「ナナリー!」
乱暴に引き戸を開け、普段はきちんと揃える靴も勢いよく脱ぎ散らかしたまま、最愛の妹の名を呼びながら、ルルーシュは廊下の奥へと進んでいく。
そして彼女が一日の大半を過ごす居間の戸を開け、その姿を求めて室内に視線を巡らせる。
お世辞にも広いとは言えない部屋。すぐに視界に捉えた彼女は、ソファの上に力なく横たわっていた。
その傍に立つもう一人の妹=リリーシャの姿に、彼の不安はピークに達する。
「ナナリーに何をした!?」
まさか……との思いが脳裏を過ぎり、思わず声を荒げていた。
この日本に来て、リリーシャは変わったとルルーシュは感じていた。
少なくともブリタニア本国に居た時よりも、ナナリーに対する姿勢は柔らかくなっていたのは間違いない。
兄妹仲、姉妹仲の改善の兆しが緩やかにだが見えていた。
環境の変化が彼女に良い影響を与えたのだと、喜ばなかったと言えば嘘になるだろう。
しかしそれでも過去の彼女を知る以上、状況が状況であり、彼女の行動に疑念を抱き、邪推せざるを得なかった。
語気を強め、詰め寄ろうとするルルーシュとは対照的に、リリーシャは立てた人差し指を口元に宛がい、年不相応な美貌に穏やかな微笑みを浮かべる。
「しー。今眠ったところなんだ。あまり声を荒げてはナナリーが起きてしまうよ」
そう言って彼女はナナリーにタオルケットを掛けると、ルルーシュの方へと体を向ける。
「大丈夫だったかい、兄くん。怪我はないかな?
ああ、すごい汗だね。そうだ、タオルと冷たい麦茶でも持って来ようか?」
ブリタニアによる侵攻、自分達が置かれている状況を理解していないはずがない。
戦争が始まってしまった以上、自分達に人質としての価値はなくなった。
つまりこの身に望まれた役割は捨て駒=死。
だというに普段と変わることなく、平然とした様子で自分の身を案じる彼女に、ルルーシュは毒気を抜かれる。
「え、いや……いい」
「そう。けれど何か言いたそうな顔をしているね。ああ、麦茶はお気に召さないのかな。でも麦茶以外だと、今すぐに出せるのはハーブティーぐらいしかないのだけど」
戯けたような口調で告げるリリーシャの態度に、ルルーシュは苛立ちを抱いた。
「どうしてそんなに平然としていられるんだ。僕達が置かれている状況を────」
「当然理解はしているさ。だけど焦りは禁物だよ、焦りは正常な思考を阻害する。ほら、深呼吸でもしてみたらどうだい?」
「くっ」
彼女の言われたとおりにするのは癪に思えたが、その言葉が間違っている訳でもなく、一理あるのも事実。
ルルーシュは呼吸を整える。
確かに効果はあり、少しだけ周囲を気にする余裕が生まれた。
そう例えば、目の前の妹がこの日本では一度も身に纏うことの無かった──彼女の魅力を引き立てる──漆黒のドレス姿である事実。
彼女にとってそれは正装と呼ぶべき姿だった。
「既に何か策を用意しているんだな、リリーシャ」
用意周到な妹が、ブリタニアの日本侵攻という日に普段とは違う装いを見せる。
それは何か彼女に考えがあることを如実に表わしている。
独自の情報網を有し、人知れず何か動いている節のあった彼女の事だ。ブリタニアの侵攻日時を事前に察知していた可能性だって考えられる。
「答えはイエスだよ」
先程までの穏やかな微笑みではなく、含みのある歪んだ笑みを浮かべるリリーシャ。
「こんな所で死にたくはないし、死ぬつもりもない。やりたいことがまだたくさん残っているからね。
故に私は、この機会に本国へ戻ろうと思っているんだ」
「なっ、本気で言っているのか!?」
ルルーシュは彼女の告げた言葉に衝撃を受けた。
母を奪い、自分達を棄てた祖国。
積極的ではないにしろ、自分達の死を望む父親。
そんな祖国に、あの男の下に戻る?
「もちろん本気さ。それで兄くんはどうする? ああ、旅券なら用意するけど」
「……帰れるはずないだろ」
可能性の未来を想像し、ルルーシュは呟くように提案を拒絶する。
もし本国に戻ったとしても暗殺者の影に怯える日々を過ごし、いずれ政治の道具として再び他国に送られる事になるだろう。
自由など無きに等しい死者としての生が繰り返されるだけだ。
そんな生に意味はない。
「ま、兄くんとしてはそうだろうね。そう言うと思って、既に各方面へ話は付けてあるよ。
後は私が対価を払えば、兄くんはルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの軛から解放され、偽りの自由を手にする事ができる」
「一体何を言っている」
「ここでお別れってことだよ」
刹那、ルルーシュは首筋に鋭い痛みを覚えた。
その途端、視界が霞み、身体に力が入らなくなり、自分の意思とは無関係に足下から崩れ落ちる。
自分の身に起きた出来事をすぐに理解する事は出来なかったが、次に彼女が発した言葉に彼は全てを悟る。
「安心して欲しい、ナナリーは兄くんの下に置いていくよ。足手まといは必要ないからね」
嘲笑と共に告げられたのは最愛の妹に対する侮蔑。
理不尽によって障害を負った妹を弱者だと切り捨てる。
その姿が脳裏に焼き付いた憎き父親と重なった。
「……やはりお前も」
リリーシャを仇敵の如く睨み上げたルルーシュは、遠退き始めた意識を怒りと憎悪によって繋ぎ止め、自由の効かない身体を奮い立たせると、彼女に向かって手を伸ばした。
「へえ」
そんな兄の足掻きに対し、リリーシャは感嘆の声を零す。
「僕とナナリーを利用し、切り捨てていくというのか。リリィィィシャァァァァァ」
意識を失う間際、呪詛のような叫びを上げたルルーシュの指先は、確かに彼女に触れた。
──ざ…ざざ……。
世界を侵す強大なノイズ。
しかしそれは時間すれば数秒にも満たない、ほんの僅かな触れ合い。
故に誰も、当人達でさえ気付くことは出来なかった。
異変が齎したその影響を……。
◇
足下に伏せた兄ルルーシュを一瞥した後、私は彼の背後に立っていた体格の良い男へと視線を移した。
身体のラインにフィットしたスニーキングスーツに身を包み、兄ルルーシュに一撃を見舞った麻酔銃──別命トランキライザーガンを手にしている。
男の名はウォルグ・バーンスタイン。そう、私達兄妹が初めて日本を訪れた際、本国から同行した案内兼護衛兼世話役であり、何を隠そう数ヶ月前に兄ルルーシュの誘拐未遂事件を起こした実行グループを指揮していたのが彼だ。
帝国特務局に所属する彼の本来の仕事は、皇族と関係の深い貴族が不埒な行いを起こさないか監視することだが、実は元々彼はアッシュフォード家に仕える人間だった。
つまりは双方に情報を提供する二重スパイと言える立場だろう。
ここ日本で暗殺者が接触してこなかったのは枢木家の力だけではなく、影ながら私達を見守っていた彼等の存在が大きい。
そして凋落を憂いたアッシュフォード家が──栄光と破滅への──切り札として私達の身柄を求め、救出の名目で保護=誘拐を企み、実行に移したことが数ヶ月前の誘拐未遂事件の真相というわけだ。
兄ルルーシュの誘拐失敗の後、今度は私に接触して来た彼等を介し、アッシュフォード家現当主=ルーベン・アッシュフォードと協議。
利のないところに利を求めるアッシュフォード家、それ故に交渉は終始順調に進んだ。
結果、仮初めの平穏の維持と継続に成功。
しかしその契約もブリタニアの日本侵攻を以て破棄され、アッシュフォード家は兄ルルーシュとナナリーの身柄を手中に収める事となる。
「ウォルグ、周囲の状況は?」
「はい、外の人間は既に片付けてあります。ご安心を」
「ありがとう。しかしあの狸、やはり私の提案を蹴り、本来の契約のまま事を進めたか。
いや、当然と言えば当然だね」
金も地位も歴史もある貴族と、皇族といえど現時点では生命さえ危うい小娘。
社会的評価や実効性を秤に載せて比べれば、どちらに傾くかは明白だ。
私としては将来性に賭けて欲しかったところなんだけど、今さら言っても仕方ないことだね。
既に彼は自らの行く末を選択してしまったのだから。
「もし兄の友人が訪れた場合の対応だけど」
「万事心得ております」
「部下にも徹底させておいてね。万が一にも傷付けるような真似は厳禁だよ。
で、残る準備は?」
「既に桐原翁とは話が纏まり、こちらの動きを待っている状態です」
「そう……」
誘拐失敗の際、ウォルグ達はその存在を桐原泰三の配下に知られてしまう。枢木ゲンブの配下でなかったことは、私にとっても不幸中の幸いと言えた。他人のミスで余計な警戒感を持たれては堪ったモノじゃないからね。
枢木ゲンブの暴走に勘付き、不信感を募らせ、危機感を強めていた桐原泰三は彼等に利用価値を見出した。
敵の敵は味方などという甘い考えは通用しない。
それでも利害関係の一致は大きかった。
私達の扱いについて苦慮していた節もあり、双方にとってメリットのある契約が結べたことだろう。
「じゃあ、後のことは任せたよ」
「イエス、ユア・ハイネス」
私の行く末を案じてか、複雑な表情を浮かべるウォルグ。気にする必要なんてないのにね、これは私が望んだ選択なんだから。
彼に見送られ、私は兄妹に再び視線を向けることなく足早に玄関へと歩みを進める。早くしないとこの場で彼と遭遇なんて事になり兼ねないからね。
お気に入りの軍靴を履き、玄関から一歩外へ踏み出した私はそこで足を止め、背後へと振り返る。
一年あまりを過ごした小さな離れ家。もう二度とここに戻ってくる事はないだろう。
これは感傷?
いや、違う。一種のけじめ、儀式のようなモノだ。
「行ってきます」
そう告げて私は駆け出した。
未来への扉を開くために。
◇
走る、走る、走る。
青ざめた顔を引き攣らせ、焦燥感に急き立てられ、圧し潰されそうになりながら、ただ一心に走り続けた。
感情によって掻き乱された思考は一向に纏まることはない。
急げと告げる衝動に身を任せ、前だけを向いて、前だけを目指す。
古く小さな建物が見えてくる。
親友のルルーシュ、皮肉屋で可愛げのないリリーシャ、健気で心優しいナナリーの三人が住まう離れ家。
外観に目立った変化はなく、その周囲に人の姿もなかった。
思い過ごしならそれに越したことはないが
戸が開いたままの玄関から中へ飛び込む。
「ルルーシュ! リリーシャ! ナナリー!」
名を呼ぶ声は悲痛な叫びとなる。
「どこに居るッ、返事をしてくれ!」
だが応える声はなく、離れ家の中は不気味な静寂に包まれていた。
おかしい、ルルーシュはどうした?
玄関に脱いだ靴があったことは確認している。なら家の中に居るはずだというのに。
脳裏を過ぎる最悪の光景を否定し、スザクは警戒しつつ奥へと進む。
「ルルーシュ! 俺だ、スザクだ! 居るんだろ!」
声の限りに叫んだ。
「────」
居間の方から呻くような声が聞こえた気がした。
その声に誘われ、居間に入ったスザクが見たのは、畳の上に倒れたルルーシュの姿だった。
「ッ、ルルーシュ!? しっかりしろ!」
すぐに駆け寄り、スザクはルルーシュの容態を確認する。
目立った外傷はないが、その瞳は濁り、焦点が合っていないようだった。
何らかの薬物を投与された可能性が高い。
だけどそれが何なのか、どう対処すればいいのか。残念ながらスザクに知識はなく、当然知る術もない。
「……スザク」
「一体何があったんだ!? 誰にやられた!?」
「……ナナリー……は……」
問い掛けに返ってきた答えは、彼が最も愛する妹の身を案じるものだった。
その言葉にスザクはハッとする。
咄嗟に視線を上げ、周囲の様子を確認し、ソファの上に横たわるナナリーの姿を視界に捉える。規則正しく上下する胸元、穏やかな表情は彼女が深い眠りに落ちていることを物語っていた。
「安心しろ、ナナリーは無事だ」
「……そうか」
スザクの言葉にルルーシュは安堵の表情を浮かべる。
だが────
「答えてくれ、ルルーシュ。何があったんだ! それにリリーシャは」
「……リリーシャ」
この場に居ないもう一人の住人の安否を気に掛けるスザクだったが、彼女の名を耳にした瞬間、ルルーシュの表情は一変する。
その瞳に宿るは烈火の如き怒り。
「……リリーシャ!」
「お、おいっ!? 無茶だ、ルルーシュ!」
突然ルルーシュはスザクの腕の中で藻掻くように暴れ出し、まるで力の入らない身体を無理矢理起こそうと試みる。
けれど願いは叶わない。震える腕では上半身を支えることも出来ず、その身体は再び畳の上に崩れ落ちた。
「どうした、リリーシャの身に何かあったのか!?」
ルルーシュの予期せぬ行動に、少なくともリリーシャが関わっていることは間違いない。
この場にその姿が無いことからも、彼女の身に何か起こったとスザクは悟る。
最悪の場合、彼女が最初の生贄に選ばれた可能も否定できない。
だとすればルルーシュの状態は、彼女を連れ去った何者かと遭遇してしまった結果なのだろう。
もしかすればナナリーも同じように何らかの薬物を使用されているかも知れない。
「スザク……! あいつを……リリーシャ……を……」
ルルーシュの言葉、願いが途切れる。
完全に意識を失っていた。
並外れた精神力を持つ彼も、疾うに限界を迎えていたに違いない。
ルルーシュは自分に何を願ったのか?
決まっている。
この状況で家族想いの彼が願うことなど一つしか思い付かなかった。
妹であるリリーシャに対しても一線を引いている事は知っている。
自分の知らない事情があるのだろう。
それでもこの一年傍で過ごした上で、互いを憎からず思っているように感じていた。
兄妹の絆とでも言うのか、一人っ子のスザクには羨ましくも思えた。
故にスザクは親友の想いをくみ取り、そして誓う。
「分かったよ、ルルーシュ。リリーシャは俺が必ず────守る!」
リリーシャを、いやルルーシュ達兄妹を守るためにはどうすれば良い?
ブリタニアとの戦争を止めるためには?
力。
そう、力が必要だった。
誰かを守るためにも、自分の身を守るためにも。
だからスザクは力を手に取った。
一振りの刃を。
日頃から武道の稽古に通っている道場。
そこに飾られていた日本刀。
かつて彼が秘密基地の土蔵で見つけた刀。
厳重に保管されていても、鍵の置き場所を知っているスザクには無意味だった。
握り締めた凶器。それだけで何倍も強くなったように思えた。
使命感に突き動かされ、込み上げる不思議な昂揚感は狂気を孕む。
だけどそれが錯覚に過ぎないと、すぐにスザクは気付かされる。
枢木本邸の広々とした玄関を抜け、廊下を奥へと進んでいく。
長い廊下の突き当たりに、彼が目指す場所=父枢木ゲンブの書斎へと繋がる──和風の屋敷には不釣り合いな──装飾の施された両開き扉は存在していた。
だがその扉の前には、彼の行く手を阻むかのように一人の男が立っていた。
濃い緑色の軍服、携えられた軍刀、鋭い刃物を連想させる凛然とした長身の男。
「……藤堂先生」
スザクは男の名を呟いた。
対峙することになると予想してはいなかったが、別段驚きもなく受け止める。
日本軍中佐、藤堂鏡志朗。
日本国首相=枢木ゲンブを支える側近の一人として数えられることもあるが、その実、桐原泰三の懐刀であり、枢木ゲンブに対する目付役として送り込まれた人材。
もちろんその事実をスザクが知る由もない。
スザクにとっては武術の師であると同時に、年の離れた兄、または父のような敬愛すべき存在だった。
だからこそ自分の前に立ち塞がる藤堂に対し、それが自分勝手な考えだと分かっていても、スザクは裏切りにも似た思いを抱く。
「そこをどいて下さい」
「残念だがそれは承諾できない。部屋に誰も入れるなと命を受けている以上、例え君でもだ、スザク君」
感情的なスザクとは対称的に、藤堂は静かにそれでいて威圧感のある口調で応える。
「父さんに話があるんです。だから────」
「刃を手にしてか」
「…………」
もはや問答無用だと悟ったスザクは、無言のまま鞘を握る手に力を込める。
そして────
「そこをどいて下さい」
収められた刃を解放した。
それを見た藤堂は僅かに悲しげな表情を浮かべ、またすぐに戻した。
「一度抜いた真剣は血を見なければ納まらない。以前私がそう口にしたのは覚えているかな」
「はい」
「同時に言ったはずだ、覚悟を決めておくべきだと」
「覚悟はしています」
「そうか、ならばもう何も言うべきではないのだろう。だけど理解するべきだ、己の覚悟がどの程度のものなのか」
そう言って藤堂はゆっくりと軍刀の鍔に親指をあてがい鯉口を切る。
半瞬、空気が変わった。
「っ!?」
それだけでスザクは動けなくなる。
動けば斬られる。
本能的に悟った。いや、強制的に思い知らされたと言うべきか。
背筋に氷の刃を突き立てられたかのように、急速に興奮によって生じた熱が奪われていく。
「判ったかい、スザク君。これが現実だ」
畏縮し、身体を硬直させる愛弟子を気遣うように藤堂は声を掛ける。
恥じることなどない。
彼はまだ子供であり、もし自分が同じ立場だとしても同じだったに違いない。
けれど己を理解する事で、きっと彼は自分以上に成長するという確信があった。
「はは……確かに俺の覚悟はこの程度なんでしょうね」
凶器という紛い物の力を手にして気が大きくなっていただけだと自覚。
身の程を知れ、そう言われた気がしてスザクは自嘲する。
それでも彼の瞳は覇気を失ってはいなかった。
「でも!」
スザクは自らを奮い立たせ、前に一歩踏み出す。
「あいつに、ルルーシュに約束したんです。リリーシャを守るって。
ルルーシュの想いや覚悟も背負って俺はここにいるんです」
二人分の覚悟。そう、一人では無理でも二人なら出来ないことはない。
「だから!」
「……スザク君」
抗いを見せたスザクに対する藤堂の思い。
それは想像を上回る事への驚きでも、成長に対する喜びでもなく、憐れみに近いモノだった。
銃声────
仕事柄機密情報を扱い、また密談を交わすこともある枢木ゲンブの書斎は防音性に優れていた。
しかし、その音が二人が対峙する扉の内側から聞こえた事は紛れもない事実。
その音にほんの一瞬藤堂の意識がスザクから逸れる。
刹那、戒めを解かれたスザクは手にする刃さえ投げ捨て床を蹴った。
「駄目だ、スザク君!」
藤堂の制止を振り切り、扉を壊さんばかりの勢いで父の書斎へと飛び込む。
そして室内に広がった想像を絶する光景に言葉を失った。
室内に入った瞬間に嗅覚が捉えたのは、胃の内容物が込み上げそうになる程に濃厚な血の匂い。
赤黒く変色した絨毯の上に転がる複数の人間。
その中に見つけた父の姿。拳銃を手にしたまま、胸には深々とナイフが突き刺さった状態で横たわっていた。
離れた場所からでも彼が絶命していることは疑いようがなかった。
「遅かったね、枢木スザク。残念だけど別れの言葉はもう間に合いそうもない」
室内に響く幼くも蠱惑的な少女の声。
スザクの視線は自然と声の主を求めた。
凄惨な現場の中心に立つリリーシャ・ヴィ・ブリタニア。
返り血か、白い肌を赤く染めた彼女は、いつもと何も変わることなくそこに居た。
そう、狂気に満ちた──存在するだけで頭がどうにかなりそうになる──この空間で声音も、表情も、立ち姿も普段と変わらない。
むしろソレは異常。まるで理解する事が出来ない。
故にスザクは疑問、そして恐怖にも似た感情を抱いた。
「……何があったんだ」
守ると友に誓った少女。
救い出し、兄妹達の下へ連れ帰るつもりでいた。
けれど彼女はこの惨劇の舞台で、ただ一人生き残る。
「聞きたいのはそんなこと? 君だって本当は分かっているんじゃないのかな。きっと真実は君の考えているとおりで間違いないよ」
スザクの心の内を手に取るように見透かしているとでも言いたげなリリーシャ。
「っ……本当に君が殺したのか、父さんを」
「そうだよ」
核心を問うスザクに対して、リリーシャは事も無げに肯定し、剰え笑みさえ浮かべて見せた。
その言葉を耳にしたスザクは、握り締めていた拳にさらなる力を込めた。爪が掌に突き刺さり、皮膚を裂くが、気にする余裕などなかった。
父の姿を目にした瞬間から予想はしていた。だからといって気持ちの整理などつくはずもない。
喜び、安堵、怒り、悲しみ、喪失感。嵐のように去来する様々な感情が複雑に絡み合い、スザクは感情の渦に呑み込まれ、口を開けど返す言葉が出てこない。
「尤もこれは一種の正当防衛、過剰だと逆に訴えられそうだけどね」
戯れるようにリリーシャは言葉を続ける。
正当防衛。
それはスザクも理解している。
ルルーシュ達兄妹はこの国を訪れた瞬間から生贄として、いつ訪れるか分からない死の影に脅かされ続けていた。
いや、ブリタニアに居た時からその命を狙われていた可能性が高い。現に彼等の母親は何者かによって暗殺されたと聞かされた。
理不尽に齎される死。
それに抗うことは人として、生物として当然の事だと言える。誰だって望まぬ死を無条件で受け入れることなんて不可能だ。
その結果が目の前の惨状なのだろう。
彼女一人の力でこの惨状を生み出したことは想像すら出来ないが、既に事実として現実に刻まれている以上、認めないわけにもいかない。
それでも何故だと思わずには居られなかった。
「どうして……」
こんな事になってしまったのか?
世界はもっと温かで、輝いているはずなのに……。
「一言で言えば取引かな? 自由を得る対価として、私は売国奴の始末を命じられた。
そう、日本をブリタニアに売ろうとした枢木ゲンブの殺害を」
「父さんが……日本を? なっ、出鱈目を言うなッ! 父さんは────」
「徹底抗戦を唱えていた愛国主義者? 違うよ、それは単なる対外的なポーズさ。
この国とブリタニアとの関係を悪化させ、対立を煽り、ブリタニアの軍事侵攻を誘発させたのは他ならぬ君の父親なんだから」
「嘘だ!」
スザクにとって彼女の言葉は到底信じられるものではなかった。
家庭を顧みない父親ではあったが、自身の仕事には誇りと熱意を持って取り組んできたはずだ。だからこそ日本国首相という地位にまで上り詰めることが出来たのだと。
「マスメディアを利用した反ブリタニア世論の構築。サクラダイトの分配率の恣意的な操作。EUや中華連邦を利用したブリタニアへの制裁、経済封鎖、国際社会からの孤立化」
リリーシャは淡々とした口調で、枢木ゲンブが影で行ってきた対ブリタニア政策を挙げていく。
「そして日本に対する彼の裏切りを証明する上で、最大の証拠となり得るのが今この場に彼が居たという事実だよ」
他国が領海や領空を侵犯した時点で官邸や国防省、軍上層部などから国家の長たる枢木ゲンブに連絡が入る。
しかもそれが日本軍が常日頃の訓練や演習で仮想敵国としているブリタニアの艦艇や艦載機だとしたらどうだろう? それも一機や二機ではない。
一触即発とも言えるほどに悪化している両国関係を慮れば、最悪の事態も想定し、非常事態宣言の発令を検討すると同時に危機管理体制を即時強化。各閣僚を官邸に緊急招集する立場にあったはずだ。現に彼の下まで逐次報告は上がってきていた事実がある。
「本来ならすぐに滞在を切り上げ、東京に戻る必要があったというのにね。官邸は慌てたことだろう。いや、現在進行形で慌てふためいているかな。他国が攻めてきたというのに国家の代表が不在で、連絡さえ取れないんだから」
首相という立場に課せられた責任と義務を放棄した枢木ゲンブの行動。
それは紛れもなく国民に対する裏切りであった。
「前者に関しては調べて簡単に出てくる証拠を残すほど無能でもないようだけど、彼の側近の何人かは既に口を割っているそうだよ。詳しい事は桐原翁にでも聞いてみると良い」
「桐原のお爺ちゃんに?」
しかしスザクは要領を得なかった。
彼にとって桐原という名の好々爺は、古くから枢木家と付き合いのあるお金持ちのお爺さん程度の認識に過ぎない。
「そう、サクラダイト利権を牛耳る桐原産業創設者=桐原泰三。世界にその名を知らしめる日本の最大権力者にして、枢木政権発足の立役者であり、この国の影の支配者」
祖父のような存在だった好々爺の意外な正体を知り、スザクは戸惑いを隠せない。
そして続くリリーシャの言葉にさらなる衝撃を受ける。
「そして私の取引相手だよ」
つまり彼女に父親の殺害を命じた人間。
「君の父=枢木ゲンブは古くから続く日本の支配体制からの脱却を望んだ。尤もそれは支配する側が桐原を始めとする財閥から、ブリタニアという国家に変わるだけなんだけど、よほど現状の立場に甘んじることが嫌だったんだろうね。
そこで私達兄妹の命と引き替えに、また日本の統治権を差し出すことでブリタニアの爵位を手にする。
その後、ブリタニアのエリア制度──屈服させた敵国の富裕層を利用した間接統治──により、傀儡ではない本当の支配者として日本を手中に収める計画を立てたというわけだ。
当然それを知った枢木ゲンブ最大のスポンサーである桐原翁は、飼い犬に手を噛まれたと思っただろうね。裏切りには粛清をと思うのは至極当然のことだよ。
しかし既に刃が抜かれている以上、もはやブリタニアとの開戦は避けることが出来ず、彼我の戦力差から勝利も不可能ときている。
ならばと考え出されたのが、裏切り者である枢木ゲンブの死の利用さ。
国民のためを思い、降伏を決意。徹底抗戦に突き進む強硬派の軍部を諫めるために自決する。なんとも安直なカバーストーリーだけど、それ故に大衆にも分かり易い。
これで戦力を温存したまま敗戦を迎え、未来の反抗へ繋げることができるというシナリオだ。何も知らず戦わせられ、命を散らす将兵にとっては堪った物ではないけどね。
そしてさすがと言うべきか、老獪な桐原翁はさらなる搦め手を思いついた。
それがブリタニア皇族による日本国首相の殺害だよ。枢木ゲンブの死は自殺ではなく実はブリタニア人、それも皇族に連なる者に殺められ、その結果日本が降伏に傾いたと知ればブリタニアに対する憎しみは募り、戦意昂揚のカードとして使えるからね。いやはや深慮遠謀とはまさにこういう事を指すんだろうね。
さて、長々と語ったが少しは君の中にある疑問の解消は出来たかな?」
「……出来るわけないだろ」
リリーシャの問い掛けにスザクは弱々しく呟いた。
ブリタニアの侵攻から始まった衝撃の展開の連続。
齎された様々な情報の処理が追い付かない。
「まあ普通はそうだろうね。ああ、ちなみに君の傍で死体と化している男はウィリアム・ハイネベルグ。
君の父親が密約を交わした相手であり、私怨によって私達兄妹の死を望んでいたブリタニアの貴族様。君にとって父親に取引を持ちかけ、その命を失わせる要因の一つとも言える存在。
一目散に逃げ出そうとするものだから、洗いざらい情報を吐いてもらう暇もなく殺してしまったよ、ふふっ」
リリーシャの言葉に促されるように、スザクは背後から一突きされ絶命している男に視線を落とし、込み上げた行き場のない怒りと共にギリッと悪罵を噛み殺す。
「本当にこの世界はままならないよ。力なき私達は欲深い大人達のシナリオに踊らされることしかできない。
ね、貴方もそう思うだろ、藤堂鏡志朗?」
いつからそこに居たのか、部屋の入り口に立つ藤堂鏡志朗へとリリーシャは問い掛ける。
だが応えは返ってこない。
「ふ~ん、黙りか。そうだ、枢木スザク。もう一つだけ教えてあげるよ。君が師として敬愛する藤堂先生は桐原翁の懐刀であり、枢木ゲンブに対する人質とするために君に近付いた男だ。あまり信用しない方が良い」
リリーシャは悪戯っぽい笑みを浮かべて告げる。
「……藤堂先生?」
スザクが藤堂に向けた視線は疑いではなく、何を信じて良いのか分からないと言いたげな切ないモノだった。
「っ、魔女が」
この場で何を言っても言い訳にしかならず、無駄だと悟った藤堂は憎々しげに吐き捨てる。
一方、してやったりと上機嫌なリリーシャは、軽やかな足取りでスザクへと歩みより、
「ねぇ、スザク。君がこの場を訪れた理由を私は理解しているつもりだ。だからありがとう、嬉しかったよ」
感謝の言葉と共に彼の頬に口付けする。
「え、あ……」
これは感謝の気持ちだよ、とはにかむリリーシャの姿にスザクは戸惑いを隠せない。
「でもね、今はまだ君が手を汚す必要はない。君は英雄になれる男だ、悪い魔女から世界を救った英雄に」
果たして予言か妄言か。
それは誰にも分からない。
けれど何故か『英雄』という響きには、戯れ言だと一蹴できない力があった。
まるで魔女の呪いとでも言うかのように……。
◇
一仕事終えた私は身を清め、枢木本邸の縁側に座り、目の前に広がる枢木家自慢の広大な庭を眺めながら髪を乾かしていた。
これで私は晴れて自由の身だ。もし契約を反故にされたなら、あの場で藤堂鏡志朗に斬られていただろうから。それを確認するための挑発でも、彼は刃を抜くことはなかった。
だとすればじきに訪れるであろう迎えを待つしかない。もちろん迎えが来ない可能性が無いわけではないが、その時はその時に考えよう。
用意されたお茶を啜りつつ茶菓子をつまむ。
うん、最初は躊躇いを抱いたが苺大福もなかなか悪くはない。
私は蝉の声と爆撃音をBGMにまったりとお茶を楽しんだ。
砂埃を舞い上げながら軍用V-TOLが降下してきたのは、それからしばらく後のこと。
形式はブリタニアの物だが、機体にブリタニアの紋章が描かれていない事から──ブリタニア機に偽装した他国の所属機の線も考慮し──私は僅かに身構える。
尤もそれは単なる杞憂だったのだけど。
ハッチが展開し、最初に降りてきたのは完全武装した兵士達。彼等はよく訓練された動きでV-TOLの周囲へ散っていき周囲の警戒へあたる。
周囲の安全を確認し、次に降りてきたのはメイド服姿の侍従だった。何を思ったのか彼女は手早く絨毯を私の目の前まで敷いていく。
そして最後に姿を見せた白き姫。私の婚約者を自称する異母妹=ユーフェミア・リ・ブリタニア。この一年で少しばかり身長は伸びたようだが、その愛らしさは微塵も失われては居なかった。
そんな彼女が纏うのは戦時下に、また軍用機に不釣り合いな純白のドレス。多用されたフリルや頭に載るヴェールが、まるで花嫁衣装を連想させる。
いやいや、ちょっと待って欲しい。まさか、ね?
彼女は私の姿を捉えるなり、猛然と駆け寄り、飛び付いてきた。
「っ、ユフィ」
「リリーシャリリーシャリリーシャリリーシャ! ああ、夢にまで見た本物のリリーシャです。この瞬間をどれほど待ち望んだことでしょう。もう、わたし────」
彼女は感涙を零しながら興奮した様子で私を強く強く抱きしめる。
純粋に求められるのは悪い気分ではない。
だけど……。
「ちょっ、ユフィ。ひゃ…ん……どこを……もぅ……やめ……」
とても手つきがいやらしかった。
離れていたこの一年あまりで彼女は一体何を学んだのだろう。
何故だか恐ろしくなってくる。
「あぁ、忘れもしないこの芳潤な香り」
首筋に顔を埋めながらそんな事を宣って下さる妹姫様。
もちろんボディケアは万全で血臭を残すような愚は侵していないつもりだが、むしろ死の香りを漂わせている方が私らしいのかも知れない。
引き返す道なんて既に失っているのだから。
「ぺろぺろは後の楽しみにとっておきましょう。でも少しぐらいなら……」
艶を含んだ声、生唾を飲み込む音が聞こえてくる。
一体何をするつもりなのかな?
「落ち着いて、ユフィ。私はもうどこにも行かないから。これからは君の傍にいるよ」
私は嫌な汗を掻きつつ、幼子をあやすように囁きかけ、久々に触れる彼女の柔らかな髪を優しく撫で続けた。
「ごめんなさい、リリーシャ。あまりに嬉しくて、わたし……」
落ち着いたユフィが謝罪する。
「謝る必要なんてない。私もこうして君に再び出会えたことを喜んでいるよ、ユフィ」
「うぅ、リリーシャリリーシャリリーシャ!」
「はいはい、リリーシャさんはここに居ますよ。そしてありがとう、ユフィ。約束通り、迎えに来てくれて」
「リリーシャは私の嫁なんですから当たり前です!」
そう言って素晴らしい笑顔を見せてくれるユフィなのだが、素直に喜んで良いものなのだろうか?
会えない時間が愛を育ててしまったとでも……いや、深くは考えないようにしよう。
「さあ、帰りましょう。私達の国へ。あら、でもルルーシュ達は?」
そこでようやくこの場に彼等の姿が無いことに気付く。
本当に私しか見えていなかったようだ。
「彼等はブリタニアへは帰らない。いや、帰りたくはないそうだ。もちろん行く当てがあっての事だから、君が憂慮する必要はない」
そう、何不自由ない生活を送れる手筈はちゃん調えてある。
アッシュフォードという名の鳥籠を。
「そして私も帰らないよ」
「え────?」
私の言葉にユフィは目を丸くする。
それもそうだろう。
彼女の中にそんな可能性は微塵も無かったに違いない。
「いや、少し語弊があるね」
私は彼女の動揺した姿に苦笑しながら、おもむろに携えていたナイフを抜き、首の後ろで束ねた髪を乱暴に掻き切った。
艶のある自慢の黒髪に太陽光が反射してキラキラと輝き、吹き抜けた風に舞い、戦火広がる大地へと散っていく。
「な、何をしているんですか!?」
私の突然の行動にユフィが非難の声を上げる。
ああ、そう言えば彼女もアーニャと同様に私の髪を気に入っていたっけ。
「何って過去との決別かな? リリーシャ・ヴィ・ブリタニアはブリタニアの日本侵攻に巻き込まれ命を落とした。つまりはそう言うことだよ」
この機に全てのしがらみを一度断ち切る。
予てから考えていたことだ。
今後、動く上で皇女という肩書きはあまりに重すぎる。
「そこでユフィにお願いがあるんだ。私を君の騎士にしてくれないかな、これでも腕には覚えがあるつもりだよ」
専任騎士、それは公私に渡り皇族を支える存在。
皇族は皆、固有の特権として任命権を保持している。
その任命には本人の資質が試される。
尤も本来なら幼い年齢のユフィにはまだ早い問題だったに違いない。
「本気、なのですね」
ユフィは姿勢を正し、真剣な眼差しで私を見つめる。先程見えた脳内ピンクが嘘のように思えてくるよ。
冗談とも受け取られかねなかったが、既に彼女は私の意思を汲み取ってくれていた。
理解が早くて助かると思う反面、想像以上の成長度合いに嬉しくなる。
「ああ、もちろんだよ」
私は彼女の眼前で跪き、恭しく頭を垂れた。
ふうっとユフィが大きく息を吐く音が聞こえる。
「汝、ここに騎士の制約を立て、ブリタニアの騎士として戦うことを願うか」
「イエス、ユア・ハイネス」
願いはしない。
「汝、我欲を棄て、大いなる正義のために、剣となり盾となることを望むか」
「イエス、ユア・ハイネス」
望みもしない。
この誓いは本当に嘘ばかりだ。
本来ならここで儀礼用の剣を抜くところだが、生憎と用意することは出来なかった。
だから剣の代わり、両手で捧げるようにナイフを差し出す。私らしいと言えば私らしいか。
それを受け取ったユフィは刃の平で、私の肩を軽く叩いた。
「わたくし。ユーフェミア・リ・ブリタニアは汝を騎士として認めます」
私は顔を上げ、返されたナイフを受け取る。
歓声も盛大な拍手もなく静かに、それでもつつがなく主従の契約は結ばれた。
「これで良かったのですか?」
「上出来だよ、ユフィ。流石は我が愛しき主だ」
「っ、からかわないで下さい。それよりこれからは何と呼べば良いのですか?」
リリーシャ・ヴィ・ブリタニアは死んだ。
故に今の私は何者でもない。
名も無き騎士。
だけどそれでは色々と困るのも事実。
「ん~、そうだね。だったら────」
結ばれた新たな契約。
本来あり得るはずのない白き姫と騎士となった黒き魔女。
白と黒。
相反する二つの色は、この世界を何色に染め上げていくのだろうか。
予告…………のようなモノ?
【決別】
「私を軽蔑するかい、スザク君」
「あいつが言ったこと……本当なんですか?」
「……言い訳はしない。理解して欲しいとも言わない。だけどこれが大人の世界だ」
「だったら俺は大人なんかになりたくない」
【日本敗戦】
ブリタニアの圧倒的な兵力、初めて実戦投入されたKMFのめざましい戦果もあり、日本は一月も保たずに降伏の道を辿る。
黄昏色に染まった空の下、大国の脅威に焼き払われた大地の上で、二人の少年は別れの時を迎えていた。
「スザク、僕はブリタニアをぶっ壊す! あの男やアイツが居る国をこの手で!」
「違うよ、ルルーシュ。それじゃ駄目なんだ」
「ッ、何が違うって言うんだ!?」
「例えブリタニアを壊しても、この世界は変わらない。
壊すなら─────」
世界を壊そう。
【おくりもの】
あの夏の日、目が覚めると全てが終わった後だった。
姉が消え、淡い恋心を抱いた初恋の彼との別離が決まり、剣呑な空気を纏う兄と共に、まるで品物のようにアッシュフォード家に引き取られる。
当然そこに己の意思を介在させることなどできず、ただ強大な流れにまた呑み込まれた。
再び手に入れたと思っていたあの穏やかな日々は、現実には存在しえない幻想だったのだろうか?
いや、違う。
確かに存在していたはずだ、手を伸ばせば掴むことができるほどに……。
胸元に手を伸ばし、それに触れる。
気付けばそこにあった──羽を広げた蝶をモチーフにした──ペンダント。
身に覚えはないが、贈り主なら想像がついた。
そっと指先でなぞれば、装飾の中に隠された単語が浮かび上がる。
簡潔に、ただ一つ『鍵』を意味する単語が。
「一体何を伝えようというのですか、リリー姉様」
【楽園計画】
太平洋に浮かぶメガフロート。その正式名称──超大型浮体式海洋構造物──が示すとおり、それは巨大な人工の浮島だった。
尤も現時点では何の施設も存在せず、それこそ海の上に浮かんでいるだけの鉄の箱に過ぎない。
だがやがて────
「ここが私達の愛の巣になるんですね」
「違う、間違っているよ、ユフィ」
【国際展示場爆破テロ】
「……ユフィ」
「もう、そんな顔をしないで下さい。これは現実が見えていなかった私の幼さが招いたこと、自業自得です。まあ少しばかり高い授業料になってしまいましたけど」
「……すまない、私が付いていながら」
跪き、鋼鉄の手に口づけを交わす。
「もう二度と君を傷付けさせない。例えそれが神だとしても」
【欧州戦線】
「貴公は何故この部隊を志願した? 損耗率の低い後方の部隊を選ぶ事も可能だったはずだが」
「はっ、もちろんジェレミア卿の武勇を耳にし、私も────」
「世辞は必要ない。私は共に戦い、時に背を預ける貴公の本心が知りたいのだ」
「……はい。失礼ながら卿の下に付けば武勲を上げられると耳にしました。それ故に」
「出世、地位、名誉のためか」
「申し訳ありません」
「いや、責めているわけではない。私とて同じ理由で
名を上げたくば私に付いてこい。くれぐれも二階級特進で終わるなよ。行くぞ、ヴィレッタ」
「イエス、マイ・ロード!」
【シンジュク事変】
「力があれば生きられるか。これは契約、力を上げる代わりに私の願いを一つ叶えてもらう」
「くくっ、力は既に持っている」
「なに────」
刹那、廃倉庫の壁をぶち抜いて飛び込んできた紅いKMFが対人機銃を掃射する。
無数の弾丸が人間を肉塊へと変えてゆく。
「フハハハハハッ! けれどまだ足りない! ああ、そうだ。俺は力を望んでいる。世界を壊すための力を!」
「ふふっ、強慾な男も悪くはない」
【エリア0】
「寂しがり屋の魔女が動き出したわね、贄を求めて」
「今世の彼女も、やはり彼を求めるのか。憐れだな、世界の奴隷は」
「呪いの間違いじゃないの?」
「それは僕らにも当てはまるのだけどね」
「いずれにしろ騎士も目覚める。互いに求め合っているからな。一体いつになったら世界は変わるのか」
「なに、その兆しは見えているじゃないか。今回は彼女が居る、この世界で初めて現われた
そう言って銀の髪の少年が天を仰いだ瞬間、黄昏色の空が砕け散り、剥がれ落ち、無限に広がる黒の世界が姿を現わす。
その頭上高く、生命の息吹に満ちた蒼き星は悠然と輝いていた。
【幕開け】
「どこもおかしなところはないでしょうか?」
「よく似合っているよ、ユフィ。後は堂々と演じればいい」
「私に上手く務まるか不安です……」
「大丈夫だよ、いつも通り君なら出来るさ」
「だったらいつものおまじないを掛けて下さい」
「恥ずかしいじゃないか、こんな所で」
「誰も見ていませんから問題ありません」
「それじゃあ上手くいった時のご褒美はなしだよ?」
「うぐっ、ひどいです」
時折揺れる狭い通路を、二人の少女は並んで歩む。
その先にある扉は彼女達を待ちかねていたかのように開いていく。
そして彼女達は今まさに幕を上げんとする舞台へと踏み出した。
それは魔女が糸引く人形劇か。
それとも騎士が武を競う英雄譚か。
はたまた魔王が興じる狂宴か。
何れにしろ、物語は皇歴2017年旧日本。現ブリタニア領エリア11から始まる。
第一部完