チノちゃんの誕生日に僕は曲をプレゼントしたんだ。 作:ちゃんこんなべ
人の所為にするわけではないのだが、あの二作品目を作るにあたって、それの元になったのはマスターのタカヒロさんの存在だ。
少し遅めにラビットハウスに着いたタカヒロさんは、誕生日会その日には、僕の曲を聴いていなかったが、その翌々日、曲を聴いたらしく、たまたま噴水のある広場で遭遇した時に、それについて感想を述べた。
「マスタリングの詰めが甘い」と彼は言った。「もう少し、例えば、男子高校野球部の弁当箱のようにパンパンにするべきた」と続けた。
彼は暫く的確なアドバイスを縷々と述べた。僕の曲は前述の通り絶賛しかされておらず、故に多少面を食らったが、彼のアドバイスはどれも参考になるものばかりだった。
最後に彼は「しかし、あれはあれで味があるのかもしれないな」と褒めてくれた。
僕にとって彼が褒めてくれたのには非常に大きな意味があった。
例えば、ココアさんに「いい曲だね」と言われるのとタカヒロさんに「いい曲だね」と言われるのは同じ言葉であろうと言葉の重さは雲泥の差なのだ。
誤解のないように記すが、ココアさんを批判しているわけでは勿論ない。
ココアさんに褒められるのは勿論嬉しいし、もし彼女に好意を寄せていたならばなおさらである。
だが、今言いたいのはそういった好きとか嫌いとかの問題を別にして、何十年も生きてきて、様々な音楽に触れてきたであろう成熟した大人の彼に冷静に批評してくれることは、貴重な体験であることに間違いはない、と言うことだ。
別れ際に彼は、今度は歌入りで作ったらどうか? と提案した。
思い返すとあれは単なるジョークだったような気もするが、あの当時の僕は本気で捉えた。
タカヒロさんがそう言うのだ。ならば、正しいはずだ。来年の誕生日会はさらに楽しくなるはずだ。
僕は彼にさようならを言った後、気がついたら、走り出していた。早速、来年に向けて動き出そうと思ったのだ。
歌詞。
歌。
唄。
詩。
言葉を上手く利用すれば。
僕の曲はさらに素晴らしいものになるに違いない。
僕は安易に考えていたのだ。
言葉を曲に乗せるのであれば、さらに、伝えたいことが伝えられるような気がしていた。
だが、僕ほどに愚かな人間はいない。言葉を伝えるのはどんなに難しいか、全くもって理解が足りなかった。
来年の十二月四日、僕はチノさんに一曲の曲をプレゼントした。
四分三十二秒の曲である。
前回プレゼントした曲より遥かに短いものではあったが、僕は前回よりも遥かにクオリィティの高い曲を作れたと確信していた。
静かな午後であった。
前と同じような暖かい光が窓から差し込み、柔らかな午後だった。
同じように我々は窓際の席に座った。
そして同じようにCD-Rをチノさんに渡した。
彼女は笑って受け取った。
前回のような怪訝な表情はなかった。
彼女は僕にプレゼントはまた曲がいいと、依頼していたのだし、僕も曲を渡すと事前に知らせていたので、当然のことである。
彼女はあらかじめ準備していたのだろう、食器棚近くに置いてある、例のCDラジカセを持ち出して、また例のように音量をMAXに近いところにまで上げて、CD−Rをセットした。
シーンは全く去年と同じであった。やはり十二月にしては昼寝したくなるほど暖かかった。
去年と違うところといえば、僕は緊張をしていなかった。
楽しみでしょうがなかった。去年のような成功体験が念頭にある故に、過信していたと断定出来る、失敗することなど寸毫も考えていなかった。楽しみで、楽しみで、楽しみであった。やはりこの時の僕は愚かとしか言いようがない。
もう一つ違うところを記すのであれば、町の音楽家である、おばあちゃんが見受けられなかったことだ。
しかし、それは考えてみれば、当たり前のことである。いくらこの町の住民が優しさで溢れているからといって、彼女は我々とは無関係の人間なのだ。彼女がわざわざ我々の前に顕現し、演奏しなければならない義務はないのだ。仮に僕がそれに対して腹を立てるののであれば、それは身勝手もいいところである。
彼女が再生ボタンを押した。
イントロが流れ出した。
彼女はなんだか嬉しそうに音の出る部分に耳を近づけた。
曲の質は申し分ない。前回より四十八分ほど短い曲であったが、時間は何倍も掛けた。
タカヒロさんのアドバイスも無論大事にさせてもらい、完璧なまでのプロクオリィティ、唯一残念なとこはそのCDラジカセの音の悪さによりその質が霞んでしまうことなのだが、しかし、彼女がこれで聞きたいと懇願するのであれば、もう何も言えまい。
それに対してある程度の対策をしたつもりだし、それを差し引いても、十全な曲と言えるように仕上げたのだ。
歌に差し掛かった。
……。
こうして示すのも、酷く僕にとっては辛いことだけど、一部を記そうと思う。
「愛している、愛している、愛しているよ、ほら星を見上げてごらん、綺麗だよね。だけど、君の方が綺麗だよ、愛しているよ、愛しているよ、baby 君は頑張っているかい、僕は頑張っているよ。すばらしい星の下で共に」
そんなような曲だった。
「愛している」とか、あるいは「頑張ろうね」を連呼するような曲だった。
当時は寸分も疑わなかった。何故だろうと、不思議に思う。何故疑わなかったのか。前回から約一年、長い間構想を練って、試行錯誤を繰り替えし、何故ふと、思い至らなかったか。こんな甘すぎるエロステイックなオルガンとエレキギターのソロがかみ合ったイントロが、その重たい恋愛観そのものを表したようなエレキベースが。
何よりその歌詞が。
究極的にダサいと。
彼女は固まっていた。前のように聴き入っているわけではない、すぐに分かった。彼女は唖然としていた。
「なんだ、この曲……」
その一言が、彼女の攻撃の嚆矢だった。
「この曲は気持ちが悪いです」
二番のサビまで終わると、彼女は強く、停止ボタンを押した。
シューっとCDが回る音がして、やがて止まった。酷く哀れな音だった。何故かその音は今でも脳の中に保存されていて、旧校舎の壊れたチャイムのように、時々何の前触れもなく音を出した。
「ダサいです。それと、気持ちが悪いです」
確かな嫌悪感を持って彼女が唸った。今にもCDラジカセを投げ出しそうであった。
しかし、こう言ってしまうと、彼女に対して失礼なような気もするのだが、彼女に罵倒されるのは悪くないような気がした。
彼女の長い説教が始まった。
「愛してる、とか好きです、とかそういう直接的な表現は基本的には日本の歌には合わないと思います。私たちは、行ってきます、ただいま、みたいなノリで愛してるなんて言いません。ココアさんみたいに、軽いノリでスキンシップをとる方もいますが……。でも、私たち日本人にとって、海外の方よりも言葉の重さは遥かに重いと考えます。例えば外国の方ならば、頑張れと連呼されても、頑張るよ、ありがとう、と素直に返すはずです。勿論、例外はあります。しかし、言葉の意味を素直に額面通りに受け取る人が殆どだと理解しています。そしてそれはとても素晴らしいことだと思います。一方、日本人は時に言葉を重く捉えることがあります。なぜそうなのかは、日本語という言語によるものでもありますし、日本人の繊細な性格によるものでもあります。詳しい説明は長くなるので省きます。……頑張っている人に頑張れと簡単に言ってしまっていいものなのでしょうか? 本人はただ単に激励の意味で言ったのかもしれませんが、皮肉と捉える場合だってあるのです。一言に幾重にも意味が重なり生まれやすいのです。分かりますか、だから、安易に直接的な言葉を言ってはなりません。一言が重いんですよ。
日本人を悪く言っているのでは決してありません。日本人は繊細で感受性に優れて素晴らしいと思います。
だから、前向きな言葉を言うのは難しいんです。だって、その人にとって前向きかどうかは分からないのですから。もっと小説的に回りくどい言い回しにしなければいけません。それが日本の歌の良さだと考えています、私の尊敬する部分です。人を応援したいのならば、もっと間接的に、人を、そ、その、好きとか、そう言った感情を伝えたいのであれば、やはりもっと間接的に。もっと比喩を使って、カブトムシとかを例に出すとか、そういう努力をして下さい。愛してるなんて連呼しないでください。愚かです。気持ちが悪いです」
チノさんはそう言って、なぜか顔を赤くして、それで二階の自部屋に消えていった。
確かに、彼女の言うことは一理あると思った。
彼女が去った後も、僕は同じ席に座ったまま、彼女の言葉を思い返していた。
何分か経ち、気がついたらマスターが僕の前の席に座った。
「反省会だな」
と彼は言った。彼は君の曲を聴くつもりはなかったのだけど、たまたま耳に入ってしまったと言った。それが嘘を本当かを判断する余裕は僕にはなかったが、多分本当にたまたまであったと僕は予想する。
いずれにせよ、彼はあの曲を聴いてしまったのだ。
「声がまずキモいな」
と彼は言った。彼がキモいという表現を使うことに些か驚いた。しかし、スマートな彼はなんだかそれでも嫌みたらしくなく、悪口のようには聞こえなかった。
「キモい、ですか」
「ああ、キモいさ」
と彼はダンディズムな声で笑いながら言った。
その紳士的、ダンディズムな声を聞いていると、確かにそんな気がしてならなかった。
彼にそう言われるのは少しばかりショックだったが、でも、今気づいたことだが、彼は僕を慰めてくれていたんだ。
あの日彼は、自分から曲に関して一切触れなかった。
声質のことをネタにして、あの気持ち悪い歌詞や曲構造など、一番触れられくない場所を避けていた。なるほど、やはり紳士だ。僕にはそんな気遣いは一生かかったって出来そうになかった。
彼はこう言った。
「でもな、そういった失敗も、いつか笑えるようになるさ。黒歴史は今でこそ死にたくなるものだが、でも、舗装されたばかりのアスファルトだっていつかは固まる。ガチガチに固まった後は道になるんだ。夏になったらさ。そしたら、そこに肉でも投げ捨ててみろ。灼熱の太陽のおかげでバーベキューできるぞ。鉄板ネタになってからが勝負だ」
彼はそんなようなことを言った。いまいちよく分からない励ましだったが、しかし含蓄ある言葉のような気がした。
「タカヒロさんは、やはりあの歌詞キモいと思いますか? 直接的すぎて気持ちが悪いですか?」
最後に僕は彼にそう質問をした。
「いや、そうは思わないよ。本当さ。あんなのは究極的に言って、好き嫌いさ」
彼はそう言って、僕の肩を優しく叩いた。そして立ち上がった。
彼は、常に、いつだってスマートで、去り際もスマートだった。
チノさんが戻ってきたことを察して、さりげなく席を外したのだ。
「あの、すいません、言い過ぎました」
彼女はタカヒロさんが先ほどまで座っていた席に座り、まず謝った。
「全然気にしていないよ」
と僕は言った。
「全然気にしていないのも、それはそれで問題ですね」
「いや、怒ってはいないって言う意味さ。チノさんの言ったことは一理あるし、しっかり反省しているさ」
「……そうですか」
すると、彼女は僕が「反省している」と言った後、悩ましげに額に右手を当て悩み出した。
なにを悩みだしたのか理解出来なかった。
僕は急かす理由もないので、なにも言わずにそっと彼女を見ていた。
やがて彼女が口を開いた。
「やっぱり、私の言ったこと忘れてください」
彼女は敢然とし、決意の眼差しをして言った。
「なんで?」
「いや、よく考えると、あの時私は酷く自己中心的な理由で感情を吐露してしまった気がします」
「そんなことはないと思うけど……。ちゃんと理にかなっていたと思うし」
「いえ、そんなことはないです。忘れてください」
彼女は強く僕を見つめた。
「分かった」
僕は強く頷いた。彼女が忘れて欲しいというのであれば無理に覚えている必要もないだろう。まぁ、これを記している時点で僕はやはり覚えているということになるのだが。
そして僕はこの時もう既に黒歴史の匂いを嗅ぎ取っていた。これは黒歴史になる、なんとなく直感していた。多分、とても重要な存在であるチノさんに叱られてから、あの曲はとてつもなく恥ずかしいものとなった。
「じゃあ、あれはもう返して欲しい」
だから、忘れてくださいと言われた時は、自然と安堵の息をついていた。彼女がゼロに戻そうというのだ。ならば、その曲もなかったことにしよう。我々の意見はおおよそ同じで、今あったことは全て永遠に忘れてしまおうという共通認識で正しいはずだ。我々は分かり合えたつもりだった。
「嫌です」
と彼女はきっぱりとかぶりを振った。そしてCD-Rを大事にケースにしまい大事に両手で持った。
「な、なんで」
「これは、これで、思い出にします。それと、これとは別のことです」
彼女は僕に対して死刑宣告に近いなにかを宣告したのだった。
「い、いや、それは、どうなんだろうね……、やはり、その曲はクオリィティに問題があるようだし……、持っておいても得することはないんじゃないかな……」
「い、いえ、あの時は酷く自己中心的な理由で……、その、取り乱してしまっていました。今でも、その、まだ冷静に聴けませんかもしれないですが、その、多分ココアさん辺りに聴かせたら、いい曲だって言ってくれると思います」
「他の人に聴かせるのだけは止めて!」
僕は懇願していた。
僕はこの時、はっきりと気づいたのだった。あっさり何かの拍子で。
この曲はこうも、恥ずかしくダサいものなのだと。
考えば考えるほど、どんどん自分の愚かさが浮かび上がってきた。
ついさっきまでの自信はもうすっかり消失してしまっていた。
二度と作らない、二度と作らないぞ、と僕の創作意欲はもう完全にゼロに成った。
僕は脆弱な人間だった。たった一人によって、僕の意欲はこうも変わるし、そういった視野の狭い人間だからこそ、この大失敗が起こったのだ。少しでも後ろを、あるいは横を確認したら良かったものを。
結局チノさんはその後、公開処刑の刑を実行した。
つまり、みんなの前でその曲を流したのである。
「客観的な意見も欲しいじゃないですか。そう思いますよね?」
と彼女は笑った。僕にはその笑みが悪魔の笑みに見えた。
「愛している、愛している、愛しているよ、ほら星を見上げてごらん、綺麗だよね。だけど、君の方が綺麗だよ、愛しているよ、愛しているよ、baby 君は頑張っているかい、僕は頑張っているよ。すばらしい星の下で共に」
とCDラジカセから音が流れた。
予想通り、皆固まっていた。
僕はその間端のカウンター席で頭を抱えていた。
ああ、なんで、こんなことに……。
「正直、気持ちが悪いよ?」
とココアさんは言った。
「バッカじゃないの?」
とシャロさんは言った。
「まぁ、悪くはないような気もするけど、でも、声がな」
とリゼさんは言った。
「」
チヤさんは何も言わなかった。
メグさんとマヤさんは吹き出していた。
最悪な誕生日会であった。
あの日ほど恥ずかしかったことはなかった。
その時なぜか、マスターもいなかったし、男一人耐えられるわけがないだろう。
ポキっと心が折れる音がした。
あの時、確実にした。
その後、幸か不幸か、いや、断然不幸だろう、僕はそのせいでひどく臆病な性格になってしまった。
あの最悪な誕生日会は、だが彼女らにしてみれば、成功だったのかもしれない。あの曲公開は僕に後悔しかもたらさない凄惨なものだったが、彼女らにとっては単なる余興の一つと考えている節があったし、通常通り、大富豪もババ抜きも(勿論僕の精神状態を察してくれれば分かると思うが、僕は不参加だ)、マヤさんとメグさんの漫才も行われた。
マヤさんとメグさんの漫才はそれでも、面白いと感じる天性のなにかがあったが、でも「あの曲の面白さには叶わない」とマヤさんが言ったことによって、僕の精神状態はさらに悪化した。
「CD−Rを返して下さい」
その誕生日後も僕は彼女に懇願し続けた。しかし、彼女は絶対にNOの決意を表明した。
「嫌です」
彼女は可愛い。
彼女は笑顔は可愛い。
だからどうしたって天使にも見えるし、しかしながらドSな悪魔にも見えた。
彼女は公開処刑を再び敢行したということはない。でも、それは今のところである。やはり僕としては心配ある。不安材料は取り除いておきたいと誰だって考えるだろう?
依然戦争は続いている。
彼女の持っている黒歴史の象徴であるCD-Rをどうにか強奪しようと僕はいつだって躍起だし、彼女は守ることに必死である。
現在、何戦目なのかは分からない。数え切れないほど戦った。
幾重にも及ぶ戦争はわざわざ記さない。
が、戦い、戦争と表記しているが、戦争、戦いなんて大仰なものではない、あれは、そう、ゲームのようなものだ。
まず彼女は楽しんでいた。僕は最初に至ってはつまり脳内の黒歴史シュア率が98パーセントぐらいを占めるあの時は戦争のようなものだったし、隠されたCD-Rを必死に探した。
しかし途中から、少しばかり楽しんでいることを認めよう。
彼女は隠し場所のヒントになるような暗号を作ったり、クイズを作ったり、地図を描いてみたり、わざわざそんなものを作ってゲームのようにした。
彼女はトリックを仕掛ける役で、そしてそれに向いていた。
彼女は推理小説を好んで読むようだったし、いつもウキウキしながら、ネタを仕込んだ。
僕はそのトリックを暴く役なのだが、続いていると記して明らかなように、まだ、暴けたことはない。
チノさんが一番楽しそうにするのはネタを明かす時で、勝ち誇った顔で語るチノさんはやはり可愛かった。
もしかしたら、CD-Rを強奪できないのは、彼女は可愛すぎるので、僕が強く出れないことにあるのかもしれない。
やはり、可愛いのが問題なのかもしれない。
彼女が、可愛すぎるせいで、許しがたいことであろうとも、時々、というか、最近は、許してしまっている自分がいる。
どうしようかな、もう逸そ許してしまおうか。
……。
いや駄目だ。
許せはしない。
あれは僕の記憶だ。
あれは僕が僕自身でケリをつけなければ。
彼女がそれを持ち続ける限り、僕は、彼女に敵対しなければならない。
ゲームは続いている。
以上が僕と彼女の話である。
……。
……。
……………。
あれ、なんだこれ。
何が伝えたかったんだ。
大事なことを忘れているような気がする。一つも、二つも。
なんだろう。
……。
ああ。
あれ。
えーと。
結局なにがしたかったのだろうか。
えーと
ここまで書いて、僕はまるっきり何が伝えたいのかを見失ってしまった。
追記
あれから三年後の、チノさん二十歳の誕生日に、あの曲はラビットハウスに再び流れ出した。
あの日のような、十二月にしては暖かな日だと記憶している。
柔らかな光が窓から差し込んで、昼寝をしてしまうにはうってつけといえよう。
二十歳の彼女は散々死守してきたあのCD-Rを、あの日あっさり僕に渡したたのだった。
「これ、もう一度聴きませんか?」
彼女はそう提案した。
僕は受け取ったその時に、一刻も早くそのCD−Rを真っ二つに割ってやろうと考えたのだが、素直に渡してくれた優しい彼女に対してそれは失礼だと考えた。
「仕方ない、これは僕にとってとても恥ずかしいものだけど」
一回だけだよ、と付け加え、僕の方から、例のCDラジカセの音量をMAX近くまで上げて、それをセットし、再生ボタンを押した。
そして僕は。
なんと。
驚くべきことに。
僕は。
「愛している、星を見て」を
あの忌々しい曲を。
驚くことに笑い流せたのだ。
気がつけば彼女と僕は笑い合っていた。
これを書いている僕も事件時の僕も予想外かもしれないが、驚くべきことに我々はこれを材料として笑い合っている。
その約一時間後、彼女が笑い疲れてウトウトしている隙にこれを書いている。
もう直ぐ、ココアさん、リゼさん、チヤさん、シャロさんも、マヤさんも、メグさんも、タカヒロさんも帰ってくるだろうし、早いところ書き上げなければならない。
チノさんだって、いつ目を覚ますか分からないのだ。
僕は、いや、私は何のためにこの小説を書いたのか。
私はそれを今考えている。
大抵の失敗は笑い流せる。そういったことを伝えたかったのではないか。
いや、違うかもしれない、笑い流せては入るけれど、時々、酷く、胸が締め付けられて心拍数が極度に上がる。失敗はずっと死ぬまでそこに記憶として、禍根としてあり続ける。お前、今後そんな失敗するなよ、と戒めの意味で書いたのかもしれない。
いや、こんな失敗誰にだって一つや二つあると単に誰かに共感してもらいたかったのかもしれない。
いや、失敗から楽しいゲームも始まることがある。そんなことを伝えたかったのかもしれない
そういった失敗は素晴らしいものだと納得したいが為に書いたのかもしれない。
あるいは、何の目的もなく書いたのかもしれない。
……。
どれも違う気がする。
違うに決まっているだろう。
本当は理解しているのだろう?
この小説は。
私自身のスランプの克服のために書いたものであった。
前作の「右手に綿棒」は大失敗であったし、当時の私は並々ならぬプレッシャーに押し潰されそうであった。
次の作品は何としてでも成功させなければ、その強い思いがさらに私を遅筆にさせた。
「エントロピーロールパン」と同時並行で(と言っても殆どこれを書いていたが)私は逃げるように遊びとして今作を書き始めた。
酷く私的なものとして、読者を念頭に置いて書いたわけではない。「エントロピーロールパン」の潤滑油になって欲しい。
私は気分転換としてこれを書いたのだ。書いた目的はそれのみだ。
故にこの作品はかなり支離滅裂なものだが、しかし、あの頃の私にとっては、確かに意味のあるものであったと思う。どう意味があったかは言葉では表せるものではないが。
今の私がこれを読み返してなにか得られることがあったか?
私自身に自問自答してみると、なにも得られることはなかったという結論に達する。
でも、たまにはこのようなノンフィクション作品を書いてもいいかもしれない。少なくともそうは思った。
まぁ正確に表すならば、今作はノンフィクションと呼べるものではないが。
というか断然正確に表さなくても、呼べるものではない。
一人称が僕になっているし、そもそも例えば、「愛している。星を見て」という曲は曲ではなくて、短編の小説である。
by 青山 ブルーマウンテン