零よりも短くなってしまいましたが、お気になさらず、マイペースに無理なく行きたいと思います。
「なぁなぁ、マジで聞いてくれよ~村田くぅ~ん」
湯殿に浸かる少年は、酒を飲んだわけでも無いのにデロデロ状態である。
村田と呼ばれたのは、そんな少年と共にこの銭湯にやって来た眼鏡の少年。彼とは中二、中三と同じクラスで、現在は進学校に通う俗に言う、エリートコースまっしぐらな人物だ。
「あのねぇ渋谷。その話なら何回でも聞いてあげるから、湯船から出た方がいいんじゃないかな? 君、間違いなく湯あたり起こしてるよね」
冷静に現状を分析しつつ、村田少年は溜息をつく。
まるで母親のような甲斐甲斐しさだ。
心配を受ける渋谷少年……渋谷有利は、ヘロヘロと笑みを浮かべながらなんともおかしなテンションで、「だいじょーぶ、だいじょーぶぅ!」と叫んでいる。
(うん。…全く大丈夫じゃない)
確信を深めながら髪を洗い終えた村田は、さっぱりした姿ながらも、心情は憂鬱に、お湯の中に入り浸る渋谷を引っ張り出して、タイルの上に転がした。
「あーっ……気持ちいい……」
火照りすぎた体が醒めていく自覚はあるのか、へたりと崩れた渋谷の体が、ペッタリとタイルに張り付いている。
「全く……野球の醍醐味を教えてくれるんじゃ無かったのかい? 渋谷君。早くしないと試合始まるんじゃ無いの?」
子どもに言い聞かせるような村田の口調に、タイルにへばりついたまま、渋谷はモゴモゴと反論した。
「大丈夫だって。まだ時間の余裕は一杯あるんだからさ。俺が練習時間から今日の見所、しっかりレクチャーしてやるよ」
まだ声はくぐもり、聞こえずらいものの、さっきのヘロヘロよりは随分マシになっている。
やはりさっきは湯あたりによるものだったのだろう。
「それよりさぁ、村田ぁ」
しかし会話の内容はそれとは別らしい。
今日あってから既に数回は聞いたそれを、再び繰り返される前に、先手を打ち、村田は、言葉を返した。
「さっきも聞いたよ。野球界期待のホープ、山本武少年の話でしょ?」
「そうだよーっ! 信じられるか!? 名門高校からのスポーツ推薦蹴るなんて!! プロへの一番の近道の筈なのにぃ!!」
裸の村田に抱きつきながら、悔しいと叫ぶ有利の心情は、なんとはなしに村田にも分かる。
山本武。現在並盛中学三年の彼を、一年以上有利は、雑誌などで活躍を追ってきたのだと言う。
一年前に野球部のコーチを殴り、野球から離れていたときも、嫉妬半分、恨み半分という、何とも酷い心情ながらも、彼の活躍からだけは、目を離せなかったのだそうだ。
村田が思うに、最初は年の近い相手への、憧れだったのだろうそれ。長く見てきたからか、今では我が子を見つめる親のような気持でプロになるのが楽しみだと、言ってはばからないほどである。
「けどねぇ。将来何になりたいかなんて、それこそ本人の勝手だろう? 無理矢理強制したって、結果に結びつくわけが無いんだからさ」
尤もな村田の言葉に、俺は口を閉じた。
しかし、心中でのみ、敢えて反論させて頂こう。
最初は無理矢理強制だったという、はじまりは存在するのだと。
問題はその先でその問題に直面した当人がどういう気持で向き合うかだ。
……そう。その身に宿る魂とやらの資質と先代の王様の自己中心的な都合だけで、棚ぼた的な感じに王様の位を渡された上で、吹っ切れて向き合った俺のように。
……間違ってもまだ、結果を出せたとは言えない状態だが、悪いようにはしたくないとは思っている。
この高校生で、絶賛愚痴言いまくり中な野球少年、渋谷有利。この俺は……。
俺は、魔王なのだから。
事の起こりは今から一月前。公園でこの中二、中三と同じクラスだった村田健が同じく同じ中学だったヤンキー軍団に喝上げされていた所を目撃してしまった所から始まる。
そのまま気づかない振りして通り過ぎればよかったものの、持ち前の正義感でそれができなくなった俺は彼らの間に割って入り……その隙を突いて村田は、逃走。
俺は彼らの鬱憤の捌け口として、締め上げられた。
彼らの方は締め上げるだけでは気が済まなかったのか、公衆トイレへ連れ込み、俺の顔面をその水面へダイブさせようとしたのだ。
必死の抵抗も空しく、あわやダイブされると思った直後……その水面に生じた渦によって、俺は水面からトリップしてしまった。
俺自身は勝手にスターツアーズと称しているその現象を起こしているのは、俺のもう一つの居場所である異世界の眞魔国。そこの初代魔王、眞王様とやらであるらしい。詳しいことは聞いても理解できそうに無いので未だに聞いていないが、取りあえず俺は一度だけそこを訪れた。
そこは否定のしようが無い。
胸元にはその国であった名付け親から贈られた魔石のペンダントがあるし、そこで経験したこと、思ったこと、出会った人々のことは今も俺の中に色濃く残っているのだから。
向こうのことを思い出して、少しシンミリとしていると、まだ、山本のことを思っていると、勘違いしたのか、村田が「ほどほどにね~」と声をかけ、浴場から出て行く。
ようように醒めてしまった体をもう一度軽く温めてから上がろうと、俺は鼻まで湯船に沈む。
ふぅと、心地よさに息を吐き出して目を開けると、目の前の水面が緩やかな流れを表していた。
左から右へ、ゆっくり、ゆったりと。
(……ん、んっ……?!)
何故と、疑問を抱いたのは一瞬。何とも感じたいやな予感に、俺の咽が無意識に嚥下する。
おそるおそると、流れの大元……右手の方面に目を向けると、壁があったはずのそちら側には拳大の黒い円が。
あれは何だろう?そう問われたら、おそらくほとんどの人はこう答えるだろう。……穴じゃ無い?
「あぁ……穴か。……穴ぁ!?」
何度確認しても、そこにある黒い円が消えることは無い。
村田と話していた先刻は無かった。
それはまちがいない。
ではその後に開いたのか? 俺がとった行動なんて、湯船に入って一息ついただけなのに……!
「あれ? もしかしてこれ、俺の責任!?」
混乱する頭の中で導き出した答えに、俺は慌てた。
冗談では無い。下手したら器物損壊罪で警察のお世話。村田に迷惑はかかるし、予定していた試合にもいけなくなる。
ただ湯船に入っただけなのに!
後から思えば、この時の俺は冷静とは間違いなく言い難かったのだろう。
穴を塞ごうと結論づけ、何か良い材料は無いかと辺りを見回すのに夢中で、流れが速くなっている事に気付かなかったのだ。
「ダメだ! 何にも……えぇっ!?」
それに比例して、穴も当然大きくなっていた。
「な……何だよ! 早いし!! 流され……っ!?」
捕まるものも無く、俺の体は完全に流れに呑み込まれる。
この時やっと、俺は一月前の事に思い至った。
あの時も……水に流されたんだった。
「まさか……またぁ!?」
後は……勝手知ったる、スターツアーズ。
「……っ!」
小走りで駆けていく誰かの足音に、俺は気づかれないように息を殺した。ソロッと、壁に出来た隙間から周囲を眺めると、日の上がった時間帯だからか、たくさんの人が道を歩いている。
彼らのほとんどは、こちらに気づいていないだろう。
人の住んでいないこの廃屋を拠点にしてから、まだ数時間しか経っていなかった。
(どこだよここ……何がどうなっているんだ……)
不安に叫び出しそうな心を押さえ込んで、俺は胸元にしまったままの二つのリングを握りしめた。じんわりと、僅かに暖かみを感じられる気がして、フッと息をはく。
これからどうすれば良いのかは分からない。どこへ向かえば良いのかも。
ただこの世界に知り合いはいないだろう。
それだけは分かった。
「現状を知ろうにも……言葉も分からないしなぁ」
始めに気づいた場所では、混乱しているせいだと思おうとした。単に外国語を話されているのと似ている気がするが、似たような言語さえ聞き覚えが無かったのだ。
その場に満ちた不穏な空気だけを感じ取り、逃げ出してきたが、その選択には後悔してはいない。
しかし、いざどこへ行けば良いかという段階になれば、言語が理解できていないと言うのは、大変な不利である。
(身振り手振り? ……通じれば良いよなぁ)
思わず楽観的な思考に陥り、溜息をつくものの、仕方ないかで割り切る自分も存在している。
動じてない。このわけの分からない状況でも冷静でいられる理由は偏に、あの家庭教師様の巻き起こす、波瀾万丈な毎日に鍛えられた効果であろうか。……そんな効果の実感など、できれば一生したくもなかったが。
何はともあれ、移動しなくてはならない。
そう指針を決め、俺、沢田綱吉は立ち上がった。
(着るものも、目立つよなぁ)
多少の手荒は仕方ないかと思う俺は、あの家庭教師に、少しばかり毒されているのかもしれない。