艦これ史実シリーズ第一弾。
敗戦から一年半余り。海軍を退役した元提督は、焼け跡と化した帝都・東京を訪れる。そこで彼が目にしたのは、焼け焦げた街で懸命に生きる艦娘たちの姿だった。彼女たちの戦場は、未だそこにある――



※艦これ史実シリーズの第一作です。第二作「榛名、戒厳令、了解です」および第三作「やがて祝福という名の雨」は今後製本予定のため、現在非公開となっております。

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どうも、大渡星(おっとせい)です。
艦これ史実シリーズなるものを書いています。
今作はいわゆる「艦娘たちの戦後」モノとなっています。
舞台は焼け跡の東京・上野の闇市。
現在でも上野アメ横として、戦後闇市の面影を残している地域です。



焼け跡は海色

 帝都は惨憺たるものだった。

 国破れて山河ありと言うが、そこに広がっていたのは一面の焼け野原だけである。

 彼は丸裸の東京に茫然としながら、夢遊病患者のような足取りで焼け跡を往った。生きた心地がしなかった。

 つい先日まで、彼は帝国海軍の兵科士官であった。鎮守府に所属し、艦娘を従え、提督と呼ばれていた。

 しかし今や帝国海軍は無く、彼は居場所を喪失してこの焼け跡に現れたのである。

 既に終戦から一年半が経過していたが、百回以上の空襲に見舞われた東京の傷は癒えてなどいない。道端の屍体を野良犬が屠っているのを見て、彼は思わず目を覆いたい気持ちになった。

 この一年半、彼は海軍士官として最後の仕事をした。外地に取り残された者たちの引き揚げである。

 台湾や朝鮮、満州、それに彼自身も転戦した南洋群島――それら全てから、日本人が内地へと引き揚げてきた。

 彼は最近まで、その業務の補佐をしていたのだ。

 一刻も早く故郷へ帰りたい。家へ帰って布団に包まり、母の子守歌で眠れば、この悪夢から醒めるだろうか。

 そんなことを考えながらも、彼には軍人としての責務を果たす必要があった。

 だが実のところ、既に彼には帰る家が無かった。

 女手一つで自分を育ててくれた母は、三年前に結核で死んだ。歳の近い弟が一人居たが、鹿屋の空から旅立って神風となったらしい。

 肉親は全滅し、三人で暮らした家も空襲で焼けた。彼はとっくに、醒めぬ悪夢の中に居たのかもしれない。

「あんちゃん、饅頭どうだい。一つ六円だよ」

 カーキの軍服ズボンを履いた男が、彼に声を掛けた。上半身は裸である。外地から引き揚げてきた復員兵のようだった。

「今はいらないよ」

「二つで十円。温かいぜ、美味いぜ」

 彼は復員兵を無視して、歩みを進めた。

 むせ返るような悪臭と熱気のこもる焼け跡には、多くの市民たちが行き交っている。

 通りの露店では、復員兵の集団が食料や衣類、それにポルノ雑誌など、様々なものを売っていた。地面に風呂敷を広げ、そこに陳列される商品。

 どうやらここが、上野の闇市の中心部であるらしい。

「あんた、ノガミは初めてか」

 ズックの編み上げ靴を売っている男が、彼を呼び止めた。ノガミというのは、上野の通称だ。

「そうだよ。しかし、この辺りは復員兵ばかりだな」

「そりゃノガミは、俺らのシマだからな。復員、解員の奴らばかりさ。目つきを見るに、あんたも軍人上がりだろ。所属は?」

「海軍だった」

「へえ、俺と一緒だ。ならよ、同胞の誼で教えてやる。この先にな、残飯シチューを売ってる屋台があんだよ。そこの店主、艦娘だぜ」

「なに?」

 彼は耳を疑い、足を止めた。

「それは本当か」

「嘘じゃねえよ。まあ、俺はしがない工廠ドックの開発作業員だったから、艦娘の顔はよく知らねえ。けどよ、見たことがある奴が言うには、本物だって話だぜ」

「店はこの先なんだな?」

 鬼気迫る様子で聞き返す彼に、解員兵は気圧されて頷いた。

 彼は礼を言うと、人混みの先にある屋台を目指した。シチューの屋台だから、匂いを辿っていけば良い。酷い悪臭の中でも、不思議とシチューの匂いは判別できた。

 匂いを辿るうちに、彼は鎮守府の廊下を歩いている幻を見た。過去の記憶。よくカレーの匂いにつられて、食堂へ顔を出したものだ。すると決まって、足柄がカレーを盛りつけながら彼に微笑んでくれた。

「提督、勝利のカツカレー、できたわよ」しかし彼女も、今はもう居ない。

 さて、その屋台には、一際大きな人だかりが出来ていた。残飯シチューは相当の人気らしい。彼は人波を掻き分けて、シチューを売る何者かを覗こうとした。しかし顔は見えず、鍋からシチューを掬う手元だけが見える。

 彼の胸は期待と不安に高鳴っていた。本当にあれは、艦娘なのか。先程の男の言葉を信じようとする一方で、工廠ドックの作業員から得た情報がどこまで正確か分からない。

 彼はあの元作業員とは違い、仮にも提督だった男なのだ。大抵の艦娘ならば、一瞬で見分けがついてしまう。それは今の彼にとって、一種の恐怖だった。

 けれど、彼が覗くよりも先に答えは明らかになった。

「みんな、一杯十円じゃぞ! 出来立てのシチュー、一杯十円じゃ!」

 その声に打たれて、彼は再び鎮守府を思い出した。夕食のシチューを駆逐艦の艦娘たちに取り分けてやっている彼女の姿が脳裏に蘇る。

 刹那、彼は人混みから躍り出て、叫んでいた。

「と、利根!」

 間違いない。彼は確証を持って、その名を呼んだ。心臓が激しく波打つ。

「こら、順番を守らんかっ」

 突然飛び出てきた男を窘めようとして、彼女は彼を見た。直後、はっと息を呑む。彼女の手から、シチューの入ったどんぶりがゆっくりと落ちた。

「な……。て、提督か……?」

 彼女は恐る恐る問いかけた。それは同時に、彼女が艦娘――重巡洋艦の利根――であることを証明しているようなものだった。

「そうだ、俺だ。利根、俺だよ」

 周囲の人間は、ぽかんとして二人を見ていた。奇異の視線を向ける者もあった。どさくさに紛れて、利根の落としたシチューを浮浪児が両手に掬って食べていた。

 それでも二人は時間が止まったように、互いを見つめ合っていた。

「……こんなところでまた会えるとは、思わんかったなぁ」

 利根の目元は濡れていた。悲哀の涙でないのは確かだった。懐かしい笑みがそこにあった。

 彼女の瞳から零れた涙は、残飯シチューの鍋にぽろぽろと落ちた。

 

 

 

 利根は店を若い男に任せると、屋台の裏に彼を誘った。そこは狭い路地裏のようになっていたが、二人が座るには十分な空間があった。

 利根はスカートが汚れるのも気にせず、ぴょこんと腰を下ろした。終戦間際、大破着底して改二の服装を失ったせいか、彼女はかつてのミニスカートを履いている。

「腹が減ったじゃろう。吾輩のおごりじゃ」

 そう言って、利根は残飯シチューを手渡した。今朝から何も口にしていない彼は、喜んでそれを食べた。

 進駐軍の出した残飯を煮込み直したものらしく、多少酸っぱいものの、腹を満たすには丁度良い。

「俺ばっかりじゃ悪い。利根も食べてくれ」

「そういえば、吾輩も朝から食べておらんかったのう。頂くとしよう」

 利根は彼からどんぶりを受け取ると、シチューを一気にかき込んだ。

 何度か咀嚼した後、器用に何かを吐き出す。シチューと利根の唾液に塗れ、元の形はよくわからない。

「それは?」

「ゴムじゃよ。残飯によく混じっておる」

 利根は慣れた様子で言った。つまりそれは、進駐軍の兵士たちが使用した避妊具だった。

 そんなものがシチューに混じっていたのかと考えると、彼は途端に口の中が酸っぱくなってきた。

「よし、腹も満たしたところで、じゃ。提督は、何ゆえノガミに居る?」

 彼は酸っぱい唾液を飲み込んで、利根の問いに答えた。

「先日、やっと最後の任務が終わってな。海軍を退役して、生まれ育った東京に戻ってきた」

「そうじゃったか。もしや巣鴨プリズンに投獄されたのではと、心配しておったぞ」

「うちは小さな鎮守府だったからな。GHQの逮捕は免れたよ」

 巣鴨プリズンの正式名称は「東京拘置所」と言う。敗戦後間もなくGHQに接収され、今では戦犯容疑者の収容所として認知されていた。

「利根こそ、どうして闇市の店主なんか」

「吾輩か? そうじゃな、吾輩は……」

 それから利根は、これまでの経緯を語った。敗戦後、日本は連合国軍により武装解除され、艦娘たちもまた艤装を解体された。

 無論、利根もその例に漏れない。艤装を失い、燃料や弾丸の供給も断たれた艦娘は、もはや人間と変わらなかった。成人男性と比べて、些か身体が丈夫な程度である。

 そうして艦娘たちは、解員扱いで占領下の日本へと解き放たれたらしい。

「燃料を摂取しなくても、食事だけで力が出るものなのか?」と彼が問うと、

「海で戦えと言われたら困るが、陸で暮らす分には困らんよ」

 彼は黄泉戸喫を考えた。黄泉国の食べ物を食べると、現世には戻れなくなるという。艦娘も同じで、彼女たちも既に海には戻れず、この焼け跡に留まるしかないのか。

「じゃが、そうは言っても飲まず食わずでは生きられん。腹が減っては戦が出来ぬのは、人間も艦娘も同じじゃて。吾輩も最初は苦労したぞ」

 利根は苦笑いと共にそう語った。

「しばらくノガミに居るうちに、勝手が分かってきてな。帰国した復員兵たちを集めて、組を作ったのじゃ。それからは、店を持つことも出来た。飯にも困っておらん」

 話を聞いて、彼は意外な思いだった。

 彼は鎮守府に居る利根しか知らない。駆逐艦の演習を担当し、時には自ら出撃して海戦で活躍する利根しか知らない。

 しかし戦争が終わった今、彼女は早々と新しい生き方を見つけていた。その強かさには、目を見張るものがある。

「他の艦娘も、東京に?」

「さてな。生き残った者たちは、日本のどこかには居るじゃろ。海外に渡った者も少なくはないが……」

「……高雄か」

 利根は静かに頷いた。

 彼の鎮守府からは、重巡洋艦の高雄が英国海軍に引き渡されていた。その後、とある英国人富豪の妾になったと彼は噂で聞いている。

「祖国に帰れなかったのは辛いじゃろうが……それでも、生きているだけ儲けものじゃよ。多くの仲間たちは、深き海より還らぬままなのじゃから」

 利根は轟沈した妹を想っているようだった。三年前のサマール島沖海戦で、彼女は唯一の妹である筑摩を失っていた。

「利根、筑摩のことは……」

「大丈夫じゃよ、提督」

 利根はいつもの明るい笑みを見せると、両手で提督の頬を挟んだ。

「自分が独りぼっちに思えた日も、確かにあった。それでも今日は、提督に会えたのじゃ。生きていて良かったと、胸を張って言えるぞ。ほら、提督も笑ってくれ」

 利根は彼の頬を引っ張り、笑顔を作らせた。いつの間にか自分の方が励まされているような気がして、彼は何だか気恥ずかしくなる。頬をつまむ利根の両手を握って、彼も微笑んだ。

 ――そのとき、白昼の闇市に銃声が鳴った。

 瞬間、利根の表情が一変する。彼女の反応は素早く、一瞬にして全身の砲門が開いたようであった。

 続いて、若い復員兵が利根の下へ駆けてくる。

「姐さん、大変だ! 平野の奴が撃たれた!」

「何じゃと!?」

「また愚連隊の連中だよ! 俺たちのシマを荒らしやがって……」

 利根は屋台の下に積んだ木箱から、新聞紙の包みを取り出した。野菜の皮を剥ぐようにそれを開くと、中から小型拳銃が顔を出す。

「すぐに吾輩も向かう。これを持って、先に行くのじゃ。MPの前では手を出してはならんぞ」

 若い男は利根から拳銃を受け取ると頷いて、文字通り鉄砲玉のように駆けていった。

 それを見送って、利根は再び彼の方を向き直る。

「すまん、提督。しばらく忙しくなる」

「利根、今の拳銃は……」

「軍の放出物資じゃよ。うちに横流しさせた物じゃ」

「なら、お前も拳銃を……?」

「いや、吾輩のエモノはこれじゃ」

 屋台の下には、もう一つの武器が隠されていた。木製の鞘に収まった日本刀だ。

 利根は僅かに刃を抜き、彼に白銀の輝きを見せつける。

「今はこいつが、吾輩の艤装じゃよ」

 利根は白いリボンを取ると、二つ結びの髪を解いた。艶やかな黒髪が闇市の熱風に揺れる。

「行くぞ、筑摩。いざ、出陣じゃな」

 利根はその日本刀を筑摩と呼んだ。そして髪を靡かせながら、彼女もまた闇市の中に消えた。

 彼はしばらく、茫然とその場に立ち尽くしていた。利根の感触が残る頬を触ってみる。まるで先程の出来事が、白昼夢のように思えた。

 残されたのは、利根が置いていった二つの白いリボンだけ。それだけがあの再会の証拠だった。

 しかし、彼がそれを拾おうとした瞬間、小さな影が彼の眼前を掠めた。

 気付けばリボンが無くなっている。慌てて顔を上げると、もはやシャツとも思えぬボロを垂らした浮浪児が、二つのリボンを両手に持っていた。

「おい、それを返せ」

 彼はそう言って手を伸ばしたが、浮浪児が応じるはずは無かった。盗んで売り物にする気なのだろう。あの風貌、食い物に困っているのは一目瞭然だ。

 当然と言うべきか、浮浪児は鼠のように逃走した。

「待て、こら!」

 利根のリボンを奪わせるわけには行かない。彼は浮浪児を追って、上野の闇市を駆け出した。

 

 

 

 だが、浮浪児は手強かった。その小さな体躯を利用して、大人の股下を抜けていく。彼は浮浪児を見失わないよう努めるのに必死だった。

 浮浪児はどうやら駅の方に向かっているらしかった。追いかけるうちに、彼は浮浪児の行き先に思い当たった。

 地下道だ。上野の地下道は、戦災孤児や浮浪者たちのねぐらになっている。この浮浪児も、外でくすねてきた物を地下道で売り捌いたり、あるいは仲間と共有したりするのだろう。それはさながら、巣穴に餌を持ち込む鼠のように。

 地下道に逃げ込まれたら、素人の自分はお手上げだ――と彼は危惧した。

 彼らの境遇を思えば、リボンの一つや二つを盗まれたところで血眼になって追う必要もないのだが、利根のリボンとなれば話は別だ。

 それは彼女が鎮守府に居た頃から愛用し、今日の二人の再会を保証するリボンなのだ。だからこそ彼は、必死に浮浪児を追跡した。

 やがて地下道の入口が見えてきた。ほっとしたのか、浮浪児の速度が落ちた。彼はその隙を突いて、一気に距離を縮めると、浮浪児に足を引っかける。

 リボンを抱えた鼠は宙を舞って、地面をゴロゴロと転がった。

「逃がさないぞ。さあ、それを返せ」

 浮浪児は地面に倒れたまま、彼の方をきっと睨みつけた。

「返せよ」

 彼は浮浪児を見下ろすようにして言った。大人の体格を利用した脅迫だった。浮浪児がその小さな体躯を活用して逃亡したことへの意趣返しである。

 彼は拳を握り締めた。それでも浮浪児は、彼から視線を外さない。獣のように睨みつけたままだ。

 こうなると彼も張り合うしかないのだが、そうしているうちに、彼はふと馬鹿馬鹿しくなった。自分は何故こんな子供を相手に、肩をいからせているのか。かつて艦娘たちを束ね、数多の戦場を指揮した司令官たる自分が、どうして浮浪児相手に軍人の拳を見せつけているのか。そもそも自分が鎮守府で戦っていたのは、この子たちの未来を守るためではなかったのか――

 その逡巡が隙を生んでしまった。彼は突如現れ、横腹に体当たりをしてくる影に気付かなかった。

 その存在を認知したときには、彼は土の上を転がっていた。

「ねえちゃん!」

 浮浪児が叫んだ。

「地下道に入るまでは油断するなって、いつも言ってるでしょうが。ほら、今のうちに行くよ」

 その声に、彼は思わず首を上げた。穴が空き、所々破れ、すっかり黒ずんだカーディガンが見える。彼に体当たりをしてきた少女の背中だった。

 彼女は浮浪児を連れて、地下道へ駆けていく。彼は未だ身体を起こせぬまま、それでも懇願するように吠えた。

「待ってくれ、北上! それは利根のリボンなんだよ!」

 口走ってから、彼ははっとした。

 北上――確かに自分は今、そう言ったと。

 偶然にもそれは、正しい呼び名だった。

「て……提督……?」

 彼女は雷に打たれたように硬直した。

「そうだ、俺だよ。北上、その子が盗んだリボンは利根の物だ。それだけは、返してもらう」

「嘘……でしょ……」

 彼女は首だけで彼を振り向いた。切り揃えていたはずの前髪は、今はもう伸び放題になっていたが、大井が毎日仕上げていた三つ編みはそのままだ。

 そこに居たのは紛れもなく、軽巡洋艦の北上だった。

「どうしてさ……提督……」

「それはこっちの……」

 彼が言いかけたところで、辺りに笛の音が鳴った。警官隊の存在を知らしめる合図だ。浮浪児の騒ぎを聞きつけてきたのか。

「ちぃっ……。提督、ついてきて!」

 北上は彼の手を握って、地下道へと駆け出した。笛の音は近付いてくる。人混みから、警棒を持った数人の警官が飛び出してきた。

 彼はその警官たちを尻目に、上野の地下道へと飲み込まれていった。

 

 

 

「情けないなぁ、もう。こんなの見られたら、大井っちが大笑いするよ」

 地下道へ逃げ込んだ後、事情を知った北上はリボンを返した。

 知らなかったとはいえ、かつての仲間のリボンを盗み、かつての上官に追いかけられたことを恥じているらしい。もっとも、実際に盗みを働いたのは浮浪児なのだが、それを指示しているのは彼女だという。

「ねえちゃん、何でリボン返しちゃうんだよ。あれなら二十円で売れるのに」

 浮浪児は文句を垂れたが、北上は「ウザい」と一蹴する。

「ねえちゃん、その人だれ」

「アタシの知り合い。偉い人」

「なら、食い物とか持ってる?」

「こら。ちょっと向こうに行ってなよ」

 北上は浮浪児を追い払うと、彼に向かって手を合わせた。

「提督ごめーん。次からは気を付けさせるよ」

「お前、ここの浮浪児をまとめてるのか?」

 彼の問いかけに、北上は頷く。

「あいつら、空襲で家族を失って天涯孤独なんだよねー。盗みでもしなきゃ、生きていけないんだよ」

「それで、お前が隊長に?」

「ま、アタシも天涯孤独だからね。それに本土が空襲されたのは、アタシらが制空権を奪われたせいだし」

 北上の言葉に、彼は押し黙るしかなかった。

 神国日本は必ず勝つ、そう喧伝していたくせに、蓋を開けたらこの有様だ。

 焼けた帝都、無残な敗北、多大な犠牲。国民は当然、軍部を恨んでいる。

 そして自分もその軍部の一員なのだと、彼ははっきりと自覚していた。その責任は、彼らだけが背負うには重すぎるものではあったが。

「……実はさー。最初は私も、生きるのに疲れてたんだよね」

 沈黙する彼を気遣ってか、北上は語り出した。

「なんとなく、この地下道に来てさ。ずっと寝てたんだ。何日かしたら動けなくなった。飲まず食わずなんだから当然だよねー。で、このまま逝っちゃおうかなーって」

「でも、生きてるじゃないか」

「そうなんだよねぇ。遂に餓死寸前ってときにさ、大井っちが夢に出てきて。北上さん、生きなきゃダメ……とか、何とか。ずるいよね、自分はとっくに居なくなったくせに」

 北上は顔を逸らした。表情を見られたくないようだった。彼も見ようとはしなかった。

「そのあと、あいつらがおムスビを分けてくれたんだよね。ねえちゃん、食えよって。ほんと、ガキってウザい。自分の食べる物すら足りてないのにさ」

 そのとき北上に渡されたおムスビは、彼らにとって最大限の思いやりであったのだろう。

 北上がこの地下道で浮浪児と暮らし始めた理由がそこにあった。彼女もまた利根と同じく、確かに生きようとしているのだ。この焼け跡で。

「提督、そろそろ行かなきゃ。他の子も戻ってくる時間だからさ。全員無事か、確かめないと」

 北上は悪戯っぽく笑って、言った。

「なんだか最近、提督の気持ちが分かる気がするよ。ほら、いつも港まで迎えに来てくれたでしょ? アタシも同じ。地下道の入口まで、見に行っちゃうんだよね」

「そのせいで俺は、体当たりを食らったわけか」

「それはもういいじゃないのー」

 二人は顔を見合わせて笑う。不意に、大井が北上の隣で頬を膨らませているような気がした。

「そうだ、一つだけ聞いても良いか」

 彼は北上との別れ際に、利根にしたのと同じ質問をした。

「他の艦娘も、東京に?」

 北上はしばし思案した後、思い出したように答えた。

「そういえば新宿に、女神が居るって聞いたよ」

 

 

 

 彼が新宿に降り立つ頃には、既に日が暮れていた。

 鮨詰め状態の山手線に辟易しながらも、彼は北上の話をたよりに新宿を訪れた。  

 上野とは随分と雰囲気が違っていた。復員兵が多かった上野に対し、ここには戦前から暮らしていたテキヤが多い。いわゆる露天商だ。縁日を仕切ってきた彼らには、人々の需要に応え、商業空間を創出するノウハウがある。自然、焼け跡の闇市においても、彼らは活躍することとなった。

 彼は噂の女神を探して、夜の新宿を歩いていた。その女神というのが、艦娘だという話だ。

 かつて帆船の時代、船乗りたちは航海の無事を祈って、船首に女神の像を取り付けていたという話を彼は思い出した。

 思えば艦娘とはそもそも女性であり、航海士たちの祈りを体現した存在とも言えよう。敗戦し、身体に刻まれた大日本帝国の御紋章が失われた今、彼女たちは女神へと戻ったのかもしれない。

 そんな彼女たちが、海ではなくこの焼け跡で生きることを余儀なくされているのは、彼には痛烈な皮肉のように思われた。

 しばらく歩くと、男女の甲高い笑い声が響いてきた。男の方は、進駐軍の兵士だ。大木のような両腕を広げた青い瞳の大男。そこに、若い女がぶら下がるようにして腕を組んでいる。

 真っ赤な唇、狂ったような厚化粧。パンパン・ガール――進駐軍兵士を相手にする娼婦たちだ。

 その容貌の毒々しさに、彼は思わず顔をしかめた。すると彼女たちは、彼を嘲笑うように流し目を寄越した。

 ――こんな女に誰がした。

 そう言っているようだった。日本が戦争で撒き散らした火の粉が、こうして返ってきたのだろうか。

 彼女たちが本当に嘲笑したいのは、荒れ果てた時代に生きる自分たちの運命なのかもしれない。

 こんな場所に、本当に女神など居るのか。彼は半信半疑で歩き続けた。

 しかし、女神は居た。

 呆気ないほど簡単に彼女は見つかった。彼が新宿に到着して小一時間のことである。

「あれは、確か……」

 その女神は、確かに艦娘だった。一時期、彼の鎮守府にも在籍していたはずだ。彼がその名を思い出すのに、時間はかからなかった。

「鹿島……」

 その艦娘の名は、練習巡洋艦・鹿島。彼女はバラックの陰で、一人の復員兵を抱き締めていた。

「安心してくださいね。ほら、もう悪夢なんて見ませんから……」

 その復員兵は若かった。まだ青年だ。

 鹿島に抱かれて、彼女の豊満な胸に顔を埋めながら「母ちゃん……」と震えていた。

 鹿島はその男を寝かしつけると、他の復員兵たちにチョコレートを配り始めた。煙草や薬品などもあった。全てアメリカ製のようだ。

「慌てないでくださいね。皆さんの分、ありますから」

 どうやら鹿島の周りに居るのは、全て復員兵らしい。

 上野ほど多くはないが、新宿にも兵隊上がりの者たちは暮らしている。鹿島はそんな彼らを、献身的に世話していた。

「鹿島、だよな」

 彼はその光景を見て躊躇していたが、意を決して彼女に声を掛けた。彼の緊張とは裏腹に、鹿島の答えは柔らかかった。

「あら、貴方は……。もしかして、提督さんかしら?」

 彼が頷くと、鹿島は微笑んだ。慈母の笑みだ。

「懐かしいです。六年ぶりですよね」

「そうだ。覚えていてくれたのか」

「はい。鹿島にとって、最初の提督さんですから……」

 竣工後、鹿島が初めて着任したのが彼の鎮守府だ。

 だが太平洋戦争の開戦に伴い、彼女は彼の鎮守府を離れて南洋へと派遣された。それ以来なので、六年ぶりとなる。

「提督さんもどうぞ。お口を開けてください」

 鹿島は彼の口にチョコレートを差し込んだ。

 例の残飯シチュー以来、何も口にしていなかった彼にはチョコレートの甘さは強烈だった。この甘さだけで、進駐軍は日本国民の憎悪を溶かしたと言っていい。

「ふふっ、美味しいですか?」

「ああ、美味い。それにしても、こんな物資をどこから……」

 それは当然の疑問であった。

 食料不足に苦しむこの焼け跡で、どうして鹿島だけが大量のアメリカ物資を持っているのか。

 鹿島は困ったように笑うと、伏し目がちに何かを指差す。その先には、焼け跡を歩くパンパン・ガールが居た。

「まさか、進駐軍の兵士と……?」

 鹿島は苦笑で、その問いに答えた。

「私にとって、もう一人の提督――南洋の日々を共に過ごした提督は、英語教育にとても熱心だったんです」

「……噂には聞いているよ。あの人の教育は、帝大を遥かに凌ぐと」

「だから鹿島も、いっぱい勉強しました。英語も話せるようになったんですよ。そのおかげで、今こうして……」

 ――英語を話せる、慈母のような美少女。巷に溢れる娼婦とは比べ物になるまい。

 彼女の相手は、進駐軍の高級将校なのだろう。あの大量のアメリカ物資にも、得心が行った。

「……私は、私に出来ることをしたいんです。大好きな提督に授かった力を使って。そして、傷ついた人たちを少しでも救ってあげたい。学生を見捨てなかった提督のように」

 鹿島は手に持った双眼鏡を、ぎゅっと握りしめた。その提督から託された物なのか。

「救って、どうする?」

「生きていてほしい。十年後も、二十年後も、その先も……。いつかこの焼け跡が、綺麗な街になる日まで。そんな、未来のために」

 

 

 

 やがて、大地は朝焼けに包まれた。

 鹿島と別れて、彼は再び上野に戻った。利根にもう一度、会う必要があったからだ。

 早朝の闇市にも既に客が行き交っていた。風呂敷いっぱいの食料や衣類を買って、駅の方へ向かう者も居る。上野で集めた商品を、新橋で二倍の値段をつけて売るのだと話していた。商魂逞しいものだ。

 利根は昨日と同じ屋台に居た。リボンを返しに来た旨を告げると、彼女は喜んだ。

「無くしたと思っておったぞ。提督が持っていてくれたのじゃな」

 利根はリボンで髪を二つに結ぶ。いつもの髪形が戻ってきた。

「ちょっと散歩でも、どうじゃ」

 そう誘われて、彼は利根と焼け跡を歩くことにした。鎮守府に居た頃も、こうして利根とよく散歩したものだと思い出す。

 それにしても、晴れた朝である。焼け跡にもこんな朝が来るのかと、彼は信じがたい気持ちだった。

 この広い焼け野原が、今は何故だか海原に見える。朝の光を受けて、爛々と輝く大洋に。そこに利根が居るせいかもしれない。

「利根、覚えているか。戦時中、俺がお前たちによく語った言葉を」

「忘れたことなど、ありはせん」

 利根は懐かしい記憶を確かめるように言う。

「――たとえ世界の全てが海色に溶けても、鈍色輝く魂は沈まない。今でも大好きな言葉じゃよ」

 かつて彼は艦娘たちを送り出す際、必ずその言葉を聞かせた。孤独な戦場で、彼女たちが自分自身を見失わないように。

「じゃが、この国は海色に溶けることはなく、終ぞこうして焼け野原になってしまったな」

 利根は寂しげに言ったが、彼は首を振った。

「いや、海色だよ。俺たちにとっては」

 彼は先程、この焼け跡が海原に見えた。それはおかしな幻だ。しかし、間違いではなかった。

 ここもまた、彼らの海なのだ。生き抜くという戦いの舞台という意味で――

 戦争の究極の到達点とは、即ち死である。戦いの果てに待つのは紛れもなく死のみ。それは明快で残酷なロジック。

 だが、生は一筋縄ではいかない。泥臭く、絶え間なく、苦々しい。それでも物を食べ、言葉を交わし、何かを想う。

 戦争が終わった今、それこそが彼らの前に待ち受けている戦いだった。

「たとえ世界の全てが海色に溶けても、鈍色輝く魂は沈まない。心の水底で繋がっている。逝ってしまった奴らとも、ずっと」

 艦娘たちは生きている。

 この海色の焼け跡で、残された命に悖ることなく。失われた命に恥ずることなく。その生き様に憾みなく。

 ならば自分も、生きねばならない。

 醒めない悪夢を乗り越えて、焼けた大地を踏み越えて、国破れという波濤を越えて。

「あいつらの分まで生き抜くことが、俺たちの最後の任務なのかもしれない。そう思うんだ」

 昨日までの彼には、持ちえなかった考えだ。艦娘たちの生き抜く姿が、彼にそれを教えてくれた。彼を導いてくれた。

「それは何とも、骨の折れる任務じゃ」

「まったくだ」

 利根は朝日に目を細めた。その表情は、心なしか微笑みに見える。

「のう、提督。変わらぬものも、あるのじゃなぁ。世界はすっかり変わってしまったと思っておったが。太陽というものは変わらんよ。在りし日に、仲間たちと見たときのまま……」

 大きく伸びをして、利根は朝日の光を浴びた。

 また今日も、新しい一日が始まる。

 海原に散った仲間たちの生きられなかった一日が。焼け跡に立つ彼らの生きる一日が。

 その先に、鹿島の言った未来があるのだろう。

「暁の地平線も、悪くないのう」

 利根の髪が揺れる。焼け跡に潮風が吹いた。

 彼らの行く先を示しながら、そっと背を押しているようだった。

 

 

 了




最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

この作品は2016年の夏コミ(コミックマーケット90)で発表したものです。
艦これの合同誌に掲載して頂いたのですが、その合同誌は「鎮守府の外に居る艦娘を描く」というテーマでした。
「それならば、既に鎮守府が無くなっている時間軸でやりたい」と思い立ち、戦後モノを執筆しました。
これがキッカケで、史実シリーズなるものを書いております。

個人的な話ですが、僕はゲームでの鹿島の自己紹介が好きです。
「戦いが終わった後も、未来のために頑張りました」という一文が。
鹿島というキャラの真骨頂はそこにあるような気がして、今回登場してもらいました。

それでは、ありがとうございました。

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