コードギアス 黒百合の姫   作:電源式

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第26話

 

 ギアスの影響により再び意識を失ったリリーシャは嚮団員の手によって運び出され、謁見の間にはその主である皇帝シャルルだけが残っていた。

 彼は鎮座する玉座に背を預け、溜息を吐くかのように大きく息を吐き出す。

 自身が使用したギアスにより脅威の芽を事前に摘むことに成功し、第五后妃暗殺事件の偽装もより確実なものとなった。

 しかし、その表情は暗い。

 実の娘──しかも最も愛する妻との子であり彼女の面影を色濃く受け継ぐ──に対してギアスを使用することに、何ら躊躇いがなかったのかと問われれば彼は否と答えただろう。

 

 武を以て覇を唱え、その身から溢れ出る威光で他者を圧倒する厳格なる支配者=ブリタニア皇帝と言えど、その仮面を身に付けているのはシャルル・ジ・ブリタニアという『人間』に他ならない。

 どれ程取り繕おうと、人は総じて心の弱い生き物だ。ならば己が行動を躊躇い、苦悩することは必然だと言える。

 

 だが、かつての彼ならば宿願を果たす為には仕方のない事だと割り切り、自身を正当化し、納得させる事が出来たはずだった。

 例えを一人きりの時でも決して弱さを見せる事もなかっただろう。

 

「……これで良いのか」

 

 静まり返った謁見の響く呟き。

 誰の耳にも届くことなく消えてくはずだったそれは、後悔から来る自責の念が齎した自問でもあったに違いない。

 

「ええ、上出来よ」

 

 軽やかな足音と共に、謁見の間に響く新たな声は艶やかな女のものだった。

 

 シャルルが横目で声の主に視線を向けた先、闇に溶け合っていた黒き騎士が光の下に歩み出る。

 艶のある長い黒髪。帝国が誇る最強の十二騎士=ナイトオブラウンズが纏うものに酷似した漆黒の騎士服、また同色のマントに包まれた肢体はしなやかであり、服の上からでも分かるほど──凹凸のハッキリした──抜群のボディラインを主張している。

 しかし何よりも他者の目を惹くのは、その顔を覆い隠した白き仮面だろう。

 

 彼女はつい先日、人知れず突如として登庸された皇帝直属の騎士。

 本来存在し得ないはずの十三本目の剣。

 いや、ラウンズを超えるラウンズとでも言うべきか。

 ナイトオブゼロ。

 それが彼女に与えられた称号であり異名だった。

 この世界によく似た別の世界の未来では、悪逆皇帝に仕えた裏切りの騎士と呼ばれる事となるが、尤もその事実を知る者は極めて僅か。

 次元を超えたパラドクス。

 

 ナイトオブゼロがラウンズを超えるラウンズと言われる所以は、彼女が優れた頭脳や身体能力、高いKMF適性を有しているだけでなく、保持する権限が他のラウンズを大きく凌駕している為だ。

 こと軍事においてその権限は帝国宰相や帝国軍元帥、ナントオブワンすら凌駕し、最高権力者であるブリタニア唯一皇帝に比肩する。

 それは指先一つで軍を動かすことは疎か、他国に対する宣戦布告権を有しているも同義。つまり彼女が遊び半分で放った一発の銃弾が、国家間戦争開戦の号砲となる可能性もあり得るだろう。

 

「はい、約束通りこれが今回のご褒美よ」

 

 そう言って彼女は黒きマントの下に隠し持っていたモノを投げ渡した。

 ソレは床を転がり、ちょうど玉座の前=シャルルの眼前で停止する。

 

「ぐぬっ……」

 

 ソレを目にした瞬間、シャルルの顔が歪む。果たしてそれは沸き上がる怒りからか、それとも悲しみからか。

 

 ソレは肘から切断された幼い子供の片腕のように見えた。

 否、それは紛れもなく腕のそのものだ。

 

「ふふっ、でも本当に馬鹿よね、あの子。

 己の分も弁えず、この私に牙を剥き、剰え逆に狩られてしまうんだから救いようがないわ」

 

 ナイトオブゼロはくすくすと楽しげに笑う。

 全てを蔑み、見下し、馬鹿にするかのように。

 

「……何故だ」

 

 シャルルは呻くように問い掛ける。

 その問いが彼の心情全てを物語っていた。

 

「躾がなっていない子供には、お仕置きが必要だと思わない?」

 

 本気か、それとも冗談か。

 声の調子からだけでは、それを判断することは難しい。

 

「私だって命を狙われたりしたら心変わりだってするわよ、当然でしょ?

 それに私は私の目指すべきモノと利害が一致していたから、貴方たちの掲げる計画の賛同者になっただけのこと。私にとっては何も神殺し=ラグナレクの接続が唯一無二にして最良の選択というわけではないもの」

 

 平然と、さも当然だとナイトオブゼロは応える。

 もはやラグナレクの接続という行為に、一切の価値も興味もないと言いたげに。

 

 対するシャルルは驚きを隠せなかった。

 自分達は同じ理想を掲げ、目指す世界の為に手を携えた同志ではなかったのか、と。

 自分は騙されていたのか?

 いや、彼女は嘘を吐かない。最初から互いを利用していたことは理解していたはずだ。

 

「だからこれからは自由に動かせてもらうわよ?

 とは言っても貴方に拒否権も選択権もないんだけどね。幼い兄一人の暴走も止められず、妻を失ってしまうような脆弱な男に、私の邪魔が出来るとも思わないけど、うふふ」

 

 自らに仕える騎士とは思えぬ態度で嘲笑する彼女の姿に、シャルルは臍を噬む思いだった。

 

 あの日、あの夜、自分は最も愛していた妻を失った。

 兄の心の変化に気付かなかったから。

 いや、気付けるはずがない。

 他人の心を理解しているなど、あまりに傲慢な考えだ。

 理解できないからこそ擦れ違い、誤解が生まれ、やがて悲劇に繋がるのだろう。

 故にラグナレクの接続による共通意識の確立、思考の共有化が必要だったのだ。

 

「大丈夫よ。貴方は今まで通り、神聖ブリタニア帝国の頂点に君臨する覇王を演じ続け、弱者を踏みしだき平等こそ悪だと罵って、馬鹿な民衆を支配すればいいの。

 もちろん盲目的にラグナレクの接続の実現した世界を追い求めても一向に構わないわ。私は協力できないし、当分コードは返してあげられそうもないけど」

 

 大帝国の皇帝と彼に仕える騎士。

 だがその力関係は完全に逆転していると言っても良い。

 何故ならば、シャルルと彼の兄の悲願=ラグナレクの接続を完遂させる為に必要な最後の鍵は今、彼女の手の内にあるのだから。

 

 長い年月を掛けてきた計画が一夜にして狂い、理解者であった最愛の妻を含む、数多くのモノを失ったシャルルは失意の底に沈む。

 対して新たに生を受けた騎士は戒めより解き放たれた。

 もはや何も偽る必要も、自分を押し殺す必要もない。

 自らの昂揚を抑えきれないのか、いやそれとも──心の構成要素の一つである超自我の発達不足を患っている節のある彼女は──抑える気など最初からないのかも知れないが、表情隠す仮面の下に恍惚の笑みを浮かべていることだろう。

 まるでステージの上に立つ舞台役者のように両手を広げ、天を仰ぎ、その身を昂ぶりで震わせながら高らかに告げる。

 

「ここから新しい神話が始まるの。そう、本当の神々の黄昏(ラグナレク)が────」

 

 

 

 嗚呼、今まさに終末の鐘は打ち鳴らされる。

 それは来るべき未来への鎮魂歌。

 訪れるは誰も知らない混沌の未来。

 神の消滅か、人類の終焉か、はたまた約束された繁栄か。

 されど嘆くことなかれ。

 万物の原初は混沌の海。

 有も無も、光も闇も、生も死も、人も獣も、楽園も煉獄も、全ては母の申し子よ。

 ならばこそ、儚き希望も、抗えぬ絶望も、仄かな願いさえ、混沌からこそ生まれ出る。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 そこは特異な空間だった。

 常に最適な光度と温度に保たれ、清廉な空気さえ漂う白い世界。無数の書棚とガラスケースが乱立していた。書棚には当然のように大量の書籍が、一方ガラスケースには闇色の仮面や赤紫色の装飾剣、血に汚れた白き皇帝服などが収められている。

 果たして書庫か博物館か。

 いや、どちらも違う。それはその空間の中央に置かれた天蓋付きのベッドが物語っていた。

 

 一人の少女が、まるで隣に眠る『誰か』の眠りを邪魔しないよう気遣うかのように、出来るだけ音を立てずに静かにベッドを抜け出す。

 艶やかな長い黒髪、アメジスト色の澄んだ瞳、彫刻のように整った顔立ち。透き通るほどに白い肌を、闇色のネグリジェに包んだ麗しき幼女=リリーシャ・ヴィ・ブリタニア。

 つまり私の事だ。ふふっ、自分でこんなこと言うのは何だか照れるね。

 

 そう、ここは私の心が──ルルーシュくんの記憶で見たCの世界のミュージアムを参考にして──構築した幻想世界(ファンタズマゴリア)。まあ明晰夢の中にいるとでも想像してもらえると分かり易いのかも知れない。

 

 さて、ここで最後の仕上げを行おうと思っているんだけど、ルルーシュくんは本当に面倒事ばかり押し付けてくれるね。

 私じゃなかったら暴動を起こしていてもおかしくないよ、もちろん嘘だけど。

 これは私自らが望んだことであり、この時の為にしっかりと力を貯めていたのだからね。ここは私が頑張る場面だ。

 ほら、さっそく今回のゲストのご登場だよ。

 

 世界が軋むように震え、虚空にヒビが刻まれた次の瞬間、破砕音と共に書棚の一角が爆ぜた。

 

 ああ、勿体ない。そこはもう一度読もうと思っていたタイトルが収められていたんだけどね。隣のゼロレクイエム関連の棚なら、この世界ではもう必要のないものだから構わなかったのに……。これはお仕置きが必要だね。

 ちなみに書棚に収められているのは私の記憶、そしてルルーシュくんの記憶から得た情報を分類ごとに編集し、本という形に再構成したものだ。データ管理ならノートPC一台あれば事足りるんだけど、それでは風情がないからね。紙媒体には紙媒体特有の良さがあると私は思っている。

 

 

「───────────────ッ!!」

 

 

 耳を劈くような咆哮と共に生じた衝撃波が、舞い上がる粉塵や書棚の残骸を盛大に吹き飛ばす。

 そして私の前に姿を現した禍々しい紅の怪鳥。その巨体は優にKMFを上回り、翼を広げれば何倍も大きく感じられた。

 

「本当に躾のなっていない駄鳥だね。不法侵入に器物破損、精神的苦痛も考慮すれば万死に値するよ」

 

 そう目の前の怪鳥こそ、人間という名の『歯車』同士を無理矢理繋げようとするコードの欠片=ギアスが、私の意識を介して具現化した存在。

 

「ふふっ、かつて私も一度はキミ達を使役してみたかったんだけどね。ま、無い物ねだりは止めておくよ」

 

 その存在と対峙し、胸の奥が僅かに痛んだ。

 もはや存在しない……いや、そうであって欲しいと願った過去の私の残滓が、未練がましく叫んだのだろう。

 本来ギアス適性が高いブリタニア皇族に生まれ、両親共にギアス保持者であり、さらには遺伝子段階から強化が施されている身でありながら、ギアス回路を持たず、失敗作と呼ばれていた私が……。

 

 あはは、女々しいね。感傷なんて私らしくもない。何も今更気に病む必要なんてないじゃないか。

 だってそうだろ?

 今の私は過去の──死んでいた私とは違う。

 手に入れたんだよ。

 ギアスよりも価値のあるモノを。

 

 私は自らを奮い立たせるように笑う。そう言えば確か笑顔は元々攻撃的な意味を持っているんだったね。

 

「───────────────ッ!!」

 

 紅の怪鳥は大きく翼を広げて私を威嚇する。

 

「私を犯し、喰らうつもりかい? 残念だけどキミ如きにこの身を捧げるほど酔狂じゃない。

 でもこの世界は弱肉強食、だから代わりに私がキミを喰らおうか?」

 

 パチンと指を鳴らす。するとあら不思議、身に纏っていたネグリジェは同色の戦闘ドレスへと早変わり。さらに無数の黒き剣が宙に浮かび上がり、私の周囲を回り始める。

 そう、ここは私が創り出し、私が支配する世界。

 故にある程度は思うがままだ。尤も万能とはほど遠いけど。

 

 それでもギアス=超常の力を相手にするなんて無謀?

 いや、違う。間違っているよ。

 己が想い、意志が勝れば、皇帝のギアスを下せることはナナリーの事例からも明らかだ。

 無知──自らを省みることなく──で、無能──目先のことしか見えてない──だというのに、愛されることだけは人一倍なあの娘でも破れる。その程度の力でしかない。

 想いの力。口にするのも恥ずかしいけど、私も打ち勝ち、この想いを貫き通すとしよう。

 もっとも彼女のギアスに対する耐性が特段優れていた可能性も排除できないけれど。

 

「私がホストだからね、初手は譲るよ。さあ、どこからでも掛かっておいで」

 

 挑発が通用する相手なのかは分からない。

 だけど小娘に馬鹿にされている雰囲気ぐらいは伝わったのかな?

 刹那、紅の怪鳥はその巨体に似合わぬ速度でこちらへと向かってくる。

 愚直なまでの猪突猛進。

 

「でも嫌いじゃないよ」

 

 ただ前に手を突き出す。

 大型車両クラスの質量の物体が高速でぶつかれば、本来なら私の小さな身体なんて簡単に弾き飛ばされる、または押し潰されていた事だろう。全身打撲程度で済めばいいが、最悪内臓破裂で即死だね。それとも柘榴のように頭部が弾けていたかな?

 ま、当然そんな事にはならないんだけど。

 

 迫り来る巨体が私の眼前で──表面に六角形の模様(ヘックス)が浮かび上がる──光の壁にぶつかり、それ以上の進行を阻まれて動きを止める。絶対守護領域──って言ったかな?──を模して構築してみたんだけど上手くいったみたいだね。

 必死に嘴で貫こうと頑張っているようだけど無駄だよ。

 この世界において、その強度はオリジナルを上回る。

 まさに魔女が唱える魔法のごとく。

 

 力技での突破を諦めた怪鳥が羽ばたき一つで天高く舞い上がる。

 天井を高く設定した私に感謝して欲しいところだ。

 

「さて次はどうす……る…………グロいね」

 

 何というか次の一手はグロかった。

 翼に内側に存在していた無数の瞳が一斉に開き、ギョロリとした眼球が私へと視線を向けてくる。ただの大きな紅い鳥が、禍々しさを増した異形の存在へとランクアップってとこかな。変なウイルスとか感染してないよね?

 半瞬、開かれた瞳から放たれる紅い煌めきが絨毯爆撃のように降り注ぐ。

 

「むぅ、弾幕系シューティングゲームは得意じゃないんだけどね。さすがにそんな事は言っていられないか」

 

 魔女の障壁は後方のベッドを守る為に多重展開したので使えない。こればかりは『彼』を傷付けられては本末転倒だから仕方がないよ。

 

「となれば執るべき手段は一つ」

 

 宙に浮かぶ黒剣を周囲に展開しつつ、その内の二本を両手に掴み、舞い踊るかのように振るう。

 直撃コースのモノだけを見極め、最小限の動きで打ち払いながらステップを踏む。掠る程度は無視で良い。動く度に髪が焼かれる音と匂いがするが諦めよう。その位なら後でどうとでもなるだろう。

 

「もっと早く、もっと速く、もっと疾くだよ!」

 

 一度でも足を止めれば押し負けてしまうだろう。

 だけど自然と浮かぶ笑み。

 胸が高鳴り、身体が熱くなる。

 ああ、どうやら私はそれなりに現状を楽しんでいるのかも知れないね。

 

 私はさらにギアを切り替え、この身を加速させる。

 風よりも疾く、音よりも速く、光の如く。

 目には目を、歯には歯を、閃光には閃光───否、殲光を。

 

 

 

 

 

 果たしてどれ程の時間が経っただろう。

 一瞬のようにも永久のようにも感じた光の射出が終わる。

 辺り一面酷い有様で、私自身もボロボロになりながらも自分の両足で立っていた。

 

「なかなかにやってくれたね? さすがに本気を出さなければ少し危ないところだったよ、ほんと」

 

 黒剣はなまくらに、戦闘ドレスはボロ布と化し、自慢の髪は無残に焼き切られ、シミ一つなかったはずの肌は所々焼け爛れたように腫れている。

 それでも五体満足で致命傷は負ってはいない。

 

「じゃあ今度はこっちの番だよ」

 

 もう一度指を鳴らす。

 滞空する紅の怪鳥の全方位に新たな黒剣が出現し、その巨体を剣先に目標を捉える。

 逃げ場はない、というか逃げ場なんて与えない。

 

「さあ、お祈りは終わったかな? 大丈夫、まだ殺しはしないから。

 ────進め(GoAhead)

 

 私の号令と共に、無数の刃が紅の怪鳥へと殺到する。

 だけど急所は狙わない。

 殺してしまっては元も子もないからね。

 狙うは優雅に羽ばたくその大翼。

 見下ろされるのは余り好きじゃないから、そろそろ降りてきてもらおう。ん? 墜ちてきてが正解かな?

 

 次々と突き刺さっていく黒剣が、翼に存在していた瞳を一つ一つ潰していく。

 程なくして紅の怪鳥は血の涙を撒き散らしながら地に落ちた。

 だけどまだ手は弛めない。

 地上で無様に藻掻き苦しむ紅の怪鳥に向け、さらに刃は降り注ぎ、その巨体を床に貼り付けにしていく。

 別に自慢の髪を台無しにされた仕返しだとか、過剰な苦痛を与えて悦ぶ加虐嗜好に目覚めたとか、そんな理由じゃないよ。そこのところは間違えないで欲しい。

 

「初手を譲ってあげたのに決めきれなかった己が弱さを悔いると良い。いや、私が強すぎたのかな、ふふっ」

 

 そう何も難しく考える必要はない。

 私の方が強かった、ただそれだけのこと。

 むしろ私を本気にさせた事を誇っても良いだろう。

 

「さて、これが本当に最後の仕上げだよ」

 

 苦しげな呼吸を繰り返すことしかできなくなった紅の怪鳥に歩み寄り、手を伸ばす。

 だがその瞬間、目が合った。

 開かれた嘴の奥、そこにまだ存在していた一つの眼球と。

 

「ッ!?」

 

 さすがにこの距離では避けられないと悟り、咄嗟に身構える。

 

「ひゅぐっ……」

 

 全身を貫く激しい痛み。

 まるで魂に牙を突き立てられた感覚とでも言い表せる。尤も実際に体験したことはないけど、それぐらい絶望的な痛みだった。現実で例えると閃光のマリアンヌ様七人分ぐらいかな?

 不覚にも涙滲む視界に捉えたのは、無残にも抉られた脇腹。

 本来なら致命傷となってもおかしくないが、幸いにもここは私が生み出した幻想世界。腕がもげようが、どれだけ血を流そうが、それこそ脳漿や臓物をぶちまけたとしても死に至ることはない。当然ダイレクトに襲いかかる苦痛に、精神が耐えられればの話だが……。

 精神の破壊、それは死と同義だった。

 

 やはり一筋縄ではいかない相手。

 まだ抵抗する意志を残していた事を褒めるべきか。

 いや、最後の悪足掻きなんて良くある展開だ。ここは慢心していた自分の愚かさを呪うべきだね。

 

「しかし、本当にまずいね」

 

 口内の眼球に再び光が灯る。

 痛みよって麻痺した身体では射線軸をずらすことも難しい。

 さらに言えば、実のところ意識を維持するだけでも精一杯だった。

 理由は痛みだけではない。

 そう、目の前の怪鳥はあの男のギアスの具現体。当然その一撃は本質である記憶改変の効果を帯びている。

 平時なら余裕で打ち勝てたと自負しよう、打ち勝つだけでは意味がないのだが。

 けれど現状、痛みとの相乗効果により、私を徐々にだが確実に浸食していく。

 

 精神が汚染される。

 人格が書き換えられ、私が私ではなくなる。

 

「……笑えないね、これは」

 

 だがここで諦めるなんて私らしくない。

 この状況下で導き出される最適解は、ギアスの影響を私一人で押さえ込むこと。そうすれば被害は最小限に抑えることが出来る。

 この目で世界の行く末を見られないのは残念としか言いようがないが、ルルーシュくんの働きに期待することにしよう。ルルーシュくんの方針ではジェレミアがギアスキャンセラーを発現するのは難しいが、彼以外の適性者が居ないと決まったわけではない。運が良ければギアスの呪縛から解放される可能性もあり得るだろう。

 なら、プランを変更しようか。

 私が今するべき事は一つしかない。

 今度は私は足掻く番だね。ここまで傷物にしたんだ、覚悟は出来てるよね?

 

 私は手近にあった黒剣へと手を伸ばし、床から引き抜こうと柄を握りしめる。

 否、握りしめようとして出来なかった。

 

 

 トクン……トクン……トクンッ……。

 

 

「……たい」

 

 虚空を掴み、握り込まれた拳は、私の意志とは無関係に第二射目前だった怪鳥の眼球へと叩き付けられる。

 生温かい何かが潰れ、何とも言えない感触が拳に纏わり付いてくる。

 

 その事実を理解する為には、少しばかりの時間を要した。

 

「いたいいたいいたいたいいたいっ! いたいよ。もういやなの……。ゆるして……おかあさん。

 だれか、だれでもいい、わたしをたすけて。しにたくない……おねがいします……しにたくないよ……。

 おにいちゃん……わたしもみて……わたしも……おにいちゃんのいもうと……なんだよ。

 わたし、がんばったよ……。ううん、もっとがんばるから……だから…ね?」

 

 ─────死んで。

 

 私の意志とは無関係に、苦痛を訴え、助けを懇願しながら、怨嗟に満ちた身体は動き続けた。

 

「─────ッ!!」

 

 弱々しく悲鳴のような叫び声を上げる怪鳥の嘴を掴み、力任せに無理矢理こじ開ける。口角が裂け、粘度のある体液が降り注ぐ。

 目の前が紅く染め上げられる。

 かつて幾度として見た赤い世界。

 

 その瞬間、私は意識は闇に落ちた。まるで目の前の光景から逃げるように。

 

 

 

 

 

 

 次に意識を取り戻した時、目の前に広がっていたのは凄惨な現場だった。

 原型が分からないほどに蹂躙され、破壊された紅い物体。

 飛び散った体液や肉片が周囲の書棚や床を紅く彩っている。もちろんその中心に立つ私自身も。

 噎せ返るような臭いはないが、纏わり付く体液が酷く不快だった為、衣装を替えるついでに付着物を消し去り、脇腹の穴も塞いでおく。

 

 何が起こったとは問う必要はない。自分の身体の問題だ、私が一番熟知している。

 生きたい、そして死にたくない。

 それが過去の私が抱いた原初の願いだった。

 奇しくもそれは生物が生きるモノである為の根幹たる生存本能と合致する。

 今回の場合、生命の存続に危機及ぼすレベルの痛みを受けたことにより、生存本能と連動した形で、心の澱に溜まった残滓を呼び越したのだろう。私だから分かることだが、あの生きたいという願いの強さは本物だ。

 でもまさか、否定した過去の自分=死んでいた生きたがりのリリーシャ・ヴィ・ブリタニアに助けられるなんて思わなかった。

 トラウマもまだまだ捨てたものじゃないね。

 

 偶然だとか無様だとか過程がどうあれ、結果として私はこうして私のまま存在している。

 世界が、因果が、運命が、私の存在を肯定した。

 だからこの勝負は私の勝ちだ。

 

「しかしながら酷い有様だね、まったくやり過ぎだよ」

 

 一抹の不安を抱きながら、もう一度惨状を見渡して溜息を吐く。

 助けてもらって文句を言うのは筋違いだと理解している。

 これは自分の油断が招いた結果だ。

 しかし、こうまで破壊されていては、やはりプランの変更を余儀なくされる可能性があった。本当なら止めを刺す前に回収する予定だったのだが仕方ない。

 

 私は元紅の怪鳥だった物体、その中でも本体と思われる物へと手を伸ばす。死体を漁るような惨めな真似はしたくなかったが、背に腹は代えられない。

 屍肉を掻き分け、目的の物を探す。

 

「え~と、これじゃない。ん、あった、これだね」

 

 屍肉の中から掴み取ったそれは文字──らしきもの──の羅列。

 それこそがギアスをギアスたらしめるコードの欠片。

 

「良かった、見たところ損傷している様子はなさそうだね」

 

 状態を確認した後、私はそれを躊躇うことなく握り潰す。

 キラキラと輝く欠片が世界に融けるように消えていき、それと同時、核を失い存在を保てなくなった怪鳥もまた霧散していく。

 

「終わったね。いや、これからが本当の始まりか」

 

 ようやくここまで来たと思うと感慨深い。

 だけど、ここまでしか到達できていないのが実情だった。

 まだ先は険しく長い。

 でも今この瞬間だけは喜んだっていいよね?

 

 

 

「私はギアスを使えない失敗作。適性も素質もゼロを超えたマイナス数値を示し、今後覚醒する可能性も皆無だと言われた。

 それでもその存在を知った時から使いたかったんだよ。一度だけで良い、そう一度だけで……」

 

 誰に語るでもなく自然と口から事が零れた。

 何ら生産性のない行為だとは理解しているが、紡ぐ言葉は止まらなかった。

 達成感に酔いしれ、感情が高ぶっているのか。

 それとも一時的に過去の私に支配された影響だろうか。

 幸いにしてここには耳を傾ける者は居ない為、周囲の目を気にする必要はない。私だって突然独白する変な女だとは思われたくないからね。

 

「ギアスを使えない、魔女と契約さえ出来ない私がギアスを使うにはどうしたらいいのか?

 導き出された答えは至極単純だった。

 使えないのなら奪えばいい」

 

 条件は揃っていた。

 我が父=皇帝シャルルのギアスは直接他者に掛けるタイプであり、対象者の意志で破れる程度の威力。しかも効果は記憶改変という願ってもない能力。

 これを見過ごす手はない。

 

「そう、奪えば良いんだよ」

 

 人間の身体を動かしているのは脳が生み出す電気信号プログラム。心が何かなんて哲学を語るつもりはないが、人格も感情も、脳内駆け巡るその副産物に過ぎないと私は思っている。

 だとすれば人の大脳に作用し、精神に影響を与えるギアスもまた電気信号の一種と考えられる。尤も実際どういう原理なのかは分からない。明かされていない点が多く、それこそ常識では考えられない方法、例えば集合無意識を経由して直接相手に作用するなんて可能性もある。

 だがもしギアスが完全に作用するその前に介入、掌握し、プログラムを書き換えることが出来たなら。

 都合の良いことに、私の身体には卵子の状態からコード保持者の細胞=C.C.細胞が組み込まれ、R因子やC感応因子と言った、通常では人間が持ち合わせていない要素を保有。

 さらには、私と違い優れたギアス適性を有するイレギュラーな存在をその身に宿している。

 特別性の顕示、相反する力か。……何とも厨二っぽいね。

 

 僅かに震えながら、握りしめたまま拳をゆっくりと開いていく。

 

「ふふっ、あはははは! できた、できたじゃないか!」

 

 私の手の上から飛び立つ毒々しい黒蝶。

 想いと願いの結晶は小さくも力強く羽ばたいて風を起こす。

 いつの日かその風が世界を揺るがす嵐となることだろう。

 

「さあ、行こうか」

 

 私は宙を舞う黒蝶を伴い、意気揚々と来た道を戻る。

 身体の痛みや疲労感は感じず、足取りも軽かった。

 

 

 

 

 

 ベッドの縁に腰掛け、触れれば壊れてしまう繊細な芸術品を相手にするかのように、細心の注意を払いながら彼の髪を撫でる。

 私と同じ色の綺麗な髪。いや、髪だけではない。白い肌も整った顔立ちも綺麗だった。

 男のくせに、と思わず嫉妬心が首を擡げて苦笑する。

 この時間が長く続けば良いと思うが、それでは頑張った意味がない。

 

「……ん………ナナリー」

 

「もう、ここで他の女の名前を口にするなんて無粋だね、ルルーシュくんは。

 私には労いの言葉一つ掛けてくれないのに」

 

 分かっている。

 

「キミの一番はいつだって彼女だった。きっとどうやったって彼女には敵わないんだろうね。最善を尽くして肩を並べる程度かな?

 でも君の願いは叶わないかも知れない。

 だから先に謝っておくよ」

 

 ごめんね。

 

「次に目覚めた時、きっと世界は君の知らない世界に変わっている。キミが望もうと望むまいとね。いや、これは本当に今更だね」

 

 恨んでくれて構わないよ。

 だけど私は止まらない、……もう止まれないんだ。

 私の手は既に汚れているのだから。

 

「おやすみ、ルルーシュくん。しばらく会えなくなるのは、私としても寂しいけれど我慢するよ。

 あとこれはおまじないだ、いい夢が見られると良いね」

 

 そう言って私は彼の額に自らの唇を落とす。別に唇でも良いんだけど、それは次の機会だね。大丈夫、まだ唇は汚れていないから。

 同時に彼の胸の上で羽を休めていた黒蝶が、彼の中に吸い込まれていくかのように消えていった。

 これで良い、次のフェイズに移行しよう。

 

 でも、そうだね。まずこれだけは言っておくよ。

 

 

 

「おはよう、新しいリリーシャ・ヴィ・ブリタニア」

 

 

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