生まれ育ったアリエス離宮を離れる事となった私は今現在、荷造りとそれに伴う身辺整理をしていた。
同腹の兄妹達と共に日本へ留学。
もちろんそれは対外的な話。
后妃であり最大の庇護者だった母親を暗殺によって喪い、あまつさえ祖国の最高権力者たる父親に宣戦布告してしまった『私』。
それに対する報復が極東の島国に文字通り島流しというわけだ。
最重要エネルギー資源=サクラダイトの分配を巡り、外交上の対立関係にある日本へと送られる事実が、何を意味しているか推し量る事は容易い。
人質や貢物程度ならまだ良いが、開戦の為の生贄という線も考えられるから困ったものだ。まあ、宗教にうるさい中東や治安の悪いアフリカ諸国に送られないだけマシとしよう。
などと詮無きことを考えつつ、無言で手を動かす。
広い部屋だが整理整頓が行き届いている。いや、単に物が少ないだけか。
備え付けられている最低限の調度品と生活必需品を除けば、私物と言えるのは書棚とそこに収められている書籍。後は少し型の古いノートPCぐらいだ。
書籍類は持ち運びに不便だし、ほとんどの内容は記憶している為、この部屋に残しておく。
ノートPCに関しても向かう先で使用する予定はないし、そもそも必要なら現地で最新型を購入すれば良いだろうと考え処分することにした。
日本最大にして世界有数の電気街=アキハバラには私も興味はある。一度脚を伸ばしてみようと観光マップも──アキハバラだけでなくヨコハマやキョウトなど有名都市を含めて──購入済み。抜かりはない。
これは完全に余談だが消去ソフトを使用しても、専門家の手に掛かればハードディスク内のデータは意外と復旧できるため、物理的に破壊するか高圧電流を流す事をお勧めするよ。溶かすという手もあるが環境に悪そうだからね。私の場合は何故か室内に高電圧のスタンガン──それ以外にもナイフや怪しい薬瓶もあったけど──が存在していたから後者を選んだ。
閑話休題。
故に荷造りといっても最低限の身の回り品と衣類だけで、スーツケース一つに収まる程度の作業だろう。
床に広げたスーツケースに滞りなく衣服を詰めていると────
コンコンッ。
扉がノックされた。
私は作業の手を止め、来訪者を出迎える為に立ち上がる。
「どうぞ、開いてるよ」
『っ、失礼致します』
意を決したかのような声と共に扉が開き、一人の男が室内に入ってくる。
彼の名前はジェレミア・ゴットバルト、何を隠そう私専属の警護騎士だ。
その表情は険しく、思い詰めた様子だった。
「どうしたんだい、そんな恐い顔をして?」
彼は無言のまま真っ直ぐに私の前までくると、いきなり私の前に跪いた。何故だか足の指を舐められるんじゃないかと危機感を抱いたが、彼の第一声にその考えは霧散した。
「本当に申し訳ございません! 如何様な罰も受ける覚悟は出来ております。何なりとお申し付け下さい!」
そう言って彼は深く深く頭を下げる。
許しを請うのではなく罰を受け入れるという覚悟。
土下座どころか自害せんとばかりの勢いだ。
これにはさすがの私も戸惑いを抱くしかない。
「本当にどうしたんだい、ジェレミア? いや、そもそも頭を上げてくれないかな」
本来私の命に忠実なはずのジェレミアだが、今回ばかりは命に反し、深く頭を下げたまま私の問いに答えた。
「離宮に務める一軍人でありながら、むざむざと賊の侵入を許し、マリアンヌ様をお救いする事も────」
ああ、なんだ。その事か……。
記憶欠如の影響か、それとも元から親不孝者だったのか、私は母の死という事実に対して特別の感情を抱くことなく、単に事実を事実としてのみ受け入れている。人としてどうかと思う反面、感情に煩わされる事がなく好都合だと感じていた。
しかし皇族、その中でも特に母マリアンヌに対して忠義心の高いジェレミアは、彼女の死という現実が許せないらしい。
「君が謝る必要はないよ。
君の仕事は私の警護だ。こうして私が怪我一つ負っていない以上、君は責務を全うしているんだから。
それでも不服かい?」
そう、彼の当初の任務は母マリアンヌの警護であったが、今彼が従事している任務は私の警護だ。
ならば彼は罰せられるような失態は何一つ犯してはいない。
「い、いえ……ですが!」
ジェレミアは顔を上げ、逸らすことなく真っ直ぐに私へと視線を向ける。
否定しているが、不満があることは如実に顔に表れている。
「ですがそのせいでリリーシャ様は生まれ育った祖国を逐われ、遠く離れた極東の地へと渡ることに……」
「それこそ私の行動が招いた当然の結果、つまり自業自得というやつだよ」
母親という最大の後ろ盾を失いながら、この歳で高らかに宣戦布告を行うなんて当時の私、もしくは彼女は何を考えていたんだろうね。
私は問題の光景を想像し、思わず苦笑を零した。
「ならばせめて私も共に!」
「それは無理だよ、ジェレミア。先方から随伴員の受け入れは不可能とのお達しが出ているのは君も知っているだろ?
嘘か本当か、向こうが優秀なSPをつけてくれるそうだ。ならお言葉に甘えようじゃないか」
「彼の国の言葉など信用出来ません!」
日本に対する敵意を隠そうとしないジェレミア。
現状日本という国家を疎まないブリタニア軍人は居ないだろう。
背後に控える大国中華連邦と良好な関係を構築し、サクラダイトの分配権を保有する日本は、ブリタニア・中華連邦・EUが三すくみとなっている世界情勢の中心に存在している。
そしてその日本政府の頂点に君臨し、三すくみ状態を維持させている男の名は枢木ゲンブ。
私達の日本での滞在先が彼の生家である枢木神社である事から考えても、今回の日本への渡航にも彼が深く関わっている事が窺い知れる。
首相就任当時、国家の代表である首相の交代劇が続き、政治混乱にあった日本を纏め上げた切れ者であり、優れた外交力を持つ相当な狸と聞いている。
果たして皇帝陛下とどんな密約を交わしたのやら。
尤も分かり易いのは売国奴となり、私かナナリーと婚儀を結び、爵位を手にすることだろう。ロリコンの称号を与えよう。いや、確か情報では彼には一人息子が居る。そっちの線も考えられるか。
まあ、尤も当人達以外にも、血筋を重んじる反マリアンヌ勢力や、KMF開発を巡る反アッシュフォード勢力などの思惑も複雑に絡み合っていることだろう。
「確実に裏はあるだろうね。ないと考える方がどうかしているよ」
一般的な思考能力があれば大抵そう考える。
護衛どころか従者の同行さえ認めないなど裏があると語っているも同じこと。
暗殺、脅迫、懐柔、洗脳……果たしてどんな手を打ってくるのか、少し楽しみだよ。
「そこまで分かっておいでなら、それこそ私を────」
なおも食い下がるジェレミアに対し、私は諭すように告げる。
「……ジェレミア、私を困らせないでくれ」
◇
その扉を叩いた時、既に私は覚悟していた。
如何なる罰も受け入れ、この命を望まれるなら進んで首を差し出すと。
私はそれだけの罪を犯したのだ。
賊の侵入に気付かず、本来の警護対象であったマリアンヌ后妃を殺められ、その結果、現在の警護対象であるリリーシャ皇女殿下の人生を狂わせてしまう。
何故あの夜、襲撃に気付けなかったのだろうか、と意味のない自問を繰り返す。
例え答えが出たところで現実は変わることはないというのに……。
無力な自分に殺意すら覚えた。
離宮で過ごす残り僅かな時間に突然訪問したにも関わらず、リリーシャ様はいつもと変わらぬ態度で私を出迎えて下さった。
内心リリーシャ様の目を見ることが恐かった。信頼と慈愛の眼差しを向けて下さるその瞳が、失望と憎悪に変わっているのではないのかと。
だから私は深く頭を下げたまま謝罪の言葉を口にする。
しかしリリーシャ様は私の謝罪を受け入れては下さらなかった。
当然だと自覚していた。
簡単に受け入れられるものではないだろう。
この取るに足らない命で贖おうなど、何を勘違いしていたのか。思い上がりも甚だしく、慚愧に堪えない。
けれど続く言葉は予期せぬものであり、正直耳を疑いもした。
「君が謝る必要はないよ。
君の仕事は私の警護だ。こうして私が怪我一つ負っていない以上、君は責務を全うしているんだから。
それでも不服かい?」
私に非はないと仰り、さらには務めを果たしていると肯定までして下さったのだ。
驚いた私は頭を上げ、目の前にいらっしゃるリリーシャ様を見る。
聡明なリリーシャ様であるなら、御自分が置かれている立場を理解されているはず。だがその表情に怒りや悲しみ、不安といった負の感情を見ることは出来なかった。
こんな時でさえ泣き言一つ口にすることなく、私情を殺し、他者を気に掛けていらっしゃるというのか。
なんと気高く、強いお方なのだろう。
まさに人の上に立つべく存在だと改めて思い知らされた。
「ならばせめて私も共に!」
仕える主を一人死地に向かわせるなど騎士としてあってはならぬことだ。
どこまでも、そう例え地獄の果てまでも、このお方と共に歩みたいと願う。
けれど────
「……ジェレミア、私を困らせないでくれ」
リリーシャ様は呟き、儚げに微笑む。
その時、垣間見えたそれは紛れもなく、皇族として気丈に振る舞われるその仮面の下に隠されていた弱さだった。
何をやっているんだ私は……。
分かっているなら?
違う、嘆いたところでどうする事も出来ないと理解されているからこそ、ご自分の行く末を受け入れていらっしゃるのだ。
それなのに私は、何と浅はかなことを!
自分の愚かさを突き付けられ、堅く拳を握りしめる。
私は罰が欲しかっただけなのかも知れない。
くっ、それは甘えだ。
主と言えど年端も行かない少女に、一体自分は何を求めていたのか。
「申し訳ございません、出過ぎた真似を……」
再び深く頭を下げる。
「なに、簡単に死んでやるつもりはないよ。仮に死ぬとしても日本の一つや二つ道連れにしてみせるさ、ふふっ」
どこまでも軽い口調でリリーシャ様が告げる。
「ッ、死ぬなど! ……死ぬなど例え冗談でも口にしないでいただけませんか」
「ああ、そうだね。すまない」
そう応えて下さったリリーシャ様だが、その表情は未だに儚げなままだった。
「いえ……」
どうしてリリーシャ様がこのような表情を浮かべないといけないのか。
どうして年相応に笑うことが許されないのか。
こんな世界は間違っている。
それでも今、私が出来ることはない。
力なき己が身を呪う。
「力なき私めをお許し下さい。
ですが────」
いや、一つだけ出来ることがある。
ありきたりかもしれない、無価値かもしれない、自己満足かもしれない。
それでも想いを言葉にすることは出来る。
「このジェレミア・ゴットバルト、生涯貴女様の味方であり続けることをお忘れなきようお願い申し上げます」
「ありがとう、ジェレミア。そう言ってもらえると心強いよ」
リリーシャ様が笑みを浮かべる。
先ほどまでとは違い、穏やかで愛らしい笑みを。
「でもね────」
歩み寄るリリーシャ様が腕を伸ばし、私の頭部をご自身の胸へと抱き寄せる。
「一体何を!」
突然のことに戸惑い慌てるが、その腕を乱暴にはね除けることなど出来るはずもなく、結局私は為されるがままに身を委ねる事となる。
妹が知れば殺されるやも知れぬ状況だった。
いや、そもそも誰かに見られたら……まずい。
さらに焦る私の心情を知ってか知らずか、リリーシャ様は特に気に留めることなく言葉を続ける。
「私は、君には君の夢を追って欲しいんだ。
夢を語る君は輝いていた。
ナイトオブワン、それが君の目標なんだろう?
私も見てみたいよ、ナイトオブワンとして剣を取る君の姿を。そして自慢しよう。かつて君が私の隣に居たことを」
…………。
歓喜のあまり胸が熱くなる。
込み上げる想いを抑えられそうもなかった。
ああ、もはや憚る必要はない。
私はナイトオブワンとしてリリーシャ様の騎士になりたい。
それが私の嘘偽りのない願いだ。
「母亡き今、私が代わりに君の任を解こう。
ジェレミア、君の働きには感謝している。私には過ぎた忠臣だったよ」
「ッ、も、勿体なきお言葉。この身に余る光栄です」
溢れ出しそうになる涙を堪えるのに精一杯だった。
私は今ここに誓おう。
必ずや夢を実現してみせると!
◇
ジェレミアが退室し、再び静寂が訪れる室内。
私は荷造り作業に戻りながら、誰にともなく呟いた。
「これで良いのかな?」
“上出来だよ。役者のセンスがあるんじゃないかな、恐いぐらいだ”
それに応えたのは内なる声。
そう、もう一人の『私』でもあるL.L.のものだ。
「なければ皇族なんて務まらないさ」
“ふふっ、それもそうか。しかしなかなかの悪女っぷりだね”
「私は貴女の指示通りに動いただけだよ、L.L.。
つまり性格が悪いのは私じゃなく貴女の方だよ」
“これは人聞きが悪い。細かい指示は出していないし、ほぼキミのアドリブじゃないか”
呆れたと言いたげなL.L.の声を私は無視する。
「しかし本当にこの仕込みは必要だったのかい?」
“それは私でも今は分からないさ。でもいつどこで何が役に立つか分からないからね、布石は多い方が良いとは思わないかい?”
「期待を裏切られても知らないからね」
“その時はその時考えるよ。
さあ、次は────”
「分かっているよ。リ家姉妹にも頑張ってもらわないとね、ふふっ」
楽しい楽しい悪巧み。
机の上に置かれた一通の封書を一瞥し、私は作業を再開する。