「―――■■■■、君は
マグカップを片手にテーブルに座っていると、そんなことをトワイスが話しかけていた。視線を彼のほうへと向ければ、中東にいるというのに変わることのない白衣と眼鏡姿の彼が見えた。不思議なことに、彼はなぜかそんな恰好をしていても暑くはないらしい。あいつは温度感覚ぶっ壊れているんじゃないか? と思っていても実際に汗一つ掻いていないのだから驚きだったのは前までのことだ。ここ、状況が悪化し続ける中東ではそんなことを気にしている余裕はない。泥水のように苦い液体を喉の中に流し込みながら、
「どう、思う? って言われても正直困る。もっと具体的な話を出せよ、具体的な」
「具体的、と言われても困るな。私はもっと世界という存在その大枠に関する君の意見を聞きたかっただけだからね」
そりゃあ、もちろん、と言葉を置く。
「
本当にそれしか言葉が見つからない。
「母親は病気で死んで、親父は海外で
「ヨブ記……神にその信仰を試された男の話か。彼は最終的に神に対する信仰を証明して富を得る事に成功したが―――」
「―――俺達にはその富がない。神は祝福しない」
そう、神は救わない。救ってくれない。それが真実の神である。
「資源は枯渇するだけ枯渇して行き、段々と衰退して行く……人類が味わうはずの繁栄が、その黄金期がやってこない」
それがトワイスの主張だった。人類はずっと苦しんでいる。そして今も苦しんでいる。その反動が、最終的な祝福が来るべきである。だが俺の主張は違った。人間が苦しむのも、段々と世界が衰弱してゆくのも、それは当然の事であり、見えている事だ。何故なら、
「
「相変わらず君は悲観的だな」
「そこで折れずに未来を望むお前のほうに俺は驚きだよ。なんでお前はそこまで未来を信じていられるのか、俺にはまるで解らない。あの馬鹿でさえ気が付いたのに」
宗教は都合がいいだけで、真に人間を救おうとする神なんていない。当然だ。神なんてものは人間が生み出した偶像でしかないのだから。そこに救いがあるわけがない。もしそこに救いがあるのであれば、それは
「あぁ、なるほど……君と行動を共にして漸く納得したよ」
君は、とトワイスが言葉を置いた。彼が此方へと向けるその視線は納得するような、憐れむような、しかし同時に対等に見る友人としての視線だった。だが彼は医者だ―――そしてそんな彼は誰よりも人を良く知る。だからこそ気づけたのだろう、自分という人間の根底にあり、その動かす理由がなんであるかを。
「―――人間も世界も全部、憎んでいるんだね」
『―――起きているかいアヴェンジャー? うん、その様子だと起きているようだね。次の特異点の割り出しが完了したから君とマシュと立香君をブリーフィングに呼び出そうとしていたところなんだ。君も此方へと来てくれるかな?』
「……拝承した」
ロマニとの通信が切れた。そうして漸く、自分がベッドに腰掛けて休息していたことを認識する。どうやら、先ほどの内容を思い出すに、どうやら少しだけ、眠っていたらしい。そしてその間、自分はどうやら夢を見ていたらしい―――遠い、昔の夢を。中東、戦場、クソ不味いコーヒー、患者、逃げる。様々なキーワードが脳裏に浮かび上がり、そして消えて行く。それは自分の記憶として蘇った過去の出来事、その様子だった。どうやら自分は相当悲惨な家庭にあって、その結果グレて海外を渡り歩くようになったらしい。
ただ、それだけではまだ動機が弱い様に感じる。
きっと、何かがあったはずだ……そうなるに至った経歴が、理由が。それがまだ思い出せない。まだ記憶は多く欠けている。自分という存在を思い出すために必要な情報が致命的に欠けている。だがそれと引き換えに、まだ思い出せるものはあった。それは胸に焼け付くように焦がすような感覚だった。新鮮にも感じるその感情は間違いなく自分が抱いたことのない、アヴェンジャーとして明確に欠落する重要な感情だった。
『ねぇ』
後ろから抱き付き、耳元に
『どうかしら……憎いという感情は』
胸の内に湧き上がる、どうしようもない憎悪。世界が憎い。隣人が憎い。親が憎い―――己が憎い。その感情の感想は一つ、
「吐き気がする―――」
それを心地よい、と思っている自分が。
ブリーフィングの為に作戦室に到着すると、そこには既にロマニとダ・ヴィンチ、それに立香とマシュの姿があった。どうやら最後は自分だったらしい。感情や記憶はどうあれ、もう少し振り回されずに行動する事を心掛けなくてはならないな、と思いながら謝罪しつつ合流する。
「さて、これで全員揃ったしとりあえず軽い復習をするよ? ―――じゃあ初日眠っていた立香くん、カルデアの元々の目的と、現在の目的について説明してもらおうか」
「うげっ」
「先輩、ファイトですよ」
マシュに発破を貰うと立香が軽く意気込むようによし、と言葉を置く。それじゃあ、と立香が言葉を置く。
「―――カルデアの本来の目的は人理の継続、その保証を未来を観測することによって確定させ、そして問題が発生した場合は国連の名の下にそれを解決する事である……けど現在、カルデアの外は完全に人理が焼却されてしまい、その原因は観測に成功した七つの特異点にあると思われる……だから俺と、マシュと、そしてアヴェンジャーさんの三人で特異点へと介入、そしてその特異点を調査・問題の解決を行う。現在カルデアの予想では聖杯が特異点の原因であり、回収を行えば特異点の解除が出来る……と……思われている!」
最後はやや早口だったが、ダ・ヴィンチがうんうん、と頷いている。
「ちゃんと勉強してきたみたいだね。というわけで立香君の言葉は大体正しいよ。私たちはなんとか七つの特異点の観測に成功することができた―――だけどあくまでも観測だけだ。介入できるのは一番揺らぎの小さい特異点だけになる。つまりこれが次に君達に介入してもらうことになる特異点だ……と言っても舐めちゃだめだよ? 何せ人理の崩壊だ。つまりは
ダ・ヴィンチのその言葉に立香がゴクリ、と唾を飲み込む音がした。そのリアクションにロマニは苦笑を漏らす。
「まぁ、ダヴィンチちゃんの脅しすぎ……という訳でもないけど、君が必要以上に恐れる必要はないよ。何せ、未来から来ているから看破される事のない英霊、一撃必殺で敵を倒せるケルトの大英雄、そしてもはやなんだおまえって言いたくなるような謎のヒロインがいるし、マシュやアヴェンジャーだって君を助けてくれるんだからね」
ロマニがそう言った直後、作戦室の扉が開き、ドアの上部から逆様の状態で謎のヒロインZが顔を見せた。その体がドアの枠の外であるために姿がよく見えないのだが、完全にマフラーや帽子が重力に逆らって上へと向かって落ちている。アレ、一体なんだろうか、と思って全員で眺めていると、
「今、私の事を呼びました?」
「呼んでない」
「そうですか。次は無理やりギャラを奪うので気を付けてくださいね。ちなみに私はアーサー王じゃなければペンドラゴンでもないので、アルトリアとかいう絶世の美女でもありませんから、そっちの方には絶対反応しませんから。じゃあ、ちょっと今からリセマラしてくるんで。ガッチャですよ、ガッチャ! SSR出るまで繰り返すのは当然ですよね」
「英……霊……?」
「うん、そうだね。そうだったらいいなぁ……いや、ほんと……」
ドアを逆様のまま、歩き去って行く謎のヒロインZの姿を全員で見送りながら、そんな言葉がいつの間にか漏れ出していた。いや、アレが本当に英霊かどうかは、自分が良く知っている―――少なくとも彼女は本気で人理を、未来を守ろうとしている。取り戻そうとしているのは理解している。そうでもなければ裏技で未来から過去へと召喚されようとしないだろう。
―――彼女は本気で此方を味方として、そして案じている。あのフリーダムさはその対価のようなものらしい。それを説明する必要は……ないだろう。
「うん、まぁ、大丈夫だよドクター。俺はどうしようもなく未熟だけど、その分ほかの皆がしっかりしているのは知っているし、きっと何とかなるよ。準備も何もかも足りない状況で冬木を突破できたんだ。次の特異点の規模が多少大きくても俺たちなら絶対に突破できるよ」
無謀、或いは無茶。命知らずとも取れる発言だった。藤丸立香は本当の意味で時代を焼却するという規模の恐怖におそらくはまだ触れていない。本当の神秘を、深淵に眠る絶望に触れていないのだ。だからこそ気楽にその言葉が吐けるのかもしれない。だが同時に、そう言い切れるマスターではなければ、特異点に挑むことさえできない。
使命感だけではサーヴァントはついてこない。
勇気だけではサーヴァントは応えない。
無理も、無茶も、無謀も、その全てを受け入れて先へと進もうとするその姿を導こうと、英霊たちは集うのだ。このどうしようもなく未熟で、自分たちがいないとダメな彼に、力を貸してやろうと思ってしまうのだろう。これから挑む絶対的な絶望に、僅かでも希望の光を与える為に。
立香の言葉に小さく笑みを浮かべると、ロマニはさて、と声をこぼした。
「―――じゃあ、次の特異点の話をしようか」
ロマニのその言葉に立香が口を閉ざした。
「ドクター、次の特異点の割り出しが終わっているんですよね?」
マシュの言葉に頷きが返った。
「―――次の特異点は1431年のフランスだ。具体的な地域に関してはレイシフトを行わなきゃ解らないだろうけど、それだけは確実だよ。フランス、まず間違いなく激戦になるだろうと思う。冬木の荒れっぷりを考えればいろいろと準備をする必要もあるだろう」
「そういうわけでダ・ヴィンチ工房フル稼働中だ。我が英知を以て安心で安全な冒険用グッズを作成中だよ。明日、レイシフトするまでには完成させるから今日はもう休んでいなさい」
「明日……」
ファーストオーダーからグランドオーダーへの変更。人類を滅ぼす七つの特異点は特定された。これから始まるのは未来への旅路ではなく、過去への模索、そして探究だ。何が人類を滅ぼすのか。
それをこれから七度、探りに行くのだ。果たしてその先に待ち受けるものは何だろうか? 間違いなくそこに計り知れない絶望が待っているのは事実だった。人理の焼却をもくろみ、そしてそれをほぼ成功させてしまっている存在だ。明らかに人間―――英霊でさえ勝てるとは思えない。だがそれでも、カルデアには前に進むという選択肢しか存在しないのだ。
2017年は存在しないのだから。
このカルデアも無限に漂い続ける訳ではない。
いずれここも消える―――死にたくなければ、己が誰であるのかを思い出したければ、殺して殺して殺して、そして勝利を重ねないと見つからないのだ。胸の内に装填されたこの憎悪が、簡単に死を求めることを拒否する。生きて憎悪をしろ、全てを憎悪をしろ、そしてひたすら頭の中に囁いてくるのだ。
脳髄を犯すように。
『―――早く思い出すのよ、貴方を。そして私を』
ずっと、何度も、何度も、何度も―――何度も。
次回からオルレアン開始なのよー。学生時代で何かがあってどうやら171号君はグレたらしいですねー……。