真十文字事件 The case of Iroha Karuta   作:天木武

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前編 いろはカルタ事件

 

 

 夏は暑いと相場が決まっている。その相場を決めたのは俺ではなく、太古の昔から決まっていた、と考えるのが妥当だろう。なぜなら暑くなかった夏など俺の経験の上ではなかったからだ。と、そこまで考えて、ではその場合「相場が決まっている」という言葉の「相場」は変動も何も無いのだから、用法としては正しいのだろうかなどとも考えてしまう。相場は変わってなんぼ、変わらなければ円相場も株式相場も意味を成さない。それでは経済が停滞してしまう。実に困ったことだ。

 

 ……こんないくら現実逃避めいた妄想を頭でめぐらせ、感覚を紛らわせようとしてもやはり効果薄だったらしい。暑いものは暑い。今は夏。と、いうより「夏」の定義がどこからかわからん。この学校に通うようになって2年目だが、今年は去年よりも遥かに暑い気がしていた。実際5月下旬頃から既に7月上旬並みの暑さだったとかで、そのせいで梅雨時はもはやサウナ状態だった。せめてもの救いは梅雨明けがやけに早かったことだろう。6月下旬の今現在、既に梅雨は明けていた。そういえば梅雨明けが夏になる定義だったか、などと思いつつ、やはり暑いものは暑いと改めて思う。省エネ人間折木奉太郎(おれきほうたろう)としては嘆かわしい事態だ。こんな暑い日はクーラーの聞いた部屋に閉じこもるか扇風機の前でごろごろしてるに限る。

 しかし学校という組織はそれを許可してくれない。あまつさえ、あと2週間もしないうちに期末テストなどという一大イベントまで用意してくれているのだ。まったく素晴らしいことで。おかげさまで今週一杯、後3日を経過すると試験準備期間という名目で来週からの平日部活は禁止となる。もっとも、伝統があるとはいえ我が古典部は特に何をしているわけでもない。別に禁止にされたところで大した問題ではないわけではあるが。

 

 そんな省エネ主義にあるまじき考えごとを頭に巡らせつつ、俺はようやく我等が学び舎である神山(かみやま)高校の昇降口へと到着した。そこで、いやあるまじきことではなかったと否定しなおす。これは意識の中から暑さを紛らわせるためにやったことで無駄なことではないのだ。……多分。

 どうにもいかん。「好奇心の権化」が段々と俺にも憑依してきたのか、「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に」の俺のモットーが揺らいできてしまっているのは否めない。だから今さっきもああやって何かを考え込んだのだろうか、とも思えてしまう。

 うむ、それは()()()()。俺が能動的に動くのは「手短に」やる時、かつ出来る時だけだ。俺の手に余る用件は「やらない」として放り投げるに限る。……最近そうも出来ない事例がないわけでもないのだが。

 

 まあいいか、と俺は下駄箱に下足を入れ、上履きを取り出そうとする。……と、その時上履きの上に何か紙のようなものがあるのが目に入った。ラブレターを下駄箱に、などという古典的方法がまず頭をよぎるがその線はないし、()()()()()()()やらなくていいことに分類される事柄だ。そう思いながら、上履きと一緒にその紙も取り出した。そして上履きを履きつつ、その紙に目を落とす。

 

「……なんだこりゃ」

 

 思わず、独り言が口を次いで出た。入っていたものはラブレターなどという大層なものから程遠かった。便箋も何もなく、メッセージカードのような紙切れが1枚だけ。さらには、そこに書かれた内容も一言だけ。

 

『骨折り損のくたびれもうけ』

 

 

 

 

 

 なんとなく、こんなことをしてきた犯人の予想がつかないでもない。『骨折り損のくたびれもうけ』、意味としては確か「苦労するだけして報われない」とかだった気がする。だとするなら俺の苦労……すなわち、俺本来の生活信条である省エネ主義に反し、古典部で振り回されている千反田(ちたんだ)えるとの関係を皮肉って、旧友かつ同部活所属の福部里志(ふくべさとし)辺りがやらかしたことだろう。……しかしあいつはそんなことをするような奴だったか? いや、魔が差したという可能性はある。ともかく今日放課後部活に来た時に問い詰めればすむことだろう。

 

 そんな風に思いながら、適当に授業を消化し、放課後。俺は古典部の部室である地学準備室へと直行する。部屋の中には1人だけだった。その先客――伊原摩耶花(いばらまやか)は開いた扉に気づいて視線をこちらに向けたようだったが、俺とわかると同時に元に戻した。

 

「おう」

「ん」

 

 挨拶にもなっていような挨拶を交わす。こいつとは小学校時代からの縁だが、関係などこんなもんだし、いつもこの具合だ。が、今日は珍しくいつもの席に腰を下ろそうとした俺に対し、もう一度視線を送ってくる。

 

「なんだ?」

「……なんでも」

 

 それきり、今度は完全に俺への興味を失ったようだった。テスト期間が近いこともあるせいか、どうやら勉強しているらしい。熱心なことで。まあいいかと俺は持って来たペーパーバックを適当に広げた。里志が来るまでは暇を持て余しているようなものだ。……いや、その「暇」こそ俺が愛するべき平穏だろう。もしこれで俺の下駄箱の()()()()()の犯人が奴じゃないとなったら……。

 その話を聞いたとき、千反田が目を輝かせ始めそうで怖い。そうなるとまた厄介ごとに巻き込まれることになる。よってここは「下駄箱に何者かからメッセージカードが入れられていた」という事案を隠して問うのがベストだろう。そんなお嬢様の興味をそそりそうな出来事を口に出せば、千反田は目を輝かせるに違いない。よって、里志に探りを入れてみて反応がなければ、ああそうですか、で終わりの事案でいい。誰かがいたずらでもしたんだろう、でおしまいだ。それに仮に里志が犯人だとして白を切られても、あいつは禍根を残すジョークは控えるはずだ。後でこっそり俺にだけ告げてくるなりなんなりすることだろう。

 

 そう思いながら本を読んでいてしばらく経った頃。話し声が部室に近づいてきた。声から千反田と里志だとわかる。どこかで合流でもしたのだろう。そして扉が開いた瞬間。

 

「里志」

「ふくちゃん!」

 

 挨拶でもしようとしていたらしい、奴は腕を上げたまま固まっていた。……まあ部室の扉を開けた瞬間、まるで申し合わせたように俺と伊原から同時に名を呼ばれればこいつでなくても固まることだろう。いや、申し合わせなんて全くしてなかったんだが……。

 俺は目で伊原に先を譲ろうとしたが、逆に伊原に先に行けと促された。別に順番などどうでもいい、なら俺から話すことにするか、と思う。

 

「や、やあホータローに摩耶花。まさかこっちの挨拶より先に同時に声をかけられるとは思ってもいなかったよ。……それで、なんだい?」

「お前、『骨折り損のくたびれもうけ』って、正式な意味を知ってるか?」

 

 これなら「下駄箱にメッセージカードが入っていた」という事実を隠してこいつの出方を見られる。反応ありならその場で経緯を自白するだろうし、なしでもあとで俺にこっそり言うなり、犯人がこいつじゃなくても千反田の興味をそそるもの、とならずに済むわけだ。

 

 ところが、里志の、いや、場の反応は俺の予想とは全く違った。里志は目を見開き、俺が思っていた「反応あり」とは全く違う反応を見せ、伊原までなぜか「えっ!?」とか言っている。

 

「折木……あんたもなの!?」

「は? 俺も、って……」

「ふくちゃんでしょ!? 私の下駄箱に『憎まれっ子世にはばかる』ってメッセージカード入れたの! ……そんなに私憎まれるようなことしてる!?」

 

 ……何? じゃあ俺だけじゃなく伊原の下駄箱にもあの一言だけのメッセージカードが入ってた、というわけか? 里志め、何を考えている? ……いや、そもそもこいつじゃないのかもしれないが。

 

「ちょ、ちょっとおふたりとも待ってください!」

 

 ここで間に入ったのが千反田だった。そういえば扉が開いた時に少し珍しいツーショットだと一瞬思ったが、その後の展開にちょっと存在を忘れてしまっていた。彼女は里志に椅子に座るように促し、自身も椅子に腰掛ける。

 

「まず状況を整理しませんか? ……実は、私もここに来る途中、福部さんとそのことを話していたんです」

「そのこと? じゃあちーちゃんの下駄箱にも入ってたの?」

「はい。『花より団子』とありました。そしてそのことをさっきそこで会った福部さんと話していたのですが……」

「もしかしたら2人は僕が犯人じゃないか、って思ってるのかな? だとしたら残念。僕の下駄箱にも入っていたよ。『論より証拠』だってさ」

 

 そう言うと里志は愛用の巾着からメッセージカードを取り出して見せた。そこには奴が言ったとおりの言葉が、俺が持っているものと同じように書かれている。

 

「それに摩耶花、それは『憎まれるような者ほど世間では幅を利かせられる』って意味だ。一概に悪い意味には取れないよ?」

「それでもふくちゃんは私が憎まれっ子だって言いたいんでしょ?」

「だからこれは僕じゃないって。……あ、ホータローも何か言ってたっけ。何?」

 

 答える代わりに俺も今朝下駄箱に入っていたメッセージカードを鞄の中から取り出して机の上に放り投げた。それを見て伊原と千反田もカードを取り出す。

 

「『骨折り損のくたびれもうけ』……。なるほど、これはホータローに当てはまってるね。僕の『論より証拠』と合わせて、うまく風刺が効いてる。違うとするなら千反田さんの『花より団子』ぐらいかな」

 

 余計なお世話だ。しかし、どうにもこうにもこれは妙な話だ。

 

「皆さん、朝登校したら下駄箱にこれが入っていたんですよね?」

 

 肯定。質問者の千反田以外3人が首を縦に振った。俺は改めて机の上のメッセージカードを見る。

 

『骨折り損のくたびれもうけ』

『花より団子』

『憎まれっ子世にはばかる』

『論より証拠』

 

 これらのことわざの共通点は……。

 

「いろはカルタ……か」

 

 ポツリと呟く。だがそれにしては色々と奇妙な点が多い。

 

「ですが……。序盤に固まりすぎてませんか? 『いろはにほへと』でいうと最初の5文字部分まで……。それも、最初の『い』がありません」

「順番にするにしても、頭がないってのはなんだか中途半端よね。風刺するにしても、別に折木なら『犬も歩けば棒に当たる』で通じるだろうし、あるいはちーちゃんの『花より団子」をこいつにおしつけてちーちゃんがそっちでもある程度当てはまりそうだし」

 

 伊原の意見は後半はどうでもいいが、前半は賛成だ。順番にこだわるなら頭がないというのは決まりが悪い。いっそいろはカルタ全てに対象を広げればもっと風刺の効く言葉は見つかるだろう。例えば伊原には『割れ鍋に閉じ蓋』とか『目の上のこぶ』とか。それをわざわざ最初の方だけに絞っている以上、本来は順番どおりの言葉が使われないとおかしい、というかいまひとつ締まらないというのに、その肝心の頭がないのだ。格好がつかないではないか。頭隠して尻隠さず、の前に頭すら隠していないわけだ。……意味合いから言って違うか。

 

「このメッセージカード、俺達以外に入れられたという話はないのか?」

「今日1日、僕の周りでは全く話題に上がらなかったよ。つまり無差別大量、という線はないんじゃないかな」

「古典部にこれだけ固まってるんだから、元々無差別はないんじゃないの?」

 

 同感だ。古典部にこうも最初の部分が固まってる以上無差別はありえないだろうし、大量にというのも考えにくい。頭の「い」を除いた5文字が綺麗に揃うということがない、とは言わないが、意図しなくてはありえないだろう現象だからだ。

 

「では、この犯人さんは、一体何を考えたのでしょう……」

 

 ポツリと呟かれた千反田の一言。それがどこか嬉しさを含んでいた気がしたのを、俺が聞き間違えるはずがない。これまで散々振り回されてきた相手だ。なんだかんだ言いつつ、こいつは好奇心の権化に他ならない。そしてこういうことに興味を示し始めると、あの「呪文」を唱えてくるに決まっている。

 

「……さーて、帰るか」

 

 そうなる前に退散するに限る。わざとらしく俺は立ち上がろうとする。

 

「待ってください、折木さん!」

 

 両手を机について身を乗り出す。そして狭いパーソナルスペースギリギリまで俺へと顔を寄せてきた。

 それでも待ちたくない。頼む千反田、やめてくれ。たとえどう頭を働かせようと、この現状からじゃ何も発展しないんだ。だったらそれはまだ早い。今その「呪文」を唱えられると俺はこの問題の解決までをお前に見せる必要が出てくる。

 そいつは遠慮したい。この件が解決できる保証もない。誰かが魔が差してちょっと古典部をからかったとか、それでいいじゃないか。

 しかしたとえ今そう言っても、こいつは聞く耳を持たないだろう。普段から清楚な顔立ちにやや不釣合いに大きな目が、今はさらに見開かれている。

 

「この犯人さんが何を考えて、そしてなぜ古典部のメンバーだけに狙いを絞ってこのメッセージカードを入れたのか……」

 

 そこまでにしてくれ、と言いたいのに言えない。もうこのメッセージカードが入っていたときにこうなる運命だったのかもしれない。里志も伊原も、自分は関係ないとばかりに俺を援護するつもりは全くないらしい。

 仕方ない。こうなったら受け入れるしかない。抵抗するだけ無駄なら、抵抗しない。「やらなくていいことなら、やらない」だ。既に事態は次のフェイズに移行している。「やらなければいけないこと」となった以上、あとは「手短に」済ませるだけだ。

 

 さあ来い、千反田。その見開かれた目でもって、いつも通りの呪文を、唱えてみせろ。

 

「私、気になります!」

 

 

 

 

 

 とはいえ、一旦俺が解決に向けて動き出す、とわかると急に物分りがよくなるというか、約束を取り付けられて安心するのか、あいつは俺の話を素直に聞き入れる。だから俺はその時点で思った「今の時点ではどうしようもない」ということを事細かに説明してやった。結果、千反田は一応納得したらしい。一度「気になりますモード」に入ってもちゃんと自制が効くのは、あいつのいいところだとは思う。出来ることならその前に「気になりますモード」に入らないでほしいのだが。

 ともかく、そんな具合で昨日は解散、今日もうだるような暑さの中、俺は登校しているわけだ。なんだっけ、暑さを紛らわせるために何かを考えれば……。よし、昨日までの置かれたカルタの内容をまとめてみるか。里志は勝手にこれを「いろはカルタ事件」と名づけ、それぞれのことわざの意味を事細かに説明してくれた。

 

 『い』がないから『ろ』……つまり『論より証拠』からか。これは里志の下駄箱に入っていた。意味は「口先で論じるより証拠を出した方が早い」といった意味。「データベース」を自称するあいつにはいい皮肉……と思いきや、奴は論じるのは論じるが、証拠も持っていることが多かったりする。あの巾着に色々入っているからな。

 

 次に『は』……『花より団子』だ。意味は「風流よりも実益を優先する」といったところか。だがこれは千反田の下駄箱に入っていたという話だった。あいつはお嬢様で風流なんてものも心得ているから、これはあまり当てはまらないように思える。古典部内で入れるなら俺か伊原ではないだろうか。

 

 それから『に』……『憎まれっ子世にはばかる』。昨日里志が伊原に言ったとおり「憎まれるような者ほど世間では幅を利かせられる」という意味で、一概に悪いとは言えない。まああれだ、2時間ドラマとかでいかにも悪い奴だけどどこか憎めないキャラは長生きする、みたいなもんだろう。……違うか。ともかく、口は悪いが自分にも他人にも厳しい伊原だ、憎まれることもあるかもしれないが、だからこそ世にはばかることができるかもしれない。千反田よりは近いだろう。

 

 最後に『ほ』……『骨折り損のくたびれもうけ』、俺の下駄箱に入っていたものだ。「苦労するだけして報われない」とは見事に俺に当てはまっている。神山高校に入学してからの俺を振り返ればまさにこれだろう。散々千反田に振り回されっぱなしなわけだ。……だからといって一概にそれを「報われない」と切り捨てる気も、今となっては到底ないわけではあるが。

 

 こうしてまとめてみると、男子2人に対してはそこそこ見事に風刺しているが、女子2人に対しては少々甘いのではないか、といったところか。だとすると犯人は古典部を良く知る、俺達2人と関係のある人物か? ……いや、そんなに恨み持たれる部か、この部? だとすると内部の人間絡みだろうか。俺の場合で考えると、心当たりのあった壁新聞部の1人は去年時点で3年生だったから今はもういないし、もう1人の総務委員は……今3年か。だがメッセージカードを残すなどという、わざわざどこか()()()()()()()を取るのもおかしいし、こんな嫌がらせをしてくるような人でもないだろう。大体俺と話したのはあの時ぐらいなものだ。里志のことはまだしも、俺のことなどそこまで知らないはず。

 あるいは他の誰かが恨みを買って、だろうか。もっとも考えられるのは漫研を辞める経緯としていろいろと揉めたらしい伊原。しかし女のやり口は陰湿と聞く。こんなふざけた方法はありえない。里志も顔は広いが、あまり恨みを買われるタイプではないだろう。千反田に至っては皆無と言い切ったっていい。

 あとはまだ内部犯、という可能性も捨て切れない。……となると里志以外いないわけだが。そもそも千反田は腹芸が出来ない。伊原はこういういたずらごとは性格上やらない、というかやれない。俺はやってないし、そもそもこんなやらなくていいことはやらない。だが里志だって意味なくやるわけはないだろう。

 

 結局今日登校してみないことには何も始まらない、という昨日の時点から進展なしの答えを再び導き出したところで、俺はようやく昇降口に到着した。さて、今日も()()()()()は入ってるかな、と上履きを取り出しながら確認し――その奥にまた昨日と同じサイズのメッセージカードがあることを確認した。取り出して文字に目を落とす。

 

「……はぁ?」

 

 昨日は風刺の効いたいたずらだと思った。だが今日のはどうにもそう思えない。果たして俺にこの言葉が適切といえるだろうか。

 

『律義者の子沢山』

 

 

 

 

 

 授業を終えた後、昨日以上の速度で俺は地学準備室へと足を運ぶ。『律義者の子沢山』……意味は「真面目な人は浮気もしないから子供が多い」とかが大元、つまり真面目な人を指す言葉のはずだ。これは俺に合わない。古典部ならまず伊原がここに当てはまるべきだろう。それを俺に当てはめたということは、昨日のは風刺を利かせたわけでもなんでもなく、偶然そうなっただけだろうか。

 そんなことを授業中も、そして移動している今も考えながら歩いていた。少々遠い部室にようやく到着し、扉を開ける。

 

「や、ホータロー」

「折木……」

 

 先客は里志と伊原の2人だった。だが伊原のあの反応を見るに、カードが入っていたのは間違いないだろう。普段じゃ俺などあいつにとっていてもいなくても変わらない存在だろうし。

 

「入ってたぞ。『律義者の子沢山』」

「それはまたホータローに合ってると言い難い言葉だね。ちなみに僕は『屁をひって尻つぼめ』。余計なことを言ってしまうこともある僕に対して後悔先に立たず、とはなかなか的を射てると思うけどね」

 

 確かに里志に合っていないこともない。ではなぜ俺に大した合ってもいないような言葉を当てたのか。

 

「……まあそれより問題は摩耶花のだ」

 

 そう言うと里志はいつもの席に座った俺の前に、伊原の下駄箱に入っていたというカードを差し出してきた。その内容に思わず俺も目を見開く。

 

『瑠璃も玻璃も照らせば光る いろはにほへとちりぬるを、いろはカルタ、これにてお開き』

 

 これにてお開き? ということは……。

 

「これで終わり、ってことか?」

「そうとしか思えないわよね? でもさ、私ので終わりって虫食いが酷すぎない? そもそも『いろはにほへとちりぬるを』なら12文字、私達は4人。終わらせるなら、あと1回必要なはずなのに……。それなら『いろはにほへと』までの7文字で止めちゃって、4+3にした方がキリとしてはいいだろうし」

 

 伊原の言うとおりだ。12文字あるのに2回で終わってしまっては4文字、丸々1回分残ることになる。なんで3回ではなく2回だったのだろうか。それに『いろはにほへと』までで終わらせてもいい。それをしていない、というのはどうも引っかかる。

 

「せっかく『いろはカルタ事件』って命名してあげたというのに、僕達を風刺するためにやった、にしてもお粗末過ぎて少しがっかりだよ。摩耶花には『瑠璃も玻璃も照らせば光る』より、ホータローが受け取った『律義者の子沢山』の方が合ってると思うしね。ここまでの言葉なら……ホータローは『盗人の昼寝』辺りが妥当かな?」

「意味は?」

「『何の目的もなさそうな行為でも、何かしら理由がある』かな。省エネ主義のホータローが能動的に動くのは何かがある時だからね。……ま、その何か、というのは大抵断りきれない千反田さんの頼みごとなんだろうけど」

 

 やかましい。まあ別になんでもいいか。ともかく風刺としても甘い、文字数としても中途半端、一体これを置いていった奴は何がしたかったんだ、と俺が考え込み始めたその時。

 

「遅くなりました!」

 

 勢いよく部室の扉が開かれた。そこに立っていたのは目を輝かせた千反田。何か発見があったのかもしれない。だが残念、ゲームは終わったんだ。

 

「やあ千反田さん。意気込んでいるところ悪いけど、もう終わっちゃったみたいなんだ」

「はい! 私達以外にカードが入っていた人を見つけ……え? 終わり……?」

「ちょっと待て千反田。今なんて言った?」

 

 俺達以外にカードが入っていた人間がいただと? じゃあこれは古典部だけを狙っての行為じゃないということか?

 

「カードが入っていたという、古典部以外の人を見つけたのですが……。お終い……なんですか?」

「伊原の下駄箱に入っていたカードにはそう書かれてはいるが、犯人への手がかりとなるかもしれない。入っていたというのは誰だ?」

 

 入り口で半ば呆然と立っていた千反田だったが、俺に促されてその「古典部以外の人」と共に部室へと入ってきた。千反田の後ろに続いたのは女子としてはすらりと背が高く、長い前髪とそこから除く細縁フレームの小さめの眼鏡が特徴的だった。一見すればその大人びた外見から先輩だと思うだろう。だが俺は一応彼女を知っている。とはいえ、()()姿()の彼女に面と向かうのは、ひょっとしたら初めてだったかもしれないが。

 

「へえ、十文字さんも巻き込まれてたんだ」

 

 飄々(ひょうひょう)と里志が彼女の苗字を呼ぶ。そういえば2人は去年同じクラスだったはずだ。なのに里志に軽く視線を返しただけで、彼女は言葉では何も返そうとはしなかった。

 彼女の名は十文字かほ。千反田とは家ぐるみで付き合いがあるということは、今年の1月に彼女の実家――荒楠(あれくす)神社に初詣に行ったときに知っていた。

 

「皆さんご存知だと思いますが、十文字かほさんです」

「個人的にはただのいたずらだと思っていたんだけど、古典部皆の下駄箱に入っていたって言うから。……あたしのところに入ってたのは昨日がこれと、今日がこれ」

 

 短く前置きし、千反田が用意した椅子に座りつつ彼女は本題に入った。まあこの人はこういう人だ、となんとなく予想はつく。外連味(けれんみ)はあまりないだろうからだ。

 

 それはそうと彼女が差し出したカードを見る。昨日と言ったほうは『い』、すなわち『犬も歩けば棒に当たる』。なんと始まりの言葉は古典部メンバーではなく彼女からだったのか。次いで今日と言ったほうは『ぬ』、すなわち『盗人の昼寝』。里志が俺を当てはめるに妥当、と言った言葉だ。

 そして千反田が今日自分の下駄箱に入っていたであろうカードを差し出してきた。『と』、すなわち『年寄りの冷や水』。いまいち当てはまってるとは言いがたい。しかしそんなことよりも千反田は伊原が受け取ったというカードを見つめていた。

 

「これにてお開き……。ですが、かほさんを入れても10文字です。『いろはにほへとちりぬるを』なら、12文字必要なはずです」

「そう、僕達も今それを話していたんだ。古典部内でならあと1回必要なはずなのにそれがなかった。でも十文字さんも巻き込まれていたとなれば……」

 

 ……いや、待て。今千反田はなんと言った? そして俺は朝なんと思った? 古典部、あるいは俺が恨みを買われてそうな人間を思い浮かべた時に、なんと思った?

 ひょっとしたら彼女は巻き込まれただけかもしれない。このくだらない、大した意味もない可能性さえある()()といってもいい事態に。

 

「すみません、かほさん。せっかく来ていただいたんですが、摩耶花さんのカードに終わりと書いてある以上……」

「待て、千反田。一方的に『これで終わり』と言われても、お前はそれで納得はしないだろう?」

「え? それはそうですが……。まさか折木さん、犯人がわかったんですか!?」

「これだけでわかったら俺は超能力者か何かだ。犯人の見当など全くつかんし、はっきり言ってつくとも思っていない。……だが、なぜ十文字が巻き込まれたかだけはわかった」

「えっ……!?」

 

 千反田は驚きの声を上げる。里志と伊原も同様の感情らしい。当の本人十文字は……特に何も感じてないのか、それとも事態を把握していないのか、表情が変わらない。

 

「どういうことですか、折木さん!? かほさんが巻き込まれた理由って……」

「さっきお前自身も言ったことだ。『いろはにほへとちりぬるを』、伊原のカードに書いてあったここまでなら全部で12文字だ。今出揃っているのは?」

「えっと……『いろはにほへと』の7文字、『ち』と『を』が抜けてて『りぬる』があるので合計()()()()

「10文字と聞いて何か思い浮かべないか? そう、ちょっと前にあった、その文字数に関する事件……」

「……あっ!」

 

 ようやく気づいたか。「10文字」と聞いたらまず思い浮かべるであろう、去年の文化祭の時に校内を騒がせた、加えてこの場に()()()()と同じ苗字を持つものもいる、()()事件。

 

「……()()()()()!」

 




時間軸的に「賽の出目は」の後になっています。が、直接の関係はない話にしたつもりですので、未読でも大丈夫な内容となっているはずです。

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