ユリ・アルファ、図書館司書長との逢瀬   作:空想病

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ナーベとパンドラの関係については、該当する逢瀬シリーズをご参照ください。


第四話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナーベラルに付き添われるように、ユリは自分の私室に戻った。ユリは己ではいつも通りに――ナーベラルから見ればかなり悄然とした面持ちで――椅子に座る。手にあったバスケットの弁当は、膝に置いて。

 何度も「一人で戻れる」「心配など無用」と告げても、(ナーベラル)は決してそれを承服しなかった。

 彼女はユリの前で〈伝言(メッセージ)〉を使い、誰かはわからないが連絡を取っている。きっと姉妹たちの誰かに応援を頼んでいるのだろう。その様は、つい先日ユリが倒れた際の事を(おもんばか)っての事だと、容易に想像がつく。最近の姉は目が離せないとでも言いたげに、妹たちは事あるごとに、ユリの許を訪れることが多くなった。ルプスレギナの昼休憩の訪問にしても、夫の務めにかこつけてのものであっただけなのだ。

 それ自体は、むしろ嬉しいことである。

 妹たちが自分のもとに帰ってきたように“錯覚”する。

 それと同時に、本当にいたたまれなくて、仕様がない。

 彼女たちの、戦闘メイド(プレアデス)長姉(あね)として、あってはならないことに思えた。

 

「もう、大丈夫だから」

「ですが。とてもそうは見えません」

 

 ナーベラルは頑迷なまでに、姉の表情にあるものを心配していた。

 

「……大丈夫だと言っているでしょう」

 

 薄氷のように危うく壊れそうな苛立ちを込めて、膝をついて姉の顔を覗き込む妹を睨みそうになる。

 常の自分でいられない。

 一体、自分がどうなっているのか、ユリ本人にも判断がつかない。

 

「隠さないでください、ユリ姉」

 

 だが、ナーベラルは一歩も退()かない。

 退いてくれない。

 退こうともしてくれない。

 

「何があったのです? ちゃんと言っていただくまで、私はお傍を離れません」

 

 その様子は、あまりにも純粋だった。

 親身に、真摯に、真剣に、(ユリ)の異常を気遣い、心配してのことだと理解できる。

 だからこそ、ユリは苦しい。

 あまりにも、……みじめだ。

 

「……あなたには、関係ないことよ」

 

 突き放すように言ってしまう。

 姉として相応しくない言動だ。

 自分で自分に失望し、もうわけがわからない。

 

「関係がないのなら尚のこと、私にお話しください」

 

 ユリは自分の言を後悔する。

 関係があるものでは、口を(つぐ)んでも仕方ないところだろうが、ユリが言うように関係ないナーベラルになら、胸襟を開くことも可能だろうと。

 愚痴や不満も聞けないほど、目の前のメイドは狭量ではない上、バカでもない。それは理解している。

 でも、言えない。より厳密には、言いたくもない。

 

「…………ん?」

 

 何だか、不思議な既視感を覚えてしまう。

 以前にも、誰かにこうしたことがあったような?

 

「姉様?」

 

 不思議そうに眺めてくる妹に、ユリは少し嫌な気持ちを抱く。

 普段の自分ではまったく感じるはずのない――そもそも精神が不安定化するはずのない――アンデッドにはありえないような感情の機微に、ユリは戸惑いすら感じ始める。

 ユリはナーベラルの瞳を正視する。

 とても幸せそうな日々を送る、妹たちの一人。

 いの一番に、至高の御身が新たに制定した婚姻制度の恩恵に与れた乙女。

 彼女に続くように、ルプーにシズ、ソリュシャンやエントマも、それぞれに幸せを謳歌している事実が、ユリの背中に重く()しかかる。

 

「私だけ……こんな……ばかみたい」

 

 太腿(ふともも)に乗せたバスケットを、憎々(にくにく)()に抱き寄せる。

 こんなもの放り捨ててしまえばいいのに、何故か後生大事にここまで運び続けている。

 ひどく奇妙で、痛々しい。

 ひどく奇怪で、寒々しい。

 敵に胸を抉られ穿たれても、これほどの痛みを味わうことはないと、本気で思う。

 その痛みの端緒となったものであるはずの弁当を――ユリは何故か、手放せない。

 

「……あなたたちは、良いわよね。特にナーベラルは、アインズ様の謹製である彼と、順調に、夫婦円満な生活を遂げているのだから」

 

 魔王妃にまで格上げされた少女の世話役を務めつつ、ナーベラルは愛する伴侶と共に、至高の御方々の財の管理について、その勉学に励んでいると聞く。クリスタルの序列順や、保存された武器の特性、それら財宝の磨き方ひとつに至るまで、パンドラズ・アクターの熱狂的な授業を受けているのだ。遠くない将来、夫婦として、住居を共有することになった者同士、御方々の財宝が眠る場を管理することになるのかもしれない。

 休暇になれば、バスケットに紅茶とお茶請けを満載して、彼の住まう霊廟に、足繁く通っているとか。

 彼女こそまさに、御身より真に祝福された存在と言っても差し支えないだろう。

 ユリのような偽りの関係しか結べないものとは、文字通り雲と泥の差ほどの違いがある。

 だが、ユリはナーベラルをはじめ、彼女たちの婚姻を、新たな門出を、本気で祝福したことも事実だ。それは、彼女たちの婚姻届の証人欄に名を連ねてみせたことからも明らかである。

 なのに、ユリは今や、まったく真逆の感情しか抱けていない。

 何故なのか。

 

「私は……どうすればいいのか、わからない。婚姻しても、あなたたちのように……(むつ)み合ったりなんて……できないのよ」

 

 手中のバスケットが、ミシリと鳴いた。

 せっかく用意したお弁当も、すっかり冷えてパサパサになっているだろう。

 自分に出来る「夫婦らしいことを」という企図も、無駄に終わった。

 所詮は、偽りの婚姻。これが、ユリの限界。

 ナーベラルや妹たちのようには、いかない。

 いくはずもなかったのだ。最初から。

 本当に、なんて、みじめ。

 

「姉様」

 

 失望されただろうと思いつつ、乙女の姉であるアンデッドは――そこにある表情に驚いた。

 

「それでいいのです」

 

 ユリは咄嗟のことで理解できなかった。

 ナーベラルの表情は、慈愛に満ちた微笑み。

 

「私も、最初からあの方と、パンドラズ・アクター様と、うまくいっていたわけではありません」

 

 彼女の唇が紡ぐ言葉は、完全無欠なる全肯定。

 何を言われているのか、ユリには理解が追いつかなかった。

 

「正直に申し上げます。

 ――私は当初、パンドラズ・アクター様のことが嫌いでした」

「…………何、え?」

 

 思わぬ告白が始まり、姉は妹を直視する。

 そんなユリの驚愕を受け取りながら、ナーベラルは滔々(とうとう)と語り出した。

 

「あれは、シャルティア様の洗脳が解かれた後のお茶会でしたね。

 パンドラズ・アクター様と直接お会いした姉様(ねえさま)たちから聞かされた、あの方の性能や役儀に、私は心底から一物(いちもつ)に据えかねる想いを抱いておりました。あの方は私と同じ二重の影(ドッペル・ゲンガー)でありながら、私などよりも数段優る存在――Lv.100の領域守護者、宝物殿の“霊廟”を任されるアインズ様直製のシモベ、至高の四十一人への変身を許された唯一の存在――私は、あの方のことが、気に入らなくて気に入らなくて、気に入らなさすぎてたまりませんでした」

 

 彼と直接対面する時までは。

 そうナーベラルは言い募る。

 

「ですが、あの方は、そんな私を護り、慈しみ、優しく諭し、あまつさえ不肖に過ぎる我が身を、今や妻たる存在に迎え入れてくださいました」

 

 望外の幸福を総身に感じる乙女は、薔薇色に輝く頬で、己の薬指を、そこに嵌めこまれた愛の証を、見る。

 そのまま陶然と語り続ける。

 

「姉様が(いだ)いた感情は、きっと私がパンドラズ・アクター様に感じたものと、極めて近いものだと思われます」

 

 至高の御身――アインズの代行として、恒常的に人間の都市(エ・ランテル)で暮らすようになったパンドラズ・アクターは、人間(ゴミムシ)たちとの友好関係構築のために、一切の瑕疵(かし)や遺漏なく英雄モモンを演じきった(少なくとも、ナーベラル視点では)。

 だというのに、ナーベラルは相も変わらず、ポンコツだった。

 

「パンドラズ・アクター様が、代行という役儀とはいえ、役目であるのだから仕方ないとはいえ、都市の女たちに、好意的な対応をとらねばならない様は、私には酷く不快でした」

 

 不愉快の極みだった。

 彼はあくまで御身から与えられた役目に準じていたのに、ナーベラルは不愉快で不愉快で、とんでもなくつらかった。

 そんな自分をも、あの方は優しく包み込んでくれた。

 ナーベラルは、その時のことを思い返すことで、今の姉の胸中に巣食うものを、正確に看破する。

 

「姉様が今、その身に(いだ)いている(もの)

 ――それは、『嫉妬』です」

「…………」

 

 ユリは愕然となる。

 自分が、嫉妬? アンデッドの私が? 偽りの関係でしかない彼に?

 

「ありえないわ」

「いいえ、姉様。それこそが、嫉妬なのです」

 

 まるで姉と妹の立場が逆転したようだ。

 ナーベラルは丁寧に、姉の心の憂いを()いていく。()きほぐしていく。

 

「そして、嫉妬を抱くことは、悪いことばかりではないのです。姉様は、ご自分たちの関係を“偽り”と仰りますが、姉様は確かに嫉妬しておいでです。それはつまり、あの方を、ティトゥス司書長を想っているということの証左に他なりません。きっかけはなんであれ、姉様は司書長を想い、行動されている。これは素晴らしいことなのです」

「で……でも、私たちは」

「白状しますと、私も最初は、パンドラズ・アクター様の立場と性能に嫉妬し、馬鹿な失態を演じました……アインズ様の御決定に、異を唱えてしまったことがあるのです」

 

 ユリはあらゆる意味で絶句した。

 主人たる至高の御身の決定は、ナザリックに属するものにとっては絶対だ。

 それに異を唱えることなど、通常では考えられない蛮行であり大罪である。

 

「ですが、そのおかげで私は、パンドラズ・アクター様の素晴らしさ――アインズ様が御創造になられた方の慈愛の深さを、知る機会を得られました」

 

 ユリは、あの当時のお茶会の後のことを思い出す。

 ナーベラルとパンドラズ・アクターが、第六階層で戦闘訓練を繰り広げた時のことを。

 思えば、あの頃にはすでに、ナーベラルの想いは――愛は――芽生えの時を待ちわびる種子を、抱いていたのかもしれない。

 

「姉様」

 

 恋を知り、愛を知った乙女は、天啓を授ける御使(みつか)いのごとき祝福の相を浮かべ、姉の胸中に存在する埋め火を、愛情という火種の存在を、確約する。

 

「不安に思うこともあるでしょう。不満に思うことも当然です。私も幾度となく何度となく、あの方と共にある内に、そういった苦しみや悲しみを背負ってきました。逃げ出したいとも、投げ出したいとも、そうして……あの方に自分は相応しくないと――どれほど思い悩んだかもわかりません。

 それでも、私はそのたびに、あの方と共にあれる喜びを、あの方と共に生きられる幸せを、この心の奥底に感じてきました。

 私ですら、これほどに幸福な思いを抱けるのです。

 同じ戦闘メイド(プレアデス)である姉様だけが、例外であるはずなどありえません」

 

 さらに言えば。

 アンデッドであるが故に、そういった精神の昂揚とは無縁だという言説は通用しない。

 吸血鬼であるシャルティアもそうだが、何よりもナザリックの最高支配者にして、最上位アンデッドであられる至高の御身をも、ナーベラルの語る“愛情”を、抱くことが可能なことは、周知の事実。でなければ、あの御方が五人の王妃を迎え入れることもなかったことだろう。

 だからこそ、ナーベラルはユリをまっすぐに導けるというもの。

 

「ちゃんと向き合うべきです。司書長と――姉様の旦那様と」

 

 ユリはまさに、啓示を受けた聖徒の如く、茫然となる。

 ナーベラルの言葉は、訓戒は、確たる形となって、ユリの臓腑に吸合(きゅうごう)された。

 とても信じられない。

 自分が、(ティトゥス)を、想っているなんて――

 そのような懊悩に煩悶を覚えた時、部屋の扉を誰かが叩いた。

 ナーベラルは、思索の渦に巻かれ立ち上がれない部屋主の代わりに、応対に向かう。

 そうして、妹は事も無げに言い放つ。

 

「姉様。ティトゥス司書長がお見えです」

「……ふぇ!?」

 

 意外なまでにタイムリーに過ぎる訪問者の来訪に、ユリは素っ頓狂な声を吐いた。

 姉の奇行奇態を気づいているのかいないのか、ナーベラルは悠然と、訪問者をユリの部屋に通してしまう。

 

「失礼する」

 

 小さな骨の体躯に、特徴的なヒマティオン。突き出す双角。草食獣のごとき蹄。

 紛れもなく、ユリと婚姻した骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)の姿に相違なかった。

 ユリは狼狽(ろうばい)のあまり、たまりかねて問いを妹に投げてしまう。

 

「ど……どうして」

「私が先ほど、〈伝言(メッセージ)〉を通じて参上していただいたのです」

 

 しまった。

 あの〈伝言(メッセージ)〉だ。

 てっきり戦闘メイドの誰かと連絡しているものと誤認していたが、よもやティトゥスに繋いでいたとは。

 考えてみれば、妻の不調をその夫に報告するというのは、とんでもなく理知的な行為選択に違いないだろう。こればかりは、完全にユリの認識不足でしかない。

 

「すまない、ナーベラル。席を外してくれ」

 

 姉の夫――義兄への敬意を(あらわ)に、ナーベラルは静かに部屋を辞していく。

 ユリは、いつかと同じように、私室で彼と二人きりという状況を味わうはめになる。

 

「……何か、御用でしょうか?」

「それはこちらの台詞だ」

 

 ユリが必死に紡いだ疑念を、軽く笑う勢いでティトゥスは突っ返す。

 

「私の部屋の前まで来て、どうして入ってこなかったのだ? ペストーニャも心配していたぞ?」

「…………」

 

 やはり。

 ナザリックのシモベ固有の気配は、当然の如く司書長たちも感知できてしかるべきもの。

 ユリがつい先ほど部屋の前にまで赴いたことなど、二人が認識できないはずもないのだ。

 その事実にようやく思い至る。

 そんな“あたりまえ”なことすら思考できないほど、ユリの状態は珍奇すぎた。彼女本人も、あまりの(てい)たらくぶりに驚くレベルである。

 

「そんなに、私と顔を合わせたくないのか?」

「……ええ」

 

 少なくとも、今は。

 ナーベラルにあれだけ言われておきながら、ユリの心境は半信半疑の只中だ。自分が目の前にいる彼に愛情を――厚意や好意、そして恋などに類するものを、抱いている実感は持ち得なかった。

 ただ、何というか。

 ひどく、顔を合わせづらい。

 頬がむず痒いような……そんな、感じ。

 

「何か私が、気に障ることでもしたか?」

「……いいえ」

 

 これは、ユリの問題だ。

 脳みそまで筋肉なのかと疑わしいほどに、ユリの思考能力は割と単純だ。だからこそ、自分が本当に感じている複雑怪奇なものが何なのか――ナーベラル曰く“嫉妬”なのか、本気で理解できずにいる。

 ユリは未だに疑っている。

 自分のこの感情が、本当に、彼に対する「妬み」や「嫉み」などという劣情なのか。

 だからこそ、ユリはひとまずの間、自分でも把握できている事柄を、偽の婚姻などを結ばせてしまったことに対する陳謝を吐き連ねるしかない。

 

「むしろ……私などと婚姻して、ただでさえ御迷惑をかけているのに……」

「迷惑? 君が、私に?」

 

 ユリは震えそうになりながら――アンデッドにはありえない――胸の痛みを覚える。

 己の内側から零れる、負の感情。

 恐れと怖れと懼れと惧れ。

 そんな彼女の不安の相を間近にしたティトゥスは、あまりにも呆気なく即言する。

 

「迷惑だなんて、私が言ったことがあるか?」

「いや、ですが」

「……私は、“あの夜”に願われたことを成す、ただ、それだけだ」

 

 奇妙なことを言われた気がした。

 

「あ……あの、夜?」

 

 ユリは、存在しなくて当たり前な血の気が、一瞬失せたと同時に、一挙に沸騰するような気を味わう。

 その落差に、ほんの刹那だが、意識が飛んだ。ユリの懊悩を知ってか否か、ティトゥスは訥々と語る。

 

「いやはや、あのユリ・アルファにしてはなかなかに情熱的な夜であったな。ああ、私の蹄に踏まれ、舐めまわしている君の姿は、中々心地よい快悦だったとも。さらに、あれほどのことを、まさか君が率先して」

「わーわーわー!」

 

 思わず、彼の頭蓋を殴り飛ばしてでも、言わんとしていることを制止しようかとも血迷うユリ。

 

「嘘だよ」

 

 そんな慌てんぼうで恥ずかしがり屋な戦乙女に、ティトゥスは珍しく微笑みを骸骨の顔に浮かべて見せた。

 思わず、ユリはその光景に目を奪われるほど、その表情の移り変わりは見事なもの。

 

「……舐めまわしていたのは事実だが」

「……え?」

 

 爆発物じみた発言を聞き咎めた女に対し、ティトゥスはユリの対面にある椅子に腰かける。

 

「そうだな……あの夜、何があったのか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの夜。

 バー・ナザリックで。

 

「さて……どうしたのかね、アルファ女史?」

「う~ん、だぁ~れぇ~?」

 

 ティトゥスは、同胞にして同族であるはずのアンデッド――ナザリックが誇る戦闘メイドの常にはない衰退ならぬ酔態(すいたい)ぶりに首を傾げる。

 まぁ、彼女がどういう状態なのかは、バーという場所、装備された腕輪、私服姿という諸々を勘案すれば把握できる。

 だが、どうして彼女がそうなったのかの事情はわからない。

 だから、率直に(たず)ねる。

 

「そんなことは些末なことだ。それよりも君だ。君はどうして泣いているのだね?」

 

 不死者(アンデッド)のユリには、涙は流せない。

 だが、確かにユリは声だけで泣き耽っている。

 酒精に溺れ、酩酊の海を孤独に漂流する遭難者。それが、今のユリ・アルファの姿であった。

 

「言ったってぇ、ひっく、分かりっこなぁいわよぉ」

「まずは話すことだ。そうすれば気が紛れるというもの」

「や~だ~、話さ~な~い~、話し~ま~せ~ん~」

 

 というよりも、これは話したくないと見るべきか。

 一瞬で解答に至るティトゥスは、マスターのマイコニドが運んできてくれた「いつもの」ジントニックを一口呷る。無論、ティトゥスも飲食用の口唇蟲は装備済みである。爽快な鼻腔の刺激と、喉を滑る酒精は蟲の体内に収まった。かすかにだが、己の歯に酒が残る。ユリと同じ装備のおかげで軽いアルコールの毒性が浸透するが、この程度で酔いを感じるティトゥスではない。

 

「ふむ。そうか。では、私の話をさせてもらおうか」

 

 ティトゥスは貝のように固く口を閉ざすユリに、語り始める。

 自分がアインズより任され命じられてきた巻物(スクロール)の安定生産――この異世界において自給自足ができるように、現地の様々な素材を試行錯誤した、その失敗談を乙女に対して勝手に喋り出す。

 外の連中の巻物(スクロール)は、ティトゥスでは再現が困難であった事実。周辺国家で流通している魔法の巻物と、その材料である羊皮紙などの素材は、王都に潜入していたセバスなどのルートから、ティトゥスの手元に届けられ、解析と再現が試みられた。

 しかし。幾度となく何度となく、外の巻物と同じものを製造しようとしても、ティトゥスには外の劣悪な素材では、第一位階魔法を込めるのが限界だった。外で一般に流通している羊皮紙とは別の素材――デミウルゴス経由で届けられる“両脚羊の皮”などを羊皮紙に加工するなどして、ようやく解決の糸口が見られた。それでも、第四位階魔法以上のものについては、未だに不安が残る。ティトゥスの技量や、魔法を込める術者の力量に関わらず、だ。

 アインズに盾突いた愚かしい現地の霜竜(フロストドラゴン)などを利用しての“加工用”“食肉用”に蘇生され記憶をいじられ、挙句、畜産され量産されたドラゴンハイドが手に入ったことで、ティトゥスの巻物作成に関する問題は一掃された……わけではない。あれらは所詮、レベル的に言えば50にも匹敵しない中級素材。最高位である第十位階魔法を込めるだけの素材というのは、未だに研究と検証が重ねられている真っ最中、というところである。

 本当に、アインズの期待に応えられない我が身を、ティトゥスは呪うしかない。

 

「どうかね? 私の失敗談は?」

「つまんな~い。巻物なんて、私にはつくれないし~」

 

 ティトゥスは相好を崩した。

 何だかんだ言いつつも、感想を返すということは、話の内容を聞いていてくれた何よりの証明に他ならない。

 話の休息がてら、ティトゥスは酒を一口呷る。

 

「ふむ。……確かにつまらん話だったな。ならば君は楽しい話を聞かせてくれるのかね?」

「……そんなの、無理~」

 

 何やら深刻そうに、顔をカウンターテーブルに突っ伏し、額をぐりぐりと押し付ける淑女(ユリ)

 

「実は……」

 

 そうして、ティトゥスはここ最近たまりにたまった鬱憤(うっぷん)を、妹たちと心理的に離れていっているような状況を、ティトゥスの前でつまびらかにしていった。

 ルプーがからかいに来てくれなくて寂しいとか、ナーベラルが夫の住居で休暇を過ごしてお茶ができないとか、シズが新たに与えられた使命でなかなか会えないとか、ソリュシャンが、エントマが……そんな感じで、以前ほどに姉妹としての時間や日常を送ることができていないことを、ぐちぐちと話し込んでしまったのだ。

 無論、妹たちが幸せな夫婦生活を送ってくれて嬉しい。それ自体は、紛れもない事実だ。

 嬉しいのだが、ユリは己の心の暗い場所で、自分だけ置いていかれるような、そんな強迫観念じみた不安まで抱いていると、白状してしまっていた。

 

「つまんないでしょ?」

 

 からかうように微笑むユリは、意外なものに見つめられる。

 

「……そうだな。つまらん」

 

 ティトゥスは率直に、ユリの言い分を理解した。

 そんな男の純粋な感想を、どう受け止めたのか。

 

「……」

 

 ユリは無言で、未だに十分残っていた琥珀麦(こはくむぎ)のビールを、ティトゥスに押し付けた。

 ティトゥスは何を言うでもなく、金色の酒精を受け取る。女性からの奢りとなっては、無碍(むげ)にするのも(はばか)られた。

 ユリは、自分の掌中に残るジョッキを掲げ、彼の持つものに向けて差し出した。カキンと小気味よい音色で乾杯する。

 まるで競い合うかの如く、二人はジョッキの中身を干していく。

 

「ぷはぁ!」

 

 ユリの快声があたりに満ちた。ティトゥスもほぼ同時に飲み終えるが、

 

「失礼」

 

 口唇蟲のペースに合わない飲み方をして、少しだけ酒が顎と口腔から零れてしまう。おしぼりで簡単に、頭蓋の表面や内側を撫で拭った。

 

「あーあ、もったいない」

 

 まるで猫が甘えるように蕩けた声で、ユリはティトゥスのこぼした酒精を眺めていた。肘をついた姿勢で、あどけなく微笑む女性は、本当に愉快そうな面持ちで同胞を見つめている。酩酊によって上気した紅色の頬が、あまりにも煽情的だった。

 

「何か、おもしろいか?」

「ぜんぜん?」

 

 そうは言うが、ユリはまさに我が意を得たと言わんばかりの微苦笑で、声高らかにオーダーを唱える。

 

「マスター! マティーニを二つ、彼の分も!」

「いや、私はスコッチの方が」

「わたしの酒が飲めない、ってかぁん?」

 

 ティトゥスは黙って、運ばれてきた酒を受け入れるしかなくなった。

 それから、ティトゥスとユリは数時間も飲み続けた。飲み比べた。カクテルだけでなく、ワイン、ブランデー、ウィスキーなど、普段のユリ一人ではまったく口にするはずもない酒精を、次々と。大半はティトゥスが飲み干す羽目になった。どれもユリの口には合わないのに、彼女は頑固なほど、彼との飲み勝負を続けていく様は、暴君じみた女帝を思わせた。

 しかし、さすがに酒が入りすぎたユリは、呂律(ろれつ)が回らない感じにまで成り果て、他の客の迷惑にならぬよう、ティトゥスの小さな肩に(かつ)がれながら、”おあいそ”の時を迎える。

 

「では、マスター。彼女は、私が送り届けるよ」

「もう一軒いこ、もう一軒!」

 

 もう一軒も何も、ナザリックにバーはひとつしかない。他に酒を提供できる場所と言えばレストランあたりが妥当だが、さすがに日付が変わった後では営業時間を過ぎている。

 心配げなマスターと客たちに見送られながら、二人は九階層の廊下を、ひたすら進む。

 

「ほら。しっかり歩く」

「らいじょうぶれぇす~」

 

 千鳥足を半ば引きずるように、ティトゥスはユリを彼女の私室にまで送り届けた。戦士を肩に担ぎ、尚且つ、戦乙女が勝手に歩を暴れさせるのを止めるのには難儀した。同じ階層だというのに、バーから使用人室・ユリの私室に戻るのにもかなりの時間を費やしてしまった。

 

「着いたぞ。では、私はこれで」

「んえ~! ちょっとは、よっていきなさいよぅ!」

「いや、だが」

「じょせいの誘いを断るんですかぁ~?」

 

 女性の部屋なのだから遠慮すべきだろう。

 それがティトゥスの常識的な配慮である。

 だが、どうにも絡み上戸なユリの剣幕は、断りでもしたら今すぐにでも殴り掛からんばかりだ。こんなことで同士討ちなど御免被りたい。何より、そんなことになったら、至高の御身たるナザリックの最高支配者に申し訳が立たない。

 焦点の合ってない上気した瞳で睨まれる。これでは抗弁の余地などなかった。

 

「……お邪魔する」

「やったー! よぉし、わたしが腕によりをかけて、何か作るわよ~!」

 

 などと歓待の声をあげていた料理人(コック)は、キッチンではなくベッドに向かっていった。

 ふらつく足で、ふかふかの天蓋付ベッドの上にダイブする。

 

「んふ~、今日はサイコーに気分がいいれす!」

「それは何より」

「あはー……そういえば、私の部屋に男の人ってはじめてカモー?」

「光栄だね」

 

 そう答える骸骨の前で、ユリは私服の上着を脱ぎ始める。なるほど、スーツなのだからハンガーにでもかける方がいいに違いない。そこまでは理解できる。

 だが、その下の衣服にまで手を伸ばすのは予想を超えていた。

 

「ナニをしている?」

「あ~つ~い~の~」

 

 ユリはベッドで半身を起こすと、ティトゥスの存在など意に介さない様子で真っ白なブラウスのボタンを解き、スカートのチャックを下げ始める。

 脱ぎ上戸だったのか、などと呆れる間もなく、ユリは下着姿を露にする。ほとんど素っ裸な感じになるが、創造主から与えられた自分の私服はキッチリとハンガーにかけていた。いくら酔い潰れていても、そこだけはしっかりできているらしい。

 ティトゥスはまじまじと、そこにある薄桃色の生地にのみ秘所を護らせる華を見る。

 アンデッドであるが故に体温などない女体は、(たお)やかな白い百合(ゆり)の花を思わせる。

 状態異常によって上気した頬と、けだるげな眼差しが、そこにある美に魅入られる男に笑みを浮かべた。

 流れる黒髪の奥に、流し目を妖しく輝かせて。

 

「ホーラー、てぃとぅすも脱ーいーでー」

「ん……何故?」

「脱いで、脱ぎなさい、脱がないと死ぬ~!」

 

 アンデッドだから死んでいるのでは。

 なんて、つっこみを入れる気も起きない。

 仕方なしにティトゥスもヒマティオンを脱ぎ、骨のみの身体を外気にさらす。

 途端、何を思ったのか。ユリは骸骨の矮躯に手を伸ばした。

 

「……今度は何だ?」

「えへへ~……ひんやり~……」

 

 ティトゥスの胸骨に頬ずりする女性は、自分の胸を男の身体にこすりつける。体温などないはずの動死体(ゾンビ)が、同じく体温など発しようのない骸骨(スケルトン)に抱き着くさまは、傍目にはかなり異様なものだ。

 しかも、

 

「ん~、お酒ぇ、匂い……まだ、残ってる」

「ああ。やはり拭き取れていなかったか?」

 

 あれだけ大量の酒を、浴びるほど飲み干したのだ。ユリに煽られ叩かれする内に、頭蓋の内側まで大量に酒が飛び込んでいる。おしぼりで簡単に拭いた程度では、まず拭ききれない量だった。おまけに、アンデッドの骨の身体は温度とは無縁なため、水分が付着すれば蒸発するはずもない。

 そんなティトゥスは、まじまじと見つめてくる女に、半ば組み付かれるように頭蓋を拘束される。

 

「……おい、何を」

「お酒~、飲む~」

 

 飲むというより、“舐める”という方が正しい。

 酒臭い息で、乙女は可能な限り舌の上に、酒の残りを味わおうとする。

 

「ん、ん」

「…………」

 

 もう、ここまでくればどうにでもなれ、だ。

 口腔を思い切り開けられ、そこに残る水分――酒精を、ユリは貪るように指先で掬い、舐めまわす。女はまるで熱烈な口づけを交わすように、ティトゥスの口内へ舌を伸ばした。

 

「ふふ――おいし」

 

 ユリは酒で紅潮した頬で、淡く微笑む。

 その次は頸椎、胸骨、鎖骨、肋骨、肩甲骨にまで残る雫を、余すことなく(ついば)んでいく。

 骨だけのティトゥスは、体重はそこまで重くない上、ユリの戦士としてのステータスにかかれば、骸骨を抱き上げ(ねぶ)ることも容易であろう。

 

「……下着が骨にひっかかっているぞ?」

「あえ? あ、そっか」

 

 人形を抱くかのように、男の背骨にしたたる酒を堪能していたユリは、納得の声を漏らす。

 御身から与えられた貴重な装備の一つだ。この程度の接触で傷などつくはずもないが、やはり丁重に扱うべきものに変わりない。そこもユリは酔い潰れているとはいえ把握できているようで何より、

 

「んしょっと」

 

 と思った瞬間、ティトゥスは唖然となる。

 後ろ手に背中のホックを外し、パサリと下着が床に落ちる。見事に実った果実が、惜しげもなく骸骨の眼前にさらされた。

 ついでとばかりに、最も大切な場所を護るところも。

 薄い布地が、室内の絨毯の上に捨て置かれてしまう。

 

「……いい加減に」

「どーん!」

 

 こらえきれなくなったと言わんばかりに、乙女は振り返ろうとしたティトゥスの矮躯に突進してきた。その勢いで、ユリのベッドの感触を共に味わう。

 幸い、シーツやマットレスなども魔法の加護があるので頑丈なものだ。柔らかい布地に骨が引っ掛かって、傷がはしるなどのこともなかった。

 

「……ふざけすぎだ」

 

 思わず、骸骨の変わらない面貌を歪め糾弾の声を紡ぐ。

 まるで幼い童女のごとき戯れっぷり。普段の彼女からは考えられない狂乱である。

 一糸纏わぬユリの突撃は、それなりのレベルを与えられている骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)には、大したダメージなど入らない。装備がないこともそうだが、ユリの手加減+酩酊状態というバッドステータスもあったためだろう。

 だが、

 

「……おいおい」

「んふ~。冷たくて、いい~」

 

 ユリはティトゥスの胸骨にまたも頬摺りして、その熱を発散させる。

 そのため、彼女の豊満な女体美が、骸骨の腹部の空洞を撫でてしまう。人間の男であれば、その感触だけで絶頂を味わう肉感が、ティトゥスの腰骨と脊髄に当てられた。何度も。何度も。

 さすがに、戯れにしても度が過ぎる。

 抗議の声をあげようとした、その時。

 

「ねぇ」

 

 あまりにも静かな声が、ティトゥスの頭蓋の内に響いた。

 

「……あなたは置いていかない?」

 

 ユリの表情は見えない。

 骸骨の胸元に顔を埋めるように、声をかけてくる。

 その声は、震えているような、泣いているような、そんな気がしてならないほどに弱々しかった。

 

「あなたは、いなくなったりしない?」

 

 何を馬鹿なことを、そう思った。

 

「あなたは、私から離れたりしない?」

 

 ティトゥスとユリはナザリックの同胞同士。互いに寿命のない異形種・不死者(アンデッド)なのだから、離れようがないのでは……とも思われた。

 しかし、ユリの内心は、不安と焦燥が雨霰のごとく降り注ぐ、混沌の嵐であった。

 

「置いてっちゃ、いや……ルプー、ナーベ、シズ、ソリュシャン、エントマ」

 

 最後に末妹の名も加えたユリ。

 これくらいのことも言えないほど、彼女は追い詰められていたわけではない。

 こんなもの、一時の気の迷い。酩酊の淵に降り立った、一夜限りの悪夢。

 朝になってしまえば、ユリは日常を取り戻すだろう。戦闘メイド(プレアデス)の副リーダーとして、ふさわしい在り方を取り戻す。それは疑いようがない真実であり、ナザリック地下大墳墓に住まう全シモベの宿命……至高の存在たちによって創造された者の、必然であった。

 だから、案ずることなどない。

 そう言ってやろうとした、その時、

 

 

 

「置いてかないで…………やまいこ、様」

 

 

 

 その名は、至高の四十一人が一人。

 敵を木っ端の如く吹き飛ばす半魔巨人(ネフィリム)の御方。

 今、ここで、骸骨の胸元で泣き濡れる乙女、ユリ・アルファの、唯一無二の創造主。

 このナザリック地下大墳墓を築き上げ、数多の同胞を御創造された御方々は、たった一人を除いて、御隠れになって久しい。

 唯一、この地に残って下さった慈悲深い御身のために、ティトゥスたちは忠勤に励み、忠誠を捧げ続けている。

 だが、叶うのなら、望めるのなら、自分を創り出してくれた主に――相見(あいまみ)えたい。

 そう願う気持ちは、すべてのシモベに共通の想いであり、悲願であり、本能ですらあった。

 神のごとく君臨し、神よりも尚すばらしい力と美と心を宿す――いと尊き、御方々。

 

 

 

 ティトゥスは、受け取った言葉を衝撃として認めつつ、あらためてユリを見下ろす。

 まるで、ではない。

 そこにあるものは、置いていかれた子供そのもの。

 そういう意味においては、ティトゥスもまた創造主に置いていかれた存在だ。アインズを除く御方々は、すでにこの地を去られた。その行方は(よう)として知れず、残ってくれたアインズ自身もまた、重く口を(つぐ)むのみ。

 ティトゥスは理解した。

 かつての耐え難い別離――自らを生み出し、「かくあれ」と創り上げてくれた主との、哀しい、別れ。

 それ自体は、特段珍しい事情ではない。というか、このナザリックの全存在、そのほとんどは、主との望まぬ最期を遂げている者で溢れている。粛々と別れを告げられた者もいれば、捨て置かれるように離れた者もいる。……もっとも多いのは、そういった遣り取りすら一切なく、創造主とは二度と相見えることもなくなったものたちだろうか。

 ユリ・アルファは、置いていかれることを恐れている。

 それは当然の危惧であると同時に、まったくの見当違いだと言わざるを得ない。

 置いていかれるなど、そんなことはありえない。彼女の同胞は数限りなく存在し、姉妹たちにしても、今でこそ多少生活や任務の齟齬(そご)が生じているが、このナザリックに属する存在として、永久(とこしえ)に運命を共同し続ける同胞(はらから)だ。たとえ、最悪の事態――最後に残られた、慈悲深きアインズ・ウール・ゴウンまでもが、この地を去ることになろうとも、我々は我々の魂が尽きるその日まで、創造してくださった方々への尊崇と使命のまま、存在し続けるのだ。

 しかし、それでも。

 ユリは、ふとしたきっかけで、かつて自分を置いていった御方々の姿を、最後の別れを想起しているらしい。酒を飲むことで、心のタガが外れたのか、あるいは、それ以前からかは判然としない。

 その気持ちは、ベッドの上で仰向けになったままのティトゥスにも、痛いほど理解できる。

 理解できてしまう。

 

「私は…………」

 

 慰めるべきか。

 励ますべきか。

 しかし、どれもユリの心には届かないだろう。

 特に、今のユリの状態では…………?

 

「ん……ユリ?」

 

 返事がない、ただの(しかばね)のような裸の乙女を、ティトゥスは改めて注視する。

 

「……くぅ」

 

 ――寝てやがる。

 閉じた両目に、静かな寝息。

「酩酊」の状態異常(バッドステータス)は、一定以上の抵抗(レジスト)時間(ターン)経過後、「睡眠(スリープ)」の状態異常(バッドステータス)に取って代わる。

 まぁ、それだけの酒の量だったということだ。

 

「はぁ……やれやれ」

 

 ティトゥスは呆れ半分な気持ちで、体を起こす。さすがに眠った状態で羽交い絞めに出来るほど、ユリは器用な戦士ではない。酔い潰れた彼女をそのままベッドに横たえ、布団をかぶせる。眼鏡をはずしてやり、放置された下着も懇切丁寧に折り畳み、見えやすい場所に安置した。自分のヒマティオンも回収する。

 そうしてから、今の自分を冷静に見下ろして、少し迷う。

 

「さすがに、このままではいかんか」

 

 骨の隙間に酒の残りが残っている(唾液が乾いて臭いがということはない。何しろユリは唾液の出ないアンデッドなのだから)。〈清浄(クリーン)〉の魔法を使えば、如何にも確実かつ簡易に洗浄できるだろうが、そのために貴重な巻物(スクロール)を消費するのは勿体ない。

 

「……風呂を借りるとするか」

 

 そうして、ティトゥスは寝入る乙女に一言詫びながら、バスルームに入った。

 骨の身体を一人で洗うのは大変な作業だが、大浴場(スパ)も開いていない時間なので、ここを利用するしかない。体をくまなく洗い流し、骸骨の200個ほども存在する骨ひとつひとつを磨き上げ、完全に水分を拭い落とすのに膨大な時間をかけて、ティトゥスはようやく、もとの身綺麗な状態に立ち返る。

 久しぶりにさっぱりした感じで意気揚々となる骸骨は、アンデッドなのに数時間も寝入った裸の乙女と、あの朝の邂逅を果たしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが、あの日、あの夜にあったことだ」

 

 簡単に説明し尽くされた内容に、ユリは茹で上がるほどの羞恥と共に、凍てつく吹雪のような寒気に襲われる。

 

「……それだけ?」

「んん?」

 

 ユリは、意を掴み損なっている彼に、誤りがないように再確認する。

 

「それだけ、だったんですか?」

 

 もっと、こう……男女の交わりというか、そういうアレなことがあったと思っていた。

 実際、ユリだけでなく、そういった回覧がナザリックに出回った時点で、二人はそういう関係を結んだと、あのアインズですら誤認したくらいなのだ。

 なのに……実際は、それだけ?

 

「それだけだよ」

 

 あっけらかんと、ティトゥスは笑った。

 ユリは、今更ながらに理解してしまう。

 自分はどれほど、彼の言葉に、態度に、応対に、……護られていたのか、を。

 アインズに責められてしまった時、彼は何ひとつとして言い訳をこぼさなかった。ユリの本心を、思いを、不満や愚痴を知っていたのに、ティトゥスはそれを、文字通り命懸けで死守してくれた。

 こんなことを知られたら、アインズは悲しむだろう。

 ユリに悲嘆を抱かせた自分を不徳と詰り、己の責任としてしまうに違いない。ユリはそんなことは望まない。御身に対し悲哀を、免責を、自虐を抱かせることこそが、ユリにとっては耐えがたい痛苦でしかないのだ。

 だから、彼は甘んじて、叱責を受け入れた。

 ユリの浅はかな機転……妥協案にも、即座に追従(ついしょう)してくれた。

 ユリ・アルファは、とんでもなく愚かしい自分に憤怒し、悲嘆し、自責の念から消え去ってしまいたい衝動を覚えた。

 

「……何故、です?」

 

 自分の動かぬ胸の奥を掴むように手を添えながら、問い質す。

 

「何故、司書長はそのことを隠して……というか、婚姻する必要だって、なかったので、は?」

 

 口にした可能性が、思いの外、自分自身の心を抉った。

 その衝撃に呻かずに済んだのは、それに勝るほどの疑問に、ユリの頭がパンクしていたから。

 どうして、彼はそのことを隠していたのだろう?

 どうして、彼はここまで、ユリを助けてくれるのだろう?

 

「――それだけではなかったからだな」

 

 ティトゥスは何かを決意している瞳で、ユリを見据える。

 

「君は言ったのだ。『置いていかないで』と……この私に」

 

 ティトゥスは、あの時に願われたことに対する返事をしようと宣した。

 酔い潰れ、勝手に寝落ちした程度の遣り取りなのに、彼は誠実に、ユリの懐いた願いと向き合ってくれた。

 それだけで、ユリは信じられないほどに、満たされてしまう。

 ありえないほどの多幸感が、ユリの不動の心臓を震えさせる。

 乾き切った不死者の瞳が、熱っぽく潤むように錯覚すらした。

 

「悪いが、今の私は、君のあの時の願いには応じられない」

 

 瞬時の昂揚は、刹那の哀切に塗り替えられた。

 自分の心臓から、見えない刃が突き出して、我が身を貫き抉るようにも思えて、とても切ない。

 

「私はナザリック地下大墳墓が誇る巨大図書館(アッシュール・バニパル)の司書長だ。私は原則、あそこを離れることは出来ない」

 

 そんなユリの挙動に構うことなく、彼は言葉を続けている。

 アインズの命令があればどこにでも行けるのだが、彼個人の勝手な思惑で、彼のあるべき場所を離れることは許されない、と。

 

「……え?」

 

 しかし、ユリは、ティトゥスの真意を掴めなかった。

 彼が言わんとしている真実を、数瞬の後に理解する。

 

「だから。そう。

 君が、私のところにまで来てくれ。そうすれば、君はひとりにはならない」

 

 彼は、これ以上ないほどに、ユリ・アルファという女を受け入れてくれたのだ。

 それがわかって、ユリは胸の奥に芽生えた、とある感情に支配される。

 

 

 嬉しい。

 嬉しい。

 嬉しい。

 嬉しくて、嬉しくて。

 とてもとても嬉しくて、しようがない。

 

 声にならないほど嬉しい。

 言葉にならないほど嬉しい。

 嬉しくて嬉しくて……たまらなかった。

 

 

 ユリは座ったまま前かがみになり、自分の抱え続けたバスケットを見下ろす。

 そうしていないと、むず痒くてたまらない表情を見られそうで、恥ずかしかった。

 

「……君は、どうだね?」

 

 ティトゥスは冷厳に、だが声音には優しさの熱量をたっぷりしみこませて、応答を乞う。

 ユリは、静かに顔をまっすぐ上げてみせる。

 

「――司書長」

 

 メイドはメイドらしく、背筋をピンと張って、応える。

 紡ぐ声には力が溢れ、想いは不思議なほどの熱を帯びる。

 

「私の夫になって下さい」

 

 今さらに過ぎる告白。

 ティトゥスも不意を打たれたように、しばし呆然となる。

 

「ああ、いいとも」

 

 やはり、呆気(あっけ)なく素気(そっけ)ない言葉で、彼はユリを受け入れる。

 けれど、これこそが、彼なりの愛情の発露、ティトゥス・アンナエウス・セグンドゥスの優しさ、そのものだと、今は理解できてしまう。

 それを思えば、ユリは頬を緩めずにはいられない。

 胸の中に満ちていた暗すぎる感情は、ほんの影すら見当たらなくなった。

 (ナーベラル)の言う嫉妬の感情――それを塗り潰すほどの歓喜の色彩が、ユリの内側を満たしてくれていたから。

 

「……ユリ・アルファ」

 

 司書長は、少々考え込むようにユリを見る。

 そうして、彼もまた、今さらな文言を口にした。

 

「……私の妻に、なってくれるか?」

 

 ユリは緩んだ表情が、尚一層緩む気がして仕方がない。

 そういえば、自分たちは婚姻しようと場当たり的に示し合わせていたが、こうして互いに、互いを求め合うような告白はしていなかったと、遅まきながら気づかされる。

 しかし、今では。

 ユリとティトゥスは、確たる絆で結ばれ、繋がった。

 その場には、微笑み合う夫婦の姿しか、ありえない。

 

「はい。……あなた」

 

 ユリとティトゥス……二人の物語は、こうしてようやく、始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【終】

 

 

 

 

 

 




 逢瀬シリーズ六作目。これにて第一幕が終了です。
 第二幕は、未定です。かなり先のことになりそうな予感。


 ここからの逢瀬シリーズは、まだ一話しか投稿できてないソリュや、シズとエントマ、そしてナーベラルの第六話を予定しております(というか、今回の冒頭あたりで、その内容に触れている気が)。ルプーも考えてはいますが、とりあえずはそういうことで。


 総集編映画が始まる前に、新しい連載も始めたいと思います。
 その前に、御嫡子物語の後日談もあげたい。
 あげたいけど、何だか予定より量が多くなりすぎて、分割してあげるかもしれません。


 次は誰の逢瀬と巡り合えるでしょうか。


 それでは、また次回。     By空想病
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