二に向けていたら、慎二はまるで逆撫でするように煽る。
「…っ! お前だけは…! お前だけは、許さねえ!!」
「吠えんなよ、鬱陶しい。ああ本当、お前といい、藤村といい、なんでこうも鬱陶しい奴らばっかなんだか。死んじゃえって、いっつも何度も思うよ」
慎二は懲りずに士郎達を馬鹿にする。この感じからして、この惨状は正しく慎二が作り出したようだ。
「さっきなんかも、この結界が張られても藤村の奴まだ動けていたんだ。もうフラフラの状態のくせにさー、『慎二くん。救急車を呼んで』なんて、僕の服掴んで息絶え絶えに言って来たんだぜ? あっはは!! 馬鹿なんじゃねえの!? これ作った張本人にそんなこと言ってさー」
士郎の額に血管が浮き上がる。慎二の言葉は全てが士郎の殺意へと変換されていく。
「あんまりにも面白かったもんだから、思いっきり蹴ってやったらそのままピクリとも動かなくなってさー、あっははは!!」
その瞬間、士郎の血管が切れた。
「…っ! テ、メェェェ‼︎」
我慢の限界だった。ただでさえこの状況が許せないというのに、慎二は士郎を馬鹿にし、桜に手を挙げているだけに飽き足らず、大河にまで手を出してきた。それが何より許せなかった。
「ああもう! 吠えるなって言っただろう!! いい加減鬱陶しいんだよっ!!」
すると、慎二は形相を変えて黒い柱のようなものを三本出す。
「さあ、さっさと死ね!!」
そして、慎二が手を振りかざすとその三本の黒い柱が士郎目掛けて飛び出してくる。
「…! こんなものが、なんだってんだあぁぁぁ!!」
だが、士郎はそれに怯えることなく、むしろそれに自ら突っ込んでいくようにして走り出す。
慎二はこれで士郎が死ぬかと思ったが、思いの外士郎は易々と間を縫うように躱していく。
「なっ…! う、うそだろ!?」
(っ! これくらいアーチャー師匠の剣と比べれば、どうってことない!)
士郎のあの体からは想像ができないほどの身体能力を前にした慎二は後退りする。いや、それだけじゃない。慎二はあの士郎から漏れ出ている黒い靄にも怖がっている。あの黒い靄は見る者全てが恐ろしいと言えるような、そんな雰囲気を晒していた。
とはいえ、慎二とてここまで来たからにはそうそう引けない。再三黒い柱を出していく。だが、やはり躱されていく。そして、士郎は慎二のすぐそばまで来た。
「ひっ、ひぃっ!!」
「すう、はあ。
側まで来た士郎は一呼吸置いて、投影魔術で『干将・莫耶』を投影し、腰が抜けて座り込んでいる慎二の鼻根あたりに突き出す。
「あ、ああっ!! あ、ああ、あああ、か、かかか」
「…お前は、殺す。お前がいるから、さくらねえちゃんはいつも酷い目にあっていた。今もこうして、さくらねえちゃんだけじゃなくて、ふじねえちゃんも学校にいるみんなも、酷い目にあっている…。お前のせいでなぁ!!」
士郎は慎二に言いたいことを言ったら、顔に当たるギリギリまでで止めていた『干将・莫耶』を一旦引いて、怒りの形相と涙と共に勢いよく同じ位置に突き刺そうと振り上げる。だが、その瞬間、
「こ、こここい! ライダー!!」
そう叫ぶように令呪でライダーを呼んだ。
「…っ!」
そして、士郎は令呪によって瞬間移動して来たライダーに突き飛ばされる。
「ガハッ!」
廊下の上を転がり、慎二から少し距離が開いたところで止まる。
「ご無事ですか? マスター」
「…っ! おっ、そいんだよ! この間抜け! さっさとこいつのサーヴァントを倒してこっちに来いって言っただろう!!」
慎二は助けられたというのに、それに感謝の念は一切無い。むしろなんでもっと早く来ないのかと罵倒していた。
だが、ライダーは依然として態度を崩すことはなく、それを受け入れている。
「申し訳ありません。あの子のサーヴァントが思いの外強かったので」
「そんなの、理由になってないよっ! 僕が倒せって言ったんだ! なら、僕のサーヴァントらしくさっさと倒してこいよ! 全く、使えないサーヴァントだな…!」
ますます吐き気がする。士郎はそう思っていた。
やはり、こいつはここで殺す。そうしなければ今度はさらなる被害を出しかねないからだ。そう思って、士郎は先ほどの一撃で壊された『干将・莫耶』をもう一度投影して構える。
今目の前にはライダーがいる。ならば、アルトリアがここにいない以上こちらの勝機は無いと見ていい。だが、それがどうしたというのか。今の士郎はそんなことで止まるつもりは一切ない。たとえ刺し違えても、ここで慎二を殺すことに決めているのだから。
「…………」
それにライダーは無言で同じく杭を構える。ライダーとしても、アルトリアの存在は厄介だと思った。ならば、マスターの士郎を殺せばいい。だが、こうして士郎と相対していると妙だと思えることがある。それは士郎から感じる魔力が異常だということだ。この結界に吸い取られているはずだというのに、士郎の魔力はまるで無くなっていない。
本来であればこの結界に閉じ込められた者は生命力を完全に吸収され死に至る。今回はまだ準備が不十分だったために不完全であったものの、それでも大部分は吸われ如何に大魔術師といえども、その変化に一度膝をつけてもおかしくない。だが、この少年はそれだけ吸われて尚有り余る魔力が感じられており、その魔力は小さくなるどころか、一層大きくなっていっている。これは一体どういうことなのか。
ライダーはこの少年を侮ってはいけない、とそう直感する。そして、
「はぁ、はぁ、…っ、そこを、どけええぇぇぇ!!!」
士郎の黒い靄が一層激しく暴れ出すと同時にライダーの体に戦慄が奔る。
(これは…! まずい…!)
今の士郎から感じる気配はサーヴァントたるライダーでさえ危険信号を感知させる。それほどまでに、士郎から漏れ出ている黒い靄は禍々しく恐ろしいものなのだ。
「ひっ…! に、逃げるぞライダー! なにかないのか!?」
慎二も何がどうなっているのか全く判っていないものの、今の士郎は危険だということは判っているようだ。
「判りました。では、この結界を解き早急にここを立ち去ります」
そう言うと、学校を覆っていた結界は消え、ライダーはおもむろに杭の先を自身の首に当て、一気に切り裂く。その行為に士郎はもちろん、マスターの慎二も驚いて見ているが、次の瞬間、切り裂いたことで飛び散ったライダーの血がなにか模様を宙に描き、古い神話に出て来そうな魔法陣を形成する。そして、
「うわっ!!」
そこから眩い光が見えたと思えば、何かが目にも止まらないほどの速さで士郎の横を一気に通り過ぎる。
通り過ぎた後、士郎は眩い光で瞑っていた目を開ける。すると、そこには無残に抉られた廊下の風景だけだった。慎二もライダーもいない。
「…っ! くそっ! 逃げられた…!!」
士郎は歯を食いしばって『干将・莫耶』の片方を床に投げつけて苛立ちを表す。
「次こそは…! 絶対にあいつを…!」
もう片方にある『干将・莫耶』を血が出るんじゃないかというほど握り締める。すると、黒い靄もそれに呼応するようにして大量に湧き出てくる。その靄は士郎の心が負の感情で埋められると比例して大きくなっていき、士郎を覆うように蠢いていく。だが、
「シロウ…! ご無事でしたか」
アルトリアがやってくると同時に、士郎は頭の中からその感情が一気に抜け落ち、黒い靄が全て消え去った。つまり、冷静になれたということだ。
「…アル、トリア…」
冷静になった士郎は先ほどまで自分は何をしようとしていたのか振り返る。
(…あれ? おれ、今何しようとしていた? おれは…殺そうとしていたのか? 人を? おれは人を殺そうとしていた…のか…)
そう自覚した瞬間、士郎は吐き気に襲われ口を抑えうずくまる。
「!? シロウ!? 大丈夫ですか!!」
ただ事じゃない雰囲気にアルトリアは瞬時に士郎に近寄っていく。
吐き気が収まらない士郎はそのまま今朝の朝食を吐き出す。吐き出した士郎は多少スッキリとはしたものの、まだ気分が優れないようだ。アルトリアはシロウを運び、学校に備えてある無事だった水道で士郎の口の中を濯いであげる。
「もう大丈夫ですか?」
「…うん。ちょっとは良くなった。ありがとうアルトリア…」
と言っても、士郎の声はあからさまに弱まっている。これは少し休ませたほうがいいだろう。ここも時期に騒がしくなるであろうから、ここからも早急に去った方が良いと考えアルトリアは士郎を抱いたまま素早く学校を離れて行く。
◇
「…なるほどね。まさかあれがそんなものだったなんて」
「…………」
無事帰宅したアルトリアは早速いつの間にかぐったりと気を失っていた士郎を寝室にまで運び寝かしつけた。そのすぐ後、士郎を見に幾分か気分が戻った凛がやってきた。
凛はアルトリアから何があったのか大体のことを聞き、あとの詳しいことは士郎から聞いた方が良いと士郎の回復を待っていた。
「とりあえず、ご苦労様。学校のことは心配しないで。綺礼の奴がなんとかしてくれるでしょうし、今はそんなことより士郎の心配をしましょう。致命的な傷らしきものは一切無いようだし、時期に目覚めるとは思うけどね」
「…はい」
凛の労りの言葉にそう素直に頷くアルトリアだが、今アルトリアには疑念とでもいうべきか、一つの思いがあった。だが、それを決めるのも士郎自身だ。凛が相手でも今ここで言うべきではない。
(シロウ…。っ! 私は、どうすれば…!)
アルトリアは今己の不甲斐なさを呪っていた。確かに凛が言う通り士郎に外傷は殆どない。だが、それはあくまでも外傷の話だ。内に潜む傷はどうなっているのか。アルトリアにそれを知るすべはない。何故なら、内なる傷というのは本人でしか気づけないし解決もできない。外部の人ができることはそれを多少手伝うことだけ。
心底嫌になってくる。こうして今大切な主人が危険な状態だというのに、こうして何もできず指をくわえて見ていることしかできないというのが何より嫌だった。
(…もし、まだ手段があるとしたら…)
考える。アルトリアはこのままでいるつもりは毛頭ない。ならば、今自分ができる最大の方法で士郎を救うだけだ。
(…どうか、無事でいてくださいね、シロウ)
人間の獣性、それは誰しもが持ちしものでありながら、それは有ってはいけないもの。士郎は今その獣性と戦っているところだ。だが、今士郎は負けかけている。それはなんでだ? 衛宮 士郎のその想いは高潔なはずだ。
…そこに潜むものの所為だって? 残念ながらそれは違う。何故そう言い切れるか? それは当然だ、何せ彼は本来の衛宮 士郎とは違う。
実は彼は良くも悪くも普通の人間と大差ないんだ。それが獣を育てる要因になっているのだ。ならば、どうすれば彼は獣に勝てるのか。その最大の武器は誰が握っているのか…
それは、――――
今回はここまで。
今回の話は割とさらりと終わりましたが、ここら辺でようやく具体的な本来の士郎との違いが見てと取れたんじゃないかと思います。