俺は、喫茶店の支払いを済ませ意識が朦朧としている夏目を抱え、夏目が呼んだタクシーに乗り込んだ。
霊力が低下した人間は、呪的抵抗力が著しく低下する。
直接生命にかかわることは少ないが、回復には長い時間が必要になるらしい。
夏目の話によれば本家には、失った霊力を回復させることができる呪具があるらしく、俺たちは今その呪具を取りにタクシーで夏目の家に向かっている。
完璧に俺のミスだ。
鈴鹿が別れ際にしたキスは、嫌がらせではなく俺の体内に、呪術を仕込むためのものだった。
今思えば、鈴鹿は『絶対に本人に直接会って』などと念を押して俺に警告していた。
俺は、それに気づかず式神を夏目の元へ運んでしまったのだ。
夏目は、今もまだ喋れない。タクシーの後部座席のシートに横になりぐったりしている。額には汗が浮き出
て、呼吸も浅く表情はとても辛そうだった。
クソッ!
痛々しい幼馴染の姿を前にして自分の無力さに奥歯を噛み締める。
「……見抜けなかった…私の……ミスです」
「夏目!?」
今まで無言だった夏目の言葉に俺は、慌てて体を起こした。
「すまんっ、俺が気づいていれば」
「いえ、相手は……『十二神将』。…呪をかけられても、分かるはずが…」
確かに国内トップクラスの陰陽師に呪をかけられたとしても、素人の俺には全く分からないだろう。
仕方ないと言えばそれまでだが、俺自身がそれでは納得できなかった。
「それより……これで彼女は…『私』を得ました。…祭壇に向かうはず…止めなくて、わ」
鈴鹿は、夏目を実験に協力させるとか言っていたが、今の状況から考えるに必要だったのは夏目自身で無く、夏目の霊力だったようだ。
そしてその霊力も手に入った今、鈴鹿はすぐにでも祭儀に取り掛かるだろう。
「バカか!?そんな体で行って何になるんだよっ」
「……」
夏目は今の会話で体力を使い果たしたのか、またぐったりとして目を閉じた。
今の様子からすると夏目は、どんなに説得しても祭壇を守りに行くだろう。
どうするか。
俺が考えを巡らせようとしたとき、ポケットに入れていた携帯が着信音を鳴らした。
ディスプレイの表示は『冬児』だった。
『春虎。そっちはどうだ。幼馴染とは話が付いたか?』
外から電話をかけているのか、激しい雨の音がバックに聞こえる。
「…それがな、厄介なことになっちまった」
『…説明してくれ』
俺は、喫茶店での出来事を冬児に説明した。
『……なるほどな』
と、つぶやいた冬児の声にはどこか楽しげな響きを帯びていた。
どうやらこの親友は、また悪癖が出てきているようだ。
『さすが『十二神将』と言うべきか。抜け目がないな。それともお前が間抜けなだけか――』
「どうせ両方だろうさ。そんなことより、陰陽庁とかに掛け合うなりして、昨日の呪捜官達に事情を説明できないか?
昨日の呪捜官達が鈴鹿に敵わないのは百も承知だが、霊力の無い夏目と素人の俺よりか、はるかにマシだろう。
『実はその件で電話した。ついさっき動きがあったみたいでな、どうやらあのガキを見つけたようだ』
「マジか!?……ところで、なんでお前がそんなこと知ってんだ?」
『なに、
携帯越しの声は実に白々しいものだった。
大方、自分だけ目の前のトラブルに関われないのが癪だったんだろう。
それにしても、結果的には呪捜官達の動きを掴んでしまう辺りが恐ろしい。
いったいどんな手を使ったんだ?
「そういう事にしといてやるよ。…それで動きがあった、って言ったが増援部隊が到着したのか?」
『いや、この台風のせいで遅れてるみたいだ』
「じゃあ、前回と同じ人員か?また返り討ちに会うのがオチだぜ」
『そいつはどうかな?連中もプロだ。勝算もなしに特攻とは、考え難いな』
確かに、いくら力量差があると言っても相手は鈴鹿一人でまだ子供だ。集中力や体力は必ず底をつく。
この緊迫した状態なら尚更だろう。
それに居場所も掴んだと言っていたから、奇襲でも仕掛けるんだろう。
実力では劣っていても勝敗は分らない。それが戦いだ。
「まあ、その辺は呪捜官のお手並み拝見だな」
『そうだな。――でお前はこれからどうする?』
「タクシーで夏目の――本家に向かってる。霊力を回復させる呪具があるらしいからな」
『分かった。…しかし祭儀を行う祭壇は、その本家の裏に在るんじゃなかったのか?下手すりゃ、また呪術戦に鉢合わせするぞ』
「まさか、いくらなんでもそこまで運は―――」
悪くない。と言おうとした瞬間タクシーが急ブレーキをかけて止まる。幸いにも周りにほかの車両は無く大事故は避けられた。
「な、なんだ!?どうした!?」
「ば、化物が!」
俺が運転手に問いかけると運転手は、前方を指さしながら叫んだ。
「化物?」
つられて俺も前を確認してみるとそこにいたのは、
「式神!?」
しかも大量の紙で作られたようなあの造形は間違いなく大連寺鈴鹿の式神だ。
マジかよ!?
「クソッ…」
『どうした!』
携帯の向こうで異変を察した冬児が怒鳴っている。
しかし俺は、式神から目を離せずにいた。
万が一にでも、あの式神達がこちらを襲うようならば、意識の無い夏目を背負って逃げなければならない。
俺は式神の次の動きに全神経をとがらせた……が。
なんだ?
式神の様子がおかしい…。
俺が疑問を感じた次の瞬間、式神はただの紙の戻ってしまった。
「…どういうことだ?」
俺は迷った結果、夏目を残しタクシーを降りた。
目的は、原因究明。
式神達がいた場所に近づくと、微かに遠くから雨音に紛れて違う音も聞こえてくる。
俺は全神経を集中させ、耳を澄ますと聞こえてくるのは爆発音や、怒鳴り声。
紛れもない戦闘音だった。
おそらくだが、この近くで呪捜官と鈴鹿が戦っている。
「…冬児」
まだ繋がっている電話の向こうの悪友に話しかける。
『…春虎か!一体何が――』
「冬児。俺、本当についてねーよ。有り得ねーよ。どんだけ運悪いだよ」
『…何かトラブルか?』
俺は冬児に簡潔に状況を教えた。
「…呪術戦に鉢合わせた」
『…呆れた野郎だな。お前確実に憑いてるぜ』
「…笑えねー。けど、幸い俺も夏目も無事だ。夏目はタクシーで帰して、俺はこのまま見届ける」
『おいおいっ、止めとけ!そこらの喧嘩とはわけが違うんだぞ』
「分かってるって」
『いや、分かってないな。大体、素人のお前に何ができる?」
「何もしねーよ。ただ結果を見届けるだけさ。それにもし、鈴鹿が勝ったとしても消耗してチャンスができるかもしれねーだろ」
『…そのチャンスで何する気だよ?』
冬児が呆れたように聞いてくるので俺は、胸を張って答えた。
「背後からぶん殴る!」
『お前がアホなのは理解したから大人しくしとけ』
「…冗談だって」
三割ぐらいはな…。
『いいか、絶対に余計なことするなよ。絶対だ』
「…それって所謂『振り』?」
『バカかお前!今は真面目なはな――』
冬児との会話が途切れた。
まあ、俺が一方的に切ったんだけどね。
俺は一旦タクシーに戻り、まだ動揺している運転手に夏目の家の場所を教えた。
「…行ってくるぜ、夏目」
まだ意識の無い夏目から離れることに罪悪感を覚えながら、再びタクシーを出る。
「…良いのかい?」
タクシーの運転手が控えめに聞いてくる。
「頼みます」
「…分かった。気を付けてな」
俺の短い一言に納得してくれたのかタクシーは走り出す。
タクシーが見えなくなるまで見届けた後、俺はまだ微かに戦闘音のする方向に足を向けた。