Vengeance For Pain   作:てんぞー

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答え - 3

 ―――生きる。

 

 生とはそれ自体が難題である。俺は終生までそれをずっと求めていた。果たしてなんで俺は生きているのか? なぜ生まれたのか? どうしてここまで苦しまなければいけないのか? 何故死を迎えなきゃいけないのか? ……何故、生きるという事はこんなにも難しいのか。俺はそれがずっと知りたかった。俺はずっとそれが怖かった。だから俺は、ひたすら答えを求め続けた。ただただ、答えを求め続けた。求めたから答えが返って来るという訳でもない。だがそれでも、答えを求める、それ自体が邪悪な事であると自覚しながらも俺はそれを止める事が出来なかった。無かったのだ、俺には。それ以外の選択肢が。それ以外の選択の余地が。俺の本能が求めていた―――故に旅を始めるしかなかった。その終わりがどうしようもない、絶望であると最初から理解しながらも。

 

 ―――生きたい。

 

 宗教とは、心の薬である。なぜ人は宗教にそこまで信仰を捧げるのか? なぜ人はそこまで宗教を信じられるのか? なぜこんなにも多くの人々に宗教は受け入れられるのだろうか? 答えは実に簡単だった。それが死という病に対する唯一の特効薬だからだ。人は生まれながらにして死が確定している不完全な生き物だ。人は死という現象の前にはどう足掻いても弱く、そして脆い。知性ある生物の運命として、人間は考える事から逃げられない。故に、人は死を想う。自分が最終的に行き着く先を想起する。いずれ自分がそこに到達するであろうという事実を理解している。人間は賢い。だからこそ破滅する。だからこそ誰よりも死を恐れる。その到達点は生物である以上、絶対に避ける事の出来ない終焉であるが故に。

 

 ―――生きたかった。

 

 死の先を、人間が答える術はない。一部、それを乗り越えた超人とも呼べる存在は答えを持つかもしれない。だが結局は、大多数の人間がそこに辿り着ける訳ではない。故に人は安心を求める。死という事象に対して、納得を求めるのだ。そしてそれが宗教となる。門司はそれを都合のいい形だと言い、そして怒りを覚えた。その怒りは何よりも正しい。宗教は答えを出した者が始め―――そこから、人々が理解し、納得できる形で布教という歪みを得るのだから。即ち、宗教とは他人に伝わっている時点でもはや本来の形をしていないのだ。悟りとはそもそも他人に説明の出来る者ではない。それはある意味、味覚に似ている。林檎を食べる。舌の上で感じたその感触は甘く、果汁にあふれており、丁度いい酸味が唾を誘う。だがそれはあくまでも主観的な例えだ。別の人物が同じ林檎を食べても同じような感想は出ない。感性が違い、主観が違い、そして価値観が違う。人間という生物はどこまでも理解を求めても、同じ生物ではない為、永遠にお互いを理解する事も、本当の意味で共有する事も出来ない。

 

 ―――死ぬ。

 

 だからこそ人間は理解し合えない。そして宗教という形を求める。それはおそらくこの世で最も説得力のある回答だからだ。私は知っている、それが決して正解である必要はないと。そもそも正解を求めている人間すらいない事を。宗教という薬は麻薬に近い。だけど同時に人間に必要なものである。何故なら人は死への恐怖を忘れられない。不完全な生物として生まれてしまった以上、その恐怖から絶対に逃れられないから。それがヒトが与えられた永遠の苦痛であり、そして逃れられない唯一の事だった。

 

 ―――死にたい。

 

 そして、それだから、私は宗教というものを嫌悪しながらもそれもまた良い、と認める。一言で言えばそれは醜悪だった。私は宗教という形がどれだけ醜悪で、そして歪められているのかを結末と始まりを知るが故に理解していた。そう、人間は理解しようとする事しか理解しない。理解できない事があれば理解しようとするフリをして、自分が理解できる形に変えてしまう。その過程で最も大事な部分を削ぎ落しているのだと気づきもしないで。その愚かさはしかし、何よりも愛おしいと表現しても良かった。人は理解する事を諦めない。だがその行いこそが最も大きな悪であり、歪みを生む真実だった。理解を放棄し、あるがままを受け入れる事が出来る存在こそが最も真実に近いとも言えるのに、その姿を人は嫌悪し、そして放逐する。それが悪だと断定して。

 

 ―――死にたかった。

 

 だからこそ答えは何よりもシンプルだった。宗教という特効薬はあくまでもその起源へと辿れば正しかった事に間違いはない。だが最初の悲劇はそれを言葉として表現しようとしたことだったのだろうと私は思った。言葉として、説明できない事を頑張って説明しようとした。次の悲劇はそれを聞いた人間が救われたと勘違いしてしまった事だった。それは救われたのではなく、感動だった。ただの感動……だが人の心を動かす出来事は何時だって奇跡になるとされている。そう、それは奇跡だったのだろう。だが同時にやはり、悲劇だったのだろう。私はそれを覗き見ながら思った。それはなんとも、馬鹿みたいな出来事だった。だけど同時に仕方がない事でもあった。人の業はそう簡単ではない、簡単ではないのだ。教え、聞かせる程度でそれを理解できる程上手く人間は作られていないのだから。自分の身で経験し、それを感じ取り、そしてそれを体現して初めてその真理を手にする事が出来るのだから。だから素晴らしいと感じ、広げる行いが間違っていた。その邪悪こそが今の世の中を作ってしまったのだとも言える。

 

 ―――それでいい。

 

 そう、それでいい。それでいいのだ。それでいいのだ―――。

 

 

 

 溶けた。

 

 それが思考や理解や感覚ですらなく、知識として得た情報だった。そう、ここでは()は思考する必要がなかった。何故なら()は既にその一部だった。大いなる流れ、大いなる渦、この世のありとあらゆる全て、つまり  である。それを表現する言語が人類には存在しない。神性にすら存在しない。いや、それを正しく表現する事は()にだって出来ない。何故ならそれを表現し、説明しようとするだけでそれは本質から遠ざかってしまうのだから。だけど、それでも、ナニカ、が、それを表現しようとするのであれば、或いは理解可能な概念として  を表現するのであれば、それはまず間違いなくこう呼ばれるだろう。

 

 ―――根源、と。

 

 そこに()は漂っていた。いや、違う。一部となっていた。もはや肉体と呼べるものは存在しなかった。存在する必要さえなかった。この大いなる流れは全能であり、全知であり、そして全てだった。ここにある全てが一であり、そしてまた同時に全である。概念として言葉にするのであればそうなるだろう。だがその時点で間違っている。重要なのは一つ―――ここが全ての終着点という事だった。

 

 全ての終着点にして始まりにして中期点にして脇道にして重要でもなくても重要であり―――全てである。その全ての一部に()は溶けて混ざっていた。その一部として全を形成する全となっていた。そこでは思考する必要なんてなく、探るなんて面倒な行いさえ存在しない。己の一部であり、己が一部なのだから、意志を抱かずとも最初からそこにあったのだ。答えが、そして旅路の果てが。それを()は感じていた。感じ取っていた。そして同時に()()していた。人間らしい、()()()()()()()()()()()それを理解していた。

 

 ―――あぁ、()はここに到達してしまったのね。

 

 それは誰が言ったのだろうか。()か。或いは()か。男女の区別なんてものはなかった。あるのは己が全の一部であり、一つの存在としてどろどろのスープに混ぜ込んだような状態だという事だった。だがそんな状況になっても我という概念を根源の渦に喪失していなかったのはただ単に、単純な事として、

 

 悟りという境地に我執から解放され、()という存在が一度でも立ってしまった事にあった。

 

 悟り、それは答えを得たという境地にある。それはただ納得すればいい、という程優しいものでもない。明確に用意された答えを理解し、そしてそれをまた受け入れながらも己の答えを見つけなくてはならない。それを通して真理と合一し、漸く悟りという境地に至れる。そこに最後の瞬間に到達してしまった。覚者、という領域に。それは理解するもの。真理へと至った存在。そう、()()に。

 

 男と女。陰と陽。善と悪。それは根源をつかさどる上では重要な事だった。この世で最も遠く、そして近い存在。()は既に根源を孕んでいた。故に既に道は存在したのだ。ただ、人間では一生近づく事さえできない道。入口の前に立つ事さえできない道―――だが、覚者として至れば話は別である。理解し、至った途端、もはや心臓なんて飾りに過ぎない。肉体は虚飾でしかない。そんなもの、もはや、

 

 解脱の前には必要としない。男と女の魂は苦生を離れた。それは支流を辿りながら大河を混ぜあいながら駆けあがっていた。もはやそれは一つ。我も彼も、()()も存在しない完全な一つとなり、支流を駆け上がり、本流へと合流し、根源という大いなる流れ、その大河の一部となった。ここには全てが存在した。無色でありながら素晴らしき色の数々は言葉に語るに及ばず、一部になるだけであらゆる芸術を超越し、流れ、奏でられる音楽はもはや天上の歌声をゴミとさえ表現できる極楽であった。その一部となる事には、もはや善も悪もない。それが全てだった。

 

 ここに救済は果たされた。願う必要も祈る必要もない。既に一部であり、それが全てなのだから。ここで願う事もなく、全として動けばそれだけで終わる。

 

 それで、人類は救われる。

 

 それを許せるのがこの全てだった。

 

 それが全、それは根源、それが―――我。

 

「―――だけど本当にそれでいいのかしら?」

 

 なにか―――否、誰かが全を眺めていた。誰か―――彼女は全ではなかった。しかし一ではあった。彼女もまた、全となる特権を許された珍しき存在だった。否、彼女は生まれた時から既に一部だった。檻の中に囚われ、隔離された一部。そして同時に己を隔離している一部だった。そんな彼女は混ざらなかった。根源という大河に裸の足首だけを沈め、その流れを感じ取りながらもそれと一つになろうとはしていなかった。

 

「えぇ、ごめんなさい。邪魔をしてしまったかしら? いえ、違うわね。これはきっと正しかったのでしょうね。だって貴方(貴女)は間違いなく後悔するでしょうから。だからこうやって、手遅れになる前に声をかけさせてもらったわ……手遅れなんて概念がここに存在するなら」

 

 可笑しなことを言う女だった。しかし、その言葉にどこか、納得を感じる()がいた。和装の女はふふ、と小さくはにかむ様に笑みを浮かべ、笑い声を零した。彼女はやっぱり、と呟く。

 

貴方(貴女)は可哀想な人。だけどその人生はとても素敵だったのね。羨ましいわ、それだけの選択肢が選べたことが。羨ましいわ、迷う事無く選べるという貴方(貴女)の意志が。私は無理だもの。私達(接続者)は存在してはならない―――()はそう思っていたし、その意味を貴方(貴女)は良く理解してくれるわよね?」

 

 女の言葉は正しい。()は存在するべきではなかった。存在してはならなかった。生み出してはならない存在だった。それが()だった。だが同時に、()は思う―――それもまた、生きるという事なのだと。()()も、そして貴方も、また様々な事を背負って、そして生きて来た。そこには様々な事があり、そして様々なものが今の己を形成したのだと。

 

「えぇ、そうね」

 

 ここはまさに桃源郷の名に相応しい。ここであれば()はあらゆる願いを思考するよりも早く叶える事が出来るだろう。ここでなら()は飽きる事もなくずっと愛しい人を抱き続け、一つになれるだろう。だけど、それでも、

 

 ―――そんなものは、たった一度として、求めた事はなかった。

 

「えぇ、そうね。それが貴方の人生でしたものね。そしてまた貴女もそんな人生だったからこそ愛せたのね。羨ましいわ、その心が。貴方は全てを得られるけど()()()()()()()()()()のね」

 

 どこかの誰かが10人中、1か9、どちらかを救える選択肢を提示する。

 

 正義の味方は9を選んだ。彼は小数を切り捨て大多数を選ぶ事で正義を守ったが、業は彼を殺した。

 

 別の男は自身を生贄に10を選び取った。それはただの破滅でしかなく、支払うべき対価を支払って当然の如く男は散る。

 

 なら1を救えばいいのか? そんな事はない。世の中は理不尽にできている。分を弁え、そして努力してもどうにもならずに死ぬのだ。

 

 だから誰も救わず、己さえも放棄した先で誰かを救ってしまう事もある。

 

 命―――命題。ヒトの種は何故生まれ、何故死んでゆくのだろうか。その意味は一体。そんなもの決まっている。最初から決まっているではないか。あぁ、そうだとも! 決まっていたのさ! 答えなんてものは!

 

 ―――そんなものはァ! 決まっている、だろうがァ……!

 

 引き剥がす。

 

 それは悲しみだった。概念が生み出されてから存在する理解外の無限の果てから続く全て。それから己を引き剥がす。流れゆく大河を逆行して行く。どろどろに溶けて混ざった己の魂を大河から引き剥がしながら進んで行く。それは痛みだった。大いなる存在から今、自分は分離しつつある。僅かな道を残して、自分はこの存在から剥がれようとしている。摂理そのものに叛逆しているのだ。こんな事、本来であるならありえない。だがそれはありえなくもない。何故ならここは全てがあり、そして同時に一でもあるから。

 

 不可能であるという事は同時に可能であるのが真実であった。

 

「雪の降る夜また逢いましょう―――また、話せる時を楽しみにしているわ」

 

 女の横を抜けて流れて来た支流へと進んで行く。我は我である。その自覚を抱いて、大いなる一から最も無意味で無価値な己という一へと存在を破壊して行く。そうして進んで行く先で、形もない己の中から一つに溶けた存在を引きずり出した。

 

「ここでならずっと幸せでいられたのに」

 

 そんな事、別にいい。

 

「ここからならありとあらゆる運命に叛逆できるわ」

 

 そんな事、興味ない。

 

「ここでなら全能の王として無限を総べれるわ」

 

 誰がそんな事を求める。そんなものに何よりも価値がないと理解しているお前がそれを言ってどうするのだ。そう、そんなものに意味はない。求めて来たものでもなく、与えられて欲しいものでもないのだ。違う、違うのだ。自分が求めているものは―――違う。

 

 苦しいし、悲しいし、それこそ嫌になる様な人生だった。

 

 だけど、それでも、それで良かったのだ―――俺達は生まれたその時に既に救われ、祝福されていたのだから。

 

 欲しいのは全能の座ではない。

 

 欲しいのは全知の頂ではない。

 

 そんなもの、どうしようもなく()()()()のだ。

 

「じゃあ、貴方は何が欲しいの―――?」

 

 それは無論、簡単な答えである。理解しようとする必要はない。もはや英知と己は別ものであった、その恩恵の欠片の欠片の欠片―――その程度の繋がりしか、引き剥がした今では残されていなかった。それでもあの檻に囚われた和装の女や、彼女とも同列に並ぶ事が出来る。だがそれさえ必要としない。何故なら自分が今、何よりもしたかったのは、

 

 ―――子供を泣かせるような奴を、殴り飛ばす事だけだから。

 

「えぇ、では一緒に生きましょう。私は貴方の比翼、半身。死が二人を別つその時まで、貴方と共に永遠を歩みましょう、()

 

 全能とは即ち人である。王である。神である。そして―――獣である。

 

 真理、ここに至れり。されど、ここは到達点でしかなく、まさに無意味。

 

 故に僅かな繋がりを残し―――引き剥がした。さようなら偉大なる流れよ、天上の世界よ。言葉にならざる英知よ。

 

 それでも、全てが存在し、明日が存在しないよりも―――誰も救わない、苦しみしかない明日を選ぶ。

 

 そんな明日を()は常に歩いて来た。常に求めて来た。常に超えて来た。だから再びここで求める。

 

 ―――明日を。




 かくして無駄なことなど一つもなかった。生を、喜びを、苦しみを、死を経験し、新たな命の形を経験し、祈りを見て、末世を眺めた。その果てに我執から解放され、五十近い生を二度経験した。そこに無駄な事は何一つなかったのであった。陰と陽が、そして人の世の縮図を併せ持つ事で漸く楽園への扉は開いた。

 ただし、お呼びじゃねぇ。おそらくはかつてない難産。次回でロンドンラスト。

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