コードギアス 黒百合の姫   作:電源式

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第34話

 

 6月某日 雨

 

 日本に来てから早数週間、近況に報告すべき変化はない。

 放任主義とでも言うのか、枢木家から特別干渉を受けることなく、監視の目を除けばそれなりに自由な生活を送っている。

 どれほど放任かと聞かれれば、兄ルルーシュが地元の子供から──ブリタニア人だからと言うくだらない理由で──暴力を振るわれているのに、それを見ていたSP達が止めに入ることがないぐらいにと答えよう。

 まったくあの狸は私の言ったことをちゃんと理解しているのかな? 生活環境の改善にはSP達への指示も当然含まれていたのだけど。

 幸いその場は枢木スザクの登場によって事無きを得たようだ。今度兄がお世話になったと菓子折を持ってお礼に行かないといけないね。

 

 ただ初対面時の一件がトラウマ的な物を植え付けてしまったのか、彼は私に対して露骨に距離を置いている。そんなつもりは無かったんだけど、リリーシャさんは悲しいぞ。

 まあでも同年代の女の子に泣かされかけたのだから仕方ないか。

 ああ、それと兄ルルーシュに対して暴力を振るった子供達だが、その後私が少しだけお仕置きしておいた。もちろん本当に少しだけだよ? きっと自分から好き好んで私達兄妹に近付くことは二度とないと思うけど、ふふっ。

 何れにしろこの一件で、兄ルルーシュの枢木スザクへ対する評価は上方修正されただろう。出来ればこのまま交友関係を築き、兄の初めての友人になってもらいたいところだ。

 私にとってのアーニャがそうであったように。……途中から私専属のバトルメイドになっていた気もしないでもないが、きっと気のせいだろう。

 今頃彼女はどうしているのかな?

 私の事は忘れて、自分の道を歩んで欲しいところだ。少し寂しい気もするが、それが彼女の為になるはずだから。これ以上私と関われば、きっともう後には引き返せなくなる。

 尤も彼女が選んだ道を否定する権利を私は、いや誰も持ち合わせていないのだけど。

 

 などと詮無きことを考えつつ、ふと縁側の外に見える庭に視線を向ける。本邸のように鯉の泳ぐ池があるわけでもなく、規模も比べものにならないほど小さな物だが、熟練の庭師の手によって整えられている。

 ブリタニア式の色鮮やかに花咲き誇る庭園も良いが、こうした閑寂な趣きのある日本式も悪くはない。

 けれどその庭も今は降りしきる雨の中でぼやけている。

 梅雨真っ盛りだね。ちなみに梅雨の語源だけど調べてみると諸説あるようだ。

 そもそもは中華連邦から伝わって来た言葉らしく、梅の実が熟す時期に降る雨という説が一般的だが、元々はカビの季節でもあることから黴雨と呼ばれていた。しかしながら語感が悪いため、同じ読みの梅雨に改められたという説。

 また毎日のように雨が降ることから梅の字が当てられたとする説もある。

 日本人がバイウをツユと呼ぶようになったのは江戸時代のことで、「露」が由来となっている説や、梅の実が熟して潰れる時期という意味を込めて「潰ゆ」に由来する説などがある。

 

 閑話休題。

 何れにしろ、長く続く雨に憂鬱な気分になる。気象庁の発表では、よりにもよって今年の梅雨は例年よりも降水量が多いらしい。

 齎される大量の湿気のせいで、髪のセットにも普段以上に時間を取られてしまうのも煩わしいところだ。除湿器ぐらい用意して欲しいところだけど、さすがにそれは高望みだろうね。

 やはり短く切るべきだろうか?

 幸い髪を短くする事に反対するユフィやアーニャも居ないことだし、次に彼女達と再会するまでには伸びているはずだ。

 よし、今度──いつもナナリーの髪の手入れをしている──兄くんに頼んでみるとしよう。

 

 だがしかし、私を悩ませているのは、何も日本特有のうっとうしい季候ばかりではなかったりする。

 何故だか目の前の光景、また出来事に抱く酷い既視感(デジャヴ)が追い打ちを掛ける。

 いや、実のところこの日本の地を踏んだ時から、少なからずそれは感じていたのだけど。

 初めて見たはずの景色、初めて聞いたはずの会話、初めて巡らせたはずの思考。

 だけどその全てを知る私が居る。

 既に一度体験したかのような錯覚を覚えた。

 

 まるで壊れかけのハードディスクから、無理矢理吸い上げた断片的なデータとでも表現すればいいのか、それらは私の意思とは無関係に脳裏をチラつく。

 自分ではない第三者の記憶を追体験しているようで気持ち悪いと感じる一方、懐かしさ、そして愛おしささえ感じてしまう自分が居るのだから始末に負えない。

 誰かの記憶の残滓が何かを訴えかけている、などとロマンチシズムに浸ってみるが、果たしてそんなことはあり得るのだろうか?

 私の思考や記憶、また感情は私──リリーシャ・ヴィ・ブリタニア──だけのモノだ。

 故にやがて収まるだろうと高を括っていた──その実一過性のものだと思いたかったのだけど──が期待は裏切られ、時は解決してくれはしなかった。

 

 いや、悲観するのはまだ早いか。それでも少なくとも、もうしばらくは様子を見つつ、付き合わなければいけないみたいだね。

 原因は皆目見当がつかない……というのは嘘だ。記憶の上書きなんて単語を口にしていたL.L.は、今回の件に関して少なくとも私より状況を理解しているに違いない。

 尤も訊いたところで望むような応えが返ってくるとは思えないけれど。

 逆転の発想でこの状況を利用できればいいが、なかなかに難しい。未来予知と呼べるほど、先の展開を知ることが出来れば話は変わるのだが……。ふふっ、あまりにご都合主義だね。

 

 苦笑を零しつつ、私は視線を前へと戻した。

 視界に映る古めかしい畳の部屋。机の上に広げられた教材、それを挟んで対面に座る妹=ナナリーの姿。

 

「どうかな、ナナリー。理解できた?」

 

「いえ……それが」

 

 私の問い掛けに対し、ナナリーは申し訳なさそうな表情を浮かべて言葉を濁す。

 

「う~ん、まだ少し早かったかな? 仕方ない、もう一度基礎の復習から始めようか」

 

「ご、ごめんなさい、リリーねぇさま」

 

 叱責を受けると思ったのか、酷くビクついた様子のナナリー。

 そんな彼女の髪を私は壊れ物を扱うかのように優しく撫でた。

 触れた瞬間、彼女はびくりと肩を震わせて身体を強張らせたが、害意が無いと気付いてくれたのか、次第に身体から力を抜き、私を受け入れ身を任す。

 

「焦る必要はないよ。時間はたっぷりとあるんだから、ゆっくりやっていこうか。大丈夫、ナナリーならきっとすぐに出来るさ」

 

「でも……ごめいわく、ですよね?」

 

「ふふっ、迷惑なんてとんでもない。ナナリーと過ごすこの時間は、私にとっても無益なんかではないからね。

 それにこんな時だからこそ、私達は手を取り合うべきなんだよ。違うかい?」

 

 優しく言い聞かせるように私は告げる。

 

 ピュアリリーシャ爆誕、などという事は決してない。

 私らしくない言動だと自覚しているが、もちろんこれも思惑があっての行動だ。

 将を射んと欲すればまず馬を射よ。

 つまりは兄ルルーシュとの関係改善のために、ナナリーを懐柔しようというのが狙いだったりする。彼女を味方につければ、あの兄ルルーシュも折れるしかなくなるだろう。

 尤もその成否はあまり重要ではなく、こだわりもない。少しでもこの日本での生活を快適に送りたいが為の私の我が儘だ。

 来るべき日が来れば、例え関係改善が出来たとしても、それは一時の幻となるだろうからね。

 

「何をしている、リリーシャ!」

 

 と、姉妹の触れ合いタイムを邪魔する無粋な声が室内に響く。

 声の主に向けた視線の先、当然そこに居るのは兄ルルーシュだ。

 過保護すぎる我が兄は、自分が留守の間に最愛の妹に接触したことが、甚く気に食わない様子。

 しかし手に夕飯の材料が収められた買い物かごを下げての登場だから妙に締まらない。

 自分達の事は自分達ですると啖呵を切り、枢木家が用意した世話人を断った兄は家事スキルを磨く一方、ポイントカードが使える店や、広告と睨み合い一円でも安い店を探し回っている。もう本当に主婦だね。

 有り難いことに険悪な関係ながら私にも作ってくれる料理の腕は、日を追う事に確実に上達しているらしく、日々のささやかな楽しみとなっていた。

 私への施しはやはり枢木ゲンブからこの離れ家をもぎ取り、住居を土蔵からランクアップさせたことが大きく影響しているに違いない。我ながら良い仕事をしたモノだ。

 もちろん彼の行動には全て、ナナリーの為だという決まり文句が頭に付くのだろうけど、ご相伴に与れるなら不満はない。

 え、私? もちろん手伝っているよ。食器を並べるだけじゃないかって? 失礼だね、残念だけど一通りの家事はできるさ。

 料理だってカロリーや栄養バランスを考えて作れる。それが美味しいかどうかは個人の味覚次第だけど、誰だってセシルよりはマシなものが作れるだろうね。

 

 さて、取り敢えず家事の話は今は置いておこう。

 枢木ゲンブの計らいで兄妹仲は一歩改善されてはいるが、兄ルルーシュは自分の目の届かない所で、私がナナリーに近付くことを許してはいない。

 いや、多分それは全ての人間に言えることだ。

 その根底にあるのは失う事への恐怖か。

 

「何って見て分からないかな?」

 

 やれやれと肩をすくめながら、兄ルルーシュの視線を机の上、そこにある点字の教材へと促した。

 それを見て、彼は心底意外だと言いたげな表情を浮かべる。

 

「これからのナナリーには必要なことだよね?」

 

 尤も失明の原因が精神的なものである以上、完璧にマスターするよりも早く、ナナリーが視覚機能を取り戻す可能性もゼロではないが、福祉技能を習得するという意味において無駄という事もないだろう。

 手に職とまではいかなくても、いずれ役立つ可能性はある。

 

「確かにそうだけど……」

 

「ああ、購入費を気にする必要はないよ。君が嫌うお父様からの施しではなく、私のポケットマネーから捻出したからね」

 

 今回の表向き留学に関して、私達の生活費の名目でブリタニア側から相応の費用が日本政府、もしくは枢木家に支払われている事実は調べるまでもない。

 つまりこうして別段不自由のない暮らし──例え土蔵で暮らしていたとしても飢餓感を感じることは無かっただろう──を送れるのは、間違いなく皇帝陛下の恩情によるものだ。

 だがあの日、謁見の間で自分が何ら力を持たない無力な子供、そして生きた屍だと思い知らされた兄ルルーシュにとって、それは間違いなく屈辱だった。

 生贄や人質と言った立場ではなく、また労働基準法を無視できるなら、自分達の生活費は自分で稼ぐぐらいのことは思っていることだろう。

 でもそれは現実的に考えて不可能。そこで思い付いたのが、経済的なものを除いた自立だったに違いない。世話人を断わり、他者の手を借りることを拒むのは、暗殺や薬物の混入といった杞憂から身を守る以前に、皇帝陛下に対する反発が齎したささやかな抵抗の顕われというわけだ。

 

 まあ、その気持ちを理解できなくもないから、今回私は身銭を切った。もし皇帝陛下から与えられた生活費で購入したと知ったら、きっと拒絶反応を起こし、無駄に話がこじれるだろうからね。

 幸いなことに別人の名義を使い、事前に日本のメガバンクに開設してあった預金口座はまだ生きていたよ。

 といっても同じように少々違法な手段で開設した他国の預金口座とは違い、残高はお小遣い程度。調べてみたが日本国債の購入や国内の株式投資に使用した形跡は皆無だった。

 もちろんその理由には上場企業の多くが、古くから日本経済を牛耳る財閥のグループ傘下に属している。そしてグループ内の企業同士が株式比率51%以上を保有し、絶対多数を堅持しているため、投資家の間であまり活発な取引が行われていない。

 つまり利益を得にくいということもあるだろう。

 ただブリタニア国内の軍事関連株を早い段階から購入している事から考え、かつての私──もしくはL.L.──は帝国の侵略の手が日本に伸びることも読んでいたのかも知れない。

 いや、もしかすれば私達がこうして日本で生活する事すら予測し、必要最低限の活動資金を残していた、というのはあまりに飛躍した考えか。

 

「だけど今のナナリーにとって最も重要なのは、まず傷を癒すことのはずだ。焦ってやる必要なんかどこにもない。身体も心も万全を期して、それからでも遅くないだろ!」

 

 兄ルルーシュの反論も理解は出来る。

 しかし私達の置かれている状況は、それを許さない。

 

「もちろん出来ることなら、それが一番良いだろうね。心が癒えれば視力を取り戻す可能性だって見えてくる」

 

「だったら────」

 

「でも時間は有限だよ? 今はまだいいけど、四六時中片時も離れないなんて現実的に不可能だし、やがて不測の事態が起きて引き離されるかも知れない」

 

 いや、確実に起きる。

 ブリタニアによる宣戦布告、枢木ゲンブによる暗殺決行、はたまた日本と中華連邦の同盟破棄による軍事衝突、それに地震大国日本では自然災害という理由も考えられるか。

 何れにしろ私が自ら動かなくても、少なくとも数年以内にこの国を揺るがす出来事が、確実に起きると考えて間違いない。

 その結果、今の生活を維持することは不可能となるね。

 

「その時、甲斐甲斐しく世話をする君が傍に居らず、君に頼ることしかできないナナリーだったなら、迎えるべき結末は自ずと見えてくる。私が何を言いたいか、賢いお兄様なら分かるよね?

 ああ、それとも兄くんはナナリーを籠の鳥にしたいのかな?」

 

 当然したいんだろうね。

 妹想いの理想的な兄という仮面を身に付け、健気で心優しい純真な妹を自分という檻の中に閉じ込める。

 

「っ、違う! 僕はただ、ナナリーの為を想って言っているんだ!」

 

 反論する兄ルルーシュに対し、私は内心「ナナリーの為、ね」と嘲笑ながら、ただ無言で微笑みだけを返した。

 

 ナナリーの為、それは嘘偽りなく兄ルルーシュの根底に存在しているだろう。

 もし相応の力があれば、彼女を守る為なら世界を敵に回すぐらいのことはするんじゃないかな。

 事がナナリーに及ぶと、途端に視野狭窄に陥るんだから困りものだね。

 でもきっと、それは麗しの兄妹愛などではないと私は気付いているよ。

 彼を突き動かすのは後悔と自責の念が生み出す、途方もなく強い罪悪感。

 

 皇帝陛下に喧嘩を売り、皇位継承権を放棄した行動は、その後の事などまるで考えていない浅はかな子供の癇癪だった。

 皇族が死と隣り合わせであった事実は、ブリタニアの歴史を紐解けば一目瞭然だ。

 ただそれを理解し受け入れる事は普通の子供にはまず無理だろうから、仕方がないと言えば仕方がないのだけど。私ぐらい異常なら……よそう、これは自虐だね。

 結果、捨て駒として日本へ送られる事となる。自らが起こした行動の結果であり、抗う力を持たない以上、それを受け入れるしかない。

 しかし、自分だけでなく最愛の妹まで祖国を追われることになるのは、兄ルルーシュも予見できなかったに違いない。

 もし自分が感情の趣くまま不用意な行動を起こさなければ、ナナリーはブリタニアの最先端医療技術による治療、またリハビリを受け続ける事ができ、後遺症のリスクを最小限に押さえる事が可能だったのではないか。

 彼女のためを想っての行動は、逆に現状よりも良い未来へと続く扉を閉ざしてしまったのではないか。

 自らの行動の正当性に対する疑念は、日に日に大きくなっていったであろう事は容易に想像がつく。

 故にナナリーを守る事は最早彼にとっての義務であり、ある種の強迫観念の域に達してしまっているのだろう。

 尤も傍目から見れば、それは自己満足の代償行為。自分の弱さを、善意を押し付けているだけに過ぎないが。

 

 ところで兄ルルーシュはナナリーを守る事と甘やかせる事は、全く別の話だといつ気付くのだろうか?

 その過保護さは他者に甘える事が当然という認識を植え付け、彼女の自立意識を奪う事に繋がる。

 また兄の求めに応じ、見捨てられることなく寵愛を得続ける為に、いつしかナナリーは健気で心優しい純真な妹の仮面を身に付ける事になるだろう。

 兄妹仲が良いのは決して悪い事ではないが、その先に依存、または共依存の関係が待っているのは目に見えている。

 でも兄ルルーシュの意識改革は難しいのだろうね。どうにもその原因には私が深く関わっているようだし。

 

「ナナリー、お前だって本当は嫌々やっているんだろ?」

 

 私の態度から説得、論破が無理であること悟った兄ルルーシュは、対象をもう一人の当事者であるナナリーに変える。

 彼女なら自分の想いを理解してくれるはずだと信じて。

 けれどナナリーは首を横に振り、その愛らしい小さな口から紡がれた言葉は、彼の望みとは逆のモノだった。

 

「違うんです、お兄様。これはわたしの意思でもあるんです」

 

「ナナリー、どうして……」

 

「お兄様たちのご厚意に、いつまでも甘えるわけにはいきませんから」

 

 肩を落とした兄ルルーシュに対して、ナナリーは諭すように微笑みを浮かべる。

 おやおや、ナナリーの方がよほど大人だね。できればその向上心は忘れないで欲しいよ。

 兄くんも少しは見習ってもらいたいかな。

 などと考えながら、気付けば私の手はナナリーの頭を撫でていた。

 くっ、ナナリー、恐ろしい娘。

 

「というわけで兄くん、邪魔をするなら夕飯の準備にでも取りかかってもらえないかな? 今日も美味しい料理を期待しておくから」

 

「……ああ、分かったよ」

 

 敗北感を感じながら兄ルルーシュは部屋を後にする。

 最愛の妹の意思を尊重しないわけにはいかず、ここは引き下がるしかないだろう。

 

「……リリーねぇさま」

 

 ナナリーが不安げな表情を浮かべて私の名を呼ぶ。

 

「ん? 大丈夫、分かっているよ。兄くんはナナリーの事が大好きで仕方がないんだろうね。尤もそれでこそ兄くんらしいってところかな。少し羨ましいよ。

 さて、そんな兄くんの為に頑張ろうか、ナナリー? ああ、お医者様の許可が出たら、脚のリハビリも始めるとしよう」

 

「はい。でもわたしが頑張るのはお兄様のためだけではありません。こうしてわたしの事を気に掛けて下さるリリーねぇさまに、いつか恩返しができればって思っているんです」

 

 その言葉に私は驚きを隠せなかった。

 いつの間にここまで好感度が上がっていたんだろうか?

 

「ふふっ、その時を楽しみに待っているよ」

 

 ほんと私には勿体ない妹だね。

 無垢で、健気で、ほんと壊したくなるよ。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 8月某日 晴れ

 

 夏真っ盛りのこの季節、朝も早くから蝉がせわしなく鳴いている。安眠妨害も甚だしいと思うよ。ブリタニア本国よりも湿度が高いため、肌に纏わり付くような暑さを感じるのも煩わしいね。

 思わず扇風機の前を陣取り「あ~」と叫びたくなる。実際にはしないよ?

 

 季候以外の近況報告をしようか。とは言っても私に関しては、妙な既視感に悩まされなくなった事ぐらいだね。日を追うごとに増していた既視感だったが、今となっては過去の事。

 やはり理由は分からないが、時間の経過と共に薄らいでいき、やがては何も感じなくなった。敢えて理由付けるとすれば、私の中にあった第三者の記憶と相違点が増えたからではと考えられる。

 尤もそれが正しいのか判断する術はないが、果たしてその変化は何を意味しているのだろうか。

 気にはなるが、答えの出ない自問を繰り返していても意味はない。

 となれば語るべきは、やはり兄妹達の話になるね。

 

 地元の子供達の暴力から救われて以降、反発しながらも親交を深めていった兄ルルーシュと枢木スザクだが、迷子になったナナリーを一緒に探すというイベントを経て、晴れて友達になったようだ。

 やったね、兄くん。初めての友達だよ。と、思わず我が子の成長を喜ぶ親の気持ちになってしまったよ。

 今では兄ルルーシュの買い物に枢木スザクが同行したり、本来インドアな兄を野山に連れ出して遊んでいる。出会いはアレだったが、ナナリーもすっかり枢木スザクの事を気に入ったようだ。

 枢木家の跡取りである彼が傍に居てくれれば、日本人から理不尽な暴力を振るわれる可能性は格段に低くなるだろう。

 ただ、私に対する枢木スザクの態度は依然素っ気なく、あまり視線を合わせてはくれない。

 この前、顔を両手で掴んで無理矢理視線を合わせようとしてみたのだが、顔を赤くして怒られた。何もそこまで怒る事はないのに。私の美貌にやられたかな、なんてね。

 

 さて、その三人だけど、彼等は今日海に出かけている。日本人にとって夏と言えば海のイメージが強いらしい。本来、生贄である私達兄妹を枢木家の影響範囲外に出したくはないだろうが、枢木スザクが我が儘を通したようだ。

 尤も事故に備えた保険として、誰か一人は残らなければならない。そうなれば話の流れからしても、枢木ゲンブとの交渉相手である私が留守番となるのは当然のことだろう。

 いつもとは違う景色を見る事が出来るのは少々魅力的だったが、海自体にはこれと言って興味がないため問題はない。母なる海には悪いけど、海水も潮風もべた付くからあまり好きじゃない。

 

 ただ、一人部屋の中でゴロゴロしているのも味気なく思い、私は枢木神社の敷地内にある森の奥へと足を踏み入れる。

 目的の場所に存在する小さな溜め池。溜め池といっても常に渓流が流れ込んでいるため、水が濁っている事もない。

 池の畔にある岩に腰を下ろし、素足を水面に浸ける。岩の周囲はちょうど木陰が生まれ、涼を求める私は度々この場所を訪れていた。

 周囲に人の気配はなく、吹き抜ける風が揺らす木の葉のざわめきと、蝉の鳴き声だけが場を支配する。

 一人のんびりと自然を満喫するには打って付けの場所だった。

 監視の目はどうしたって? ただでさえ兄ルルーシュ達に人員を割き、手薄となった監視の目を掻い潜るなんて楽勝だよ。

 もちろん通常の監視体制でも彼等を振り切る事は容易いが、報告を受けている枢木ゲンブは特に何も言ってこない。自殺や逃走の危険性が低いため、枢木神社の敷地外へ出なければ一定の自由は与えてくれるようだ。

 どうせ山狩りでもすれば、すぐに居場所は知れるだろうしね。

 

 足をバタつかせて水を跳ね上げる。

 ああ、水着を用意してくれば良かったかな。残念ながら、さすがに全裸で泳ぐほど羞恥心は欠如していない。

 などと揺れる水面を見つめて考えていると、ガサガサと草木が揺れた。

 自然と視線が音の方へと向く。

 そして茂みから現われた一人の少女と目が合った。

 黒く長い髪、巫女装束を身に纏った小柄な少女。外見年齢から考えて私よりも年下だろう。

 彼女はまるで恐ろしいモノを見たかのような表情を浮かべていた。

 その反応は少し失礼じゃないかな。

 

「こんにちは、お嬢さん。こんな場所で人と出会うなんて奇遇だね。道にでも迷ったのかな?」

 

 取り敢えず私はフレンドリーに声を掛けてみた。

 客観的に考えれば、こんな森の奥に私ぐらいの年齢の子供が一人で居れば、相手も怪訝に思うだろう。

 

「お前は……鬼か?」

 

「鬼?」

 

 少女の言葉に私は首を傾げた。

 鬼、つまり日本のゴブリン。もしくは恐ろしい姿をし、人間に祟りを齎す化物の総称。

 鬼と呼ばれるのは初めてだよ。えっと……彼女から見た私の姿は、一体どんな風に見えているのだろうか?

 

「おじいちゃまから聞いた。お前は鬼じゃな。神楽耶をどうする気じゃ、さらうのか?」

 

「攫うね、私に幼女趣味は無いんだけど」

 

 悲劇のヒロインのつもりなのかな? ごっこ遊びという雰囲気ではなく、結構本気で言っている様子。

 おじいちゃまと呼ぶ人物から聞かされた話を、疑うことなく信じ込んだ純真な子供なんだろうけど。何だろう、このどこ無く感じる厨二感は。

 そういうのは身内だけで十分なんだけどね。

 

「子供を食べるというのは本当なのか? 神楽耶も食べられてしまうのか?」

 

「いくら私が異常と言っても、さすがに人肉嗜食(カニバリズム)なんて嗜好は持っていないよ」

 

「何じゃ、怖がって損した」

 

 少女はほっと安堵の表情を浮かべる。

 その顔に私の加虐心が顔を覗かせた。

 

「人を食ったような事はするかも知れないけどね、ふふっ」

 

 途端少女は脅えたように青い顔で後退る。

 本当に表情豊かな娘だね。

 

「か、神楽耶を食べたら皇家の者が黙っておらぬぞ!」

 

 虚勢を張って少女が告げた。

 同時に明らかになる少女の素性。

 

 皇神楽耶。なるほど、日本を代表する財閥の一つ、家の格ではあの桐原をも凌駕する皇家の人間か。世間知らずな箱入り娘でも頷ける。

 確か枢木スザクの従妹に当たる少女で、祭りや儀式のしきたりを習うために数日枢木家に滞在すると耳に挟んだ事がある。

 となればおじいちゃまというのは皇家とも親交があり、彼女のお目付役とも噂される桐原泰三の事か。

 これは本当に珍しいお客さんだ。

 

「冗談だよ、君を食べたりなんかしないから安心すると良い。鬼は嘘を吐かないから」

 

「そうなのか? う、嘘だったら承知せんぞ! 神楽耶は皇家なんじゃからな!」

 

 家の名を振り翳すとは何とも子供らしい。

 その名が力を持つ事は知っていても、力の使い方は理解していないんだろうね。

 ふふっ、もしかしたらこの出会いは、良い子にお留守番をしている私へのご褒美なのかな。

 

「はいはい、それで皇家のお姫様がこんな所で何かしているのかな?」

 

「……逃げてきたのじゃ。神楽耶はもう舞いを舞ったり、鈴を振ったり、訳の分からないおまじないを読むのは真っ平なのじゃ」

 

 つまりは神楽や祝詞の稽古から逃げてきたという事か。

 

「嫌だったら止めたらいいじゃないか」

 

「え?」

 

「やりたくないんだろ?」

 

「それは出来ぬ……、神楽耶は皇家じゃから」

 

「そう、分かっているじゃないか。それは君が皇の人間である為の義務だ。力を持つための代償としては、むしろ安いぐらいだね」

 

 そう、実体験としては覚えていないけれど、私には力を得るために過ごした過酷な日々の記憶がある。

 思い出したくもない嫌な記憶に胸が痛みを訴える。

 出来るものなら代わって欲しいぐらいだよ。

 

「何の対価も犠牲も払うことなく、力だけを享受し、行使しようなんて虫が良すぎるとは思わないかい?

 君はまずその生まれに感謝するべきなんだよ。どれだけ望んでも一握りの人間しか辿り着く事が出来ない立場に、この世に産まれた瞬間に立つ事を許されたのだから。

 そして改めて知ると良い、君が得る力がどれ程の価値を持ち、何を為す事が出来るのかを」

 

「私の……力……?」

 

 神楽耶は自らの手に視線を落として呟く。

 

「力を得るにしても、手放すにしても覚悟が必要な事に変わりはない。

 だけどもしその上で同じ戯れ言を吐く事が出来たなら、その時は私が殺してあげるよ」

 

 私は微笑みながら彼女に対して殺気を向ける。

 世間から隔絶され育てられた彼女が、今まで一度も味わった事のないような激しい負の感情を。

 

「ひっ」

 

 堪らず悲鳴を上げ、瞳に涙を溜めて神楽耶は身体を震わせる。

 まるで鬼に呪いを掛けられたかのように。

 

「さあ、もう帰った方が良い。怖い鬼の気が変わらない内にね」

 

 そう言って私が殺気を霧散させると、彼女は逃げるように茂みの中へと戻っていった。

 きっと彼女が滞在中にこの場所を訪れる事はもう無いだろう。

 さすがに今回の件が知られれば枢木ゲンブから苦言の一つでも頂戴するかな。それとも妖怪が自ら動くか。

 

 しかし楽しみだね。

 日本最高位の皇家の実質的な跡継ぎ。

 今のままでは矜恃も覚悟もない子供。私の言葉を少しでも理解し、使える人間に育ってくれれば、例え相対したとしても面白い。でも期待はずれだったなら、その時は遠慮なく有言実行させてもらおうかな。

 未来に思いを馳せながら水から足を上げ、用意していたタオルで拭いて靴を履き直す。

 そして────

 

「ねえ、君はどう思う?」

 

 不意に私は問い掛ける。

 けれど答える声はなく、変わる事のない蝉の声だけが響いていた。

 それでも私は続ける。

 

「早く出てきてくれないかな。居るはずのない人間に声を掛けるなんて、まるで私の精神がおかしいみたいじゃないか」

 

 それは強ち間違いではなく、否定は難しいんだけど。

 

「出てきてくれないと、こっちから行くよ?」

 

 太腿のホルダーに収められたナイフを抜く。元々は枢木ゲンブの書斎から拝借したペーパーナイフだが、人間の皮膚程度なら切り裂けるように刃の部分を加工している。

 本当はダガーやコンバットなどの軍用が欲しいところだけど、無い物ねだりをしても仕方がない。カッターナイフよりはまだ格好が付くと諦めよう。

 そして目的の人物が潜むであろう方向へと殺気を飛ばす。

 

「いつから気付いていたんですか?」

 

 感情の乏しい声と共に木の陰から現われたのは、想像していたよりも若い──いや、幼い少年だった。

 思わず触りたくなる羽毛のような柔らかな髪。華奢な身体を包むのはどこか宗教めかしい長衣。こんな夏場に暑くないのかと心配になる。

 

 しかしこの森──私を含めて──子供に人気だね。

 やっぱりカブト虫とか捕れる時期だからかな?

 

 

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