チノちゃんの誕生日に僕は曲をプレゼントしたんだ。 作:ちゃんこんなべ
これから記す話は全てノンフィクションである。
我々は、ラビットハウスという喫茶店の窓際の席に座っていた。
僕とチノさんの関係性については、わざわざ記すまでもない、読み進めてもらえば分かる。
静かな午後である。
一二月にしては暖かな日だったと記憶している。
我々と我々の周囲の人間以外にとってはただの日曜だ。
なんの変哲もない日曜なのだ。
飲食業として書き入れ時の休日に、しかし、店を閉じているのには理由がある。
チノさんの誕生日なのだ。
我々とそれを取り巻く周囲の人間にとって、それは一大イベントであり、なんならあと二十日後に行われるクリスマスよりも、遥かに大事であると思っている。少なくても僕はそう理解している。
ココアさん、シャロさんとリゼさん、チヤさんは四人で買い出しに向かった。誕生日会を大いに盛り上げるため、豪勢な食材でも買いに行ったのだろう。我々の関係性を察してくれたのかもしれない。
タカヒロさんはどこにいるのかは分からない。マヤさんとメグさんも同様に分からない。いずれにせよ空気を読んでくれたのかもしれない。
相変わらずこの世界には底意地の悪い、例えばシン○レラに登場するトレ○イン夫人のような悪役は、この街に存在していない。
不思議と、存在を許されるとさへ思えないのだ。
窓からは鷹揚そうなおばあちゃんが杖を突きながらゆっくりと足を進めているのが見える。その杖はヴァイオリンの弓のようでもあったし、ドラムのスティックのようでもあった。なんであれ、彼女は町の音楽家で、リズムよく、実に平和的に石畳の道をコツコツを杖で鳴らして演奏をしているようだった。無論その音は窓の閉まった室内にいる僕には聞きようがないのだが。
優しい人間しかいない、優しい動物しかいない、優しい建物しかないのだ。
今日も平和だった。その平和さが、いつだって僕に勇気をくれ後押しをしてくれるのだ。
と、いうわけでラビットハウス喫茶店内、この空間にいるのは我々だけである。
正確に記すならば、そこにはティッピーさんという摩訶不思議、奇怪千万な動物が存在しているのだが、彼(性別がどちらか定かではないので便宜上、彼とする)については、まぁ別段に気を遣う必要、気にする必要はないだろう。畢竟、人間とは異なる、別種の生き物であるに違いはないのだから。
誤解されそうなので記しておくが、人間ではない彼を下に見ているというわけではない。チノさんは彼を手放そうとはしないわけで、それならば受け入れるしかないのだ。ココアさんによると、チノさんは彼と腹話術という共同作業を行うほど親しいらしい。我々が、どんな関係性であろうと、彼を気にしないように生きていかなければならない。
「君にプレセントがある」
僕はそう言って切り出した。
「プレセントですか」
とチノさんは言った。聡い彼女はそれを分かっているはずなのだが、彼女は首を傾げた。十二月四日のこの状況で、一体プレゼント以外なにがあるというのだろうか? と思ったが、彼女は敢えて知らない振りをしているのかもしれない。彼女の声のトーンは基本的に一定で、彼女は積極的に感情を表情に出す方ではないので、彼女が何を考えているのか時々僕は分からない。だけど、そこが彼女の魅力的なところでもあった。僕はその時折に見せる喜怒哀楽に惹かれていた。彼女は殆ど無表情でホットココアに口をつけた。
「そうだよ。曲をプレゼントしようと思って」
僕はショルダーバックからCD−Rを取り出した。
「曲、ですか?」
彼女は怪訝そうに僕を見た。彼女は果たして露骨に動揺していた。
僕はその表情を期待していたとまでは言えないが、予想はしていた。それは、そうだろうな、と。
自作曲なんて、誕生日に貰ったって嬉しくなんてない。もっと他のものが欲しいに決まっている。それでも、僕には自信があった。
「あ、ありがとうございます」
彼女はCD−Rを受けっとった。真っ白ななんの装飾もしていないディスクの表面を彼女は何秒か見つめていた。
「あ、あの」
「なんだ?」
「今、聴いてもいいですか?」
「いいよ」
と僕は言った。彼女は徐に立ち上がりゆっくりと二階へ上がっていった。そして数分後、電池で可動する小さめのCDラジカセを右手に持って戻ってきた。
音量をMAX近くまで上げてCDをセットした。「そんな音量上げて大丈夫なのか?」と問うたら「このラジカセはそれが丁度いいんです」と言った。
いよいよ再生ボタンを押せば曲が流れるーー
その瞬間、僕は情けないことに緊張してしまっていることを自覚した。僕にとって、直接的に人に曲を聴かせるなど珍しい体験なのだ。よりによって聴かせる相手がチノさんだ。
もし、酷評されたらどうしよう。いや、あれだけいいものが完成したんだ、これ以上にない出来だった。
駄目なわけがない、駄目なわけがない。なにここまで来て動揺してんだ、情けない。
自信があるんだろ、だったら堂々としてろよ。
僕は唾を飲んだ。
しかし、なかなか曲は流れて来なかった。
もしかしたら、そのCDラジカセはCD−Rには対応していないのかもしれない。
いつの間にか下を向いてしまっていた顔を前方に戻すと、チノさんは微笑して僕を見つめていた。彼女の指と再生ボタンの距離はおおよそ数センチで、まだ押していないようで、そしてそこから指を動かそうとする気配はなかった。
「もしかして、緊張してますか?」
彼女は嗜虐的な笑みをこぼした。彼女と出会って数ヶ月、彼女の新たな一面が垣間見えた気がした。
「してないよ」
と嘘をついた。だが、僕は感情を隠すのが下手だったことを忘れていた。
「嘘つきですね」
と彼女は柔らかい朗らかな笑みを浮かべた。
「……緊張している。ごめん」
と今度は正直に白状した。彼女に嘘をつくのは金輪際やめにしよう。
「いえいえ、大丈夫ですよ。どんな曲であろうと、作ってくれたことが嬉しいです。少なくとも悪くは言いません」
僕は涙が出そうになった。もうこのまま死んでもいいぐらい幸せな気持ちになった。
ああ。
彼女は天使だ。
彼女は天使である。
やはり、彼女は天使であった。
ラビットハウスにインストゥルメンタルの曲が流れ出した。
クラシックギターや、チェロや、アップライトピアノ、ウッドベース、タンバリン、バンジョーなど、五十二分に及ぶ曲なので、曲中様々な楽器が登場する。なんでも登場するけれど、それでいて互いが主張しすぎてぶつかり合ってしまうことのないような、スマートでお洒落な曲風に仕上げたつもりだ。
音量は少し小さい気がした。CDラジカセの性能が原因かとも思ったが、多分作る側の僕のミスだろう。
だが、幸か不幸か、それは逆にこの空間にマッチしているような気もした。
チノさんは暫く何も言わず耳を傾けていた。僕としてはやはり感想を知りたくてしょうがなかったが、辛抱して待つことにした。
やがて、彼女が口を開いた。
「いいです。好きです」
その第一声を聞いたとき、僕は安堵でまた死にたくなるほど幸せな気持ちになった。
だが、やはり死ぬわけにもいかない。
「すごいです。才能ありますね」
「特にさっきのジャジーな感じ、とても好きです」
「いいですね」
「素敵です」
「これ営業時間中に軽く流してもいいですか」
「素敵です」
「この部分好きです」
「素敵です」
僕は死にたくなるのオンパレードを経験した。そんなパレードを経験したのは生まれて初めてだった。
僕は今多分、世界一幸福な時を過ごしている。
「チノさん、あんたやっぱり天使だよ」
そして、二十分が過ぎたぐらいだったと記憶している、ココアさんとシャロさんと、リゼさんとチヤさんが戻ってきた。
三人も依然流れている僕の曲を褒めてくれた。
「え~何この曲、カッコイイ!」
とココアさんは言った。
「シャレオツね」
とシャロさんは言った。
「うん。いいなこれ」
とリゼさんは言った。
「あら〜いい雰囲気だわ」
とチヤさんは言った。
「ありがとう」
僕は深々と頭を下げた。
慇懃無礼なほどの深々とした直角九十度のお辞儀に彼女らは笑った。
しかし、彼女らには感謝しきれない。
彼女らがこの世界の門扉を開いてくれたのだ。
この世界の門扉を開いてくれなければ、今頃僕は、本当の意味で、つまり、物質的に死んでいただろう。
最初の誕生日会は大成功だった。あの後、タカヒロさんも、メグさんも、マヤさんを加えて、誕生日会は大いに盛り上がった。特にババ抜きや、大富豪、トランプを駆使したゲームは全て楽しかった。マヤさんとメグさんが作ってきた漫才のネタはプロフェッショナルな方に手伝ってもらったのではないか? そう疑うほど質の高いものだった。
今現在、その次の年の誕生日会を知ってる僕からしてみれば、この誕生日会はどうしても大大大成功というしかない。
問題はその次の年の誕生日会のプレゼントにある。
これを記すのは僕にとって酷く根気がいる。
なぜ、それでもこうして記録に残す必要があるかは、おそらく最後に分かる。
僕にとって次の年の十二月四日は黒歴史だった。誰がどう見ても、惑うことなき黒歴史と呼べるものだった。あの時、白の歴史だと思っていたのは自分だけだった。
多分、僕は調子に乗っていたのだろう。
この成功体験は自信と確かな驕り、慢心をもたらした。
二作品目の曲 「愛してる、星を見て」
その曲は、惑うことなき黒歴史そのものだ。
僕はあの日を境にデータ元のパソコンを丸ごと捨て、何回も音量調整や、出来具合を確かめるために焼いた試作用の幾つかのCD-Rをシュレッダーにかけ、同様、忌々しいあの歌詞を書いた紙もやはりシュレッダーにかけた。
ギターもピアノも友人にあげた。友人は泣いて喜んだ。僕は少し早めのクリスマスプレゼントだと言った。プラグイン音源は、譲渡可能なものはディアクティベートして、それに詳しい友人にあげた。
譲渡不可能なものはどうしたのか覚えていないが、多分、普通にゴミの日にゴミとして捨てた。
そこまで、消したい記憶だったのだ。
それに関してちらつく物質はゼロにしたかった。
しかし、衝撃的な黒歴史を完全に消すことは果たして不可能であった。
記憶として、僕の脳内のかなりの容量を依然占めていることは確かだった。
一番の原因ははっきりとしている。
僕にそのことを思い出させる一番の原因は、チノさんがまだその音源を大事に保管していることにある。
続く。