STAGE 0.025 とある戦場の神
時として人は獣と化す。
ある者は恐怖に怯え、ある者は快楽に興奮し、ある者は憤怒に身を焼かれ、ある者は狂気に冒された果てに、社会通念や理性と言う名の檻から解き放たれる。
その根幹に存在するのはやはり、生物が生き物たり得てる上で重要な生存本能と闘争本能なのだろう。
故に、例え如何なる高度な文明を築き上げたところで、人が人である限り、逃れることの出来ない宿命なのかも知れない。
時として人は獣と化す。
それが最も顕著に表れる場所、それは戦場だろう。
多くの宗教に於いても広く禁忌とされている人間社会に対する悪=殺人。
汝殺すことなかれ、隣人を愛せ。
人がコミュニティーを形成、維持する上で最大にして最低限の規律。背いた者は罰せられ、社会から制裁を受ける。
罪に対する必然の罰。
だが非日常が日常となる戦場では、その限りではない。
倫理観もモラルも希薄化し、価値観や既成概念は逆転してしまう。
そこでは命の尊厳など容易く踏みにじられる。
人間の生命に一発の銃弾の価値すらないとでも言うかのように。
敵を、相対する者を殺せば殺すだけ英雄へと近付いていく。
中東のとある国の紛争地域、ここでも同様の悲劇は日夜繰り返されていた。
神聖ブリタニア帝国の軍事侵攻という火種に、予てより燻っていた宗派間対立や民族対立が油を注ぎ、戦火を国土全域へと広げていく。
現政権に不満を抱いていた勢力が、ここぞとばかりに反政府組織を立ち上げて武装蜂起。
対する政府は治安維持部隊による武力制圧に乗り出すも、ブリタニアの侵攻という脅威に直面している以上、戦力不足は否めず、早期鎮圧に失敗。以降、泥沼のゲリラ戦へと突入することとなる。
無残に破壊され、激しく立ち上る炎に包まれた反政府ゲリラの拠点。
男は殺され、女は犯され、めぼしい金品は奪われる。
戦争の醜悪さをまざまざと見せ付ける光景の中、元凶である男達は満足いく戦果に笑い合う。
最新鋭の装備を手にした彼等と、民兵上がりの武装ゲリラでは端から勝負にならなかったことは誰の目にも明らか。一方的な蹂躙は必然だった。
男達は政府軍ではない。ゲリラ相手に最新鋭の装備を惜しみなく投入できる程、この国に戦力の余裕はない。既に戦火は国内全土に広がり、ブリタニアの侵攻も熾烈さを増している。
政府は周辺国に人的支援を求めたが、要請を受けた周辺国も近い将来訪れるブリタニアの軍事侵攻を恐れ、金銭的支援に留まった。尤もそれが過ちであったと気付いた時には既に手遅れとなるのだが……。
内と外に敵を抱き、窮地に陥った政府は民間軍事会社──通称PMC──との契約を模索する。
当然、戦争利権で私腹を肥やし、金さえ払えば分別無く手を貸しては戦局を混乱させると嫌う者も多く、良くない噂を耳にする事も少なくないPMC起用に際して、議会から反発の声もあったが、国際社会からの早急な支援も見込めない現状では黙殺される事となる。
結果として反政府ゲリラとの内紛は収束へと向かい、後顧の憂いを絶つことにより、ブリタニアに対することが可能となった。それでも勝率は限りなく低いと言わざるを得ないが。
閑話休題。
瓦礫の陰に動きがあり、男達は咄嗟にライフルを構え直す。
高まる緊張の中、歩み出たのは一人の少年だった。両手を挙げ、抵抗の意思はないと必死で訴える。
だが男達は躊躇うことなく彼を撃ち殺した。
戦争は人をどこまでも残酷にする。年端も行かない子供を兵士に育てることなど造作もなく、剰え爆弾を巻き付け、自爆テロを行わせる事も珍しい話ではない。
尤も男達にとっては爆弾の有無など関係ない。自分達の行いを知る者を生かしておくつもりは毛頭なかったが。
派遣された部隊の中でも男達は異端と言っても良い。
元々は祖国の軍に所属し、幾つもの作戦に参加してきた優秀な兵士だった。
だからこそ長く戦場に身を置き心を病み、軍人として不適格の烙印を押され、軍から除隊勧告を受けた者達である。
彼等には思想も大義も矜恃もない。ビジネスのためでも、明日を生きる為でもなく、己の欲求を満たすために戦場に立ち続けている。
スリルを楽しみ、生を実感し、生殺与奪権を得たことに愉悦し、弱者を蹂躙する為に。
男達が所属するPMCもそんな彼等の嗜好を知らないわけではない。
しかしここ数年で急激な成長を遂げた企業にとって、結果だけを追い求めれば彼等は優秀な戦力であることは間違いない。
未だ過渡期の段階であり清濁を呑み込むのも致し方ないと割り切っていた。
だからこそ彼等は増長し、慢心し、自分達が特別だと錯覚してしまったのかも知れない。
リーダー格の男が撤収前にもう一度周囲を散策するように指示を出す。他にも生存者が居た場合、確実に息の根を止める必要がある。
戦場の理は至ってシンプル。生者こそ勝者であり、敗北は死を意味している。
勝者であり続けるためには慎重すぎるという事はない。
それを理解しているからこそ、彼等は紛れもなく勝者であり続けられたのだから。
そう、その瞬間までは……。
まるで雪花のように光の粒子が舞い落ちる。
想定外の異変が齎す幻想的な光景。
けれどその色は本来のものとは掛け離れ、毒々しく禍々しい輝き放ち、細菌兵器や化学兵器といった類の使用を懸念させるには十分すぎた。
男達は防毒マスクへ手を伸ばしながら天を仰ぎ、息を呑み、そして言葉を失った。
その背に紫の──まるで蝶の羽を思わせる──光の翼を大きく広げ、毒の鱗粉のように粒子を撒き散らしながら降臨する鋼の巨人。
身に纏う黒き甲冑は女性的なラインを持ち、身の丈ほどの大鎌を手にしたその姿はまさに死神の如く。
それが何なのか男達はよく知っている。
神聖ブリタニア帝国の主力兵器にして、各国がこぞって研究開発を進めている人型機動兵器=ナイトメアフレーム。
だが輸送機や航空支援機を用いず、自立飛行を可能とする機体が開発されたという噂は耳にしたことがない。
先を行くブリタニア本国でも航空機への可変式KMFの研究がされているが、実用段階にはまだ程遠いと言われている。
しかし男達が絶句した理由は何も技術的な革新だけではなかった。日夜研究に明け暮れる技術者が卒倒する機体であることは間違いないが、彼等にとってそれ以上に目を奪われたのは機体肩部に描かれたエンブレム。
ブリタニアの国章でなければ、当然現地政府のものであるはずもない。
歯車と剣をモチーフに描かれたエンブレムが意味しているのは彼等の雇い主たるPMCであり、そこに羽を広げた蝶の刻印が加わる事によって大きく意味を変える。
死を告げる黒き蝶、告死蝶または黒死蝶と畏怖される存在。
商品管理部……粛清部隊……。
誰の口からか、その呟きは絶望と共に零れ落ちる。
恐慌状態に陥った男達は叫びながらライフルの銃口に鋼の巨人を捉え、引き金を引いた。
一斉に放たれた銃弾が目標の装甲を貫くことはあり得ないと理解していても、それでも自らの結末を黙って受け入れる事は不可能だった。
祈りはしない、戦場に神など居ないと知っているから。
けれど死神なら目の前に居る。
バイザー型のフェイスガードに浮かび上がる紅い瞳。
そして死神は戦場を舞う。
神は救いの手を差し伸べてはくれない。
そう、悟るには十分すぎる光景だった。
目の前で大人達が死んでいく。私達を逃がすために対抗して、その身を盾として。
何度も何度も助けて下さいと祈る。
だけど無意味だった。
君だけは守ってみせる、だから君はここに隠れているんだ。絶対に動くなよ。
そう言って襲撃者の前に姿を見せた幼馴染みも、当然のように死んでいった。
戦うことは出来ず、祈ることも出来ず、ただ隠れて死の訪れを待つしかない。
もう諦めた。
どうせ助からない命なら、恐怖に怯え続けるのも馬鹿らしい。どうせなら早く楽になりたい。いっそこの身を彼等の前に晒して見せたはどうだろう?
いや、相手の中に異常性癖者が含まれている可能性が高い。犯されるのは嫌だ。あんな男達の慰みモノになるぐらいなら、自ら命を絶つ方がまだマシか。
でも奇跡は起こった。
救いの神は居た。
瓦礫の間から這い出た少女は手を組み、膝を着き、涙を流しながら祈りを捧げる。
神など居ないと諦め、一度は棄てた信仰
それでも今、彼女の心には新たな神が宿る。
例えそれが死神だとしても。
襲撃の報を受けた別動部隊が拠点へと戻ってくるまでの間、彼女は何もない空を見上げ、ただ祈りを捧げていたという。
唯一の生存者である彼女の言葉は明瞭を得ず、大人達は凄惨な光景を目の当たりにして気が触れたのだと哀れんだ。
それは強ち間違ってはいないだろう。
彼女は死の化身に心奪われてしまったのだから。
◇
“良かったのかい? 目撃者を消さなくても”
「その必要はないさ。どうせ彼女の言葉を信じる者なんて居ないだろうから」
内なる声に応えながら私は苦笑し、愛機のコンソールを一撫でする。
こうして騎乗する私自身、この機体が有している出鱈目なスペックには信じられないものがある。
未完成でありながら既存の最新鋭機とのスペック差には最早笑うしかない。
“まあ、キミがそう言うなら構わない。でもこれ以上、我らが姫のお心を乱して欲しくはないのだけどね”
「ん、何の話なのかな? どうしてそこで彼女が出てくる」
妖精さんの不可解な発言に私は怪訝な表情を浮かべて首を捻る。
“別に何でもないよ。あと妖精さんって呼ぶな”
一気に不機嫌そうな口調になる相棒は未だに妖精さん呼びは許してくれない。
というか私の表層意識を読むのは止めて欲しいんだけど。
「はいはい、ごめんごめん」
“はいは一回”
「はぁ……キミは私の母親か」
溜息を吐きつつ、ディスプレイの端に表示された現時刻に視線を向ける。
「ヨルムンガンドとの合流を少し急ごうか。あまり待たせては姫様のご機嫌が斜めだ」
“実害を被るのはキミだけだからね、ふふっ”
「だからだよ」
フットペダルを踏み込み、私は機体を加速させる。
さあ帰ろう、彼女の下へ。
そして準備しよう。
もう間もなく幕を開ける舞台へと共に上がるために。
─────以下おまけ(本編無関係)
「行きなさい、銃雷神ガントール。ライジングブラスター!」
少女の掛け声に合わせて放たれる閃光。
その光が相手を呑み込もうとした刹那、まるで形状記憶合金で出来ているのではと思えるほど奇抜な髪型と、サイケデリックな髪色をした少年は余裕の笑みを浮かべる。
「トラップカード発動、系統樹セフィロトの反転。この瞬間、フィールド上に存在する神と名の付くモンスターは無力化される。
そして俺のターン! ドロー! 屠竜騎ドラグナーを攻撃表示で召喚、同時に特殊効果を発動。墓地に眠る竜族モンスターをゲームから取り除くことで、枚数の分だけ攻撃力が1000ポイント上昇する。
さらに手札より特殊召喚! フィールド上に攻撃力5000以上のモンスターが存在する場合、そのカードを墓地に送ることで召喚を可能とする。来い、俺の相棒、神喰ノ魔天狼フェンリルロード!」
少年の隣、空間が割れ、荘厳にして荒々しい巨大な狼が出現する。
それはまさに神話に記された世界喰らう獣の如く。
「喰らえ、滅びの咆哮ラグナバースト!」
大地を震わせ、耳を劈かんばかりの咆哮と共に巨狼の顎より溢れ出る混沌が、世界を覆い尽くそうとでもいうかのようにフィールドを浸食し、そこに存在していた鋼の巨人を消滅させた。
「くっ」
そんな少女の姿に少年は勝ち誇った表情を浮かべて言い放つ。
「これで貴様のエネルギーポイントは残り20。貴様に勝機はない。もう負けを認め、俺に服従したらどうだ?」
「ふふっ、私が負ける? この私が? 違う、間違っているよ」
満身創痍で絶体絶命の窮地に立たされた少女。
しかし彼女は微塵も絶望などしていなかった。
それどころか、まるで現状を楽しんでいるかのように、年不相応な艶やかな笑みを浮かべて立ち上がる。
「死に損ないの分際で粋がるな」
絶対的な差がありながら未だ自分に刃向かおうとする少女の態度に、少年は苛立ちを隠せない。
だがそれと同時に、絶望的な状況下でも希望を失わず、余裕さえ見せる少女に対して恐怖を抱いていた。
「だったら次で終わらせようか。私にはまだ切り札が残っているんだからね」
ドロー、そう告げて少女は己のデッキからカードを引く。
運命に導かれるように、それが必然だとでもいうかのように、はたまた世界が彼女の勝利を望んでいるかのように。
彼女が手にした一枚のカード、そこに描かれているのは黒纏う少女に酷似した姿。
「おいで、殲滅姫ブラックリリー─────」
刹那、一瞬にしてテレビ画面が黒一色に染まる。
それは先程まで映し出されていたカード勝負が齎した現象などではなく、単にリモコンの電源ボタンが押された事による当然の結果だった。
「あ……」
ダイニングテーブルを挟んだ向かいの席に座る少年が、その愛らしい顔を曇らせ、悲しみの声を漏らす。
毎週欠かさず楽しみにしている番組の、しかもここ一番のクライマックスを邪魔されたのだから落胆するのも無理はない。
彼の楽しみを奪った悪魔、いや訂正しよう。悪魔さえ泣いて逃げ出す魔女は言う。
「一体いつまで食べているのかな、ロロ。そろそろ出ないと学校に間に合わないよ」
まるでトップモデルかの如く均整な体躯。宝石を鏤めたかのように輝く長い黒髪。そして何より同性が羨み、嫉妬することさえ憚られる美貌を有した少女。
彼女は自慢の黒髪を家事の邪魔にならないように頭の高い位置──俗に言うポニーテールだ──で結び、不釣り合いにしか見えない──愛らしくデフォルメされたウサギがプリントされている──ピンクのエプロンを身につけ、その手に何ら変哲もない40型液晶テレビのリモコンを手に立っている。
そんな彼女の口から発せられた言葉は、忙しい朝の時間にやや不機嫌になる世の母親のそれと同じだった。黙っていれば完璧なのに。
「それとスザクくん、今失礼な事を考えなかったかい?」
視線をこちらへと向け、彼女は微笑む。
それだけで俺は血に飢えた肉食獣と間近で対峙しているかのような錯覚を見た。背中の汗が尋常じゃない。
藤堂先生との本気の稽古でもこんな感覚に陥ることは滅多にないというのに。
生存本能が生きろと囁く。そう、俺は生きなきゃいけないんだ!
「……いや、ぜんぜん」
「そう、なら良いんだけどね、ふふっ」
そう言って視線を逸らした俺に対し、彼女は全てお見通しとでも言いたげな含みのある表情を浮かべる。
本当に自分の心の内を見透かされているようで怖くなる時があるんだけど……。
「じゃあ、姉さん、行ってきます」
こちらの会話を余所に朝食を片付けた少年──ロロが告げ、ダイニングを後にする。
「気を付けてね」
ただ彼は俺の横を通る時、世のお姉様方を虜にするであろう愛くるしい笑みを浮かべて毒を吐く。
「姉さんにいやらしい視線を向けないで下さい。本当に殺しますよ」
いつものように冗談では済まない殺気が込められた声は呪詛の如く。
多分チャンスがあれば有言実行するに違いない。
なんとバイオレンスな同居人なのだろうか。
「ほらスザクくんも早く片付けちゃいなさい、こう見えてお母さんも忙しいんだからね」
……………………。
そう言い残して主婦の戦場たるキッチンの奥へと戻っていく彼女の後ろ姿を、俺は何とも言えない感情を抱いたまま無言で見つめることしかできなかった。
同年齢の母親と年下の叔父との同居生活。
この奇妙な関係の発端となったのは七年前のある日。
未だに慣れるどころか、母親ぶる彼女に対する抵抗感は最近ますます増していく一方だ。
「話がある。後で書斎まで来い」
そう父さんに声を掛けられたのは、あの輝かしい夏の終わりだった。
何か怒られるような事をしたかな、と首を傾げる。
返却されたテストは既に処分済みであり、この事実は自分を除けば親友のみが知っていて、彼が父さんに告げ口するような人間ではないことは間違いない。
不安と困惑にモヤモヤとしたまま夕食を終え、父さんの書斎へと向かう。
「父さん、入ります」
ノックして、声を掛け、室内へと歩みを進める。
滅多に入ることのない父さんの書斎。
僅かに緊張した。
父さんはソファに腰を下ろし、お気に入りの葉巻を吹かしていた。
俺の入室に気付いては居るようだが声はない。
たぶん無言で対面のソファに座れと促しているのだろう。
よほど機嫌が悪いのか?
俺は恐る恐るソファに歩み寄り、父さんの対面のソファへと腰を下ろす。
だがそれでも父さんからの声はない。
様子を窺うようにゆっくりと顔を上げ、父さんを見る。
いつもより険しい表情だった。
でも機嫌が悪いというよりは、どこか緊張した面持ちに見えた。
まさか子供相手に緊張している?
あの父さんが?
困惑を強めた俺だったが、視界に映り込んだ人物の姿にさらなる困惑に見舞われた。
入口側からでは父さんの陰に隠れて見えなかった小柄な身体。
長い黒髪とアメシスト色の瞳、親友とよく似た外見的特徴を持つ少女。
彼女の名はリリーシャ・ヴィ・ブリタニア。
ブリタニアから留学という名目で訪れた三人兄妹の一人。
もっとも留学などではなく、人質もしくは生贄として祖国に捨てられたと彼女の双子の兄であり、俺の親友でもあるルルーシュから聞かされている。
ただそんな境遇でありながら、彼女からは出会った当時から一切の悲愴感を感じることはない。
それは今も同様で、険しい表情を浮かべる父さんの隣で彼女は微笑みを浮かべていた。
しばらくの沈黙が訪れた後、葉巻を消し、咳払いを一つして父さんが重い口を開いた。
「スザク、話というのは……あれだ」
いつもはさっさと言いたい事だけを言って話を終わらせる父さんが、今回は何故か言葉を選び、迷っているかのように思えた。
よほど俺には言いにくい事なのだろうか。
「私から告げても良いんだよ、枢木ゲンブ」
それを見かねたのか、リリーシャがそう提案する。
「いや、いい。これは儂の口から言うべき話だ」
「ならいいけどね」
「何なんだよ、二人して。話があるなら早くしてよ、宿題も残ってるんだし」
宿題云々はもちろん嘘だ。
ただこの微妙な空気の漂う空間から早く逃げ出したかっただけ。
今にして思えば子供ながらに、いや子供だからこそ、これから語れる事が自分にとって不都合なことだと機敏に察知していたのかもしれない。
「スザク、よく聞け。儂は再婚することにした」
「へ?」
まるで予想していなかった言葉に反応に困る。
再婚と言うことは新しい母親が出来るのだろう。
だけど自分が幼い頃に母親は亡くなったと聞かされ、事実記憶にも残っていないため反応に困った。
「えっと、その……おめでとう、父さん」
取り敢えず祝福するべきだろうと、ぎこちなく言葉を返す。
前に桐原のお爺ちゃんから見合いを進められていた場面を見ているし、世間一般的に再婚は珍しい事でもなく、戸惑いはあったが俺としては新しく母親となる人を受け入れようと考えた。
そう、この時までは。
「あ、ああ……ありがとう」
「で、その相手ってどんな人なの? もしかして俺の知っている人?」
「……そ、そうだ」
知っている女性か、誰だろう?
父さんの秘書をしてくれている人か、それともまさか閣僚の人。いや家に務めているお手伝いさんっていう線が濃厚かな。ほら、旦那様と使用人の禁断の恋とか、よくドラマとかにもあるし。
「誰なの?」
「……彼女だ」
「え、誰? 今日来てるの?」
取り敢えず部屋の中を見回してみるが、部屋の中には俺と父さんとリリーシャの姿しかない。
どういう事だろ?
この時、多分俺は気付いていたんだと思う。
だけど信じたくなくて、本能的にその可能性を抹消していたに違いない。
信じたくはなかったよ。
「スザク、彼女だ」
父さんが視線を明確にリリーシャへと向けながら告げる。
いやいや、それはない。ないわ~。
もし事実ならドン引きするわ~。
「これからはお母さんって呼んでいいよ、スザクくん」
対してリリーシャはそんな事を宣いながら、父さんの腕に自分の腕を絡めて寄り添った。
「こら、やめないか、スザクの前で」
「ふふっ、そんなこと言って本当は嬉しいくせに」
「嘘だッ!!」
何これ? いや、マジで何これ?
父さん、なに本気で照れてるの?
年の差は?
いや、そもそも犯罪だよね?
おまわりさん、コイツです。
俺の精神は混乱の極地の達し、その後の事はよく憶えていない。
気付けば布団の中で膝を抱え、これは夢だと呟きながら涙を零していた。
これを機に多分俺はリリーシャの事が好きだったんだと自覚した。
出会って早々に泣かされかけ、最悪な奴だと思っていた。
警戒し、あまり近付かず、それでも気付けばその姿を目で追っていた。
皮肉げな笑みを浮かべ、からかってくる彼女の事が疎ましく思わなくなったのはいつのことだろう。
だけど現実は残酷で、俺の初恋はあの輝かしい夏と共に終わりを告げた。
そして俺は家出し、彼女の兄妹であるルルーシュとナナリーは早々に東京の学校──確かアッシュフォード学園だったか──に入学。長期休暇でも帰ってくることなく寮生活を送っている。
だって年の差夫婦とか抜かす犯罪者と一つ屋根の下だなんて考えただけでも恐ろしい。
僕がルルーシュの立場なら、殺人という凶行に走っていたかも知れない。
え、極東事変はどうなったのかって?
ああ、あれね。日本の勝利で終わったよ?
ブリタニアの侵攻計画をまるで最初から知っていたんじゃないのかと思えるほどに完璧な対抗策で迎え撃ち、日本中で厳島の奇跡が起こった。
ってか、奇跡の大安売りで株価暴落だね。
そして日本は世界で初めてブリタニアの侵攻を退けた国家として、改めて世界にその名を知らしめることとなった。
あと、何故か本土防衛作戦の指揮に参加してたリリーシャが、救国の女神だと持て囃されていた。
いや、今現在も鹵獲したブリタニア軍の最新兵器=
はいはい、さすリリ、さすリリ。
「う~ん、熱はないようだね」
「うわっ、何してるんだよ!?」
別に思い出したくもない過去の回想を終え、意識を現実へと戻すと、視界一杯に彼女の顔が映り込み、咄嗟に身を退き、椅子から転げ落ちそうになる。
「ん? いや、キミがボーっとしているようだったから、熱でもあるんじゃないのかと思って。心配だからおでこで測ってみたんだよ。ま、もっともちゃんと体温計を使った方が確実だけどね」
彼女は狼狽える俺の姿を見て、悪戯が成功した子供のようにクスクスと笑う。
ああ、もう、くそっ!
あの日、砕け散った恋心の欠片が、今もまだ未練がましく熱を持って胸を焦がす。
これも全部、お前が早死にするからだぞ、クソ親父!
テレビ台の傍に置かれた写真立てを一睨みして悪態を吐く。
そう、変態だと心の中で罵り続けた父さんは既に他界した。
極東事変後も散発的に続くブリタニアとの戦闘や、サクラダイトを巡る各国との調整、リリーシャが創り出した超兵器への対処など十分に休む暇のない激務が齎した過労死だった。
息子の初恋を邪魔するからだ、ざまぁないと思わなくもないけど。
ただ一部でまことしやかに囁かれる噂に、枢木ゲンブの本当の死因は過労死ではなく若い後妻との情事による腹上死だったというものがある。
うん、流石に本人に直接確認することは憚られるが、もしこれ事実なら墓の中まで持って行くしかない。
「はぁ……学校行こう」
不毛な思考を止め、携帯を一瞥して現時刻を確認する。
特に走らなくても間に合いそうだ。
なんて事を考えていたらガタガタと窓が揺れ、次いで家全体が揺れ始める。
地震か、と思ったのも束の間、手入れの行き届いた庭の景観を破壊しながら降下してくる一騎のKMF。
藤色をしたその機体=月詠には見覚えがあった。
というか結構頻繁に来訪しては庭を台無しにする庭師泣かせである。
「リリーシャお姉様、大変です! 大変なのです!」
コックピットブロックが解放さて、いつも通り姿を見せたパイロットスーツ姿の従姉妹=皇神楽耶が叫び声を上げる。
「またなんだ」
指名を受けたリリーシャはやれやれと言いたげに溜息を吐きつつ、エプロンの紐を解くと椅子の背もたれへと投げ掛け、庭へと続く戸を開いた。
「今日はどうしたのかな?」
「はい、それがまた彼の国が大艦隊を率いて領海侵犯を」
「毎度のことだけど呆れるね。それで今回はどんな無茶な事を言ってるんだい?」
「皇帝自らが我が国への亡命を望んでいます。もしそれが受け入れられない場合は即座に侵攻を開始する、と。
また交渉を希望する場合ですが『交渉相手は私の嫁以外認めません! 早く会いに来て下さい、リリーシャ!』との事ですわ」
「はぁ、大国の最大権力者が亡命って何を考えてるんだか……頭が痛い。
いいよ、お仕置きも必要みたいだし私が出る。わざわざキミが来たんだから、用意は出来ているんだよね?」
「もちろんですわ。上空にリリーシャお姉様の愛機伊邪那美を搭載した航空艦を待機させております」
「という事だからスザクくん、これからお母さんはお仕事に行ってくるよ。たぶん晩ごはんの時間までには戻ってくるけど、もしおかずが出来合いのお総菜になったらごめんね」
「いや、気にしないけど」
うん、何を言っているか理解はできないけど、もう慣れた。
彼女曰く「詳しい事は守秘義務があるから話せないんだけど、お母さんは日本の平和を守っているんだよ」らしい。
いや、ある程度の情報はネットで拾えるこのご時世、さすがに隠せるような事ではないんだけどね。
でも藪をつついて蛇を出すことが明白なので敢えて追求はしないよ?
「じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい」
やる気なく手を振り、リリーシャを見送る。
が────
「あ、そうだ、忘れていたよ」
すぐに彼女は踵を返して戻ってくる。
「忘れ物? ガス栓とかだったら俺が確認しておくよ?」
「いや、違うよ。ほら、いってきますのチュー」
歩み寄ってきたリリーシャが顔を寄せてくる。
その瞬間、頬に柔らかな感触が齎された。
「なっ!?」
「ふふっ、今度こそいってきます」
庭に出た彼女が月詠の手に乗って飛び立ち光景を、俺はただ呆然と眺めることしかできなかった。
顔が熱い。
いや、身体全体が熱かった。
まるであの夏の日に砕け散った恋心が、心の奥底で燻り続けているとさえ言いたげに。
「ああ、もう! 人の気も知らないで!」
後日、とある掲示板に【相談】俺と同い年の母親がこんなに可愛いわけがない【ヘルプ】というスレッドが立ったとか立たなかったとか。
何れにしろ、枢木スザクの苦悩する思春期の日々は続く。
【ifエンド3 もしも枢木ゲンブがリリーシャ・ヴィ・ブリタニアの提案を受け入れていたら……】