午前のクエストを終え、カルデアへ帰還した足そのままで向かうのは食堂。というのも、サーヴァントに食事は必須ではないのは周知の事実だが、マスターであり人間である自分はそうもいかない。腹が減っては戦はできぬ、だ──くぅくぅ、と空腹に唸りを上げる腹を押さえ、今日の昼食メニューは何だろう、と期待に胸を膨らませる。
無意識で足早になってしまうのも仕方ないだろう、なにせ今日の昼食を作ってくれるのは褐色肌が特徴的な、赤い外套の弓兵。厨房の主と言っても過言ではないほどの食通、料理のレパートリーの多さもさることながら、素材の味を存分に引き出すスキルを持つ"あの人"。そう、エミヤだ。
さぁ、今日の昼食は何かなー?
ワクワクしながら歩いていると、いつの間にか食堂へと辿り着いていた。じゅるりっ、と口の端から溢れてくる涎を拭いながら、いざ、中へ──
「あら、マスターじゃない。貴方もお昼?」
迎えてくれたのは赤い外套の弓兵、ではなく──二つに括られた黒髪と真紅の瞳が特徴的の、蠱惑的な布地が少ない下着にも思える衣装を身に纏った女性。彼女はサーヴァント、アーチャー。真名はイシュタル、自身と波長の合う人間を依り代としており、例外的にカルデアへ現界するに至った女神の一柱である。
に、しても──なぜ、彼女がこんなところへ?
「んふふっ、なぜ私が食堂に居るんだろう、って顔してるわね……私がここに居る理由は、"アレ"よ」
こちらの心中を察したのか、食堂の壁へ背中を預けていたイシュタルは意味深に微笑むと真紅の瞳を奥へと向けた。まばらに職員達が食事している光景、その最奥。最も厨房に近い席、そこには──
「………っ……この絶妙な火加減で煮られたであろう具の数々、食欲を刺激する香ばしい匂いのツユがまた格別です。そして、この焼き魚。脂の乗った身が、ホロホロと口の中で溶けていくのが……ああ、幸せです。おかわり」
「もっきゅ、もっきゅ……んっ、く……もっきゅもっきゅ……おかわりだ」
まず目を引いたのは、長机の上へ積み上げられていた皿の壁。そして、その連山の隙間から見えたのは二つの人影──前者は箸を片手に、椀を片手に、一定のペースで食事の一品一品を味わう青き騎士王。後者は無造作に皿の上へ盛られたハンバーガーを豪快に口元へ運び、もっきゅ、もっきゅっ、と咀嚼していく黒の騎士王。
そう、人影の正体はアルトリアと、アルトリア・オルタだった。
彼女達は、そう、"異端"なのだ。
たしかにサーヴァントは食事を摂らない、食事が生存、存命に直結していないが故だ。しかし、サーヴァント達にも趣味趣向がある、フラストレーションは溜まっていく、だからこそ"ガス抜き"は必要。アルトリアと、アルトリア・オルタ。二人を"異端"と呼んだのは、その"ガス抜き"方法のせい。そう、彼女達の欲求不満解消方法は"食事"というサーヴァントらしからぬ理由なのだ。
彼女達が持つ食事への欲求は、本当に底がない。
アルトリアは手の込んだ、作り込まれた食事を好む。対してアルトリア・オルタは、いわゆる大味派。味、工程など二の次、簡単に言えば完成するまでが早くて、量が多くて、そこそこ美味いモノを好む──唯一の共通点は摂取量、先に述べたように、底がない。ストップを掛けなければ、食材は根こそぎ彼女達の胃袋へ収まってしまう程。
「あれ、どう考えても摂取量と体積の比率がおかしいわよねぇ。よほど消化が早いのか、または飲み込む時に素粒子レベルまで細かくされてるのか……あ、いや、もしかしたら、胃袋に小規模なブラックホールが生成されてるとか……?」
隣で顎に手を当て、ひたすら運ばれてくる料理を咀嚼していく二人の騎士王を興味深そうに観察するイシュタル。だが、数秒後には諦めの溜め息を吐き出し、関心を失っていた。つまり、彼女が食堂に居た理由は"二人の騎士王を観察することではない"──では、何故?
そんな疑問が胸中を横切った時、不意にイシュタルの唇が吊り上がる。ニマニマと、本当に楽しそうな表情だ。その視線の先に居たのは、二人の騎士王ではない。彼女の真紅の瞳が射抜いていたのは──どこか疲れた様子を見せながらも、二人のハラペコ騎士王へと料理を運び続けるウェイター。もとい、赤い外套の弓兵、エミヤだ。
──楽しそうだね、イシュタル。エミヤがどうかした?
「いえ、どうもしないわよ。ただ、ああやって人間が何かに抗うのを眺めるのって楽しいじゃない。最後は潰れるのか、怒りだすのか、そんなの想像してたら、ついつい顔が緩んじゃう」
さすがは女神様、歪んでますね、とは口が裂けても言えない。
しかし、困った。エミヤがアルトリア達に付きっきりで食事を与えなければ、おそらく"恐ろしいことになる"。もう彼女達の食事は始まってしまっている、これを止めようものなら令呪の使用も視野に入れなければならない。それほどまでに、彼女達の食事を止めるのには覚悟がいる。だが、現実問題、"こんなこと"で令呪を消費することは出来ないワケで──つまるところ、自分が昼食にありつけるのは彼女達の後、二人が「ご馳走さまでした」と自ら満足を主張した後、ということになる。
くぅくぅ、お腹が空きました。
エミヤに食事を作ってもらえると期待していた分、"おあずけ"という事実は堪える。終わりの見えないアルトリア達の食事、それを待つのは苦痛、いや、絶望しかない──こうなったら、ロマン辺りが買ってるであろうパンを強奪するしかないか?
「──あら、もしかして、お腹減ってるのマスター?」
と、その時、こちらの腹の虫を聞きつけたらしい女神様が小首を傾げた。その言動を見て、しまった、と心の中だけで舌を打つ。なにせ「人間が何かに抗うのを眺めるのが好き」なんて言うイシュタルのことだ、"空腹を我慢するマスター"を楽しげに観察するだろう。ニマニマと楽しそうに微笑みながら、ああ、間違いない。
「…………………んー」
だが、意外。こちらの予想を裏切り、イシュタルは指を顎に当て何やら思案中。だが、何かを思い付いたのだろう。楽しげな微笑みを見せた彼女は、こちらへ広げた掌を突きつけてくる。ずずいっ、と向けられて、つい気圧されてしまうほどだ。そして──
「5000QP、それで貴方が満足するモノ作ったげる。どう?」
二重の意味で、驚いた。
イシュタルが自分から「料理を作る」と言ったこともさることながら、彼女が提示した値段は相場の10倍はある。法律などあって無いようなものなので使い方は正しくないが、法外な値段だ。もちろん値段に見合った料理を作る自信があるのか、と抗議しようかとも思ったが──「女神様お手製よ、それくらい喜んで払ってくれるわよね?」と先に釘を刺された。しにたい。
とはいえ、もう空腹は限界だ。期待が大きかったこともあって、その反動は凄まじい。あまりにも相場を外れた値段への懸念、イシュタルが作る食事という不安を感じながらも、首を縦に振ってしまうほどに──
◆ ◆ ◆
「美味でした……まだ腹八分といったところですが、満足です。アーチャー、やはり貴方が作る食事は素晴らしい。その手腕、流石という他ありません。次の機会も、期待していますよ」
「まだ少し物足りんが、こんなものか──さて、青いの。私は今、気分がいい。食後の運動がてら、相手をしてやろう」
「……っ……ほう、大きく出たものです。そこまで言われては、引き下がるわけにはいきませんね──来るがいい、オルタ。たいへん美味であった焼き魚定食によって普段の三割増しに煌めく我が聖剣、貴公に受け止め切れるか?」
「抜かせ、貴様こそ無数のハンバーガーによって膨れ上がった我が反転極光に呑まれぬよう、せいぜい身構えておくことだ──」
皿の壁を築き上げた騎士王ふたり、アルトリアとアルトリア・オルタは同時に食事を終えた。さらには、それだけに留まらず即座に臨戦態勢。微かな魔力の風が二人の周囲を駆け抜けていくと──青き衣に白銀の鎧を身に纏う青き騎士王と、漆黒の衣と鎧を着込む黒き騎士王姿が、そこにあった。
バチバチと視線の火花を上げる二人は、そのまま同時に踵を返していく。おそらくは先の言葉通り、食後の運動のためシミュレーターへと向かったのだろう。雄々しく、強い覇気を全身から発散させながら食堂を去っていく二人の背中を見送っていたのは──
(やれやれ、ようやく、か……)
ひたすらに彼女達の食事を作っては運び、を繰り返していた厨房の主。赤い外套の弓兵、エミヤ。皿の壁という途方もない物量、これを全て片付けねばならない絶望感と、嵐が過ぎ去ったような安堵感に溜め息を吐く彼だけだった。
今すぐにでも片付けたい、とはエミヤも思っている。しかし、先の激戦から来る疲労は彼の体を鈍らせていた。結果として、皿の壁を見上げ棒立ちという現実逃避に落ち着くのも仕方のないことかもしれない──だが、代わりに、気付くこともある。
どこか甘辛い、それでいて香ばしい匂いがエミヤの鼻孔をくすぐっていく。嗅ぎ慣れない、おそらくは数多の香辛料から感じる匂い。その出所はすぐに分かった、先程まで自分が居たはずの厨房の方からだ。
(はて、間違いなく火は落としたはずだが……)
自分が何かを忘れているというのは考えにくい、それだけの自信がエミヤにはあった。故に彼は、この鼻孔をくすぐっていく甘辛い香辛料の匂いに興味が湧いた。何を、誰が作っているのだろうか、と。
申し訳程度に壁を形成していた皿を持ち、厨房へと舞い戻ったエミヤが目にしたのは、スレンダーな背中、二つに括った黒髪の女性の後ろ姿。包丁を用いて、まな板の上に転がる食材を切っているイシュタルの姿だった。
「君はイシュタル、だったな……」
「あら、お疲れさま。ちょっと厨房、借りてるわよ」
手にしていた皿を水場へ置きつつエミヤが躊躇いがちに声を掛けると、イシュタルは悪びれもせず彼へ真紅の瞳を向ける。トントントンッ、と一定のリズムで食材に包丁を入れていきながら──その様相を見ていたエミヤは切り方、切り口を見て"手慣れている"と感じた。たとえ話しかけても、自分の指を切るような失態は見せないだろう、と。
「別に私の厨房ではないのでね、許可を得る必要などないさ──ところで、なぜ君が厨房で調理に勤しんでいるのかな?」
「あー、それはね、誰かさんの手が空かなかったせいで、お腹を減らしてる可哀想なマスターのせい」
「……………? あ……」
イシュタルが顎で指し示した方を見ると、長机に突っ伏しているマスターの姿。それを見たエミヤは、バツが悪そうに苦笑を浮かべる。あまりの忙しさに彼が食堂に居たことさえ気付かなかったのは、他ならぬ自分の落ち度であると自覚したから。
「すまない、女神様の御手を煩わせてしまったようだ」
「ああ、いーのいーの、それなりに見返りは貰えるから──でも、そうね、悪いと思ってるなら手ぐらいは貸してもらおうかしら。いいわよね、アーチャー?」
「ああ、無論だ──指示をくれ、イシュタル」
「はいはい。それじゃ、そこのピーマンと筍、切っといて──あ、えーっと……」
水場で手を洗ったエミヤは、イシュタルが指差す野菜の群れを見て頷く。それと同時に、そこへ集められた食材から出来上がる完成形を瞬時に導き出す──近場にあるのは、おそらく豚と思われる肉。そして指示にあるピーマンと筍、用意してある鍋から連想する料理を。
「了解した──ふむ、青椒肉絲か。ではピーマンと筍、どちらも細切りで問題ないな。ああ、筍は湯通ししておいて構わんのだろう?」
「………え? あー、うん………いいわ、それで」
あまりにも的確すぎるエミヤの返答に、イシュタルが小さく驚きの声を挙げた。人に何かを頼む、という行為に慣れていないのだろう。いくら料理が出来るからと言って、"野菜を切っておけ"だけでは言われた方が困る。"何を作るから"、"どういう形で切るのか"まで伝えなければいけないのが普通だ。
それに途中で気付いたイシュタルが細かく指示を言い直そうとしたが、エミヤは瞬時に完成形を理解し必要な作業へ入った。自然に、淡々と──そんな彼の一連の動作と流れ、それを目の当たりにしたイシュタルは、妙な感覚に陥っていた。
(あれ、なんでかしら……すごく、しっくり来るっていうか、妙に懐かしい。既視感、ってやつかな……もしかして、この
そもそも、普段のイシュタルなら頼まれても誰かのために料理を作るようなことはしなかっただろう。マスターが空腹だと知った時、ふと彼女の脳裏へ浮かんだのは"料理のレシピ"。沸き上がったのは、"料理をしたい"という欲求──どれも、これも、女神には無かったもの、必要なかったものだ。
だから、全部──
頭に料理のレシピが浮かんだのも──
久しぶりに料理したいな、と思ってしまったのも──
いま現在も感じている、妙な既視感も──
欠けていたパズルのピースが埋まるような感覚も──
すべて、全部、きっと、この
女神には無かったもの、感じれなかったものを、イシュタルは
(不思議なこともあるのね。たぶん、この
考えるだけ、無駄なこと。
確かめようとするだけ、野暮なこと。
気にしない、気にしない。
そう結論付けたイシュタルは、再び目線を手元、まな板の上へ載る食材へ落とす。モヤモヤとした、拭いきれない妙な感覚に無視を決め込んで──とんとんっ、とんとんっ、とんっ、一定だった包丁が奏でるリズムが、僅かだが狂っているのを彼女が自覚することは、なかった。
◆ ◆ ◆
「そんなに急がなくても、料理は逃げないわよ?」
出来上がった料理、青椒肉絲を初めとする中華料理に舌鼓を打つマスターの姿を見ているイシュタルの口元には苦笑が見て取れた。だが、その心中は落ち着かない──先の妙な感覚、言葉に出来ないモヤモヤした何かが、彼女の胸中に巣食っているせいだ。
それが何なのか、を知る術はない。
もしかしたら、聞けば答えを得れるかもしれない。
いや、そうだとしたら──
グルグルと思考の迷路に陥っていたイシュタルの瞳は、何もない虚空を捉えていた。マスターが、自分の料理を食べている、その光景を客観的に眺める、まさに心ここに在らず──そんな彼女が我に返ったのは、ふと鼻先を掠めていく甘い匂いに気付いた時。
「…………………え?」
ふと見ればイシュタルが座る席、彼女の手元にはティーカップが置かれていた。陶磁器で出来たティーカップと、ソーサー。丁度よい量の液体が注がれたソレを置いたのは、いつの間にか傍らで立っていた赤い外套の弓兵、エミヤだ。
「お詫びも兼ねて、紅茶を淹れてみたのだが……お気に召さなかったかな?」
言われて、もう一度イシュタルは手元のティーカップへ視線を落とす。すると、ゆらゆらと、暖かみのある紅茶が作る水面へ映る
でも、今は──
涌き出てくる疑問、モヤモヤとした感覚、それを払拭するためにはどうすればいいか、と思考が渦を巻くが──とりあえず、とイシュタルは手元のカップをソーサーごと持ち上げる。そして、一口。少しだけカップを傾けると、暖かい紅茶が喉を通っていく。その緩やかで、優しい味は、疑問も、モヤモヤも、すべてを押し流してくれた……ような気がした。
「……………………あ、美味しい」
「ああ、それは良かった……」
一口、二口、と紅茶を飲むイシュタルは、とあることを心に決めた。それは、
(絶対、尻尾掴んでやるんだから、今に見てなさいよ──)
人知れず決意したイシュタルの頬は、少しだけ赤い。
じとっ、と恨めしそうにエミヤを上目遣いで睨み付ける彼女だったが、その視線に気付いた彼は小首を傾げ「ああ」と何やら納得したような様子。どこか人の良い笑顔をイシュタルへ向けると──
「おかわりは如何かな?」
と、一言。
「……………………………………………………………………いる」
何とも前途多難だ、とイシュタルは溜め息を吐き出す。どうやって
少しずつ、
だから、今は、まだ──
まだ時間はある、焦る必要はない、と──
イシュタルは、
緩やかな、穏やかな時間──
"奇跡のような時間"を、噛み締めながら──