どれだけ時間が経っただろうか。
枯れるまで泣いていたのか涙は止まっていた。
泣くという行為、感情の発露は多くのエネルギーを消費すると改めて認識する。
怪我によるものとはまた違った倦怠感を感じながら思考を再起動させる。
彼女に対する懺悔の想いを吐き出したからか、感情の暴走による混乱は収まり、冷静さを取り戻した思考は正常に動いた。
だからこそ、感情のままに突き動かされ、ユフィに縋り付き、心の奥底に封じ込めていた想いを吐露してしまった事実に自己嫌悪を抱く。
本来なら死を迎える瞬間まで押し殺すべきものであり、実際に今までそうしてきたというのに……。
またそれと同時、人前で涙を見せ、剰え子供のように泣きじゃくったという事実に、止めどなく羞恥心が込み上げる。
今さら嘆いたところで、全ては後の祭りというものだが。
そんな俺の羞恥心はユフィに伝わっていないらしい。
まるで子供をあやす母親のように、彼女は胸に抱いた俺の頭や背中を優しく撫でてくる。
不快ではなく、むしろ心地よかったが、それがまた恥ずかしい。
開き直って「ヤッフー、ロリっ子のちっぱいサイコー!」と狂喜して叫び、彼女の胸に頬ずりするような性癖を生憎俺は持ち合わせていない。
さてどうする?
突然泣き出した後、一体どんな顔でユフィと向き合えばいい?
彼女だって身に覚えのない謝罪の言葉を受けて戸惑っているはずだ。
今さら取り繕ったところで逆に不自然だろう。いや、リリーシャの性格や置かれている環境から考えて、人前で涙を見せること自体すでに不自然なのかも知れない。
理由は? 病弱設定を利用して誤魔化すか?
いや、ここは敢えて今回の事に触れないというのも一つの手だ。何も聞かないでほしいという態度をとれば、ユフィなら深く追究してくることはないだろう。
「大丈夫です」
それまで黙って俺の涙を受けて止めていたユフィの声が落ちてくる。
まるで心の内を見透かしているかのように。
「何に対して謝っているのか、わたしには分かりません。
でもきっとそれはとても辛くて、とても悲しいことだって伝わってきました。
リリーシャが許しを求めているなら、わたしが許します。何度だって許しちゃいます」
ハッとして顔を上げる。
眼前には慈悲の心に満ち溢れた──今の俺には眩しすぎる──微笑みがあった。
ああ、彼女はどこの世界でもユフィのままだ。
「例え他の誰もが許さなくても、わたしだけは何があっても貴方の味方ですから。
だから笑ってください、リリーシャ」
力強く真剣な口調で告げられる許しの言葉。
その言葉が嬉しくないはずがない。
だけど一方で、危惧していた予想が現実のものとなり、罪悪感に胸が押し潰されそうになる。
許して欲しいという思いと、許されるべきではないという思いが俺の中でせめぎ合う。
「何故……?」
そう問わずには居られなかった。
何を以て彼女はリリーシャに対して無償の愛を注ぐというのか?
そもそもリリーシャとユフィの関係はどんな関係なのだろう。
彼女の態度は好意的だが、それ以上の絆を感じてしまうのは果たして気のせいなのか?
俺の問い掛けにユフィは頬を染め、はにかみながら答えた。
「だって────」
自身の大切な想いを言葉にして紡ぎ出す。
そこに躊躇いはなく、むしろ誇らしげですらあった。
「未来のわたしの旦那様なんですから」
…………ん?
何だろう、今ユフィの口からとんでもない言葉が発せられた気がする。おかしいな。
虐待の後遺症、それとも精神ダメージによって聴覚に障害が出ているかも知れない。
本能が拒絶反応を起こした結果とも考えられるが……。
よし、もう一度聞いてみよう。空耳や幻聴の類の可能性だって十分ある。
「あの…ユフィ? 今なんて────」
「あ、もちろんリリーシャがお嫁さんでも構いません! むしろその方が……くっ、裸エプロンでお出迎えだなんて……えへへ」
何故か興奮した様子で拳を握り締めるユフィ。
その表情は恍惚としていた。
「ご飯にする? お風呂にする? それとも私とするかな? なんてそんなこと聞かれたら……きゃっ、もうダメです♪」
あ~何だろ、これ?
いや、言いたい事は分かる。分かっているが受け入れたくないというところか。
リリーシャがユフィの旦那様orお嫁さん? むしろユフィの中ではお嫁さんルート確定の勢いだが……。
奥様は皇女様か、何だかホームドラマの番組名みたいだな。ってそうじゃない。
つまりユフィはリリーシャと結婚する気なのか?
確かにかつてユフィとナナリーのどちらが俺のお嫁さんになるかを巡って、二人が喧嘩を繰り広げていた記憶がある。
当時の俺は戸惑うばかりだったが、今にして思えばどれほど幸せだったことだろう。嗚呼、あの頃の自分に戻りたい。
だが血の繋がった妹である彼女達と結婚は法的に無理だ。中世ヨーロッパの王族や貴族、またアフリカの一部部族の間では近親婚は珍しいことではない。
血の濃さを保ち、地位や財産の散逸を防ぐ目的として有効な手段ではあった。
しかしその弊害は大きく、遺伝的背景による障害児や未熟児の誕生の可能性が増加。その為、一族が断絶するに至ったケースもある。
かつてブリタニアでも優れた遺伝子を後世に残すために、近親婚が行われていた歴史があったが今現在は法の下で禁止されている。
さらに言えばリリーシャは女でユフィも女。
近親婚の上に、さらに同性婚という問題も加わる事となる。同性婚を容認している国は世界的に見て多くない。
宗教色の強い中東国家では犯罪として扱われるだけでなく、重い罰が下され、極刑になる国も存在する。
ブリタニアでは明確に法律化されてはいないが、国家の象徴とも言える皇族という立場を考えれば不可能に近い。
皇族としての義務、皇位継承権争いを中心とした権力闘争、また外交上の問題となる行為を容認する事はできないだろう。
閑話休題。
どうしてこうなった? 彼女の身に何があったんだ? というか一体誰が裸エプロンなんて知識を教えた?
もちろん心当たりは一つある。
いや、その原因しか思い浮かばないと言っても良い。
俺は心の中で、この件に深く関わっているであろう人物の名を叫んだ。
リリーシャァァァァァァァァァッ!! リリーシャァァァ……リリーシャァァ…………。
そう、その心当たりこそ、この肉体本来の持ち主である少女。
彼女の存在が現状の異常、俺が生きた世界との明確な差を生み出したとか考えられない。
ルルーシュへと向けられるユフィの好意が、リリーシャが存在しているこの世界では彼女へと向けられている。
リリーシャの存在が齎したバタフライ
蝶の羽ばたきが起こした風が、将来的に遙か遠くで嵐を起こす。
カオス理論を端的に表現した比喩であり、僅かな差が時間の経過と共に大きな変化を齎す以上、正確な未来予測が不可能であることを説いている。
だがリリーシャの存在は蝶の羽ばたきと言えるほど可愛いものではない。蝶が嵐を起こすなら、彼女の場合は隕石落下レベルの災害を生むだろう。
人類滅亡まで影響が及ぶかは現時点では分からないが、少なくとも確実に俺の胃は保たない。
“騒々しいね。そんなに叫ばなくても聞こえているよ。
もう、どうせ名を呼ぶなら、優しく大切に、素直さと労りの心を込めてもらいたいかな”
俺の叫びに応えるかのように、内側から響いた幼い声がさらに苛立ちを加速させる。
それはかつての共犯者が求めた願いの一つ。
っ、また俺の記憶を!
誰が呼ぶものか!
“非道いね、魔女差別だよ。こう見えて私もこの世界のキミから魔女認定を受けているんだけどね、ふふっ”
うるさい、他人の記憶や思い出を皮肉に使うなんて悪趣味すぎるぞ。
“それは悪い事をしたね、今後自重する予定はないけど一応謝っておくよ。
で、何の用かな、ルルーシュくん? 別に生命の危機って訳でもないようだけど、私の眠りを妨げるんだ、それ相応の理由があるんだよね?”
一体これはどういう事だ!?
ユフィに何をした。洗脳か、それともギアスか!?
何でこんな……。
もし万が一、ユフィがガチなら──まだこの世界では出会っていないとは言え──あまりにスザクが不憫だろ?
アイツには今度こそユフィの騎士として彼女を守り、支える存在となってもらいたいと考えていた。
それが自己満足の罪滅ぼしだと理解していても……。
だというのに肝心のユフィが仮に同性愛に目覚めていたとすれば、その思惑は根底から覆されることになる。
“少し冷静になろうよ、ルルーシュくん。
残念ながら私は何もしてない。もちろん手を出した憶えもなし、出された憶えもない。
ただしマリアンヌ様の手によって、意識を刈り取られていた間の事までは保証しかねるけどね。
それでも私からは何もしていないと、神に誓いたくはないから私自身に誓っても良い。そう、一切『何も』ね”
リリーシャは何もしていない。
それが偽りのない事実なら、予想は外れたが、それは俺が望んだ答えと言っても良い。
けれど安堵できないのは何故だ?
何故そこまで強調する?
俺が強く追求したから。いや、その程度で怯むようなリリーシャではないだろう。
だとすれば別の理由が────まさか。
“さすがに気付いたようだね。
そう私は何もしなかった。説明も論破も言い訳も指摘も修正も肯定も否定も介入も何もかも。
その結果、彼女が何を思い、どんなストーリーを思い描いていたのか容易に想像が付いていたよ。
きっと彼女の中で私は悲劇のヒロインなんだろうね、ふふっ”
っ、それを確信犯と言うんだ!
何故そんな事を。
“何故? 答えは簡単、私に誤解を解く義務がないからだよ。
彼女が何を考え、どう行動しようと全ては彼女の責任だからね。
まあ、その結果私に不利益が生じた時は、容赦なく排除すべき敵として対処させてもらうつもりだったけれど。
言ったよね? 見敵必殺だって”
リリーシャは平然と、さも当然かのように告げてくる。
訪れる可能性の未来を理解しながら、何ら手を打つことなく放置し、身勝手にも自我を押し通すと。
“さてと、キミの質問にも答えたことだし、私は再び眠りに就かせてもらうよ。
来るべき時のために出来るだけ力を蓄えときたいからね、ふわぁ……”
抱いた憤りを向けるよりも速く、欠伸と共に俺の中のリリーシャの存在が霧散していく。
尤も言葉を尽くしたところで通じる相手ではない事は理解している。
彼女が放った最後のセリフに不穏な空気を感じたが、今はそれどころではない。
まずは目の前の問題を片付ける事が先決だ。と言っても何ら解決の手掛かりを得ることは出来ず、精神疲労ばかりが溜まっていくが。
「でも浮気はダメですよ? お姉様も都合のいい女にはなるなって言ってました」
どうやらリリーシャとの会話の間もユフィの話は続いていたようだ。
というか何を教えているんだコーネリアは……頭痛がしてきた。
「ユフィ、キミは自分が何を言っているのか理解しているのかい?」
それは確認だった。
今のユフィは自身の言葉の意味を正しく理解していない可能性も考えられる。
いや、むしろそうであって欲しいという思いが強かった。
けれど現実は無情だ。その事実を俺は痛いほど知っている。
「はい、もちろんです。リリーシャを守るためにはどうすればいいんだろうって、わたしなりに考えてみたんです。
その結論が家族になるのが一番じゃないかと思いました。
お姉様がわたしの事を守ってくれるように、ルルーシュがナナリーを守っているように、わたしがリリーシャを守ります!
もう一人にはさせません!
必ず幸せにしてみせます!
だからわたしと家族になりましょう、結婚して下さい!」
そこにあるのは、ただ一人の人間を守りたいという純粋な想い。
澱みのない純真さ。
それは嘘偽りのない彼女の本心だった。
最愛の妹の為に世界さえ壊そうとした俺には、その一途な想いが、想いの強さが理解できてしまう。
だからこそ余計に困る。