Vengeance For Pain   作:てんぞー

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鏡写し - 2

「私は―――」

 

 雪が深々と降り積もる中で、愛歌は静かに口を開いた。

 

「ずっと、貴方に逢いたかった」

 

 まるで恋い焦がれた相手へとかけるような言葉だった。いや、その声には切望するようなものが感じられた。彼女は確かにこの瞬間を待ち望み、そして求めていた。そして俺もまた、それを否定する事ができなかった。神が送り込んでくる警告と、自然と湧き上がってくるこの感情は、生理的な反応は相反している。鏡に映った相手のようにまるで正反対の存在に対して、生理的嫌悪感と恐怖を生み出している。絶対に相容れないと叫んでいる。こいつをここで殺せと叫んでいるのだ。だからこそあぁ、と息を吐いた。

 

「たぶん俺も……お前と逢うためにずっと、旅をしてきたんだと思うよ」

 

 それだけは自分が確かだと思うところだった。彼女と自分はどこかで会う必要があった。どこで相対する必要があったのだろうと思う。だけどそれは()()()()()()()()()()()()()()と思っている。神の傀儡として試練をこなした俺と出会い、その果てで出会うはずだったんだろうなぁ、と直感的に思う。そうでもなければここまで自分とは正反対の存在が引っ張り出されてくるとは思えない。いや、存在するとは思えない。もっと、オカルト的な、根本的に人類とは違う領域に立っているような、そんな領域の違う相手のように感じられた。

 

 そう、それはまるで鏡。

 

「全てを真逆にした俺を見ているような妙な気分になる……」

 

 それがおそらくこの嫌悪感の正体なのだろう。彼女は自分の持っていないもの全てを持っている。そして彼女が持たない全てが俺にある。自分の理解の外側にあるということと同時に、自分がほしかったものすべてを持っているという姿に対して、どうしようもない怒りと嫉妬を覚えるのだ。だけど不思議だ、

 

「不思議と惹かれるのかしら?」

 

「あぁ、見ただけでこいつとは絶対に相容れないって思えた。お前を見てそう感じた。だけど不思議と……それでも惹かれる。ずっとお前を待ち望んでいた、そんな気さえする。……五十近いおっさんが何を言ってるんだろうな、ははっ……」

 

「笑う事じゃないわ。人間は生きる上で自分の理解できないものに対して行う選択肢は二つの内一つを選ぶわ。そしてそれは排斥か融和よ。貴方は本能的に私を排除するべきと感じているわ。だけど同時に貴方の鋼の精神がそれを捻じ伏せているのよ。いえ、捻くれた心とでも言うべきね。それが無理解から逃げる事を拒否した結果、惹かれているのよ」

 

「あー……なるほどなー……そうかー……」

 

 投げやりな返答をしつつ、ベンチに背を預け、腕を乗せるように寄りかかった。それに反応するように少女―――愛歌は距離を詰め、寄りかかるように肩に頭を乗せた。

 

 それははたから見ればアンバランスな組み合わせだろう。方や五十近い男、もう片方は十代に入ったばかりの少女。服装もホームレスとお姫様と真逆で、美女と野獣と呼べるような組み合わせだった。人を殺し、誰かを救う事もなく、誰かを救える事もなく、ただ一人ずっと逃げて探してきた人生に対して、少女はまるで清廉潔白―――一切の罪を感じさせない姿を見せていた。まるで聖女の様な清らかさであった。この少女はまだ一度も罪を犯してはいないというのを、どこか本能的に感じ取っていた。

 

 そんな組み合わせで静かに降り積もって行く雪を眺めていた。段々と積もる雪を眺めながら、必死に言葉を探していた。何を口にすればいいのか。何を言えばいいのか。いったい俺は何を求めているのか。答えはここにある。俺の終わりがここにある。俺の旅の終着点がここにある。俺は最後の最期にこの少女と出会うべきだった。そして今、俺はそこにある。なら、かける筈の言葉があるはずだった。だけど胸中に渦巻く不可思議で不安定な思いがそれを邪魔していた。

 

 だがそれも一点を超えると不思議とクリアになって行く。そして、気づく。

 

「―――まるで、コインの表と裏だ」

 

 そう、俺に用意されたコインの裏側。それが多分この少女だ。それを直感的に確信した。そしてそれを肯定するように愛歌はえぇ、と答え、笑った。

 

「そう、私と貴方は裏と表。最も遠くて最も近い存在。貴方が聖者として、聖人として完成されるうえで貴方が対峙すべき最後の怨敵―――それが私よ。悪の中の悪。悪意を煮詰めた悪意。この世の背徳と冒涜を併せ持ったどうしようもなく救いが欠片もない獣の女。それが私よ」

 

「わけわからねぇな……だけど、そういう事なんだろう」

 

 この世は未知で溢れている。ふとしたところで不思議なことが発生し言葉では説明できない事がある。それは例えば(グル)の事だったり、アフリカで見たシャーマニズムの事だったり、各地で発生する怪事件もその一つだ。自分の言葉では説明できないこと―――たとえばそう、神による啓示。そんなものが存在する。それを俺は理解しようとはしない。理解できるとも思わない。だが一つ解った事はあった。それは()()()()ものなのである、と。そこに確かに存在し、見間違いや幻想ではなくそこにあるのだ、と。

 

 誰よりも嫌悪し、そして惹かれるこの少女の言葉が偽物だと、俺には到底思えなかった。この娘は知っているのだ、俺が理解していない事を。

 

「もう解っているかもしれないけど、本来であれば私と貴方はもっと違う形で会う筈だったわ」

 

「だろうな」

 

 それは理解できた。理解して、感じられた事だった。本来であればこうやって会う事はないだろう、不倶戴天の敵として接触するしかなかっただろう。それが何の悪戯か、こういう風に穏やかに話し合っている。

 

「貴方は私と出会い、私を倒して終わり―――歴史に名を残す神の使徒となる。それが本来の道筋。だけど貴方が背信した時点でその道からは半歩、半歩だけズレるようになった。定められたレールの上から外れるように貴方は歩きだした。それは冒涜であり、邪悪であり、そしてどうしようもない身勝手(混沌)だったわ」

 

「ま、確かに身勝手だろうな」

 

 そう説明する以外の言葉がない。ここで来て解った。10のうち9か1、どちらかを救える秤があったとして、俺は()()()()()()()()()()のだ。つまり他人でも大切な身内でもなく、()()()()()()()()()()()()()()のだ。それだけの人生だった。そしてそれだけを実行した。その結果、親も友人も、全員消えてなくなるのは当然だ。自分以外のすべてを切り捨てたのだから、幸せになれるわけがない。

 

「だから貴方と私はコインの表と裏―――神様が用意した宿命の敵。貴方の正反対。絶対に倒さなくてはならない筈の邪悪だった。だけどあなたは自分勝手なままに生きた。そしてその果てで貴方は()()()()()()()()のよ。その傲慢で誰かを殺し、死なせたのよ。法を何度も自分勝手な目的の為に破った―――」

 

「―――だから俺は悪だ。正義なんてほど遠い。そんなもの名乗れるわけないし、聖者や聖人なんてものからはこの世で一番縁遠い人間だよ」

 

 だからこそこの少女は秩序であり、善人であり、まるで聖女の様な清廉潔白さで俺と並んで座り、話している。()()()()の筈だった。彼女が悪で、俺が善だった。つまりこの状況自体がありえないのだ。ただ、それだけで自分の人生を仕組んだ奴の、そのプロットを大幅に破壊してやったという実感があった。そう、ここに至って漸く、自分は見えないプレイヤーに対してその思惑を裏返す事で反逆することに成功した、という実感を得た。

 

「ま、だけど見えないカミの手を捻り上げた事が解っただけでも十分満足だな―――一泡吹かせられたのならそれだけで今まで色々とやってきた事に価値があったわ」

 

「あら、こんな少女の話を信じちゃうのね」

 

「言葉だけじゃ解らない事が、言葉では説明できないことが世の中にはある。それがきっと(グル)や師父の言っていた()()と呼べるものなんだろう。それを片鱗ながらこうやって見て、理解したよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()だって事が」

 

 時には言葉では語り切れないものがある。愛歌とそれに関連することはその一つだと言える。だから逆に言葉として理解してはならない。そういう理であることを受け入れて飲み込む事が何よりも大事だと思う。少なくともそれは長年、この世界を歩き回った果てで得た一つの教訓だった。だから理解はしていなくても、この少女との対話を通して、自分は認識する。

 

 俺が悪で、彼女が善であると。それは覆しようのない事実であり、どうしようもない事であり、そして自分がもはや、どうにもならない泥沼にはまり、それに沈んでいるという事実が。それを嫌でも理解させられ、そして小さく笑い声を零した。間違いなく、この世界で自分に終わりを与える者がいたとしたら、この少女が一番相応しいのだろうと思う。

 

「ふふっ」

 

 そんな事を考えていると耳元から笑い声が聞こえ、さらに近づき、ほとんど横から抱き着くような姿勢で愛歌が近づいていた。

 

「なんか面白いことでもあったのか?」

 

「いえ、ただこうやって貴方とこういう風に一緒にいる事がありえないほどに面白くて、そして同時に嬉しくて」

 

「嬉しい?」

 

「えぇ、本来は運命で敵である二人―――しかし、その道を外れたが故に争う必要もなく、二人は出会えた! ……こうすると凄くドラマチックじゃないかしら?」

 

「少女漫画か」

 

「少女漫画よ。そもそも私はそういう年齢よ? 白馬の王子様……は無理でも、運命の王子様に夢見ても多少罰は当たらないでしょ? そういう観点から見るなら貴方は本当に素敵よ。ううん、好きよ。私の正反対。私が持っていない全てを持っている人、だからこそ恐怖と嫌悪感を抱かずにはいられず、しかし理解をしたくなり―――どうしようもなく、惹かれる。きっと、これを一目惚れというのね」

 

「勘弁してくれよ。俺の余生がムショ暮らしになる」

 

「あら、レディに対してその言葉はないんじゃないかしら?少なくとも私がどういう風に感じているのか、それだけは貴方にも理解できるはずよ」

 

 それを否定する事は出来なかった。そう、それはまるで失われたパーツを求めるようなものだったのだろう。足りない半身をその相手が持っている、という。あるいは陰陽、その欠けている片方がそこにあるという感覚。彼女との相対はその欠けている部分を満たす行いなのだろうと思う。

 

「なぁ、俺が知らない事を知ってるんだよな」

 

「えぇ、そうね」

 

「なら教えてくれよ、どうしても解らないんだ。答えはあと一歩の所まで来ているんだ。ノドまでかかっているんだ。あと一言、あと一言、何かが足りないんだ。お前ならきっと、俺にその一言を告げてくれそうな気がするんだ。それさえ聞ければあとはもう、何もいらない。それで満足できる気がするんだ。だから教えてくれ、愛歌」

 

 答えを―――この意味もなく、彷徨ってきた人生に答えを。

 

「えー、どうしようかしらー……そんな悲しそうな表情をしないでよ。冗談よ、冗談。その為の夜なんだから」

 

 そう言って笑い声を零すと、愛歌が勢いよくベンチから飛び降り、一回転して軽くスカートをふわり、と巻き上げながら正面に立った。やはり、この世ならざる魅力を持った少女だった。だがそれを魔性だと表現する事はない。なぜなら彼女は混沌でも悪でもなく、魔性へと堕ちてもいないからだ。それを担ったのは俺であり、何がどう足掻こうとも、不幸を選び、その道を進み続けてきた自業自得の人生を選んだのは俺自身だったから。

 

「じゃ―――答え合わせをしましょうか」

 

 微笑みながら愛歌はそう言った。

 

「貴方の人生は実に不幸だったわ。だけどそこに無駄なことなんて何もなかった。全てが貴方を答へとたどり着かせるための旅路だったわ。貴方は運命を否定し、与えられた幸福から目をそらすことで運命の裏に隠れていた残酷な事実へと辿り着いたの」

 

 それは、と愛歌が唇を動かした。

 

 だがそれが言葉として音を得る前に、一閃の黒い光が愛歌の頭を横に貫通した。それは愛歌を笑顔のまま一瞬でその中にある尊い光を奪い、一瞬にして答えのすべてを奪い、降り積もる雪の中に赤い色を広げた。嗅ぎなれた鉄の匂いと、そして何度も目にした事のある景色。それを思考するよりも早く、

 

 ―――頭の裏に衝撃を受けて気を失った。

 

 全てが闇に包まれ、意識が一気に浮上して行く。




 彼女はどこかで人類悪になり得ると言われた。故に彼女は都合の良い、聖人の最後を飾る敵としての素体だった。啓示に従い成長する聖人、その正反対を写して成長させれば言葉にできない邪悪が出来上がるだろうとされた。

 しかしそれはなかった。一歩目で少年が秩序である事を捨てた為に。

 結果として男は混沌の中の悪となり、少女は秩序の善となった。

 だがしかしマリスビリー氏、この展開に物申す(物理)。

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