ユリ・アルファ、図書館司書長との逢瀬   作:空想病

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第二話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ」

 

 休暇明けだというのに、悄然とした足取りで、幾度目かも知れない重い吐息を、いつものメイド姿に戻ったアンデッドの乙女――ユリ・アルファは吐き出していた。

 聖上にして清浄なる神域、ナザリック地下大墳墓の第九階層、その廊下に対して申し訳ない気持ちが湧き起こるが、

 

「……はぁ」

 

 それでも、ユリの身体に不要な吐息の気配は、止まるところを知らない。

 休暇の間、一日中を費やして自分の部屋の中で煩悶としていたユリは、こうなってしまった要因を、原因を、何とか記憶の底から掘り出すことにかかりきりとなったが、残念ながら、大した成果は上げられなかった。

 ユリは溜息を吐くのも飽きたかのように、小さな呻き声をあげかける。

 まったく、完全に、これでもかというくらいに、自分が“彼”を自分の部屋へ連れ込んだ記憶が欠けていた。

 こうなってはもはや、ユリには何があって何がどうなって何が何なのか判じることは不可能である。

 至高の御身であるアインズに魔法を頼めば、あるいはバーでの遣り取りを、そしてユリの私室に招かれた彼との間に何が行われたのかを、ユリの失われた記憶すべてを閲覧し参照することもできるだろうが、勿論、こんな馬鹿でマヌケな理由で、御身に負担をかけることは許されない。ユリの忠義が、それを許すことはない。

 ユリは今一度、振り返って考える。

 バーを訪れたところまでは克明に覚えている。

 オーダーの琥珀麦の酒精を飲んだ一口目辺りから、記憶は曖昧だ。その後、マスターのマイコニドは業務のためにユリから離れたのは覚えてる。だが、それ以降になると、もう何もわからない。

 完璧なメイドとして、戦闘メイドの副リーダーとして、あってはならない失態である。

 

「はぁ……」

 

 呼吸などしていないアンデッドの豊満な胸から、溜息がこぼれ落ちる。

 恥を忍んで、ティトゥスに、司書長に、仔細を聞きに行くべきだろうか。

 しかし、状況的に見て……その、一夜を共にしてしまった相手に、そんなことを聞きに行けるものでは、ない。

 

「あぁ……頭、いたい」

 

 呟いてしまうが無論、そんな局所的なバッドステータスは、今のユリには発生しない。だが、ユリの内側から溢れる懸念と動揺は、アンデッドであるはずの首無し騎士(デュラハン)の奥底を寒からしめ、逆に怜悧一徹な表情を真っ赤に茹でられるような羞恥を覚えさせる。

 素っ裸だった自分。

 シャワールームから出てきた彼。

 そんな乙女の痴態に対し、冷静かつ簡潔に応じた骸骨の同胞(アンデッド)

 

「……うあぁ」

 

 どう考えても……その、やはり……そういう、ことを……して、しまったのだろうか?

 

「……シャルティア様でもないのに……なんで、こんなことに……」

 

 どこかに穴があったら入りたいくらいだ。埋葬を希望してしまいそうになる。

 しかし、今は勤務中。おまけに、姉妹たちとの定例会議の場――お茶会に向かっている途中だ。

 部屋を出るのを躊躇って、若干、ほんの若干だが、遅刻しかけている状況でもある。

 急ぐ必要はないが、長女たる者、他の妹たちの模範として無様な姿をさらすことは許されない。

 ……バーで泥酔して、あろうことか男と一夜を共に過ごした身の上で、模範もなにもあったものではないだろうが。

 とりあえず、しばらくは禁酒しよう。愚痴を吐き出すのも自粛すべきだ。

 そう決意しつつ、ユリは姉妹たちの待つ会議室の扉のまえに到着し、ノックしてすぐ扉を開ける。

 

「遅れて」

 

 ごめんなさいという前に、乾いた破裂音が耳を突いた。

 咄嗟に籠手(ガントレット)を握り構えるユリであったが、続く姉妹たちの明るい声に虚を突かれる。

 

「ユリ姉、おめでとっす!」

「おめでとう、ユリ姉様」

「…………良かったな、ユリ姉」

「おめでとうございます、姉様」

「ほんとにおめでとぉ、ユリ姉様ぁ!」

 

 五人全員からの祝辞と輝かんばかりの笑顔。

 やや遅れて、ユリの頭に紙のテープと花吹雪が舞い落ちた。

 

「え……何……え?」

 

 呆けるユリは状況を確かめる。

 姉妹たちの手には使用されたパーティークラッカーが握られており、どうやら長女の何事かを祝福する意図があっての行動だと察しが付く。

 だが、解せない。

 

「ユリ姉も隅に置けないっすねぇ、このこの!」

「ちょ……何?」

 

 何か嫌な気配というものを戦士の直感じみたもので感じつつ、ユリは肘をついてくる妹の祝福ムードを疑問する。

 

「聞きましたよ、司書長とのこと」

「……はぃ?」

 

 姉妹の中でいの一番に入籍した妹の言葉に、物理的に落ちそうになるほど首を傾げてしまう。

 

「…………これ」

「え、何これ――回覧板?」

 

 無機質ながらも姉の困惑を理解してくれた少女が、持っていた板切れ――至高の御身であるアインズがナザリック内に新しく普及した情報連絡手段のひとつ――をユリに差し出した。

 疑念し続ける長女の瞳は、過つことなく、その一面記事の内容を読み取ることができる。

 こう書かれていた。

 

『 戦闘メイドの副リーダー、ユリ・アルファ様の意中の方は、ティトゥス・アンナエウス・セグンドゥス図書館司書長様!? 』

「――はぁ!?」

 

 思わず両手でメイド専用の回覧板を握りしめ、目を剥き出しにして凝視する。

 その見出し記事には、こう(つづ)られていた。

 

『 昨日早朝のこと。第九階層の守護を任される戦闘メイド(プレアデス)の副リーダー、ユリ・アルファの私室より、朝帰りを果たす第十階層のアッシュールバニパル図書館司書長の姿を、朝の食事に赴こうとしていた数名のシモベ(一般メイドS、一般メイドF、一般メイドR)が目撃。ティトゥス司書長は普段よりも磨き上げられた骨の身体に特徴的なヒマティオンを纏いながら、意気揚々とした素振りと足運びで、第九階層のメイドたちの私室エリアから、第十階層にある図書館への帰還を果たしていったという。

 さらに詳しい聞き込み調査によると、二人はその前日の夜更け過ぎに“バー・ナザリック”にて楽し気に談笑、バー・デートに興じている姿が確認されており、二人は日付が変わるよりも早い時間帯に、バーを後にしていることが当局の調べにより判っている。 』

 

 整然とした文章で、簡潔に書き込まれた内容は、まったくの事実であった。

 しかし、違う。

 間違っている。

 

「あ……や……うぇ?」

 

 思わず変な声を漏らしつつ、戦慄と共に妹たちを振り返る。

 

「もう、ユリ姉様。それならそうと、仰ってくれていてもいいじゃないですか」

「ソリュシャンの言う通りですぅ。まさかぁ、司書長様とこんなにも親しかったなんてぇ」

「…………おめでとう、ユリ姉」

「お似合いですよ、ユリ姉様。おめでとうございます」

「ユリ姉も、これでようやく一安心っすね♪」

 

 ようやく妹たち五人からの祝福は合点がいった。

 なるほど、彼女たちは婚姻し意中の殿方との生活を送りつつある中で、ただ一人独身を貫き続けていた姉の吉報を喜んでくれたのだろう。

 だが、彼女たちの姉たるユリは、頷くことなど出来ない。

 

「え……………………え?」

 

 違う。

 おかしい。

 間違っているから。

 何でどうしてこんなことに?

 そう呟くことすら憚られるほどに眩しく柔らかな妹たちの笑みと言葉に、ユリは麻痺(パラライズ)の魔法を浴びたかのように、全身を硬直させられる。

 

「おめでとうございます!」

 

 三度(みたび)の祝福が、ユリの総身を柔らかく包み込む。

 しかし、何を思ったのか。

 

「…………」

 

 ユリは黙したまま、いきなり体の向きを変え、会議室の何もない壁に向かって歩を進める。中途で、回覧板は手から滑り落ちていた。まるで亡霊(ゴースト)にでも転生したように、その足運びは朧げであり、瞳の色は光を反射する伊達眼鏡に隠れて窺い知れない。

 妹たちは、姉の常にはない行動に対し、しかし、何も言い出せない。

 ユリは、何も存在しない壁と向き合ったまま、無言を貫く。

 微妙かつ奇妙な時間が僅かに流れた。

 

 一瞬、ドォンという音と衝撃が空間を震わせる。

 

 見れば、ストライカーという戦士職が繰り出した右ストレートが、壁に打ちつけられていた。

 無骨な棘付き籠手(ガントレット)は、至高の御身たる創造者から賜った至宝。その事実に相応しい一撃が、続けざまに二度目、三度目と繰り返し打ち出されていく。

 戦闘メイド(プレアデス)の妹たちですら、反応は困難を極める殴打攻撃の速度と威力。だが、拠点の壁は厚く、それ以上に超位魔法などの特別な手段がなければ基礎構造の破壊や消滅は不可能だ。内装のシャンデリアや家具程度なら容易に破砕できそうな拳撃は、左右交互に繰り出されていき、ドンドンという音が飽和し始める。オラオラオラオラという声がよく似合いそうなラッシュの速さだが、ユリはまったくの無言で、壁を殴る作業を続けていく。

 と思ったら、今度は頭突きだ。

 両手を壁に這わせ、頭蓋など砕けんばかりに幾度も額を会議室にぶつけるが、やはり第九階層の壁の堅固さには敵うはずもなく。

 そうして一分ほどの――妹たちの体感では、その数倍は長かった――時間をかけて、ようやくユリ・アルファは活動を停止する。

 

「ユ……ユリ姉、様?」

 

 ナーベラルは姉が頭突きの態勢のまま、まったく身動(みじろ)ぎもしなくなった事実を(いぶか)しんだ。

 同じく疑問を覚えたルプスレギナが、妹たちを代表してユリの傍へ。

 姉の眼鏡奥の瞳を覗き込みつつ、手を目の前で振って、反応を見る。

 まるで反応がない。

 

「ユ、ユリ姉が、死んでいるっす!」

 

 なんてアンデッドジョークを飛ばすルプスレギナのおふざけにも、ユリは反応しない。

 してくれない。

 

「…………ユ、リ姉?」

「姉様?」

「ユリ、姉様ぁ?」

 

 続々と飛び込んでくる不安と心配の声に対し、

 ユリはその場で背中から倒れ込んでしまった。

 

「ユリ姉!?」

 

 気絶した姉の様子を見て、五人はようやく姉の異変を理解したが、反応はやはり返ってこない。

 倒れた衝撃か、頭突きの反動なのか、チョーカーで固定されているはずの姉の頭が会議室の中を転がっていく。大文字に投げ出された五体は、最初から死体ではあるが、ピクリとも駆動しない。

 頭だけのユリの表情は、アンデッドの首無し騎士(デュラハン)とは思えないほどの熱を放散しつつ、悪夢の淵を歩いて回って悶えているかのように、その瞳は管を巻いた蛇のごとしであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユリが!?」

 

 戦闘メイドの一人が機能不全に陥ったという事実は、瞬く内にナザリック全域に知らされた。その異常事態の重みと大きさは計り知れない。メイドたち専用の回覧板程度でしか遣り取りされていなかったユリと司書長の噂は、彼女が倒れたということで違う趣向を帯び始めてしまっているのは、何とも言えない状況である。

 

「馬、鹿な……何者かの襲撃か? それとも、外の世界……孤児院で働いたことが、悪影響を?」

 

 おまけに、ことここに至っては、ユリの不調と異変というニュースは、ナザリック内だけで収まりがつくような話ではなくなった。

 ナザリックより遠く離れた生産都市の王城で朝の政務に明け暮れていた至高の御身、ナザリック地下大墳墓の最高支配者にして、魔導国国主……ユリたちが信奉の対象とするアインズ・ウール・ゴウンその人のもとにも、その情報は報告せざるを得ないものに成り果てていた。

 アインズの懸念と不安は、至極もっともだ。

 ユリはナザリックの最奥に詰める戦闘メイドの副リーダー。同時に今では、孤児院などの経営と子どもたちの教師として教鞭を振るう監督者の地位と職務を与えられた「院長(レクター)」なのだ。彼女の役職というのは軽々(けいけい)に扱ってよいものではない。アインズ・ウール・ゴウン魔導国の未来を担う若者を育て、現地人であろうとも魔導国の一員として立派に働くことができるというテストケースを、彼女はこれまで幾人も輩出し、証明してくれている。その最たる例は、セバスの伴侶である人間メイド・ツアレだ。彼女はユリからの鬼のような指導に耐え抜き、ナザリック地下大墳墓のシモベとして申し分ない教養と修練を積んだ、比類ないメイド長として、現地人の頂点に近い役割と職務に邁進する同胞と相成っていた。

 ユリでなければ、彼女の教師としての情熱と忠烈の姿勢がなければ、ナザリックと現地勢力の融和は、ここまで早急に形となることはなかったかもしれないほどだ。

 そんな彼女が、前後不覚に陥るなどという話は前代未聞。

 未知なる敵の襲撃、あるいは何かしらの災厄や病魔の到来、もしくはアンデッド特有の体調不良などを疑うには、十分すぎるほどの報せに相違なかった。

 だが、

 

「いえ……どうやら敵の襲撃などではなく、ユリは休暇明けということですので、体調の方も問題はないはずです」

 

伝言(メッセージ)〉でユリの昏倒という報を告げられた宰相・アルベドは、〈伝言(メッセージ)〉の送り主であるペストーニャから告げられた内容を(そら)んじ、アインズの懸念を一掃してくれる。

 

「そう、か……では、ユリの身に一体、何が?」

 

 アルベドは申し訳なさそうに頭を振った。

 異変の現場に居合わせた戦闘メイドの、ユリの妹たち(プレアデス)ですら、原因が何なのか判然としていない状況だったのだからしようがない。

 アインズは背もたれに深く背骨を預け、考える。

 ユリ・アルファは、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの仲間たちの残した遺産――やまいこの子ども同然の存在だ。

 それほどの存在が倒れ伏したとあっては、アインズは政務など続けることは出来ない。

 ひっきりなしに訪れる焦燥と困惑が、アインズの精神に爪を立ててくる。強力な感情というわけでもないそれは、常の冷静な自分であろうとする思惑と、そんなこと知ったことか今すぐユリの見舞いに行かねばという想いが拮抗している状態を意味している。

 だが、一国の主として、栄えある魔導国の王として、己の成すべき(まつりごと)放擲(ほうてき)することは……

 

「いかがいたしましょうか?」

 

 アルベドの金色の瞳を見つめ返す。

 呼吸など必要ない骨の身体で深く息を吸い、アインズは告げる。

 

「ユリ以外の戦闘メイド(プレアデス)を今すぐここへ招集せよ。ユリが倒れた詳細を聞きたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……う~ん?」

 

 ユリはまたもベッドの上で、目を覚ました。

 何だか、ひどく悪い夢を見ていた気がする。

 いや、夢であるはずもない。

 今回は酒を一滴も飲んでいなかったのだ。

 ユリははっきりと、己の奇態と暴走を覚え、記憶に残している。

 妹たちに見せてよいような行為行動ではなかったが、ああでもしないと頭が破裂しそうなほどだった。

 羞恥と後悔で何も言えなくなり、自分で自分をごまかすために、わざとあんな奇行に奔ったのだ。そうして何とか、自分で自分を痛めつけ、あの場を乗り切るために気絶するという手段にうって出たわけで。ストライカーの職業は伊達ではない。頭突き一発で岩塊をも粉砕し得る威力。そして、そんなユリの攻撃を完全に反射し尽くすナザリックの防衛力によって、何とか自爆攻撃を完遂できた……できてしまった……

 鼓動などとは一切無縁のはずの心臓が、チクリと痛みを発した気がする。

 

「……バカか、ボクは」

 

 あまりにも情けない。

 情けなさ過ぎて表情が歪んだ。

 流れる己の黒髪をかきむしりたくなる。

 全部が全部、自分が蒔いたタネではないか。

 だというのに、ユリは妹たちに迷惑をかけ、あろうことか戦闘メイド(プレアデス)の副リーダーにあるまじき醜聞から目を背けた。

 己に与えられた使命を、役割を、今日一日分の働きを反故にするなど、シモベとして失格である。

 泣けるものなら泣いてしまいたい。

 シーツの中で(うずくま)り、メイド服に包まれた胸の中心を、痛いほどに握り込む。

 

「起きたのか」

 

 ふと、ユリの眠るベッドの脇から声がかかる。

 あまりにも聞き知った声であったが、昨日の今日ということで「まさか」と思った。

 しかし、シーツの隙間から顔を覗かせたそこにあるアンデッドの姿は、まさかの人物だった。

 

「ふぇ……?」

 

 変な声が出る。

 おかしいと思った。

 このベッドは、ユリの部屋のベッドではない。

 あまりにも巨大なキングサイズの、しかも豪奢かつ精緻な刺繍が金や銀に煌く最上級品のそれだ。

 そして、部屋の内装も当然のように、ユリたちの使用人室のものとは雲泥の差だ。至高の御身が各都市に滞在し政務に明け暮れる際に過ごす王城のものと酷似している。というか、間違いなくそれだった。

 おまけに、ベッドの脇には巨大な執務机。

 そして、ベッド脇にもうひとつ、豪奢とは言わぬまでも立派な革張りの椅子に座す骨の表情は、ひどく穏やかだった。

 

「気分はどうだね、ユリ・アルファ?」

「し、司書……長?」

 

 ユリの部屋で別れた時とまったく変わらない調子で、彼は現地の古い魔法論文を記した書籍に目を落としていた。瞳などないアンデッドの顔に眼鏡をかけているが、この眼鏡こそ、現地語の解読に必須な翻訳魔法がかけられたアイテムであることは言うまでもない。

 ティトゥスは眼鏡をはずし、書籍を椅子に放置すると、驚天動地の様相という病床のメイドに歩み寄る。

 そして、あろうことか、ユリの額に骨の掌をあてがった。

 ユリは思わず「ひゃん」などと頓狂な声を挙げてしまう。

 

「熱は……もう、なさそうだな。しかし、アンデッドが発熱の末に昏倒するなど、聞いたことがないが?」

 

 発熱というよりも、あれは単にユリが自分で自分の頭を打ちのめした末のことだったはず。ユリの連続頭突きの摩擦熱が、ただの死体の頭部に熱を灯らせた結果であった。

 何やら奇妙な事態に陥っていると理解しつつ、ユリは手渡された眼鏡をかけつつ、問い質さずにはいられない。

 

「あの、し、司書長……どうして、……ここは?」

「ここは、今月アインズ様が居住している生産都市の王城だな」

 

 城の最上層にある執務室だと聞かされ、なるほどと思う反面、何故、執務室に至高の御方のベッドがという新たな疑念が湧き起こる。

 ティトゥスはこともなげに言い放つ。

 

「アインズ様は、君が倒れたと聞き、倒れた君をわざわざここへ搬送させたのだ。無論、そのベッドはアインズ様のこの城での寝具の一つに他ならん。何故、そのようなことをと言えば――御自分の執務と、君の見舞い、その双方を両立されるためだということだな」

「…………」

 

 ユリは何も言えなくなった。

 シモベ風情の見舞いのために労を尽くしてくれた主人の優しさにうたれると同時に、巨大な罪悪感に背筋が凍る。

 何よりも、アインズに自分の失態を知られた可能性に戦慄し、(ティトゥス)がここにいる意味を思う。

 彼は別に、この生産都市に居を構えたり、務めがあるような役職ではなかった。彼の部下であるアンデッドたちが何体も派遣されてはいるのかも知れないが、彼はほとんどナザリックの図書館から出ることはないはず。

 

「司書長……まさか、と思いますが」

 

 ユリが疑念を口の端にしようとした瞬間、扉から聞こえるノック音に妨げられる。

 動揺するユリに構わず、ティトゥスは直立不動の姿勢を見せた。

 

「どうぞ、お入りください」

 

 この部屋の、この城の、この大陸の主を迎え入れる言葉を連ねると、扉を開けた一般メイドが挨拶の会釈を送り、御身の帰還を高らかに宣した。

 そうして、メイドの背後より早足で入室してきた至高の存在が、眼下の奥に灯る瞳を見開いた。

 

「……ユリ!」

 

 ほとんど駆け出すような勢いで、至高の御身はベッドで半身を起こす乙女の傍へ。半ば置き去りにされた宰相アルベドとアインズ当番のことも忘れて、アインズはしきりに心配の声を吐き出した。

 

「だ、大丈夫なのか!? もう、目覚めても大事ないのか?!」

「アインズ様……」

 

 心配と迷惑をかけてしまって申し訳ないと、詫びなければ。

 だが、御身から痛切なまでに思われているという事実が、ユリの心をあらゆる意味で苛んだ。

 それは望外の歓喜であり、同時に、度外れた不安でもあった。

 ユリは、何も言えない。

 その沈黙をどう受け取ったのか――アインズは静かに、ユリの傍らに控える同胞を振り仰ぐ。

 

「ティトゥス・アンナエウス・セグンドゥス」

 

 その声色は、精神が安定化するはずのアンデッドとは思えないほどの感情に震えていた。

 名を呼ばれた司書長は、鉄像のような直立が嘘のような俊敏さで(ひざまず)く。

 何が至高の御身の逆鱗に触れているのか――ユリは直感ではなく、ここまでに至るまでの状況から瞬時に察することがかなった。

 アインズは、ユリ・アルファのために、怒っていた。

 

「これは、どういうことだ?」

 

 アインズが投げて床を滑らせたものを見咎め、ユリは白い顔面をさらに白く染める。

 それは回覧板だ。見出し記事は当然、ユリとティトゥスの情事についての一面。アインズは昏倒したユリの状況を調べるのに際し、戦闘メイドの妹たちが見せていた回覧板の存在を知った。というか、彼女たちを都市にまで召集させた際に「ユリはこれを見てから変になった」と聞かされたのであった。

 暗く重い音色が、二人のシモベを包み込み、そして、握りしめる。

 

「ティトゥス……いくらナザリックの同胞とはいえ、今回の件は看過できんぞ?」

「はい……」

 

 御身の怒りを正面から受け止めるティトゥスは、実に従容としており、不満や抗弁の色を一切窺わせない。

 

「私は婚姻制度を定めた。それ以前よりの関係や、習性というわけでもなく……“そういう行為”をすることは慎むべきである……そうだな?」

「はい……」

 

 司書長の重い同意が、ユリの胸を幾本もの剣が貫いた気を味わう。

 

「ならば、これはどういうことなのだ? 何故、このような醜聞を演じ、あまつさえユリ・アルファが自己破壊的な行動に(はし)った? まさかとは思うが……私の導入した新制度が不満なのか? それならそれで別に構わんが、ユリが自傷行為に及んだ責任はどう取るつもりだ?」

「それは……」

 

 押し黙る司書長に対し、アインズは確実に(いきどお)りを抱いている。

 正式に交際もしていない、ただの行きずりな状態で一夜を共にするなど、ユリたちの親代わりを自負しているアインズにとっては、見過ごすことのできない暴挙であった。第一、“そういう行為”をすることを認めているのは「婚姻関係にあるものだけ」と、現在のナザリックでは規定されている(セバスとツアレなどに関しては、婚姻制度導入前の状態であったのでノーカンである)。今回のユリたちの事件は、ともすればアインズが制定した婚姻制度に泥を塗るも同然な事案だとも思われる。

 何よりも。

 友の娘が、我が子同然の存在が、望まぬ相手と同衾してしまい、あまつさえ“自傷行為に奔るほどの狂乱に陥る”など、断じて許し難い。ティトゥスがもしも、外の存在などであったとしたら、アインズは言語道断にユリを傷物にした(としか思えない)相手を蹂躙していただろう激昂ぶりだ。

 それこそが、ナザリックを支配する者の抱いた感情であり、アインズの父性が懐いた裁定に他ならない。

 ティトゥスは御身からの叱責を甘受する姿勢を見せ続ける。

 

「まことに申し訳」

「ち、違うのです、アインズ様!」

 

 そんな遣り取りをただ眺めるだけでいることは、ユリにはできなかった。

 アインズは別に司書長を憎んで、このように叱責しているのではない。それは解る。

 至高の御身の優しさと情け深さに反する行為かもしれない。それでも、ユリは声を荒げてでも、アインズの裁定に異を唱える。

 ベッドから転がり落ちるのも同然に、病床にいたはずの乙女は司書長の隣で膝をついた。

 

「ユリ……?」

「彼は、……ティトゥス司書長は悪くありません! 今回の件は、すべてボク……私のみが責めを負うべきこと!」

 

 疑念の瞳と声を向けるアインズに対し、ユリは確かな事実を口にしていく。

 だが、

 

「ユリよ……責めを負うべきは、おまえ一人? ……なるほど、如何なる事情があって、おまえが暴走し自傷自滅に奔ったのか。聞かせてもらおうか?」

 

 言葉に詰まるとはこのことだ。

 御方は慈悲深くも、シモベ程度の言葉に耳を貸してくれるという。

 

「私は――」

 

 チラリと彼を横目で見る。

 そして、ユリは瞬きの内に思考する。

 ユリのせいでティトゥスが刑されることはあってはならない。

 どうする。

 どうすれば!

 

「……ユリ?」

 

 詰問の色を帯びるアインズの声。

 瞬間、ユリはひとつの光明を導き出す。

 婚姻していないものは……、では、婚姻していれば……?

 

「私たちは、婚約を交わしております!」

 

 この場を乗り切るための最善手が、思わず口から零れ落ちた。

 

「は……?」

 

 骸骨の呆けた声が、綺麗な二重奏を奏でたことも気づかず、ユリはそのまま勢い込んでまくし立てる。

 

「ティトゥス・アンナエウス・セグンドゥス司書長と、不肖ユリ・アルファは、夫と妻になる(ちぎ)りを交わしているのです! 報告が遅れたことは確かに許されざる怠慢でございました! どうか、平にご容赦を!」

「そ、……そう、だったのか?」

 

 まっすぐに見つめてくる御方の視線が眩しく感じられた。

 視界の端で、アルベドと一般メイドが色めき立つ気配が見て取れる。

 ユリは、ただ頷くことで応えるしか、ない。

 

「な、何だ……ああ、そうか……ならば、うん、そういうことなら、仕方ない、な」

 

 いかなる理由でか、御身は途切れ途切れな語調で二人の醜態を許した。

 だが、アインズの内心としては「やべ。やっぱり俺の勘違い? うわ、これ恥ずかしいやつだ!」というのが実情だと、誰が知りえるだろうか。

 ひとつ咳払いの真似事をして、至高の御身は二人に向き直る。

 

「ああ……すまない、ティトゥス。

 おまえたちの事情も知らずに叱責するなど。主として、許し難い行為だったな」

「そんな、アインズ様――」

 

 悄然と叱責を受け入れるままだった骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)は、かすかに、ほんのかすかに、ユリを横目で窺った。

 視線を受け止めたユリは、目だけで頷きを返す。

 

「――報告が遅れた我々の方こそが責められるは必定。御身には一切の非など」

「うむ。そう言って貰えると、助か……いや、そもそも私が勘違いしたのが原因だろう」

 

 シモベ二名が咄嗟についた方便に気づいているのかいないのか、アインズは朗らかに笑う。

 

「はは。いや、本当にすまなかった。だが、二人とも。婚約しているのならいるで、私にもしっかりと報告しておいてくれてもよかっただろうに?」

「はっ。それにつきましては、真に申し訳ございません」

「うん。まぁ……そういう相性なんかも、ちゃんと把握しておくべき……だよな」

 

 しきりに何か独り言を呟きつつ思案に耽りそうになる御身は、二人の前途を祝福するように快哉を鳴らす。

 

「うむ。安心したぞ、二人とも。今回の件はおまえたちの報告の遅れと、私の早計とで相殺ということにしよう。ああ、ユリとティトゥスは今日の務めは休むがいい。特にユリは、じっくりと養生すること。

 私はまだ政務が立て込んでいるので、これで失礼するぞ。だが、本当にすまなかったな、二人とも」

 

 御身の厚遇が、謝罪が、期待が、二人の肩に重くのしかかる。

 

「婚姻届は早めに出すのだぞ?」などと無邪気に微笑みつつ、アインズは宰相たちを引き連れて政務へと戻った。

 並んだまま残された二人は、主を送り出した姿勢のまま言葉を交わす。

 

「……本気……か?」

「……ええ。はい。もう……うん……」

 

 ユリは覚悟を決める。

 この方と婚姻しよう。

 そうすれば、御身の布いた婚姻制度に反することはなく、また、自分たちの噂というのも終息するだろう。

 何より、こうでもしなければ、ティトゥスはユリのせいで罰せられたかもしれないのだ。

 

「司書長も、……その……よろしい、のですか?」

 

 私が、私などが、婚姻の相手で。

 

「まぁ。こうなればやむをえまい」

 

 毒を喰らわば皿までという彼の苦笑に、ユリは少しだけ、笑みを返せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【続】

 

 

 

 

 

 




次は、新婚さんな話になる予定。
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