真十文字事件 The case of Iroha Karuta   作:天木武

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後編 真十文字事件

 

 

「じゃあ何、折木はこの一件、去年の文化祭の十文字事件を模倣して、そのために12文字をわざわざ10文字にして、さらに古典部に関係のない十文字さんをその苗字のためだけに巻き込んだ、とか言いたいの?」

「代弁感謝するぞ、伊原。説明の手間が省けた。……もっとも、まだ俺の憶測の域は出ないがな。だが、それなら最初の『い』を俺達古典部員に持ってこなかった理由が説明できる」

「どういうことですか?」

「ずっと言っているとおり、『いろはにほへとちりぬるを』で12文字、あるいは『いろはにほへと』までで7文字、キリとしてはそこで区切るのが適切、といえる。

 ところがこのカードを入れた人間は前者から2文字削っての10文字にこだわった。もし最初の文字を古典部員に持ってきて、それでキリの悪い『る』で終わり、といっても、あのメッセージカードの内容からだけでは十文字事件に結びつけるのは少々弱いと言えるだろう。

 一方で始まりが十文字という苗字の人間ならどうだ? かつての十文字事件、そして彼女の苗字……。犯人からの『これは模倣だ』というメッセージ、更には10文字で終わらせることへの正当性と受け取れないか?」

 

 皆が押し黙った。あくまで仮説ではあったが、これで十文字かほという人間が巻き込まれたことの説明にはなるだろう。次の問題は……。

 

「じゃあなんで『ち』と『を』を外して10文字にしたんでしょう?」

 

 今千反田が言ったそこに行き着く。『る』で終わらせるというのはなんとも歯切れが悪い。だとするなら、抜いた言葉に意味がある、ということか。

 

「里志、抜かれた『ち』と『を』はなんだ?」

「『ち』は『塵も積もれば山となる』だね。有名な言葉だから説明は不要かな。一応しておくと、小さなことでもコツコツやれば大きなことになる、という意味だね。『を』は『老いては子に従え』だよ。『年を取ったらでしゃばらずに子供に任せろ』という意味だ。……確かにどっちもこの中の誰にも当てはまらないといえばいえるかもしれないね。『ち』が摩耶花に当てはまりそう、ってぐらいかな」

 

 さすがデータベース。すらすらと言葉と意味が出てきた。そして付け加えた一言には俺も同感だ。『ち』は伊原に当てはめてもいいが、高校生の俺達に『を』を当てはめるのは少々厳しいだろう。

 

「でもそれで外したにしては、やっぱり他の言葉の当てはめ方が雑な気がするけど……。大体私達以上に十文字さんが当てはまらなすぎじゃない?」

「最初の『い』を持ってきたかったのはわからないでもないが……。『ぬ』か……」

「あ」

 

 さっき里志が言ったとおり『ぬ』は俺に来て然るべきだっただろう、などと悩んでいたとき、不意に当人である彼女がそう声を上げた。何か発見があったのだろうか。思わず千反田が身を乗り出す。

 

「どうしました、かほさん!?」

「……あたしの2つ、続けると『いぬ』だ」

「かほさん、犬好きでしたっけ?」

「別に。ただ、言葉になっていたから言ってみただけ」

 

 ……さいで。まったく本筋に関係がないだろうと俺は思わずため息をこぼす。この人、意外にマイペースなのか……?

 

「それで考えると、僕のは『ろへ』、ホータローは『ほり』、摩耶花は『にる』、千反田さんは『はと』。……あれ? 意外と意味がある言葉が揃ってる?」

「私のも『はと』になってますし、もしかしたら動物が関係しているのでしょうか?」

「それだと里志の『ろへ』をどう説明する? 全く意味を成さない言葉だ。そもそも最初の12文字だけで、しかも文字の重複なしで言葉を作るとなるとかなり難儀なことだと思うぞ。せめて対象を全てに広げるべきだ。……それでも重複なしという壁は厚いだろうしな。それに十文字事件になぞらえたのではないか、という仮説も否定することになる」

 

 再び皆が押し黙る。その時、不意に小さく笑い声が聞こえた気がした。見れば笑っている主は十文字かほ。この古典部の騒動に巻き込まれたであろう彼女だった。

 

「あの……かほさん?」

「……ごめん。える、なんだか楽しそうだなって。古典部って普段からこういう部活動なの?」

「えっと……どうなんでしょう?」

「どうなんだろうね。特に何をしてるってわけでもないし。今は問題ごと、というか千反田さんの興味をそそる物があるから、こうやって考えてるわけだけど」

 

 ふうん、と相槌を打って彼女は口を閉じた。……どうやら彼女はこの一件について考える気はないらしい。あくまで巻き込まれた人間として千反田と共に来た、というだけに終始するようだ。

 

「かほさんもどうです? 古典部、部員募集中ですよ?」

「嬉しいけど遠慮するよ。あたしは占い研究会の部長だし。部員はあたし1人だけだけど。それに人と話すのも嫌いというまではいかないけど、図書館とかにいるほうがもっと好きかな」

 

 以前会った時から思っていたが、十文字は千反田のように人好き、というか誰にでも接するという性格とは真逆のようだ。割とドライというか、あっさりしているというか。

 

「そうですか……。それでかほさん、何かわかりませんか?」

「こういうのはあたしの専門外だよ。こういうのが得意なのは、折木君じゃないっけ?」

 

 なぜ知ってる? 神社の娘だし、やはり神通力か?

 

「えるがよくそう言ってたよ。色んなことを解決してるって」

「……たまたまだ」

 

 なんだ、千反田が言いふらしただけか。それにしても千反田め、余計なことを言う。

 

「では折木さん、何かわかりませんか?」

「さあな。……しかし『十文字事件』になぞらえた、という俺の仮説を深めようとすると腑に落ちない点はいくつかある。

 まず1点目、あの事件はクリスティの『ABC殺人事件』をモチーフにしていた。だから囲碁部から石、お料理研究会からおたまというように盗まれた。……この中で何かを盗まれた、あるいは紛失したなど、自分に当てられたことわざの頭文字に関連することで異変があった人間はいるか?」

 

 無言。皆盗難等、そういう類には合っていないということだろう。

 

「……でもさ、このことわざ自体を私たちに向けて当てはめた、とするなら何かを盗んだりしなくても十文字事件の模倣といえるんじゃないの?」

「到底当てはまっているともいえない内容もあるのにか? ……とはいえ、俺もそれは考えている。伊原の今の意見を取り入れたとして、2点目。モチーフになった『ABC殺人事件』はABC時刻表が置かれていたはず。十文字事件の時はそれになぞらえる形で文化祭のパンフレットを置いていった。しかし今回それがない」

「確かにね。置かれていたのはこのカードだけだ」

「3点目。これだけ手落ちな点がありつつ、俺は十文字事件を連想し、皆も納得した。確かにいろはカルタの頭から数文字を抜かして10文字を用いた、という理由もある。しかし何よりも十文字かほというその模倣元となった事件と同じ苗字を持つ人間に1枚目を預けた、ということでそれはより深まったといえるだろう。では、なぜそこまでして十文字事件になぞらえようとしているのか」

 

 うーんと誰が出したでもなく、唸る声が部室に響く。唸りたいのは俺も同じだ。自分で「十文字事件じゃないか」と言っておきながら、今俺が言ったのはその仮説を潰すような発言だ。だがそう思えるほどに、これは杜撰(ずさん)と言ってしまっていいだろう。伊原の下駄箱に入っていた「これにてお開き」という文言がなければ終わったかどうかさえわからない、さらに十文字かほという人間に1枚目を渡していなければ十文字事件を連想することも出来ない。

 

「そんなに十文字事件をなぞりたいなら、あの事件のカードみたいに最後に十文字って名乗ればいいのにね。……いや、それだと以前と混合されるか。なら、真十文字とか。いいんじゃないかな、『真十文字事件』」

 

 そのネーミングセンスはいかがなものかと思うぞ里志。「自分こそが本物だ!」と言いたがっているように聞こえるが、()十文字の方がやっている内容も手際も見事と言わざるを得ない。

 

「……古典部にちょっかいだそうとして、それで以前の十文字事件を思い出して、ちーちゃんと面識のある十文字さんを巻き込んで、十文字事件になぞらえた。それが1番妥当というか、無難な線じゃない?」

「落としどころしては……やっぱりその辺になるか」

 

 俺も伊原と同じ考えだった。つまり相手は不明、理由も不明。「魔が差して古典部相手にちょっとやってみました」で片付ける些事というのが、俺達に何の被害もない以上妥当なところだ。

 

「でも! それじゃかほさんは苗字のためだけに巻き込まれたと言うことになります!」

「そうなるな。強いていうなら、お前と顔見知りだった、というところも含めてもいいが」

「では、私とかほさんの関係を知っていて、さらに古典部に何らかの負の感情を抱いている人間……」

「それをどうやって調べる? まさかこの学校の人間に片っ端から『十文字さんと千反田さんを知っていますか? 古典部をどう思ってますか?』とか聞いて回るのか?」

「ですが! これで諦めてしまっては巻き込まれたかほさんが浮かばれません!」

「……死んだみたいに言わないでもらえる?」

 

 冷静すぎる突っ込みに千反田は「あ、ごめんなさい……」と乗り出し気味だった体を椅子へと沈めた。うまいいなし方だ。……いや、十文字の発言が適切すぎるだけだろうが。

 

「千反田さんの気持ちはわからないでもないけどね。こればっかりはどうしようもないと思うよ。動機も何もわからないしね。あてがわれたカルタの内容も、当てはまってると言いがたいものもあるし」

「でも……かほさんが……」

「あたしは何も気にしてないよ。この学校にはたくさんの人間がいるし、物珍しいことを考える奴がいたり、よくわからない逆恨みをされても事故だとでも思えば、それまでじゃない」

 

 なるほど、考え方が大人というか、達観している。つまり十文字にとってこれは取るに足らないことに過ぎず、気にかけるにも値しないと言いたいらしい。その「興味ない」という態度は実に素晴らしい。共感できる。千反田も少しは見習ってほしい。

 

「……じゃあこの『いろはカルタ事件』はこれにて終了かな。通り魔的犯行だった、ということで」

「まだわかりません! 明日何かメッセージがあるかもしれません!」

「諦めろ。人生諦めが肝心だ」

「あんたの場合諦めというより省エネとか言って何もやらないだけでしょうが」

 

 おっしゃる通りで。しかし終了声明が出ているのだから、そんな風に伊原に文句を言われようと、いくら千反田が意気込もうと、もうおしまいなのだ。

 

「『喉元過ぎれば熱さを忘れる』。……いろはカルタで例えようとしたけど、ちょっと違うかな。ともかくえる、気にしすぎても何もないと思うよ。もうすぐ期末テストもあるんだし、そっちを気にしたほうがいいんじゃないかな。もっとも、あんたの成績なら大した問題でもないのかもしれないけど」

 

 さすが付き合いの長いご友人だ。「そうですね……」と残念そうではあるが千反田は納得した様子をみせる。あの頑固ともいえるあいつをあっさりなだめてしまった。

 

「じゃあいい時間だし、帰ろうか」

 

 里志の提案で今日の部活もお開きとなった。すっきりとしない幕切れかもしれないが、たまにはそういうのもいいだろう。

 

 「いろはカルタ事件」、迷宮入りなり。

 

 

 

 

 

 さあ面倒、というか珍妙な事件も解決不可となり、いよいよ今日の部活動をもってしばらくはテスト準備期間という名目の元、部活が禁止となる。一応俺もそれなりの点を取らないと折木家的にもよろしくなく、特に姉貴からあれこれ言われるのは非常に面倒なので対策に精を出すか、などとやはりうだるような暑さの中登校しつつ考えていた。

 

 ところが、だ。そんな俺の心を裏切るように下駄箱から半分ほど上履きを取り出したところで、またしても()()()()()があることに気づいてしまった。

 おいおい冗談だろ? もうお開きじゃなかったのか? また千反田が喜んでしまうじゃないか。そんなことを思いつつもう見慣れたメッセージカードを手に取って――。

 

「……え?」

 

 昨日とも一昨日とも違う、完全に当惑の声を俺は上げた。この2日間はいろはカルタのことわざだけが書かれていた。だが今目の前にあるメッセージカードに書かれていた内容はそれと全く異なる。意図がわからん、と思いつつ裏を見ても白いことを確認して、もう一度メッセージのある表に目を移した。

 

『本当に終わったと、思ってる? 十文字』

 

 

 

 

 

 メッセージカードの問いに答えるとしたら、即答でイエスだ。そもそも終了を宣言したのはそっちだろうと言い返したい。それを挑発的に「本当にそう思ってんの?」とか言われても釈然としない。まったく今日でしばらく部活は出来ないってのに、これでは千反田がこの件にかまけてしまって、俺に直接聞いてくるとかなったらこっちの試験勉強にまで影響が出かねない。

 しかもこれまでのカードで名乗ることはなかったのにここに来て急に名前を出してきた。以前の十文字事件の時と同じく、十文字。昨日里志が言ったような「真十文字」でも「正十文字」といったものでもなく、あくまで十文字。やはり模倣していたことに間違いはなかったということは証明されたと言ってもいい。代わりにこっちの状況はより悪化したが。

 

 いやはやよろしくないことになったと思いつつ、授業を終えた俺はテスト前最後の部活のために部室へと向かう。帰ってもよかったが、終了宣言を撤回された以上、ここで部に顔を出さなければ後から千反田から電話なりなんなりでさらに話が続きそうで怖い。ここは一旦中断してテスト終了後に再開にでもしましょうや、とお茶を濁すのがもっともいいだろう。

 そう思って開けた部室の扉。今日部屋の中にいたのは3人、俺以外の部員が勢揃いだった。だが昨日千反田が連れて来た十文字かほはいない。

 

「や、ホータロー」

「こんにちは、折木さん」

 

 里志と千反田から相次いで挨拶が飛ぶ。伊原は普段通り「ん」と言ったかどうか程度。それに対して俺も「おう」とだけ返していつもの席に腰掛けた。

 

「折木さん、下駄箱にカードは入っていませんでしたか?」

 

 そして座るなり千反田はその話題を切り出した。ああやっぱりダメかと、カードが入っていたことを言うために口を開こうとして――俺はそこで思いとどまった。それから言おうとした内容を変える。

 

「そういうお前たちは?」

 

 千反田は落ち込んだように目を伏せ、里志はわざとらしく両手を広げて見せた。伊原はノーリアクション。と、いうことは……。

 

「まいったね。何もなかったよ。本当にあれでおしまいみたいだね」

「はい……。なんだか残念と言うか、犯人は誰かを突き止めたかったのですが……。本当に終わり、ちょっとしたただのいたずらか何かだったみたいですね」

「向こうから終了宣言出されてるしね。私の下駄箱にも何もなかったわよ」

 

 ……ビンゴだ。俺の読みは的中、発言内容を摩り替えて正解だった。つまり、このカードが入れられていたのは()()()ということになる。

 もし俺以外、特に千反田辺りもこのカードを受け取っていたなら、こいつは今日も十文字を連れてきただろう。だがそれをやらなかった。さらには、俺がこの部屋に入ったときも全員普段通りの反応だった。そのことが俺をさっきの推測に行きつかせ、ギリギリで反応を変えるということが出来た。おかげで誰にも、特に千反田にまだ終わっていないということを知られずに済んだ。

 

「そうか。ま、どこかの誰かが魔が差した、って程度だろ」

 

 そう言って俺は普段通りペーパーバックを鞄から取り出した。見れば他の全員、今日はテスト勉強をしているらしい。俺もそうしてもよかったんだが、あいにくそんな頭を使うことは今は避けたかった。

 

「……余裕ね、折木。ふくちゃんでさえテスト勉強してるってのに」

「やらなければいけないことは手短に、だ。家に帰ってから手短にやる。……それに里志の場合冗談抜きに進級がかかることがあるからな」

 

 伊原の嫌味と里志の「ごもっとも……」という発言を適当に流しつつ、俺はペーパーバックを開いた。が、読む気はあまりない。頭は別なことを考えている。その別なこととは他ならない。

 

 なぜ、俺の下駄箱にだけこのカードは入っていた?

 

 これではまるで自分の正体を暴いてほしい、と言っているようなものではないか。あの終了宣言のまま終わっていればそれで自身の正体にこれ以上迫られることもなかった。しかし終わっていない、と言った以上、俺達は、いや、俺はそこにまだ迫らなくてはいけないとなるわけだ。……あ、迫らなくてもいいか。「知るか」とやはり迷宮入りさせてしまえばいい。

 ……そう頭でわかっていても、なぜか俺はその選択を取ろうとしなかった。別に犯人への対抗意識などない。だがこの中でわざわざ自分にだけ向けてメッセージを発信してきた以上、それは受け取らなければいけない気がしていた。

 つまり、この騒動はただのいたずら、というわけではなく、何らかの意味合いを持って行われたのではないか。俺はそんな風に思ったのだ。しかしそれを考えようにも昨日まで出ていることでほぼまとまってしまっている。これ以上何を考えればいいというのだろうか。

 

 と、そこで俺はさっき自分に問いかけた質問を思い出した。なぜ、俺の下駄箱にだけこのカードは入っていた? てっきり俺は望むと望まざるとに関わらず考える役なわけだから、俺に向けてだと思っていた。しかしそれなら俺()()でなくてもよかったはずだ。だとするなら……このメッセージは「探偵役の折木奉太郎」ではなく、「()()()折木奉太郎」に向けてのメッセージなのではないだろうか。

 なら意味があるのは……当てられたことわざの『ほ』と『り』か? しかし『骨折り損のくたびれもうけ』は当てはまるにしても、『律義者の子沢山』が当てはまるとは到底思えない。それではやはり余した2文字の『ち』と『を』に何か意味があるのか?

 可能性としてはそちらの方が高い。わざわざ十文字事件を模倣して10文字にしてきているのだ。部外者の十文字かほまで巻き込んで。

 

 ……いや、待て。もし十文字がカードを受け取ったことを俺達が知らなかったら、犯人はどうするつもりだったんだ? それでは十文字事件の模倣となりえない。まずカードが足りず、加えて十文字がいないとなれば模倣と考えることすら不可能だ。俺、あるいは俺達に伝えたいメッセージが仮にあったとして、いや、ここまで模倣しているならあったと考えるのが妥当だろうが、それが伝わらないことに直結する。

 

「なあ、千反田」

 

 そして俺はようやく気づいた。もし、思っていることが()だとしたら? 十文字がカードを受け取ったということは、偶然俺達が知ったのではなく、()()()()()()知ったのだとしたら? さらに言うなら、相手が今頃になって名乗りを上げたのが()()()だとしたら?

 

「はい?」

「今日のカードの件、十文字には確認取ったのか?」

「はい、取りました。入っていなかったということだそうです」

「そうか。……ところで、お前よく十文字がカードを入れられていたことを突き止めたな」

 

 その俺の問いに千反田は一瞬首を傾げた。それは違う、と言いたげに口を開いて続ける。

 

「え? 私じゃないですよ。かほさんが自ら言ってきたんです。私が普段と違う様子だから、何かあったのか、と。それで私が事情を話すと自分のところにもこんなものが入っていた、と」

 

 やはりそうか。俺はてっきり千反田が聞いて回ったものだと思っていた。だが実際は逆、話を振ってきたのは十文字の方から。

 ではメッセージの意味はなんだ? 『ち』と『を』、『塵も積もれば山となる』と『老いては子に従え』。それの意味するところは。そして十文字事件にわざわざなぞらえた意味は。

 

 不意に、俺は本を閉じた。もしかしたら「ああ」と声をこぼしていたかもしれない。本を鞄に突っ込み立ち上がる。

 

「折木……?」

 

 伊原が怪訝そうに俺を見つめてきた。他の2人もそのようだ。まあ不審な行動と取られてもおかしくないからな。

 

「今日の本がつまらん。帰って勉強でもする」

 

 まだ帰宅時間には早い。ここに来てから30分も経っていない。しかし、だからこそ都合がいい。この件は、今日中に()()をつける。その方がテスト勉強に集中も出来るというものだ。

 

「まだ早いですよ? ここで少しやっていかれては?」

「まともな勉強道具がない。家でやったほうがはかどる」

「そうですか……。今日はテスト前の最後の部活なんですが……」

「それは知ってる。……別に今生の別れじゃないんだ、またテストが明けたら来る」

 

 一方的に話を切り上げ、俺は部室の扉を開けた。

 

「じゃあな。せいぜい勉強頑張れよ。……特に里志」

「はは……。肝に銘じておくよ」

 

 奴得意の作り笑顔を見て、どこか寂しそうにこちらを見つめていた千反田を一瞥した後、俺は部室を後にした。

 

 

 

 

 

 家に着いた俺は荷物を放り投げ、再び家を出る。着替えている時間も惜しいしめんどくさい。自転車を引っ張り出して目的地へと漕ぎ始める。

 目的地の入り口まではそう遠くない。問題はその先だ。適当に自転車を止め、俺はその問題である急な石段に差し掛かる。どうにかこうにか登りきったところで鳥居が目に入ってきた。そこにはこう書いてある。「荒楠神社」。

 

 さて、目的地に着いたはいいがどうしたものかと境内を歩いていると――目的の人物は予想より遥かに簡単に見つかった。1月にここに来た時と同じ格好、巫女装束で境内を掃除している。そして向こうも俺が来たことに気づいたのだろう。作業の手を止めた。

 

「待ってたよ、折木君。……君なら今日か明日、来ると思っていた」

 

 普段の学校の時と違って前髪を目にかからない程度に留め、だが変わらない細縁の眼鏡とどこか冷たさを感じる目。十文字かほは、そう言って俺を出迎えた。

 

「なんでそう言える?」

「えるから色々聞いたって言ったでしょ? すごく頭が切れるってね」

「買いかぶりすぎだ」

「でも、実際にここに来た。それはつまり……わかったってことでしょ、今回の一件のこと」

 

 まあな、と俺は相槌を打つ。話しつつも、十文字は俺を案内するように日陰の方に歩いていた。俺もそれに続く。日向で話すには暑いし、少々長話となるだろう。彼女は、日陰の適当な腰掛場所に腰を下ろした。俺もその隣にお邪魔する。

 

「本題に入っていいよ。折木君はやることは手短にやるって、えるから聞いてるから」

「じゃあそうさせてもらう。……今回のこの『いろはカルタ事件』。カードを俺たちの下駄箱に入れた犯人は、十文字かほ、お前だな?」

 

 俺は前置きなしで単刀直入に言った。多分否定するだろう。そのために考えは頭の中にまとめてある。だが――。

 

「一応宮司の家である以上、境内の中で嘘をつくのはまずいのかな。……答えは是、だよ」

 

 十文字かほは、あっさりと自分がやったと認めた。その潔さに俺はいささか驚く。

 

「でもそこに行き着くまでの過程は知りたいな。どういう考えを経てあたしまで辿り着いたのか。えるじゃないけど、気になる」

「色々あった。が、決定的なところで言うなら……。お前が初めの『い』のカードを持っていたことだ」

 

 それは意外だと言いたげに彼女は目を数度瞬かせた。だがすぐに表情を取り繕って普段通りの雰囲気に戻る。

 

「どうして? あたしが持っていたから十文字事件の模倣だと気づけたんじゃないの?」

「ああ、そうだ。だが、お前を使わなくてもいくらでも模倣と気づかせる方法はある。例えば……里志が言ったような、メッセージカードの最後に、オリジナルのように『十文字』という言葉を残したりな」

 

 彼女は押し黙った。それはしなかったのではない、()()()()()()のだ。

 

「まあ出来ないだろうな。わざわざカードの最後に()()()()()を残すような真似は、どうしてもためらわれる」

「そう。『あたしがやりました』って最初から白状してるようで馬鹿みたいじゃない。書きたくても書けるはずがなかった……」

「そこでお前は十文字という姓の人間が最初のカードを手にしていた、ということで十文字事件の模倣とすることにした。千反田に聞いたらはっきり答えてくれたよ。あいつが探したんじゃなく、お前の方から千反田に声をかけてきた、ってな」

「……あの子、そういうところの記憶だけは馬鹿にいいからね。……そう。最初の『い』をあたしが持っていないと模倣と気づかれない可能性がある。だから、偶然を装ってえるに声をかけたのよ」

「てっきり巻き込まれたとばかり思っていた。だが実際は受動的でなく、能動的に関わってた、というわけか」

 

 そもそも、古典部のメンバーに加えて十文字、という構図がおかしいといえばおかしかった。彼女は部外者だ。そんな人間にカードが入れられ、十文字事件の模倣を明確にするための根幹としての役割が与えられる。

 今思えば出来すぎ、と言ってもいい事態だった。確かに千反田の友人ということで一応の関係性はあったものの、基本は部外者。カードが入っていた5人の中でもっとも共通点が少ないのは彼女ということになっていたわけだ。

 

「それもこれも、今日入っていたカードでようやく気づいた。犯人はこの事件を終わらせたくない。むしろ、自分の存在を暴いて欲しいんじゃないか、ってな。……だから、カードの最後にわざわざ()()()()()を記したんだろう?」

「若干カモフラージュ気味ではあったけどね。そのメッセージはまぎれもなくあたしが折木君に対して送ったもの。『ただの通り魔的いたずら』で終わって欲しくなかった、と伝えたかったからね」

 

 やはり、俺の思ったとおりだった。このカードに記された「十文字」は十文字事件をなぞらえて書かれたものではなく、()()()()であることを自白していたのだ。つまり今の話のとおり、彼女にとってこのいたずらまがいの行為を、そういうことだと片付けてもらいたくなかった。その奥にある「何か」を俺に読み解いて欲しかった。そういうことになるのではないかと思っていた。

 

「つまるところ、いろはカルタ自体はどうでもよく、俺に何か言いたいことがあったってわけか」

「極論を言っちゃえばね。……それで、あたしからのメッセージは伝わった?」

 

 木陰になっている木々を見つめつつ、彼女はそう尋ねてくる。無論、なんとなくではあるが想像はついている。そうでなければ来ようという気にすらならなかった。「犯人は十文字かほ」とわかっただけで済ませてもいい話だった。

 

「……12文字あったうち外されたカードは『ち』と『を』。そしてこれは十文字事件を模倣されたもの。十文字事件は盗難がほとんどだった。……ああ、そういや占い研も『運命の輪』のタロットを盗まれたんだったか」

「そうだね。終わった後、無事返って来たけど」

「だから同じ文字で何か、と思っていた。だが伊原が言ったように、ことわざが苦しいながらもその当てられた人間をさしている、と言えなくもない。なら、やはり残った2文字に意味があると考えた。面倒な手段を用いてまで10文字……十文字事件にこだわっているわけだからな。

 残った『ち』と『を』から、当初は『ち』のつく何かから、同じく『ち』のつく何かが盗まれる、あるいは盗む。同様に『を』もそうだと思っていた。しかし、十文字事件の手口からは少々外れるが、こうも考えられないかと俺は思ったんだ。『ち』のつくものが『を』のつくものを盗んだ。あるいは……『ち』のつくものが『を』のつくものに盗まれた」

 

 十文字は何も返さない。俺はそれを肯定と捉えることにした。

 

「かなり無理がある解釈だが……。実のところ、残された2つの文字が何かを考えた時に、先に思い当たってからさっきの考えに行き着いた。『ち』と『を』……いや、ここはくっつきの方じゃなくて普通の『お』とさせてもらうが、その2つは古典部内においてならいとも簡単に思いつく。『千反田える』に『折木奉太郎』……」

 

 やはり彼女は何も返さない。が、その口元は僅かに緩んでいた。今年の頭に会った時にその癖は見ている。彼女なりに笑っている時の仕草だ。それは、俺の仮定を裏付けていることに他ならないと言っていいだろう。

 

「お前はこう言いたかったのか? 『()()()()()()()()()()()()()()()()』と」

「……見事。実にお見事だよ、折木君」

 

 彼女はわざとらしく数度手を叩いてみせた。しかし褒められたとしても全く嬉しくない。大体、俺は千反田を盗んでなどいない。

 

「当たってるなら説明してほしい。……俺は千反田を盗んだ覚えなどない」

「よく言う。ずっと付き合いのあるあたしだからわかるよ。……あの子は高校に入って、古典部に入ってから目に見えて変わった。まあ昔からあたしよりもいいところのお嬢様のくせに好奇心の塊みたいな人間で目を輝かせていたけどさ。高校に入ってからは、それがますます顕著になった。何でか聞いてみたら……古典部がすごく楽しいって。そしてそこで問題ごとを次々と解決してるの……特に、古典部の機関誌『氷菓』と『カンヤ祭』の由来の謎を解いたのは、君だそうじゃない」

 

 少々訂正を入れたい。俺は部員が出した意見をまとめただけに過ぎず、当時を知る人間なしには答えに行き着かなかった。

 

「あとは入須(いりす)家ご令嬢の依頼も見事に遂行してみせたとか。……こっちは解決を見はしたものの、あまり芳しい結果と言い難かったようだけど」

「耳がいいんだな。それとも、占い研だから占いでお見通しか? はたまた神社の人間特有の神通力でか?」

 

 少し嫌味気味に返す。だが彼女は特に堪えた様子もなく、またしても口許を僅かに緩めただけだった。

 

「全部えるからだよ。……つまりえるは、それほどまでに君に絶大な信頼を置いて、そして共に過ごす事に喜びを感じている。……いや、はたしてそんな程度の言葉で済むのかな。今年最初の日、あの子は君を連れて2人でこの神社に来た。正直、我が目を疑ったよ。まさかえるが同年代の男の子と2人で来るなんて思ってもいなかったからね。古典部で来るなら、君と一緒に福部君も来ると思っていたのに」

「あいつは正月ドラマを見ていたからな」

「それだけが理由なら、いいけど」

 

 まったくこの巫女さんは何が言いたいんだ。なんとなくわからんでもないが、奥歯に物が詰まったように言ってくれて。

 

「……兎にも角にも、えるは完全に君によって盗まれた。でも安心していい。あたしはそれに対して返せというつもりはないから」

「だから盗んですらいないっての」

「そう思ってるのは君だけかもよ。……さて折木君、あたしがえるに当てたことわざ、なんで『花より団子』と『年寄りの冷や水』かは、わかった?」

 

 何? それは考えていなかった……。ことわざの当てはめ自体はそこまで合っていると言いがたく、十文字事件になぞらえて10文字だけ使って残りの2文字を俺に当てたメッセージだとばかり思っていたというのに。

 

「……そこにも意味があったのか?」

「あるよ。福部君と伊原さんの2人以外、あたしとえると君のことわざには一応当てはめた意味はある。……まあ福部君は去年クラスが一緒だったから、余ったことわざの中からそれっぽいのを当てはめたんだけど」

 

 やはり一応はことわざに当てはめていたのか。そして伊原だけやけに的を外していたのはそのため、彼女との接点がほとんどないからだ。だが合っていないといえば千反田もそうだった。なのにそれは意図的だという。それに加え、俺と十文字まで含まれている? そこまでは考えていなかった。

 

「まず『花より団子』。一見あの子に相応しくない言葉。ああ見えてさすがお嬢様、普段の雰囲気とは裏腹に親戚関係の挨拶回りだのなんだの、しちめんどくさいことに対する心構えは身につけているし、艶やかな衣装を着ても様になる。そんなあの子を風流よりも実益優先、と評するのは本来合っていない。……でも、そんなお嬢様が実益を、それまで守り抜いてきた家柄のことより自分のことを優先してしまったら?」

 

 ……なるほど。なんとなく、言いたいことがわかってきた。

 

「次に『年寄りの冷や水』。出すぎた振る舞いをする、という意味なのだから、やはりあの子に相応しくないように思える。……でも今言った『花より団子』をえるが行おうとしているのなら? それは出すぎた行動、身の丈に合っていない行動であると言えなくもない。つまり、あたしがえるに当てた『花より団子』と『年寄りの冷や水』は、あの子に対する戒めの言葉だった、ということ」

「じゃあお前は『お嬢様はお嬢様らしく、その辺にいる一般人とではなく、もっと身の丈にあった身分相応の男性と付き合いなさい』とでも言いたいのか?」

 

 別に俺は怒りを覚えていたわけではない。苛立ちを覚えていたわけでもない。だが、如何せん言葉尻が少し乱暴になってしまったような気がすることだけは、自覚していた。

 それに対して、十文字は僅かに口許を緩めた。その笑いの意味は、どうにも図りかねる。

 

「言ったはずだよ、折木君。あたしは別にえるを返せというつもりはないって。あの子が幸せになってくれるなら、家柄だのなんだの二の次にしたっていいと思ってる。……もっとも、一人っ子でお嬢様という真面目なあの子自身が家を捨てるとか、そんな考えは微塵も持っていないだろうと思うけどね。そこで出てくるのが……折木君、君に当てた2つ、特に2つ目だよ」

「俺に当てた? 2つ目?」

 

 確か『り』だったか? 『律義者の子沢山』、真面目な人は浮気もしないから子供も多い、転じて真面目な人を指す言葉のはずだ。俺がそれに当てはまっているとは到底言いがたい。

 

「1つ目の『骨折り損のくたびれもうけ』は、まさに今の君そのものを指したつもり。えるに振り回されて、随分苦労してるらしいから。でも2つ目は……。えるの時と一緒。戒め、あるいは……そうあってほしいというあたしの願い」

「……じゃあ十文字、お前がこの一件を通して本当に伝えたかったことは、こうか。『千反田えるは折木奉太郎によって盗まれた。わかっているのか千反田、今のお前は花より団子、年の冷や水、そんなことをしようとしている。それでもその道を進むというのなら、折木、お前の方が律義者の子沢山のことわざのように、誠実となって彼女と対等に立ち得る存在となれ』」

「……いいね。あたしとしてはえるには戒め、君には願いという形で当てたことわざだったけど、それだけ綺麗に文章にまとめられるとすっきりする。まあそういうことだよ。物凄く遠回りしたけど、早い話がえるには幸せになってほしい。あたしが本当に言いたかったことは、ただそれだけなんだ」

 

 回りくどすぎて、手が込みすぎている。その辺りは、元の十文字事件を彷彿とさせた。だが根本が違う。あれは口では聞けない質問を、暗号を通して問おうとしていた。しかしそのメッセージは伝わらなかった。ただの出来心で行われた、いたずらと言う程度で済まされた。

 一方で今回はどうか。言おうと思えばいくらでも十文字は千反田に言えたのではないだろうか。俺に言えたのではないだろうか。なぜこんな方法を取る必要があったのだろうか。

 

「だったら……そう直接言えばよかったじゃないか。お前と千反田、互いに気の置けない間柄だろう?」

「……本気で言ってるんだとしたら、少し残念だな。いくら仲が良いといっても、人様の恋路にまで直接口を出すほどあたしは野暮な真似はしたくないよ」

「だとしても回りくどすぎる。俺が気づかなかったらどうするつもりだったんだ?」

「その時は……。本来の落としどころである『いたずらだった』で済んだだけの話。気づいてもらえれば御の字だとも思っていたから。ただ……こういうことをしたらえるは興味を示すんだろうなって方法を思いついちゃったからやってみた、それだけのことだよ。

 でも、そうはならなかった。折木君は無視してもいい『本当に終わったと、思ってる?』なんてメッセージを真剣に受け取り、そして考えて遠路はるばるこの神社まで来た。省エネ主義と言ってる自身の生活信条を曲げてまで、ね」

「……たまには、曲げてみるのもいいかとか思うようになっちまったんだよ。どっかのお嬢様のせいでな」

 

 クスッと、初めて傍から見てもわかるように十文字は笑った。これまでよく観察しないとわからない笑い方しかしていなかっただけに、俺は虚を突かれる。

 

「……素直じゃないな、君は」

「そんなことない。自分に素直に生きてる」

「よく言うよ。意地っ張り」

 

 脊髄反射的に反論してもよかったが、埒が明かないと俺は諦めた。……なんだかこの話題を続けるのは手玉に取られるようで癪だ。話題を変えることにする。まだひとつ、聞いていないことがあった。

 

「……ところで十文字」

「何?」

「さっきお前は俺と千反田に加えてお前自身にも当てはめた意味がある、と言ったな? 最初の『い』はお前が持っていないと始まらないからいいとして……。『ぬ』、『盗人の昼寝』がなぜお前に当てはまる?」

「……本当は聞かなくてもわかってるんでしょ?」

 

 まあな。わかっている、という意味を込めて、それでも自分の口で言えと俺は鼻を鳴らす。今俺をからかってくれた分の()()ぐらいは払ってもらいたい。

 

「『盗人の昼寝』……。意味は『何の目的もなさそうな行為でも、何かしら理由がある』。まさに今のあたし。わざわざこんなことをした自分で自分を皮肉って、選んだことわざだよ」

「自嘲的で、うまい皮肉だと思うけどな」

「褒めてるの? ……でも慣れないことはするもんじゃないってわかったよ。苗字が一緒だから出来るかもしれない、とか思いついたのがまずかったかな。十文字事件の時にパンフレットが置かれていたこととか、すっかり忘れてた。元の……『ABC殺人事件』だっけ? それを知らないのが仇だったね。そうじゃなくてもことわざの当てはめもかなり無理矢理、それ以上に折木君に向けたメッセージだって無理矢理だった」

「『慣れないやつほど奇を(てら)う』。どっかの誰かが言った言葉だ。お前はそれを地で行ったってことか。だが幸いなことに俺はそれを受け取った。だから、お前が仕組んだこの一件は、成功したんだよ。加えて、『盗人の昼寝』……。どうだ、一見怠惰に思える昼寝も、案外有意義なもんだろ?」

 

 再び十文字が声を噛み殺して笑った。どこが外連味(けれんみ)がなさそう、だろうか。皮肉も冗談も通じる。少なくとも俺にとって伊原よりはとっつきやすい。

 

「……それで自分の怠惰を正当化したいわけだ?」

「場合に寄ると言いたいんだよ。省エネ全てが一概に悪いとは言い切れないってことだ。……同時に、俺も好奇心を全否定する気はないし、巻き込まれることも……まんざらじゃないとか思うようになってきちまった」

 

 傍らの眼鏡の少女が天を仰ぐ。深く息を吸い、そして吐いた。

 

「……なるほどね。そりゃ、えるは君に盗まれるわけだ」

「盗んだ覚えはないと言っただろ」

「盗んだよ。あたしからね。あの子はきっと私の手の届かないところへ離れていく。それを別に寂しいとは思わない。ただ……あの子を不幸にさせるようなことだけはしないでほしい」

 

 ……全く。千反田えるという人間はそれほどまでに皆に愛される存在か。それこそ聖人君子か何かに思えてくる。だが俺だってあの好奇心の権化のことは嫌いではない。むしろ……。いや、言うまい。

 

「俺に出来る範囲でならそうする。あいつに悲しむ顔は……似合わないからな」

「いい答えだね。……『縁は異なもの味なもの』。陰ながら応援してるよ」

 

 さいですか。

 結局こいつは締めにまでいろはカルタを使ってきた。それでうまくまとめたつもりだろう。ため息をこぼし、俺は立ち上がる。

 

「帰るの?」

「ああ。事件は解決、俺はメッセージを受け取った。これで心置きなくテスト勉強に集中できる」

「そう。えるには、私からテストが終わった頃にうまいこと誤魔化して伝えておくよ」

「その時は口外禁止という条件をつけてくれ。里志辺りが耳に入れて茶化してくるのは面白くない」

「……なるほど。それはそうか」

 

 おっしゃるとおり、と言いたげに肩をすくめつつ、十文字も立ち上がった。

 

「兎も角、遠いところご苦労様。暑い中、悪かったね」

「やらなければいけないことを手短にやっただけだ」

 

 そう言って俺は帰ろうと一歩を踏み出す。が、ふと思いとどまって彼女の方を振り返った。

 

「十文字」

「何?」

「この事件、部内では『いろはカルタ事件』という名で通っている。だがお前が千反田にこの話をするときに、あいつの興味を引きそうなもっと面白い名前を思いついた」

「へえ、どんな?」

 

 データベースに感謝しよう。センスのないネーミングだと思ったが、それが実にしっくりくる。この事件は、その名が相応しい。

 

「……『真十文字事件』」

 

 プッと彼女が吹き出す。そして、声を上げて短く笑った。

 

「なるほど、昨日の福部君のネーミングか。いいね、実にいい。言い得て妙だ。だって犯人は……」

「紛れもない正真正銘、本物の十文字、なわけだからな」

 

 その十文字かほが僅かに口許を緩める。今日だけでどれほど見たかわからない、彼女の笑みを意味する仕草。

 彼女は改まった風に小さく一礼する。そして口を開いた。

 

「それじゃあ、折木君。テスト頑張って」

「そうさせてもらう。じゃあな」

 

 手を上げて返し、俺は荒楠神社を後にする。登りは辛かった石段だが、帰りは幾分か楽だ。とはいえ、これから自転車を漕いで帰らなければならない。そして日陰にいたとはいえ、やはり夏の屋外は暑かった。しかし俺に後悔はない。むしろ、気持ちは晴れ晴れとしていた。

 十文字かほ。千反田えるの親友にして荒楠神社宮司の娘。なかなかに面白いことを考える、千反田のお姉さんみたいな奴だと、改めて思った。

 ともあれ、無事やらなければいけないことを手短に済ませることが出来た。ああ、そういえば運に頼った部分も大きかった今回の一件を解決できたってのに、神様に感謝もしないで神社を後にしてしまったと、自転車の鍵を外した頃にようやく気づいた。まあいいだろう。それは俺の分まで含めて宮司の娘である十文字がやってくれる、と思いたい。

 止めておいた自転車に跨り、ペダルを漕ぐ。夕焼けになった西日が暑く、夏だということを改めて思い知らされた。

 

 「真十文字事件」、これにて解決なり。

 




単純に十文字かほをメインに据えて書きたかった、という動機だけでどうにかこうにか原作の「十文字」事件とこじつけて書いてみました。
かほの出番は非常に少なく、台詞があったのは13話と20話、文化祭と「あきまして」の2つだけだったと記憶しています。両方で大分印象違うんですけどね。制服と巫女服の差でしょうか。
すごく好きなキャラなんですが(主にクールな眼鏡っ子という自分の中の理想的な意味で)出番全然なくてちょっとがっかりなところが大きく、江波ちゃん同様に何か書いてみたいとは常々思っていました。
BDだったかのジャケットで、かほがえるの髪をいじるというか結っているような絵がありまして。その絵からも感じたことなんですが、彼女はえるからすると本文中でも述べたようなお姉さん的な存在だと思っています。
ただ入須ほどお姉さんというわけじゃなく、年も同じだし友達だけど少しませてるというか、大人びてるというか。そんなイメージを持って描こうとしましたが、それが伝わっていれば幸いです。
肝心の「事件」の中身ですが、こっちはかなりこじつけ的な暗号になってしまったかな、とは自覚しております。偏に自分の力不足、発想が貧相である結果によるものです……。

ちなみに本編で用いたいろはカルタは江戸版です。京都、大阪で少し差があるようです。
なかなか教訓になるような面白いことわざが多いので、興味がある方は調べてみてはいかがでしょうか。

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