今日わたしはお姉様に誘われて、アリエスの離宮を訪れていました。
いつも軍のお仕事が忙しいお姉様の誘いを断る理由はありません。
そうでなくても懇意にして下さっているマリアンヌ様、異母兄妹の中でも特に仲の良いルルーシュやナナリー達に会えるのですから、二つ返事でアリエスの離宮行きを決めました。
ただ、実のところ理由はそれだけではないのですけれど……。
麗らかな昼下がりとでも言うのでしょうか。居心地の良いアリエスの離宮自慢の庭園で、ルルーシュとナナリー、遅れて合流したマリアンヌ様とお茶を楽しみました。
お天気で本当に良かったです。
その一時を楽しいと感じた気持ちに嘘はありません。
だけど素直に楽しむ事が出来なかったのも事実です。
わたしの心は雲に覆われ、常に疑問と罪悪感のようなものが燻っていました。
目の前の光景に不満を抱いてしまいます。
どうしてこの場に彼女の姿がないのでしょうか?
本来なら彼女もこのお茶会に参加していて当然なのに……。
時間が経ち、わたし達が帰る間際の事でした。
わたしは知りました。
彼女がまた倒れたことを。
お姉様から聞いたのか、それとも侍従の方から聞いたのかは憶えていません。
気付いた時、すでにわたしは走り出していました。後ろからお姉様がわたしの名を呼びますが、止まる事なんて出来ません。
わたしは振り返ることなく、ただ前を向いて走ります。
1秒でも早く彼女の下に辿り着くために……。
◇
彼女と初めて出会ったのは、アリエスの離宮でルルーシュ達とかくれんぼをしていた時の事です。
普段はあまり訪れる事のない離宮の奥へと進んだわたしは、人の気配がする部屋の扉を開けました。
その部屋は書庫のようでした。たくさんの本が収められた書棚が、壁を埋め尽くすように並べられています。
少し圧倒された光景の中で目を惹かれたのは、窓際に置かれた白い小さなテーブルセット。いえ、正確にはそこで一人椅子に座り、本を読んでいる彼女の姿でした。
紫色の蝶の形をした髪留めで纏められた艶やかな長い黒髪が、太陽の光を反射して宝石のように輝いています。
白い肌に纏ったシンプルなデザインの黒のドレスがとてもよく似合っています。
そして何より目を奪われたのは、可愛いではなく美しいと思えるその美貌です。自分と同じぐらいの年齢のはずなのに、もはや羨ましいという感情すら抱けません。
それ程までに圧倒的で絶対的な差を直感しました。
窓際で本を読むという行為が、とても絵になっています。
──ざ…ざざ……して。
わたしは一目見た彼女の姿に言葉を失いました。
優雅で、高貴で、そして神秘的。
まるで絵本の中に登場するお姫様。その時わたしは初めて、魔王がお姫様を攫いたくなる気持ちを理解しました。むしろ今なら魔王を応援してしまいそうです。
──ざざ……どうして。
思えばこの瞬間、わたしは彼女に魅了されていたのかも知れません。
このまま眺め続けているわけにもいかないので、思い切って彼女に声を掛けてみようとした瞬間でした。
ぐぅ~。
…………わたしのお腹が鳴りました。
どうしてこんな時に!?
第一印象は大切です。
なのに、何で……。
食欲に忠実な自分を呪います。
「ふふっ、良かったら食べるかい?」
お腹の音でわたしの存在に気付いたのでしょうか、わたしに視線を向けた彼女は苺のタルトが載ったお皿を差し出し、微笑みながら問い掛けてきます。
うう、すごく恥ずかしいです。
本当に顔から火が出そうなほど熱くなります。
わたしはただ頷くことしか出来ずに、勧められるがままに彼女の向かいの席に腰を下ろし、タルトをいただきました。
甘くてとても美味しかったです♪
そう、いつまでも落ち込んでいるなんてわたしらしくありません。
彼女の存在感に圧倒され、またお腹が鳴るアクシデントはありましたが、もう大丈夫です。わたしはやればできる子なんですから。
気を取り直してまずは自己紹介。
彼女の名前はリリーシャ・ヴィ・ブリタニア。
ルルーシュの双子の妹らしいです。
二人の容姿がよく似ている事もあって、すぐに納得できました。
あら? でも待って下さい。
ルルーシュとナナリーが一緒に居る場面はよく見かけます──そもそもわたしがルルーシュと会う時には常にナナリーの姿があったような気がします──が、ルルーシュとリリーシャが一緒に居る場面を見た事がありません。
それどころかルルーシュの口からリリーシャの名前が出たことすらありませんでした。
現にわたしは今日初めてリリーシャと出会って、その存在を知ったわけですし……。
一体どういう事なんでしょうか?
その事を直接リリーシャに告げると、彼女はただ苦笑するばかりでした。
わたしは首を傾げます。
その後もたわいもない会話を楽しみました。
リリーシャはとても博識で、わたしの知らないことを沢山知っています。
さっきまで彼女が読んでいた本も、大人でも読まないような難しい内容で、わたしには全然理解できませんでした。専門用語がいっぱいで頭が痛くなりそうです。
どうしてこんな難しい本を読んでいるんですかと訊くと、知識を身に付けることは将来のためになるから、という答えが返ってきました。
そんな事を平然と言えるリリーシャを尊敬します。
「ユフィ、こんな所に居たのか」
不意に扉が開き、そう言ってルルーシュが入ってきました。
彼は不機嫌そうに眉を顰め、リリーシャを睨み付けます。
その時、わたしはかくれんぼの最中だった事を思い出しました。やっぱり忘れてしまっていた事を怒っているのでしょうか?
でも悪いのはリリーシャではありません。
悪いのはわたしです。だからそんなにリリーシャを睨まないで下さい。
「行こう、ユフィ」
だけどルルーシュは聞く耳を持ちません。
わたしの手を掴んで、強引に書庫から連れ出します。強く掴まれた手が少し痛いです。
そんなに急がなくても良いじゃないですか。リリーシャにちゃんとしたお礼を言ってませんし、お別れの挨拶だってまだ……。
ルルーシュの態度に戸惑いながら、リリーシャへと視線を向けます。
すると彼女は、
「私の事は気にする必要はないよ。いつものことだからね。バイバイ、ユフィ」
そう言って微笑みました。けれどその表情がどこか悲しげに見えたのは、気のせいではないはずです。
無言で歩む廊下。わたしは前を歩くルルーシュに手を引かれ、彼に着いていくことしか出来ませんでした。
「もうあそこには近付かない方が良い」
ルルーシュが振り返ることなく言います。
書庫に近付くな。それが暗にリリーシャに近付くなと言っているのだと、わたしでも薄々理解できました。
何だか悲しい気持ちになります。
おかしいです。ルルーシュにとってリリーシャも、ナナリーと同じ妹のはず。それなのにこんな態度は間違っています。
「違う、アイツは妹なんかじゃない」
確かに双子だと妹には思えないのかも知れませんが、それでももう少し言い方があると思います。
ただ、ルルーシュが続けた言葉は、わたしの考えの遙か斜め上を行っていました。
「アイツは悪い魔女だ」
え?
どうしてルルーシュがリリーシャの事をそんな風に言ったのか、わたしには分かりません。確かに全身黒色で統一されていましたが、魔女なんかではなくお姫様にしか見えないのに……。
その真意を知ろうとしましたが、それっきりルルーシュはわたしの問い掛けには答えてくれませんでした。
リリーシャと出会ったその日、家に帰ったわたしはお姉様にリリーシャの事を尋ねました。
お姉様の話では、リリーシャは産まれた時から身体が弱く、滅多にアリエスの離宮の外に出ることはなく、社交界などの公の場に姿を現すこともないとのこと。
それ故に交友関係は皆無と言え、話題に上がることもない。第一に本人が他者との関わりを避けているそうです。
「私も一度しか会ったことはないが、ユフィと歳の近い異母妹として気にはなっていた。
そうだ、ユフィ。彼女と友達になって欲しい。そうなればマリアンヌ様の心労も少しは和らぐはず」
「嫌です。お姉様がマリアンヌ様のことを尊敬していることは知っていますけど、それは話が別です」
「ユフィ……」
お顔を曇らせるお姉様。
もう、そんなお顔をしないでください。
「だって、わたしとリリーシャはもう友達です。それに友達は誰かに言われてなるようなものではありません」
「ふふっ、そうだな。私が間違っていた、許してくれ」
リリーシャがわたしの事をどう思っているか分からりません。
だからこの想いは一方的かも知れませんが、わたしは彼女のことを既に友達だと思っています。
彼女も同じように思ってくれていたら嬉しいのですけど……。
それからわたし達の交友関係は始まりました。
アリエスの離宮を訪れた際には必ずリリーシャにも会いに行きます。
最初は反対していたルルーシュでしたが、最近では諦めたのか、あまり強くは言ってきません。
それでも相変わらず彼女のことを快くは思っていないようですが。
とても残念です。
どうしたらルルーシュに彼女の事を理解してもらえるのでしょうか?
二人の仲の良い姿が見てみたいです。
それは何度目かの訪問の時でした。
彼女が倒れたと聞かされました。
わたしは急いで彼女の自室へ向かいます。
彼女の部屋でわたしが目にしたのは──ベッドの上に横たわる──普段のリリーシャから想像すら出来ない弱々しい姿。
年相応、いえ、それ以上に儚い存在に思えました。
いつも冷静で、少し皮肉屋で、大人びている彼女しか知らないわたしにとって、その姿はあまりに衝撃的でした。
魘される彼女が──まるで助けを求めるかのように──伸ばした手を取り、早く良くなるように祈ることしかできませんでした。
そしてその日、わたしは彼女が置かれている状況の一端を知りました。
これで何度目だ?
このままでは政略結婚にすら使えない可能性がある。
そもそも保つのか?
心配する事はない、ルルーシュ様がいらっしゃる。
それにナナリー様も。
侍従の方達が陰で交わしていた会話を耳にしてしまった瞬間、わたしは憤りを隠せませんでした。
彼等はリリーシャの事を本心から心配する事なく、それどころか政争や権力闘争の道具としてしか見ていない。
その事実に愕然とし、同じ人間として嫌悪感さえ抱きます。
もちろん彼等の考えが完全に間違っていない事は理解しています。
お姉様は必死で隠そうとしていますが、リリーシャが教えてくれました。
この世界が、人が綺麗なものだけではないことを。
煌びやかな宮殿には直視するに耐えない裏側が存在している事実を。
そしてこのブリタニアという国が弱肉強食を掲げ、他国を侵略している現実を。
蔓延する強者の悪意と弱者の悲劇。
だからといって彼女の扱いが許せるかどうかは別問題です!
自身のことを最も理解している彼女が、周囲の評価に気付かないはずがありません。
敬い媚びを売る侍従の仮面に下に隠された人間の醜い本性。
だからこそ彼女は他者を信用することを止め、関わる事を避け、むしろ遠ざけようとしているのでしょう。
諦め、受け入れ、納得することでしか自分を守れないから……。
だったら……、だったらわたしがリリーシャを守ります!
わたしだけは何があっても彼女の味方になるって決めました!
お姉様のように戦うことは出来ません。軍に入りたいなんて言ったら、お母様もお姉様も絶対に反対して許してくれないでしょう。
ルルーシュのように頭の回転は速くないし、リリーシャのように豊富な知識を持って居るわけでありません。
現状、今はまだ何も役に立てないかも知れません。むしろ足手纏いになってしまうでしょう。
それでも絶対です。
わたしは諦めません!
今のわたしに出来る事は勉学に励み、知識を身に付けること。
リリーシャが言っていました。知識を身に付けることは将来のためになるって。
待っていてください。
きっと貴女の隣に立って恥ずかしくない存在になってみせますから。
だからその時は……あの…その……えっと…何でもないですっ!
◇
あの日。
そう、私の未来が変わった運命の日。
私は夢を見ました。たぶん……夢だと思います。もしかしたら白昼夢といわれる類のものかも知れませんが。
今でもその内容は鮮明に憶えています。
世界に広がったノイズ。
包み込まれた光の中、その先に女の人を見ました。
白地にピンクで彩られた清楚なドレスを身に纏ったお姉さん。リリーシャとは対称的な白のお姫様。
触れると壊れてしまうのではないか、また辛うじて輪郭を形成しているのではとさえ思えるほどに儚さを感じさせます。
消えゆく魂の残照とでもいうのでしょうか。
きっと私はこの人の事を知っている。
そう何故だか確信しているのに、それが誰なのかまるで分かりません。
とても胸がモヤモヤします。
まるでお腹に穴が空いてしまったかのようにズキズキと痛みます。
──どうして。
ノイズに混じりながら聞こえた唯一の声。
今にも泣きそうな表情を浮かべた彼女は、朱に染まった手を伸ばす。
一体何を求めているのでしょうか。
出来ることなら彼女のために何かしてあげたいと思います。
でも私の声は届きません。
突き付けられた無力感に切なさが込み上げました。
私は私に出来ることしか出来ない。
だから私は祈ります。
いつか彼女の顔から憂いが消え、笑みを浮かべられる瞬間が訪れることを。
心から切に……。