ユリ・アルファ、図書館司書長との逢瀬   作:空想病

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ユリの装備品などは、作者の想像が混じってます。


第三話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユリ・アルファとティトゥス司書長が婚姻届を提出したのは、それから三日後のこと。

 二人から手渡しされた至高の御身は、先日の叱責の場……自分の勘違いを改めて謝罪してきて、二人は気まずい笑みを浮かべてしまいそうになった。

 謝罪すべきなのは、むしろ自分たちの方なのに。

 

「何はともあれ、目出度(めでた)い門出だ」

 

 二人とも、幸せにな。

 そう告げられるとユリは、痛むはずのない胃がキリキリと引き絞られるような気がした。

 横に目を向ければ、身長差のある小さな骸骨が、観念しようと言いたげに、小さく頷きを返していた。

 本当に申し訳ない。

 

 

 しかし、ユリたちは決めたのだ。

 互いを伴侶に迎え入れることを。

 

 

 アインズは確かに婚姻制度を定めた。

 ただ、この婚姻制度――互いの恋愛感情については、特に明記すべきだとは定められていない。制度の要たる婚姻届には名前や住居、証人の記入欄と魔力の認証のみ。無論、アインズはシモベたちの自由恋愛を推奨していた。しかし、人(?)の感情の機微というものは書面などで確認できるものではない。それこそ、互いが口裏を合わせてしまえば、誰も二人の真の関係について知りようはなくなる。

 

「もっとも。アインズ様にしてみれば、こんな嘘を見破れないはずもない」

 

 帰り道。

 隣を歩くユリに、ティトゥスは自分たちの主人の、主人たる所以(ゆえん)を語って聞かせる。

 言わずと知れた、ナザリック地下大墳墓の最高支配者、ありとあらゆる叡智と策謀の粋、至高の四十一人のまとめ役、慈悲深き御心でもってシモベたち総員から尊崇される最上級アンデッド・死の支配者(オーバーロード)

 その魔法の力を行使すれば、如何なる存在であろうと抗しきれない最高位の魔法詠唱者(マジックキャスター)

 御身の魔法は、記憶を覗き、時すら意のままとし、あらゆる存在に等しく“死”をもたらすもの。

 さらに特筆すべきは、その叡智。あまねく大陸に覇を唱え、世界制服という一大事業を完成させた至高の四十一人のまとめ役の智謀は、ナザリック随一と言われる智者をしても追随できない大略の深さだ。

 無論、シモベ風情でしかないユリやティトゥスの内に宿す実情など、御身の掌中にあると言ってよい。

 

「ですが……嘘だと見抜かれているのなら、どうしてアインズ様は、私たちの虚偽を……」

「許されている理由、か。御身らの叡智には及ぶべくもない私では、とてもではないが量りかねる。故に、これは憶測の域を出ないが、私たちがこうあることで、何かしらアインズ様やナザリックの利となることがあるため、だろうな」

 

 故に、二人が偽りの関係を――場当たり的に婚約を交わした程度の繋がりしかないことを、きっとお見通しなのだと。

 二人の関係を今こうして認可してくれたことは、そこには何らかの意図があるはずだと、ユリは伴侶となった骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)から聞かされ理解した。

 それでも、疑問は残る。

 

「利となる? 一体、私たちの婚姻に何の益が?」

「さて」

 

 ティトゥスは頭蓋を捻る。

 今や、ナザリックでは多くの婚姻が、カップルたちが成立している。めでたくもユリたちはその内のひとつと相成ったわけだが、そもそもにおいてユリ個人としては、この婚姻制度でもたらされる利点(メリット)というのが判然としていない。婚姻した者たちへの給付金(ご祝儀)、夫婦の住居は共有のもの(財産)とされ、互いの活動の場が広がる、など。

 だが、ナザリックのシモベたちは特に金銭的に困窮しているはずもなく、住居の共有化というのも意味がよくわからない。言ってしまえば、このナザリック地下大墳墓は巨大な家であり、ここに住まうことを許されたシモベたちは一個の共同体なのだ。今更、特定の誰かと住居を共有しても、そこまで大きな利点だとは感じられないだろう。

 単純な話、アインズから直接祝福されるというのが、最もシモベたちに多幸感をもたらす要因と見ても過言にはなるまい。

 勿論、それのみを求めて御身の定めた婚姻制度にあやかろうとするものはいない。そんなことをしなくても、忠烈に働くシモベたちを、アインズは我が子も同然に愛情を注ぎ、日々の労苦を言祝いでくれるのだから。

 そうして疑念の谷を歩むユリは、唐突に頭の中を閃きが()ぎる。

 

「あ……」

「どうした?」

 

 振り向く彼に、ユリは夜会巻きにした黒髪を大いに横へ振る。

 

「い、いえ……何でもありません!」

「そうか?」

 

 大して疑問を覚えることなく、ティトゥスは図書館への分かれ道でユリと別れた。

 戦闘メイドの副リーダーは、その悠然とした白骨の背中を愚直なお辞儀で見送る。

 遠のく骸骨は、一度も振り返らない。

 それ自体には、何もおかしなところはなかった。

 ただ――何だか、味気ないというか、素気(そっけ)ないというか。

 自分の抱いた思考に当惑しつつ、ユリは釈然としないまま、自分の今日の務めに戻るべくヒールの踵を打ち鳴らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一週間が経過した。

 

 ユリの務め、仕事というのは、現地における孤児院での教師――それが派生しての孤児院の「院長(レクター)」にまで業務規模を拡大、運用されてきているが、そのこと自体はユリの体力気力を削ぎ落すようなものではない。

 むしろ逆だ。

 ユリは、今の生活に充実感を抱いている。

 この数年で、ユリのもとから巣立っていた子供らは大人となり、魔導国の各都市群で行政官や法務官などの文官として働き、中には三等以上の冒険者として活躍している。彼ら彼女らの功績は、優秀の一言では表すことは出来ない。人間という脆弱な存在であろうとも、魔導国においては立派な務めを果たせる存在に昇華できるというモデルケースを果たしてくれているのだ。これを、魔導国の主が喜ばないはずもない。

 そんな優良な現地勢力を量産してくれる機関の代表者として日々教鞭をとるユリの姿は、彼女の創造主・やまいこが教師であったことを如実に体現しているかのようでもあった。

 

 以上のような経緯により、ユリは城塞都市の南方――旧エ・ランテル――に建造された孤児院の頂点に位置する院長室で、今日の仕事に励んでいた。

 

「ん~、確かにそれは味気ないというか、素気(そっけ)ないというか」

 

 その昼休み。

 とある事情で院長室を訪れた妹の一人、ルプスレギナ・ベータに対し、ユリは相談を求めていた。

 当然のことではあるのだが、ユリは自分と司書長の関係については、妹たちには赤裸々に告白しており、戦闘メイドの乙女らはようやく姉が昏倒に陥った事態の裏側を知ることができた。さすがに婚姻において恋愛感情もなく司書長と結ばれた事実には愕然としていたが、やはり婚姻制度自体の“穴”があるために、姉たちの偽装関係を糾弾するようなことはしなかった。何より、アインズが二人の「嘘」を容認している以上、ただのシモベたちでは弾劾する理由がないのだ。故に、ユリら夫婦の実情は他に漏れる心配もない。

 そうして。

 すでに、婚姻してから一週間が経過したというのに、ユリとティトゥスは、特に変わり映えなく、日々の務めを果たす日常を送っていた。

 送ることしか、できないでいた。

 

「なんていうか、うん、事務的っすね、それ」

「ジム的?」

「体を鍛えるためのジムじゃあないっすよ?」

 

 それくらい解っているから。

 

「なんつーんすか? もうちょっと、こう夫婦的なことを? ……カップルとして当然な形式というか、遣り取りというか、そんなのをとったらどうっすか?」

 

 確かに、ユリたちは夫婦としての在り方や形からは程遠い。

 住居は今も別々のままだし、何より、一日に数度話ができるかどうかという頻度でしか顔を合わせていないのだ。新婚なのに、半ば別居状態とは、これいかに。ユリが味気ない素気ないと感じてしまうのも当然なほど、二人は夫婦らしいことを何一つ成し遂げていなかった。これでは、まだ婚姻前の朝帰り事件の方が、カップルらしいイベントだったと言えるだろう。

 提案されたことの、具体的な内容が見えてこないユリは、たまらず問いを返そうとしたが、

 

「あ、ユリ姉。ちょっとタンマ」

 

 いきなり掌を突き出された。

 ルプスレギナはすぐさまこめかみに指をあて、虚空へと視線を外す。

 

「クスト? ……うん。リンクちゃんから、おべんと。

 うん、すぐ終わらせるから。一緒に食べましょう」

 

 魔法越しに微笑みを交わし、妹は〈伝言(メッセージ)〉を短めに切り上げる。

 その様子を見せつけられた(と感じた)ユリは、眉間に深い皴が寄るのを知覚する。

 

「……なんか……よくわからないけど、こう、イラッとくるわね」

「いや。夫婦なんすから、これくらいフツーだと思うんすけど?」

 

 ユリはぐうの音も出ない。

 外道ツートップを飾るメイドとは思えない主張だが、確かに筋は通っていた。人間の情事や知識を研究済みのルプスレギナは、いとも容易く「夫婦かくあるべし」という行為に及ぶことが可能なのだ。

 ルプスレギナがこの場を訪れた理由は、いたって単純。

 ユリが経営する孤児院と学校――というか、今ではほとんど国立の教育機関そのものにまで規模が拡張・併合されているので、正式には『魔導王院』と呼ばれる教育機構に発展しており、その途上で様々な学科や教育深度の序列を組み込まれていき、現実世界でいうところの小中高までの一貫教育体制が敷かれるようになった。この王院では子供らはナザリックに使えるための英才教育(魔法や拷問ではない)を施されていき、ゆくゆくは魔導国の民として恥ずかしくない知識と職種を与えられる。研究者や技術開発者、都市運営を担う政務官も人気だが、適性があるものが望めば、他の道も選択することは可能。ここで学べない唯一の例外となるのが、主に魔法詠唱者としての道を進むための、『魔導学園』並みの魔法教義くらいだろう。

 そして、ここには時折、学園から魔法詠唱者の教員が派遣される。

 ルプスレギナの夫である人狼は、信仰系魔法詠唱者育成のため、定期的に院へと通い、生徒や学生の中から適性を持つ子供を発見するという事業に携わっている。現地における「神殿」というものは解体されて久しいが、今も信仰系魔法詠唱者は確立されており、彼はそれを行う代表としての地位と栄職――『学園』信仰系魔法部門・最高顧問(+ナザリック地下大墳墓・信仰系魔法兵団・作戦参謀)――を賜っているのだ。実際、彼の手によって新たに信仰系魔法を修めた若者たちは数多い。

 ルプスレギナは今、夫である人狼の補佐役(階級としては彼が補佐だが)として、ユリの職場に赴いているわけだ。

 

普通(フツー)……ね。何が普通なのやら」

 

 ユリはお手上げというように肩を竦める。

 夫婦としてのあるべき姿や、カップルとして当然の在り方など、アンデッドの戦乙女には理解不能な情報である。

 否。ユリも一応「女」として設定された存在である以上、そういう性知識は持ち合わせている。合わせているからこそ、それを逸脱した感じのシャルティアに言い寄られるのは辟易してしまえる。ユリはマニアックな趣味嗜好の持ち主ではないのだから。

 しかしながら、いざ自分がそういう「異性交流」を送る姿というのは、まるで想像できない。

 ユリは生殖が不要なアンデッドであり、ナザリック地下大墳墓に忠勤を尽くすシモベ。

 そういった行為に奔ろうという情感や衝動というのは、ついぞ抱いた記憶がない。

 夫婦として当然な在り方というのは、未知なる領域であったのだ。

 だから、わからない。

 (ルプスレギナ)はそんな姉の思考を読んだのか読んでいないのか分からない微笑みを浮かべ、さらりと言いのける。

 

「司書長が何もしてこないなら、ユリ姉から夫婦らしいことをしてみたらどうっすか?」

「……私から?」

 

 ルプスレギナはしたり顔を頷かせる。

 

「相手からのアクション待ちじゃ、現状は変えられそうにないのなら、やっぱり自分から動くのが鉄則っスよ?」

「た……確かに」

 

 それは戦闘にも通じる理論であった。

 ユリは納得の表情を浮かべ、しかし、再疑問する。

 

「でも……私からする、夫婦らしいことって?」

 

 妻である自分が、夫である彼に対して、どのように振る舞うことが適切なのか。

 そればかりは、自分(ルプスレギナ)では答えようがないと言わんばかりに妹は肩を竦め返した。

 ちょうどその時、一人の青年が院長室の前に赴いたことを知覚して、赤毛のメイドはそそくさと席を立つ。姉に手を振る妹は、院長室に出迎えに来た夫と肩を並べ、昼食を摂りに部屋を辞していく。

 残されたユリは飲食が不要な上、今は口唇蟲も装備していないので、与えられた昼休憩を椅子に体を預けて満喫するしかない。

 

「夫婦らしいこと……ね」

 

 新婚ほやほやの乙女は椅子に座るのにも飽いて、しばらくの間、答えの見えない問いに囚われ、部屋の中をぐるぐる歩き回る。

 巨大な硝子窓から覗く院の中庭で、妹とその夫、そして銀髪の女性が、仲睦まじく弁当箱を広げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。早朝。

 ユリは第十階層・巨大図書館の門を開いた。

 疲労とは無縁のアンデッドたちによって運営された図書館は、年中無休24時間体制で訪問者を歓迎している。門番役の巨大な動像(ゴーレム)も、ユリの一声で容易に扉を押し開けてくれる。

 その奥に存在する至高の図書館のありさまに感嘆を禁じ得ないが、実のところ、それ以外の要因がユリの歩みを大いに躊躇わせた。しかし、ただ棒立ちになって時を摩耗しても益にはならない。ユリは決意し、一歩を踏み締める。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の一人、司書として働く同胞を呼び止め、ティトゥス司書長は何処か尋ねると、彼は昨日から作業部屋に籠っているはずとのこと。軽く礼を送り、ユリは彼が詰めている仕事場に足を進める。

 ユリがここへ赴いた理由は、簡単簡潔。

 自分の夫に、あるものを届けるためだ。

 あるものとは、ユリが両手に握るバスケットの中にあるもの。

 第九階層のショッピングモールで売られている食材を、ユリが自分の私室のキッチンで調理した飲食物――四種のサンドウィッチ盛り合わせの弁当箱に、紅茶入り魔法瓶――である。

 昨日、ルプスレギナたちの仲睦まじい昼食の光景を目にして、夫と共に朝食を楽しむことを思い立ったことは、言うまでもない。

 完全に妹たちの手習い同然だが、やらないよりはマシなはず。

 食事を二人きりでとるという様子は、なるほどこれ以上ないほど夫婦らしい行為だ。しかも、ユリは料理人の職もあって、他の姉妹たちとは違って手料理を振る舞える立場にある。これを有効利用しない手はないだろう。

 無論、アンデッドであるユリやティトゥスに、朝食などというものは無用。だが、今のナザリックにはアンデッドでも飲食を可能とする存在――口唇蟲――が、一定以上の階級や功績を持つ者らに配給されている(ユリのは(エントマ)からの贈り物(プレゼント)だが)。ちょっとした休息として、食事という新たな文化に触れ嗜む機会を与えてくれたアインズの叡智は計り知れない。ユリは胸の中で至高の御身への尊崇の念を篤くする。

 ……もっとも、ユリはその口唇蟲のおかげでヤケ酒に(はし)り、それが巡り巡って、司書長との婚姻にまで至ったことを思うと、何とも言えない。

 やはり、アンデッドに飲食など不要なのではと思う反面、その飲食によってユリの心の憂い――ストレスの発散も可となっている事実を思うと、一概に否定できるものでもなかった。

 

「……すべては我が身の不徳の致すところよね」

 

 図書館奥の製作室への途上で、ユリはそう一人ごちる。

 やはり、酒に頼るような自分の心胆が虚弱なのだと判じるより(ほか)になし。

 司書長のティトゥスには、本当に申し訳ないことだ。こんな自分の失態によって、彼はしたくもなかっただろう婚姻を遂げたのだ。さらに言えば、そのような虚偽を、偽りの関係を、至高の御身たるアインズに認めさせてしまったことも、大いにユリの不安や恐怖をかきたてる。

 だが、しかし。

 ユリが酩酊に溺れた要因は、根を辿れば御身の制定した婚姻制度により、妹たちが結婚していったが故の気晴らしだ。それでも、ユリはそのことを表明しようとは一度も思ったことはない。そんなことまで根掘り葉掘り言い募っては、己の恥という以上に、御身の深慮遠謀と、ナザリックの未来に必要な措置に対して、愚劣極まる私情を差し挟むことに他ならない。

 そして、それを表明することは、御身に対して反抗や翻意を抱いていると見做され刑されることもあるだろう。

 第一、それよりも何よりも、アインズは己のなしたことを――己の行いによって、シモベでしかないユリが苦悩を抱いてしまっていた事実をこそ、悲しまれることだろう。

 アインズはそれほどに優しい。

 そうして、彼は一度でも、自分が責めを負うべきと感じたら、あまりにも頑迷にその責を負おうとする。

 洗脳され刃を交わしたシャルティアをはじめ、アインズは何がそこまでさせるのか、自分自身を殊更(ことさら)に卑下し、懲罰するを望むかの如く振る舞うことも多い。

 だからこそ、ユリはアインズに、悲しみなど与えたくなかった。

 御身のために刑されるのであれば、たとえ幾千の剣に貫かれ果てることも辞さないが、(ユリ)などのために、アインズが苦しみを抱くことだけは避けたかった。

 それは、自らの死よりも深い悲嘆を抱かせること。

 だからユリは、あの場でディトゥスと自分は“そういう関係”なのだと表明するしかなかったわけだ。

 ああ。叶うなら、あの日の酒に溺れる自分を殴って帰室させたい。

 そんな不可能を思考してしまうユリは、司書長の製作室にまで至る。

 しかし、ユリは扉の前で動きを止めた。

 ティトゥスの他に、誰かが、いる。

 ユリの戦士としての直感というよりも、アンデッドとして当然の同種を認識する能力、および、ナザリックの存在を感知する力で、室内にティトゥスともう一人がいることを察知する。

 この気配の強さには覚えがある。

 しかし、何故、彼女がここに?

 疑念するユリは、咄嗟に扉を叩いて中へ入ろうという気概を損なった。

 代わりに、ユリは自分の顔の伊達眼鏡をはずし、別の眼鏡に着け直す。

 ユリの伊達眼鏡には、いくつか種類がある。普段使いしている眼鏡の他に、透明化している敵を発見できるものなどがそれだ。これのおかげで、不可視化している妹らを逐一発見し、彼女らの悪戯を未然に防ぐことも可能である。……もっとも、普段からかけていなければ、悪戯はされ放題なわけなのだが。

 今回、ユリが取り出した眼鏡は、遮蔽物――この場合は部屋の扉や壁――越しに、そこにある存在を看破する千里眼(クレヤボヤンス)の眼鏡だ。

 ユリは過つことなく、その室内の、巻物の素材やクリスタルなどで雑然とした、なれども部屋主にとっては最高の使いやすさに整頓された様子を見透かした。

 そして、椅子に座るアンデッドの他に、やはりもう一人。

 空の食器やグラスをワゴンに乗せた、犬の頭部を戴いたメイドの姿が。

 

「あれは……ペストーニャ?」

 

 ユリが戦闘メイドたちの代表であるとするなら、ペストーニャは一般メイドたちの代表とも言える立場にある存在だ。ナザリックの最奥にして神域である第九、第十階層の保全を一括して任せられる大命を担ったメイド長は、妹のルプスレギナよりも数段階上の神官であり、高位階の治癒や蘇生魔法の使い手――はっきり言えば、ユリよりもかなり強いレベルを与えられた存在なのだ。

 彼女とは、創造主同士――やまいこと餡ころもっちもち――が仲の良い関係だったということで懇意の間柄だ。ユリが感じた気配の強さも彼女の存在を如実にユリの感覚に訴えかけていた。

 が、はてと疑問が浮かぶ。

 ペストーニャは、ティトゥス司書長と仲が良かっただろうか?

 

「何を……話しているのかしら?」

 

 見た感じ、かなり仲良く談笑していると(ユリには)見えた。

 千里眼越しの映像しか見えないので、当然の如く音声や会話は聞き取れない。

 ユリには、人狼(ルプスレギナ)のような優れた聴覚や、追跡者(シズ)ほどに鋭敏な知覚能力は保持していない。盗聴を可とする魔法もなければ、相手の唇の動きでもって言葉を読み取る読唇術も所持していない(というか、一方は唇などない骸骨で、もう一方は犬の姿なのだから、読めるわけもない)。

 いっそのことこのまま何食わぬ顔で部屋の中に入って、直入に聞き出してしまえば、会話の内容など容易に知り得たはず。

 なのに、ユリは中に踏み込めなかった。

 

「…………」

 

 ペストーニャは微笑んでいる。

 ティトゥスも、微笑んでいた。

 互いにが人間のごとき表情とは縁遠い異形だろうと、同胞の表情を読み誤ることはありえない。

 だから、なのか。

 ユリは――何を思ったのか――踵を返して、足早にその場を後にする。

 眼鏡も普段のものに着け直した。それも、ユリにしては乱暴な所作で。

 バスケットを握る力をきつくしながら、来た道をそのまま引き返してしまう。

 その速度は、ナザリックに仕えるメイドとして出し得る最高速度。御方々の建造した拠点への敬意と、淑女としてかくあるべしという慎み深い歩調では、あった。一見しては、ただ粛然と歩く乙女の姿にしか映らないだろう。図書館を出て、第九階層に至る大階段まで、ユリは誰ともすれ違うことはなかったが。

 ユリ・アルファは今日も変わらずという風体のままである。

 だが――乙女の内心は、まるで嵐のように混沌としていた。

 ユリは、自分が何を思っているのか、まったく理解できていない。

 自分が自分ではなくなったような、奇怪かつ奇妙な思考が臓腑をひっかく。

 呼吸などしていない体が息苦しさに悶え、空気を求めるように浅い吐息と吸気を繰り返す。

 戦闘で感じるような昂揚や興奮とは、何もかもが違いすぎる感覚。

 恐怖や畏怖とも違う。

 絶望や失望とも違う。

 不安?

 後悔?

 寂寥?

 憤慨?

 

 いずれとも言い難い、なれども怒濤の如く雪崩れ込む、感情の暴力。

 

 何故、こんなに眼が熱いのだろう?

 何故、こんなにも胸が痛むのだろう?

 何故、――こんなにも切ないのだろう?

 

 

 

「どうかしました、ユリ姉様?」

 

 

 

 いつの間にか立ち止まっていたユリは、思わず振り返っていた。

 廊下の角から現れた姿は、黒髪をひとつに束ね流す戦闘メイド。

 婚姻制度の恩恵に一早く与ることを可能にし、御身の直接創造した領域守護者の伴侶となった妹。

 ナーベラル・ガンマが、おずおずと声をかけてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すまなかったな。食事など頼んでしまって」

 

 製作室内にまで足労を願ったメイド長に、ティトゥスは感謝の言葉を紡いだ。

 

「問題ありません。これもメイドとしての仕事ですので…………わん」

 

 ツギハギ傷を負った犬頭のメイド長・ペストーニャは給仕扱いされることには慣れている。至高の御方の食事の世話は勿論、乞われれば階層守護者たちの昼食だって運ぶのだ。図書館の司書長という重大な役儀を果たす同胞に労を尽くすのは、彼女の職務上、むしろ光栄の極みともいえる。

 ティトゥスに食事を運んでほしいと頼まれたのは日付の変わる頃。唐突に酒を嗜みたくなったらしいアンデッドの要望に応え、そして今しがた定刻になったので皿やグラスを下げに来たのだ。

 

「ですが、少し意外でしたね。アンデッドのティトゥス様が、率先して食事を召し上がるなど」

 

 自分の口調を軽く忘れて、ペストーニャは首を傾げる。

 彼はドラゴンステーキを平らげ、上質な赤ワインのボトルを一本まるまる干しているが、涼しい顔立ちだ。ユリがバーで着けるのと同じ装備品――〈状態異常無効(バンド・オブ・バッドステータス)化無効の腕輪(・キャンセラー・キャンセラー)〉――をつけているので、アンデッド故に酒精を感じていないということではないらしい。

 

「ああ、ちょっと酒を本格的に学ぼうと思って、な」

 

 故に、酒が入って上機嫌というのとは違うのだろうが、彼は心弾むものを抑えられないように言葉を紡いでいる。アンデッド故に、その変化ぶりはかなり微妙な差異でしかない。

 ペストーニャが読み取れた感情は、新たな発見に喜びを抱く探求心の塊。

 それと等分に、とある一人の戦乙女を思ってのことだと、メイドは理解する。

 

「……ユリには内緒で?」

 

 食事を頼むのであれば、彼の伴侶となったアンデッドの戦闘メイドに頼むのが自然だと思われた。彼女(ユリ)はメイドであると同時にアンデッドでありながらも、御方によって料理人(コック)としての職業(クラス)レベルを与えられた希少な存在。妻が夫に料理を振る舞うというのは、なるほど実に新婚っぽいシチュエーションではあるまいか。

 しかし、やはりティトゥスは、それを()としない。

 

「うむ。内緒で、頼むよ」

 

 ペストーニャは最初に食事と酒を運んだ時に、それとなく聞いて、理解していた。

 最近のユリが、バーに通うようになっていることは、犬頭の乙女にも周知の事実。

 メイドとしての役割の近さ、ナザリックに仕える同胞としての共通認識、それらを総合した上に、彼女(ユリ)自分(ペス)は、創造主が女性同士ということで仲が良く、それ故に懇意の間柄であったのだ。連鎖的に、ぶくぶく茶釜に創造された闇妖精の双子・第六階層守護者のアウラとマーレとも、ペストーニャは親交を得ている。

 そこまで(わか)っていれば、ユリの夫(ティトゥス)が今時分になって酒を愉しむことに積極的になったのかは、語るまでもないだろう。

 

「ふむ……彼とは、どうなんだね? 新婚生活の方は?」

 

 気恥ずかしくなったのか――はたまた、新婚故にアドバイスでも欲したのか――ティトゥスは話題を自分ら夫婦から、目の前にいるペストーニャ夫婦に逸らしてみる。

 

「まったく、(つつが)なく」

「――大変ではないのか? 彼は、その……こう言っては何だが、アレだろう?」

 

 ナザリックをどうこうなどと、大言壮語を吐き連ねるよう御方の一人に設定された同胞のことを、脳裏に思い浮かべるティトゥスであったが、

 

「あれが彼の在り方ですので。仕様がありません……わん」

 

 言って、惚気(のろけ)るように優しく微笑むメイド長に、司書長たる骸骨も気安い笑みを返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【続】

 

 

 

 

 

 




次で、一応完結。
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