エリア11、シンジュクゲットー。
その名が示す通り、そこは7年前に起こった神聖ブリタニア帝国による侵略戦争、極東事変における敗戦国の国民たる
7年の歳月が経過した現在でも戦争の爪跡は生々しく、破壊された街並みと瓦礫が未だ手付かずのまま放置され、まるで見せしめのように時代から取り残されていた。
再開発の区画整理は予定されているが計画は遅々として進まず、実質的には廃棄区域も同然の扱いを受けている。
その為、犯罪組織や反ブリタニア組織──レジスタンスを自称するテロリスト──などの巣窟となって居ることは否定できず、エリア11の中枢であるトウキョウ租界の目と鼻の距離ということもあり、時間の経過と共に不安と懸念の声は大きくなっていた。
そしてそれは大都市の下、埋め戻されることなく残され、まるで一種の迷宮のように縦横無尽に広がる地下空間も同様だった。
かつて多くの人々で賑わいをみせていた新宿の地下街も、今や見る影もない。
ただ先の見えない暗闇、そして静寂が支配している。
そう、昨日までは……。
銃声や射出音、継いで爆発音と発光を伴う衝撃が地下通路を揺らし、どこからともなく悲鳴が上がる。
今日もまた昨日までと同じ日常が訪れることに、疑いを抱かなかった者が大半を占めていたはずだ。
例え己が望んだものでは無かったとしても、順応性の高い人間は、圧倒的な諦観によって現実を受け入れていた。
これ以上、明日が悪くならないように祈りながら。
しかし世界は残酷だった。祈りも願いも嘲笑い、仮初めの安息は突如として齎された戦禍によって、脆く儚く崩れ去る。
爆発音が響き、時折揺れる薄暗い地下通路を少年と少女は逃げ惑うように走っていた。
けれどそれも長くは続かない。
通路には7年前の戦争の影響、またその後の風化によって崩れ落ちた天井や、ひび割れた壁が瓦礫となって散乱していた。
それに躓いた少女がバランスを崩して転倒する。
「何なんだよ、お前はッ!?」
そんな少女に対して苛立ち、罵倒の如く少年は声を荒げた。
平時ならば彼女の事を気遣い、優しく声を掛けたかも知れないが、混乱と動揺を押し殺すこともままならない現状そこまでの余裕はない。
彼自身、自分がイレギュラーに弱いことは自覚していたつもりだった。
故に行動を起こす前には必ず幾通りものパターンを構築し、常に不測の事態に備えている。
それでも現状は少年の思い描いていた事態を大きく逸脱していた、もはや修正が不可能な程に……。
一方、倒れた少女は少年に対して抗議するでもなく、非日常に怯え恐怖する様子を微塵も感じさせず、ただ静かに彼の一挙手一投足を観察するかのような視線を向ける。
その姿を第三者が見れば異常だと思ったに違いないが、現状それを指摘する者は居ない。
「しかもアイツが……スザクが……」
壁に背を預けると額を押さえ、少年は幼き日に生き別れた友人の名を弱々しく呟いた。
その脳裏に鮮烈に焼き付いた先刻の出来事を思い浮かべながら。
◇
「永田、無事か? 今どの辺りだ? ああ、分かった。いや、自力で歩けるならそれでいい。お前はすぐにその場を離れ、第四合流地点へ向かえ。目標の回収は私が行う」
使えないテロリストだと内心悪態を吐きながら指示を出し、通信機を身に纏ったウインドブレーカーのポケットへとねじ込み、防毒マスクを装着する。
順調とは言えないがこれも想定内のことであり、まだ絶望するほど最悪でもない。
この時はそう思っていた、目の前に彼女が姿を現わすまでは。
旧地下鉄構内を進み、程なくして目的のモノを視界に捉える。
動けなくなった運搬用のトレーラー。
そしてその荷台に積まれ、闇の中でもその存在を誇示するかのように鎮座する重厚な金属カプセル。
──ざ…ざざ……見つけた……私の……。
トレーラーの重量に路面が耐えきれずに陥没したのか、それとも崩落した瓦礫に乗り上げたのか、何れにしろ幸いなことに想像していたよりもトレーラーの損傷は軽微であり、遠目には荷台への影響も確認できない事に安堵する。
それ相応の時間と費用を投じたのだ、損失だけが残る結果となってしまっては目も当てられない。
内包するモノがモノだけに、カプセルの耐久性はある程度約束されているのだが、それ故に慎重にならざるを得ない。
そう、異様な重圧を放つカプセルの中に格納されているのは化学兵器、大量殺戮を可能とする毒ガスなのだから。
ブリタニア軍が毒ガスを精製している。
その情報が齎されたのは半年前のこと、出所は以前から付き合いのある情報屋からであり信頼できた。
情報屋と聞けば胡散臭いが、彼等は情報の正確さと鮮度に文字通り命を懸け、業界では能力の低い者から淘汰されていく。
もちろん情報をただ鵜呑みになどしないが、裏付けをとる過程で疑念はやがて払拭される。
表向きは民間企業の研究施設。しかし搬入される資材や出入りする人員、設計時の図面とは異なる建造物、規模から想定される以上の使用電力、何より民間企業では考えられない警備の質など、調べれば調べるほどそこに何かがあることは明白だった。
かくして半年の準備期間を経て計画は実行に移された。
事前に対象施設の変電設備及び送電網を破壊し、施設の運営継続を不可能とする。
そうすればブリタニア側は事が大きくなる前に施設の破棄もしくは移転を考えるだろう。
あとは別の施設へと搬送される対象物を載せたトレーラーを強奪すればいい。
実際に現物を見ていない以上、百パーセントの保証はなく、賭けに出たと言ってしまえばそれまでだが、ブリタニア側の反応を見る限り、賭けはこちらの勝ちだった。
その確信を得るに至ったのが、手を組んだテロリストの一人が起こした不用意な行動からというのが癇に障るのだが……。
まあいい。租界内に運び込むことが出来ればベストだったが、外縁部に辿り着けば後はいくらでも方法はある。
いや、違う。そもそも危険を冒してまで租界内に運び入れる必要はなく、何より最初から強奪した毒ガスの使用を前提とした計画ではない。
使用可能な大量殺戮兵器をテロリストが手中に収め、いつでも租界内の住民を──場合によっては他のエリアやブリタニア本国の住民を含め──虐殺できるとブリタニア側に認識させる事に意味がある。
一種の自衛手段、武力弾圧に対するカウンター。そして他のテロ組織を刺激し、後の大きな抵抗運動へと繋げる起爆剤としての側面を持つ。
もちろん使用に関しての判断には、現時点ではと言葉が続くのだが。
尤も今回の計画に参加したテロリスト内で、その事実を知る者は極一部のみとなっている。煩わしいが当然過激派の連中に対しては後々対処が必要か。
周囲を警戒しながら、慎重にトレーラーへと近付いていく。
身に付けた防毒マスクに不備はなく、化学物質の流出を告げるセンサーにも明確な反応はない。よって問題は無いはずだ。
だというのにこの時、俺は──異変とでもいうべきか──説明しがたい奇妙な感覚に襲われていた。
正確には目標物である金属カプセルを視界に捉えた瞬間から薄々感じていたが、本能的に意識を逸らしていたのかも知れない。
物が物だが、極度の緊張による体調不良だというなら、我ながら細い神経だと自嘲しただろう。
けれどそれは体調の変化などではなく、既視感もしくは既知感と言い表せる感覚だった。
目の前の光景を知っている、かつてどこかで目にしている。
知識として知っているだけではなく、情報として理解しているだけでもない。
暗い地下鉄構内も、動かなくなったトレーラーも、強硬な金属カプセルも、この現状の全てを自分は憶えている。記録ではなく、記憶として刻まれている。
過去に現状と同じ光景に遭遇している?
いや、そんな事はあり得ない。
俺の記憶は俺だけのモノだ。
心の奥底から込み上げてくる不快感を押し殺し、歩みを進める。
──ざ…ざざ……さあ……私は……ここだ……。
だが一歩、また一歩と足を踏み出す度に既視感はより鮮明さを増し、遂には自分を呼ぶ声まで聞こえた気がする。
まさか幻聴まで聞こえてくるなんて、いよいよ気が触れてしまったのか。
頭の中で誰かが訴えている。
引き返せ、それ以上進めば戻れなくなる、と。
女神の啓示か、はたまた悪魔の囁きか。
馬鹿馬鹿しい。何を今さら言っている。
戻るべき道などあの夏の終わりから存在していないというのに。
荷台へと乗り込み、すぐにカプセルの状態を確認する。
目に見える損傷も異常もなく、センサーにも化学物質等の検出反応は見られなかった。
ならば何時までもこんな所で時間を無駄にするわけにはいかない。慎重かつ速やかにカプセル内の毒ガスを確保し、合流地点へと向かわなければ────
来るっ!
誰かが叫ぶ。
「ッ!?」
ぞわっと肌が粟立ち、背後から迫る気配を感じた俺は咄嗟に振り返り、両腕を身体の前で交差させながら身構える。
刹那、視界に映り込んだのは空中で身を捻り、蹴りを繰り出そうとするブリタニア兵の姿だった。
躱すのは不可能だ。
インパクトの瞬間に合わせ、少しでも衝撃を殺そうと背後へと跳ぶ。
それでも殺しきることは出来ず、腕部に装備したプロテクター越しでも骨が軋み、悲鳴を上げた。
腕が痺れる。
くそっ、なんて威力だ。
「これ以上殺すな! 毒ガスなんて、そんなもの使わせない! 無駄な抵抗は諦めろ!」
さらに怒号と共に相手は俺の胸倉を掴もうと腕を伸ばす。
そうはさせまいと抵抗するが、もみ合う内に運悪く防毒マスクが外れ、素顔を晒してしまう。
「ちっ!」
その事に気を取られ、僅かに隙が生まれる。
しまったと思った。
けれどどういう訳か相手は追撃のチャンスを無為にする。
理由は分からないが、こちらにとっても好機であり無駄にしてやるつもりはない。
相手を蹴り付け、その反動を利用して距離を取り、体勢を立て直す。
改めて相手の姿を確認する。
身に付けた装備からブリタニアの下級兵であることは間違いない。
にも関わらず銃火器を携行していない事から考え、銃火器の携行を許可されていない名誉ブリタニア人、つまりは元日本人の可能性が高いと推測できる。
表向きシンジュクゲットーという場所柄を考慮し、土地勘のある名誉ブリタニア人を使ったのだろうが、毒ガスの回収という任務上、最悪のケースを想定して捨て駒にされたとも考えるべきか。
境遇に同情はしよう。
それでも悪いが大人しく捕まってやる義理はない。
携行を許されているは、せいぜいがナイフ一本。
相手が一人なら切り抜けられない事はないはずだ。
「この毒ガスだって元はと言えばブリタニアが製造したものだろ」
「……やはりお前」
「殺すな? だったらブリタニアをぶっ壊せ!」
そう、全ての元凶はあの国だ。
あの国が、あの男が、あいつが存在しなければこんな事にはなっていない。
込み上げてくる憎悪を言葉に乗せて吐き出した。
果たして相手はどんな反応を見せてくれるだろうか。
懐柔できる可能性があればよし、なければ排除するだけだ。
だが次に相手の口から紡がれた言葉は、俺がまるで予期し得ぬものだった。
「ルルーシュ?」
突如として己が名を呼ばれて息を呑む。
一体どういう事だ?
何故コイツは俺の名前を知っている!?
困惑する俺をよそに、眼前のブリタニア兵はゴーグルと一体化したヘルメットを脱ぎ去り、親しげな笑みを浮かべながら自らの素性を告げた。
「僕だよ、スザクだ」
「なっ────」
告げられた名に強い衝撃を受ける。
スザクという名前に一人だけ心当たりがあった。
名を告げられ、まじまじとその顔を見れば、確かに記憶に残るかつての友人の面影がそこには存在していた。
同時に脳裏を過ぎる記憶は、幼き日にこの日本の地で体験した大切で輝かしい思い出。
そしてその終焉を告げる夏の終わり。
憎悪を抱き、憤怒に身を焦がした、忘れることの出来ない別れの光景だった。
どこからともなく──あの夏耳にした──蝉の鳴き声が聞こえてきたような気がした。
◇
皇歴2010年8月。
その夏、日本という国家が地図から消えた。
ブリタニアの圧倒的な兵力、初めて実戦投入されたKMFのめざましい戦果もあり、日本は一月も保たずに降伏の道を辿る。
新たに与えられた名はエリア11。
だが人々の内に灯った戦火は消えることなく燻り続ける。
やがて大火と化す可能生を秘めながら。
そう、例えそれが幼き子供だとしても例外なく。
むしろより顕著に。
黄昏色に染まった空の下、大国の脅威に焼き払われた大地の上で、二人の少年は別れの時を迎えていた。
再会の目処はなく、今生の別れとなるかも知れない事は互いに理解していた。
だから再会の誓いを交わすことなく、自らが目指すべきモノを友に宣言する。
「スザク、僕はブリタニアをぶっ壊す! あの男やアイツが居る国をこの手で!」
黒髪の少年はその瞳に暗い炎を宿し、宣言と共に強く強く拳を握り締める。
脳裏に刻みつけられた敵国たる祖国を、そして討ち倒すべき父、半身とも呼べる双子の妹の姿を思い浮かべながら。
他者が聞けば無理だと、不可能だと嘲笑するだろう。
だが相対する茶髪の少年は、彼の想いを笑うことはない。
それでも僅かに、どこか悲しげで、寂しそうな表情を浮かべ、友の言葉を否定する。
「違うよ、ルルーシュ。それじゃ駄目なんだ」
「ッ、何が違うって言うんだ!?」
黒髪の少年は激昂した。
目の前の友人ならば、分かってくれると考えていた。
同じ想いを抱き、二人なら出来ないことはないと。そう返してくれるはずだと。
例えそれが自らの考えを相手に押し付けていると理解していても。
だからだろう、彼が裏切られたと思ってしまったのは。
「例えブリタニアを壊しても、この世界は変わらない」
茶髪の少年もまた知ってしまった。
自分達を取り巻く環境を、力なき子供ではどうすることも出来なかった世界を。
故に一つの結論に辿り着く。
「だからルルーシュ、壊すなら────」
世界を壊そう。