コードギアス 黒百合の姫   作:電源式

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第29話

 

 おはよう────誰かにそう言われた気がした。

 

 まるで漠然とした夢の中に居るかのように、身体の感覚はどこか曖昧だった。

 波間に浮かぶ木の葉の如く、不明瞭な世界をたゆたう意識。

 それでも徐々に覚醒の瞬間は近付いていた。

 闇に差し込む光が強さを増していく。

 

 目を覚ます。と言って良いのかは分からないが、瞼を開けた視界に映り込んだ景色は見覚えのない場所だった。

 

「ここは……」

 

 どこだろうか?

 

 広大な白い空間に立ち並ぶ書棚やガラスケース。

 窓はないが、まるで太陽の光のように穏やかで温かな光が降り注いでいる。

 現実感の伴わない光景。

 

 どうやら『私』は異空間に迷い込み、そこに置かれた天蓋付きのベッドの上で眠っていたようだ。

 

「ん……私……?」

 

 私、わたし、ワタシ、私?

 何ら変哲のない一人称に感じた違和感に『私』は戸惑いを抱く。

 あ、まただ。

 何だろう、この感覚は。

 

 いや、そもそも『私』とは誰のことを指しているのだろうか?

 

「私は……」

 

 誰だろう?

 思い出せない。いや思い出そうとすれば何かに思考を阻害される。本当に迷惑な話だ。

 

 しかし、ここはどこ、私は誰か……。

 これではまるで記憶喪失のテンプレ台詞。常々馬鹿らしいと思っていたが、実際にそれに似た状況に置かれた人間は案外同様の思考に至るらしい。実体験としては知りたくない事実だった。

 と『私』が苦笑した刹那────

 

「キミはリリーシャ・ヴィ・ブリタニア、それ以上でも以下でもないよ」

 

 幼くも蠱惑的な少女の声に誘われ、声の主へと視線を向ける。

 そこに居たのは──まるで物語の中から飛び出してきたかのような──黒のお姫様だった。

 

 息を呑む。

 それは何も麗しい彼女の姿に心奪われたからだけではない。

 本能的に理解した。理解させられた。

 ああ、目の前に存在する彼女こそ『私』だと。

 

 私の存在がリリーシャ・ヴィ・ブリタニアだとするのなら、つまりは彼女もまたリリーシャ・ヴィ・ブリタニア。

 向かい合う二人のリリーシャ。

 何とも奇妙な光景だろう。

 

 どうやら私もしくは『私』は解離性同一性障害を発症しているらしい。

 私と『私』、一体どちらが主人格なんだろうね?

 

「リリーシャ、そう……リリーシャ」

 

 確かに聞き覚えがあるが、それでもどこか違和感を感じてしまうのは何故だろう?

 聞いた名前を反芻する。

 するとその名前を基点とした記憶の一端が脳裏に浮かび上がってきた。

 なるほど……。

 私は手を顔の横に近付けてポーズを取る。

 

「超銀河美幼女リリーシャ、キラッ☆ミ」

 

 もちろん媚びるような笑みを浮かべることは忘れない。

 猫でも狐でも狸でも被ろう。

 我ながら会心の出来だ。

 うん、悪くない。何だかしっくりくるね。

 

 一方、それを見た『私』は額を押さえて、まるで精神的ダメージを負ったかのように辛そうな表情を浮かべ、何やら呟いているご様子。

 ん、何故だろう? 何か間違っていたかな?

 

「何でよりにもよって今それを思い出すんだろうね? 私のキャラじゃないっていうのにはまりすぎだよ。ゴットバルト兄妹あたりなら萌死していてもおかくしくないんじゃないかな。ああ、でも妹の方なら本望か……。

 けどここまで記憶の上書きが不完全だなんて予想外も良いところだよ。所詮は借り物の力なのか、それともやはり適性のなさが響いたのかな? 何れにしろ完全に掌握するには、まだまだ研鑽が足りなかったみたいだ。詰めが甘かったかな、これじゃルルーシュくんのことは言えないね。でも私だって頑張ったんだよ。そうだ、廃人にならなかっただけ良かったじゃないか。そうだよ、ふふっ」

 

「あの……(頭)大丈夫?」

 

 何やら危険な単語が聞こえてきたんだけど、もしかして危ない系の人なのかな?

 

「うん? 全然オーケー問題ナッシング。でもその気遣いにはサンクスと言っておくよ」

 

 テンパッているのか言語能力に障害が発生しているように思われるが、ここは空気を読んで突っ込まないのが正しい対応だろう。決して扱いに困ったという理由じゃないが、ここは取り敢えず話を進めるべきだと思う。

 

「……貴女は?」

 

 『私』が私をリリーシャと定義する以上、私が『私』をリリーシャと呼ぶわけにはいかないだろう。彼女なりに意味があるはずだ。いや、絶対にダメというわけではないが、それでもややこしくなるので止めておくことにする。

 

「そうだね、神でも悪魔でも魔女でも好きに呼ぶと良いよ」

 

 嗚呼、どうも『私』は頭に『ち』が付く面倒な病を発症しているらしい。外見年齢から察すると発症はまだ先なんじゃないかと思うけど、果たしてあの病は低年齢化しているのだろうか?

 それともこう見えて実はロリババァ────

 

「今、何か不快感を感じたんだけど、失礼なことを考えていなかったかな?」

 

 『私』の目がスッと細まり、剣呑な光を放つ。

 同時に彼女の周囲に、どこからともなく毒々しい黒蝶が出現する。

 

「ううん、別に何にも」

 

 おっと危ない、なかなか勘が鋭いようだ。

 でも魔女だ何だって呼ぶと、私まで例の病を発症したみたいじゃないか。はぁ、でも話を進める為には仕方ないね。

 

「じゃあ、妖精さん」

 

「ッ!?」

 

 ちょっと何だい、その顔は?

 そんなに嫌そうな表情を浮かべなくてもいいじゃないか。見た目は可愛いというか麗しいんだから似合うと思うんだ。

 妖精さん(笑)

 我ながらベストチョイスだと自負しよう。

 ただ『私』を褒める私、果たしてこれはナルシストになるのかな?

 

「それはちょっと……私のキャラじゃないよ。そうだね、私の事はL.L.とでも呼んでくれないかな?」

 

 嫌がるなら最初からそう言えばいいのに。

 まったく、これでは両者共に傷を負っただけじゃないか。

 しかしL.L.とはこれはまた……。

 まあ本人が納得している以上、指摘するほど野暮じゃないけど。

 

「分かったよ、L.L.たん」

 

「……殺すよ?」

 

 出来る出来ないの問題じゃない。あの目は間違いなく殺る気だ。

 おおっ、背筋が寒くなる。

 

「こほん……それでL.L.、貴女の目的はなに?

 私は自分が置かれている状況を把握できないけれど、こうして別人格同士が顔を合わせる程度には異常だって理解できる。

 さっき貴女の口から零れた話を聞く限り、この状況には十中八九、貴女が関与しているんだろ? 尤も貴女の思惑通りの結果とはいかなかったようだけど」

 

「私の目的が何か、それを語り始めるとすごく長く、具体的には歴史超大作に匹敵するんだけど良いかな?

 そう、ことの始まりは────」

 

「いや、要点だけでいい」

 

「むぅ、つれないね……」

 

 長くなると前置きされれば誰だって同じ反応をするはず。

 私としては現状を把握する事が何よりと先決だ。L.L.の話に興味がないわけではないので、後日ゆっくり語ってもらえばいいだろう。

 

「私と契約しよう、リリーシャ」

 

「……契約?」

 

 その単語から悪徳商法の香りがするのはどうしてだろう。

 宗教にも絵画にも健康食品にも美容器具にも興味はないし、連帯保証人の欄に判を押すつもりもないんだけど。

 

「そう、契約だよ。

 えっと…確か……、これは契約。力を上げる代わりに私の願いを一つとは限らないが叶えてもらう。契約すればお前は人の世に生きながら、人とは違う理で生きることになる」

 

 はいはい、厨二厨二。本当にありがとうございました。

 しかし何だろうね、この小芝居。自分と同じ姿でやられると、見ていてこっちが居たたまれなくなるので正直止めて欲しい。私の羞恥心は正常に起動してるんだから。

 

「異なる摂理、異なる時間、異なる─────ああ、もう面倒だね。

 私と契約して魔法少女になってよ♪」

 

「…………」

 

 まあ途中で投げ出すのはまだ良いとしても、その結果が魔法少女って……。確かに妖精さんとは呼んだが、幼気な少女を魔法少女へと斡旋するマスコット的な生物にはなって欲しくなかったよ。

 

 長い沈黙が訪れる。

 ラジオ番組だったら確実に放送事故だ。

 

「あの……何か反応が欲しいところなんだけどね」

 

 さすがにL.L.も若干戸惑っている様子。

 私の場合その比ではないが。

 

「え……ああ、ごめん。こんなにも病んだ人格を生み出すに至るなんて、どんな虐待を受けてきたのか戦々恐々としていたよ」

 

 だってそうだろ?

 解離性同一性障害を発症するだけでも特殊な環境下に置かれている証拠なのに、よりにもよってこんな痛いもとい可哀想な人格を生み出すなんて普通の虐待ではないだろう。

 尤もそれは私を主人格とした場合の考えであり、L.L.が主人格だったなら……。うん、この世には色々な人間が生きているんだから問題ない。きっと彼女も辛い現実を目の当たりにしてきたんだろう、という事にしておこう。

 

「強ち間違ってもいないから否定しづらいよ」

 

 そう言ってL.L.は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 

 ふむ、どうやら虐待を受けていたのは事実のようだ。

 だが記憶の曖昧な私にとっては残念ながら他人事のようにしか思えない。

 

「契約内容を要約すれば、力をやるから願いを叶えろと? まるで悪魔の契約だね」

 

「言ったはずだよ、神でも悪魔でも好きに呼んで欲しいって」

 

「妖精は駄目だったけど?」

 

「……うるさい」

 

 私の言葉にL.L.は恥ずかしげに俯く。

 何だか頑張って大人びようとしている子供みたい──いや外見年齢的には間違いなく子供か──で可愛いね。

 でも弄り甲斐がありそうだと思ったのは内緒にしておこう。

 

「良いよ、契約しよう」

 

「本当に良いのかい?」

 

 L.L.が意外そうな表情を浮かべる。

 

「良いも悪いも私には選択権がないみたいだからね。どうせ私が首を縦に振らない限り、この世界からは出られないんだろ?

 それに私も力に興味がないわけじゃない。使ってみたいのさ、魔法の力をね、ふふっ」

 

 

 

 ある日、彼女が偶然手にしたのは魔法(破壊)の力。

 襲い来るギアス嚮団の魔の手。

 明かされる出生の秘密。

 必殺のハドロンバスター、殲滅のハドロンブレイカーが悪を、あとついでに正義も撃つ!

 

「王は一人で十分だよ。そう私だけで、ね?」

 

 新番組 唯我独尊系魔王少女マジカルリリーシャ☆ミ

 始まり─────ません!

 

 

 

「いや、確かにそのつもりだったけど……取り敢えず魔法云々に関して忘れてくれるかな? 何で今更……」

 

 ああ、やっぱり恥ずかしいよね、一度スルーされたネタを持ち出されるのは。

 これが時間差攻撃だ。

 

「やだ」

 

 私はベッドを抜け出し、えも言えない表情のL.L.の下へと歩み寄る。

 

「私は自分が置かれている状況を全くと言っていいほど理解していない。自分の事さえも曖昧だから。

 それでも私にできる限りのことは尽力するつもりだよ。リリーシャ・ヴィ・ブリタニアの名に恥じないようにね。

 だから─────」

 

 L.L.に向け、私はそっと右手を差し出す。

 

「ふふっ、本当に頼りになるね、キミは」

 

「ああ、そうさ。だって私は『(リリーシャ)』なんだから」

 

 そう、彼女の願いは私の願いでもある。

 ならば躊躇う理由はない。

 L.L.が伸ばした手を私はしっかりと握りしめる。

 結ばれる契約。

 

「これで私たちは一つだ」

 

 自然と浮かぶ笑み。今度は媚びを売ったりしない。

 L.L.相手に売る必要はなく、無駄なことはしない主義だ。

 そのはずだったんだけど……。

 

「っ」

 

 刹那、L.L.は僅かに頬を染めて視線を逸らした。

 おやおや、果たして何が彼女の琴線に触れたのだろう。

 ん、ああ、あれか。つまりは彼女もナルシストなのか?

 あれ、彼女『も』?

 私は違うよ? いや本当に違うよ?

 だって『俺』は────俺?

 

 

 

 覚醒する偽りの姫君。

 誘うは黒纏う魔女。

 結ばれたのは歪な契約。

 蝶舞う園で眠る魔王の目覚めは遠い。

 

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