霧の中へ - 1
「―――第四特異点の特定が完了した。準備はいいかな?」
カルデア管制室、そこにはいつもの面子が揃っていた。立香、マシュ、自分、ダ・ヴィンチ、ロマニ、そして他の管制スタッフだ。それが現在、ブリーフィングを行うこの管制室にいる総員だった。あまり広い場所でもないので、出番があるまではほかの英霊たちには自由にくつろいでもらっているが、彼らもいつでも出撃できるように待機しているだろう。そんな訳で、ブリーフィングに揃ったところでロマニの言葉に全員が頷く。
「今回の特異点は十九世紀イギリス―――1888年のロンドンだ」
「十九世紀、ロンドンですか。かなりの近代ですが……?」
マシュの戸惑うような言葉はなぜ、そんな近代に特異点が生まれたのか、という疑問なのだろう。それをニコニコしながらロマニが見ているので、教える気はないな、と理解した。軽く溜息を吐きながらヒントをマシュに与えることにした。
「十九世紀で爆発的に広がったのはなんだ?」
「それは勿論文明、文化、人口、そして……あ、そうです! 産業です! 十九世紀といえば工場の配備による産業革命が発生し、爆発的に現代に近い環境が形成されて行った時代です! この産業革命により、現在の私たちが基盤とする生活が出来上がったといっても間違いではありません」
マシュの言葉に正解だ、とロマニが頷いた。
「ご存じのとおり、十九世紀、しかもヨーロッパと言えば産業革命による爆発的な増加と文明の構築が行われた時代だ。何よりこの時代で凄いのは蒸気機関の発明と出現、そして石炭を利用した燃料機関の開発だ。更にこれが後年、1865年頃に入ってくると第二次産業革命が始まる訳だが……じゃあ今度は立香君に何があったのかを応えてもらおうかな!」
「解りません!! 覚えてません!! 歴史の授業は寝てました!!」
「ハッヤイ!」
「歴史の教諭がハゲでしゃべりがゆっくりだったんです!」
「それは仕方がないなぁ……じゃあ、アヴェンジャーよろしく」
何が仕方がないのだろうか。まぁ、それはそれとして、説明に入る事にする。その特異点に向かう上で事前に時代に関する知識を持っておくのは決して悪い事ではない筈なのだ。
「俺達が向かう1888年は第二次産業革命真っただ中だと考えていい。この頃の産業革命は蒸気機関からさらにハイテクなものにシフトし、テスラやエジソンの尽力もあって電力が目覚ましい技術的革新を得た。そのほかにも石油や鉄鋼に関する技術が大幅に伸びて、大量生産の概念が歴史に刻まれた。そのほかにも娯楽という面で非常に文化が進んだ時代でもあった。今では当たり前となっているラジオ、映画等もこの頃に発展したものだ」
つまり、現代という文明を作るうえで、その下地の作成に成功した時代なのだ。
「産業革命が発生しなかったらまず間違いなく現代における様々な開発が遅れた―――というか大量生産の下地を作る事によって人口の増加が狙えたんだから、現代ほど発展も、人もないだろうな。つまりは近代史におけるターニングポイントの一つだ」
「やはり先生……」
無言で立香の額にデコピンを叩き込む。そこそこ魔力のこめられた一撃は凄まじいインパクトと共に音を発し、ぐわぁ、と悲鳴を響かせながら立香を床に転がせた。そのまま額を抑えて転がる立香を数秒ほど眺めてから、よし、と息の下で呟く。
「じゃあボクらのマスターがめっ、された所で話を続けるね? まぁ、今回もいつものように軽く特異点の状況を調べたんだけど、結果、現場からの干渉による乱れが酷くて状況の特定が無理だったんだ―――つまり、今までの特異点とは違い、何らかの影響があると思っていてくれ。まぁ、対策はダ・ヴィンチちゃんのほうでしてくれているから心配は必要ないよ」
「俺の額の心配!!」
「必要ないな」
『必要ないわね』
「必要を感じないなぁー」
「先輩、大丈夫ですか?」
「マシュマジ天使」
マシュの両手を握って立ち上がる立香に対し、マシュが顔を真っ赤にしている。あぁ、なるほど。この光景を見て嫉妬を覚えずに微笑ましさを覚えるから恋愛とかからは縁遠いんだなぁ、というのを漸く自覚する。そうか、そうだよな、良く考えたら今の肉体はどうであれ、精神的には既に四十代半ばを過ぎて、それこそ五十代が見えてくるラインだ。もう、それだけ長い間相手とかいなかったんだから、どっかで眺めているだけで満足できるのかもしれない。
『それは私が困るんですけどー!』
知った話じゃない。そう思いながら近代ロンドン、どういう準備をしておくべきか、なんて事を考えていると、パンパン、とロマニが両手を叩いた。まだ続ける話が合ったらしく、それでロマニが話を始める。その内容は古代イスラエルの時代観測だった。レフ・ライノール・フラウロス。ソロモンの従える72柱の魔神の事である。レフがフラウロスと名乗った以上、相手のボスを直接確かめる術としてロマニがソロモン王の存在した時代に特異点がないか、あるいは異常がないかを調べた。
「―――結果、完全な白だったよ。もし彼が本当にソロモンの使い魔で人理焼却の為に送り込まれたのであれば、まず間違いなく時間軸上にそれを行ったという揺らぎを観測できる筈だ。そしてカルデアはそういうものには敏感で、逃す筈がない。だからまず彼が首謀者であるという線は消えたよ」
「ふむ……」
とはいえ、サーヴァントと英霊、宝具とはまさに千差万別、英霊によっては超意外な効果を保有していたりする場合もある。それによるトリック、なんてものが発生する場合もある。相手が魔神柱を名乗り、そしてそれが敵として立ちはだかる以上、油断や忘れる事は出来ない……してはいけないのだろう。それはそれとして、
「で、藤丸―――今回、連れて行くサーヴァントは決めたのか?」
「あ、うん。一応マシュと先生は固定枠なんでこれで2枠確定。ロンドンってことはイギリスだしまずは円卓関係者の謎のヒロインZ氏とランスロットのコンビ。久しぶりに故郷の空気を吸っていい感じに活躍してくれるかなぁ、って思ってる。後は地味に経験豊富でアドバイスが上手いオリべえ&オリオン、そしてロンドンってことは市街戦だから沖田さんかなぁ、って」
まぁ、今回は戦場がロンドン、とロマニによって指定されている。つまり街中で戦闘を行う可能性が非常に高い。となると小回りが利くサーヴァント、そして故郷として縁のあるサーヴァントが優先になってくるだろう。サンソンが外れたのはおそらく相手の属性を明確に確認しない限りは使いづらいというのに理由がある。ブーディカはそもそも本人が戦闘には向かないと自覚している。エミヤは地味に矢での爆撃が行えないと火力が大幅に削がれる上、固有結界は連続で使用すると逆に利用されやすい。エリザベートと信長はどうあがいても初期の調査には向かない人材、となると連れていけそうなのはエルメロイ2世、沖田、オリオン、ダビデ。それぞれ調査、戦闘、戦闘、補助という部門で優秀なサーヴァント達だ。
まぁ、そこでオリオンと沖田という火力重視の選択はレイシフト直後の戦闘状況に備えて、というところだろうか? オケアノスではレイシフト直後に海賊船の上に着陸なんて事もしたらしい。
確かにその事を考えると、悪くないかもしれない。こういう選択や運用に関する知識については自分よりも立香のほうが早くなってきたな、という部分を確かに感じる。悩まずスパっとそれを口に出せる辺りが才能を感じさせる。
「さて、これでブリーフィングは終了だ。いったん準備してから第四特異点へと出発だ。もうすでに三つの特異点を攻略して、カルデアの施設も少しずつだが修復してきた。おかげで管制室の機能だって向上してきている。万全のサポート体制で送り出すから安心してくれ」
「良し、了解! それじゃあ先にダ・ヴィンチ工房でモナリザとかいう要求数がクソ高いクソ礼装を交換してこようかな」
「おぉっと、まさか目の前でバッシングされるとはこの天才でさえ考えもしなかったよ。でもごめんね、今の私はブルジョワなおかげでそういう言葉が心まで響かないんだ」
「これだから天才は……常に種火回収しとくかー」
「あ、私も手伝いますね、先輩」
立香とマシュ、ダ・ヴィンチが工房のほうへと向かって行く。三人が消えるのを眺めてからさて、自分も装備や道具の準備をしておくか、と管制室に背を向けて外へと出た。基本的に特異点での戦闘用装備、道具やキットなんてものは自分以外に使う者がいない為、あらかじめ倉庫から使えそうなもの、優先度の高いものは自室へと持ち込んでいる。その為、とりあえず自室に戻れば装備の回収は行える。
さっさと回収し、準備を終わらせようと思ったところで自室へと戻る通路の途中、壁に寄りかかりながら待つように佇む姿を見た。
「……アルトリアか」
「えぇ、そうです。私です。サーヴァントユニバース、その宇宙をめぐる最強のセイバーである私です!」
「セイバーを主張している二槍使いのアサシンとかもう意味解らねぇな」
軽くアルトリアの言葉に此方も茶化すように答え、それを受け取ったアルトリアはしかし、笑わず、少しだけ困ったような表情を浮かべた。その原因に思い至らず、
「どうした? 何か困りごとでもあるのか? ……俺でいいなら相談に乗るぞ」
そう声をかけると、更に困ったような表情を浮かべ、そして溜息を吐かれた。いったい何だってんだ、と思いつつもアルトリアの言葉を待っているとそうですね、と言葉を置かれた。そのまま数秒間、胸を持ち上げるように腕を組んだままのアルトリアを眺めていると再びそうですね、と言葉を続けた。
「……実を言いますと、ここで貴方を殺すかどうかを割と真剣に考えていました」
「それは―――」
忘れてはいない事だったが、アルトリアの告げる言葉はどこかいつも冗談じみていた。それが今回は真実であり、彼女の告げるタイムリミットとはどうやら、この第四特異点だったらしい。あの時、召喚された後でアルトリアは告げた。俺が原因でカルデアは全滅したことになっているのだ、と。あのころは死ぬことに躊躇はなかった。だが今は死ねない―――死ねないのだ。そう思った直後、アルトリアが笑った。
「えぇ、まぁ、先ほどまでは殺すつもりでいました。こう、気配遮断EXでバサー、っと。痛みが無い様に一瞬で終わらせてしまおうかなぁ、って、まぁ、思っていたんですけどねー」
「まるで心変わりしたような言い方だな」
「そうですね。昔のままの貴方ならまず間違いなく殺していましたが……さすがに戦友を始末するのは躊躇しますからね。正直、内輪揉めは英国式罰ゲームの時だけで十分です。もう二度とやりたいとも思いません。という訳で第四特異点、なるべく記憶を思い出すように頑張りましょうか? 貴方が記憶を取り戻してくれれば、それで万々歳ですから」
アルトリアの言葉が一瞬信じられなかった。異なる霊基、姿や属性を歪めてまで時間を遡ってきた女の発言には思えなかった。
「本気で、言ってるのか?」
「勿論本気ですよ。不必要な嘘をつくようなタイプではないですし私は。まぁ、情に絆されているというのは間違いなく一つの事実ですが、それとは別に貴方の姿を見ていますと……ね?」
解りませんか、という言葉に頭を横へと振って応える。
「貴方が死を望まなくなった。それが答えですよ」
「……なる、ほど……?」
「その表情は全く解っていないという表情……!」
発言が抽象的すぎる。ただ意味合いは解る。
「信じてくれるのか」
「そりゃあ戦友ですからね。初期のロボットみたいな姿と比べれば渇望を表情に見せる分、遥かに人間的―――あと一押し、そういう領域にあると思います。これは、いえ、或いは……
「解る言葉で話してくれ」
呆れながらため息を吐くとそうですね、とアルトリアが言葉を置く。
「―――難しい話じゃありません。これもまた、必要なことの一つかもしれない、と考えただけです。運命論は唾を吐き捨てるほど嫌いですが、
一方的にそう告げると霊体化した上で気配を遮断し、アルトリアが完全に姿を消し去った。彼女が少し前までいた場所を眺め、軽く頭の上を掻く。
「なんだかなぁ……」
『愛されているわね』
「腕に抱き付きながら睨むように言うのはやめろ」
今、ここで考えていてもしょうもない事だ―――特異点探索が待っているのだ。レイシフトに備え、準備に移る。
というわけでロンドン開始ザマスよ。碩学、お散歩、ハイパー小便タイムと不評だった特異点はさて、どうなるのだろうか。
謎のヒロインZがいる時点でまともじゃないことだけは確定されたけどな。