―――子供のころ、俺は自分が特別だと思ってた。
子供特有の夢ではなく、純然たる理由として、俺は自分が特別だと思っていた。俺は俺にかかわった人間をいい方向へと導く事ができた。どうにかして、いい方向へと背中を押してあげる事ができた。それこそが啓示だった。そう、俺は神の声をずっと昔、本当の昔に聞いていたのだ。何をどうすればいいのか、子供ながら俺はそれを知っていた。知ってしまっていた。ゆえに俺は、自分が特別だと思っていた。
そしてそれは事実だった。だから俺は密かな使命感に燃えていた。これで俺は誰かを救わなければいけないのだ、と。一種の英雄病みたいなものだった。子供がだれもがかかる病気。ただ俺は、それが実際にバックボーンのあるものだったからさらに酷かった。いつからそうなったのかは、俺は知らない。ただ気づけばそんな風に、神の声が聞こえてた。父にも、母にも秘密にしていた神の声だった。それを良く聞き、そしてその通りに聞いたときは行動した。
そうすることで俺はヒーローになれたから。
だがその結果―――母は入院した。
簡単な話だった。俺は見えもしない、知りもしない神を信仰し、言われた通りの人形だった。だがそれにかまっていたせいで、いない間に母が入院する程の事故に遭遇してしまった。ヒーローごっこにかまけずまっすぐ家に帰っていればまた、話は違っていただろう。だけどそうはならなかった。母は入院し、もう二度とまともに歩けも喋れもしない、と診断されてしまった。助けた相手が将来的に何を生むのか、知った事ではなかった。
見知らぬ誰かのために己を犠牲にさせるやり方は悪であると、子供ながら直感的に理解した。
これは絶対に間違っている、と。大の為に小を切り捨てる事を許容させるのは、
―――悪だ。
「フォーウ」
「んがっ、顔はやめろ、顔は」
顔に感じるざらざらとした感触に、即座にフォウに顔を嘗め回されているのだと気づき、目を開けた。また夢を見ていた―――昔、遠い昔の夢を。あまり気持ちの良い夢ではなかった。だけど同時に思い出すことができた。神という存在への不信感、憎悪、その始まりを。自分がなぜ、聖人という約束された栄光へ背を向けたのか。背信者という道を将来的に選んだのか、その理由が理解できた。
まだ若い頃、俺は神という概念を良く理解しなかった。だが門司の旅行に付き合って宗教と付き合ってゆく内に、徐々に宗教と神、聖人や啓示の概念を理解し始めた。俺は理解したのだ。頭にささやきかける声が、その意志は神のものであり、
それに従えば誰かが救われ、俺は地獄を見た。
それに従わなければかかわった悉くは悪い方向へと転がって行く。
それが
「なんて……理不尽」
『ま、神様なんて所詮そんなもんよ。人の考えた神は人の理想でしかないわ。だけど現実の神は
此方の言葉に、夢に、意識に嬉しそうに妖精は語り掛けてきていた。彼女のいつかの言葉が本当なら、徐々に、徐々に俺はこの特異点という場所で存在しないハズの記憶を思い出してゆくのだろう。それが少しだけ―――怖い。少しずつだが、自分という器の中に感情が満たされて行くのが解る。空っぽの瓶の中に少しずつどす黒い感情の水が満たされて行くのが解る。
段々と、アヴェンジャー171号ではない、別の存在に変質してゆくような恐怖があった。
自分が、自分じゃなくなるような恐怖だった。それはまるで今まで一度も感じたことのないものだっただけに軽く驚き、胸に手を当てた。
これが―――恐怖なんだ、と。
「フォウ!」
吠える様なフォウの鳴き声に、言葉は解らなくてもしっかりしろ、と励まされた気がした。そうだな、考えるのはカルデアに帰ってからだ。こういうのは後で考えたほうがいいだろうと素早く脳内を切り替えながら体を起き上がらせる。当然ながら隠密行動中であるため野宿だし、隠れて眠っていた。自分に時間はないのだ、いつまでも思い出した夢に呆けていないで、
マッシリアを目指さなくては。
結果的に言えば、読みは正しかった。
石材の需要はゴーレムの量産の為だった。食事が終わってから商人に金をつかませればすぐに情報が出る―――あとは魔術で記憶を軽く操作すればいい。そうやって数件確認してゆけば、全体的な物資の流れ、そしてローマ連合帝国の状況に関することが理解できる。まず連合帝国はローマからの攻撃を警戒しており、その前線拠点をマッシリアに移している、という事実だった。つまり現在、一番戦力が集中しているのがマッシリアとなる。
だがゴーレムの量産自体はマッシリアの西南、ローマから見て直に西へと向かった先に連合首都が存在するらしく、其方に向かって石材は運ばれているらしい。となると自分が進めるルートはマッシリアを通って連合首都へと向かうコースだ。正直、マッシリアの偵察を行いたいのも事実だが、連合首都の正確な位置を特定するのが戦術的に今は一番重要な事だと思っている。その為、調査を終えたらそのままメディオラヌムを出て、マッシリアへと通じる道を通る。
とはいえ、さすがにまっすぐマッシリアへと向かうわけではない。街道を外れ、山岳地帯に身を隠すように姿を隠して進んで行く―――休息のために数時間の睡眠を一度してからも再び、比較的にアリア寄りのルート、マッシリアの北を抜けるように西進していた。
メディオラヌムに到着する前にローマに帰るように馬は解放してしまって、完全に徒歩の旅となっている―――オルレアンの頃よりも、旅する距離や地形の悪さは断然ひどくなっている。こんな地形、あの若いマスターはちゃんと歩いてこれるだろうか? まともに訓練を受けたような様子はないから、たぶん汗をかきながらマシュに手を貸してもらいつつ、前へと進もうとするのだろうな、というのがありありに見えた。
「フォウ!」
「……そうだな、あの二人は心配しなくても大丈夫だよな」
『すっかり優しくなっちゃったわね。あの頃の貴方はもっと尖ってたわよ! ―――って、言いたいところだけど、貴方ってなんだか妙に年下とか子供には優しいって部分があるわよね。なんだかんだで最後のマスターとシールダーちゃんには最初から優しかったし』
踏み場の悪い山岳地帯の大地を歩いていると、フォウが歩くのをサボって肩の上へと移動してくる。食べてばかりで運動しないと太るぞ、と告げながらそうだな、と言葉を零す。なんでだろうなぁ、と考え、しかし思い出したばかりの記憶を頼りに、答えを出す。
「たぶん―――幸せになってほしいんだ。いや、幸せでいてほしいんだな」
『そうなの?』
たぶんそうだ。
「俺の子供時代は悲惨だった。親父はいつも家にいなくて、母親は植物状態。そして俺が首を突っ込めば、いつも悲惨な結末を迎えていた。神の啓示に背を向けていたんだから当然だった。だけどそれは悲惨としか表現できない子供時代だった……それがどれだけ寂しく、どれだけ辛く、どれだけ嫌なものかは、俺は知っていた」
頭ではなく、心が、きっと、覚えてたのだろう。
だからきっと、まだ子供の立香とマシュにはどこか、気を遣ったりしてたのだと思う。子供とはまだ、守られるべき立場なのだ。立香とマシュの背負った責任は重い。あの二人の代わりができる者はこの世には存在しない。あの二人だけがきっと、人理の修復という偉業に挑むことができるのだ。だけど、あの二人はまだ―――子供だ。
「そう、子供なんだあの二人は……だから、か」
傷ついて、成長して、そして大人へと変わって行くその道中にいるのだから。
「幸せでいて欲しい、そう思ってしまうのだろう、な」
「フォウ!」
「お前もそう思うか? そうか、そうだよな―――立香もマシュも、報われるべきだと俺は思っているし、いつか絶対に、二人の苦労は報われる筈だと思っている。それが報われるように、俺たちが動くんだ」
楽しそうに鳴くフォウの声を聴きながらも、少しずつだが自分という存在を思い出し、それを心に馴染ませて行く。人理修復の旅は綺麗ごとを吐いて達成できることじゃない。今はまだサーヴァントたちが立香やマシュに配慮して、敵であろうと峰打ちですませて殺してはいない。だがそれも不可能だろう。本格的に連合との戦いが始まれば必然的に人を殺すという行為に触れるだろう―――いつまでも、その心を守ろうとして守れるわけではない。戦いはさらに辛くなるだろう。だけど、それでも、彼らはまだ未来のある、希望のある子供たちなのだ。
『だいぶ、感情的になってきたわね』
「それでもまだだ、まだ大事なことが思い出せていない。まだ名前すら思い出せていない―――だから俺はただのアヴェンジャー、ただの171号という検体だよ」
ただ、それでも、義務感以外が今の俺を動かし始めているのは事実だった。少しずつだがこの存在を証明する、ということ以外で動き出しているのは事実だった。171号から
「フォウフォウ! フォーウ!」
「ふふ、解った、解った。変に悩むのはやめるからフードを剥がそうとするのはやめてくれ。これがないと顔を出せないんだ」
フォウがいるおかげで無駄に心が沈むこともない為、この小さな獣の存在に感謝しつつ、山岳地帯の丘を越えてその頂上から景色を見下ろす。わずかに雪の積もったこの山岳地帯から見下ろせるのは、マッシリアの姿だった。メディオラヌムで聞いた通り、町の要塞化が進んでおり、強固な城壁を東側に構築しながら物見台を建設し、ゴーレムを正面に展開、襲撃に備えて軍備を増強しているのが見えた。防衛線の構築が見える。
正面から攻めるにはやはり、軍勢が必要になってくるだろうな、というのは目に見えた。あそこに潜入するのは少々骨だ。
『どうするの?』
「無視する。ここから見た感じ、南西へと道が続いている。アレが連合首都とやらへの道だろう。このまま山岳地帯に身を隠しながら進む。マッシリアの攻略は立香たちでやってくれるから、一歩先の情報を収集したい……となるとネロが掴んでいない首都の情報だろう」
マッシリアへと向けていた視線を外し、正面、マッシリアの背後へと回り込む道を見つける。足場は悪く、滑りやすさから事故が起きそうなルートではあるが、そこはそこ、このサーヴァントに近付けられた肉体、そして人類の英知が詰まった頭は効率よくそこを進んで行く複合技術がインストールされている。フリーランと呼ばれるどんな環境であろうと自由自在に走り回れる技術を、この体は体得している。
それに最近は昔のことを徐々に思い出してきた結果か、やや動きが体に
ともあれ、マッシリアは少々潜入するには物々しすぎる。気配遮断でも限界がある。ここは本職のアサシンがほしいと思えてくるレベルだ。少なくとも、自分の隠密技能では少々キツイレベルの警戒だった。故に素直に悔しがらずスルーし、
そのまま、連合首都へと向けて足を進める。
やや長引いたけどふつう移動だけでも数日かかるもんだし、移動だけこれだけ尺が取れれば十分だよね、ハイカットデース、という気分で。移動の間の考え、葛藤もまた旅の一つなのです。
というわけで次回、漸く連合首都。そのころぐだたちはエトナ火山かご帰還してガリア遠征の準備中であった。
171号さんは子供好き。